"Shleifer Affair"

ついこの前Harvard EconのShleiferのことを紹介したばかりですが、今日のLaw & Developmentの授業でShleiferのロシアの市場化に関連して米国司法省に訴えられて和解したという話をきいたので、早速ぐぐってみると、こんな記事が。

Russia Case (and Dust) Settle (Harvard Magazine)

USAID originally awarded a $40-million grant for the Russia project. The project, run by the now-defunct Harvard Institute for International Development (HIID), aimed to advise the Russian government on making the transition from a socialist to a capitalist economy. The court found that, while being paid by USAID, Shleifer and Hay engaged in prohibited investments and businesses in Russia. These actions (which are disputed by the defendants) included: Shleifer and Zimmerman’s investment of $200,000 through Renova-Invest, a U.S./Russian investment entity, in various Russian companies and Russian government debt; Shleifer, Zimmerman, and Hay’s purchase of several hundred thousand dollars worth of shares in Rus-sian oil companies (ownership of the shares was placed in the name of Shleifer’s father-in-law); and Hay and Shleifer’s help in launching and/or financing Russia’s first licensed mutual fund, started by Elizabeth Hebert, Hay’s then-girlfriend and current wife. They did the same for Russia’s first mutual-fund depository, started by Hebert’s business partner.

ということで、ShleiferとSachsが中心となっていたHIIDが司法省からロシアの市場化に関するコンサルタント業務を請け負っていた時に、Shleiferとproject directorであったHayがロシアに対する個人的な投資を行っていて、それがUSAIDとHIIDとの間での利益相反取引を禁じた契約条項に反しているという主張のようです。

実は、この事件については既にSummary Judgmentが出されていて、その中では故意は否定されたものの、契約違反に関してはHIIDとShleiferの責任が認められていたようです(オピニオンまでは読んでいないので、記事からの伝聞ですが)。もっとも、Shleiferが実際にプロジェクトに携わっていたかどうかは微妙という判断・・・まあ、でもチャイニーズ・ウォールをきちんとひいていたのであればともかく、直接携わっていないからいいでしょう、というのは、ビジネス業界でのconflict ruleからいうと、少しアレな言い訳ですが。

この結果、Harvardは26.5M、Shleiferは2Mを支払うことに合意したようです。但し、司法省の主張を認めたわけではなく、あくまで訴訟費用等を勘案してという和解の際の常套的な決着になっています。

ところで、この話は、これだけでは終わらず、つい先日のHarvard学長のSummersの退任劇とも密接に関連しているようです。

Lawrence Summers Quits as Harvard President in Advance of New No-Confidence Vote; Derek Bok to Step In

Chief among them was to be a motion to censure Mr. Summers for his role in what has become known as the "Shleifer affair," the professor said. Andrei Shleifer, a prominent Harvard economist and personal friend of Mr. Summers, was a defendant in a lawsuit alleging that he and a former staff member had defrauded the U.S. government through a program intended to help Russia make the transition to a market economy.

Harvard defended Mr. Shleifer throughout the litigation and last August agreed to settle the case by paying a $26.5-million penalty. Mr. Shleifer has never been disciplined by Harvard, and in fact was awarded a new chair during the litigation, said the professor who spoke to The Chronicle. As a result, Mr. Shleifer's relationship with Mr. Summers has drawn increasing criticism. The professor said the combination of the penalty and legal fees had cost Harvard $44-million.

最初の記事にも書かれていますが、SummersはShleiferの恩師的な関係にあって、Shleiferをバックアップした結果、44Mの損失をもたらしたという辺りが退任・・・というか放逐劇の重要なポイントになったようです。

まあ、だから何だというわけではありませんが、思いつくままにコメントを。

  • 政府が一大学にロシアの市場化プロジェクトを依託するというところに、まずびっくり。Harvardをはじめとした一部の大学だけだとは思いますが、現実の国家的プロジェクトを運営するだけの組織力とか運営力が教育・研究機関にあるというのは、さすがアメリカというところでしょうか。
  • 更に、司法省がその大学を訴えるのがびっくり。
  • 経済学者が、実際に自分の専門分野で身銭をきって投資をしているというのがびっくり。LTCMもそうですが、そりゃぁ、自分の財布がかかっていれば、いやでも真剣になりますよね。経済学が発展する理由も何か分かるような気がします。
  • でも、それを自分の所属する研究機関が請け負っているプロジェクトに関連してやる辺りがびっくり。ただ、裁判所の認定は「意図的」なものではなかったということで、直接にプロジェクトの情報を利用したと主張されているわけでもないんで、おそらくは、コンフリクトに関する感覚の問題なんだろうという気もします。
    まあ、この辺りは研究機関らしい脇の甘さ、というか、ウォール街的なチャイニーズ・ウォールをひいていれば、また結論は変わったような印象です。
  • 個人で和解で2M+訴訟費用を払える財力・・・アメリカの学者は、やっぱ儲かるんですね・・・
  • そもそも、司法省に訴訟を提起された時点で、日本だったらShleiferの「社会的地位」はどうにかなりそうなものですが、いくらSummersのバックアップがあったとはいえ、こういう機会でもなければ気づかないぐらいに元気に活動しているという辺りが、リベラルというか、アメリカだなぁ、と。

何かしょうもないコメントになってしまいましたが、個人的には結構面白い話でした。

利息制限法と借り手保護の微妙な関係(2)

問題提起から大分間が空いていますが、別に忘れているわけではなく、ちょうど今やっているMicrofinance関係の問題意識と重なるところがあるので、それが終わってからぼちぼちやろうと思っているんですが、早くも影響が現実かしているようなので、メモ代わりに。

過払い返還5百億円、灰色金利制限で増 消費者金融4社 (asahi.com)

