おおやにき:フォロー特集より 、この感覚はよく分かる。
しかし疑うには疑うだけの能力が必要だというのもまた事実である。ウィトゲンシュタインはすべてを疑うというものは「疑う」という地点にもたどり着いていないと言ったが、例えば流体力学の実験について論じる際にこの世界の実在から疑っていたら話は進まない。同様にその領域の基本的な概念や理論について疑うことは無益ではないが、しかしその結果どういう結論が出てくるかについての正確な知識がないまま議論すれば間違うだけだろう。シロウトの素朴な疑問がいいポイントを突いていることはある。しかし、それがより正しい結論や代替的な理論を作り出すことはない(という指摘は例えば呉智英がずっと前にしているのである)。「盲人が盲人を導けば溝に落ちる」という箴言はどうしようもない真実、なのだ。
話を単純化すれば、世の中には多くの人が言っていることが正しい領域とそうでないものがあるのであって、前者について言えば広い範囲の人間が自由に話しながら議論を煮詰めていくことは有益だと思うが、後者はそうではない。みんなでどんなに議論しようが投げ上げた鉄球は地面に落ちるし、どれだけ固く決意してもいきなり田んぼの反あたり収量が3倍になったりはしないのである。だから、「烏合の衆」が疑問を持ち寄る場としては匿名掲示板は有効だが、それを解決するにはふさわしくないと考えるわけだ。
ただ、問題は、盲人は自分が盲人であることを決して認めず、ますます傲慢になり、目を開いた者は自分が知らないことがいかに多いかに身震いし、ますます謙虚になる。
その行き先がどこにいくかは、よく分からない。


















