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花粉対策と株価対策の類似点

思うことはいろいろとあるんですが、とりあえず目を通さなきゃいけないものに追われていたり、エントリーを書き始めても、うまくまとまらず更新が滞りがちになっています。
まあ、こうやってぐつぐつと煮込む時間があって、考えというのはまとまるはずですし、何か締切が切られているわけでもないので、そっちの重い話はのんびりと取り組むことにして、とりあえず脊髄反射的なエントリーを。

林野庁、花粉症対策の効果を粉飾 「処分は考えてない」(asahi.com)

林野庁が02年度から始めたスギ花粉症対策事業で、花粉をつくる雄花を減少させられない事例があったのに、減少させた事例だけを抜き出して公表していたこ とがわかった。同庁の辻健治次長は21日に記者会見し、事業の有用性を強調するためだったとの見方を示し、「正確さを欠く公表の仕方で誤解を招いた点は、 まずかった。遺憾に思う」と述べ、不適切だったことを認めた。
(中略)
効果の測定調査は各都府県が行った。その結果、02、03年度に20~30%の比率で間伐した77カ所のうち、少なくとも23カ所では雄花が50% 以上減少したが、31カ所では効果が確かめられなかった。このうち25カ所は、雄花の減少率が20~30%を下回り、残る6カ所では逆に雄花の量が増えて いた。
ところが、林野庁は少数派にあたる効果が確かめられた方だけを取り上げ、05年1月に同庁のホームページで「20~30%の伐採率で雄花が50%程度減少した」と公表した。
辻次長は記者会見で「測定結果の一部であるという前提条件をつけて公表するべきだった。(担当の職員は)花粉症対策上、事業が有効であることを示したかったのではないか」と説明した・・・謝罪のことばは最後まで聞かれず、責任者の処分についても「いまは考えていない」と明言した。

この次長のコメントを見ていると、「花粉症対策上、事業が有効であることを示したかったのではないか」ということが一種の言い訳(excuse)になると考えているようにも思うのですが、これは普通に考えて悪性の加重事由にこそなれ、減軽事由にはならないんじゃないでしょうか?

ある問題のある会計処理を行った理由について、「株価対策上、M&Aが有効であることを示したかったのではないか」という話であれば、あらゆる方面から石が投げつけられるわけですが、政策というのも、納税者から集めた資金を社会的に望ましいプロジェクトに投資するという意味では基本は同じなわけです。

そのときに、そのプロジェクトが効果的だったのか、それとも効果がなかったのかが、正確に開示されなければ、そのような資源配分が継続されるべきかどうかの判断もできないし、あるいは、より効果的なプロジェクトの立案にもつながりません。
その意味で、あるプロジェクトに関する正確なフィードバックとその分析は、あらゆる政策立案の基礎であって、これを恣意的にごまかすことは、決して悪性の軽い話ではないように思われます。

・・・まあ、なんて目くじらを立てても、これは所詮氷山の一角であって、客観的なデータに基づく政策評価という発想が薄いのは今に始まったことではないんでしょうが、こういう話が出てくると、改めてそうした部分での鈍感さにため息が出るわけです。

一つ、救いにもならない言い訳をするとすれば、客観的なデータによって、ある政策が失敗ないし効果がないということが明らかになるのを避けるために、そもそもデータによるフィードバックを避けるとか、データを加工・隠蔽するとか、データを強引に解釈するとかいったことは、国際的機関を含めて、およそあらゆる組織一般に潜む病理であって、別に日本だけではないんでしょうけど・・・


Posted by 47th : | 01:22 PM

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コメント

>「測定結果の一部であるという前提条件をつけて公表するべきだった。(担当の職員は)花粉症対策上、事業が有効であることを示したかったのではないか」

前半と後半、つながってないですよね。前半が正しければ(正しいと思いますが)、後半のせりふは出てこないですよね。正論(前半部分)が言い訳にしか使われないのは、本当に残念です。

Posted by けんけん : February 22, 2006 07:48 AM

我が意を得たり、と言う感じのエントリ
ありがとうございました。

すごくわかりやすいselection bias(publication bias)
の例ですね。説明責任以前の問題です。
花粉症が人の命に関わる病気なら(そういう場合もあり得
ますが)、この方々の意識も変わるんでしょうか。

お金と科学とその公表というかコミュニケーションの
仕方に非常に興味があります。

Posted by taka : February 22, 2006 10:11 AM

>けんけん先生
本当にそうですね。
本来あるべきやり方を知りながら、それでいて、その重さを理解していないように見えるのが、悲しいところです。
>takaさん
>花粉症が人の命に関わる病気なら(そういう場合もあり得
>ますが)、この方々の意識も変わるんでしょうか。

実は、私は、意外と変わらないんじゃないかという気がしています。本当に危険なものや問題があるものであっても、意図的にデータが不足しているといってみたり、逆にデータからは危険や問題が確認できない場合でも、意図的にネガティブなデータを出したりといったことがなされているんではないかという不安が拭えないんですよね。

