一般社会と科学者の納得?

冥王星外し、米惑星科学者団体が「改善」求める声明発表(asahi.com)

冥王星を太陽系の惑星から外した国際天文学連合(IAU)の定義について、米天文学会の惑星科学部会は「将来的に改善が熱望されている」とする声明(8月 30日付)を発表した。冥王星の「発見国」の米国では、著名天文学者らが定義を拒否する署名をインターネット上で集めるなど、新定義への反発が表面化して いる。
・・・
また声明は、定義は一般社会と科学者の双方が納得するものになるべきだ、との考えを提示。冥王星を惑星とした「現在の学校の教科書を捨てる必要はない」とした。

それまでの常識や時の権力を的に回しても、「それでも地球は回る」と言ってのけた先人科学者の心意気は彼らには関係ないようですね。

『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』

先日、日本から商事法務や和書をまとめて送ってもらい、早速、読み始めているのですが、やはり最初に手にとって読み始めてしまったのは、『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』です。
 知っている人ならベッカーとポズナーという名前だけで身構えてしまいそうな本ですが、表紙と背表紙の二人のイラストで和ませてしまう辺りは、いい狙い。

 内容は、このブログでも時々とりあげているBecker=Posner Blogの2005年秋までに公開されたうちの12本のトピックと、Economist紙に連載されていたものから選ばれた20本のコラムの邦訳です。

ブログについては、オリジナルを読んだものもあるのですが、改めて読むと新鮮なものも多く、楽しんで読むことができました。

邦題ではブログの部分については、「ベッカー教授とポズナー判事のブログ対決」というサブタイトルがつけられているので、あたかも経済学者と法律家との間で激しい論戦が戦わされているかのようですが、実際には、両者の立場はかなり似通っているので、結論の方向性は同じで、その理由付けが若干異なるとか、補足が入っているという感じです。

で、これを読んだ方は、アメリカでは、判事も、あるいは法律家は、皆、ベッカーと同じぐらいに経済学的な思考様式をとるのかと思ってしまう方がいるかも知れませんが、もちろん、ポズナーは明らかに規格外ですので、その辺りはご注意を。

ただ、それぞれの主張はラジカルなようでいて、その論理はかなり詰められていますし、現実との関わりも強く意識されています。
私が個人的に感じたのは、後半のEconomist紙のベッカー単著のコラムと、ブログでのベッカーのトーンの微妙な違いです。単著コラムの方は、時に意図的なアジテーションや論理的な飛躍を感じさせる部分があるのですが(まあ、私がマクロ音痴のせいかも知れませんし、訳者によるコラムのセレクト(好み)もあるからかも知れませんが・・・何せコラム編の冒頭を飾るのが「"創造的破壊”が作用しやすい環境を作ろう」ということでシュンペンター賛歌から始まりますし(笑))、ブログの方はより中立的・論理的なトーンで、少し極端な立場をとる場合にも反対説や自らの立論の弱点について言及しているように感じます。

考えてみるに、①ブログということでスペースの制約がない、②ポズナーからのコメントを必ず得るため(あるいはポズナーの考察に対するコメントの形態をとるため)、他の論者がとり得る立場に配慮する、③コメントによるPeer Reviewを予め意識しているという辺りが理由でしょうか。

個々のトピックについては、私自身が異なる意見を持つものも少なくありませんが、ベッカーとポズナーが提示する議論の枠組みには、強い共感を覚えます。

経済学的な思考が何かということを真摯に知りたい方は、是非ご一読を。

医療法人の株式会社化雑考 (5・完)

前回は、「株式会社化」ということのうちエクイティ性の資金(株式等)を取り込むことと、「営利性を追及すると公共性が損なわれる」という耳障りのいい主張にはコーポレート・ファイナンス的に関係があり得るというところをほのめかしたわけですが、今回は、その結論部分です。

残余請求権と有限責任

そもそも「エクイティ」というものをどう性格付けるかということについては、色々な考え方があるんですが、一般には、その本質は「残余請求権者」(residual claimant)であることに求められています(※)。
「残余請求権者」というのは、もっと大ざっぱにいえば、次の二つの意味合いを持ちます。

  1. 会社に利益が出ない限りは(※2)、出資は無駄になる。
  2. 会社に利益が出た場合には、利益は全て自分のものになる。

ところで、1.については、少し補足が必要です。
株式会社制度をはじめ、現在のビジネスを営む法人に関しては、いわゆる「有限責任」が認められています(大きな例外は(有限責任組合以外の通常の)組合です)。ですので、多くの場合は、「会社に損失が出ても、エクイティ・ホルダーは出資額以上の負担は強制されない」という性質を持っています。

この残余財産請求権と有限責任の組み合わせの結果、エクイティ・ホルダーは、「成功すればたくさんの利益が出るが、失敗した場合の損失も大きい」ビジネス運営を行う強いインセンティブを持つことになります。
いわゆる「ハイ・リスク・ハイ・リターン」のプロジェクトですが、これは、例えば銀行のように貸付の形で資金を提供している債権者からすると迷惑な話です。

銀行のような貸付債権者(デット・ホルダー)は、事業が成功しても「利子」という一定額しかもらえません。対して、損失が出た場合には、元本すら返ってこないことになるわけで、利子分以上のリターンを稼ぐことには関心がありません。
従って、こうしたデット・ホルダーは「ロー・リスク・ロー・リターン」のプロジェクトを好むわけです。

つまり、プロジェクトの選択に対して、エクイティ・ホルダーとデット・ホルダーの関心は、往々にして対立することがあるわけです。

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オフ会

昨日は、NYlawyer氏のつてで、オランダから大西洋を越えてNYに出張に来られたNED-WLT氏と、そのNED-WLT氏がブログを通じて知己を得たというマーサ・グラハム・カンパニーのプリンシパル折原美樹さんと、ミッドタウン・イーストの居酒屋でお会いしました。

人と違う途をいくのがポリシーというNED-WLT氏とは同じ年であることが判明し、オランダで進められている画期的なビジネスの話や、ビジネスを通じて氏が達成しようと考えていることや、ブログを通じて伝えようとしていることなど非常に興味深い話を聞かせていただく一方で、私自身の帰国後のブログの方向性や、10年後、20年後の将来像など、脳天気で行き当たりばったりな私が答えに詰まる質問を投げかけられ、色々と考えさせられました。
(帰国したら「ふぉーりん(foreign)・あとにー」じゃなくなるじゃないですか、と、言われ、いや「ふぉーりんは堕落する(falling)の方なんで、ぎりぎりセーフじゃないか」とかアホな答えをしてしまいましたが、どうするんでしょうね、本当に(人ごと))。

