思いつき の全エントリー

ゾンビ議論

表ブログの話のサイド・ストーリーだけど、議論に負けない方法なんて実は簡単だ。

負けそうになったら論点をずらすというのは、ごく初歩的だが、それなりに効果がある。
論点ずらしだと反論されたら、また、そこから論点をずらすということを続けていると、何だか議論が続いているように見えるし、相手が専門家で権威を持っていると、外から見る限り、その専門家と対等にわたりあっているように見せることができる。

もう一つは、表ブログに書いた、絶対に相手に証明できない命題の立証責任を相手に押し付ける類の話だ。
これも結構効果的で、特に相手を一旦持ち上げて風呂敷を広げさせておいて、「そんなあなた(あるいはあなたが拠り所としている権威)なら勿論○○を証明するなんて簡単ですよね」とやるわけである。
で、相手が「それは自分の(あるいはその権威の)射程外だ」といえば、「何だ、そんな素人でも思いつくような疑問にも応えられないんですか?」とやって、相手やその背景にある権威をおとしめる。
もし、相手がくいついてきたら、次々に相手が疲弊して何もいってこなくなるまで無理難題を投げ続ける。
すると、ギャラリーからすると、何だか専門家を「言い負かした」かのように見えるわけだ。

もちろん、こういうテクニックは、判断者のリテラシーが高い場合には限界がある。
訴訟でも、裁判官にとって馴染みのある論点について、この手のだらだらした反論をやっていると、却って裁判所の心証は悪くなる。(逆に、裁判官が疎い話では、粘ってみる価値はあるわけだが(苦笑))

つまり、リテラシーの高い判定者を持たない議論では、こうしたゾンビ議論が可能で、往々にして、こうしたゾンビ議論では、一見の議論の勝ち負けは内容の当否ではなく、当事者のガッツ、というか執念深さとかプライドの高さ、それとこうしたゾンビ議論のレトリックを扱うちょっとばかりの知恵によるわけだ。

真っ当な議論をしたいと願う人間にとっては、こうしたゾンビ議論に付き合うことは疲弊するだけなので、何れは根負けして撤退する・・・そうすると、何だかゾンビ議論をしている人間が、専門家を言い負かしたヒーローのように見えてしまうわけで・・・

結論は、触らぬゾンビに祟り無しで放置するのが正しいんだろうね。

ただ、やっぱり余りにひどいことを言われていると、その誤解を解きたくなるわけで・・・その兼ね合いが難しいところだ。

 


Posted by 47th : | 15:10 | コメント (5) | トラックバック (0)

(反)テロリズムと知的怠惰

内田樹の研究室:学習障害性ナショナリストを読む。

私が問題にしているのは、小泉純一郎個人のエモーションの純良さやその憂国の至情ではない。
どのような政治的効果をめざして、どのような政治的文脈の中でその行為を選択したのかについての「説明」だけを求めたのである。
もちろん、ある政治的行為を選んだ理由を決して説明しないということも一つの政治的行為である。そこまで含んでの政治的効果を狙っているということもありうる。
その場合は、「説明がなされない政治的行為」はなぜ説明がなされなかったのかについて考えなければならない。
それをずっと考えてきたのだけれど、小泉首相が東アジアとの外交関係を有利に展開するためにどのような深慮遠謀があったのか、ついに私にはわからないまま彼はその任期を終えようとしている。

ネットにあふれる小泉批判・賛美論の中で、もっとも納得感があったテキストはこれだと思うので引用するが、本題はむしろ以下の部分。

私は為政者が「ナショナリストのようにふるまう」ことはマヌーヴァーとしてしばしば有用であることを認める。
けれども為政者が「ナショナリストである」を喜ばない。
それは、ナショナリズムがほとんどの場合、知性の活動を低下させるからである。
若い人たちがナショナリズムに親和的になる理由の過半は、ナショナリストであることはそうでないことよりも政治的問題について考えるときの知的負荷が少ないからである。
(中略)
固有名詞や数値に詳しいのは(政治学者や社会学者の場合もそうだが)、スキームがもう出来上がっている人間の特徴である。
「容れ物」の外郭が固定されると、人間はトリヴィアルな情報をいくらでも詰め込むことができる。
どのような新しいデータが入力されても、スキームそのものが変化する可能性がないという見通しが立ったときに人間は異様に記憶力がよくなるのである。
(中略)
つまり、自分が現在その枠組みに基づいて世界を見ている枠組みそのものの有効性・妥当性を疑わせる情報を受容できないという無能力が、トリヴィアルな情報をためこみ、それを即時に取り出す卓抜な能力とトレードオフされているのである。
(中略)
もう一度繰り返すが、「ナショナリストのようにふるまうこと」はしばしば高度の知的緊張を要求する。だが、「ナショナリストであること」は特段の知的負荷を課さない。
特段の知的負荷を課さない知的活動を優先的に選択する知性は「あまり知性的ではない」と私は判断することにしている。
私は「マヌーヴァーとしてナショナリストのようにふるまう為政者」の狡知を愛するが、「本気でナショナリストである為政者」の知的怠惰は評価しない。