貸金業者に対し、利息制限法の上限を超える「グレーゾーン金利」分の返還請求が相次ぐ中で、武富士やアイフルなど消費者金融大手4社が返還に応じた額が、 昨年4~12月で358億円に達したことがわかった。最高裁判決などで借りた側に有利な司法判断が定着して返還額は急増。05年度は500億円近くに達する見込みだ。業者側は過払い金の総額を公表していないが、会計上返還すべき債務への計上を求める動きもあり、影響はさらに拡大するとみられる。
(中 略)
消費者金融大手4社でみると、05年4~12月の返還額は、武富士128億円、アコム87億円、プロミス75億円、アイフル68億円。武富士では前 年同期より6割増で、同期間の当期利益(369億円)が25%減った一因になった。アイフルもすでに05年3月期実績の倍近いという。前期の実績を明かさないアコムとプロミスも、返還額の急増は認めている。
(中 略)
借り手を支援する法律家グループは、業者側が返還すべき過払い金の総額を明確にし、契約者への債務として会計処理するよう要求。今月初め、日本公認会計士協会などに指導を申し入れた。仮に一括して会計処理する場合、多額の引当金の積み増しが必要で、業績にさらに大きな影響が出ることが予 想される。

ということで、やはり財務的にも相当のインパクトがあるようです。
少しマニアックな意味で注目なのは、消費者サイドの弁護士から引当金の積み増しのプレッシャーをかけているところでしょうか?
うがった見方をすると、「引当金を積む」=「返還すべきと企業も認識している」ということで訴訟や和解を有利に進めるという意図があるのかも知れませんが、余りにも鞭打つと逆に貸し渋りとかも出てくるかも知れません。この辺りのところは、消費者サイドの弁護士の方々はどう考えているのか、少し興味があるところです。
高金利でずるずると貸付を行ってしまうことによって多重債務者問題が深刻化しているという見方に立てば、この場合の貸し渋りは望ましいという判断があるのかも知れませんが・・・企業金融とのアナロジーでいうと、現在の貸金業者の与信管理が合理的になされていて貸出市場がある程度効率的に機能しているのであれば、高金利ローンへの借り換えによるデッド・オーバーハングの解消の可能性が絶たれてしまうことは、一概に借り手保護に資するとは言い難いはずです。
企業のデッド・オーバーハングと、個人のそれは必ずしも性質が同じではないかも知れませんが、やはり、この辺りの理論的な関係を整理しておかないと、本当の意味での消費者保護にはならないような気もします。

ところで、今回の判決が株価にどういうインパクトを与えているかということで、武富士とアイフルのチャートを。

 

 ちょっと面白いのは、1/13の第2小法廷判決のあと、1/19に第1小法廷が、1/24には第3小法廷が相次いで同旨の判断を示したんですが、後の2つはほとんど株価に影響を与えていないところ。
前回のドンキと比べると、この株価の動きはかなり効率市場仮説に近い動きに見えます。

なお、1/13の時価総額へのインパクトは武富士で400円×1億5000万株=600億、アイフルで1000円×1億5000万株=1000億ということで、市場は単純な当期利益へのインパクト以上のインパクトがあると見ているとも考えられます。
ちなみに、1/27にも両者の株価は大きく下落しているんですが(特にアイフル)、これは金融庁による貸金業融資ルール変更の動きに反応したもののようです。
これもある意味、同じ類のインパクトですので、これを入れるとマーケットへのインパクトは約倍・・・司法判断はこれだけのインパクトを持っているということですね。

コモン・ロー万歳!

っていうか、余りにも法律家から見ると、荒唐無稽でしかない主張なので笑っていたんですが、私がStern(NYUのビジネス・スクール)でとっているM&Aの教授のAmihudも授業で肯定的に紹介し、NY Lawyerさんの受けている授業でのYermackもかなり肯定的に紹介したということで、Harverd経済学部教授のShlieferが中心となっているコモン・ロー賛美シリーズをとりあえずクリッピング(何れもHarvardのfuculty 紹介からのリンク)・・・っていうか、多い。

実は、「開発」の文脈でも、これが引用されて強力な法システムがないと経済発展はないという主張を支えているんで、そっちの関係でも何れは真面目に検討しないといけない話なんですよね。(というわけで、下記リンクには資本市場絡みではない開発絡みの論文も混入しているのでご注意を) 

法学の多重人格性

ある意味、昨日のエントリーの続きですけど、「法学」って、多重人格的なんですよね。

典型的には司法試験に見られる「法学」の一つのあり方は、既存の「法」を所与として、ある事象への適用を論ずるものです。一応、大前提→小前提→結論という論理的な三段論法を踏襲していますし、大前提や小前提の立て方については、議論がなされますが、「大前提」となる「法」そのものは明文法であったり、過去の判例であったり、あくまで所与のものです。

これはこれで、例えば社会における法適用の予測可能性を確保するという意味では非常に大切なわけですし、実務家でこれができないと目も当てられないことになります。

ただ、これは「科学」かっていうと、あんまり「科学」っぽくはないような気がします・・・まあ、「科学」自体、何なの?というところがはっきりしないんで、それに対して「ぽい」とか「ぽくない」と言ってみてもしょうがないんですが、例えば、「賭博はやっちゃいけない」という法律があれば、あとはある事案が「賭博」なのかどうかを一生懸命議論しなくてはいけないわけです。
そもそも世の中のあらゆる事象には不確実性があるわけで、「賭博」と「賭博ではないもの」っていうカテゴリーの分け方は無意味だといって、コペルニクス的な発想の転換を迫っても、「はぁ」ってな感じで終わってしまいます。

私が司法試験をやっていた頃は「司法試験で立法論を書いたら落ちる」と言われて「さもありなん」と思っていたんですが、よーく考えると、この意味での「法学」は「法学」のある特定の一面でしかないわけです。

で、他の面は何かといえば、そもそも「法」はどういう形であるべきか?という議論をする面で、例えば上の人生自体ギャンブルなんだから、ギャンブルが罪なら人間は皆罪になる・・・と言っている人が本当にいるのかどうかは知りませんが、そういった、そもそも「法」とはどうあるべきか、という議論です。

この辺りになってくると、結構「科学」っぽくなってもおかしくないんですが、「法を定める」というのは、色々な利害が絡む極めて生臭い話なので、前回のtaghitさんがコメントして下さったように、生臭いところで結論が先にあって、それを「もっともらしく」見せるために理屈が使われることがあり得るわけです。

しかも、法学の世界では便利なことに(笑)、「正義」とか「公平」とか、その内容や度合いを判定する基準や手法を全く定義・提示することなく拠り所にできる葵の御紋があるので、そこに逃げ込まれると、それ以上は議論をかみ合わすことができなくなってしまうわけです。