話は尽きることなく、二次会まで突入したのですが、3時を前にして、最近すっかり体がなまり気味の私のスタミナと耐アルコール能力が切れてしまいましたが、大変楽しませてもらいました。

折原さんとのお話も負けず劣らず興味深いものでした。
芸術の世界に疎い私は、カンパニーのプリンシパルと言われても今ひとつピンと来なかったのですが、NYに渡ってきて20年以上、プロとしてモダン・ダンスをやってこられた方の言葉は、やはり重みが違います。

ダンスの世界では自分の表現したことを観客がどう受けとめるかは観客に委ねられているとか、演出家とダンサーの表現したいものが必ずしも一致するわけではないとか、コンディションを維持するための日々のトレーニングの話とか・・・バックグラウンドは異なっても、プロフェッショナルとしての先輩の話に、(勝手に)感銘を受けてしまいました。

それにしても、さすがダンサーと思ったのが、ピンと背筋を伸ばした姿勢の美しさ。
まずは、ここから見習わなければ、と密かに思ったわけです。

折原さんは、10/3にNYのCity Centerで公演されるということで、NYlawyer氏と共に是非拝見させて頂かねばと誓い合ったのですが、NYの夏の終わり、非常に実り多いオフ会でした。

インサイダー取引の被害者?

先日紹介したNYTが大々的に採りあげたアメリカの上場会社M&Aでのインサイダー疑惑ですが、その記事で記者は次のような締めくくりをしています。

When stocks gyrate because nonpublic information about deals has leaked out, many people are harmed.The most affected are those who sell shares in the company before it is taken over at a significant premium. An investor who sold Georgia-Pacific shares on Nov. 9, just before the unusual trading, missed a 46 percent gain. Those who sold the Andrx Corporation, just before unusual trading began last February missed, a 36 percent gain

(この文章の中ですら支離滅裂なところがあるのですが)どうも公表前に売却した株主はプレミアムをもらえないじゃないかと主張しているようなのですが・・・そもそも、インサイダー取引があってもなくても、公表前に株式を売却してしまえばプレミアムは受け取れないわけです
むしろ、公表前であっても、NYTが主張するように違法なインサイダー取引のせいで(この主張自体、疑うべき点があることは前の記事で述べましたが)株価が上昇するとすれば、公表前でも株価には一定程度のプレミアムが織り込まれるわけで、その意味では、公表前に株式を売却してしまった株主は、むしろ公表前の株価上昇のおかげで本来は得ることができなかったプレミアムを受け取ることができるわけですから、むしろ公表直前に売却した一般投資家は、情報の滲み出しのおかげで救われている側面があります。
NYTの記者も記事を書きながら、その矛盾に何となく気づいたのか、最初の文章では「買収によるプレミアムが受け取れない」といいながら、次の文章では「異常な株式取引の直前に株式を売却をした場合には」と微妙に表現を変えているのですが、「異常な株式取引の直前に株式を売却した人」は、インサイダー取引のない状態で株式を売却しているわけですから、インサイダー取引の被害者のように扱うのは、そもそも文章として意味をなしていないように思えます。

ここで言っているのは、せいぜいが「M&Aの公表のタイミングが遅れることによる投資家の損害」であって、直接にインサイダー取引から生じる問題ではありません。
何とかインサイダー取引とこじつけるとすれば、インサイダー取引によって利益をあげるために会社が公表を遅らせた場合ですが、アメリカの場合は、M&Aに関する開示のタイミングを不必要に遅らせれば、それだけで証券訴訟のリスクに曝されてしまうわけで、制度的にそうした意図的な公表タイミングの引き延ばしに対する相当の抑止力があるわけで、この抑止力ではインサイダー取引による利益取得の誘惑に対して不十分なものかどうかは、それ自体議論と実証の対象となるべきものであって、因果関係は自明ではありません。

そもそも、極論を言ってしまえば、株価が実際の企業価値の変動を的確に反映させることこそが一般投資家保護になるわけで、原因がインサイダー取引であれ、市場での噂であれ、公表すべき段階には至っていないが、買収が実行される可能性の高まりにつれて株価にそれが織り込まれるのであれば、それは投資家保護につながるとすら言えるわけです(※)。

だからこそ、インサイダー取引規制の制度設計には悩ましい部分が多く、アメリカでは法学と経済学の両面から論争が繰り広げられているわけですが、このNYTの記事は、そうした部分の消化が不十分だったようです。

・・・と、こんなことを思ったのは、私だけではないらしく、Business Law Prof Blogというブログを書いているOhio State UniversityのDale Oesterle教授も次のような感想を述べているので、ご参考までに。

The story does, however, struggle to define why insider trading is illegal, and Ms. Morgenson's list of "victims" is problematic. Her argument that stock sellers are injured, because they could have held their stock until after the announcement and recieved more value, makes no sense unless one assumes that only the higher price, created by insider trading, induced the sale, that the sellers would not have sold at the lower pre-announcement market price had there been not insider trading before the announcement.  This is a stretch for many sellers, who had decided to sell pre-announcement and get the market price, whatever it was.  Those that sold only on the rise, refusing to wait, accepted the risk that they would give up any more increases in the price.  Victims?  The real reason for the illegality of insider trading (the disadvantaged buyer who wanted to buy and could not at market prices pre-announcement) remains elusive to even educated reporters.