Posted by 47th : February 22, 2006 06:26 PM

自分が専門家から一般市民へのコミュニケーションに
ついて考え始めた時に、ある政策系の研究者から
「(レベルの低い国民に)知らせずにささっとやって
しまった方がいい改革なんか(医療費3割負担とか)は
どうするんだ?」と聞かれたことがあります。

政策上のベスト・チョイスと、一般市民を尊重した
意思決定やコミュニケーション(情報公開・提供)は
合致し得ないものなんでしょうか。

ケースバイケースだとは思うのですが、素朴に
消費者志向(一般市民の視点から考える志向)
だった自分には、考えさせられる発想・発言でした。

こちらにいる間に自分なりのスタンスを固めたい
と思っています。

Posted by taka : February 22, 2006 09:41 PM

こんにちは。

私も「ダメであることを明らかにするのは無条件に望ましいことである」というのが常識になるといいと、つくづく思います。

大きな投資による損失一度よりも、継続される小さな投資による損失の総額の方が大きいことが多いので、とにかく過ちは「やらないこと」よりも、「繰り返さない」のが、はるかに重要だと思います。それなのに隠蔽されると、また同じダメを延々と繰り返す原因をつくることになりますからね。

飛躍するようですが、企業経営でいうと、ミスを繰り返さないようにするための改善は固定費化している出費の削減にあたると思います。損益分岐点を劇的に押し下げるにはこれが一番です。企業の体質を根源的に改善するには、金額の大きいものに目をつけるよりは、少額でも継続して出ている出費を削る方が、効果的なのです。たとえば、かなりの高額と見える携帯電話を配れるのも、毎月少しずつお金をひっぱれるからですよね。

これは政府も同じはずです。小さいうちに食い止められるのであれば、どんなにタチの悪い失敗でも許容できるのですが、日本の税金の無駄遣いの類を見ると、あまり大きくない失敗が延々と繰り返されて、どうしようもなくひどい損失になっている感じですね。今の財政をたとえると、「誰も文句を言わない東証1部の優良企業株ばかりを、累積した損失のために塩漬けにせざるを得なくなっている下手な投資家のポートフォリオ」だと思います。

Posted by bun : February 22, 2006 11:54 PM

>takaさん
その方は、もし政策決定が結果的に間違いだった時の責任はどうするおつもりなのでしょうね?
「絶対に正しいが、愚民どもはそれを理解していない」のであれば、「結果」についても、全面的に責任をとるべきだと思うのですが・・・どうも、そういう主張をされる方に限って、「結果」についての責任を問われるとお茶を濁してしまう傾向があるような気もしています。
私は、peer reviewというのは、絶対に間違うことのある人間が、可能な限度で間違いを少なくすると共に、結果として生じてしまった損失の負担を納得するための知恵だという気がしています。
それにしても、こういう話、ダイレクトに色々としたいですね。アメリカにいる内にreunionとかしたいですね(あっ、そういえば数学者となったA君にメール出すのを忘れていた・・・)
>bunさん

>今の財政をたとえると、「誰も文句を言わない
>東証1部の優良企業株ばかりを、累積した損失のために
>塩漬けにせざるを得なくなっている下手な投資家のポートフォリオ」
>だと思います。

さすがの喩えですねぇ。
あるいは、「絶対的なリターンだけを売り文句にして、インデックスのパフォーマンスとの比較はさせないファンドマネージャー」というところでしょうか^^

Posted by 47th : February 24, 2006 03:36 PM

政策の結果責任って、医療経済政策的に問われた例って
あるんでしょうか。僕は知りませんが、そういう気風が
あれば出てこない発言かなと思います。
(何よりも彼:いっちょまえの研究者:がその政策の
価値や信頼性を盲目的に信じている素朴な姿勢に驚いた
記憶があります)

厚生官僚を10年ほどやっていた知人が入省当時の思い出として
「3年先のことばかり議論して10年、20年先は
『自分の責任じゃない』と思ってる人ばかりで驚いた」
と言っていたのを思い出します。
その結果が戦後の復興期・高度成長期に機能した
医療経済政策やシステムを楽観的に維持し続けた現状
に続いているのでしょう。そして破綻が懸念されて
いる、と。

今後をウォッチして誰のせいだったのかを誰かが
指摘しないといけないのでしょうね(逆に誰の功績で
破綻を免れたかも評価する必要があるでしょうし)。

peer reviewに関して自分の興味は、その概念の中に
どれほどlay personを含めるか、市民への説明責任と
クロスする部分をどれだけ本腰を入れて考えるか、
ということかなと思います。最終ゴールを評価する
のが、患者や市民というlay personである医療や
予防医学・健康科学には基本にして永遠のテーマかも。

reunionが実現するまでの宿題をいっぱいもらってる
気分(笑)で楽しいです。

Posted by taka : February 26, 2006 08:50 AM

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