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法と社会と開発と「契約の再生」


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Posted by 47th : | 18:17 | Foundations of Law

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トラックバック時刻: 2006年04月12日 06:13

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トラックバック時刻: 2006年04月12日 09:08

コメント

はじめまして。

うらやましいです。
私も法学部に所属していますが、うちの大学にはそのようなうらやましい講義をしてくださる教授はいらっしゃいません。

本を読めば分かるような学説をつらつら述べてらっしゃるだけで自説のようなものも一切盛り込まれませんし、論文で学説や判例と寸分違わぬものを書いた人に良い成績を与えます。

やはり「学問の東大」は素晴らしいですね。

Posted by かっち : 2006年04月11日 20:15

拙文をご参照いただきありがとうございます。

そうそう、47thさんに整理していただいたように書きたかったんですよw

開発において必要な「法的リテラシー」というのがあるとすれば、民衆側でなく統治する側になんでしょうか。

Posted by go2c : 2006年04月12日 09:36

私はひねくれているので、内田教授の投稿
文を見て、疑問に思うことしきりでした。

そもそも、
1.わが国が法知識の拡散型モデルの社会であるとされるが、その根拠として挙げられているのが、
①ご自身の著書の読者ハガキから推論した「読者層」
②日本の書店における法律系書籍の充実度
です。
上記②については、わが国の法学者にとって法律体系の書籍を執筆することに収入面等でのインセンティヴがあった、という供給サイドの問題の可能性があり、また、①については定量的な議論をされているとは思えません。
さらに、「中央・地方の公務員における法的リテラシーの低下」が、「事前規制の質の低下」をまねく、と結論づけられているように思えますが、少なくとも「質」に注目するならば、前者が後者の必要条件であるが如き前提に、違和感を感じます。
(わが国が不況だった時期には、「法律エリートの考えた政策が硬直的であることが長期不況の一因」、という議論すらあった。ただし、私はこの見解には賛成しない)

そもそも、一般国民の目からすれば、
(1)法科大学院から中央・地方官僚や企業へのスタッフを輩出すればよい。
(2)仮に(1)が不可能ならば、一部の大学が既に行っているように、別の形態の大学院を設立すればよい(勿論、教育する側の人員面での限界もあろうが…)。
等の意見を抱かないでしょうか。
内田教授の見解からは、東大法学部が官庁と企業の人材への供給元の核であり続けることへの郷愁(?)の念が感じられる、とは言い過ぎかな…。
仮にそうならば、80年代後半に東大で論争を巻き起こした、「学部教育と大学院での研究・教育の関連性」「教養学部の位置づけ」にまで踏み込まなければ解決されない問題だと思います。

Posted by Y.T. : 2006年04月12日 10:49

fujiです。興味深く読ませていただきました。
私も、日本の経済発展を支えたのが社会レベルでの「法的リテラシー」だというよりも、逆に日本の経済発展が社会レベルの「法的リテラシー」を高めたと見るほうが自然だと思います。
ところで、”「意思」に基づく古典的な「契約観」が死に絶えていく”というのはどこかで聞いたようなフレーズなので興味深いです。早速アマゾンで「契約の再生」買って読んで見ます(先生に唯一優越感が味わえるのは日本の本がすぐ手に入ることですね)。

Posted by fuji : 2006年04月13日 10:57

素人の感想ですが、「法的リテラシー」という言葉に対して思っていることが、びみょーに食い違っているように聞こえます。

内田先生のおっしゃる「法的リテラシー」は、どちらかというと47thさんのおっしゃる「社会(そのもの)」「法規範」といったものに近く、47thさんのおっしゃる「法」「法的知識」とはちょっと違うのではないかと感じました。

たとえば、日本企業同士の取引慣行は、(少なくともこれまでは)欧米と比べると確かに「なあなあ的」で契約書も薄っぺらだったというのが実態でしょうが、それで現実に紛争が少なかったのなら、それは内田先生的には「法的リテラシーが高かった」と評価していいんじゃないかと思います。