 

(※)もちろん、世の中はそれほど単純ではなく、インサイダー取引は情報伝達効果がある一方で、現在の株価水準が誤っているというシグナルも発してしまうので、一概にインサイダー取引を情報効率性の観点から肯定できるわけでもないのですが、インサイダー取引=悪という決めつけも同じぐらいに短絡的です。

スキルとセオリー:Tirole"The Theory of Corporate Finance"

そろそろ8月も終わってしまうわけですが、この夏何をしているかといえば・・・基本的にはだらだらして、ブログを書いているだけなんですが・・・orz・・・ほかには、気の向くままに、腰を落ち着けて読みたかったけど読めなかった本などを眺めています。

どういう本が多いかといえば、圧倒的に経済学とかコーポレート・ファイナンス系で、少なくとも純粋な法学ものの本を手にとる確率は非常に低かったりします。

その中でもお気に入りは、Jean TiroleのThe Theory of Corporate Financeです。
著者は、産業組織論で定評ある教科書を執筆しているフランス人の経済学者ですが、この本は今年出版されたばかりの比較的新しい本です。

コーポレート・ファイナンスの教科書というと、Ross et al(邦訳)やBrealy=Myers(=Allen)(邦訳上 同下)が有名で(※)、特段数学や経済学の造詣がなくてもファイナンス理論のエッセンスを掴めるという意味で非常に優れた教科書であることには疑いはないのですが、個人的には、何か物足りないものを感じていました。

Tiroleの上掲書は、そんな私の心の隙間(?)をぴったりと埋めてくれる本でした。
時間やリスクによる割引やポートフォリオ理論、場合によっては基本的なミクロ経済学の知識は当然の前提とされていて、(シンプルなものであっても)数式を使ったモデリングも前提の明確化を含めて厳格にやっているという意味では、Ross et alやBrealy=Myersと同様の意味での「入門書」ではあり得ないのですが、それでもコーポレート・ファイナンスを理解したいと考えている法律家に薦めるとすれば、Tiroleの方かなという気がします。

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アメリカのM&Aの4割でインサイダー?

今朝のNew York Timesのトップ記事は、"Whispers of Mergers Set Off Suspicious Trading" ということで、NYTがカナダの調査会社に依頼した独自調査の結果、M&A公表の直前に対象会社の株価が上昇することが確認されたということで、40%以上のM&Aで違法なインサイダー取引がなされているとして、ネット版で4頁に亘る長目の記事を掲載しています。

日本語でも時事通信が、次のように伝えているようです(Yahoo!ニュース)。

27日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、過去1年間の大型企業買収を調べたところ、インサイダー取引の疑いがある不審な株価の動きがその4割で見られた と報じた。一般投資家が買収情報を知らないうちに関係者だけが「ぬれ手で粟(あわ)」の巨額の利益をむさぼる違法行為が横行していることになり、同紙は制 度的な問題になりつつあると警告した。

ただ、元のスタディでのサンプルの選定法やアブノーマル・リターンの算出法を見ないと何とも言えないんですが、対象会社の株価の動きだけで「違法なインサイダー取引」があったと主張するのは、ちょっと強引と言う印象も拭えないところです。

いくつかの要因がありますが、M&Aの場合には、公表前の買収者(あるいは、その意図を受けた者)による対象会社株式の買付けは、ほとんど不可避です。
"Toe Hold"と呼ばれたりしますが、買収に先立って、対象会社の株式の一定割合(多くの場合、日本で言う大量保有報告書の提出義務にしっかからない5%未満)を取得することは、①実際に買付を行うことになった場合には、先に取得した分についてはプレミアムを支払わないでよく、②ホワイト・ナイトや競合する買収者が買収に成功した場合には、先に取得した分についてはプレミアムをもらうことができるので交渉費用の一部を回収できる、といった理由から、M&Aの教科書ではむしろ推奨されています(※)。
こうした買収者自身によるToe Holdの取得は、もちろん違法なインサイダー取引に当たりません。

また、(対象会社からではなく)買収者から情報を得て株式を取得する行為も、ストレートにはインサイダー取引規制には該当しないはずです(※2)。

あと、M&Aというのは、具体化すればするほど、資金調達やデュー・ディリジェンスなどで関係者は増えていきますし、直接に情報を受領していなくても、そうした活動を見て、市場はさまざまな憶測をします。NYTの記事では、サンプルから、そうした事例を除いていると言われていますが、市場に憶測が流れているかどうかを画定すること自体、それほど簡単な話ではありません(※3)。
(あと、時事通信でも4割がインサイダーと書かれていますが、そもそもサンプル数を90個に限定して、そのうち37個ということなので、4割というのは、そのうちのものでしかありません。アメリカの上場会社の買収案件は年間400-600件ぐらいあるので、例えば母数を500件とすれば、37件は7%強でしかないので、その意味でもミスリーディングですね)

というわけで、公表直前に株価の上昇があるとしても、それだけでは、その株価の上昇が違法なインサイダー取引によるものかどうかは、何とも言えないと言わざるを得ません。

それが対象会社からリークされた情報に基づくということであれば、M&Aの場合だけでなく、他の重要な情報開示にあたっても異常なリターンが観察されるかどうかということを見る必要があるでしょうし、買収会社側の方の株価の動き(※4)とも比較することで見えることもありそうです。

また、こうした「滲み出し」の現象自体は、決して新しい話ではなく、昔からよく知られています。
ただ、この「滲み出し」が「違法なインサイダー取引」に直結するかどうかは微妙な話ですし、SECや取引所にとっても、それほど目新しい話ではないはずです。

その意味で、記事に書かれていた次のSECの反応の冷たさは、何となく理解できるところがあります。

The S.E.C. would not comment on the study but said that it had looked at Measuredmarkets’ system and concluded that surveillance techniques of self-regulatory organizations like the New York Stock Exchange were more sophisticated.

 ・・・というわけで、NYTは鬼の首をとったような感じなんですが、個人的には、ちょっとチグハグな感じも受けたところです。

私だけが感じるのかも知れませんが、この記事には、「何だか分からないが機関投資家が怪しげなことをやって個人投資家を食い物にしている」という印象操作的なものを感じてしまいます。
例えば、この記事は、最後の部分で「インサイダー取引が被害者なき犯罪である」という学者の主張に対して、「いや、公表前に株を売ったたくさんの人と、買収会社は被害者だ!」と結んでいるわけですが・・・そのロジックがNYTにしては、ちょっとプリミティブ過ぎるような。
どの辺りがプリミティブかという話は、また次の機会に。

 

(※)もっとも、Toe Holdが、実際に、どの程度用いられているかについては議論はあります。 

(※2)もっとも、対象会社と買収会社との間で守秘義務契約が締結されていて、買収会社自身も自らが買収を計画していることを公表することに制約がかけられている場合には、信認義務違反が認められる可能性はあるかも知れませんね。

(※3)情報の種類にもよりますが、アナリストがレポートに書いていない情報であっても(あるいはアナリストがレポートに記載するよりも早いタイミングで)、機関投資家の間で市場動向に関する情報はやりとりされているでしょうし、その情報のやりとりを外部からトレースするのは通常は難しいんではないでしょうか。

