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パイを誰と分けるのか?

(追記あり & 11/19 修正あり) 

私は経済学の学位も持っていなければ、ましてや、開発関係の勉強は始めたばかりです。

でも、その程度の理解の範囲であっても、色々なことが見えるものです。

おそらく、私よりもより深く知り、より的確に問題を指摘できる方がネット界にはいらっしゃると思うのですが、それでもやはり私なりの言葉で、この考え方に問いを発しておきましょう。

また、経済成長一般が悪だと言った訳でもありません。発展途上国においてはまだ経済成長は必要です。まずパイそのものを大きくしなければ、配り切らないのですから。

しかしパイそのものが充分大きくなった世界においては、パイを大きくするよりも、どうパイを切り分けたかを考える方が重要なのではないですか、ということなのです。(404 Blog Not Found: 経済成長は手段か目的か?

あなたは、そのパイを誰と分けるつもりなのですか?

確かに、経済成長の計測は国を単位に行われることが多いかも知れません。
しかし、そのことは、それぞれの国の経済成長や、その経済成長の分配が、その国に属する人々の間で完結することは意味しません。

例えば、国内の消費市場が未発達の途上国にとって、発展の第一段階は、先進国消費市場へのアクセス(輸出)です。
先進国の消費者の購買力があがれば、途上国もその恩恵にあずかることができるし、逆に、先進国の経済成長が停滞すれば、それは途上国にも波及してしまいます。

ひょっとしたら、「今の日本は途上国に対する責務を果たしながら、それでもパイの拡大を優先する必要がないぐらいにはパイが大きくなっている」という反論があるかも知れません。
そもそも、パイの大きさが十分かどうかという議論をおいたとしても、そんな大きなパイが極東の島国にあるなら、そこはまさに「黄金の国ジパング」です。

途上国の人々は皆ジパングを目指して旅立つでしょう。比喩ではなく、現に多くの人々がそこにあるパイの分け前にあずかるべく日本を目指しています。
もちろん、現行法の下では、多くの場合、それは「不法入国」です。
見つかれば強制送還されますし、見つからなくても、社会的なソーシャルネットの庇護の外で、万が一病気にかかっても医者にかかれるかも分かりません。
それだけのリスクを犯しても、日本を目指すのは、そこに「大きなパイ」があるからです。

アメリカもヨーロッパの先進国(※)も、色々な歴史的経緯もありますし、政治的妥協もありますが、大なり小なり、移民の受け容れという形で、途上国とパイを分け合ってきています。
もちろん、移民問題は、それ自体センシティブな問題であり、「だから日本も移民を受け容れるべきだ」と一足飛びに結論を出すわけではありません。ただ、移民の受け容れをしないのであれば、それに代わるパイの分け方を考える必要があります。
何れにせよ、大きくなったパイを持つものは、それを誰と分け合うか考えなければいけません。

「もう十分大きくなったから、このパイは自分たちだけで分けます。君たちも、ぼくたちをみならって、パイを大きくするんだよ」

日本という国自体、過去の急激な経済成長を遂げた重要な要因として、欧米先進国の消費市場へのアクセスが可能だったことがあげられます(※2)。貿易摩擦という言葉を生み出すほどに、米国の消費市場、言い方をかえれば米国民が増やしたパイへのアクセスによって自らのパイを増やしてきた国が、それを増やした途端にそう言うことができるのでしょうか―

「経済成長」という言葉の使い方一つで向きになる人たちのことを不思議に思う方がいらっしゃるかも知れません。
でも、途上国の貧困と自分たちを結ぶ線の存在への無関心こそが、今なお世界中に蔓延する貧困の前に立ちはだかっている壁だと考え、その無関心をどうにかしたいと願う人間にとっては、やはり見過ごすことはできないのだと思います。

私自身、まだその世界の入口を覗いたに過ぎない身ですが、どれだけの人に届くかは分かりませんが、やはり声はあげておかなくてはいけないと思うわけです。

ましてや、その世界を自分のライフワークの一つと定めた人であれば、なおさらだろうと思います(※3)。

最後に、以前のエントリーも書きましたが、私には弾さんのレトリックを読み解くリテラシーが不足しているので、弾さんの「真意」とは違う趣旨でとらえてしまったのかも知れません。あるいは、弾さんのことであれば、私が以上で書いたようなこともお分かりの上で、そんなことではなく、「その先」のことを言いたかったのかも知れません。

もし、そうであれば、弾さんのエントリーを拝見して、上のような意味にとってしまった者があり、同じように「誤解」してしまう人が他にいるかも知れないということで、そうした人に向けて書いたものだとお考え頂ければ幸いです。

また、この分野については、(いつものことながら、)私はマニアですらない、ただの門前の小僧です。私の理解している範囲で背伸びをしないように書きましたが、それでも基礎的なところで思わぬ間違いをしていれば、ご指摘頂ければ幸いです。

 

(追記) 

コメントで教えて頂いたosacaeconさんの経済成長というエントリーを拝見して、いくつか補足しておいた方がいいと思う点があったので、追記です。

最初に「先進国のパイが大きくなれば、途上国のパイも大きくなる」という仮定は、osakaeconさんが仰るように理論と実証の問題ですが、おそらく従来の開発経済学での経験からいうとかなり疑わしい仮定だろうと思います。
例えば、SachsのThe End of the Povertyでは、イギリス宗主国時代のインドが宗主国の経済成長政策の実現のためにインドの経済成長が抑圧された可能性を指摘しています。
保護貿易的政策の影響や取引費用の問題で先進国のパイ拡大の恩恵が途上国に行き渡るスピードが遅い場合も考えられるでしょうし、先にパイを大きくした国が、その大きさをテコに使って小さな国からパイを奪い取る可能性も考えられます。
(この辺りは、かつて途上国の中の問題として、パイの大きさに関心を向けておけば、配分には神経質にならないでいいという、トリックル・ダウン仮説について、私自身疑問を抱いて、エントリーを書き、コメント欄でも色々と議論させて頂いたことがあります。)
そういう意味では、「我々のパイを大きくすることは途上国のためにもなる」という議論は、「我々のパイ拡大にさえ関心を向けておけば、途上国への分配については心配する必要はない」という逆の形での無関心につながる危険性を持ってしまいます。
これは、このエントリーにおける私の本意とは全く正反対の方向性ですので、そういう誤解を与えてしまった可能性についてはお詫びすると共に、ここで訂正させて頂きます。

(以下は、ややテクニカルな話になるので、興味のない方は読み飛ばして頂いても結構だと思います) 

その上で、osakaeconさんに質問させてもらったのは、では、「先進国のパイが拡大しない状況は途上国のパイ拡大の阻害要因となる」という仮定(いわば「負のトリックル・ダウン」)については、どう考えればいいのだろうということです。
現実としてのトリックル・ダウンが成立しているかどうかについては上記のような疑問が残るとしても、先進国側での輸入障壁の撤廃や取引費用の低下が進めば、トリックル・ダウンはより促進される(従って、先進国が途上国支援として考えなくてはいけないのは保護主義的政策の撤廃である)という前提を、私は暗黙のうちに受け容れていました。
ただ、osakaeconさんのエントリーを拝見して、「先進国の経済成長→途上国の経済成長」という因果の流れが疑わしいのであれば、「先進国の経済停滞→途上国の経済停滞」という流れも、それほど自明ではないのかも知れない・・・あるいは、正のトリックル・ダウンが成立しにくいのに、負のトリックル・ダウンは成立しやすい、というのであれば、その非対称性の要因についてはもう少し自覚的であるべきと気づかされました。

漠然とは、センが飢饉の発生メカニズムについて説明したのと同様に、正の影響は社会の既存権力層がそれを保持しようとするのでトリックル・ダウンを阻害する力が働き、逆に、負の影響(例えば、飢饉における食糧不足問題)は逆に社会の既存権力層はその負の影響を弱者層に押し付けようとするのでトリックル・ダウンが促進する力が働くという説明が可能なのかなとは思うのですが、きちんと詰めて考えたものではなく思いつきレベルの話です。

この点については、osakaeconさんが、わざわざこちらのブログの方にコメントを下さり、私の問題意識にお付き合いして頂けると仰ってくれています(本当にありがとうございます)ので、また、それを勉強させて頂きたいと思います。

というわけで、私がエントリー本文で書いたことの前提には、(まあ素人の火傷というか)やはりまだ眉に唾をつけるべきところが残っている(おそらく他にも)という部分を割り引きつつ、そういう考え方もあるかも知れないということでお読みいただければ幸いです。

   

(※)ヨーロッパの場合には、旧共産圏からの受け容れも含めてですが。 

(※2)もちろん、それのみに要因を帰すことはできません。この辺りは、私自身、まだ色々と勉強中のところです。これまでの雑考については、大野健一「市場移行戦略」大野健一『途上国ニッポンの歩み』の書評をご覧下さい。

(11/18  修正)

以下の部分については、ちょっとした皮肉のつもりで書いたのですが、通りすがりさんに相当な不快感を与えてしまったようです。本筋とは関係ない部分ですし、この部分で議論をするつもりはありませんので、以下は撤回します。

(※3)ちなみに、その無関心に対して、もっとも長く激しく戦ってきた人の一人こそ、弾さんが同一エントリーで文脈こそ違えWikiからその説を引用したアマルティア・センです。アマルティア・センが引用されたのと同じエントリーで、「パイは十分大きくした。あとはどう分けるか」だと言われているのを知ったら、センはどんな気分になるんでしょう?
 


Posted by 47th : | 01:48 | コメント (18) | トラックバック (3) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

レッドソックスの「ルール違反」?

西部の松坂選手の大リーグ移籍話が盛り上がっているのは、もちろん知っていましたが、私的には、①阪神ファンとして井川の去就の方が気になる、②去年だったらNYで見ることができたが、来年は自分がNYにいないのでアウト、ということで、余り熱心には追ってなかったんですが、西部がポスティング応諾の決断を延ばしている背景に「ルール違反の可能性」があるというニュースを見かけたので、ちょっとぐぐってみたところ、中日スポーツで次のような記事を見つけました。

レッドソックスが松坂に“不正入札”をした疑惑が浮上した。ポスティングシステム(入札制度)でメジャー移籍を目指す西武・松坂大輔投手(26)は、13 日に西武球団が取締役会で最高入札額を受諾する見込み。その後に大リーグ機構から落札した球団名が伝えられて入団交渉がスタートするが、ここにきてレッド ソックスが、ヤンキースへの入団を妨害することだけを目的に破格な金額を応札した疑惑が浮上。その場合は、2番目に入札額が高い球団に独占交渉権が移る可 能性も出てきた。

オークションの設計はゲーム理論絡みで面白い話がたくさんあるんですが、この辺りは、それこそ最先端の経済学でホットな分野なんで、うかつに手を出して火傷してもいけないので(というか、そもそも書き出すと長くなりそうなんで疲れそう) 、ここは法律家らしい話として、次の部分に着目(下線は引用者付加)。

米4大ネットワークのFOX傘下にあるFOXスポーツ(電子版)は11日、「レッドソックスのオーナーは多くの資金を持っているが、チームの最終目的はヤ ンキースを妨害することだ」と報道。そして「ソックスが松坂との契約に誠実な努力をしなければ、コミッショナー事務局は(松坂と入団交渉する)権利を2番 目の入札額の球団にするだろう」と伝えた。

要は、「本気で交渉する気がなく他球団を妨害するために入札しただけなら、交渉権を失うよ」と言っているわけです。

この話は、実はM&Aのビッドでもある話で、企業買収で複数の買い手が一つの企業(事業)をめぐって競合しているときに、買い手は、まず「優先交渉権」の獲得を目指して、最初の条件提示を行います。
この「優先交渉権」を与える段階での手順とか条件の付け方も色々と面白い話がテンコ盛りなんですが、その際に気をつけなくてはいけないポイントとして「本気で買うつもりはないのに、いい条件(高い価格)を提示してくる買い手にどう対処するのか」という問題があります。

もちろん、「本気で買うつもり」があるのかどうかは、「優先交渉権」を与える段階では分かりません。

そこで、出てくる対処法の一つが、優先交渉権を与える契約の中で「誠実交渉義務」を課して、もし「誠実」に交渉しなかった場合には、交渉を打ち切る権利を他方当事者に与える方法ですが、実際には、この「誠実さ」の認定というのは非常に困難だというのは、すぐに分かるのではないでしょうか?

なので、実際のM&Aの現場では、こんな巷の契約書雛形にも出ていそうな「誠実交渉義務」に頼り切ることなどせずに、そこに至までのプロセスや優先交渉権の付与契約で、色々とケース・バイ・ケースの対応をやったりします。
多分、この辺りは、経済学的に分析するとシグナリングの使い方をはじめ、色々と面白いことが出てくると思いますし、弁護士の側としても経済学の分析枠組みを知った上で、自分のやっていることを見つめ直すと新たな発見や工夫の余地が見つかる分野だと思いますし、気が向いたら、またこのポスティング制度でも例にとって考えてみたいと思いますが、今日のところは、ここでいう「誠実さ」のとらえ方の違いという当たり障りのない話でお茶を濁しておきましょう。


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Posted by 47th : | 13:42 | トラックバック (4) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

「素人お断り」?

