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パイを誰と分けるのか?

(追記あり & 11/19 修正あり) 

私は経済学の学位も持っていなければ、ましてや、開発関係の勉強は始めたばかりです。

でも、その程度の理解の範囲であっても、色々なことが見えるものです。

おそらく、私よりもより深く知り、より的確に問題を指摘できる方がネット界にはいらっしゃると思うのですが、それでもやはり私なりの言葉で、この考え方に問いを発しておきましょう。

また、経済成長一般が悪だと言った訳でもありません。発展途上国においてはまだ経済成長は必要です。まずパイそのものを大きくしなければ、配り切らないのですから。

しかしパイそのものが充分大きくなった世界においては、パイを大きくするよりも、どうパイを切り分けたかを考える方が重要なのではないですか、ということなのです。(404 Blog Not Found: 経済成長は手段か目的か?

あなたは、そのパイを誰と分けるつもりなのですか?

確かに、経済成長の計測は国を単位に行われることが多いかも知れません。
しかし、そのことは、それぞれの国の経済成長や、その経済成長の分配が、その国に属する人々の間で完結することは意味しません。

例えば、国内の消費市場が未発達の途上国にとって、発展の第一段階は、先進国消費市場へのアクセス(輸出)です。
先進国の消費者の購買力があがれば、途上国もその恩恵にあずかることができるし、逆に、先進国の経済成長が停滞すれば、それは途上国にも波及してしまいます。

ひょっとしたら、「今の日本は途上国に対する責務を果たしながら、それでもパイの拡大を優先する必要がないぐらいにはパイが大きくなっている」という反論があるかも知れません。
そもそも、パイの大きさが十分かどうかという議論をおいたとしても、そんな大きなパイが極東の島国にあるなら、そこはまさに「黄金の国ジパング」です。

途上国の人々は皆ジパングを目指して旅立つでしょう。比喩ではなく、現に多くの人々がそこにあるパイの分け前にあずかるべく日本を目指しています。
もちろん、現行法の下では、多くの場合、それは「不法入国」です。
見つかれば強制送還されますし、見つからなくても、社会的なソーシャルネットの庇護の外で、万が一病気にかかっても医者にかかれるかも分かりません。
それだけのリスクを犯しても、日本を目指すのは、そこに「大きなパイ」があるからです。

アメリカもヨーロッパの先進国(※)も、色々な歴史的経緯もありますし、政治的妥協もありますが、大なり小なり、移民の受け容れという形で、途上国とパイを分け合ってきています。
もちろん、移民問題は、それ自体センシティブな問題であり、「だから日本も移民を受け容れるべきだ」と一足飛びに結論を出すわけではありません。ただ、移民の受け容れをしないのであれば、それに代わるパイの分け方を考える必要があります。
何れにせよ、大きくなったパイを持つものは、それを誰と分け合うか考えなければいけません。

「もう十分大きくなったから、このパイは自分たちだけで分けます。君たちも、ぼくたちをみならって、パイを大きくするんだよ」

日本という国自体、過去の急激な経済成長を遂げた重要な要因として、欧米先進国の消費市場へのアクセスが可能だったことがあげられます(※2)。貿易摩擦という言葉を生み出すほどに、米国の消費市場、言い方をかえれば米国民が増やしたパイへのアクセスによって自らのパイを増やしてきた国が、それを増やした途端にそう言うことができるのでしょうか―

「経済成長」という言葉の使い方一つで向きになる人たちのことを不思議に思う方がいらっしゃるかも知れません。
でも、途上国の貧困と自分たちを結ぶ線の存在への無関心こそが、今なお世界中に蔓延する貧困の前に立ちはだかっている壁だと考え、その無関心をどうにかしたいと願う人間にとっては、やはり見過ごすことはできないのだと思います。

私自身、まだその世界の入口を覗いたに過ぎない身ですが、どれだけの人に届くかは分かりませんが、やはり声はあげておかなくてはいけないと思うわけです。

ましてや、その世界を自分のライフワークの一つと定めた人であれば、なおさらだろうと思います(※3)。

最後に、以前のエントリーも書きましたが、私には弾さんのレトリックを読み解くリテラシーが不足しているので、弾さんの「真意」とは違う趣旨でとらえてしまったのかも知れません。あるいは、弾さんのことであれば、私が以上で書いたようなこともお分かりの上で、そんなことではなく、「その先」のことを言いたかったのかも知れません。

もし、そうであれば、弾さんのエントリーを拝見して、上のような意味にとってしまった者があり、同じように「誤解」してしまう人が他にいるかも知れないということで、そうした人に向けて書いたものだとお考え頂ければ幸いです。

また、この分野については、(いつものことながら、)私はマニアですらない、ただの門前の小僧です。私の理解している範囲で背伸びをしないように書きましたが、それでも基礎的なところで思わぬ間違いをしていれば、ご指摘頂ければ幸いです。

 

(追記) 