(※4)一般にM&Aが公表されると、買収会社側の株価は下落することが知られているので、買収会社と対象会社の株価の動きを比較することで、投資判断の基礎となっている情報の精度を推測することもある程度できるかも知れません。

医療法人の株式会社化雑考 (4)

前回までは、情報の非対称性を主な要因として医療において市場がうまく働いていないんじゃないかという仮説を考えてみたんですが、コメント欄でbunさんから指摘を受けたように、その他にも医療市場が成立しにくい可能性というのは、いくつかあげられます。

思いつくままにあげてみると・・・

  1. 地域性:医療における地理的な市場というのは、ある程度限定されていて(次にあげるように緊急性の問題もあるでしょうし、通院の負担や(入院の場合の)見舞いの便利)、たとえ評判がある程度機能していても、遠くの名医より近くのヤ○を選んでしまう。
  2. 緊急性:事故や急病で救急車で運ばれる場合が典型ですが、そこまでせっぱ詰まっていなくても、車を買う時みたいに事前に雑誌やネットで情報を収集し、カタログをもらい、候補となる車種を比較検討して・・・といったことを医師選びについて行うことは稀でしょう。
  3. 需要の非弾力性:需要の(価格)弾力性というのは、特売になると普段は買わないカップ麺をまとめ買いしてしまうように、価格の変化に対して需要がどのぐらい敏感に変化するかということですが、直観的には、病気や健康に対しては、「あっちの病院だと1万円安いから」といったことで病院選びをするわけではないでしょうし、ましてや保険制度の下では見かけの価格はそんなに変わらないので、ますます弾力性は弱くなっているんじゃないかという気がします。(「見かけの」といったのは、例えば払う金額が同じでも、受けられる医療の質やリスクが異なれば、実質的な価格は異なり得るからです。)

他にもあるかも知れませんが、とりあえず医療において市場がうまく機能していないと疑う理由には事欠かない感じです(※)。

何れにせよ、医療市場自体の競争性と課題というのは、それ自体で一つの分野をつくることができそうな話でしょうから、この辺りで切り上げて、本題(のはず)だった「株式会社化」の意義に戻ってみましょう。

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悪法への挑戦と戦略

別に医療ネタを続けようと意図しているわけではないんですが、やはり関心を惹いたのはこのニュース。

助産行為:「法律には限界ある」堀病院長が開き直り(毎日新聞)

「法律に基づいてやるには限界がある」。保健師助産師看護師法違反容疑で神奈川県警に家宅捜索された堀病院の堀健一院長(78)は、同県警の調べ に、看護師らに助産行為をさせていたことを開き直って認めた。同病院の助産師数は同規模の病院より極端に少ない。厚生労働省は「助産行為は医師と助産師し かできない」との見解だが、公然と反旗を翻した格好だ。
・・・堀健一院長(78)は24日夜、 横浜市瀬谷区の同病院で報道陣の質問に答え、「患者が来るのに助産師が足りない。看護師が内診をすることは必要悪だ」と強調した。今後の対応についても 「(看護師らによる内診を)続けなければどうすればいいのか。看護師による内診をやめたら明日から患者を全部やめなければいけなくなる」と語気を強めた。

まず、最初に本題と関係ないところで一言ですが、見出しに「開き直り」とつけて、主張の正当性を最初から疑ってかかっているかのようなバイアスを与えるやり方は、そろそろ考えた方がいいんではないか、と。記事の内容としては、双方向の意見を紹介していたり、法令に従って真面目にやっているところもあるところの現状も紹介したりして悪くないだけに勿体ない感じが。

で、本題は看護師の内診は必要悪かどうか・・・ではなく、(それは私には判断できませんので)、院長の方が仰っているように、看護師による内診を禁ずることが「悪法」であったとして、「あえて法律違反(と言われている)行為を犯して悪法に挑戦していくこと」をどう考えるかということについてです。

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医療法人の株式会社化雑考 (3)

前回までは、医療には「情報の非対称性」があることは確かかも知れないとしても、何故、他の市場のように「評判」や「情報生産作用」によって、それが緩和されないんだろうという問題提起をしました。
というわけで、今回は引き続いて、その点について簡単に考えてみましょう。

品質の事後的検証可能性

前回「レモン問題」という話で中古車の話をしたわけですが、中古車の場合は、買う前は分からなくても、買った後は実際に使ってみて隠れた問題があるのかどうかということが大体分かるわけです(※)。

でも、医療の場合はどうなんでしょう?
医療の現場は直接に知らないので、私の知っている弁護士業界で、例えば訴訟について考えてみると・・・
ある弁護士を訴訟代理人に選任した場合、(和解をひとまずおいて)訴訟に勝つか負けるかという意味での「結果」は極めて明白に出るわけですが、その「結果」がその弁護士の能力によるものなのかどうかということは、なかなか判断が難しいものがあります。
全く同じ訴訟を複数の代理人にやらせてみて、その結果を比較できればいいのでしょうが、訴訟は一回限りのものであって、「同種」の訴訟はあっても、「同一」の訴訟はありません。
個々の事案の微妙な違いが判断を分ける場合もありますし、他の裁判所での同種事案の判断の有無や有力な学者の見解の公表といった外在的なタイミングの問題もあり、その意味で訴訟というのは、まさにケース・バイ・ケースにならざるを得ません。
この場合に、たとえ訴訟に負けたとしても、それが雇った弁護士の能力や努力水準の低さのせいかどうかを判断することは容易ではありません。
結構好き勝手なことを書いているこのブログでも、個別事案において「後知恵」的に代理人の活動について論評することを避けているのは、あとで後ろから刺されるのがいや・・・というだけではなく、個別事案における様々な制約条件というのが分からない以上、ある「結果」が代理人のせいなのかどうかは、極めて判断が困難な面があるからです。

こうした状況は医療の世界でも同じじゃないかというのが、私の想像なんですが(違っていたらすみません)、そうだとすると「評判」による品質コントロールというのは、機能しにくいことが予想されます。

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誤発注問題を裁判所はどう裁くのか?