昨日のエントリーに対して、弾さんからお返事のエントリーを頂きました・・・ところ、何故か、どうも私宛てと思われるコメントが多数弾さんのところについてしまったようです。
何故こっちにつけてくれないんだろう(字数制限もないのに(; ;))ということも、それ自体で一つのテーマたり得るんですが、とりあえず、その中で確かに誤解を与えてしまったのかも知れないと思うご指摘があったんで、ちょっと補足をば。

その後もたくさんやりとりが続いているんですが、多分、もっとも端的な指摘は通りすがりさんの最初のコメントにあるような気がします。

47thさんの言い方は「素人が経済学を語るんじゃねーよ」って言ってるのと同じ
中途半端な知識しかないやつは、経済学の概念使うなって言うのは偏狭すぎる
それとも専門家になんか言われたら恐れ入って平伏しなきゃいけないのか?
Posted by 通りすがり at 2006年11月10日 14:45

もし「素人が経済学を語るんじゃねーよ」ととられてしまったのであれば、それは深くお詫びします。むしろ、「素人が経済学を語るんじゃねーよ」と言われてしまったら、真っ先に槍玉にあがるのこそ、私がこのブログで展開しているローエコネタなんで、そんなことを私が口にする資格はありません。

むしろ、私自身は、ブログという媒体は、法律家が経済学的な議論をしたり、あるいは、非法律家が法学的な議論を交換するような学際的な意見交換の場に向いているフォーマットだと思っていますし、もっと言えば、ある学問における「素人」あるいは「入門者」が自分の理解を深めたり、試したりする場としても向いているんではないかと考えています。

だから、「素人」が経済学でも(あるいは法学でも)、それをブログ上で議論することには、とても大きな意味があると思っています。

・・・と、そういう立ち位置に立つ私ですが、ネット上でなされる「素人」あるいは「非専門家」による議論(特に経済学の場合が多いのですが、法学でもあります)について感覚的に強い違和感を覚えるものと、そうでないものがあり、その区別がどこにあるんだろうともやもやとしていたわけです。

「水からの伝言」に対する田崎教授のQAを読んで、私自身は、何となくそのもやもやの原因が見えてきたような気がしたので、前回のエントリーで、特に感銘を受けた部分を紹介して、その「感覚」を伝えようとしたのですが、それが、あたかも「素人が○○学を語るんじゃねーよ」という印象を与えてしまったようですので、もうちょっとこの「感覚」の言語化を試みてみます。


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Posted by 47th : | 12:38 | コメント (27) | トラックバック (4) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

「経済学」論議と「水からの伝言」

最近TBを受け付けにくくなっているようで悩んでいたので、磯崎さんがなされた対処法を私も試してみることにしてみました。うまくいくかどうか分かりませんが、しばらくこれで様子を見てみたいと思います。

さて、今日は何だか関係あるんだが、関係ないんだがよく分かりませんが、私の中では結構関係あるもののように感じた二つの話題のご紹介です。

前者は著名なブロガーである小飼弾氏のエントリーで、経済学者の飯田泰之先生が書かれた「ダメな議論―論理思考で見抜く」を紹介しつつ、次のような評をもらされています。

・・・税込み714円以上の価値は確実にある。のだが....

ダメ出しで終止してしまっている。

「それでは、よい議論とはかくあるべきか」という提言が見当たらないのである。

それは、著者の飯田氏に限らず学者という学者に共通した宿痾で、特に経済学者に顕著に見られるというのは私の偏見だろうか。だから、どちらかというと読後感は「やはりこういう議論に陥らないよう気をつけよう」というより、「はいはい、ああいってもこういってもダメな議論とおっしゃるのでしょうねえ」という投げやりなものになりがちだ。・・・(中略)

我々のほとんどは経済学者ではない。同学の学者どおしが議論を戦わすのは大変結構なことだ。しかし、我々のほとんどは、学者のみなさんの議論を吟味するだ けの時間も余裕もないのだ。どんなにダメな結論でも、終わらない議論に勝ると思うのが、全知でもましてや全能でもない我々の本音なのではないか。

 後者は「水からの伝言」という、どうも最近人口に膾炙しているらしい(私も今回初めて知ったのですが)「お話」(きれいな言葉を聞かされた水は美しい結晶を作るが、汚い言葉を聞かされた水は美しい結晶を作らない?)に対して、物理学者のお立場から、それは科学的な「事実」ではないと丁寧に説明されているサイトです。(ちなみに、このサイトはID論について前に書いた頃からBloglinesに登録させていただいている幻影随想経由で知ったものです。余談になりますが、幻想随想さんの似非科学批判はどれも痛烈かつ的確で実に参考になります。)

このサイトではQ&A方式がとられているのですが、その中で私の印象に残ったのが次の二つのQ&Aでした。(是非、全文を読んで頂きたいと思うのですが)


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Posted by 47th : | 12:32 | コメント (3) | トラックバック (3) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

マイクロ・ファイナンスと上限金利規制

ユヌス氏のノーベル平和賞受賞と上限金利規制のタイミングが重なったことで、この両者の関係をどう捉えるかについて興味を持たれる方が結構いらっしゃるようですので、今日は、マイクロ・ファイナンスと上限金利規制との関係についてのサーベイであるCGAP(マイクロ・ファイナンスに特化した研究機関)の研究員Bright Helms=Xavier Reille, Interest Rate Ceiling and Microfinance; The Stroy So Far (English PDF)というそのものズバリのペーパーの紹介です。

そもそもマイクロ・クレジットの金利は何故高いのか?

上限金利規制との関係に入るに先立って、筆者らは、最初に何故マイクロクレジットの金利が通常の貸出金利よりも高いのかということについて、必ずしも借り手の信用リスクが高いからではないと述べます。

マイクロクレジットのコストは高い。しかし、それは貧しい借り手層への貸出のリスクが本質的に高いからではない。寧ろ、よいマイクロクレジット・プログラムの貸倒率は通常の商業銀行よりも低い。マイクロクレジットのコストが高いのは、借り手との直接の接触を有する小規模な取引に要するコストの高さと、定型的な契約やコンピュータ化されたクレジット・スコアリングの代わりに個別化された契約を用いているからである。

このブログでも貸金業者が売っているものは何なのか?というエントリーで書いたことがありますが、信用リスクに応じた貸出金利は貸し手にとっては原料の仕入れと同じ意味しか持ちません。
貸出額が小規模で与信管理に手間がかかれば、信用リスクが一定でも貸出金利は高まります。また、元本額が小さければ、そうした手数料相当部分の割合は元本に対して大きくなりますから、金利という指標を使えば自ずから金利は高くなります。

ペーパーの筆者達は、こうした点を指摘して、どんなに効率化を進めたマイクロクレジットでも、その金利は従来型の金融に比べれば高利にならざるを得ないということを指摘します。


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Posted by 47th : | 11:51 | コメント (8) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

権利の「しがらみ」とYouTube

GoogleによるYouTube買収に関しては、既にIT関係の専門家の方が色々と考察しているので、今さら何かを付け加えるようなこともないのですが、bewaadさんの「追い詰められたYouTube、あるいはGoogleが2,000億円の価値を認めた理由に関する一考察」を拝見していて、ふと思いついたことがあったので、メモということで。

YouTubeの将来性について、多くの方はテレビ局などの映像保有者からの訴訟を懸念されたり、あるいは、bewaadさんのように過去のコンテンツから収益をあげるビジネスモデルが見えれば、そもそも既存のメディアがその分野を放っておかないんではないかということを仰っています。

ただ、最近の(というか、昔から本質的にそうなんですが)テレビ局やなんかの「映像コンテンツ」というのは、それ自体が、更に色々な権利関係の集合体になっています。
最近でも確かテレビアニメか吹き替え映画かの関係で声優の方がテレビ局に二次使用分の使用料の支払を求めたりといった話があったと思うのですが、テレビ局の有するコンテンツ自体が、第三者の有するコンテンツの集合体となっている状況の下では、テレビ局自身も自由にコンテンツの再利用や改編をできるわけではありません。

その意味では、映像に対する需要があるというだけでは過去のコンテンツの再利用ビジネスは成り立たず、その際に生ずる他の権利者との調整コストを差し引いてもなお収益があがることが必要になりそうです。


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Posted by 47th : | 15:41 | コメント (3) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

モハマド・ユヌス氏にノーベル平和賞

ノーベル平和賞、ムハマド・ユヌス氏に 貧困解消に尽力(asahi.com)

ノルウェーのノーベル賞委員会は13日、06年のノーベル平和賞を、バングラデシュの金融機関「グラミン(農村)銀行」とその創設者のムハマド・ユヌス氏 (66)に授与する、と発表した。農村の貧しい人々の自立を促そうと、「マイクロクレジット」と呼ばれる無担保少額融資の仕組みを考案し、貧困の脱却に貢 献した功績が評価された。

と、既にろじゃあさんにスクープされていましたが(笑)、個人的にはグラミンやマイクロ・ファイナンスには以前から興味を持ってきたので、今回の受賞でまた一段と関心が向くのではないかと期待しています。

というわけで、過去の関連エントリーの紹介です。 

ところで、これまたろじゃあさんが示唆されていますが、グラミンやマイクロ・ファイナンスは、今の消費者金融問題に対する対応の方向性についても色々な示唆を与えます。

グラミンは政府によるセイフティ・ネットの乏しいバングラディッシュで、返済能力を欠いていると思われていた農村の女性を中心に高金利・少額の貸出を実行しました。
日本だと、これは一種の慈善事業のようなイメージで捉えられるかもしれませんが、少なくともグラミンに関しては、きちんと営利ベースで運営がなされています。
もちろん、資産を殆ど持たない貧困層への少額貸出は(理論的には)貸倒リスクも高く、また、信用管理コストもかかります。当然、こうしたコストを埋め合わせるために金利は高くなるわけです。
従来は逆選択やモラル・ハザードの問題から、こうした貧困層への貸出は成り立たなかったわけですが、グラミンでは、日本でいう連帯保証人にも似た連帯責任制度(グループ・レンディング)や、頻繁な取立て、一定額の貯金の義務付け(一種の拘束預金)などの手法を使うことで、こうした問題を軽減し、貧困層への貸出を実現しています。

一見すると、連帯責任類似制度や頻繁な取立て、一種の拘束預金制度etc...は、貧困層に「厳しい」制度であって、今の日本で同じことをやれば、瞬く間にマスコミや政治家によるネガティブ・キャンペーンの格好のネタになってしまいそうな話です。
もちろん、こうしたメカニズムには、貧困層に対して苛酷な面も持っていますが、他方で、そのインセンティブ構造は経済学的な面から見ても非常にうまく設計されたものとして評価されています。
何よりも、もし、こうした高金利や「厳しい」取立メカニズムを否定してしまったら、現に貧困であえぐ農村の貧困層は、バングラディッシュ全体が富裕になり社会の隅々まで十分な公的な生活扶助がなされるのを座して待つしかないということになっていたかも知れません。
何よりも、そうした貧困層が社会の発展に対して寄与し得る潜在的な能力が活用されないことは、国全体の発展に対しても遅れをもたらしてしまったかも知れません。

マイクロ・ファイナンスが国全体の発展にどれほど寄与できるかについては、今なお研究の途上にある重要な論点ですが、単に目先の厳しさを排除することだけが優しさではないということをユヌス氏は示しているような気がします・・・って、これまたろじゃあさんに既に言い尽くされていることになってしまいましたが、とりあえず今回の件でマイクロファイナンスや消費者金融における経済学的な考え方への理解が深まることを心から願います。


Posted by 47th : | 11:18 | コメント (6) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

高金利均衡についての補足 (2)

前回は(借り手優位の)「情報の非対称性」が高金利・高リスク層均衡を生み出す、ごく基本的なロジックを見てみたのですが、ここで自然と生じる疑問は、では上限金利規制は、この状況を崩すことが可能なのかという点です。

「利鞘」を考えてみる 

前回のごく単純なモデルに、新しいパラメータとして貸し手の「利鞘」を入れてみましょう。
つまり、前回は信用リスクに応じた金利でしか提示しないことを前提としましたが、ここでは借り手側は、自らの信用リスクに対して+7%までであれば貸し手側に「利鞘」を与えることを認めるとしましょう(※)。

つまり、低リスク層の借り手は、金利が17%までなら借入を行い、高リスク層の借り手は、金利が27%までなら借入を行うという具合に考えてみるわけです。

単純化のために、全人口を100(従って高リスク層と低リスク層の人口はそれぞれ50ずつ)とし、一人当たりの貸出は100として考えてみましょう。

まず、27%の提示する場合には、貸し手の利鞘は7×50=350になります。
一方、低リスク層に合わせて16%の金利を提示するとすると、貸し手の利鞘は、低リスク層への貸付で同じく350の利鞘を稼ぐことができますが、高リスク層への貸付は逆に▲3×50=▲150の損失を生むので、結局、純利得は200になってしまいます。

というわけで、利鞘を考慮に入れただけでは、前回の高金利・高リスク層均衡は動きません。単に、(20%,高リスク層のみ )という均衡が(27%、高リスク層のみ)となって、貸出ボリュームは変わらず、7%は貸し手側に入るだけです。

ここで上限金利を引き下げ22%に設定したとしましょう。
Xとしては、どういう金利設定をするのが合理的になるでしょう?