Posted by Apricot : 2006年04月13日 11:08

大学、大学院で勉強されたことが後に活きていくとのコメント羨ましい。私は九大の法学部でしたが授業よりジャズ喫茶ですごしたことの
方が思い出です。実は息子はテレビドラマードラゴン桜の大学、学部に今年入学ができ総長のすばらしい式辞を聞けました。NASAの野口氏の後輩へのメセージもさすがでした。
20年間持ち続けた願望を実現した。本当に
感服しました。さすが最高学府と感じました。

Posted by シギー : 2006年04月13日 12:52

>かっちさん
既存の学説や裁判例を正確に押さえることは、法律家にとって基礎体力ですし、東大でも講義ではそうした「基礎体力」をつけるための授業もありますよ^^;
ただ、東大の場合、ゼミの形態がちょっと特殊で学期ごとに選べるので、テーマの選び方も冒険ができるところはあるのかも知れません。
>go2cさん
統治する側のリテラシー、特に権力の謙抑性とか予測可能性の確保といった部分は大事ですね。
そういう意味では、法的リテラシーの低下が深刻な影響をもたらす可能性は杞憂とは言い切れないですね。
>Y.T.さん
在りし日への郷愁の面というのは、確かに感じますよね。
Y.T.さんが示唆されているように、問題は単に官僚の法的リテラシーにあるのではなく、「事前規制」と「事後規制」のパラダイムのバランスや、(事前規制の質を問題とするとしても)代替的・補完的なメカニズムの可能性を考慮する必要があるんでしょうね。

Posted by 47th : 2006年04月14日 13:02

>fujiさん
「契約の再生」羨ましいです^^
「契約の再生」を読まれた後で、また何か感じるものがあったら是非教えてください。
>Apricotさん
確かに、そもそも「法的リテラシー」という言葉で何を指すかなんですよね。
「紛争を避ける知恵」とか「状況に応じた合理的な慣行をつくりあげる知恵」というもを「法的リテラシー」だとすれば、それは日本社会に従来からあったんだと思います。
ただ、こうした「生活の知恵」は法学部出身者かどうかとか、その数で定めるものではないと思うのですが、内田先生のエッセイでは、法学部出身かどうか、あるいは、法学の専門教育を受けているかどうかが「法的リテラシー」の決め手になっているように読めるんですよね。
>シギーさん
息子さんの合格、おめでとうございます^^
ドラゴン桜ではありませんが、学歴自体が何かをもたらすわけではありませんが、私自身の個人的体験からすれば、そこだからこそ得られる経験やチャンスもあるのだと思います。
色々なものに触れ、多くの実りを得られることをお祈りいたします。

Posted by 47th : 2006年04月14日 13:12

個人的感覚ですが、やっぱり法学部出身の人は、(たとえ現在法務に携わっていなくても)バランス感覚に優れた人が多いように思います。

私自身は法学部出身ではないので、中でどういう教育が行われているかはよく知らないのですが、
http://www.nomolog.nagoya-u.ac.jp/Templates/houseiji.htm
にあるように「法学部卒業者に求められるものは、結局のところ、現実に生ずる具体的案件について、的確妥当な価値判断や意思決定を行う力である」という教育をしているとして、そういった力を「法的リテラシー」と定義づけるなら、私には内田先生のおっしゃることは納得できます。

Posted by Apricot : 2006年04月14日 15:03

この文脈におけるレントシーキングに関する変化は、それを作り出そうとする力のみではなく、(無意識的にであれ)それを防ごうとする力との対抗関係において起こるのではないかと読めました。
もしそうだとすると、「職業法律家の数の増加」そのものではなく、やはり「非職業法律家の数の減少」を含めた、両者の断絶(格差の拡大)が問題になるのではないかと思ったりします。

そういう意味では、やはり民衆レベルでの「法的リテラシー」が高いことが社会の発展につながるというパスが存在することは否定できないような気がします。
ただ、これは、別のパスが存在しないことを決定付けるものではないとも思います。