みずほ証券、株誤発注で東証に404億円請求(asahi.com)

東京証券取引所の西室泰三社長は22日、昨年12月のジェイコム株の大量誤発注に絡んで407億円の損失を出したみずほ証券から404億円の損害賠 償を求められていることを明らかにした。みずほは、9月15日までに賠償に応じなければ訴訟に踏み切ると通告しているという。東証は賠償に応じない方針 で、前例のない大量誤発注をめぐる損失負担問題は、裁判所の判断に委ねられることが確実となった。東証と証券会社が法廷で争うのは初めて。
・・・みずほは、1回目の取り消しが受け付けられていれば損失は3億円で済んだと計算し、404億円の賠償を求めたとみられる。
一方、東証は、証券会社など取引参加者をめぐる内部規定で、東証を利用した業務で参加者が損害を受けた場合、「故意または重大な過失がなければ東証に賠償の責任はない」とされていることから、「システムの不具合は重過失にはあたらない」として賠償を拒否している。

証券会社が取引所を訴えるというのは、興銀が国税に訴訟を提起したとか、住友信託がUFJを訴えたときのような、時代の変わり目を象徴している出来事のような気がするわけですが、この件についてもっとも興味深いのは、これを承けて裁判所がどういう座標軸の下で判断を下すのか、という点でしょう。

引用した記事によると、訴訟での焦点は、「重過失か否か」という、言葉だけ見れば非常に伝統的な法的紛争なのですが・・・「(重)過失」というのは、「ある種の対応をとる『べき』だったのに、それをしなかったこと」であり、この「あるべき行動」とはどのような行動であり、そこからどの程度逸脱すれば法的に責任が生じるのかという部分を画定しなければ、法的責任に線をひくことはできません。

下の関連エントリーであげたように、この問題については、かつてどのような制度設計をすべきだったのかについてローエコ的な観点から検討したことがあるのですが、私自身は証券市場の設計やそこでのリスク負担というのは、経済的分析、とりわけインセンティブ問題ということを相当詰めて考える必要があると感じています。

果たして、日本の裁判所はどの程度この問題に踏み込んだ判断をするのか?
あるいは、そもそも当事者はどういう方向で主張・立証を展開していくのか?

今後、一つの裁判の結果が制度設計的な部分にも影響を与える訴訟というのは増加していくのだと思うのですが、そうした訴訟に対して日本の司法制度がどう対応するのか・・・といっても、抽象的かも知れませんが、個人的には今後とも目が離せない訴訟になりそうです。

医療法人の株式会社化雑考 (2)

前回は市場化と株式会社化は必ずしも一致しないということと、ガバナンスだけを考えるなら株式会社化が望ましい方向とは限らないという話をしてみました。

そうなると、問題は(a)「株式」という形態で資本市場にアクセスする必要性がどの程度あるのか、ということと、(b)「株式」による資本市場に対するアクセスを認めることによる副作用には何があるのか、ということになってきます。

この二つの問題を考えるにあたっては、医療、あるいは私が密かに念頭に置いている弁護士を含む士業が直面している財・サービス市場の特殊性を考えなくてはいけません。
そこで、「医療」というサービス市場の特殊性、もっと端的にいえば、「医療」を対象とする市場が通常の市場に比べて機能するのが難しい理由を考えてみましょう。

情報の非対称性?

おそらく、もっともよく指摘されるのは、情報の非対称性の問題でしょう。

つまり、医療には高度の専門性があるため、患者(買い手)は医者(売り手)の提供する医療(サービス)の質を正確に評価することができないというものです。
経済学的には、これは「レモン問題」と呼ばれて、よく知られている問題です。レモンというのは、中古車のことを指しますが、売り手は中古車のコンディションを知悉しているのに対して、買い手はその中古車に対して限られた情報しか持っていないという「情報の非対称性」がある場合に、市場取引がうまく機能しない、より具体的には、最低の品質の製品についてしか取引が成立しないという現象を指します。

医療に関する情報の非対称性の帰結も、原理は中古車と同じことになるわけです・・・が、読まれている方は、即座に「でも、中古車は現実に立派に市場が成立しているでしょ」と疑問を持たれるんじゃないでしょうか?

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日本が遠い国に見える瞬間

中小企業「再チャレンジ融資」 安倍氏、全銀協に(asahi.com)

安倍官房長官は、自らが掲げる「再チャレンジ支援策」を資金面で支えようと、民間金融機関に協力を要請する。事業の失敗から再起を目指す中小・零細企業 を後押しするため、担保によらない融資の拡充などが柱となる。不良債権処理を最優先してきた小泉政権の方針を修正するものだ。
安倍氏が全国銀行協会会長の畔柳信雄会長(三菱東京UFJ銀行頭取)に近く協力を求める。要請はプロジェクトの予想収益やアイデアをもとにした融資の拡充などが柱となる見込みで、内閣官房幹部は「銀行業界は融資拡大のチャンスと見て応じるはずだ」という。
民間銀行に協力を求めるのは、中小企業融資を担ってきた政府系金融機関が、小泉首相の「小さな政府」路線で縮小に向かっているからだ。

 「要請」だけで、民間企業の経営に介入できるなら・・・でも、できるかも知れないのが、日本というところも悲しいところですが・・・

医療法人の株式会社化雑考 (1)

通算すると小学生時代からのつき合いで、現在カリフォルニアでヘルス・コミュニケーションを研究しているtakaさんが病院経営への株式会社参入についてというエントリーの中で、医療法人の株式会社化に対する賛否について4つの立場をあげてコメントをされているんですが、その中で「一時的措置として必要か、企業の機能・効果に期待」路線ということで、次のように評しています。

(「一時的措置として必要か、企業の機能・効果に期待」路線は)知人・友人からの意見。企業が競争の激しい社会でしのぎを けずって蓄積した競争力を、医療という新しい領域で 発揮することができれば、質を担保しつつ負担を維持または 微増で抑える、ことができるかもしれない。 ガバナンスや企業倫理や社会貢献や経営手腕なんていう ことばが飛び交います。 Patient-Centerd healthcare患者中心医療という言葉よりも 顧客中心主義という言葉の方が早く出来た、という事実 をどう理解するか。

今まで余り競争が見られなかった分野に競争を持ち込めば効率が上がるという基本的な発想は、昨年の郵政民営化議論でも見られたんですが(これについては、関連エントリーであげた郵政民営化pro or conシリーズをご覧下さい)、 最近bunさんとコメント欄で議論したように、日本は『競争』ということに対して誤ったネガティブ・イメージを持っている一方で、こうした「民営化」に対すると素朴な信頼というのもよく見られます。