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Posted by 47th : | 11:04 | コメント (6) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

腎臓売買容疑で強制捜査

腎臓売買容疑、患者ら2人逮捕 ドナーに金品 愛媛(asahi.com)

愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院(貞島博通院長)で05年9月にあった生体腎臓移植手術で臓器売買があった疑いが強まったとして、愛媛県警は1日、移植 を受けた水産会社役員山下鈴夫(59)=宇和島市中沢町1丁目=と同社の社長松下知子(59)=同=の両容疑者を臓器移植法違反(臓器売買等の禁止)の疑 いで逮捕した。
・・・
調べによると、松下容疑者は腎臓病で人工透析を続けていた山下容疑者と内縁関係にあったが、昨年夏ごろ、200万円を借りていた松山市内の貸しビル業の女 性(59)に「臓器提供者(ドナー)になってくれたら、300万円を上乗せして渡す」などと再三、臓器売買に応じるよう要求。昨年9月に山下容疑者の左の 腎臓を摘出してドナーの腎臓を山下容疑者に移植する手術が成功した後、両容疑者は11月に現金30万円を、今年4月に新車(150万円相当)を提供した疑 いがもたれている。山下容疑者と女性は、事件前、面識がなく、親類でもなかったという。

電話で「腎臓売りたい」 売却先探す仲介者横行(asahi.com)

臓器売買が問題になるなかで、腎臓移植を待ち続ける患者らのもとには、「腎臓を売りたい」と持ちかける電話による違法な勧誘や、不審な仲介業者の案内などが相次いでいる。
大阪府内の約7000人の腎臓病患者でつくる「大阪腎臓病患者協議会」には、ここ2~3年、「腎臓を売りたい。買ってもらえるところを紹介してほしい」などの電話の問い合わせが年1、2件ほどある。主に男性からの連絡だという。
・・・
同協議会によると、腎臓移植の希望登録者数は、1万1500人余り。心臓の90人、肝臓の120人と比べても格段に多い。一方、昨年の腎移植件数は約1000件。移植を10年以上も待っている人も多く、中には20年も待つ人もいるという。

移植を10年待っている人も多いという中で、単に臓器の売買は倫理的に許されないというだけでいいのだろうか?・・・この記事に触れて、そんな疑問を感じた方のために、ベッカー教授とポズナー判事のブログの議論を引用した、過去エントリーをご紹介いたします。

TB先、コメント欄の議論も合わせて、この問題について考えるよすがになれば幸いです。

 

 


Posted by 47th : | 13:02 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

高金利均衡について補足 (1)

先日の上限金利規制の論拠を考える: 情報の非対称性についてというエントリーに対して、法学徒のfujiさんから、次のようなコメントを頂きました。

「借り手の返済能力に関する情報の非対称性から(貸出金利=高金利、借り手の信用力=低返済能力)という形で均衡が成立している」とのことですが、この逆 選択の問題と貸出市場での割り当ての発生との関係が分からなくなりました。すなわち、銀行なら金利引き上げをする代わりに資金の割り当てをすることで市場 を調整しようとするはずなのに、消費者金融では銀行のような割り当ては発生せず金利は高金利で均衡しているのですよね。これは消費金融の経営者は倒産して も資金の調達先に自分のお金で賠償する必要がない(エージェンシー問題)からなのでしょうか。それとも消費者金融はやはり回収ノウハウが非常に高いからで しょうか。

実は、前回のエントリーを書いたときに、えらくあっさりと書いて終わってしまったんですが、それは、皆、掲示板の議論をさっと見て、あっさりと理解してしまったのか、はたまた、余りにもマニアックそうなんで、そもそもあっさりと読み流されたのか、何れにせよ、経済学徒の方はともかくとして、一応、法律系ブログであるこのブログ(笑)に少なからずいるはずの法学徒の方には、必ずしも直観的になじむ議論じゃないような気もするんだけどなぁ・・・と思っていただけに、fujiさんのコメントは我が意を得たりのところがありました。

また、非常に興味深い問題提起も含まれているので、「情報の非対称性」が借り手と貸し手の行動にどのように影響するのかというロジックを、法学徒を意識して、なるべく直観的に分かりやすい形での解説を試みてみましょう。
なお、fujiさんにとっては、既に理解されている辺りのところから話が出発してしまうので、多少、迂遠かも知れませんが、前回のエントリーでは何のことかよく分からなかったという人のため、と、議論の前提の確認ということで、多少丁寧にロジックを追ってみたいと思いますので、その辺りはご容赦を。

ただ、前回のエントリーでも触れたように、「情報の非対称性」を現実の消費者金融の金利引下げ問題に応用するには、実証的にも理論的にもなお多くのハードルを抱えています。その意味で、今回のエントリーは、あくまで頭の体操とか、ファイナンス理論への理解を深めるという観点で見てもらって、現実の金利引下げ問題とは少し距離を置いた方がいいかも知れません。


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Posted by 47th : | 18:20 | コメント (23) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

上限金利規制の論拠を考える: 情報の非対称性について

night_in_tunisiaさんが「利息制限法 金利を制限することでむしろ需要が増える可能性あるいは社会的厚生が増す可能性」というエントリーで、いちごbbsの掲示板に興味深い議論があるということでおそるおそる(※)拝見しました。

何だか、私のブログでの議論についても色々とお叱りを受けたりしていて(後述)、心臓には悪かったんですが、night_in_tunisaさんがお薦めされていた247氏と夜逃げ屋氏のレスは確かに参考になりましたので、情報の非対称性と上限金利規制との関係について、思いついたことなどを・・・といっても、既に掲示板の方は900個もレスがついていますし、一つ一つを細かく読んでいったというよりは、議論の流れとか雰囲気を眺めただけなので、私のコメントも印象レベルのものであることは、予めお断りしておきます。

また、やはり気の弱い私には、掲示板で自分のブログのエントリーが色々な形で扱われていると思うのは心臓に悪いので、多分、そんなに頻繁には掲示板を覗くことはできないと思いますし、ましてや、掲示板に書き込む勇気はないので、どうかその辺りはお許し下さい。


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Posted by 47th : | 23:33 | コメント (14) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

コスト無視の「経済効果試算」の意味は?

駐車取り締まり民間委託、経済効果1810億円・警察庁試算(NIKKEI NET)

駐車違反取り締まりの民間委託がスタートして以降、全国の主要幹線道路で渋滞が緩和され、年間約1810億円の経済効果を生み出していることが13日、警察庁の試算で分かった。

まず「警視庁試算」というところで微妙さが漂うわけですが、その「試算」方法もなかなか。

渋滞緩和による運転時間の短縮効果は、運転時間が平均10%短くなり、車1台当たり時給約2200円の人が1.3人乗っていると仮定して年間約1720億 円。燃料の節約効果はガソリン1リットル140円として年間約90億円。両方を合わせると1810億円に達する計算だという。

「10%」や、そもそもの母数とか、「時給2200円」の根拠も興味がありますが、決定的なポイントは、取締厳格化の「コスト」が考慮にすら入れられていないことです

以前、「違法」駐車のコストとベネフィットというエントリーで書いたように、取締りの厳格化は渋滞の減少というベネフィットの一方で、物流や沿線経済活動にコストをもたらします。

いやしくも「経済効果」を謳うなら、こうしたコスト面についても相応の考慮をした上で、差し引き後のネットとしての効果をみなくてはいけないはずです。
また、こうしたコスト面を全く顧慮しない「試算」は、政策評価や今後の政策へのフィードバックという観点から見ると、無意味などころか、「取締りは厳しくすれば厳しくするほどいい」という過った政策インプリケーションにつながるという意味で有害とすら言えます

施行後、物流コストや沿線経済にどのような影響があったのか、どのような政策的調整(時間指定、事前届出、etc・・・)がコストとベネフィットのバランスをうまくとっているのか・・・こうした情報こそ、政策評価・フィードバックに当たって求められる情報であって、それを全く度外視した「渋滞が減って1810億円の『経済効果』」という自画自賛の評価を平然と出す行政官庁(警察庁)と、それについて、特に疑問も呈さずに記事にしてしまうメディア・・・こうした中で有効な政策監視を期待するのは虚しい願いなんでしょうかねぇ・・・


Posted by 47th : | 12:45 | コメント (4) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

Who Monitors a Judge (in Tennis and others)?

昨日は延々とテニスのUS Openの話なんぞ書いたんですが、このブログの普段のテーマ的にみて今回のUS Openについて興味深かったのは、Challengeと呼ばれている(※)システムです。

大ざっぱにいうと、コートサイドの線審によるIN/OUTの判断に対して、プレイヤーが異議を申し立てると、その打球の軌跡がCG処理されてスクリーンに映し出されて、線審の判断を争えるというシステムです。
といっても無制限に異議を出せるわけではなく、1セットにつき各プレイヤー原則2回まで(タイブレークになると1回追加。異議が正しかった場合には(判定が覆った場合には)、その回数は減算されない)になっています。

US Openの公式サイトには、このChallengeに関する統計も掲載されているのですが、13日目までにチャレンジ総数が130回(男子)/53回(女子)で、線審の判定が覆されたのが38回(男子)/19回(女子)で、チャレンジ成功率が29.32%(男子)/35.85%(女子)、1試合当たりの平均チャレンジ数が3.42回(男子)/1.71回(女子)となっています。

これを見て誤審を多いと評価するか少ないと評価するかは難しい問題ですが、①プロのテニス・プレイヤーがチャレンジするのは余程自信がある場合だということと、②平均チャレンジ数にチャレンジ成功率をかけた1試合当たりの誤審数(※2)は1.00(男子)/0.613(女子)であること、③1試合当たりの平均ポイント数は217.6(男子)/134.9(女子)であることを考慮すると、相当に正確といっていいのではないかという気がします。(今日の男子準決勝の試合でも解説者が30%しか判定が覆らないというのは驚きだという話をしていました)

これだけなら、「テニスの線審って凄いね!」で終わってしまうわけですが、昨年のUS Openでは、(どっちか忘れてしまいましたが)ヴィーナス姉妹のどちらかの試合でミスジャッジが多発してちょっとした騒ぎになったりもしたわけです。
あの試合が特殊ケースだったとか、その試合でも今年のUS Openと同様の判定システムが導入されていれば(※3)意外と判定は覆らなかったという可能性も当然棄却できないわけですが、もう一つの可能性として考えられるのは、プレイヤーからの異議申立てシステムそのものが審判の判定の精度を高めたというものです。


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Posted by 47th : | 19:11 | コメント (2) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

貸金業法改正の迷走

貸金業法改正の全容が明らかになったと思ったら・・・

貸金業法改正案、自民が結論先送り 特例金利に批判噴出(asahi.com)

貸金業の金利引き下げ問題で、自民党の金融調査会や法務部会などの合同会議は7日、時限的な特例の高金利融資などを認めた金融庁の貸金業規制法の改正案を 協議したが、特例金利の存続期間などを巡って批判が続出したため、結論を持ち越した。11日の合同会議で再協議する予定だが、金融庁案が修正される公算が 大きくなった。・・・
この日の合同会議では、議員から「灰色金利の撤廃が遅すぎる」「全体的に期間を短くするべきだ」との批判が相次いだ。また、金利引き下げに前向きな議員からは「特例が規制の抜け穴になる」と反対する意見が出た。
一方、金利引き下げに慎重な議員も「特例は制度を複雑にする」として、段階的な金利の引き下げを求めた。このほか、利息制限法の金額区分を物価上昇を考慮して5倍に引き上げる案にも「利息制限法は変えるべきでない」と反発の声が出た。
金融庁は、特例金利の容認や期間について「急激な金利引き下げで借りられなくなる人が出る可能性がある」「業者のシステム整備などに時間がかかる」と説明しているが、了承を得られなかった。

今年1月の最高裁判決のロジック(返済のインセンティブを与えるための延滞利率も「任意」ではないとした)に驚きを覚えたことから継続的に関心を持ち始めた貸金業法改正論議ですが、今回のこの改正を見ていると、日本の政策決定メカニズムの抱えている課題が非常に明確な形で浮かび上がっているように思えます。

これまでにも論じてきたように、私自身は上限金利引下げ(※)には依然として賛成できませんが、たとえ結論として上限金利が20%になったとしても、そのロジック自体に一応の合理性があり、そのロジックが事後的な政策評価によって検証され得るものであれば、一度その方向へと舵を切ることもあり得るかも知れません(※2)。

しかしながら、今回の貸金業法改正の過程では、金利引下げによって多重債務者が救済されているロジックが十分に検証されないまま、どちらかといえば「消費者金融業者が高金利で消費者をむさぼっている」というイメージや、実際に存在する多重債務者が高金利に苦しんでいるというそれ自体は単なる状態の叙述に過ぎず金利と多重債務の因果関係を示すものではない事実(※3)に依拠して金利引下げが議論されてきたように見受けられます。

元々がロジックによらないものであれば、少しでも立場の違う人間を説得するにも論拠に乏しく、また、どこまでが許容範囲かという線引きも明らかにはなりません。
今回の迷走は、元々の政策立案過程におけるロジックとデータの積み重ねがおろそかであったことの裏返しのように思われます。
ましてや、検証すべきロジックもデータも存在しない政策については事後的評価やフィードバックを望むべくもありません。


・・・と、最早ロジックの世界でも何でもない政治家の宣伝活動のためのアドバルーン化(※4)してしまった貸金業法問題を傍目に見ながら、この問題に対する自分の関心が急速に冷めていくのを感じるのでした(・・・と、放置してある昔の記事の続きをさぼっているのを正当化してみたりする) 


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Posted by 47th : | 15:26 | コメント (2) | トラックバック (2) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

貸金業法改正案の全容?

