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「優しい経済学」で頭の体操

ゴーログの「優しい経済学」は本当に優しいのか?というエントリーに書かれていた話について、ちょっと思うところがあったのでコメントを。経済学に興味のない人にはつまんないかも知れませんが・・・
元ネタは喜八ログさんの記事なのですが、高橋伸彰氏の「優しい経済学」という本にあった市場原理に関するコップの水に関する次のような話です。

のどが渇いて死にそうだけれどコップ一杯の水に対しては一〇円しか払えないという貧しい人よりも、二日酔いで頭が痛いので一〇〇〇円払ってもよいという金持ちのほうが市場では優先されるのです。こうした市場の原理を公共サービスの分野にまで可能なかぎり拡大しようとしているのが、「構造改革」の名の下で進められている民営化にほかなりません。

後段の「構造改革」と結びつけるところは、誰しも短絡的と思うのかも知れませんが、個人的に気になったのは、前提となる市場原理、というか価格をシグナルとする資源分配メカニズムに対する説明の部分で、これは、ちょっと、というか、かなりミスリーディングではないかという気がしました。
この高橋教授の説例を読むと、誰しもが「これはおかしい」と思うことは間違いないのですが、その「おかしい」という感覚は、「価格メカニズム」がおかしいからではなく、「のどが渇いて死にそうな人」は10円払のがやっとという「貧しい」人で、「二日酔いで頭が痛い人」は「金持ち」であるという前提があるからではないでしょうか?
もし、「のどが渇いて死にそうな人」と「二日酔いで頭が痛い人」がどっちも「金持ち」だったらどうでしょう?(まあ、二日酔いも苦しいのですが・・・)この場合、まず100%、「のどが渇いて死にそうな人」の方がコップ一杯の水に対して、より高い価格をつけるはずです。この場合、コップの水はめでたく「のどが渇いて死にそうな人」にいきます。
あるいは、どちらも同じぐらいに「貧乏」で、全財産が10円しかなかったら、どうでしょう?「のどが渇いて死にそうな人」は全財産(10円)を払うというかも知れませんが、二日酔い程度だったら、1円とか2円とか、あるいは、治るのを我慢するということになります。したがって、この場合も、コップの水はめでたく「のどが渇いて死にそうな人」のものです。
この二つの例は、「価格」をシグナルとして用いることによって売り手が個々の買い手の背景事情をいちいち把握することなく取引をすることが可能であることを示しています。
もし、コップ一杯の水を売るのに、売り手が買い手に対して、いちいち、どういう理由でどのぐらい必要なのか?ということを問いただしたり、さらには買い手が表明した理由が「嘘」かどうかを確かめたりしていたら、取引にはものすごいコストがかかってしまい、例えばコップ一杯の水を売る商売なんか全く割りに合わなくなって、取引自体が全くなくなってしまうかも知れません。(前にも別のところで話しましたが、これが取引費用の問題ですね)
・・・さて、では高橋教授の説例の問題点は、本当はどこにあるかといえば、「のどが渇いて死にそうな人」が「貧乏」で、「二日酔いで頭が痛い人」が「金持ち」という、そもそもの財産状態の不平等にあるわけです。
とすると、これは価格システムの問題ではなくて、「効率性」は「公正性」を保証しないとか、効率性基準の下で達成される結果は資源の初期配賦に依存するいう、資源分配システムの制度設計一般に共通する問題点じゃないでしょうか?
ちなみに、価格シグナル以外の資源配分システムでも「効率性」を価値基準とする限りは、この問題はなくならないはずです。何が「公正」なのかは、大変に難しい問題で、価格メカニズムだから不公正な結果が生まれて、他のシステムだから公正な結果が生まれるというわけではありません。
たとえば、資源配分を価格ではなく中央集権的に行うメカニズムの下でも、効率性(=社会的厚生の増大)という基準の下では、「のどが渇いて死にそうな人」にはコップ一杯の水を与えても延命は難しいけど、「二日酔いで頭が痛い人」にコップ一杯の水を与えれば仕事に復帰できて付加価値を生み出すことができるという場合には、「二日酔いで頭が痛い人」にコップ一杯の水を与えよということになるかも知れません。
また、そこまでシビアでなくても、需要に関する情報発信と収集にもコストがかかることを考えれば、単に売り手が「のどが渇いて死にそうな人」を見逃す可能性はあります。以上のことは総じて、計画経済における資源配分が価格メカニズムによるそれほりも、「公正」といえるかどうかという問題に帰着する話で・・・そんな決着が明白な話ではないような気がします。
というわけで、高橋教授の説例は、効率性が公正性を保証しないとか、さらに、効率的な資源分配は資源の初期配賦によって定まるといった問題点の話であって、市場メカニズムというか、価格をシグナルとして利用することに対する批判としてはミスリーディングではないかという気がするわけです。
つまり、高橋教授の説例から政策的な含意を導き出そうとすれば、それは、「だから価格メカニズムがおかしい」ではなくて、「価格メカニズムが現実に機能するためには、所得の再分配や社会保障システムによって極端な資源の初期配賦の格差が生じないようにすることが大切だ」ということになるんじゃないでしょうか?