Posted by 通りすがり : 2006年04月15日 01:29

47th さん 暖かい言葉ありがとうございます。
法学部、法律に関して感じるのは金融の仕事をして経済、金融の勉強をもっとしておけばと思う反面、最近のコンプライアンス、コーポレート・ガバナンスや企業の社会的責任などが重要視されていることを考えると学生時代に少しは法律を勉強していて良かったかなあと思います。社会保障法、労働法がゼミでしたが当時は就職にはプラスにならなかったですが中高年の今の私には切実です。社会事情の変化によって考えさせられます。海外とのビジネスをして法的センスが必要なのも実感しました。法解釈も勿論必要ですが活きた契約、バランス感覚も交渉ごとには大事だと思いました。

Posted by シギー : 2006年04月15日 11:24

fujiです。
「契約の再生」読みました。本書は、契約の拘束力の原理を何に求めるかというもので、内田先生は「関係的契約理論」にそれを求めたのであり、今回のエントリーとは直接的には関係ない様な気がします。内田先生のエッセイも、法科大学院が結局法曹の予備校と化し、また、日本がアメリカ的な法知識集中型社会に向かうとすれば、日本における法的リテラシーが低下するのでは、という危惧をされているだけでそれ以上のことではない様な気がします。まして、それを開発に結びつけるのはやはり強引ではと思い直しました。
それより、私が奇異に感じたのは「関係的契約理論」をゼミで学ばれた47thさんが「法と経済学」を支持されている?点です。野次馬的にいえば47thさんが院に残らず法曹の道を選ばれたのはその点にあるではと思ったりもしました。

Posted by fuji : 2006年04月16日 09:52

>Apricotさん
そう思っていただけること自体は法学部出身者の一人としても嬉しいのですが、逆に法学部出身者の側からみると法学の専門教育を受けていない方でも問題や紛争の処理能力に長けた方はいらっしゃるので・・・まあ、人は自分にない者を羨ましく思ってしまうところもあるんでしょうね。
>通りすがりさん
「法的知識」に限らず、例えば経済的・身分的な階層を含めて社会の断絶化のモーメントというのは、開発において非常に厄介なものであるというのは仰るとおりですね。
あとは、「法的リテラシー」の中身が何かということかも知れません。
>シギーさん
どこの世界でもそうなのかも知れませんが、実務家にとっては「知識」は最低限にすぎず、その先にそれを現実の多様な局面に活かす能力が求められるということですよね。
そのときに何が役立つかは意外と事前には分からないところもありますよね。
>fujiさん
契約に「拘束力」があるということの一つの意味は、それが国家によって履行を確保されるということです。その限界が何によって律されるのか、「契約の自由」というドグマから解き離れた先にある「法による保護」以前の社会的な関係のありかたに目を向けるのが「関係的契約論」であり、やはり私には、そこに「法」と「社会」の根本的なかかわり方に関する内田先生の思想を見てしまいます。
特に民法の先生方は法哲学にも非常に造詣が深く、確か内田先生もドウォーキンの法理論についてもご紹介されたりしていました。こうした大家の先生方にとっては、社会における「法」のあり方に対する思想は木の幹や根のような形で存在しているんですよね。それを読み解くのが、法学を勉強する一つの楽しみですし、もし「契約の再生」でその辺りに興味を持たれたのであれば、内田先生の他の著作や論文、あるいは内田先生の議論に対する批判なども色々と読み比べると、思想と実際の法解釈を結びつけるものが見えてくると思いますよ。
私自身は、そうした実際の法解釈を一貫する思想を確立するところまでは行っていませんが、経済取引や会社などの経済的な組織については、「関係的契約理論」そのものの妥当性を是としつつ、その背後にある「社会関係」の合理性や正統性に関して経済的理論から説明し得る領域はなお大きいんじゃないかと思っていて、ゲーム理論や行動経済学なども勉強しているわけです・・・が、これが私の進路の選び方に結びついているかというと・・・ちょっと、自分では分からないですね^^;

Posted by 47th : 2006年04月17日 13:06

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
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