昨日は、Labour Dayというアメリカでは夏の終わりの象徴となる休日でしたが、久々に天気もよかったので、昼間は買い物がてらチャイナタウンまで足を伸ばし、安い・汚い、でも美味いチャイナタウンの店で昼食をとり、夕方からは、NYの夏の終わりの風物詩US Openへと足を運びました。

テニスについては何も知らないに等しいんですが、何でも敷居の低さがアメリカのいいところで、会場も気持ちのいいところなので、一昨年も去年も一度は足を運んでいるので、今年も一度はということで、夕方からのセッションへ。

これまた毎年恒例なんですが、スタートが日没の7時半頃からで男女2試合なんですが、ちょっと長引くと12時を過ぎるのはザラ・・・ということで、昨日は男女ともフルセットまでもつれ込んだので、終わったのは1時少し前。
そこから地下鉄で家に帰り着いたのは2時・・・ということで、昨日、次の記事を見かけたのですが、とりあえずクリップだけしておいたものなので、速報性は全くありませんが・・・

灰色金利、過払いは「任意」を明記 貸金業法改正案(asahi.com)

貸金業の規制強化に向けて、金融庁が自民党金融調査会に提出した貸金業規制法などの改正案の全容が明らかになった。利息制限法の上限金利を超えるグレー ゾーン(灰色)金利については、撤廃までの3年間、超過分の支払いは義務ではないことを契約書に明記させる。借り手にとっては任意の支払いとみなされ、あ とで返還請求が難しくなる懸念がある。このほか少額・短期の融資に特例で高金利を認めるなど、業者側への配慮が目立つ。一方、借り手1人あたりへの貸付総 額は「年収の3分の1」という新たな上限を導入する。

ということなんですが、何だかコメントが難しいですね。
一言で言えば、玉虫色というか弥縫策というか・・・将来の政策立案につなげることが極めて難しい制度になってしまった感があります。

そもそも、少額・短期融資特例といわれているもの自体、どういうものになるのかよく分からないところがありますが、既に他に借入のある人を排除する制度という噂も聞きますし、そうだとすると、実際にはほとんど使われない可能性もあるとすれば(※)、私のように上限金利引下げによる供給不足を懸念する人間にとっては、供給サイドのボトルネックの緩和には余り意味がないような印象も受けるところ。


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Posted by 47th : | 15:57 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

友野典男『行動経済学』

これも各所で話題となっている友野典男『行動経済学~経済は「感情」で動いている』を読了。


新書ということで、かなり一般の人向けに書かれているものを想像していたのですが、いい意味で裏切られました。

今年の前半にロースクールでBehavioral Law & Economics という授業をとって、関連論文も色々と目を通したりしたので、一つ一つのバイアスについては馴染みがあるものが多かったのですが、その全体的な位置付けについては非常に掴みにくいと思っていたので、研究の歴史的経緯にも触れながら(※)、それぞれのバイアスを直観的にも分かりやすい形で提示している本書は、非常に参考になりました。

新書で値段も手頃ですし、多くの方に触れて欲しい本であることは間違いないのですが・・・ちょっと微妙な感覚を持ったのは、筆者が折りに触れ批判する「標準的経済学」について、そのバックグラウンドを欠く人々は、この本を読んで、「標準的経済学は現実には存在しない「ホモ・エコノミカス」を前提としてモデルを構築しているものである」という、それ自体は、ばりばりの「標準的経済学」の論者ですら(おそらくは)争わない事実を基に、「『ホモ・エコノミカス』を前提としたモデルは、実際には役立たない」という、「経済学全否定」論と等値してしまうんではないかという点です。

経済学者ではない私がいうのも何ですが、よき経済学者は、元々モデルは不完全性なものであることをよく知っています。その上で、モデルによる予測が現実の行動を実用に耐えるレベルで説明しているかは、実証の問題として、計量経済学の分野が発展し、そこで得られたモデルと現実の乖離を説明する因子や理論が、また検討されてきているわけで、本書でとりあげられている「信頼」の機能や限定処理能力は「標準的経済学」の道具立てでも有用な研究がなされています。
実際、著者がそうした「標準的経済学」の系統からの業績を否定しているわけではないことは見て取れますし、「行動経済学」の体系の設定自体が、「標準的経済学」の枠組みに依拠していることや、「経済学」が現実の政策決定のための学問として役に立つことを否定はしていないわけで、この本を読んで、「だから『標準的経済学』だけでは不十分だ」と言われれば本望でしょうが、「だから『標準的経済学』は不要だ」と言われてしまうと著者も面食らうんではないかと思うんですが・・・何となく、その辺りの誤解を招いてしまわないかなというのも、新書なだけに気になったところです。

と、その辺りを注意した上で、私と同業の法律家にこそ、この本は読んで頂きたいという気がしました。

それは何故かといえば、例えば、「公正」とは何か、「処罰」は人間の行動にどういう影響を及ぼすのか、あるいは、そもそも「法」や「規範」とは一体何なのか・・・日々それを取り扱わなければならない法律家の下地となる「法学」の領域で、「標準的経済学」と「行動経済学」の論争に匹敵するような真摯な掘り下げがなされているのかどうか・・・

隣接分野である経済学の貪欲さと比べて、「法学」とは何かを省みる機会を与えてくれる一冊ではないかと思います。

 

(※)もっとも、この本では、心理学との関わりについては日本人研究者も凄かったというお話が抜けているんじゃないかとうい点は、田中秀臣先生の補注が参考になります。(私も全く存じ上げませんでした。勉強します)


Posted by 47th : | 19:22 | コメント (2) | トラックバック (2) | 関連エントリー (2) | Law & Economics

『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』

先日、日本から商事法務や和書をまとめて送ってもらい、早速、読み始めているのですが、やはり最初に手にとって読み始めてしまったのは、『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』です。
 知っている人ならベッカーとポズナーという名前だけで身構えてしまいそうな本ですが、表紙と背表紙の二人のイラストで和ませてしまう辺りは、いい狙い。

 内容は、このブログでも時々とりあげているBecker=Posner Blogの2005年秋までに公開されたうちの12本のトピックと、Economist紙に連載されていたものから選ばれた20本のコラムの邦訳です。

ブログについては、オリジナルを読んだものもあるのですが、改めて読むと新鮮なものも多く、楽しんで読むことができました。

邦題ではブログの部分については、「ベッカー教授とポズナー判事のブログ対決」というサブタイトルがつけられているので、あたかも経済学者と法律家との間で激しい論戦が戦わされているかのようですが、実際には、両者の立場はかなり似通っているので、結論の方向性は同じで、その理由付けが若干異なるとか、補足が入っているという感じです。

で、これを読んだ方は、アメリカでは、判事も、あるいは法律家は、皆、ベッカーと同じぐらいに経済学的な思考様式をとるのかと思ってしまう方がいるかも知れませんが、もちろん、ポズナーは明らかに規格外ですので、その辺りはご注意を。

ただ、それぞれの主張はラジカルなようでいて、その論理はかなり詰められていますし、現実との関わりも強く意識されています。
私が個人的に感じたのは、後半のEconomist紙のベッカー単著のコラムと、ブログでのベッカーのトーンの微妙な違いです。単著コラムの方は、時に意図的なアジテーションや論理的な飛躍を感じさせる部分があるのですが(まあ、私がマクロ音痴のせいかも知れませんし、訳者によるコラムのセレクト(好み)もあるからかも知れませんが・・・何せコラム編の冒頭を飾るのが「"創造的破壊”が作用しやすい環境を作ろう」ということでシュンペンター賛歌から始まりますし(笑))、ブログの方はより中立的・論理的なトーンで、少し極端な立場をとる場合にも反対説や自らの立論の弱点について言及しているように感じます。

考えてみるに、①ブログということでスペースの制約がない、②ポズナーからのコメントを必ず得るため(あるいはポズナーの考察に対するコメントの形態をとるため)、他の論者がとり得る立場に配慮する、③コメントによるPeer Reviewを予め意識しているという辺りが理由でしょうか。

個々のトピックについては、私自身が異なる意見を持つものも少なくありませんが、ベッカーとポズナーが提示する議論の枠組みには、強い共感を覚えます。

経済学的な思考が何かということを真摯に知りたい方は、是非ご一読を。


Posted by 47th : | 19:01 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

医療法人の株式会社化雑考 (5・完)

前回は、「株式会社化」ということのうちエクイティ性の資金(株式等)を取り込むことと、「営利性を追及すると公共性が損なわれる」という耳障りのいい主張にはコーポレート・ファイナンス的に関係があり得るというところをほのめかしたわけですが、今回は、その結論部分です。

残余請求権と有限責任

そもそも「エクイティ」というものをどう性格付けるかということについては、色々な考え方があるんですが、一般には、その本質は「残余請求権者」(residual claimant)であることに求められています(※)。
「残余請求権者」というのは、もっと大ざっぱにいえば、次の二つの意味合いを持ちます。

  1. 会社に利益が出ない限りは(※2)、出資は無駄になる。
  2. 会社に利益が出た場合には、利益は全て自分のものになる。

ところで、1.については、少し補足が必要です。
株式会社制度をはじめ、現在のビジネスを営む法人に関しては、いわゆる「有限責任」が認められています(大きな例外は(有限責任組合以外の通常の)組合です)。ですので、多くの場合は、「会社に損失が出ても、エクイティ・ホルダーは出資額以上の負担は強制されない」という性質を持っています。

この残余財産請求権と有限責任の組み合わせの結果、エクイティ・ホルダーは、「成功すればたくさんの利益が出るが、失敗した場合の損失も大きい」ビジネス運営を行う強いインセンティブを持つことになります。
いわゆる「ハイ・リスク・ハイ・リターン」のプロジェクトですが、これは、例えば銀行のように貸付の形で資金を提供している債権者からすると迷惑な話です。

銀行のような貸付債権者(デット・ホルダー)は、事業が成功しても「利子」という一定額しかもらえません。対して、損失が出た場合には、元本すら返ってこないことになるわけで、利子分以上のリターンを稼ぐことには関心がありません。
従って、こうしたデット・ホルダーは「ロー・リスク・ロー・リターン」のプロジェクトを好むわけです。

つまり、プロジェクトの選択に対して、エクイティ・ホルダーとデット・ホルダーの関心は、往々にして対立することがあるわけです。


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Posted by 47th : | 15:00 | コメント (15) | トラックバック (0) | 関連エントリー (4) | Law & Economics

インサイダー取引の被害者?

先日紹介したNYTが大々的に採りあげたアメリカの上場会社M&Aでのインサイダー疑惑ですが、その記事で記者は次のような締めくくりをしています。

When stocks gyrate because nonpublic information about deals has leaked out, many people are harmed.The most affected are those who sell shares in the company before it is taken over at a significant premium. An investor who sold Georgia-Pacific shares on Nov. 9, just before the unusual trading, missed a 46 percent gain. Those who sold the Andrx Corporation, just before unusual trading began last February missed, a 36 percent gain

(この文章の中ですら支離滅裂なところがあるのですが)どうも公表前に売却した株主はプレミアムをもらえないじゃないかと主張しているようなのですが・・・そもそも、インサイダー取引があってもなくても、公表前に株式を売却してしまえばプレミアムは受け取れないわけです
むしろ、公表前であっても、NYTが主張するように違法なインサイダー取引のせいで(この主張自体、疑うべき点があることは前の記事で述べましたが)株価が上昇するとすれば、公表前でも株価には一定程度のプレミアムが織り込まれるわけで、その意味では、公表前に株式を売却してしまった株主は、むしろ公表前の株価上昇のおかげで本来は得ることができなかったプレミアムを受け取ることができるわけですから、むしろ公表直前に売却した一般投資家は、情報の滲み出しのおかげで救われている側面があります。
NYTの記者も記事を書きながら、その矛盾に何となく気づいたのか、最初の文章では「買収によるプレミアムが受け取れない」といいながら、次の文章では「異常な株式取引の直前に株式を売却をした場合には」と微妙に表現を変えているのですが、「異常な株式取引の直前に株式を売却した人」は、インサイダー取引のない状態で株式を売却しているわけですから、インサイダー取引の被害者のように扱うのは、そもそも文章として意味をなしていないように思えます。

ここで言っているのは、せいぜいが「M&Aの公表のタイミングが遅れることによる投資家の損害」であって、直接にインサイダー取引から生じる問題ではありません。
何とかインサイダー取引とこじつけるとすれば、インサイダー取引によって利益をあげるために会社が公表を遅らせた場合ですが、アメリカの場合は、M&Aに関する開示のタイミングを不必要に遅らせれば、それだけで証券訴訟のリスクに曝されてしまうわけで、制度的にそうした意図的な公表タイミングの引き延ばしに対する相当の抑止力があるわけで、この抑止力ではインサイダー取引による利益取得の誘惑に対して不十分なものかどうかは、それ自体議論と実証の対象となるべきものであって、因果関係は自明ではありません。

そもそも、極論を言ってしまえば、株価が実際の企業価値の変動を的確に反映させることこそが一般投資家保護になるわけで、原因がインサイダー取引であれ、市場での噂であれ、公表すべき段階には至っていないが、買収が実行される可能性の高まりにつれて株価にそれが織り込まれるのであれば、それは投資家保護につながるとすら言えるわけです(※)。

だからこそ、インサイダー取引規制の制度設計には悩ましい部分が多く、アメリカでは法学と経済学の両面から論争が繰り広げられているわけですが、このNYTの記事は、そうした部分の消化が不十分だったようです。

・・・と、こんなことを思ったのは、私だけではないらしく、Business Law Prof Blogというブログを書いているOhio State UniversityのDale Oesterle教授も次のような感想を述べているので、ご参考までに。

The story does, however, struggle to define why insider trading is illegal, and Ms. Morgenson's list of "victims" is problematic. Her argument that stock sellers are injured, because they could have held their stock until after the announcement and recieved more value, makes no sense unless one assumes that only the higher price, created by insider trading, induced the sale, that the sellers would not have sold at the lower pre-announcement market price had there been not insider trading before the announcement.  This is a stretch for many sellers, who had decided to sell pre-announcement and get the market price, whatever it was.  Those that sold only on the rise, refusing to wait, accepted the risk that they would give up any more increases in the price.  Victims?  The real reason for the illegality of insider trading (the disadvantaged buyer who wanted to buy and could not at market prices pre-announcement) remains elusive to even educated reporters.