これを読んで「そうだよね」と思いながら、頭の中に浮かんだのは、ついさっき感じたBeckerとPosnerへの失望感のことだった。


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Posted by 47th : | 00:29 | コメント (2) | トラックバック (0)

知性の限界

BeckerPosnerが、先日発覚した航空機同時爆破テロ計画についてエントリーを書いているが、内容は、「テロとの戦いのためには、プロファイリングに基づくスクリーニングや自由が制限されるのもやむをえない」とか「諜報機関を強化しなくてはいけない」とか、およそそこら辺のアメリカのステレオタイプな政治家の言っているプロパガンダの域を出ない。

Posnerに至っては、何ら客観的な証拠を提示することなく、ビン・ラディンがパキスタンにいて、全ての糸を引いていると主張する始末。

世界の中でも相当高いところに位置する知性もまた、出自や偏見といった限界からは自由になれないということか・・・


Posted by 47th : | 20:30 | コメント (0) | トラックバック (1)

職業専門家の不在

ふぉーりんの方では、法律ネタと並んで経済ネタをよく扱っているわけだが、コメント・TBの傾向というのは両者で若干異なるところがあるような気がする。

本当に印象だけなのだが、法律ネタは(ライブドアのような社会ネタになってしまう部分は別として)議論のフレームワークは共有できるし、余りトンデモな意見は出てきにくい、か、出てきても余りにトンデモ過ぎてすぐに分かってしまう。
また、フレームワークの理解と知識のレベルというのは、大体において正比例していて、こちらの提示したフレームワークをきちんと理解してレスポンスしてくれる人は、個々の論点に対する理解や知識を有している。

これに対して経済ネタは、そもそもフレームワーク自体が一致しないことが多く、論理的に整理されていない形でともかく思いつきで勝負しているものが見られる(ような気がする)。あと、言葉の使い回しから知識はあると推察できる場合でもフレームワークの組み方や知識の組み合わせ方が洗練されていない場合もある。

これは、元々の出自が法律系だから読者層の違いがあるからかとも思ったのだが、bewaadさんのところや掲示板なんかを見ていると、そうとばかりは言えない気もする。(もっとも、法律系掲示板のレベルもよく分からないところがあるが)

これは何なんだろうなと、考えていてふと思ったのが、タイトルにあげた職業専門家の不在ということで・・・もちろん、経済学でもエコノミストという職業専門家はいるのだろうけど、弁護士や会計士のような資格をもって勝負する分野とは少し異なっていて、余り決まり事がない。
弁護士や会計士という職業は、まず現実に通用しているルールを「皆が理解するように理解」した上で、更に訴訟における主張や、あるいは財務諸表のように一定の「皆が使っているフォーマット」に載せることが求められる。個人的な意見や主張というのは、あくまでそれらを身につけた後の話でしかない。
これに対して、実務エコノミストというのは、こういう「型」はなく、よくも悪くも百家争鳴なように見える。
で、百家争鳴というのは、学者のように常人のン十倍も勉強で知識を身につけた上でやる分には生産的なのだが、学部レベルの知識の上で百家争鳴の議論をやり出すと収集がつかなくなる。まあ、これは経済学について学部レベルすらきちんとやっていない人間がいう話でもないんだが、法学でも学部レベルの知識をベースに「自説」や「独自体系」を振り回されても、全くお話にならないのと、これは同じ。

ただ、法学については、職業専門家が現に資格として存在し、そのために議論のフレームワークとかいう「型」の部分についても重要視されているし、実際に世間にはこうした共通のフレームワークを身につけた職業専門家がうじゃうじゃといる・・・この辺りが違いなのかなという気もする。

まあ、エコノミストの中でも実務での需要の高い為替とかファイナンスなんかはフレームワークのぶれが少なく見えるというのも、この辺りが原因かなと。で、アメリカでは、産業組織論やミクロ市場構造論についても政策立案や市場分析などで需要が高いんだけど、日本では学者以外の形態でこれを専門にして飯を食っていくのは難しそう・・・というわけで、この辺りになると、ネット上の議論はカオスの様相を呈するのかも知れない。まあ、そんなカオス状況だからこそ、ぼくも平気で経済ネタを実名でさらせるのかも知れないので、よしあしというところではあるんだが。

とりあえず、思いつきということで。 


Posted by 47th : | 12:05 | コメント (0) | トラックバック (0)

 
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