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松下電器、年金減額訴訟

松下電器の年金減額訴訟、原告の請求を棄却・大阪地裁

松下電器産業が退職社員向けに支給する企業年金をめぐり、同社やグループ企業のOBが「いったん決めた給付利率を一方的に引き下げたのは違法」と同社に差額分計約4000万円の支払いを求めた訴訟の判決が26日、大阪地裁であり、佐賀義史裁判長は「引き下げには強い必要性があった」として請求を棄却した。

退職年金減額訴訟については、以前から個人的に関心があって、旧ドリコム時代に法と経済学的な観点から、ちょっと考えてみたことがあります( 退職年金の「事後的」変更の法と経済学(1) (2) (3) (4))。というわけで、詳しい理由を知りたかったのですが、今のところ大阪地裁のHPにはポストされていません。
また、ポストされたら、とりあげるかも知れませんが、復習がてらにTBSの年金訴訟を題材にした過去記事の抜粋を紹介してみましょう。(4回分の記事をまとめているので若干長くなりますが)


退職年金減額訴訟の法的論点

まず、今回の事件の「法的」な論点を確認していきましょう。

まず、最初の問題は、そもそも退職年金は労働法上の「賃金」といえるかどうかという点です。この点については、退職年金は「恩給」的なものに過ぎないという見解もありますが、ちょっと旗色は悪いようです。また、今回TBSで問題となっているのは、適年ですので、法形式的には退職者が有しているのは、保険契約の受給者としての地位です。この辺りを、どう整理するかが、ひょっとしたら、後で触れる幸福銀行事件との差になるのかも知れませんが、規程の内容もわからないので、ここでは一応、適年に基づいて給付される退職年金も労働法上の「賃金」としての性質を有することを前提に話を進めていきます。

さて、「賃金」である以上、その内容については「就業規則」でこれを定めなくてはいけませんし、実際、ほとんどの会社で「退職金規程」や「退職年金規程」が作られ、退職年金に関しても、それらの規程で詳細が定められているはずです。
こうした就業規則を従業員の不利に改変する場合には、いわゆる「就業規則の不利益変更の法理」といわれるルールが適用されます。
これは、就業規則を従業員に不利な形で変更するには、、容の合理性や代償措置の有無、組合との交渉等の手続的公正性などを総合的に考慮して適法性を判断するという枠組みです・・・といっても、何のことか分からんという感じでしょうが、労働法専門の人に怒られることを承知で極言すれば・・・就業規則を変更するときは、組合とよく話をして、少しは組合にも妥協して話をまとめましょう・・・という感覚ではないかと(怒る人いそう・・・)

ただ、退職年金の場合には、年金をもらっている人たちは、既に企業を退職している人たちだという点が話をややこしくしています。

まず、形式的にいえば、退職者と会社との間には雇用契約はない以上、現在の就業規則は適用されないはずです(「契約の余後効」という考え方を使って、退職年金の需給という範囲で雇用契約は存続しているとみる考え方もあり得ないわけではありませんが、その場合でも、その後の就業規則の改変の影響を受けることを説明できないといけません。何れにせよテクニカルな話ですので、深入りは避けます)。
次に、「不利益変更」にあたっては「組合との話と妥協」が大切といってみても、退職者はもはや組合に所属していない以上、組合を退職者の利益代表とみることはできません。実質的に考えても、現に会社に勤務している従業員と退職者では退職年金に対する利害関係が異なるため、組合が退職者の利益を適切に代表するとは限りません。従って、会社との間で不利益変更に関して代償措置等に関する有効な交渉を行うことが期待しにくいわけです。

従って、「就業規則の変更」という枠組みでは対応できないか、対応できたとしても「不利益変更」の合理性をうまく基礎付けられない可能性が残ります。

そこで、個別の契約とみた上で(元々の退職年金規定の規定の仕方によりますが)「契約上留保された契約改訂権の行使」や契約の一般的法理として例外的な場合に認められる「事情変更の原則」という法律構成で契約内容を「事後的に」変えることができるかが問われることになります。

このあたりで、私の知る限りで、この件に関する公表された判例で参考になるものは幸福銀行事件(大阪地判平成12年12月20日)だけです。
この事件では、金融再生法(当時)下での金融管財人による破綻処理の下で就業規則の変更により年金支給の打ち切りが認められるかが争われました。 当事者の主張の結果、争点は退職年金規程の事後的改定権が留保されているか否かと事情変更の原則が認められるかに絞られましたが、それぞれについて、大阪地判は以下のように述べて、会社側の主張を否定しました。

1. 退職金規程上の改定権によって改定が可能か?

退職年金請求権の発生根拠が被告の退職金規程を内容とする労働契約にあるとした場合でも、退職金規程には被告の改訂権が規定されているから、退職者が取得した退職年金請求権には被告の改訂権が留保されていると解することも一応は考えられないではないが、退職金規程に規定されている改訂権は、あくまで退職金規程の改訂権であり、その適用を受ける在職者に対する関係で退職年金制度を改訂する権限であって、退職金規程の適用を受けなくなった退職者が支給要件を満たしたことによって取得した退職年金受給権を個別に解約する権利を留保したものでないことは明らかである。したがって、この点でも、被告が原告らの退職年金受給権を喪失させる解約権を有していたとは認められない。