 

(※)もちろん、世の中はそれほど単純ではなく、インサイダー取引は情報伝達効果がある一方で、現在の株価水準が誤っているというシグナルも発してしまうので、一概にインサイダー取引を情報効率性の観点から肯定できるわけでもないのですが、インサイダー取引=悪という決めつけも同じぐらいに短絡的です。


Posted by 47th : | 12:22 | トラックバック (0) | 関連エントリー (2) | Law & Economics

スキルとセオリー:Tirole"The Theory of Corporate Finance"

そろそろ8月も終わってしまうわけですが、この夏何をしているかといえば・・・基本的にはだらだらして、ブログを書いているだけなんですが・・・orz・・・ほかには、気の向くままに、腰を落ち着けて読みたかったけど読めなかった本などを眺めています。

どういう本が多いかといえば、圧倒的に経済学とかコーポレート・ファイナンス系で、少なくとも純粋な法学ものの本を手にとる確率は非常に低かったりします。

その中でもお気に入りは、Jean TiroleのThe Theory of Corporate Financeです。
著者は、産業組織論で定評ある教科書を執筆しているフランス人の経済学者ですが、この本は今年出版されたばかりの比較的新しい本です。

コーポレート・ファイナンスの教科書というと、Ross et al(邦訳)やBrealy=Myers(=Allen)(邦訳上 同下)が有名で(※)、特段数学や経済学の造詣がなくてもファイナンス理論のエッセンスを掴めるという意味で非常に優れた教科書であることには疑いはないのですが、個人的には、何か物足りないものを感じていました。

Tiroleの上掲書は、そんな私の心の隙間(?)をぴったりと埋めてくれる本でした。
時間やリスクによる割引やポートフォリオ理論、場合によっては基本的なミクロ経済学の知識は当然の前提とされていて、(シンプルなものであっても)数式を使ったモデリングも前提の明確化を含めて厳格にやっているという意味では、Ross et alやBrealy=Myersと同様の意味での「入門書」ではあり得ないのですが、それでもコーポレート・ファイナンスを理解したいと考えている法律家に薦めるとすれば、Tiroleの方かなという気がします。


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Posted by 47th : | 13:27 | コメント (2) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

医療法人の株式会社化雑考 (4)

前回までは、情報の非対称性を主な要因として医療において市場がうまく働いていないんじゃないかという仮説を考えてみたんですが、コメント欄でbunさんから指摘を受けたように、その他にも医療市場が成立しにくい可能性というのは、いくつかあげられます。

思いつくままにあげてみると・・・

  1. 地域性:医療における地理的な市場というのは、ある程度限定されていて(次にあげるように緊急性の問題もあるでしょうし、通院の負担や(入院の場合の)見舞いの便利)、たとえ評判がある程度機能していても、遠くの名医より近くのヤ○を選んでしまう。
  2. 緊急性:事故や急病で救急車で運ばれる場合が典型ですが、そこまでせっぱ詰まっていなくても、車を買う時みたいに事前に雑誌やネットで情報を収集し、カタログをもらい、候補となる車種を比較検討して・・・といったことを医師選びについて行うことは稀でしょう。
  3. 需要の非弾力性:需要の(価格)弾力性というのは、特売になると普段は買わないカップ麺をまとめ買いしてしまうように、価格の変化に対して需要がどのぐらい敏感に変化するかということですが、直観的には、病気や健康に対しては、「あっちの病院だと1万円安いから」といったことで病院選びをするわけではないでしょうし、ましてや保険制度の下では見かけの価格はそんなに変わらないので、ますます弾力性は弱くなっているんじゃないかという気がします。(「見かけの」といったのは、例えば払う金額が同じでも、受けられる医療の質やリスクが異なれば、実質的な価格は異なり得るからです。)

他にもあるかも知れませんが、とりあえず医療において市場がうまく機能していないと疑う理由には事欠かない感じです(※)。

何れにせよ、医療市場自体の競争性と課題というのは、それ自体で一つの分野をつくることができそうな話でしょうから、この辺りで切り上げて、本題(のはず)だった「株式会社化」の意義に戻ってみましょう。


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Posted by 47th : | 13:59 | コメント (12) | トラックバック (0) | 関連エントリー (4) | Law & Economics

医療法人の株式会社化雑考 (3)

前回までは、医療には「情報の非対称性」があることは確かかも知れないとしても、何故、他の市場のように「評判」や「情報生産作用」によって、それが緩和されないんだろうという問題提起をしました。
というわけで、今回は引き続いて、その点について簡単に考えてみましょう。

品質の事後的検証可能性

前回「レモン問題」という話で中古車の話をしたわけですが、中古車の場合は、買う前は分からなくても、買った後は実際に使ってみて隠れた問題があるのかどうかということが大体分かるわけです(※)。

でも、医療の場合はどうなんでしょう?
医療の現場は直接に知らないので、私の知っている弁護士業界で、例えば訴訟について考えてみると・・・
ある弁護士を訴訟代理人に選任した場合、(和解をひとまずおいて)訴訟に勝つか負けるかという意味での「結果」は極めて明白に出るわけですが、その「結果」がその弁護士の能力によるものなのかどうかということは、なかなか判断が難しいものがあります。
全く同じ訴訟を複数の代理人にやらせてみて、その結果を比較できればいいのでしょうが、訴訟は一回限りのものであって、「同種」の訴訟はあっても、「同一」の訴訟はありません。
個々の事案の微妙な違いが判断を分ける場合もありますし、他の裁判所での同種事案の判断の有無や有力な学者の見解の公表といった外在的なタイミングの問題もあり、その意味で訴訟というのは、まさにケース・バイ・ケースにならざるを得ません。
この場合に、たとえ訴訟に負けたとしても、それが雇った弁護士の能力や努力水準の低さのせいかどうかを判断することは容易ではありません。
結構好き勝手なことを書いているこのブログでも、個別事案において「後知恵」的に代理人の活動について論評することを避けているのは、あとで後ろから刺されるのがいや・・・というだけではなく、個別事案における様々な制約条件というのが分からない以上、ある「結果」が代理人のせいなのかどうかは、極めて判断が困難な面があるからです。

こうした状況は医療の世界でも同じじゃないかというのが、私の想像なんですが(違っていたらすみません)、そうだとすると「評判」による品質コントロールというのは、機能しにくいことが予想されます。


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誤発注問題を裁判所はどう裁くのか?

みずほ証券、株誤発注で東証に404億円請求(asahi.com)

東京証券取引所の西室泰三社長は22日、昨年12月のジェイコム株の大量誤発注に絡んで407億円の損失を出したみずほ証券から404億円の損害賠 償を求められていることを明らかにした。みずほは、9月15日までに賠償に応じなければ訴訟に踏み切ると通告しているという。東証は賠償に応じない方針 で、前例のない大量誤発注をめぐる損失負担問題は、裁判所の判断に委ねられることが確実となった。東証と証券会社が法廷で争うのは初めて。
・・・みずほは、1回目の取り消しが受け付けられていれば損失は3億円で済んだと計算し、404億円の賠償を求めたとみられる。
一方、東証は、証券会社など取引参加者をめぐる内部規定で、東証を利用した業務で参加者が損害を受けた場合、「故意または重大な過失がなければ東証に賠償の責任はない」とされていることから、「システムの不具合は重過失にはあたらない」として賠償を拒否している。

証券会社が取引所を訴えるというのは、興銀が国税に訴訟を提起したとか、住友信託がUFJを訴えたときのような、時代の変わり目を象徴している出来事のような気がするわけですが、この件についてもっとも興味深いのは、これを承けて裁判所がどういう座標軸の下で判断を下すのか、という点でしょう。

引用した記事によると、訴訟での焦点は、「重過失か否か」という、言葉だけ見れば非常に伝統的な法的紛争なのですが・・・「(重)過失」というのは、「ある種の対応をとる『べき』だったのに、それをしなかったこと」であり、この「あるべき行動」とはどのような行動であり、そこからどの程度逸脱すれば法的に責任が生じるのかという部分を画定しなければ、法的責任に線をひくことはできません。

下の関連エントリーであげたように、この問題については、かつてどのような制度設計をすべきだったのかについてローエコ的な観点から検討したことがあるのですが、私自身は証券市場の設計やそこでのリスク負担というのは、経済的分析、とりわけインセンティブ問題ということを相当詰めて考える必要があると感じています。

果たして、日本の裁判所はどの程度この問題に踏み込んだ判断をするのか?
あるいは、そもそも当事者はどういう方向で主張・立証を展開していくのか?

今後、一つの裁判の結果が制度設計的な部分にも影響を与える訴訟というのは増加していくのだと思うのですが、そうした訴訟に対して日本の司法制度がどう対応するのか・・・といっても、抽象的かも知れませんが、個人的には今後とも目が離せない訴訟になりそうです。


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医療法人の株式会社化雑考 (2)

前回は市場化と株式会社化は必ずしも一致しないということと、ガバナンスだけを考えるなら株式会社化が望ましい方向とは限らないという話をしてみました。

そうなると、問題は(a)「株式」という形態で資本市場にアクセスする必要性がどの程度あるのか、ということと、(b)「株式」による資本市場に対するアクセスを認めることによる副作用には何があるのか、ということになってきます。

この二つの問題を考えるにあたっては、医療、あるいは私が密かに念頭に置いている弁護士を含む士業が直面している財・サービス市場の特殊性を考えなくてはいけません。
そこで、「医療」というサービス市場の特殊性、もっと端的にいえば、「医療」を対象とする市場が通常の市場に比べて機能するのが難しい理由を考えてみましょう。

情報の非対称性?

おそらく、もっともよく指摘されるのは、情報の非対称性の問題でしょう。

つまり、医療には高度の専門性があるため、患者(買い手)は医者(売り手)の提供する医療(サービス)の質を正確に評価することができないというものです。
経済学的には、これは「レモン問題」と呼ばれて、よく知られている問題です。レモンというのは、中古車のことを指しますが、売り手は中古車のコンディションを知悉しているのに対して、買い手はその中古車に対して限られた情報しか持っていないという「情報の非対称性」がある場合に、市場取引がうまく機能しない、より具体的には、最低の品質の製品についてしか取引が成立しないという現象を指します。

医療に関する情報の非対称性の帰結も、原理は中古車と同じことになるわけです・・・が、読まれている方は、即座に「でも、中古車は現実に立派に市場が成立しているでしょ」と疑問を持たれるんじゃないでしょうか?


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医療法人の株式会社化雑考 (1)

通算すると小学生時代からのつき合いで、現在カリフォルニアでヘルス・コミュニケーションを研究しているtakaさんが病院経営への株式会社参入についてというエントリーの中で、医療法人の株式会社化に対する賛否について4つの立場をあげてコメントをされているんですが、その中で「一時的措置として必要か、企業の機能・効果に期待」路線ということで、次のように評しています。

(「一時的措置として必要か、企業の機能・効果に期待」路線は)知人・友人からの意見。企業が競争の激しい社会でしのぎを けずって蓄積した競争力を、医療という新しい領域で 発揮することができれば、質を担保しつつ負担を維持または 微増で抑える、ことができるかもしれない。 ガバナンスや企業倫理や社会貢献や経営手腕なんていう ことばが飛び交います。 Patient-Centerd healthcare患者中心医療という言葉よりも 顧客中心主義という言葉の方が早く出来た、という事実 をどう理解するか。

今まで余り競争が見られなかった分野に競争を持ち込めば効率が上がるという基本的な発想は、昨年の郵政民営化議論でも見られたんですが(これについては、関連エントリーであげた郵政民営化pro or conシリーズをご覧下さい)、 最近bunさんとコメント欄で議論したように、日本は『競争』ということに対して誤ったネガティブ・イメージを持っている一方で、こうした「民営化」に対すると素朴な信頼というのもよく見られます。

ただ、「市場」というのは決して完全ではなく、さまざなま「市場の失敗」が起こります。また、市場原理の導入によって既存のプレイヤーの誰もが効率化の恩恵を受けるということは実際にはあり得ません。
むしろ、「市場」が効率化を達成するプロセスというのは、非効率な者が淘汰されていく過程で結果として効率的な者が生き残るという生命の進化プロセスにも似た面があり、この「進化」のプロセスには当然一定の痛みが生じますし、その痛みは単にその業界に生きる者が甘受するだけではなく、一次的な過小供給状態の発生など社会的なコストもかかります。
(なお郵政民営化がいびつだと私が感じたのは、民営化後の会社が市場から退出を迫られる可能性や、迫られた場合の対処をどうするか、更にはユニバーサル・サービスと市場原理のコンフリクトの調整について十分に検討されていないと感じたからです。まあ、もう走り出してしまったので、今はお手並み拝見としか言いようがないわけですが)

現に市場が機能している分野とは違って、これから市場原理を導入しようという場合には、こうした面での影響のシュミレーションと、悪影響の低減のための方策の見当、そのコスト評価といった過程が必要です。
それでも残る不確実性(リスク)については、試行錯誤(trial & error)として踏み出さなくてはいけませんが、そうした基礎的な分析を欠いたまま前に進んでから考えるというのでは、結局、事後的な政策評価やフィードバックも不十分になってしまいます(この辺りが私が上限金利引下げに賛同できない理由ですが(苦笑))。(※)

前置きが長くなってしまいましたが、医療の株式会社化の問題は、弁護士も含めた士業一般の株式会社化と密接に関連する問題なので、私にとっても人ごとではありません。

ということで、医療法人の株式会社化に関して思いつくままに論点の洗い出しをしてみようというのが、本エントリーの趣旨です。


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Posted by 47th : | 13:34 | コメント (9) | トラックバック (0) | 関連エントリー (7) | Law & Economics

何故ライツ・プランは機能するのか( or機能しないのか) (2)

前回は、ライツ・プランというのは買収者が取得した株式の価値を希釈化させて、買収費用を高めるものであって、絶対的に買収を阻止する仕組みのものではないという話をした上で、この「追加費用」というのをどう考えるかが買収防衛策の機能的な面でのポイントだという前振りをしたわけです。

ホワイト・ナイトはM&Aを殺す?