コメントで教えて頂いたosacaeconさんの経済成長というエントリーを拝見して、いくつか補足しておいた方がいいと思う点があったので、追記です。

最初に「先進国のパイが大きくなれば、途上国のパイも大きくなる」という仮定は、osakaeconさんが仰るように理論と実証の問題ですが、おそらく従来の開発経済学での経験からいうとかなり疑わしい仮定だろうと思います。
例えば、SachsのThe End of the Povertyでは、イギリス宗主国時代のインドが宗主国の経済成長政策の実現のためにインドの経済成長が抑圧された可能性を指摘しています。
保護貿易的政策の影響や取引費用の問題で先進国のパイ拡大の恩恵が途上国に行き渡るスピードが遅い場合も考えられるでしょうし、先にパイを大きくした国が、その大きさをテコに使って小さな国からパイを奪い取る可能性も考えられます。
(この辺りは、かつて途上国の中の問題として、パイの大きさに関心を向けておけば、配分には神経質にならないでいいという、トリックル・ダウン仮説について、私自身疑問を抱いて、エントリーを書き、コメント欄でも色々と議論させて頂いたことがあります。)
そういう意味では、「我々のパイを大きくすることは途上国のためにもなる」という議論は、「我々のパイ拡大にさえ関心を向けておけば、途上国への分配については心配する必要はない」という逆の形での無関心につながる危険性を持ってしまいます。
これは、このエントリーにおける私の本意とは全く正反対の方向性ですので、そういう誤解を与えてしまった可能性についてはお詫びすると共に、ここで訂正させて頂きます。

(以下は、ややテクニカルな話になるので、興味のない方は読み飛ばして頂いても結構だと思います) 

その上で、osakaeconさんに質問させてもらったのは、では、「先進国のパイが拡大しない状況は途上国のパイ拡大の阻害要因となる」という仮定(いわば「負のトリックル・ダウン」)については、どう考えればいいのだろうということです。
現実としてのトリックル・ダウンが成立しているかどうかについては上記のような疑問が残るとしても、先進国側での輸入障壁の撤廃や取引費用の低下が進めば、トリックル・ダウンはより促進される(従って、先進国が途上国支援として考えなくてはいけないのは保護主義的政策の撤廃である)という前提を、私は暗黙のうちに受け容れていました。
ただ、osakaeconさんのエントリーを拝見して、「先進国の経済成長→途上国の経済成長」という因果の流れが疑わしいのであれば、「先進国の経済停滞→途上国の経済停滞」という流れも、それほど自明ではないのかも知れない・・・あるいは、正のトリックル・ダウンが成立しにくいのに、負のトリックル・ダウンは成立しやすい、というのであれば、その非対称性の要因についてはもう少し自覚的であるべきと気づかされました。

漠然とは、センが飢饉の発生メカニズムについて説明したのと同様に、正の影響は社会の既存権力層がそれを保持しようとするのでトリックル・ダウンを阻害する力が働き、逆に、負の影響(例えば、飢饉における食糧不足問題)は逆に社会の既存権力層はその負の影響を弱者層に押し付けようとするのでトリックル・ダウンが促進する力が働くという説明が可能なのかなとは思うのですが、きちんと詰めて考えたものではなく思いつきレベルの話です。

この点については、osakaeconさんが、わざわざこちらのブログの方にコメントを下さり、私の問題意識にお付き合いして頂けると仰ってくれています(本当にありがとうございます)ので、また、それを勉強させて頂きたいと思います。

というわけで、私がエントリー本文で書いたことの前提には、(まあ素人の火傷というか)やはりまだ眉に唾をつけるべきところが残っている(おそらく他にも)という部分を割り引きつつ、そういう考え方もあるかも知れないということでお読みいただければ幸いです。

   

(※)ヨーロッパの場合には、旧共産圏からの受け容れも含めてですが。 

(※2)もちろん、それのみに要因を帰すことはできません。この辺りは、私自身、まだ色々と勉強中のところです。これまでの雑考については、大野健一「市場移行戦略」大野健一『途上国ニッポンの歩み』の書評をご覧下さい。

(11/18  修正)

以下の部分については、ちょっとした皮肉のつもりで書いたのですが、通りすがりさんに相当な不快感を与えてしまったようです。本筋とは関係ない部分ですし、この部分で議論をするつもりはありませんので、以下は撤回します。

(※3)ちなみに、その無関心に対して、もっとも長く激しく戦ってきた人の一人こそ、弾さんが同一エントリーで文脈こそ違えWikiからその説を引用したアマルティア・センです。アマルティア・センが引用されたのと同じエントリーで、「パイは十分大きくした。あとはどう分けるか」だと言われているのを知ったら、センはどんな気分になるんでしょう?
 


Posted by 47th : | 01:48 | コメント (18) | トラックバック (3) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

レッドソックスの「ルール違反」?

西部の松坂選手の大リーグ移籍話が盛り上がっているのは、もちろん知っていましたが、私的には、①阪神ファンとして井川の去就の方が気になる、②去年だったらNYで見ることができたが、来年は自分がNYにいないのでアウト、ということで、余り熱心には追ってなかったんですが、西部がポスティング応諾の決断を延ばしている背景に「ルール違反の可能性」があるというニュースを見かけたので、ちょっとぐぐってみたところ、中日スポーツで次のような記事を見つけました。

レッドソックスが松坂に“不正入札”をした疑惑が浮上した。ポスティングシステム(入札制度)でメジャー移籍を目指す西武・松坂大輔投手(26)は、13 日に西武球団が取締役会で最高入札額を受諾する見込み。その後に大リーグ機構から落札した球団名が伝えられて入団交渉がスタートするが、ここにきてレッド ソックスが、ヤンキースへの入団を妨害することだけを目的に破格な金額を応札した疑惑が浮上。その場合は、2番目に入札額が高い球団に独占交渉権が移る可 能性も出てきた。

オークションの設計はゲーム理論絡みで面白い話がたくさんあるんですが、この辺りは、それこそ最先端の経済学でホットな分野なんで、うかつに手を出して火傷してもいけないので(というか、そもそも書き出すと長くなりそうなんで疲れそう) 、ここは法律家らしい話として、次の部分に着目(下線は引用者付加)。

