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新年いろいろと・・・今後の予告など

とりあえず、先ほど無事フロリダから帰ってきました。

久々に車を乗り回し、充実した休暇を送ったのはいいのですが、来週から始まる授業のアサインや仕上げなければいけない原稿に、ちょっと眩暈が・・・

というわけで、落ち着くまでの間、ひょっとしたらブログの更新ペースが落ちるかも知れません。ただ、書こうと思っているネタはいくつかあって忘れるといけないので、備忘録代わりに残しておきます。

 

債権法改正

会社法現代化に続いて、大きな改正になりそうな債権法改正ですが、その意味合いについてはちょっと予測しがたいものがあります。とりあえず気になっているのは、①公序に基づく契約自由の制限の扱い(典型は損害賠償額の予定ですが、本来はそれだけに終わらないインパクトがあるのと、消費者保護法との棲み分けが気になるところ)、②組合契約の取扱い(権利関係とか権能なき社団の取り込み)、③委任・代理契約の取扱い、④雇用契約の取扱い(③との関係もあるし、そもそも労働法制との棲み分けをどう考えるのか)、⑤典型契約の焼き直しと商行為法との調整・・・あたりです。

それぞれについての細かいことは何れ別にエントリーを立てる・・・かも知れません。

サウンド・ロゴ問題

ろじゃあさんのところで知ったんですが、サウンドロゴのリバイバル利用に関して作曲家の方が訴訟を提起されたようです。

個別の件についてというよりも、そもそも知的財産権の経済的価値の分配の制度設計はどうあるべきかという観点から興味があるところです。

著作権とか特許というのは特定の個人の非常にクリエイティブな才能によるところがあることは確かですが、経済的な価値の獲得の過程においては、作品が生まれた後でなされるその作品への投資(プロモーションや応用技術の開発)も非常に重要なところ・・・どんなにいい音楽をつくっても売れないアーティストはいるし、音楽的に見るべきもののないものでも巨額のプロモーションがなされればある程度は売れるわけで・・・この辺りをどういう形で設計するのが望ましいのか、とか、どういうルート(契約か法律か、裁判か)というところも考えてみると面白い話です。

Law & Development

とりあえず春学期は、Law & Development(経済発展と法の関わりを考える分野)関係の講義とゼミを一つずつとる予定です。

何でLaw & Developmentなのかという辺りについても機会をみて書いてみようかなと思っています。

仕事に結びつくかどうかはよく分からないんですが、ビジネス・ロイヤーという職業にあることと自分の価値観の調和という観点からすると、実はそんなに突拍子のない話でもないと思ってるんですよね。

West Virginiaでの炭鉱事故について

アメリカの新年一発目の大事件は、West VirginiaのSagoで起きた炭鉱事故です。

12人の方が亡くなったという非常に痛ましい事故なんですが、これに関連してひっかかっていることが2つあります。

一つは、CNNでやっていたのですが、アメリカでは炭坑以上に労災死亡率の高い職業が他にもあり、例えば林業や清掃業、漁業などは10000人のうち50-100人ぐらいの方が労災で死亡しているというようです。

統計のとり方もあると思うので、これだけでは一概に言えないのですが、直観的には決して低い数値ではないように思われます。こうした職業は、低所得者層に固まっていたり、地域的に他の職業の選択肢がないという場合もあるようで、従業員の安全確保への資源投下は十分になされているのか、とか、アメリカの所得分配の麻痺があるんじゃないかという気がむくむくと起きてくるところです。この辺りは、Law & Developmentに興味を持っている理由の一つなので、いつかそれに絡めてまた書いてみようかなと思います。

二つめは、マスコミの報道が、「当初13人中12人が生きているという情報が会社側から流されたのに、それが数時間後にミスコミュニケーションであって、実際に生きていたのは13人中1人であって、このために遺族は天国から地獄に突き落とされた」というところにフォーカスがあてられているような印象が強いことです。