実際、「法」というのは、必ずしも一つの目的にのみ資するわけではなく「モラル」と等価値で存在するものでもあるので、例えば「中絶禁止」とか「同性婚禁止」の世界になると、「価値観」とか「信仰」の対立に帰着するわけで、そこから先には進めなくなってしまう場合があるのも「やむなし」というか、「そういうもの」なんだからしょうがないんでしょうね。

ちょっと前にアメリカでインテリジェント・デザインと進化論を巡る論争がありましたが、あれを例にとると、「IDは反証に耐えられないから否定されるべき」と来るのが科学だとすれば、「『生命の神秘』に対する見方の差」で終わってしまうのが「法学」的というところでしょうか?(少し乱暴ですが・・・)

私がローエコ好きなのは、最後に「価値観の違い」で議論がすれ違うのが気持ち悪いからなんですが、とはいっても、「法学」には、そういう側面があることや、もっといえば、そういう側面を重要だと思う法律家が多いということは、分かっているつもりです。

ただ、ことが経済活動を規制するもののように、究極の目的が「効率性向上」や「市場の失敗の是正」であったりとかいうものについては、「価値観」では逃げられないし、逃げてはいけないんじゃないかと・・・というわけで、少なくとも経済関連の法については、「科学」的・・・というか、せめて「経済学」並のアプローチが一般的になってくれるといいのに、と思う、今日この頃だったりします。

「科学」の敷居

(2/24 追記あり) 

何か、M&Aのケース・スタディの宿題で5時間ぶっ続けでミーティングをしたり、また日曜日にミーティングをしなきゃいけないわ、ゼミのグループ発表も準備しなくちゃいけないのに、何か今ひとつしっくりこないやら、ブログは何か書いても途中で筆がとまってしまうやら・・・と、何かちぐはぐな日々が続いています。

そんな中、面白かったのがbewaadさんの中村正三郎さんの経済学観についてというエントリーです。

いつもながらの理路整然としたbewaadさんの切り込みが純粋に気持ちいいところです。

個人的な感想を言わせていただくと、スティグリッツの「入門経済学」の「日本版」の「訳者追記箇所」における数式の変数定義における「率」と「絶対値」の誤り(誤植にせよ筆者の勘違いにせよ)が放置されていたことで経済学のレベルが分かると言われても・・・論文とか大学院レベルの教科書で言われるんなら、まだしもというところでしょうか。経済学にある程度通じた人が入門経済学の和訳本の追加部分を真面目に読む確率がどのぐらいあるのかとか、変数定義を斜め読みする確率がどのぐらいあるのかとか考えると・・・これで経済学におけるpeer reviewの程度を図られても困るだろうなという気がします。
(2/24追記:しかも、そもそも「誤植」ですらなかったようです。もっとも、それならそれで、ひょっとしたら「率」という用語をパーセンテージと同じ意味で使わないと「科学としてなっていない」といわれるのかも知れませんが(笑))

ただ、自然科学の人から見ると、経済学を含めた社会科学の分野を「トンデモ」と思う気持ちは分からなくもないなぁ、と言う気になったのが、今学期受けているData Analysisの授業で教授が言っていた話です。

統計学的な手法で法則性を検証する回帰分析(regression analysis)のあてはまりのよさをあらわす指標でR-squareというのがあるんですが、自然科学の世界では99%で当たり前だけど、社会科学では40%程度でも十分な場合もあると・・・これだけでも、えっ!という感じかも知れませんが、実は経済学における実証研究といえば、R-squareが10%台でt値の絶対値が2を切る(統計的に有意とはいえない)係数もモデルの解釈において考慮に入れるなんていうのが、ごろごろしているわけで・・・自然科学の世界の人からすれば、「トンデモ」じゃん、と思っても不思議はないかも知れません(笑)

ただ、「科学」かどうかは、必ずしも「結果」として何が得られたかによって判断されるものではなく、そのアプローチによって判断されるべきものかも知れません・・・っていうか、これこそ有名な(といっても原著を読んだわけではないんですが^^;)カール・ポパーの話で、「反証可能性」(falsifiability)があるかどうかという観点から見ることになるわけですが・・・これこそ言うまでもなく経済学というのは、(上記のように実証のデータがそれほど強固ではないため、実証とそれに対する反証が難しいという面がある点はともかくとして、)反証可能性を持っている学問ですし、実際にそうした反証によって過去の理論が覆されたり精緻化されているわけです。

そういう意味では経済学は十分に「科学」なわけですが、さて、私の本来のフィールドである「法学」はどうなんでしょう?

むかーし、平井教授の「法律学基礎論覚書」も読んだんですが、正直、内容ははっきりとは思い出せません。ただ、経済学で叩かれるぐらいなら、法学なんて、もっと怒られそうな気がします。もっとも、そこまでしゃかりきになって「科学」の仲間入りをしなくてはならないのかは・・・よく分からないですね。

何か、まとまりがありませんが、とりあえず感想まで。

花粉対策と株価対策の類似点

思うことはいろいろとあるんですが、とりあえず目を通さなきゃいけないものに追われていたり、エントリーを書き始めても、うまくまとまらず更新が滞りがちになっています。
まあ、こうやってぐつぐつと煮込む時間があって、考えというのはまとまるはずですし、何か締切が切られているわけでもないので、そっちの重い話はのんびりと取り組むことにして、とりあえず脊髄反射的なエントリーを。

林野庁、花粉症対策の効果を粉飾 「処分は考えてない」(asahi.com)

林野庁が02年度から始めたスギ花粉症対策事業で、花粉をつくる雄花を減少させられない事例があったのに、減少させた事例だけを抜き出して公表していたこ とがわかった。同庁の辻健治次長は21日に記者会見し、事業の有用性を強調するためだったとの見方を示し、「正確さを欠く公表の仕方で誤解を招いた点は、 まずかった。遺憾に思う」と述べ、不適切だったことを認めた。
(中略)
効果の測定調査は各都府県が行った。その結果、02、03年度に20~30%の比率で間伐した77カ所のうち、少なくとも23カ所では雄花が50% 以上減少したが、31カ所では効果が確かめられなかった。このうち25カ所は、雄花の減少率が20~30%を下回り、残る6カ所では逆に雄花の量が増えて いた。
ところが、林野庁は少数派にあたる効果が確かめられた方だけを取り上げ、05年1月に同庁のホームページで「20~30%の伐採率で雄花が50%程度減少した」と公表した。
辻次長は記者会見で「測定結果の一部であるという前提条件をつけて公表するべきだった。(担当の職員は)花粉症対策上、事業が有効であることを示したかったのではないか」と説明した・・・謝罪のことばは最後まで聞かれず、責任者の処分についても「いまは考えていない」と明言した。

この次長のコメントを見ていると、「花粉症対策上、事業が有効であることを示したかったのではないか」ということが一種の言い訳(excuse)になると考えているようにも思うのですが、これは普通に考えて悪性の加重事由にこそなれ、減軽事由にはならないんじゃないでしょうか?