米4大ネットワークのFOX傘下にあるFOXスポーツ(電子版)は11日、「レッドソックスのオーナーは多くの資金を持っているが、チームの最終目的はヤ ンキースを妨害することだ」と報道。そして「ソックスが松坂との契約に誠実な努力をしなければ、コミッショナー事務局は(松坂と入団交渉する)権利を2番 目の入札額の球団にするだろう」と伝えた。

要は、「本気で交渉する気がなく他球団を妨害するために入札しただけなら、交渉権を失うよ」と言っているわけです。

この話は、実はM&Aのビッドでもある話で、企業買収で複数の買い手が一つの企業(事業)をめぐって競合しているときに、買い手は、まず「優先交渉権」の獲得を目指して、最初の条件提示を行います。
この「優先交渉権」を与える段階での手順とか条件の付け方も色々と面白い話がテンコ盛りなんですが、その際に気をつけなくてはいけないポイントとして「本気で買うつもりはないのに、いい条件(高い価格)を提示してくる買い手にどう対処するのか」という問題があります。

もちろん、「本気で買うつもり」があるのかどうかは、「優先交渉権」を与える段階では分かりません。

そこで、出てくる対処法の一つが、優先交渉権を与える契約の中で「誠実交渉義務」を課して、もし「誠実」に交渉しなかった場合には、交渉を打ち切る権利を他方当事者に与える方法ですが、実際には、この「誠実さ」の認定というのは非常に困難だというのは、すぐに分かるのではないでしょうか?

なので、実際のM&Aの現場では、こんな巷の契約書雛形にも出ていそうな「誠実交渉義務」に頼り切ることなどせずに、そこに至までのプロセスや優先交渉権の付与契約で、色々とケース・バイ・ケースの対応をやったりします。
多分、この辺りは、経済学的に分析するとシグナリングの使い方をはじめ、色々と面白いことが出てくると思いますし、弁護士の側としても経済学の分析枠組みを知った上で、自分のやっていることを見つめ直すと新たな発見や工夫の余地が見つかる分野だと思いますし、気が向いたら、またこのポスティング制度でも例にとって考えてみたいと思いますが、今日のところは、ここでいう「誠実さ」のとらえ方の違いという当たり障りのない話でお茶を濁しておきましょう。


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Posted by 47th : | 13:42 | コメント (0) | トラックバック (4) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

「素人お断り」?

昨日のエントリーに対して、弾さんからお返事のエントリーを頂きました・・・ところ、何故か、どうも私宛てと思われるコメントが多数弾さんのところについてしまったようです。
何故こっちにつけてくれないんだろう(字数制限もないのに(; ;))ということも、それ自体で一つのテーマたり得るんですが、とりあえず、その中で確かに誤解を与えてしまったのかも知れないと思うご指摘があったんで、ちょっと補足をば。

その後もたくさんやりとりが続いているんですが、多分、もっとも端的な指摘は通りすがりさんの最初のコメントにあるような気がします。

47thさんの言い方は「素人が経済学を語るんじゃねーよ」って言ってるのと同じ
中途半端な知識しかないやつは、経済学の概念使うなって言うのは偏狭すぎる
それとも専門家になんか言われたら恐れ入って平伏しなきゃいけないのか?
Posted by 通りすがり at 2006年11月10日 14:45

もし「素人が経済学を語るんじゃねーよ」ととられてしまったのであれば、それは深くお詫びします。むしろ、「素人が経済学を語るんじゃねーよ」と言われてしまったら、真っ先に槍玉にあがるのこそ、私がこのブログで展開しているローエコネタなんで、そんなことを私が口にする資格はありません。

むしろ、私自身は、ブログという媒体は、法律家が経済学的な議論をしたり、あるいは、非法律家が法学的な議論を交換するような学際的な意見交換の場に向いているフォーマットだと思っていますし、もっと言えば、ある学問における「素人」あるいは「入門者」が自分の理解を深めたり、試したりする場としても向いているんではないかと考えています。

だから、「素人」が経済学でも(あるいは法学でも)、それをブログ上で議論することには、とても大きな意味があると思っています。

・・・と、そういう立ち位置に立つ私ですが、ネット上でなされる「素人」あるいは「非専門家」による議論(特に経済学の場合が多いのですが、法学でもあります)について感覚的に強い違和感を覚えるものと、そうでないものがあり、その区別がどこにあるんだろうともやもやとしていたわけです。

「水からの伝言」に対する田崎教授のQAを読んで、私自身は、何となくそのもやもやの原因が見えてきたような気がしたので、前回のエントリーで、特に感銘を受けた部分を紹介して、その「感覚」を伝えようとしたのですが、それが、あたかも「素人が○○学を語るんじゃねーよ」という印象を与えてしまったようですので、もうちょっとこの「感覚」の言語化を試みてみます。


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Posted by 47th : | 12:38 | コメント (27) | トラックバック (4) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

「経済学」論議と「水からの伝言」

最近TBを受け付けにくくなっているようで悩んでいたので、磯崎さんがなされた対処法を私も試してみることにしてみました。うまくいくかどうか分かりませんが、しばらくこれで様子を見てみたいと思います。

さて、今日は何だか関係あるんだが、関係ないんだがよく分かりませんが、私の中では結構関係あるもののように感じた二つの話題のご紹介です。

前者は著名なブロガーである小飼弾氏のエントリーで、経済学者の飯田泰之先生が書かれた「ダメな議論―論理思考で見抜く」を紹介しつつ、次のような評をもらされています。

・・・税込み714円以上の価値は確実にある。のだが....