と、直接にライツ・プランの機能を云々する前に、「支配権市場」という「市場」が成立することがどういうことか、次のような議論から始めてみましょう。

しばしば、買収対抗策の中でも「ホワイト・ナイト」を探すことは、より高い価格をつける買い手を探してくるものだから、株主利益に適った買収防衛策であるという話を耳にします。
つまり、1000円でTOBをかけられたときに、対象会社経営陣が1100円でTOBをかけてくれるホワイト・ナイトを捜してくることに成功すれば、株主は100円高い価格をもらうことができるので、株主利益に適っているという話です。

このストーリー自体は、いったん買収が起きてしまった後の状況を前提にすると、正しい話なのですが、「後からホワイト・ナイトを連れてくることができるという可能性」が買収者のインセンティブに与える影響を考えると、実は、株主にとっては必ずしも手放しで喜べる状況ではなかったりします(※)。

少しややこしい話になりますが、順をおって考えてみると、こういうことです。

まず、最初の買収者が株価が割安な企業を探して、その評価をするためには、それなりのコスト(探索費用)がかかります。もちろん、買収が成功すれば、この費用も回収できるわけですが、逆に言うと、買収が失敗に終わると、この費用というのは無駄になってしまうわけです。

ところで、「いい買収先」の探索には色々なやり方があるわけですが、一番、「楽」なやり方は何でしょう?

 


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Posted by 47th : | 09:57 | コメント (1) | トラックバック (0) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

何故ライツ・プランは機能するのか( or機能しないのか) (1)

日本ではお盆休みで、誰がどこを参拝したという話が話題になっているようですが、私にはその問題を論じる能力も気力もないので野次馬モード。
上限金利規制の話の続きも悪くないかなと思ったんですが、ちょっと目先を変えてtoshiさんのブログのコメント欄で話題になっていた買収防衛策の機能について簡単に整理してみようかなというところで。

ライツ・プランの効果:経済的価値の希釈化

「買収防衛策」というと、何だか買収を完全に阻止することができる万能のツールのような印象も与えるんですが、残念ながら?、あるいは、幸いにして?、アメリカで一般的なフリップ・イン型ライツ・プランをベースに日本に現在導入されている買収防衛策は、一応理念としては(※)、そういう絶対的なものにはなっていません。

ごくごく簡単に言ってしまうと、無断駐車を防ぐために空地に鉄条網を貼り巡らすのではなく、出入りは自由にできるけど、看板にでかでかと「無断駐車は壱萬円」と書かれているようなもんです。

今の日本のライツ・プランというのは、大体20%でトリガーされて、トリガーされると買収者以外の株主の持株数は2倍になるという感じになっているんですが、この仕組みをベースに買収防衛策を無視してTOBを行った場合に買収者がどれぐらいの「罰金」を課されるかというと・・・時価総額が1000億円、株式数が100で、(非現実的ですが)プレミアムなしのTOBを行ったと仮定すると、次のような感じになります。


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Posted by 47th : | 12:28 | コメント (2) | トラックバック (0) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

平等社会=上限金利引下げ?

学士会の会報というのは、律儀にNYまで送られてくるんですが、最近来た会報(2006-Ⅳ)を眺めていたら、金融庁の貸金業懇談会の吉野座長の「消費者金融を巡る環境変化と今後のノンバンク」と題する講演録が掲載されていたんですが、その中で上限金利規制について、こういう下りが。

高い金利に苦しむ借手を考えれば、29.2%という高い金利はなかなか返済できません。そこで、私が座長を務めさせていただいている「金融庁の貸金業に関する懇談会」では、29.2%という上限金利を引き下げることが望ましいという中間報告が今年4月にまとまりました。
フランスやイギリスなどでは、消費者金融の金利の上限規制はありません。ヨーロッパでの担当者の説明からは、リスクの高い人の金利が高くなるのは貸倒れリスクが高いためであり、市場で決まる金利で貸し出すべきであるという考え方です。その背景には、移民労働者のようなリスクの高い人には、金利が高くても仕方がないという見方があるように私には映りました。
しかし、日本の場合は平等社会であり、どのような借手でも、同じ上限規制のもとで借入を行えるようにすべきで、借手が返済できる金利の高さでなければならない、という中間報告になりました。

吉野座長はそもそも消費者金融の借手を、大きく分けて①「病気になったとか、急に勤め先が倒産したなどの理由で生活費が足りなくなり、消費者金融から借入、高い金利のために借金が雪だるまになり、返済ができずに多重債務に陥る人」、②「自分の財布の中身以上に浪費したり、ギャンブルなどにお金を注ぎ込んで、生活費に困り消費者金融から借入をする人」、③「例えば脱サラで新たに事業を始めようとしても銀行からは資金が借りられず、ノンバンクから事業資金を借入・・・事業が上手く軌道にのり、高い金利でも返済ができ、よい顧客と認定されると徐々に金利も下がり銀行借入も可能となる借手、短期に必要な資金を銀行から借りいれようとしても、審査などに時間がかかるため、短期の資金をノンバンクから借り入れる利用者」などに分類されるとした上で、①は生活扶助で対処すべき、②はノンバンクを利用していること自体が問題であって「本来、消費者金融に向かうべき人達ではない」という認識をされているようです。

この分類からは、必要なのは「事業者向け」の短期融資、あるいは、スタートアップ資金の融資
であって、そもそも「消費者」金融自体に存在意義はないと考えているようにも見えるところです。

そうした前提だとすると、消費者金融等のは、一種の社会保障の補完であって、上述の「日本の場合は平等社会であり、どのような借手でも、同じ上限規制のもとで借入を行えるようにすべき」というような考え方につながってくるとしても不思議はないのかも知れません・・・が、上限金利規制の引下げに反対する論者との間には、想像以上に深い溝があるということを図らずも感じさせる講演録でした。


Posted by 47th : | 12:34 | コメント (9) | トラックバック (0) | 関連エントリー (7) | Law & Economics

ポリゴン・ゲーム世代に別所、藤村?

私はIPの専門家ではないんですが、プロ野球ファン&ゲーマーとして何となく気になったのが、このニュース。

プロ野球選手の肖像、使用許諾権は球団側に 東京地裁(asahi.com)

ゲームソフトやカードでのプロ野球選手の氏名や写真の使用許諾を選手側ではなく球団側が行っていることの是非が争われた訴訟の判決が1日、東京地裁 であった。高部真規子裁判長は「許諾権限は球団側にある」と判断。権限が球団側にないことの確認を求めた選手側の請求を棄却した・・・
各球団と選手が結ぶ統一契約書では「球団が指示した写真撮影などに関する肖像権は球団に属し、球団が宣伝目的のため、いかなる方法でそ れらを利用しても異議を申し立てない」としている。選手側は「宣伝目的」は「広告宣伝目的」だけで、「商品化目的」は含まないと主張した。
判決は、統一契約書は51年に米大リーグを参考に作られ、「パブリシティー」(氏名や肖像が持つ経済的価値を独占的に支配する財産的権 利)を「宣伝」と訳した経緯や、それ以前にも別所毅彦選手(巨人)のブロマイドや、藤村富美男選手(阪神)らの氏名や肖像を使用した玩具などで球団などが 許諾していた事情を指摘。「契約書もそうした慣行をもとに制定されたと考えられる」と述べた。  そして「宣伝目的」について「広く球団、プロ野球の知名度向上に役立てる目的」と定義。カードやソフトでの利用はそれに合致し、球団が許諾権を持つと結論づけた。

ご存じない人のために少しだけ解説を加えると、プロ野球選手のブロマイドや最近のリアル系野球ゲームでは選手の画像というのが使われるわけですが、このときにブロマイドの販売会社やゲームメーカーは誰から許諾をもらえばいいのかというお話で、球団からライセンスを受ければいいのか、それとも選手なのかという話です。

既に判決全文も裁判所のHPで公開されているのですが、当事者目録などが入っているとはいえPDFで120頁・・・で、全部読むのはきついわけですが、何が気になったかといえば、新聞記事で述べられているような理由付けの仕方です。

私の印象になりますが、肖像権に関する権利の所在が深刻化してきたのは、 巨大産業となったテレビゲームの人気コンテンツの一つとしてリアル系野球ゲームが普及したことと、球団のブランドを離れて選手個人で顧客誘引力を持つイチローのような選手が現れて、選手の肖像権が大きな経済的価値を有するようになってからという気がするわけで・・・そうすると、早くても90年代半ば辺りではないでしょうか。

こういう新しい問題を解決しようとするときに、そもそもコンピュータ・ゲームどころかカラー・テレビすらなかった時代の統一契約書ドラフトの際の経緯や別所、藤村の話を持ち出すのに、皆さんは違和感を感じられないでしょうか?


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Posted by 47th : | 22:05 | コメント (4) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

日本代表における「組織」と「個」の不幸な関係

ワールドカップは、いよいよベスト4ですね。

個人的にはイタリアが順当に勝ち上がり、開催国ドイツとの決戦というのがたまりません。
デコの復帰したポルトガルとキレキレジダンを擁するフランスの対戦も中盤での攻防が楽しみ(但し、ゴール前ではイライラが募りそうな予感が・・・)。

とワールドカップは盛り上がっているんですが、個人的には、7月いっぱいは、てんぱった状態が続くので、ブログの更新も滞りがちになるかも知れません。予めお詫びを。

ところで、Vaboさんの教えてくれた日本戦終了後の川渕会長のインタビューについて、書こう書こうと思って放っておいたので、このまま旬を過ぎてしまう前に、ちょっとメモ程度に思ったことを。

例の「史上最大の失言」については、色々な方が至極真っ当なことを仰っていますし、うっかりにせよ意図的にせよ、ご本人たちは「しょうがない」とか「許される範囲」と思っているんでしょうから、何れ笑い話として語り継がれていくんでしょう。
ちなみに、上場企業、例えばソニーの取締役が次期CEOの名前をうっかり記者会見で口にしようものなら、会社から正式なプレス・リリースを発表するまで会見は打ち切り、選任過程や情報管理の妥当性についてコンプライアンスの観点から検討がなされ、失言をした取締役の責任問題・・・ということになるぐらい重大な話ですが、日本サッカー協会は上場もしていないし、意思決定は全て会長の胸先三寸で決まるんだから、問題にならないということなんでしょう。

上場会社と違うといえば、「試合内容そのものについての分析は、技術委員会が分析をしてリポートを出すので、私自身の感想はここでは控える」と言いながら、ジーコ・ジャパンの4年間の総括は展開するというのも不思議は不思議です。論理的に考えると、①ワールドカップという総決算の3試合は、ジーコ・ジャパンの評価には関係ないので技術委員会のレポートを待つ必要はないのか、②そもそも技術委員会のレポートはジーコ・ジャパンの評価には関係ないということなんでしょうか。
上場企業でいえば、新事業のプロジェクトが赤字であることは確実で、その要因の分析はまだだけど、プロジェクトは成功だったと会見で言うようなもんでしょうか?
まあ、何れにせよ、上場会社的なガバナンスの常識は通用しないんでしょうから、いいんでしょうねぇ。

・・・と、本論と関係ない愚痴が長くなりましたが、本論は川渕会長の次の発言部分について(下線は筆者)。

ジーコ監督は、選手自身が考えるサッカー、自分たちが試合の中で臨 機応変に対応する力をしっかり身に付けさせようとした。「自分たちは強い」と自信を植え付けさせる4年間だったと思う。選手自身が失敗を恐れずに思い切っ てトライする初めての大会だったが、残念ながら成果には表れなかった。われわれも当然分かっていたことだが、組織だけで勝ち切るのは限界があって、個の力 を高めた上での組織力が、(W杯を)勝ち抜くためには絶対に必要不可欠なものであると、明確な形で見せ付けられた大会だったと思う