ある問題のある会計処理を行った理由について、「株価対策上、M&Aが有効であることを示したかったのではないか」という話であれば、あらゆる方面から石が投げつけられるわけですが、政策というのも、納税者から集めた資金を社会的に望ましいプロジェクトに投資するという意味では基本は同じなわけです。

そのときに、そのプロジェクトが効果的だったのか、それとも効果がなかったのかが、正確に開示されなければ、そのような資源配分が継続されるべきかどうかの判断もできないし、あるいは、より効果的なプロジェクトの立案にもつながりません。
その意味で、あるプロジェクトに関する正確なフィードバックとその分析は、あらゆる政策立案の基礎であって、これを恣意的にごまかすことは、決して悪性の軽い話ではないように思われます。

・・・まあ、なんて目くじらを立てても、これは所詮氷山の一角であって、客観的なデータに基づく政策評価という発想が薄いのは今に始まったことではないんでしょうが、こういう話が出てくると、改めてそうした部分での鈍感さにため息が出るわけです。

一つ、救いにもならない言い訳をするとすれば、客観的なデータによって、ある政策が失敗ないし効果がないということが明らかになるのを避けるために、そもそもデータによるフィードバックを避けるとか、データを加工・隠蔽するとか、データを強引に解釈するとかいったことは、国際的機関を含めて、およそあらゆる組織一般に潜む病理であって、別に日本だけではないんでしょうけど・・・

日本における敵対的買収に関する実証研究例

経済産業研究所(REITI)は、企業法にかかわる人間にとっては非常に興味深いディスカッション・ペーパーをWEB上で公表していて、私のように海外にいる人間にとっては非常に助かるので、折りをみてチェックしているんですが、今日、久々にチェックしたら大変興味深いディスカッション・ペーパーがアップされていたので、メモ代わりに。

胥 鵬「どの企業が敵対的買収のターゲットになるのか」

とりあえず、授業を受けながら、ざっと目を通しただけなんですが、計量的分析のアプローチを含めて、いろいろと考える材料になりそうな論文です。今学期受講しているregressionの授業の終わりまでにはlogit analysisもやると思うんで、そしたらまたゆっくりと考えてみたいと思いますが、とりあえず、実証分析の結果が正しかったとして、そこから導き出される結論についても、色々と議論の余地がありそうなところです。

ざっと見た範囲ですが、村上ファンドとSPJの行動原理が、米国のファイナンスの教科書に比較的忠実なターゲットの抽出を行っていることはいいとして、そのことから「村上ファンドやスティール・パートナーズのようなモノ言う株主の圧力は、1980 年代に米国の敵対的買収が企業価値向上に貢献したように、早期退出を促し企業価値を高める役割を果たす可能性が大きい」と結論づけられるかどうかという辺りがポイントになるのではないかという印象です。

いずれにせよ、こうした具体的データをベースにした研究が盛んになることは、個人的には嬉しいところです^^

イベント・スタディ的に見るオリジン東秀争奪戦 (2/17)

ついさっき、件の事件については何も書かないと言った舌の根も渇かないうちに何ですが、株価を見ていたら純粋にイベント・スタディとして面白かったので・・・

ちなみに赤い線がオリジン東秀、青いのがドンキ、緑の線はTOPIXです。

どこが面白いかというと・・・

  • TOBの開始と共にオリジン東秀の株価はジャンプし、ドンキの株価は大幅に下がっている。

    アメリカの実証研究でも、買収のアナウンスで株価のリターンが若干下がると言われているのですが、ドンキの場合には20%弱のネガティブ・リターンが見られるのがびっくりなところ。
    「M&Aで株価を上げる」なんていう話をどこかで聞いたことがあるかも知れませんが、実証研究的には、M&Aで株価が上がるというのは、必ずしも普遍の真実ではないわけです(もっとも、どこぞの会社はEPSが異様に大きかったので、ブートストラップ・ゲームがはまった可能性はありますが)
    日本の市場の効率性をどこまで信用するかにもよるのですが、オリジン東秀の発行済株式数が約1800万株で400円のジャンプなので(その後200円ほどおちていますが)、約72億円(その後の下落を考えると36億円)のゲインで、ドンキの方が約2200万株で800円の下落ですから、176億円のロスというところで、差し引きで考えると100億円から130億円のロスが出ているということで、一見すると市場はこの買収は全体的な効率性を向上するものではないと判断しているようにも見えます。ただ、16日はトピックスの方も大きく下がっているので(5%ぐらい?)、ゲインを上方修正、ロスを下方修正しなくてはいけないので、もうちょっと差は縮まるかもしれませんね。
    あと、この時点での市場の反応を見る限りは、ドンキがオリジンの少数株主の犠牲の下に利益を吸い上げるというシナリオとは、ちょっと整合性を欠いているようにも見受けられます(もしそうだとすればドンキの株価は上昇するはずなので)。

  • ドンキのTOB開始直後にオリジン東秀の株価が跳ね上がった後、大きく下がっている

    もう一見して明からですが、TOB開始直後にオリジン東秀の株価が思いっきりジャンプした後、翌日ぐらいには半分ぐらい戻っています。
    これが、「敵対的」であるということが分かって買収が完了する確率が低いと判断した結果なのか、それとも、単に市場がオーバーリアクションを見せただけなのかは、これだけでは分かりませんが・・・後者だとすれば、この辺りが日本の市場の効率性の一つの限界を示していることになりますね。