ダメ出しで終止してしまっている。

「それでは、よい議論とはかくあるべきか」という提言が見当たらないのである。

それは、著者の飯田氏に限らず学者という学者に共通した宿痾で、特に経済学者に顕著に見られるというのは私の偏見だろうか。だから、どちらかというと読後感は「やはりこういう議論に陥らないよう気をつけよう」というより、「はいはい、ああいってもこういってもダメな議論とおっしゃるのでしょうねえ」という投げやりなものになりがちだ。・・・(中略)

我々のほとんどは経済学者ではない。同学の学者どおしが議論を戦わすのは大変結構なことだ。しかし、我々のほとんどは、学者のみなさんの議論を吟味するだ けの時間も余裕もないのだ。どんなにダメな結論でも、終わらない議論に勝ると思うのが、全知でもましてや全能でもない我々の本音なのではないか。

 後者は「水からの伝言」という、どうも最近人口に膾炙しているらしい(私も今回初めて知ったのですが)「お話」(きれいな言葉を聞かされた水は美しい結晶を作るが、汚い言葉を聞かされた水は美しい結晶を作らない?)に対して、物理学者のお立場から、それは科学的な「事実」ではないと丁寧に説明されているサイトです。(ちなみに、このサイトはID論について前に書いた頃からBloglinesに登録させていただいている幻影随想経由で知ったものです。余談になりますが、幻想随想さんの似非科学批判はどれも痛烈かつ的確で実に参考になります。)

このサイトではQ&A方式がとられているのですが、その中で私の印象に残ったのが次の二つのQ&Aでした。(是非、全文を読んで頂きたいと思うのですが)


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Posted by 47th : | 12:32 | コメント (3) | トラックバック (3) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

マイクロ・ファイナンスと上限金利規制

ユヌス氏のノーベル平和賞受賞と上限金利規制のタイミングが重なったことで、この両者の関係をどう捉えるかについて興味を持たれる方が結構いらっしゃるようですので、今日は、マイクロ・ファイナンスと上限金利規制との関係についてのサーベイであるCGAP(マイクロ・ファイナンスに特化した研究機関)の研究員Bright Helms=Xavier Reille, Interest Rate Ceiling and Microfinance; The Stroy So Far (English PDF)というそのものズバリのペーパーの紹介です。

そもそもマイクロ・クレジットの金利は何故高いのか?

上限金利規制との関係に入るに先立って、筆者らは、最初に何故マイクロクレジットの金利が通常の貸出金利よりも高いのかということについて、必ずしも借り手の信用リスクが高いからではないと述べます。

マイクロクレジットのコストは高い。しかし、それは貧しい借り手層への貸出のリスクが本質的に高いからではない。寧ろ、よいマイクロクレジット・プログラムの貸倒率は通常の商業銀行よりも低い。マイクロクレジットのコストが高いのは、借り手との直接の接触を有する小規模な取引に要するコストの高さと、定型的な契約やコンピュータ化されたクレジット・スコアリングの代わりに個別化された契約を用いているからである。

このブログでも貸金業者が売っているものは何なのか?というエントリーで書いたことがありますが、信用リスクに応じた貸出金利は貸し手にとっては原料の仕入れと同じ意味しか持ちません。
貸出額が小規模で与信管理に手間がかかれば、信用リスクが一定でも貸出金利は高まります。また、元本額が小さければ、そうした手数料相当部分の割合は元本に対して大きくなりますから、金利という指標を使えば自ずから金利は高くなります。

ペーパーの筆者達は、こうした点を指摘して、どんなに効率化を進めたマイクロクレジットでも、その金利は従来型の金融に比べれば高利にならざるを得ないということを指摘します。


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Posted by 47th : | 11:51 | コメント (8) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

権利の「しがらみ」とYouTube

GoogleによるYouTube買収に関しては、既にIT関係の専門家の方が色々と考察しているので、今さら何かを付け加えるようなこともないのですが、bewaadさんの「追い詰められたYouTube、あるいはGoogleが2,000億円の価値を認めた理由に関する一考察」を拝見していて、ふと思いついたことがあったので、メモということで。

YouTubeの将来性について、多くの方はテレビ局などの映像保有者からの訴訟を懸念されたり、あるいは、bewaadさんのように過去のコンテンツから収益をあげるビジネスモデルが見えれば、そもそも既存のメディアがその分野を放っておかないんではないかということを仰っています。

ただ、最近の(というか、昔から本質的にそうなんですが)テレビ局やなんかの「映像コンテンツ」というのは、それ自体が、更に色々な権利関係の集合体になっています。
最近でも確かテレビアニメか吹き替え映画かの関係で声優の方がテレビ局に二次使用分の使用料の支払を求めたりといった話があったと思うのですが、テレビ局の有するコンテンツ自体が、第三者の有するコンテンツの集合体となっている状況の下では、テレビ局自身も自由にコンテンツの再利用や改編をできるわけではありません。

その意味では、映像に対する需要があるというだけでは過去のコンテンツの再利用ビジネスは成り立たず、その際に生ずる他の権利者との調整コストを差し引いてもなお収益があがることが必要になりそうです。


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Posted by 47th : | 15:41 | コメント (3) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

モハマド・ユヌス氏にノーベル平和賞

ノーベル平和賞、ムハマド・ユヌス氏に 貧困解消に尽力(asahi.com)

ノルウェーのノーベル賞委員会は13日、06年のノーベル平和賞を、バングラデシュの金融機関「グラミン(農村)銀行」とその創設者のムハマド・ユヌス氏 (66)に授与する、と発表した。農村の貧しい人々の自立を促そうと、「マイクロクレジット」と呼ばれる無担保少額融資の仕組みを考案し、貧困の脱却に貢 献した功績が評価された。