ジーコ監督がやってきたことは、ネガティブ・シンキングではなくて、「君たちはやれるんだ」という自信を植え付けさせるポジティブ・シンキングだったと思 う。今後もその方向を変えてはならないと思うし、それがジーコ監督がこのチームに残していったものだと思う。選手がそれを理解し、実現するレベルまでは残 念ながらいかなかったが、この方向性をわれわれサッカー協会は重く受け止めて、新たなチーム作りをしていきたい。今度の日本代表監督も、そのことを理解 し、監督のやりたいサッカーではなく、選手自身が判断し思い切ってトライする人を選ぶために今、交渉をしている

さすがに後段の部分については、記者からつっこみが入って、次のように弁解しています。

「監督のしたいサッカー」でなく、「選手がしたいサッカー」と言う と表現が極端に聞こえるが、選手を重視する――やはり監督にも「チームのあり方」があるので、それを全部無視するわけじゃない。しかし、その時々で選手が ベンチ(監督)を見るのではなくて、いろいろな局面でも自分で判断できることが大事であって、選手たちが思い切ってトライし、自分の考えで難局を突破して いく、そういうものを植え付けてほしいという意味。監督の作りたいサッカーはなくていい、というわけではまったくない。ジーコも決してそうじゃない。「選 手自らが考えるんだ」ということを強調して表現しただけ。

と、この発言を見ていて、非常に不安になったのが、川渕会長に依然として残るトルシエ・アレルギーと、非常に根本的なところに存在する「組織」と「個」との関係に対する誤解です。


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Posted by 47th : | 11:02 | コメント (4) | トラックバック (1) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

制度設計論としての日銀総裁の運用規制

結果だけ見れば、イングランドとスウェーデンの順当勝ちなんでしょうが、どちらも見応えがありました。
ジョン・テリーの神業的サポートがなかったら、トリニダート=ドバゴ先制で試合の流れも変わっていたでしょうし、パラグアイもスピードのあるカウンターからいいミドルを何本も撃ってましたからねぇ。
もっとも、トリニダート=ドバゴに関していえば、まだ予選通過の一縷の望みは残っているわけですから、頑張って欲しい、けど、スウェーデンがここで消えるのも勿体ないんですが・・・いずれにせよ予選最終戦ではスリリングな同時進行が今から楽しみです。

と、最近は、ワールドカップネタで入るのが恒例になりつつありますが、日銀総裁の利益相反行為規制問題について、ちょっと。

まず、そもそも個別株も持っていたとか、そういう話も出てきているようですし、(個別株をどこまで禁止すべきかは議論があるとしても(後述))そういう意味では「脇が甘い」どころか、 デフェンスの意識すらなかったようですから、世間の非難を一身に浴びてしまっているのは仕方ないのかなとは、私も思います。
結局、アイドルに彼氏がいてはいけない・・・というのが古ければ、アイドルは飲酒喫煙してはならないという価値観を持っている人々をファン層に抱えているアイドルが、それを不用意にもスクープされれば、アイドル生命の危機に直面するのは自然の流れなんで、既に成人していたとか、法律には反していないとかそういうことは何ら問題ではないんでしょう。

なので、そうした価値観を持っている方々が総裁辞任を求めることに異を唱えるつもりはないんですが、その「価値観」をベースにルールを組み立てようとするのは、いかがなものかというのが、法律家から見た違和感の全てです。おそらく、bewaadさんが、珍しく田中(秀臣)先生を始めとした経済系の論客の方々と真っ向から対立しているのも、その辺りにあるのではないかと思う、今日このごろ。

今回の件が大きな話になったのは、普通に見れば、「それ」が村上Fだったからですが、それでは村上氏をバッシングしているマスコミ・検察の流れに乗ってしまっているので居心地が悪い・・・そこで、そもそも日銀総裁としての利益相反規制に反している、あるいは、現行ルールでは反していないとしても、本来規制されるべき行為であるという問題の立て方で議論をする・・・そのこと自体は、利益相反ルールの規制に関する議論として精緻に詰められるのであればいいのですが、その段になると、「たとえ村上F以外のファンドに対する出資であっても許されなかった」という結論に持っていくために相当無理な立論をされているというのが正直な印象です。

前回も書いたように、日銀総裁の職務というのは、およそあらゆる金融活動に影響を与えているので、全ての資産を現金化してタンス預金とした場合ですら「世間から些かなりとも疑念を抱かれること」はあり得ます。

そういう意味で、この規程は訓示以外の何者ではなく、これを規範として適用することには無理があります。(規範性を認めたとしても、福井総裁の行為が該当するかどうかに関する議論はbewaadさんが、いつものように精緻にやっておられますので、そちらをご覧頂くのがいいと思います)更に、「適用」の場面もさることながら「制度設計」の段階において、この服務規程が参照されて「疑念を抱かれるからファンドはだめ」といった議論をすることには、ほとんど何の意味もありません。
別の言い方をすれば、日銀が今回の一件に懲りて、この服務規程を削除したり、「世間から些かなりとも」を「諸般の状況に照らして著しく」に変更すれば論者の方々は納得するという話ではないのでしょうから、その意味でも日銀総裁の利益相反規制に関するあり方を考えるにあたって、この服務規程の「些かなりともの疑念」をベースに論じるべきではありません(※)。

従って、日銀総裁の利益相反規制問題を、きちんと論じるのであれば、問題とされるべき利益相反の内容は何で、どのような規制手段が望ましく、それを規制することのコストとベネフィットはどうなっているのかという点が論じられなければいけないわけですが、ファンドは勿論のこと、個別株に至ってすら、こうした基本的な論点についても分析は十分になされていないのではないでしょうか。

ちなみに、ちょっとFRBのHPを見てみたら、次のようなQAを発見しました。


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Posted by 47th : | 01:46 | コメント (4) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

レジ袋有料化関連フォローアップ

村上氏逮捕に関しては、色々と思うところもあるんですが、まあ、これ以上はブログで書いても詮ない話なんで、気分転換に別の話を。
前にふれたことがあるレジ袋有料化関連について、その後、フォローアップを怠っていたんですが、下の記事でふと思い出しました。

モスバーガー、ポリ袋全廃し紙袋に 7月から全店で(asahi.com)

モスバーガーなどを展開するモスフードサービスは1日、持ち帰り用に使っているポリ袋を、すべて紙袋に切り替えると発表した。7月には全国約1500のす べての店で実施する。05年度に約4478万6000枚使っていたポリ袋をなくすと、原油換算で年間約350キロリットルの節約につながるという。・・・
紙袋の1枚当たりの単価はポリ袋の10倍程度になるが、包み方の工夫で袋の使用量をポリ袋に比べて半分に減らし、経費を抑える。

会社のプレス・リリースはこちら。

これを見て思ったのは、法規制なんかしなくても、消費者側の環境に対する意識が高まれば、こういう環境への負荷を少なくする戦略を企業が一種のブランド戦略として実施していくはずなので、「法律で「義務」づけて、罰則を設ければいい」という発想には、やはりなじめないというのが一つ。

で、もう一つは、ただ翻ってみて、ポリ袋→紙袋、とか、「バイオマスプラスチック」というのは、本当に環境に優しいんだろうかという疑問が・・・ポリ袋→紙へのシフトは森林資源への影響とか、再生紙だとしても、その際に必要となるエネルギーとの比較も考えなくてはいけなさそうだし、バイオマスプラスチックも同じく、それに要するエネルギーによっては、化石燃料を節約した意味が乏しい場合もありそうな・・・

まあ、でもこういうことを考えていなさそうな企業よりは、好感を持てるのは確かなところで、個人的にモスは好きなんで、頑張って欲しいところです。

で、本題のレジ袋有料化関連のフォローアップの方としては、もう数か月前のことになりますが^^;、環境省の「今後の容器包装リサイクル制度の在り方について(意見具申)」でまとめられているようです。
レジ袋有料化に関連する部分は、以下のように書かれています。

レジ袋等について、これまでの小売業者の自主的な努力により達成された マイバッグ持参率の水準を更に向上させ、その使用量を大きく削減できるよう、小売店 における無料配布の抑制のための法的措置を講ずることにより、買物袋の持参を促進す ることが必要である。この措置の具体的な内容については、実効性の確保を旨としつつ、 法制的な観点も含め妥当な方策を検討すべきである。
これらの措置の対象としては、公平性の観点から、利用する業態としては、スーパー マーケットのほか、コンビニエンスストア、百貨店等も含めるとともに、袋の種類とし ては、いわゆるレジ袋だけでなく、同様の機能を有するプラスチック製又は紙製の手提 げ袋等も対象とすべきである。なお、具体的に対象を検討するに当たっては、それぞれ の小売業の業態や個々の袋等の機能について、十分に勘案することが必要である。

 で、これを受けて、今国会で「容器包装に係る分別収集及び再商品化の促進等に関する法律の一部を改正する法律案」が提出されているのですが、この中で「小売業等について、「事業者の判断の基準となる べき事項」を主務大臣が定めるとともに、一定量以 上の容器包装を利用する事業者に対し、取組状況の 報告を義務付け、取組が著しく不十分な場合は勧 告・公表・命令を行う措置を導入する」とありますので、この「勧告・公表・命令」措置を使ってレジ袋有料化を義務づけるということのようです。

よくも悪くも制度運用の柔軟性は確保されるようですので、この辺りは具体的な運用にあたってのお手並み拝見というところで、引き続き(また気づいたら)フォローしてみます。


Posted by 47th : | 01:19 | コメント (3) | トラックバック (3) | 関連エントリー (2) | Law & Economics

GSによるワールドカップ予想

ちょっと陰気な話が続いたので、マンキュー先生のブログ経由で知ったGS(Goldman Sachs)の発表した"The World Cup and Economics 2006"(pdfで結構重いのでご注意を)をご紹介。

マンキュー先生は、この中でFIFAランキングと一人当たりGDPとの間に相関が見られるという結果を真に受けて悩んでいますが、とりあえずFIFAランキングの信頼性とか、FIFAランキングとブックメーカー・オッズとの相関の弱さを疑った方がいいんじゃないかというヤボなツッコミは別として、ベッカムやサー・ファーガソンが選ぶベスト・イレブンとかいうほのぼのネタもあり、まあ結構楽しめるんではないかと思います。

日本チームの分析も32頁辺りにあるわけですが、一番の注目を集めるのはジーコのブラジル戦関係のコメントだろうというのが何とも・・・

ちなみに、GSによる優勝予想は、こんな感じです。

  1. ブラジル(12.4%)
  2. イングランド(8.4%)
  3. スペイン(8.3%)
  4. フランス(8.3%)
  5. オランダ(8.0%)

ちなみに、日本の優勝確率は・・・0.9%で韓国と同率、オーストラリアよりは高いというところで、今年、100回ワールドカップをやったら1回ぐらいは優勝できるというこの確率を高いとみるか低いと見るかは人それぞれではないかと思います。


Posted by 47th : | 12:30 | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

「発見的バイアス」(heuristic bias)にご注意を

昨日のエントリーでheuristic bias(「発見的バイアス」という訳になるんですかね?何かしっくりこないものがあるんですが)には注意しないといけないという話をした後で、何か具体例を出して説明した方がいいかなと思っていたんですが、丁度いいものが。(下線は引用者付加)

経財・金融相「デフレ、デフレと大騒ぎする状況でない」(NIKKEI NET)

与謝野馨経済財政・金融担当相は、30日午後の参院財政金融委員会で、景気の現状について、好調な企業業績などに触れ「デフレ、デフレと大騒ぎする状況ではない」との認識を示した。
現状については、「役所の定義ではまだデフレだが、私の生活実感とは違う」とするとともに、生鮮品や原油価格の上昇に触れ、「物価が下落していると感じている生活者はほとんどいない」と述べ、実質的にはデフレを脱しているとの認識をにじませた。

客観的な統計データよりも、「生活実感」が優先されてしまうということのようです・・・が、大臣と同じレベルの生活実感を持てる方は、国民の中でどれぐらいあるのかということが問題なわけです。
こういうときに「生活実感」に関する意見を聞いてみたいのは、タクシーの運転手さんです、が、これは何故かというと、一日中街中を走り回り人の動きに注目して、いろんな属性の乗車客の話を聞いているという意味で「生活実感」とはいっても、元になるデータベースの広さが違うわけです。
それでも、「地域」という限界はあるので、(多分)東京のタクシーの運転手さんに大阪の景気について聞いても信頼できる答えは返ってこないでしょうし、その逆も然りではないか、と。

ところで、物価上昇ということで言っているのが「生鮮食品」と「原油」・・・って、どちらも個別の財において供給が逼迫している財ですよね?
それは、マイカー通勤者にとっては原油価格が短期間で数十%あがったら、「生活実感」としてはインフレ状態ですけど・・・何だかなぁ・・・


Posted by 47th : | 10:11 | コメント (8) | トラックバック (0) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

上限金利規制の論拠を考える:借り手のバイアス(1)

前回までは、サプライ・サイドの議論として、「消費者金融市場は競争的ではないので、上限金利規制をすべし」という議論に対して、①複数の市場成立の可能性を考えると単一的な上限金利規制にはなじまないこと、と、②仮に大手消費者金融業者で構成される市場に独占的競争状態が存在しているとしても、そこをターゲットに金利規制を導入することは、競争的に機能している可能性のあるそれよりも高金利での貸出を行う中小金融業者によって構成される隣接市場を壊滅させてしまうという点において望ましくないという議論を展開しました。