  • イオンの参入でドンキの株価もあがっている

    オリジン東秀の方は少し上がった後に、すぐに元の水準に戻っていて、こっちも面白いんですが(マーケットのオーバーリアクション?)、ドンキの株価が上がっているのが面白いところです。
    まあ、合理的に解釈すれば、市場は「ホワイトナイト参入」→「ドンキTOB失敗」→「ドンキ、オリジン株売却で利益」というシナリオを予想したという辺りでしょうか?
    ドンキのオリジン株平均取得価額は見ていないんですが、予想されるキャピタル・ゲイン額とここでの時価総額の上昇額を比べてみるのも面白そうです。

  • TOB不成立でオリジンの株価は下がり、その後落ち着いている

    前段の部分を合理的に解釈すると、市場はドンキがTOB価格をつり上げてくると見たのかも知れません。
    後段の部分は、この僅かの間にドンキはオリジン株を15%も買っているのに、オリジンの相場に全く影響を与えていません。これはこれで、結構、興味深い現象かと。

  • ドンキ49%取得発表で両者の株価が下落

    で、この最後のオチも面白いところで、色々な解釈があり得るんですが、個人的にツボなのは、1/16の市場の反応と矛盾しているように見えるところです。
    1/16の時点でも上限株式数の設定があったわけで、ドンキが過半数を取得して少数株主はオリジンに残るというシナリオ自体は1/16の時点でドンキがTOBをかけて成功した場合と状況は変わりません。
    にもかかわらず、市場は全く異なる反応を見せているわけです。
    この1か月の間で、ドンキによるオリジン買収成功の場合の効率性評価に大きな影響を与える事実があったとみるのか、それとも、1/16か2/16の何れかの反応が不合理だったのか?
    個人的には、極めて興味深い現象です。

で、ついでにイオンの株価を見てみると・・・

 

こちらの方は何が面白いかというと、TOBに参入した時点では、それほど大きなアブノーマル・ロスは見られないのに、ドンキのTOBが不成立になると大幅なアブノーマル・ロスが出ているという辺りでしょうか?

普通に考えれば、もしオリジンを買うこと自体がイオンの利益にならないと考えているのであれば、参入した時点で株価にロスが見られなくてはいけないし、逆に、ライバルがドロップして価格の競り上げを回避できたのであれば(しかもオリジンの株価を見ていると、市場はビッドでのTOB価格の上昇を期待していたようにも見えますし・・・)、ドンキのTOB不成立はポジティブに評価されるはずですが・・・

いやはや、いろいろ考えてみると面白いところです。

1/3ルールはどこへ行く

何だか色々と今週はばたばたしていて、更新が滞っているんですが、何だか丁度1年前に話題となった論点が、またまた話題となっているようですので、話題の論点について興味のある方へのご参考ということでドリコム自体のものも含めて過去記事をまとめてみます。

とりあえず、こうした記事でも触れているように、現行法に照らして違法かどうかということと、そもそも規制自体は合理的かどうかは全く別の話で、ライブドアにしても今回の件にしても、問題は「悪法だからといって守らないでいいということにはならない」という点であって、(私の見方からすると)「悪法」である1/3ルールを更に強化すべき・・・市場内外を問わず1/3以上取得した者には一律にTOB義務を課すべし、というような方向に向かうことがないよう祈るばかりです。
(「コントロール・プレミアムを必ず分配しなくてはならない」という法制の下では、そもそも支配株主(売主)側での支配権を売却するインセンティブが弱まるために、友好的な買収も起きにくくなる可能性があります。また、そもそも支配株主がガバナンスにかけるコストを支配権プレミアムで回収することができないとすれば、支配株主もガバナンスに費用をかけるインセンティブを喪失してしまう(か、他の形でガバナンスのコストを回収しようとする)わけで、買収防衛策嫌いで有名なコロンビアのギルソン教授なんかも、ある程度の支配権プレミアムをとらせることが望ましいといっていたりするわけで)

TOBの最中の市場での株式の買い集めについても余り強く規制しようとすると、対抗ビッドが起きにくくなったり、ホワイトナイトを見つけにくくなることもありますし、裁定取引がしにくくなると商いの厚みがなくなって一般株主の換価手段も限定されてしまうので、規制を強化するにしても、くれぐれもその辺りのバランスを考えて欲しいところです。

ん、なぜ対抗ビットやホワイトナイトが現れにくくなるのか、って?
今回の事案とは明らかに事情が違うんでしょうが、一般的にいうと、後発でビッドに参加する側にとっては、最終的に対抗TOBを開始するにしても、株主や競合相手に対してビッドへの真剣さをコミットしたり、あるいは、最終的に対抗ビッドで敗れた場合に保有株を競合相手に売却することで買収費用の一部を回収するといったことのためには、予め一定程度を市場で買い集めてからTOBに入ることが合理的だったりするからです。

ちなみに、件の事件そのものについては、よく分からないんですが、差し障りがありそうな気もするんで、今後とも触れないと思いますので、あしからず<(_ _)>

上場廃止と投資者保護

ニューヨークは記録的な大雪です。 

今週はAntitrustの授業でのプレゼンや、ちょっと片付けなくてはいけない仕事もあるので、元々外出をする予定はなかったのでいいのですが、歴史的な暖冬から一転、歴史的な大雪というのも、何というか恐いものです。

というわけで、ヘビーなエントリーもお休みですが、ちょっと気になったのでクリップだけ。

ライブドア株、粉飾固まれば上場廃止へ・東証方針 (NIKKEI NET)

この記事によると「ライブドア前社長の堀江貴文容疑者らが証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の罪で起訴されるか、証券取引等監視委員会が同容疑で告発すれば上場廃止を決める方針」ということになっています。

昨年のカネボウの時にも問題となりましたが、上場廃止というのは、株式の流動性を奪ってしまうわけで、理由が粉飾のような場合には、粉飾の被害者である株主に対して、さらに鞭を打つことにもなりかねません。