と、既にろじゃあさんにスクープされていましたが(笑)、個人的にはグラミンやマイクロ・ファイナンスには以前から興味を持ってきたので、今回の受賞でまた一段と関心が向くのではないかと期待しています。

というわけで、過去の関連エントリーの紹介です。 

ところで、これまたろじゃあさんが示唆されていますが、グラミンやマイクロ・ファイナンスは、今の消費者金融問題に対する対応の方向性についても色々な示唆を与えます。

グラミンは政府によるセイフティ・ネットの乏しいバングラディッシュで、返済能力を欠いていると思われていた農村の女性を中心に高金利・少額の貸出を実行しました。
日本だと、これは一種の慈善事業のようなイメージで捉えられるかもしれませんが、少なくともグラミンに関しては、きちんと営利ベースで運営がなされています。
もちろん、資産を殆ど持たない貧困層への少額貸出は(理論的には)貸倒リスクも高く、また、信用管理コストもかかります。当然、こうしたコストを埋め合わせるために金利は高くなるわけです。
従来は逆選択やモラル・ハザードの問題から、こうした貧困層への貸出は成り立たなかったわけですが、グラミンでは、日本でいう連帯保証人にも似た連帯責任制度(グループ・レンディング)や、頻繁な取立て、一定額の貯金の義務付け(一種の拘束預金)などの手法を使うことで、こうした問題を軽減し、貧困層への貸出を実現しています。

一見すると、連帯責任類似制度や頻繁な取立て、一種の拘束預金制度etc...は、貧困層に「厳しい」制度であって、今の日本で同じことをやれば、瞬く間にマスコミや政治家によるネガティブ・キャンペーンの格好のネタになってしまいそうな話です。
もちろん、こうしたメカニズムには、貧困層に対して苛酷な面も持っていますが、他方で、そのインセンティブ構造は経済学的な面から見ても非常にうまく設計されたものとして評価されています。
何よりも、もし、こうした高金利や「厳しい」取立メカニズムを否定してしまったら、現に貧困であえぐ農村の貧困層は、バングラディッシュ全体が富裕になり社会の隅々まで十分な公的な生活扶助がなされるのを座して待つしかないということになっていたかも知れません。
何よりも、そうした貧困層が社会の発展に対して寄与し得る潜在的な能力が活用されないことは、国全体の発展に対しても遅れをもたらしてしまったかも知れません。

マイクロ・ファイナンスが国全体の発展にどれほど寄与できるかについては、今なお研究の途上にある重要な論点ですが、単に目先の厳しさを排除することだけが優しさではないということをユヌス氏は示しているような気がします・・・って、これまたろじゃあさんに既に言い尽くされていることになってしまいましたが、とりあえず今回の件でマイクロファイナンスや消費者金融における経済学的な考え方への理解が深まることを心から願います。


Posted by 47th : | 11:18 | コメント (6) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

高金利均衡についての補足 (2)

前回は(借り手優位の)「情報の非対称性」が高金利・高リスク層均衡を生み出す、ごく基本的なロジックを見てみたのですが、ここで自然と生じる疑問は、では上限金利規制は、この状況を崩すことが可能なのかという点です。

「利鞘」を考えてみる 

前回のごく単純なモデルに、新しいパラメータとして貸し手の「利鞘」を入れてみましょう。
つまり、前回は信用リスクに応じた金利でしか提示しないことを前提としましたが、ここでは借り手側は、自らの信用リスクに対して+7%までであれば貸し手側に「利鞘」を与えることを認めるとしましょう(※)。

つまり、低リスク層の借り手は、金利が17%までなら借入を行い、高リスク層の借り手は、金利が27%までなら借入を行うという具合に考えてみるわけです。

単純化のために、全人口を100(従って高リスク層と低リスク層の人口はそれぞれ50ずつ)とし、一人当たりの貸出は100として考えてみましょう。

まず、27%の提示する場合には、貸し手の利鞘は7×50=350になります。
一方、低リスク層に合わせて16%の金利を提示するとすると、貸し手の利鞘は、低リスク層への貸付で同じく350の利鞘を稼ぐことができますが、高リスク層への貸付は逆に▲3×50=▲150の損失を生むので、結局、純利得は200になってしまいます。

というわけで、利鞘を考慮に入れただけでは、前回の高金利・高リスク層均衡は動きません。単に、(20%,高リスク層のみ )という均衡が(27%、高リスク層のみ)となって、貸出ボリュームは変わらず、7%は貸し手側に入るだけです。

ここで上限金利を引き下げ22%に設定したとしましょう。
Xとしては、どういう金利設定をするのが合理的になるでしょう?


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Posted by 47th : | 11:04 | コメント (6) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

腎臓売買容疑で強制捜査

腎臓売買容疑、患者ら2人逮捕 ドナーに金品 愛媛(asahi.com)

愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院(貞島博通院長)で05年9月にあった生体腎臓移植手術で臓器売買があった疑いが強まったとして、愛媛県警は1日、移植 を受けた水産会社役員山下鈴夫(59)=宇和島市中沢町1丁目=と同社の社長松下知子(59)=同=の両容疑者を臓器移植法違反(臓器売買等の禁止)の疑 いで逮捕した。
・・・
調べによると、松下容疑者は腎臓病で人工透析を続けていた山下容疑者と内縁関係にあったが、昨年夏ごろ、200万円を借りていた松山市内の貸しビル業の女 性(59)に「臓器提供者(ドナー)になってくれたら、300万円を上乗せして渡す」などと再三、臓器売買に応じるよう要求。昨年9月に山下容疑者の左の 腎臓を摘出してドナーの腎臓を山下容疑者に移植する手術が成功した後、両容疑者は11月に現金30万円を、今年4月に新車(150万円相当)を提供した疑 いがもたれている。山下容疑者と女性は、事件前、面識がなく、親類でもなかったという。