ところで、木村氏は、高橋氏の説例に次のように反論しています。

売り手は、買い手を選ぶ権利を持っています。お金持ちを優先しなければならないという義務を負っているわけではないのです。そして、上記の叙述で展開されているような人々の心情として、「一〇円しか払えない貧しい人」を優先するのが人の道だと思われるような場合には、通常の売り手であれば、銭の道ではなく人の道を優先するでしょう。

・・・これも心情的には分かるんですが、「売り手が買い手に関する情報を把握して取引の意思決定をすべき」ということになると、結局、価格システムによる資源分配方法自体に疑問を投げかけていることになっているような気もします。つまり、「高橋氏の言うとおり価格メカニズムは問題だけど、「構造改革」は価格メカニズムを徹底するわけではないからいいんだ」ということだとすると、高橋教授の議論が含意する「価格メカニズムは問題だから、「構造改革」が行きすぎないように歯止めをかける必要がある」というのとの違いは微妙な気もするところです。
まあ、私の経済学は学校で体系的に並んだものではなく、全くの独学なんで的外れかも知れませんが、「頭の体操」ということで。あと、高橋氏の原典を実際に読んだわけではなく、ブログで見た木村氏の議論に反応してみただけですので、全体としてみれば、上でいったことはちゃんと区別されて議論されているのかも知れません。

(速攻追記)
喜八ログさんのコメント欄を見ていたら高橋教授ご自身からのコメントで、売り手が買い手に関する情報を取得することは難しいということを指摘されていて・・・余計に、よく分からなくなりました・・・政府なら、価格に反映されない情報を収集して、的確に資源分配に反映させることができるという主張だということなんでしょうか?
何だか、やっぱりお互いがお互いを攻撃しているようで、実は、自分にはねかえっているようなところが・・・皆さんも頭の体操に考えてみては?

(速攻追記その2)
ちなみに民営化そのものについては、価格メカニズム一般の問題ではなく(そもそも、官営でも資源分配に価格をシグナルとして用いることは可能なので、「民営化」≠「市場化」のはす)、エイジェンシー・コストやモラル・ハザードの問題の方が深刻なんではないかと思っていることは、過去記事(郵政民営化 pro or con (1) (2) (3) (4))を参照ということで。まあ、もう民営化は決まったので、それはそれで民営化を前提に適切な制度設計を考えるということでいいんですが^^;

Posted by 47th : | 12:04 PM

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このリストは、次のエントリーを参照しています: 「優しい経済学」で頭の体操:

» 『優しい経済学』 from 喜八ログ
”小泉改革” や ”郵政民営化” を考えるためにボチボチと読書を続けています。そのうちの一冊に非常に分かりやすい例えがあったので引用します。題して「コップ... [続きを読む]

トラックバック時刻: October 25, 2005 04:54 PM

» 木村剛さん from 喜八ログ
木村剛さん(企業経営者、エコノミスト)の人気ブログ「週間!木村剛」に幣記事『優しい経済学』のトラックバックを何気なく送信してみました。 すると木村さんがブ... [続きを読む]

トラックバック時刻: October 26, 2005 04:41 PM

コメント

I would say:「のどが渇いて死にそうだけれどコップ一杯の水に対しては一〇円しか払えないという貧しい人よりも、二日酔いで頭が痛いので一〇〇〇円払ってもよいという金持ちのほうが市場では優先されます。それがイヤだという人が,買主の背景事情まで調べた上で(ある基準で)特定の人に売らなければいけない,というルールを導入しました。そうしたら,売主が調べている間に水は蒸発してなくなってしまい,貧しい人も金持ちも,水が飲めなくなってしまいました。」

Posted by もりた : October 25, 2005 12:16 PM

>もりたさん
反応はやすぎ(笑)。
さらに、A lawyer would say:「のどが渇いて・・・(中略)・・・水が蒸発する前に短期間で背景事情を調べた結果、「貧しい」人に水を売ったところ、数日後に、その「貧しい」人が、バミューダのエンティティを通じた財産隠匿で多額の追徴課税をくらいました」とか。

Posted by 47th : October 25, 2005 12:36 PM

もう一つeconっぽい(笑)バージョンを追加。
元の設定のままで「というわけで,100円で貧しい人に水を売りました。貧しい人は,お金持ちに1000円でその水を売って,500円のオレンジジュースを2本買いました。」
それなら,最初っから,その貧しい人にお金を直接渡せば? というやつですね。この辺は,こういうarbitrageも含めて,ECONの啓蒙書にいろいろと例が出てます。