それでも、場合によっては、取引所に対する全体的な信頼を確保するために、厳しい措置も必要になります。

ただ、そうだとしても、報道されているとおりだとすると、2つの点で釈然としないものは残ります。 

一つめは、何をもって上場廃止のトリガーと考えるかというところです。

報道の中での言葉のあやなのかも知れませんが、「起訴」又は「告発」をトリガーとするということは、捜査機関の判断を基準として受け入れることを意味しています。
私は、刑事裁判において有罪が確定するまで待たなければならないというつもりはありません。刑事裁判において無罪とされても、それは無実であるとは限りません。その意味で、東証が、投資者保護という観点から、自らの判断基準を確立して、それに沿ってサンクションを課すことそれ自体はあり得る選択肢だろうと思います。

ただ、それは東証自身が得た証拠や資料に基づいて、サンクションを課することが適切だと判断した場合の話です。東証が、どのような形で事件についての情報を獲得・整理しているのかは分かりませんが、単に捜査機関の判断(結論)を受け入れるだけだとすれば、それが、取引所に対する信頼を確保することになるのか疑問が残ります。

もう一つの点は、取引所によるサンクションの究極の目標は、投資者の保護であり、それには「被害者」である問題企業の無辜の株主の救済と、取引所全体に対する公正さへの信頼の保護という2つの面のバランスが必要ではないかというものです。
捜査機関は、(少なくとも建前としては)、法に従って罪を摘発し罰を科すことが仕事であり、その結果生じる複雑な社会的影響を考慮すべき立場にはありません。しかし、取引所がサンクションを課すのは、法的な罰を社会的なサンクションで補充する(法的な罰を受けている者に、更に石を投げる)ことではなく、その事件が究極の顧客である投資家に対して及ぼす副作用をコントロールするためです。

例えば、過去の罪について上場企業が自ら厳しい内部処分やガバナンス体制の構築を求める一方で、その高いハードルを満たす限りにおいて、上場を維持させ、責任ある企業としての再生をバックアップすることが、その企業の無辜の投資家の救済と取引所全体に対する信頼を維持するために望ましい場合もあるのだろうと思います。

ライブドアの件について、最終的にどういう判断を行うかはともかく、東証に求められるのは、過去の事実と現在の状況に対する証拠(資料)による認定と、それを踏まえた上での将来のあるべきバランスを考慮した対処であるべきではないでしょうか。
東証には、「市場の管理者」として、捜査機関にはない「柔軟性」を生かした対応をして欲しい・・・まだ、最終的な結果は分かりませんが、上の新聞記事を読んで、そのようなことを思ったりしました。

極私的メイン・バンク論リステイトメント (2)

前回は幻想ともいわれるメイン・バンクによるガバナンスについて、事後的ガバナンス、あるいは、状態依存的ガバナンスという観点からみれば、有効な規律付けを与えていたのではないかということを書いてみました。

では、事前ガバナンスはどうか、という話に入る前に、いとう先生から頂いたコメントについて、ちょっと考えてみたいと思います。

三輪=ラムザイヤーからは「意味不明」呼ばわりされている負債の規律効果ですが、47thさんの記事を読んでも、私には腑に落ちないところがやはりありま す。47thさんのおっしゃるメインバンクによる状況依存型事後的モニタリングですが、この「モニタリング」の(銀行にとっての)目的は、「企業がデフォ ルトに陥らないようにすること」に尽きてしまうのではないでしょうか。そうだとすれば、そのような、「企業が経営危機に陥らなければよい」というだけの 「モニタリング」にどれだけ意味があるのかが、私には分からないのですが…

負債の規律効果・りだっくす

まず、私のテーゼは、日本における負債の規律効果はアメリカにおける敵対的買収の脅威と同程度というだけであって、アメリカの企業よりも、日本企業の方がよりよいガバナンスであったと主張するものではありません。

ただ、いとう先生が仰っているのは、おそらく、典型的な負債の規律効果は「債権者の(固定的な)取り分の維持」であって、残余権利者(residual claimant)である株主の価値最大化、ひいては企業価値トータルの最大化とは一致しない・・・したがって、株主価値を含めた自己資本部分の範囲内では経営者の私的利益の追求や非効率な経営の発生を防止できない点で、敵対的買収の脅威よりもガバナンスの程度は低いという趣旨ではないかと推測します(違っていたら申し訳ありません)。

実は、この点については、私なりにいくつかの考えがあります。ただ、あんまり直接にそういう観点から整理した文献とか議論が見あたらなかったので、前回はちょっとぼかしてしまったんですが、やはりつっこまれた以上は正直に私論を開陳して、ご批判をあおぐことにしたいと思います。

まず、単純な理屈の方からいうと、絶対的な負債比率が米国よりも日本の方が高いので、負債の規律効果もそれだけ高いのではないかという点です。
バッファとなる自己資本が十分にある場合には、デフォルトの防止だけでは経営者の規律付けは必ずしも十分ではないわけですが、負債比率が高ければそれだけ規律効果は強くなります。まずは、このシンプルな理屈というのはあるんじゃないかという気がします。

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極私的メイン・バンク論リステイトメント (1)

neon98さんがシリーズ日本のコーポレート・ガバナンスを考える メイン・バンク論(上) (中) (下)で、Miwa=Ramseyer, The Myth of the Main Bnak:Japan and Comparative Corporate Governance に絡めてメイン・バンク論について検討を加えられています。

三輪=ラムザイヤーといえば、一連の日本型経済システム批判(日本経済論の誤解(2001) 産業政策論の誤解(2002))が有名で、メインバンク論批判も前者に詳しく書かれています。残念ながら、どちらも留学の際に段ボールに詰めて文字通りお蔵入りしてしまったので、手許にないのですが、個別のデータの収集・呈示の仕方には唸るものを感じる一方で、そこから日本型経済システムを全否定しようとする過程には、やや強引さを感じた記憶があります。

ただ、一方でメイン・バンク論というのが、分かったようで分かりにくいのも確かなところです。

特に、メイン・バンク論は日本型経済システム論は、アメリカを完全にoverperformしていた時期に盛んだった議論で、「アメリカと同等のガバナンスが効いている」というのでは足りず、「アメリカよりも優れているのは何故か」という課題をつきつけられていたために、オリジナルのモデルはかなり気負った部分があったような気がします。