電話で「腎臓売りたい」 売却先探す仲介者横行(asahi.com)

臓器売買が問題になるなかで、腎臓移植を待ち続ける患者らのもとには、「腎臓を売りたい」と持ちかける電話による違法な勧誘や、不審な仲介業者の案内などが相次いでいる。
大阪府内の約7000人の腎臓病患者でつくる「大阪腎臓病患者協議会」には、ここ2~3年、「腎臓を売りたい。買ってもらえるところを紹介してほしい」などの電話の問い合わせが年1、2件ほどある。主に男性からの連絡だという。
・・・
同協議会によると、腎臓移植の希望登録者数は、1万1500人余り。心臓の90人、肝臓の120人と比べても格段に多い。一方、昨年の腎移植件数は約1000件。移植を10年以上も待っている人も多く、中には20年も待つ人もいるという。

移植を10年待っている人も多いという中で、単に臓器の売買は倫理的に許されないというだけでいいのだろうか?・・・この記事に触れて、そんな疑問を感じた方のために、ベッカー教授とポズナー判事のブログの議論を引用した、過去エントリーをご紹介いたします。

TB先、コメント欄の議論も合わせて、この問題について考えるよすがになれば幸いです。

 

 


Posted by 47th : | 13:02 | コメント (0) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

高金利均衡について補足 (1)

先日の上限金利規制の論拠を考える: 情報の非対称性についてというエントリーに対して、法学徒のfujiさんから、次のようなコメントを頂きました。

「借り手の返済能力に関する情報の非対称性から(貸出金利=高金利、借り手の信用力=低返済能力)という形で均衡が成立している」とのことですが、この逆 選択の問題と貸出市場での割り当ての発生との関係が分からなくなりました。すなわち、銀行なら金利引き上げをする代わりに資金の割り当てをすることで市場 を調整しようとするはずなのに、消費者金融では銀行のような割り当ては発生せず金利は高金利で均衡しているのですよね。これは消費金融の経営者は倒産して も資金の調達先に自分のお金で賠償する必要がない(エージェンシー問題)からなのでしょうか。それとも消費者金融はやはり回収ノウハウが非常に高いからで しょうか。

実は、前回のエントリーを書いたときに、えらくあっさりと書いて終わってしまったんですが、それは、皆、掲示板の議論をさっと見て、あっさりと理解してしまったのか、はたまた、余りにもマニアックそうなんで、そもそもあっさりと読み流されたのか、何れにせよ、経済学徒の方はともかくとして、一応、法律系ブログであるこのブログ(笑)に少なからずいるはずの法学徒の方には、必ずしも直観的になじむ議論じゃないような気もするんだけどなぁ・・・と思っていただけに、fujiさんのコメントは我が意を得たりのところがありました。

また、非常に興味深い問題提起も含まれているので、「情報の非対称性」が借り手と貸し手の行動にどのように影響するのかというロジックを、法学徒を意識して、なるべく直観的に分かりやすい形での解説を試みてみましょう。
なお、fujiさんにとっては、既に理解されている辺りのところから話が出発してしまうので、多少、迂遠かも知れませんが、前回のエントリーでは何のことかよく分からなかったという人のため、と、議論の前提の確認ということで、多少丁寧にロジックを追ってみたいと思いますので、その辺りはご容赦を。

ただ、前回のエントリーでも触れたように、「情報の非対称性」を現実の消費者金融の金利引下げ問題に応用するには、実証的にも理論的にもなお多くのハードルを抱えています。その意味で、今回のエントリーは、あくまで頭の体操とか、ファイナンス理論への理解を深めるという観点で見てもらって、現実の金利引下げ問題とは少し距離を置いた方がいいかも知れません。


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Posted by 47th : | 18:20 | コメント (23) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

上限金利規制の論拠を考える: 情報の非対称性について

night_in_tunisiaさんが「利息制限法 金利を制限することでむしろ需要が増える可能性あるいは社会的厚生が増す可能性」というエントリーで、いちごbbsの掲示板に興味深い議論があるということでおそるおそる(※)拝見しました。

何だか、私のブログでの議論についても色々とお叱りを受けたりしていて(後述)、心臓には悪かったんですが、night_in_tunisaさんがお薦めされていた247氏と夜逃げ屋氏のレスは確かに参考になりましたので、情報の非対称性と上限金利規制との関係について、思いついたことなどを・・・といっても、既に掲示板の方は900個もレスがついていますし、一つ一つを細かく読んでいったというよりは、議論の流れとか雰囲気を眺めただけなので、私のコメントも印象レベルのものであることは、予めお断りしておきます。

また、やはり気の弱い私には、掲示板で自分のブログのエントリーが色々な形で扱われていると思うのは心臓に悪いので、多分、そんなに頻繁には掲示板を覗くことはできないと思いますし、ましてや、掲示板に書き込む勇気はないので、どうかその辺りはお許し下さい。


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Posted by 47th : | 23:33 | コメント (14) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

コスト無視の「経済効果試算」の意味は?