確かに、こうした情報伝達のミスは褒められたことではありませんが、事故処理の初期で情報が錯綜することはあり得ない話ではありませんし、情報が確実でないという理由で被災者の家族に対する情報提供を押さえることにも、それなりの問題があり得るように思われます・・・というわけで、問題とするのは構いませんが、私からみると枝葉にしか思えません。

むしろ、本当に問題なのは炭坑のそもそもの安全体制や事故処理体制、事故後の補償体制、さらにはアメリカ社会の抱える構造的な地域格差といった部分じゃないかと思うんですが・・・何となく、そうした深い問題に立ち入ることを避けているような印象すら受けてしまいました。

もちろん、これはフロリダで時間のあるときにつけたニュース番組をちらっと見ただけの印象ですので、正しくないのかも知れません。ただ、アメリカのマス・メディアの見識というのも眉につばをつけた方がいいような気もしました(・・・そういえば、Katrinaの時にあれだけ話題になった所得格差の問題も何だか尻すぼみで終わったような感じですし)。

・・・他にも、誤発注問題についての続きとかも書きたいことはあるんですが、まあ、ぼちぼちやっていこうかと思います。

というわけで、今年も宜しければ私の「思いつき」にお付き合いいただければ幸いです。

 


Posted by 47th : | 12:49 AM

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愛読ブログの一つである「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」を読んでいて、気になるニュースを発見しました。 どうやら、会社法の改正に続いては「債権法の大改正」に... [続きを読む]

トラックバック時刻: January 11, 2006 09:39 AM

コメント

情報伝達ミスの点について実は個人的興味を抱いているところです。この手の事故の扱いの中で一番やってはいけない、典型的なミスを犯してしまったなあという感想を抱いています。情報の伝達により事故を回避・軽減できたという話ではないので枝葉といえば枝葉なのですが、生命がかかる場面だけに遺族の精神的ケアという部分を無視できない場面かと思います。例えば、和解の提示額を誤って多く提示してしまって御免なさいみたいな場面と類似してなくはないのですが、極めてセンシティブな局面での情報伝達ミスは、状況次第では、多少の慰謝料増額要素くらいには認められてもいいのではないかと思っている次第です(交通事故の示談交渉みたいな実務的取扱いかもしれませんが。)。
ご遺族の方に対する具体的説明の内容によるのでなんともいえないですが、PTSDなどの最近の処理を考えると「枝葉」と言い切るのは個人的に抵抗感が残るところです。そこばかりに焦点をあてるのはどうかという議論はその通りでしょうし、あまり厳格に責任を認定してそもそも情報伝達を遅らせるという反作用は警戒する必要があるとは思いますが、事故処理の仕事の中であってはならない事態が起こってしまったなあと思います。この手の対応が遺族感情からして納得できず、事故そのものよりも感情のしこりを残すことは十分ありうることで、補償交渉は難航することになるのでしょうね。現場で交渉しないといけない会社側の方は本当に困るでしょう。

Posted by neon98 : January 7, 2006 01:22 AM

あけおめ、です。ゴルフのスコアはいかがだったでしょうか?
私は、炭鉱事件について、バハマのホテルでライブでずっと見ていました(いや、彼女が伏目がちだったもので。。)。
私も、彼らは事実上職業選択の自由がないのではないのか、そのためにかなり労働環境になっているのではないのかと直感的に思いましたが、それ以上にその時に強く思っていたのは、やはり報道のあり方です。
12人の遺体発見前は、炭鉱企業の社長「we need miracle」、WV州の知事「Miracles do happen in west virvinia」、CNNアンダーソン360「it's a miracle! 12 alive, alive!」などと、まあ、ほとんど劇場型メディアそのものの報道であったように思います。ほんとにアメリカ人は何でもストーリーに仕立ててしまうなあ(正確にはストーリーに会うように発言を繋ぎ合わせる)、情報源について何も明らかでないのにこんなに踏み込んで報道してしまって大丈夫かいな、なんで情報源も分からないのに教会の鐘を鳴らしたり「フォー」と叫んでいるのかなどと思っていたのですが、実は12人死亡という後も何事もなかったかのようにアンダーソンが遺族の甥にインタビューしたり、犠牲者のメモをテレビに大写しにしているのを見て「ああ、やっぱり」と思いました。
「枝葉」で片付けてはちょっとかわいそうな気がしますし、いつも通りうまく説明できないのですが、アメリカ人の「メンタリティ」故に起きるべくして起きた報道ミスという感想です。
ただ、やや穿った見方をしますと、ご指摘のように「そうした深い問題に立ち入ることを避けている」というのが事の真実ではないかとも思います。
それでは、今年もよろしくお願いします。