最近もメイン・バンク論を取り扱った論文はそれなりにあるわけですが、ほとんどはメイン・バンク論の基本的なインプリケーションが有効であることを前提として、その限界や構造的なバイアスをあぶり出すという方向性が多く、三輪=ラムザイヤーのように「メイン・バンク論は幻想だ」という全否定する論者はきわめて少数です。

私は経済学者でも何でもありませんが、理論的な枠組みと実務における経験の両面から、やはり「メイン・バンク論は幻想だ」というのは、言い過ぎ何ではないかと思っています。

けれども、メイン・バンク万能論に与するものでもありません。

・・・というわけで、私は、メイン・バンクによるガバナンスというのは存在していて、それは、少なくとも80年代までは、経営者の私的利益の追求の防止という意味では米国における敵対的買収による規律と同程度には効果的なものであった・・・と考えているんですが、その辺りの理論的枠組みと根拠について、ちょっとまとめてみようかな、と。

なお、相変わらず記憶と思いつきに頼っているんで、細かいところを意図的かどうかはともかくはしょったり、理論的にあらっぽいところもあったりしますが、ご海容のほどを。

なお、標準的なメイン・バンク論についての説明については興味のある方は、青木=奥野『経済システムの比較制度分析』をお薦めいたします。特に、比較経済制度分析の視点を考えることで、メイン・バンク論や系列による株式持合、終身雇用制度を個別に採りだして批判を加えるという方法論には限界がある(その意味で三輪=ラムゼイヤーの批判のやり方は、青木=奥野の問題意識とすれちがっているようにもみえる)ことも分かるのではないかと思います。

・・・と前置きはこんなところにして。 

負債の規律効果

メイン・バンク論のもたらすガバナンス効果には、大きく分けて事前モニタリング、中間的モニタリング、事後的モニタリングの三段階に分かれるのですが、このうち事前モニタリングの有効性については、後で述べるように大きく議論があるところです。

ただ、実は事前モニタリングが存在しないとしても、事後的モニタリングが適切に機能していれば、少なくとも敵対的買収と同程度には経営陣の規律付けは可能です。

これは、一般的に言われる負債の規律効果の賜であって、それ自体は何ら日本固有の要素を含みません。つまり、企業経営が悪化してデフォルトに陥ってしまうと倒産手続に入り経営陣はコントロールを剥奪される・・・それ故に経営陣はデフォルトに陥らない限度で企業経営を効率的に行う規律付けを与えられ、エイジェンシー問題(経営者が自分の利益のために会社を非効率に経営する問題)が緩和されるというのが基本的なモデルです。

このように事後的な状態に応じて経営者からコントロールを剥奪するということによるガバナンスは、状態依存型ガバナンスとも呼ばれますが、本質的には、資本市場における敵対的買収の脅威による規律付けと同じメカニズムです。非効率な経営者が敵対的買収によって地位を追われるのと同様に、非効率な経営者は債権者によって地位を追われるわけです。

ここで一つ重要な含意は、このような形での規律付けにおいては、何も貸し手が年がら年中借り手を「監視」する必要はないということです。

この場合に大事なのは、①経営の全体的な効率性に対する事後的なモニターを行う意欲、②経営状況が一定の水準以下に達した場合にはコントロール権が現経営陣から奪われるという制度的な担保、③経営状況が一定水準以下に達した場合に貸し手が現経営陣からコントロール権を奪うということへのインセンティブ、であって、例えば、当該会社の事業に関する経営ノウハウや個別プロジェクトの(事前)評価能力などは必須条件ではありません。

・・・というわけで、メイン・バンク論に対する批判として、「銀行が多様な業種について、当該企業以上の評価能力を有することはできないし、実際にも、銀行員がそうしたプロジェクトの評価能力を持っていたという証拠はない」ということが言われますが、これは必ずしもメイン・バンク論の中核である状態依存型ガバナンスを否定する論拠にはなっていないように思われます。
 

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「開発」と「文化」と「進化」

Law & Developmentは、今週から「開発」と「文化」のかかわりに入っていきます。

これまた色々な論点があるんですが、つらつらと思いつくままに

文化の価値

まず、そもそも「文化」というのは、どういう価値を持っているんでしょう?
経済発展に役立つという功利的な見方の前に、文化それ自体に価値があるという見方について考えさせてくれるのが、Stephen A. Marglin, Towards the Decolonization of the Mind in Dominating Knowledge:Development, Culture, and Reistance (1999)です。

経済成長が人間の選択肢を拡大するという見方に対して、実際には、成長は従来持っていた選択肢を奪い、ある一定の方向の新しい選択肢に置き換えているに過ぎない。「自由」が最高の価値という考え方、あるいは資本主義社会自体が、一つの西洋的な信仰(belief)の産物に過ぎない。処女の生贄を神に捧げることと、自由のために若者を戦争に送り込むことは、その本質において異なることはなく、近代的な西洋文明がアステカ文明よりも「優れている」とする根拠はどこにもない・・・彼はそう主張します。

西洋の資本主義が優れているとは限らない・・・西洋的資本主義とは拝金主義であって、お金で買えない美しいものが世の中にはある・・・Marglinの主張は、どこかで聞いたこうした声と方向性を同じくするものです。そして、この主張の中には、やはり否定できない真実があるような気がします・・・

おそらく、文化にはそれ自体に価値があり・・・そして、それは往々にして資本主義、あるいは、そもそも物質的な意味での満足の拡大をめざす近代的な世界そのものと相容れない場合があるんだと思います。前に幸せってなんだーっけというエントリーを書いたときに、テクノロジーの進歩が「幸せ」を増したとは限らないんじゃないかということを言ったわけですが、同じように経済成長や客観的な真実が幸せをもたらすとは限らない・・・

・・・けれども、どんなに優れていても、あるは美しいとしても、それが生き残ることができるかどうかは全く別の話です。

「文化」の「進化」と栄枯衰勢

Marglinは、西洋文明は優れていると限らないことを力説した上で、こう述べます、

文化的な多様性(cultural diversity)は、人間という種の生存にとって必要であり、生物学者が滅亡しそうになっているスネール・ダーターを遺伝子プールの多様性を確保するために保護するのとまさに同じように、人間という種がこれまでにはぐくんできた理解、創造そして協力の形態の多様性を保持するために、消滅しようとする文化を守るべきなのだ