ただ、「市場」というのは決して完全ではなく、さまざなま「市場の失敗」が起こります。また、市場原理の導入によって既存のプレイヤーの誰もが効率化の恩恵を受けるということは実際にはあり得ません。
むしろ、「市場」が効率化を達成するプロセスというのは、非効率な者が淘汰されていく過程で結果として効率的な者が生き残るという生命の進化プロセスにも似た面があり、この「進化」のプロセスには当然一定の痛みが生じますし、その痛みは単にその業界に生きる者が甘受するだけではなく、一次的な過小供給状態の発生など社会的なコストもかかります。
(なお郵政民営化がいびつだと私が感じたのは、民営化後の会社が市場から退出を迫られる可能性や、迫られた場合の対処をどうするか、更にはユニバーサル・サービスと市場原理のコンフリクトの調整について十分に検討されていないと感じたからです。まあ、もう走り出してしまったので、今はお手並み拝見としか言いようがないわけですが)

現に市場が機能している分野とは違って、これから市場原理を導入しようという場合には、こうした面での影響のシュミレーションと、悪影響の低減のための方策の見当、そのコスト評価といった過程が必要です。
それでも残る不確実性(リスク)については、試行錯誤(trial & error)として踏み出さなくてはいけませんが、そうした基礎的な分析を欠いたまま前に進んでから考えるというのでは、結局、事後的な政策評価やフィードバックも不十分になってしまいます(この辺りが私が上限金利引下げに賛同できない理由ですが(苦笑))。(※)

前置きが長くなってしまいましたが、医療の株式会社化の問題は、弁護士も含めた士業一般の株式会社化と密接に関連する問題なので、私にとっても人ごとではありません。

ということで、医療法人の株式会社化に関して思いつくままに論点の洗い出しをしてみようというのが、本エントリーの趣旨です。

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ベッカム様の御利益は?

ろじゃあさんの「チケットが売れる必要性」がある枠組みなのかどうか・・・「ベッカムはずし」余波というエントリーで、イングランド(マクラーレン監督)が今度のギリシャとの親善試合のメンバーからベッカム様を「落選」させたことで、チケットの売れ行きががた落ちになったという記事を紹介されているんですが、これを読んだときに、まず思ったのは・・・

  • そもそもWC直後、Euro予選開始前の親善試合は一種のエアポケットだから、元々観客動員は多くないんじゃないの?
  • レアルに言ってしまったベッカムが、イギリスで未だにそこまでカリスマ的な影響力を持っているというのは本当かいな?
    アメリカとか日本だとベッカム様のチームみたいな扱いだけど、客観的にはジェラードやランパード、ルーニーなんかの方が、国内での認知度は高いんじゃないの?
  • WCでもベッカムはFKこそ凄かったけど、後は生彩を欠いていたし、ポルトガル戦でも、どっちかというと新鋭レノンの方が強烈な突破で印象を残していたから、国民的にはレノンを見たいんじゃないの?
  • FAと代表叩きはイングランド・メディアの常道というか生き甲斐だから、眉に唾をつけた方がいいんじゃないの?・・・っていうか、あれだけエリクションをこけおろして引きずり下ろしたのに、早速初戦も終わらないうちにマクラーレン引きずり下ろしキャンペーンを始めるとは、さすがイングランド・メディア・・・

という辺りでした。

ろじゃあさんの紹介されている記事の中では前売りが35000枚ということだったんですが、昨日行われた試合では最終的には入場者数45864人になったようです。

この数字をどう位置づけるべきか、せっかくなので、2002年W杯終了後のイングランド代表のホームの試合の観客動員数を調べて見てみました。(ソースはイングランドFAの公式サイトのこちらから)

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何故ライツ・プランは機能するのか( or機能しないのか) (2)

前回は、ライツ・プランというのは買収者が取得した株式の価値を希釈化させて、買収費用を高めるものであって、絶対的に買収を阻止する仕組みのものではないという話をした上で、この「追加費用」というのをどう考えるかが買収防衛策の機能的な面でのポイントだという前振りをしたわけです。

ホワイト・ナイトはM&Aを殺す?

と、直接にライツ・プランの機能を云々する前に、「支配権市場」という「市場」が成立することがどういうことか、次のような議論から始めてみましょう。

しばしば、買収対抗策の中でも「ホワイト・ナイト」を探すことは、より高い価格をつける買い手を探してくるものだから、株主利益に適った買収防衛策であるという話を耳にします。
つまり、1000円でTOBをかけられたときに、対象会社経営陣が1100円でTOBをかけてくれるホワイト・ナイトを捜してくることに成功すれば、株主は100円高い価格をもらうことができるので、株主利益に適っているという話です。

このストーリー自体は、いったん買収が起きてしまった後の状況を前提にすると、正しい話なのですが、「後からホワイト・ナイトを連れてくることができるという可能性」が買収者のインセンティブに与える影響を考えると、実は、株主にとっては必ずしも手放しで喜べる状況ではなかったりします(※)。

少しややこしい話になりますが、順をおって考えてみると、こういうことです。

まず、最初の買収者が株価が割安な企業を探して、その評価をするためには、それなりのコスト(探索費用)がかかります。もちろん、買収が成功すれば、この費用も回収できるわけですが、逆に言うと、買収が失敗に終わると、この費用というのは無駄になってしまうわけです。

ところで、「いい買収先」の探索には色々なやり方があるわけですが、一番、「楽」なやり方は何でしょう?

 

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何故ライツ・プランは機能するのか( or機能しないのか) (1)

日本ではお盆休みで、誰がどこを参拝したという話が話題になっているようですが、私にはその問題を論じる能力も気力もないので野次馬モード。
上限金利規制の話の続きも悪くないかなと思ったんですが、ちょっと目先を変えてtoshiさんのブログのコメント欄で話題になっていた買収防衛策の機能について簡単に整理してみようかなというところで。

ライツ・プランの効果:経済的価値の希釈化

「買収防衛策」というと、何だか買収を完全に阻止することができる万能のツールのような印象も与えるんですが、残念ながら?、あるいは、幸いにして?、アメリカで一般的なフリップ・イン型ライツ・プランをベースに日本に現在導入されている買収防衛策は、一応理念としては(※)、そういう絶対的なものにはなっていません。

ごくごく簡単に言ってしまうと、無断駐車を防ぐために空地に鉄条網を貼り巡らすのではなく、出入りは自由にできるけど、看板にでかでかと「無断駐車は壱萬円」と書かれているようなもんです。

今の日本のライツ・プランというのは、大体20%でトリガーされて、トリガーされると買収者以外の株主の持株数は2倍になるという感じになっているんですが、この仕組みをベースに買収防衛策を無視してTOBを行った場合に買収者がどれぐらいの「罰金」を課されるかというと・・・時価総額が1000億円、株式数が100で、(非現実的ですが)プレミアムなしのTOBを行ったと仮定すると、次のような感じになります。

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平等社会=上限金利引下げ?