2. 事情変更の原則の適用の可否

原告らの退職年金請求権は、すでに支給要件を満たしたことによって具体的かつ確定的に発生した金銭債権であり、その法的性格も功労報償的な性格が強いとはいえ、なお、労働基準法にいう賃金としての性格を否定されないものであって、被告の裁量によって支給の有無や支給額を左右することができるものではないのであるから、これに事情変更の原則を適用できる場合があるとしても、少なくとも通常の金銭債権に対すると同等の要件による保護が与えられなければならない。
<中略>
被告としては平均余命を参考にするなどしてその支給に必要な経費を予測し、その支給原資を社内留保するなどすることはできたし、早期に退職年金規程を改訂して経費増大を抑制するなどの対処をとることもできたのであって、社内留保金を払底させたのは被告自らの経営判断の過誤によるものというほかなく、その間にバブル経済崩壊といわれる経済状勢の変動があったとしても、それらが事情変更の原則にいう事情の変更に該当するものとはいえない。

さらに、被告は退職年金支給打切に際して、原告ら各自の退職年金月額の三か月分相当を支払っているが、右の程度では、単に打ち切り時期を三か月後に設定したというのと何らの径庭はなく、退職年金請求権の法的性格に照らし到底適正妥当な代償措置などと認め得るものではない。

・・・というわけで、破綻した銀行でも既に発生した退職年金の打ち切りについて認められなかったわけです。

さて、上でも述べたように、今回は適年(税制適格年金)の事案ですし、TBSの退職金規程がどのようになっているかにもよるので、幸福銀行事件とは事案において異なる要素があるとは思いますが、当事者の主張と裁判所の判断の一つのスタートポイントは、この幸福銀行事件になるのではないかと思われます。

裁判の結果の予想というのは難しい上に、それほど意味があるとは思われませんが、TBS側の弁護士が、どのような構成で戦っていくのか、弁護士的にはとても興味深いところです。

と、法律の話は、このぐらいにして、では、今回の事件の持つ経済的含意(implication)は何なんでしょう?

経済的インプリケーション

まず、オーナー経営者Aと従業員Bのみからなる会社を考えます。
Aは、会社設立時に、Bを雇い入れ、一定期間Bを働かせた後で、会社を解散してBは退職するものとします。
会社の売り上げは、従業員Bの働きによって決まりますが、Bがどれだけ働くかはAからもらえる賃金によって決まるものとします。
このとき、事後的にみれば、一定の最適な賃金水準があるはずで、契約(雇用)時にAとBの間で、「AがBに対して退職時に最適な賃金水準を支払うこと」を「契約」しておけば、Aにとって最適な売り上げが達成されることになるはずです。
ところが、ここで、Aが退職時に経営難だの色々な理由をつけて賃金を減額する権利(「賃金減額請求権」と呼びましょう)があるとしましょう(実は「権利」までいかなくても、再交渉が可能である(両者の交渉力で再交渉の結果が決まる)というだけでも同様の状況になるのですが、単純化のため「権利」があることにしておきます。)。
この「賃金減額請求権」が退職時に行使されるかされないかは、退職時のAの気持ち一つで決まり、事前には(A自身も)予測できないとしましょう(また、減額がなされた場合に、どれだけの減額がなされるかも分からないはずです)。
この状況の下では、契約時に最適な水準の賃金が約束されたとしても、それが減額されてしまうかも知れないわけですから、Bとしては、その可能性を考慮して働く水準を調整するでしょう。(例えば、その分、仕事を休みがちになるといったことが起きるわけです)
こうなると、最適な売り上げ水準も達成できないことになるため、Aとしても困ることになります。
これが、「不完備契約の経済理論」でいわれる「過少投資問題」です。

ところで、最適水準からの乖離の決め手となるのは、Aが事後的に「賃金減額請求権」を行使するかも知れないという「見込み」(事前確率)です。このとき、この「見込み」(p)は、どのように定めるのでしょう?
直感的に考えても、すぐ分かると思いますが、こうした「見込み」を行う際の重要な要素としてBが認識している「過去のAの行動」があります。
過去に「賃金減額請求権」をよく行使したことがあれば、Bは自分のときにも賃金が減額される可能性が高いと思うでしょう。


長くなりましたが、この単純なモデルで考えたことを、今回のTBSの年金打切りに適用してみるととうでしょう?
TBSの年金打切りは、いわばAによる「賃金減額請求権」の行使です。これによって、「現在」TBSに勤めている従業員としては、自分に提示されている退職給付まで含めた賃金のセットが、事後的に減額される可能性を、これまでよりも高く見積もる可能性があります。
この場合には、実際には現在の従業員の賃金カットをしていないとしても、従業員の主観的な評価としては、自らが期待している賃金の水準がカットされたのと同じ状況が生じることになるわけです。

このように「不完備契約の理論」を用いることによって、退職者の年金打切りが、間接的に「現在の従業員」のインセンティブを低下させてしまう可能性があるという示唆が得られるわけです。

勿論、現実の世の中はモデルと違ってもっと複雑です。ただ、この単純なモデルの持つ基本的な含意を否定しようとするのであれば、どのような条件があれば、このモデルの結論が妥当しないかということを、よく考える必要があります。その意味で、こうしたモデルの持つ含意を理解することはとても重要ではないかと思うわけです。

・・・で、こういう状況の中で、法は経営者の行動に介入すべきなのかどうか、介入するとすればどのような状況の下でそうあるべきかというのが、退職年金の減額問題の中に潜んでいるわけです。
というあたりを念頭に入れた上で、松下電器判決を見てみると、なかなか興味深い判決の予感がするんですよね。

Posted by 47th : | 09:33 AM

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