けれども、生物の世界でも、常に「優れた」種が生き残るとは限りません。「進化」は、適応の産物であり、「進化」の過程で生き残ったことが、当然にその優秀性を示すものではありません。
構成員がみな合理的で紛争は言論をもってのみ解決される文化Aと紛争は暴力で解決され弱肉強食がモットーの文化Bがあったときに、個々の文化として見れば、文化Aの方が、より洗練された文化といえるかも知れません。しかし、文化Aと文化Bが衝突すれば、文化Aはその洗練さ故に文化Bに滅ぼされてしまうでしょう。

比較制度経済分析という手法は、こうした進化ゲームの枠組みを使って、既存の経済制度の比較を試みる領域ですが、そこには、ある経済制度の存在は、その経済制度が絶対的に優れているからではなく、こうした他の文化との適応の中で生き残ったに過ぎないという冷徹な視点が存在します。

ゆく川の流れはたえず、そして、沙羅双樹が示す理からは、なぜ文化や社会も逃れられません。

失われた文化の尊さを偲び、あるいは、その文化の断片でも伝えようとすることは美しいと思います。ただ、そこから「政策」を導くことはできない、あるいは、すべきではない・・・これが、Marglinの主張に共感を覚えつつも、同意することはできなかった理由でした。

そしてまた、典型的なソーシャル・キャピタル論についても、同じような理由から違和感を覚えたわけですが、その話はまた今度ということで。

Obvious Errorルールの導入かな?

東証:異常注文時に売買契約取り消しも 西室会長が意向 (毎日新聞)

東京証券取引所の西室泰三社長兼会長は6日、みずほ証券の誤発注のように明らかな異常注文があった場合、成立した売買契約を取り消す制度を導入する考えを明らかにした。・・・西室会長は「新たなルール作りのため、証券取引所の試案を出したい」と語り、民法上の「錯誤無効」に準じ、事後に無効とする誤発注の範囲など、枠組みを検討する考えを示した。

・・・ということのようで、以前紹介したAMEXのルールのような方向に行くんでしょうか?

とりあえず、クリップだけ・・・そういえば、錯誤無効の話も終わってないなぁ・・・

何故、人は過大なる罰を欲するのか?

・・・と、偉そうなタイトルを書きましたが、別にそんな大層な話ではなく、Behavioral Law & Economicsの授業でならった「懲罰的損害賠償」に関する話です。

懲罰的損害賠償というのは、その名の通り「懲罰」的な損害賠償です。以上。

・・・だと刺されそうなんで、Wikipediaによりますと、「損害賠償請求訴訟において加害者の不法行為が強い非難に値すると認められる場合に、裁判所の裁量により、制裁を加えて将来の同様の行為を抑止する目的で、実際の損害の補填としての賠償に加えて上乗せして支払うことを命じられる賠償のことをいう」とあります。
例えば、自動車の欠陥で怪我をした人に対して、その人自身の治療費や慰謝料相当分に加えて、自動車会社が将来的に同種のことを繰り返さないように(抑止効果)とか、会社に反省を促すため(懲罰効果)に、賠償額を上乗せしましょう、というのがこの制度です。

なぜ、英米法に特徴的かというのも考えると面白いんですが、今回問題になったのは、陪審員による懲罰的損害賠償が凄まじく高額になるという点について。

たとえば、 マクドナルドのコーヒーで火傷をおった女性に2700万ドル(約3億円)(実損16万ドル)とか、クライスラーのミニバンの転倒で子供が死亡した事件の親に2億5000万ドル(約280億円)(実損1250万ドル)とかいう、凄まじい金額が懲罰的損害賠償として認められています。この懲罰的損害賠償の金額がどう決まっているのかというところが問題なのですが、実は、規則性というのを見出すのが非常に難しく、そこでBehavioral Law & Economicsの格好の研究対象となってくるわけです。

いろいろな実験をしてみると、陪審員は、いくら裁判官からの説示で、賠償金額を決めるにあたって、同種の事案への抑止効果をコスト=ベネフィット計算の上で考えるようにと明確に指示されていても、ほとんどそうした分析を無視して、「被告企業を罰したい」という感情に動かされるということが分かったわけですが、問題は、「何故、そこまでして被告企業を罰したい」と思うのかというところです。

そこについて、いくつかの仮説が提唱されていて、いろいろと含蓄の深いところがあるので、ちょっとご紹介です。

 

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ジニ係数から分かることと分からないこと (3)

初回はジニ係数自体は規範的な価値基準ではない(少なければ望ましいとは限らない)という点を、前回はジニ係数は相対的な尺度基準であって、必ずしも直観的な「不平等感」や「格差」を適切にあらわしているとは限らないのではないかという点を考えてみました。

・・・と、ここまでのところは、ジニ係数から分からないことばかり考えてきましたが、最後にジニ係数から分かること、あるいは、ジニ係数が有効に機能する場面というのを考えてみたいと思います。

いびつな分布とジニ係数

これまでは所得分布が正規分布の場合で、いろいろとインプリケーションを考えてきたわけですが、もちろん、現実世界の所得分布が正規分布になっているとは限りません。
例えば、低所得層と高所得層が分かれている分布(下の緑の分布)を考えてみましょう。
 

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ジニ係数から分かることと分からないこと (2)

水曜日は3コマ入っていて、アサインメントもピークに達する・・・ということで、シリーズ2回目は簡潔に。

前回はジニ係数自体は単に「不平等さ」(inequality)をはかるための基準に過ぎず、その配分が「公正」(fairness)かどうかとか、望ましいかどうかということを直接示しているわけではないんじゃないかということを扱いました。

今回は「不平等さ」の指標として使う場合にも、気をつけるべきポイントがあるんじゃないかという話です。

ジニ係数の相対性

下の図はある2つの社会の所得配分を表したものです。

赤い線で表された所得分布(A)と、青い線で表された所得分布(B)を見比べてみた上で、まずは直観的にどちらが「平等」な所得配分を実現しているか考えてみましょう。
例えば、所得分布Aでは平均所得が500万円、所得分布Bでは平均所得が250万円であるとしましょう。

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法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
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