Posted by NYlawyer : January 7, 2006 07:41 AM

>neon98さん、NYlawyerさん
遺族側の感情問題というのはありますし、なければないにこしたことはないというのはその通りで、会社として原因追及や再発防止を考えることはあってもいいと思うのですが、この種の情報伝達ミスは、①今回のような非常事態の中では比較的起こりやすい、②余りにこの種のミスをpenarizeすると情報開示に消極的になるという別のコストが発生する(したがって、情報ミスを撲滅することがネットで望ましいとは限らない)という点で、バランスの難しい問題ではないかと思います。こういう問題について、一方向に偏った評価(今回のミスコミュニケーションは「悪」)がなされているような気がするのが一つめの違和感です。
実際、もう少し頻繁に起こる海難事故や大量輸送機関の事故などでも、多くの情報を伝達しようとするフローの中で、こうした意味での「ミス」はある程度不可避的に起こっているような気がしますが、なぜ、今回だけここまでマスコミがここにフォーカスするのかが個人的には不思議なんですよね。
もう一つは、被害者の遺族の心の問題とかを考えるとしても、今回のミスコミュニケーションを少しでも情報を伝えようとする「善意」から起きてしまった「不幸な事故」として捉えるのか、企業側の「悪意」的に取り扱うのかでは大きな差があるような気がします。
事故で気が動転している遺族に殊更にこのミスコミュニケーション問題に意識を向けさせるような報道というのは、感情的なしこりを「煽る」だけで誰も利しない・・・利するのは、遺族の楽観的観測を煽った自分たちの先の報道姿勢への批判の矛先をかわすことと、事故の原因とか安全体制の水準、構造的問題といった、より政治的にセンシティブな問題に踏み込むことを避けることのできるマスコミだけではないのか・・・これが2点目の違和感です。
・・・もしかしたら、割り切りすぎなのかも知れませんが・・・

Posted by 47th : January 7, 2006 10:27 AM

ほとんど意見の相違はないだろうと思いますが、念のため補足させてください。感情的にアピールする部分だけをとりあげ、本質に迫る報道をしないというマスコミ批判の部分はおっしゃるとおりと思います。また、遺族とマスコミ、遺族と会社との間の法律関係として遺族感情が保護に値しないと切り捨てることに対する抵抗感があるだけで、ウェイトのおき方が違うという趣旨のご意見にも異論はありません。
緊急時に情報混乱があること、その中でもご家族に情報を伝達するのが望ましい対応であることとの関係上、多少のミスがある可能性があっても伝達しないといけない場面もあるやと思います。状況によっては遺族の受けた精神的ダメージを法的評価をしてあげるべきだという意見にすぎませんので、ほぼ同じような感覚のことを違う言葉にしているだけのように思いました(個人的には「枝葉」という言葉への抵抗感が一番強かったです。)。

Posted by neon98 : January 7, 2006 08:39 PM

>neon98さん
私の場合、事案そのものよりもマスコミの採りあげ方というか、そのあり方に力点があったんで、ああいう書き方になってしまいましたが企業の立場だったら、情報の信頼性や伝達の仕方とか、ミスコミュニケーションにはもっと注意を払うべきというのは、仰るとおりだと思います。

Posted by 47th : January 9, 2006 09:38 AM

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