学士会の会報というのは、律儀にNYまで送られてくるんですが、最近来た会報(2006-Ⅳ)を眺めていたら、金融庁の貸金業懇談会の吉野座長の「消費者金融を巡る環境変化と今後のノンバンク」と題する講演録が掲載されていたんですが、その中で上限金利規制について、こういう下りが。

高い金利に苦しむ借手を考えれば、29.2%という高い金利はなかなか返済できません。そこで、私が座長を務めさせていただいている「金融庁の貸金業に関する懇談会」では、29.2%という上限金利を引き下げることが望ましいという中間報告が今年4月にまとまりました。
フランスやイギリスなどでは、消費者金融の金利の上限規制はありません。ヨーロッパでの担当者の説明からは、リスクの高い人の金利が高くなるのは貸倒れリスクが高いためであり、市場で決まる金利で貸し出すべきであるという考え方です。その背景には、移民労働者のようなリスクの高い人には、金利が高くても仕方がないという見方があるように私には映りました。
しかし、日本の場合は平等社会であり、どのような借手でも、同じ上限規制のもとで借入を行えるようにすべきで、借手が返済できる金利の高さでなければならない、という中間報告になりました。

吉野座長はそもそも消費者金融の借手を、大きく分けて①「病気になったとか、急に勤め先が倒産したなどの理由で生活費が足りなくなり、消費者金融から借入、高い金利のために借金が雪だるまになり、返済ができずに多重債務に陥る人」、②「自分の財布の中身以上に浪費したり、ギャンブルなどにお金を注ぎ込んで、生活費に困り消費者金融から借入をする人」、③「例えば脱サラで新たに事業を始めようとしても銀行からは資金が借りられず、ノンバンクから事業資金を借入・・・事業が上手く軌道にのり、高い金利でも返済ができ、よい顧客と認定されると徐々に金利も下がり銀行借入も可能となる借手、短期に必要な資金を銀行から借りいれようとしても、審査などに時間がかかるため、短期の資金をノンバンクから借り入れる利用者」などに分類されるとした上で、①は生活扶助で対処すべき、②はノンバンクを利用していること自体が問題であって「本来、消費者金融に向かうべき人達ではない」という認識をされているようです。

この分類からは、必要なのは「事業者向け」の短期融資、あるいは、スタートアップ資金の融資
であって、そもそも「消費者」金融自体に存在意義はないと考えているようにも見えるところです。

そうした前提だとすると、消費者金融等のは、一種の社会保障の補完であって、上述の「日本の場合は平等社会であり、どのような借手でも、同じ上限規制のもとで借入を行えるようにすべき」というような考え方につながってくるとしても不思議はないのかも知れません・・・が、上限金利規制の引下げに反対する論者との間には、想像以上に深い溝があるということを図らずも感じさせる講演録でした。

総額250億円也

8月に入ってすっかりだらけきった生活を送っている中、奥さんに引っ張られるように美術館などに行ったりもしているんですが、先日アッパー・イーストのノイエ・ギャラリーを訪問。

「クリムトのコレクションが凄い!」と言われて行ったのですが、「なんか聞いたことあるけど、誰それ?」状態。

でも、金箔が敷き詰められた女性の絵を見て、「これは知ってる」と呑気なことを言っていたんですが、↓のニュースを見てビックリ。

クリムトの4作品売却へ クリスティーズ仲介(asahi.com)

  ニューヨークの競売会社クリスティーズは7日、オーストリアの象徴派の画家グスタフ・クリムトの4作品の売却を仲介する、と発表した。6月に絵画として史 上最高額の1億3500万ドル(約155億円)でニューヨークのノイエ・ギャラリーに売られた「アデーレ・ブロッホバウアー1」と同様に、4作品はオース トリア政府からアデーレ・ブロッホバウアーさんのめいに返却されたもの。めい側が売却をクリスティーズにゆだねた。
(中略)
ニューヨーク・タイムズ紙によると、4作品は合わせて1億ドルの値がつきそうだという。

金箔の女性というのが、「アデーレ・ブロッホバウアー1」ということで、実は、今回売りに出される4作品も展示されていて触れそうな勢いで見ていたわけですが・・・

合わせて250億円以上のものを10ドルで見ていたわけで、いや、ものの価値が分からないというのは怖いですねぇ。

行くも地獄帰るも地獄

朝の日本語放送のニュースを見ていたら、耐震偽装問題で拘留中だった木村建設の篠塚被告が保釈されたという件をやっていました。

私がこっちで見ることができるぐらいなので、日本でも多くの方がご覧になっていたんじゃないかと思うんですが、見る影もないほどやせこけ、ふるえた声で話す姿を見ていると、何だか見ている方がつらい気持ちになってきました。

もちろん、耐震偽装の被害者の方々も経済的にも心理的にも深い傷を負ったわけで、篠塚被告の姿だけをとらえて同情するのは片手落ちなわけですが、私が何だか複雑な気持ちになってしまうのは、こういう組織の一員として罪を犯してしまった人(※)の逃げ場のなさです。

一緒に見ていた妻が「堀江君はいい感じでやせたのに」と言っていたのと比較したわけですが、堀江氏の場合には、会社は追われましたが個人財産はそれなりにありますし、元々個人の才覚で世の中を渡ってきたキャラクターで、一段落つけば、今回の事件をバネに再起という望みもあるわけです。また、公判に向けてのポジションとしても「悪いことはしていない」ということで固まっていて、それを主張するのに誰に対しても気兼ねもなさそうです。