駐車取り締まり民間委託、経済効果1810億円・警察庁試算(NIKKEI NET)

駐車違反取り締まりの民間委託がスタートして以降、全国の主要幹線道路で渋滞が緩和され、年間約1810億円の経済効果を生み出していることが13日、警察庁の試算で分かった。

まず「警視庁試算」というところで微妙さが漂うわけですが、その「試算」方法もなかなか。

渋滞緩和による運転時間の短縮効果は、運転時間が平均10%短くなり、車1台当たり時給約2200円の人が1.3人乗っていると仮定して年間約1720億 円。燃料の節約効果はガソリン1リットル140円として年間約90億円。両方を合わせると1810億円に達する計算だという。

「10%」や、そもそもの母数とか、「時給2200円」の根拠も興味がありますが、決定的なポイントは、取締厳格化の「コスト」が考慮にすら入れられていないことです

以前、「違法」駐車のコストとベネフィットというエントリーで書いたように、取締りの厳格化は渋滞の減少というベネフィットの一方で、物流や沿線経済活動にコストをもたらします。

いやしくも「経済効果」を謳うなら、こうしたコスト面についても相応の考慮をした上で、差し引き後のネットとしての効果をみなくてはいけないはずです。
また、こうしたコスト面を全く顧慮しない「試算」は、政策評価や今後の政策へのフィードバックという観点から見ると、無意味などころか、「取締りは厳しくすれば厳しくするほどいい」という過った政策インプリケーションにつながるという意味で有害とすら言えます

施行後、物流コストや沿線経済にどのような影響があったのか、どのような政策的調整(時間指定、事前届出、etc・・・)がコストとベネフィットのバランスをうまくとっているのか・・・こうした情報こそ、政策評価・フィードバックに当たって求められる情報であって、それを全く度外視した「渋滞が減って1810億円の『経済効果』」という自画自賛の評価を平然と出す行政官庁(警察庁)と、それについて、特に疑問も呈さずに記事にしてしまうメディア・・・こうした中で有効な政策監視を期待するのは虚しい願いなんでしょうかねぇ・・・


Posted by 47th : | 12:45 | コメント (4) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

Who Monitors a Judge (in Tennis and others)?

昨日は延々とテニスのUS Openの話なんぞ書いたんですが、このブログの普段のテーマ的にみて今回のUS Openについて興味深かったのは、Challengeと呼ばれている(※)システムです。

大ざっぱにいうと、コートサイドの線審によるIN/OUTの判断に対して、プレイヤーが異議を申し立てると、その打球の軌跡がCG処理されてスクリーンに映し出されて、線審の判断を争えるというシステムです。
といっても無制限に異議を出せるわけではなく、1セットにつき各プレイヤー原則2回まで(タイブレークになると1回追加。異議が正しかった場合には(判定が覆った場合には)、その回数は減算されない)になっています。

US Openの公式サイトには、このChallengeに関する統計も掲載されているのですが、13日目までにチャレンジ総数が130回(男子)/53回(女子)で、線審の判定が覆されたのが38回(男子)/19回(女子)で、チャレンジ成功率が29.32%(男子)/35.85%(女子)、1試合当たりの平均チャレンジ数が3.42回(男子)/1.71回(女子)となっています。

これを見て誤審を多いと評価するか少ないと評価するかは難しい問題ですが、①プロのテニス・プレイヤーがチャレンジするのは余程自信がある場合だということと、②平均チャレンジ数にチャレンジ成功率をかけた1試合当たりの誤審数(※2)は1.00(男子)/0.613(女子)であること、③1試合当たりの平均ポイント数は217.6(男子)/134.9(女子)であることを考慮すると、相当に正確といっていいのではないかという気がします。(今日の男子準決勝の試合でも解説者が30%しか判定が覆らないというのは驚きだという話をしていました)

これだけなら、「テニスの線審って凄いね!」で終わってしまうわけですが、昨年のUS Openでは、(どっちか忘れてしまいましたが)ヴィーナス姉妹のどちらかの試合でミスジャッジが多発してちょっとした騒ぎになったりもしたわけです。
あの試合が特殊ケースだったとか、その試合でも今年のUS Openと同様の判定システムが導入されていれば(※3)意外と判定は覆らなかったという可能性も当然棄却できないわけですが、もう一つの可能性として考えられるのは、プレイヤーからの異議申立てシステムそのものが審判の判定の精度を高めたというものです。


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Posted by 47th : | 19:11 | コメント (2) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

貸金業法改正の迷走

貸金業法改正の全容が明らかになったと思ったら・・・

貸金業法改正案、自民が結論先送り 特例金利に批判噴出(asahi.com)

貸金業の金利引き下げ問題で、自民党の金融調査会や法務部会などの合同会議は7日、時限的な特例の高金利融資などを認めた金融庁の貸金業規制法の改正案を 協議したが、特例金利の存続期間などを巡って批判が続出したため、結論を持ち越した。11日の合同会議で再協議する予定だが、金融庁案が修正される公算が 大きくなった。・・・
この日の合同会議では、議員から「灰色金利の撤廃が遅すぎる」「全体的に期間を短くするべきだ」との批判が相次いだ。また、金利引き下げに前向きな議員からは「特例が規制の抜け穴になる」と反対する意見が出た。
一方、金利引き下げに慎重な議員も「特例は制度を複雑にする」として、段階的な金利の引き下げを求めた。このほか、利息制限法の金額区分を物価上昇を考慮して5倍に引き上げる案にも「利息制限法は変えるべきでない」と反発の声が出た。
金融庁は、特例金利の容認や期間について「急激な金利引き下げで借りられなくなる人が出る可能性がある」「業者のシステム整備などに時間がかかる」と説明しているが、了承を得られなかった。

今年1月の最高裁判決のロジック(返済のインセンティブを与えるための延滞利率も「任意」ではないとした)に驚きを覚えたことから継続的に関心を持ち始めた貸金業法改正論議ですが、今回のこの改正を見ていると、日本の政策決定メカニズムの抱えている課題が非常に明確な形で浮かび上がっているように思えます。