Posted by もりた : October 25, 2005 12:42 PM

こんばんは。ご指摘ごもっともです。

加えて最初の話は

1)市場取引と相対取引を巧妙に混ぜた話にしてあって
  不快感をさそう作りになっています。
  「金持ちが優先される」とあるが
  市場で取り引きされれば具体的に誰に渡ったかは
  わからないので「あの野郎」(笑)とは思いにくい。

2)水のように生命にかかわる物質を
  コップ一杯しか供給できないなどという
  相当に危機的な状況を自ら仮定しておきながら
  (そんな状況で取引も何もあったもんでは
  ありませんね。市場取引の発達には
  相当の社会的な蓄積が必要です)
  その仮定のヤバさすらを
  市場メカニズムのせいにしている。

とまあ初めから価格メカニズムに対する敵対的な誘導の意図が感じられますね。確かに欠点だらけなんですが、私はこんなに簡単で安価でありながらこれほど有効(パレート最適)な仕組みになってる凄さの方を重視します。日常的なものは軽蔑されやすいですが現代哲学の顰みにならえば今このように世界があること自体凄いことです。

Posted by bun : October 26, 2005 11:01 AM

「というわけで 1000 円でお金持ちに水を売りましたが、金持ちは貧乏人を可哀想に思ったので代わりに 10 円でビールを売りました。これが縁で貧乏人も金持ちも水が少ないのはダメだと意気投合し海水を真水に変える装置を開発してしこたま儲けました。そして水の売り主は値段の暴落に悩まされたのでした。」

高橋先生の文章はちゃんと読んでいませんが、納得させるために使う簡単な比喩にはちゃんとした整理と分析が背後に欲しいと言うのは贅沢なんでしょうか。

Posted by 小僧 : October 26, 2005 12:11 PM

>bunさん、小僧さん
なにぶん、著書の一部の引用部分だけなので、これだけで高橋教授のスタンスの全てを判断するというのは明らかにフェアではないとは思っています。
とはいえ、こうした人間の素朴な心情に訴えかけるレトリックは、往々にして人を惹きつけるので、やっぱり、そのレトリックの背後にあるものは、きちんと見ないといけないし、むしろ、そうした情緒的なレトリックに騙されないような冷静な目を与えてくれるのが学問であるべきなんじゃないかなと思います。
特にbunさんの仰るように価格メカニズムというのは、うまく使えば、極めて強力ですし・・・そういえば、価格メカニズムの発想は、超強力なスパコンよりもネットでつながったパソコンの方が凄いという意味でインターネット的なのかも知れませんね。これは余談ですけど。

Posted by 47th : October 26, 2005 02:31 PM

こんばんは。昨夜はコメント、ありがとうございました。

この高橋先生の一例を読んで、真っ先に思ったことは「市場の原理」と「民営化」は同列かな・・・という、47thさんの追記で書かれているところの疑問です。経済学についてはまったくの素人ですが、10円を出す人より1000円出す人を優先するのが市場の原理だとしても、民営化というのは、取引費用を抜きにしては語れないと思いますが。つまり、貧乏な人が10円出すところで、金持ちが5円出すといえば、大阪商人である私なら5円出す金持ちに売るかもしれませんね。買い手側の情報を得られれば、これも(長い目でみた)民営化の一部だと信じて疑っておりません。(笑)こういった買い手側の情報をまったく抜きにしてしまう話だと、そもそも問題の提起すらできないことになってしまって、「起こりうる可能性自体が問題」ならば、そりゃどんな社会保障だって、情緒的に「不公平」を感じる事態はなくならないと思います。

高橋先生への印象を、この短文だけで判断することが不適切であるのと同様に、この「喜八ログ」さんのほかのエントリー、なかなかおもしろいですね!このエントリーだけで判断すると、とんでもないことになるほど、ブロガーとしての感性に驚嘆いたしました。

Posted by toshi : October 27, 2005 07:24 AM

>価格メカニズムの発想は、超強力なスパコンよりもネットでつながったパソコンの方が凄いという意味でインターネット的なのかも知れませんね。これは余談ですけど

おっしゃる通りで、ある程度抽象化してやれば話は全く同じであると言っていいと思います。

内田樹「街場のアメリカ論」でも指摘されておりましたが、インターネットが生まれるためには、物理的な装置としてのみならず思想的な意味で「パソコン」が必要だったと思います。超強力な少数のスパコンのままだったらインターネットはありませんので、「パソコン」というモノないし概念・思想の発明に「インターネット」の概念・思想も既に含まれており、「アップル」が生まれたときにインターネットは既に予定されていたと言えると思います。

toshiさんもご指摘の通り、政治権力の民主化・コンピュータのパソコン化・価格競争の完全競争化・・・どれもアメリカのお家芸ですね。しかしまたスキもたくさんありますね(笑)。仕事仕事(笑)。


Posted by bun : October 27, 2005 10:29 PM

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