対して、篠塚氏は、経歴的にも年齢的にも木村建設という会社に負うものが非常に大きそうですから、一から出直しといってもそう簡単にはいきません。会社の罪であることを認めれば、その拠って立つところの会社の存亡が危うくなるし、たとえ会社が生き残っても、会社に不利なことを言ったということになれば、復帰は難しいところ。また、会社の罪を認めたとしても、それで個人の罪が免れるわけでもありません。家族構成や個人財産などは存じ上げませんが、40代半ばの会社勤めの方の標準で考えれば、就学中の子供もいるでしょうし、住宅ローンなどもあるかも知れません。今回の件がどうかは分かりませんが、あるいは不動産絡みの話ですし、家族の安否なんてことまで考えないといけないこともあるかも知れません。
私のほんの僅かな修習時代の経験なども考えると、真実をぶちまけてしまえば、どこかあきらめにも似たすっきりしたものが出てくるものですが、篠塚被告の表情や口調にはそうしたものも感じられないわけで、未だに夜も眠れぬ迷いと苦しみに苛まれているような印象を受けました。

まさに行くも地獄、帰るも地獄、というところですが、耐震偽装のように制度的な問題や複数の組織が関与している中での個人への責任追及のあり方ということに関して、何だかもっと知恵は絞れないんだろうかという気がしたわけです。

こうして個人を追い込んだ先にあるのは、結局、個人が組織の罪を全て被って世間的な勧善懲悪感情が満たされた後で旬が過ぎたら忘れられ、真実は藪の中、か、つるし上げられた個人が自らの命を絶って終わり、それへの後味の悪さをごまかすために世間はその話題に触れなくなり、そして真実は藪の中・・・の何れかになってしまうんじゃないでしょうか。

もちろん、そうした「つるし上げ」自体が、一つの犯罪抑止効果を持つことも否定できないわけですが、そうした形での犯罪抑止は刑事被告人への適正手続きの確保や苛酷な刑罰を禁止する憲法の精神からは外れてしまっているような気もします。

印象だけですが、アメリカあたりだと司法取引などを使って、過度に個人を追い込むことなく真実発見と犯罪抑止のバランスをとろうという試みも見られるような気がするところで・・・もちろん、司法取引には、それ自体偽証のインセンティブを生み出したりといった問題はあるわけですが、組織犯罪の中で過度に個人に責任を負わせない司法システムの設計ということも考えなきゃいけないんじゃないかと、すっかりやつれてしまった篠塚被告の姿を見て想ったりしたわけです。

 

(※)もちろん、まだ公判中であって無罪推定の原則があるわけです。最終的に無罪だとすれば、より痛ましい話ですが、以下の話は、仮に有罪だったとしてもということで考えたことということで。

国益と競争法?

少し前になりますが、ろじゃあさんの「JALとANAの合併話?:やっぱりさすが東スポ(^-^)・・・国策的企業救済合併と独禁法?」というエントリーを拝見して、ふと思ったのが、「国益」と競争法の微妙な関係です。

東スポだけのネタのようですので信憑性は大いに薄いわけですが、要は航空会社の経営の厳しい折り、外資に乗っ取られる前に両社を合併させてしまいましょうという発想のようです。
これとは若干パターンは異なりますが、例えば、海外市場における競争力を確保するために国内企業同士の合併を認めるべきだという主張も、これに近い発想があります。
つまり、国内の競争が厳しすぎると日本企業の海外での競争力が失われてしまうから、「国益」の観点からは余り合併規制を厳しく運用すべきではないというものです。

もちろん、この主張のロジックに誤りはないわけですが・・・例えば、こうした「国益」重視の主張に共感を覚える方は、次のような主張にはどれぐらいの共感を覚えるんでしょうか?

昨今の国内○○業界の競争の厳しさに鑑み、○○料金に一定比率の目的税を賦課することとし、その税収は等分して国内○○業界最大手2社に分配することとする。
これにより得られた収益により国際的な○○業界の競争力を確保すべきである。

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ポリゴン・ゲーム世代に別所、藤村?

私はIPの専門家ではないんですが、プロ野球ファン&ゲーマーとして何となく気になったのが、このニュース。

プロ野球選手の肖像、使用許諾権は球団側に 東京地裁(asahi.com)

ゲームソフトやカードでのプロ野球選手の氏名や写真の使用許諾を選手側ではなく球団側が行っていることの是非が争われた訴訟の判決が1日、東京地裁 であった。高部真規子裁判長は「許諾権限は球団側にある」と判断。権限が球団側にないことの確認を求めた選手側の請求を棄却した・・・
各球団と選手が結ぶ統一契約書では「球団が指示した写真撮影などに関する肖像権は球団に属し、球団が宣伝目的のため、いかなる方法でそ れらを利用しても異議を申し立てない」としている。選手側は「宣伝目的」は「広告宣伝目的」だけで、「商品化目的」は含まないと主張した。
判決は、統一契約書は51年に米大リーグを参考に作られ、「パブリシティー」(氏名や肖像が持つ経済的価値を独占的に支配する財産的権 利)を「宣伝」と訳した経緯や、それ以前にも別所毅彦選手(巨人)のブロマイドや、藤村富美男選手(阪神)らの氏名や肖像を使用した玩具などで球団などが 許諾していた事情を指摘。「契約書もそうした慣行をもとに制定されたと考えられる」と述べた。  そして「宣伝目的」について「広く球団、プロ野球の知名度向上に役立てる目的」と定義。カードやソフトでの利用はそれに合致し、球団が許諾権を持つと結論づけた。

ご存じない人のために少しだけ解説を加えると、プロ野球選手のブロマイドや最近のリアル系野球ゲームでは選手の画像というのが使われるわけですが、このときにブロマイドの販売会社やゲームメーカーは誰から許諾をもらえばいいのかというお話で、球団からライセンスを受ければいいのか、それとも選手なのかという話です。

既に判決全文も裁判所のHPで公開されているのですが、当事者目録などが入っているとはいえPDFで120頁・・・で、全部読むのはきついわけですが、何が気になったかといえば、新聞記事で述べられているような理由付けの仕方です。

私の印象になりますが、肖像権に関する権利の所在が深刻化してきたのは、 巨大産業となったテレビゲームの人気コンテンツの一つとしてリアル系野球ゲームが普及したことと、球団のブランドを離れて選手個人で顧客誘引力を持つイチローのような選手が現れて、選手の肖像権が大きな経済的価値を有するようになってからという気がするわけで・・・そうすると、早くても90年代半ば辺りではないでしょうか。

こういう新しい問題を解決しようとするときに、そもそもコンピュータ・ゲームどころかカラー・テレビすらなかった時代の統一契約書ドラフトの際の経緯や別所、藤村の話を持ち出すのに、皆さんは違和感を感じられないでしょうか?

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