これまでにも論じてきたように、私自身は上限金利引下げ(※)には依然として賛成できませんが、たとえ結論として上限金利が20%になったとしても、そのロジック自体に一応の合理性があり、そのロジックが事後的な政策評価によって検証され得るものであれば、一度その方向へと舵を切ることもあり得るかも知れません(※2)。

しかしながら、今回の貸金業法改正の過程では、金利引下げによって多重債務者が救済されているロジックが十分に検証されないまま、どちらかといえば「消費者金融業者が高金利で消費者をむさぼっている」というイメージや、実際に存在する多重債務者が高金利に苦しんでいるというそれ自体は単なる状態の叙述に過ぎず金利と多重債務の因果関係を示すものではない事実(※3)に依拠して金利引下げが議論されてきたように見受けられます。

元々がロジックによらないものであれば、少しでも立場の違う人間を説得するにも論拠に乏しく、また、どこまでが許容範囲かという線引きも明らかにはなりません。
今回の迷走は、元々の政策立案過程におけるロジックとデータの積み重ねがおろそかであったことの裏返しのように思われます。
ましてや、検証すべきロジックもデータも存在しない政策については事後的評価やフィードバックを望むべくもありません。


・・・と、最早ロジックの世界でも何でもない政治家の宣伝活動のためのアドバルーン化(※4)してしまった貸金業法問題を傍目に見ながら、この問題に対する自分の関心が急速に冷めていくのを感じるのでした(・・・と、放置してある昔の記事の続きをさぼっているのを正当化してみたりする) 


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Posted by 47th : | 15:26 | コメント (2) | トラックバック (2) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

貸金業法改正案の全容?

昨日は、Labour Dayというアメリカでは夏の終わりの象徴となる休日でしたが、久々に天気もよかったので、昼間は買い物がてらチャイナタウンまで足を伸ばし、安い・汚い、でも美味いチャイナタウンの店で昼食をとり、夕方からは、NYの夏の終わりの風物詩US Openへと足を運びました。

テニスについては何も知らないに等しいんですが、何でも敷居の低さがアメリカのいいところで、会場も気持ちのいいところなので、一昨年も去年も一度は足を運んでいるので、今年も一度はということで、夕方からのセッションへ。

これまた毎年恒例なんですが、スタートが日没の7時半頃からで男女2試合なんですが、ちょっと長引くと12時を過ぎるのはザラ・・・ということで、昨日は男女ともフルセットまでもつれ込んだので、終わったのは1時少し前。
そこから地下鉄で家に帰り着いたのは2時・・・ということで、昨日、次の記事を見かけたのですが、とりあえずクリップだけしておいたものなので、速報性は全くありませんが・・・

灰色金利、過払いは「任意」を明記 貸金業法改正案(asahi.com)

貸金業の規制強化に向けて、金融庁が自民党金融調査会に提出した貸金業規制法などの改正案の全容が明らかになった。利息制限法の上限金利を超えるグレー ゾーン(灰色)金利については、撤廃までの3年間、超過分の支払いは義務ではないことを契約書に明記させる。借り手にとっては任意の支払いとみなされ、あ とで返還請求が難しくなる懸念がある。このほか少額・短期の融資に特例で高金利を認めるなど、業者側への配慮が目立つ。一方、借り手1人あたりへの貸付総 額は「年収の3分の1」という新たな上限を導入する。

ということなんですが、何だかコメントが難しいですね。
一言で言えば、玉虫色というか弥縫策というか・・・将来の政策立案につなげることが極めて難しい制度になってしまった感があります。

そもそも、少額・短期融資特例といわれているもの自体、どういうものになるのかよく分からないところがありますが、既に他に借入のある人を排除する制度という噂も聞きますし、そうだとすると、実際にはほとんど使われない可能性もあるとすれば(※)、私のように上限金利引下げによる供給不足を懸念する人間にとっては、供給サイドのボトルネックの緩和には余り意味がないような印象も受けるところ。


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Posted by 47th : | 15:57 | コメント (0) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

友野典男『行動経済学』

これも各所で話題となっている友野典男『行動経済学~経済は「感情」で動いている』を読了。


新書ということで、かなり一般の人向けに書かれているものを想像していたのですが、いい意味で裏切られました。

今年の前半にロースクールでBehavioral Law & Economics という授業をとって、関連論文も色々と目を通したりしたので、一つ一つのバイアスについては馴染みがあるものが多かったのですが、その全体的な位置付けについては非常に掴みにくいと思っていたので、研究の歴史的経緯にも触れながら(※)、それぞれのバイアスを直観的にも分かりやすい形で提示している本書は、非常に参考になりました。

新書で値段も手頃ですし、多くの方に触れて欲しい本であることは間違いないのですが・・・ちょっと微妙な感覚を持ったのは、筆者が折りに触れ批判する「標準的経済学」について、そのバックグラウンドを欠く人々は、この本を読んで、「標準的経済学は現実には存在しない「ホモ・エコノミカス」を前提としてモデルを構築しているものである」という、それ自体は、ばりばりの「標準的経済学」の論者ですら(おそらくは)争わない事実を基に、「『ホモ・エコノミカス』を前提としたモデルは、実際には役立たない」という、「経済学全否定」論と等値してしまうんではないかという点です。

経済学者ではない私がいうのも何ですが、よき経済学者は、元々モデルは不完全性なものであることをよく知っています。その上で、モデルによる予測が現実の行動を実用に耐えるレベルで説明しているかは、実証の問題として、計量経済学の分野が発展し、そこで得られたモデ