というわけで、次の根拠としてはデマンド・サイドの議論に着目をしてみたいと思います。
つまり、「デマンド・サイド(消費者側)は、放っておけば「無謀な」借入を行うので、これに歯止めをかけてやる(ある価格以上では買えないようにしてしまう)必要がある」という議論に関するものです。

この議論について、私が用いる枠組みは「行動経済学と法」という分野において論じられているものですが、比較的新しい分野ということもあり、また、個々の論点の位置付けを踏まえないとミスリーディングな記述となってしまう可能性があるので、まず非常に大きな議論の見取り図を用意したいと思います。


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Posted by 47th : | 00:52 | トラックバック (1) | 関連エントリー (4) | Law & Economics

上限金利規制の論拠を考える:市場支配力(2)

消費者金融業界において業者側が市場支配力を有しているという場合に、まず最初の問題は、そもそも「市場」をどう画定するかという点です。

消費者金融市場のモザイク性

「市場」の切り分けの基準をどうするかは、それ自体深遠な問題ですので深入りは避けますが、大ざっぱにいえば、需要者(消費者)にとって合理的に切換が可能な範囲をまず見ることになります。
消費者金融の文脈でいえば、例えば、消費者金融会社が金利を上昇させた時に、消費者が銀行系無担保ローンに特段の支障なく切り替えられるのであれば、両者は同一の市場ということになりますし、そうではなく、消費者金融から借りている層は簡単には銀行系無担保ローンに乗り換えることができないということであれば、両者は異なる市場ということになります。

上の問い一つとっても、「イメージ」だけでは容易に答えの出ない問題であって、実際の消費者の行動や金利水準の変更に対する感応度を見ないと意味のある政策立案や司法判断は難しいということは分かるかと思いますが、思いつくだけでも、市場を決定する要素として、①顧客層のリスク関連属性、②人的・物的担保の有無、③融資目的制限の有無、④返済期間、⑤借入額といったものが思いつきます。
これに加えて、地理的な要素も無視できません。たとえ東京の貸金業者の金利が安いとしても、地方の消費者が東京の貸金業者にアクセスすることは、そもそも地方の消費者は東京の貸金業者の存在を知り得ないかも知れませんし、たとえ申込みができたとしても貸金業者の与信管理には地域的なノウハウがあるために借入を断ったり、金利に上乗せをするかも知れません。
他方で、全国展開している大手消費者金融については余り地域的な差はないかも知れません。

また、供給側の市場構造を眺めてみると、やはり一定の市場の分断が存在する可能性が示唆されます。

少なくとも、これまでのところは、①全国的に展開する大手消費者金融業者を中心としつつも、②大手消費者金融業者からの借入が不可能であったり、それでは不十分な層に対するクレジットを提供する地方を基盤とした多数の中小金融業者が存在し、③銀行と一定の取引を有する層に対しては都銀・地銀が無担保ローンを提供するという構造にあったように思われます。


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Posted by 47th : | 00:33 | コメント (9) | トラックバック (1) | 関連エントリー (4) | Law & Economics

金利上限議論への若干の補足:馬車馬さんへのお返事

金利上限規制論について、馬車馬さんから「利息制限法を巡るあれこれ」というTBを頂き、内容が興味深かったので、私もちょっとコメントして議論させて頂きました。

で、最後に馬車馬さんが議論を次のように総括されているのですが、若干、私の感じていることとは違うところもあります。(以下、このエントリーで私がコメントしておきたい関心とは直接に関連しない部分は省略していますし、これまでの流れがあるので、そちらも是非ご覧頂きたいのですが、とりあえずこのブログだけご覧になっている方の便宜のためということで)

47thさんやnight in tunisiaさんが依拠しておられるモデルの(私にとっての)最大の問題点は、モデルに取立行動のメカニズムが全く存在していない点にあるように思います。そもそも、今回の議論の根幹には(私の勘違いでなければ)貸金業者による過剰な取立の問題があり、それに対して47thさんは金利規制より取立規制(事後規制・手段規制)で対処すべき、と主張されています。
であるなら、「そもそもなぜ(過剰な)取立が発生し、それがどのように経済に(welfareに)影響を及ぼしているか」がモデルの中に組み込まれていないのは問題ではないでしょうか。最初の方で頂いたコメントで「取立規制は厚生損失を伴わないので望ましい」とおっしゃられましたが、モデルに取立が含まれていないのですからそうなるのは当然です(逆に、取立が更に苛烈になったところで一切厚生損失はないわけです)。つまり、「厚生損失を伴わない」というのはモデルから得られる結論ではなく、単にあらかじめそう仮定しました、と宣言しているに過ぎないのです。
ちなみに、私のモデル(というほど大層なものでは有りませんが)にも問題があります。・・・つまり、私のモデルでは「なぜ簀巻きで東京湾がいけないか」は説明できません。とにかくそれはまずいよね、という価値観さえ共有できていれば、私のモデルは機能します。一方で、取立がそもそも存在しないモデルでは、「取立はただの借り手いじめであり、そうすべき理由もなければ、それによる貸し手借り手の行動に対する影響も無視できるほど小さい」という理解を共有せねばなりません。

まず、最初に細かいところで恐縮なんですが、本人的には「取立規制は厚生損失を伴わないので望ましい」と言ったつもりはなく、次のように申し上げただけです。

一律事前規制は返済可能な人に対するクレジット・アクセスも閉ざしてしまうい不可避的に厚生損失を伴う点で、事後規制や手段規制に劣るというところにあります。

(タイポ発見(汗)・・・まあ、それはともかく)紛らわしい書き方かも知れませんが、このコメントは、論理的には一律事後規制以外の規制が厚生損失を伴うかどうかは何も言っていないわけで・・・私のインプリケーションは「少なくとも一律事後規制よりは手段規制の方が厚生損失発生の可能性と規模は(遙かに)少ない」という程度で、流石の私でも「取立規制は厚生損失は生じない」なんて大胆な主張はいたしません。はい。

まあ、言葉のあやといえば言葉のあやなんですが、やっぱり全く非現実的な仮定を置いて議論しているかのように言われてしまうの気になるので、一応・・・ただ、私が、厚生損失という点において、取立規制の方が価格規制よりも望ましいと考えていることは全く否定するつもりはありません。

その上で、馬車馬さんは、「簀巻きで東京湾はまずいよね」という価値観さえ共有できれば、ご自身のモデルは機能すると仰いますが、その価値観が共有されても、なぜ「取立規制」よりも「価格規制」が望ましいということは導かれないんじゃないでしょうか?
「簀巻きで東京湾はまずいから取立規制を強化しよう」という議論も、同じ程度には成り立ちますよね。

むしろ、馬車馬さんとの立ち位置の違いは、やっぱり、規制手法として「取立規制」と「価格規制」のどちらが望ましいと考えるのか、というところに集約されてしまうんではないでしょうか。

馬車馬さんは、「取立規制強化」と「価格規制」は同視できると仰るのですが、やはり私なんかにとっては、この政策選択の問題こそが本質的なところがあって、今回の流れが「価格規制」でなければ、それほど強く反対する理由はなかったように思います。 

この辺りについては、おそらく、bewaadさんの次回のリジョインダーで語られると思いますので、ここでは深入りを避けますが、私自身も、今同時並行でやっているデマンド・サイドの議論の中でも価格規制のようなStrong Paternalismを忌避するのには十分な理由があることは触れる予定です。

最後に、過剰取立の要因については、若干中途半端に終わっているのですが、私自身も既に考えたことがありますので、ご参照いただければ幸いです。

ただ、これらは「何らかの規制が必要か?」という問いにはつながりますが、政策選択として価格規制が望ましいということをサポートするものではないというのが私の考えです。

最後に、色々と申し上げましたが、馬車馬さんには、私の長いコメントにもいやな素振りも見せずに丁寧な返事を頂き、おかげで私自身の考えや立ち位置を確認する上でも非常に役立ちました。上限金利関係は、(何故か)このブログのメイン・トピックの一つになりつつあるので、これに懲りずに今後ともたまにおつきあい頂ければ幸いです。


Posted by 47th : | 01:34 | コメント (2) | トラックバック (1) | 関連エントリー (2) | Law & Economics

上限金利規制の論拠を考える:市場支配力(1)

さて、テスト期間中放置していた上限金利規制絡みのお話ですが、ぼちぼちと再開してみましょう。

まず最初にボトム・ラインの確認ですが、「上限金利規制に反対する」ということは、「消費者金融業者の活動を放任する」ということとは全く異なります。例えば、過剰取立規制を強めることや、事前説明・書面交付を義務づけること、あるいは、広告宣伝活動の規制については、(多分)後で述べるような理由に基づいて十分な合理性があると思っています。

こうした手段規制については経済学的な発想をする人の中でも意見は十分に分かれ得ると思いますが、「金利規制」という「価格規制」になると、経済学的な発想をする人のほとんどは反対するのではないかと思います。

「価格規制」がそんなに悪いのかという点について疑問を持たれる方は、まずはつれ数さんのこのエントリーを読んで復習をしておきましょう。その上で、消費者金融業者の提供する金利には、①調達金利部分、②(真の)貸出リスク・プレミアム、③金融仲介サービス部分の3つの構成要素があり、企業金融と違って、消費者金融においては、情報の非対称性、貸出ロットの少なさ、貸出期間の短さから③の部分が重要になっているという点については、「貸金業者が売っているものは何なのか?」辺りをご覧頂きましょう。

こうした辺りを一応理解した上で、なお取立規制や貸出手段規制ではなく上限金利規制を支持するとすれば、その主張は次の二つに集約されるのではないかという気がしています。

  • サプライ・サイド(消費者金融各社)は「暴利」を貪っているので、上限金利(価格)規制が必要である。
  • デマンド・サイド(消費者側)は、放っておけば「無謀な」借入を行うので、これに歯止めをかけてやる(ある価格以上では買えないようにしてしまう)必要がある。

あくまで経済学の基本的なロジックを押さえた上で、それに適切な批判がなされるのであれば、こうした議論は有益なものとなり得るわけです。
そもそも、私が一連のエントリーを立てた趣旨は、ア・プリ・オリに消費者金融の「現状」を擁護するためではありません。
これらのエントリーは、一つの頭の体操として、「望ましい法政策パッケージに至るために考えなくてはいけない要素とは何か?」ということを考えるためのものですので、教科書的な市場規律が働いているのかどうか?、働いていないとすれば、どのような法政策が用いられるべきか?という疑問は当然にわき出てくるものです。

・・・というわけで、まず、サプライ・サイドの問題から検討を始めてみましょう。


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Posted by 47th : | 00:03 | コメント (2) | トラックバック (1) | 関連エントリー (15) | Law & Economics

SEC不要論

薬物規制撤廃を訴えるLibertarian EconomistのJefferey Mironが、今度はSEC(証券取引委員会)不要論を訴えています。

A better approach to reducing corporate malfeasance is a combination of two policy changes: repealing the corporate income tax and eliminating the Securities and Exchange Commission.

Repealing the corporate income tax would make corporate accounting far more transparent since most complications arise from (legal) tax avoidance behavior.

Eliminating the SEC would make investors bear full responsibility for monitoring corporate behavior. This occurs to a substantial degree already, since the SEC cannot effectively monitor all the firms subjects to its regulations. But eliminating the SEC would spur additional private monitoring and strenghten investor incentives to engage in due diligence.

要するにSECをなくすことによって、投資家はよりリスクに対して敏感になって、もっとちゃんと監視やデュー・ディリジェンスをやるので、問題はなくなると。

これには後日談があって、マンキュー先生が、「まあ、それを言ったら警察も要らなくなるやね」とちくりとやったら、かなり大まじめに、「いや、普通の犯罪と違って、証券犯罪の場合、投資家は自ら契約関係に入っているという点で決定的に違う」と言い返していたりします。

本気で賛成するかどうかはともかくとして思考実験としては、こういう議論は面白いところです。

Mironの主張は、単に刑事訴追を不要と言っているのか、それとも開示の程度・内容も投資家と会社の私的自治に委ねる(=法定開示制度を撤廃する)というところまで主張するのか、今ひとつ分からないところがあるんですが、Mironの元記事はSOX404自体が過剰規制じゃないかという主張から始まっているので、単に非犯罪化(decriminarization)というに留まらず、そもそもSECが規則を制定する必要はない、つまり法定開示制度は不必要という方向まで行き着くんでしょうね。

そうすると普通の犯罪とのアナロジーでいけば、何を犯罪とするかについても、私人間の契約で定めるのが望ましいということになるわけですが・・・皆さんは、どう思います?


Posted by 47th : | 00:38 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

BLE:試験中

今日の昼ぐらいから24時間リミットのBehavioral Law & EconomicsのTake Home Exam(持ち帰り試験)をやってます。しかし、何か体調が悪くて、最初は今日も花粉症がひどいと思っていたんですが、どうも微熱もあって風邪のよう・・・せっかく、この冬は一度もダウンせずに乗り切ったのに、こんなところで出るとは、と、日頃の行いの悪さを痛感しつつ、アメリカの強力な市販薬で何とか抑えながら問題と格闘中。

全部で9問のところ、回答の骨子は作成終了。具体的なドラフトに落とすところまで、今晩中に済ませて、明日の午前中、見直しという段取りの予定ですが、ご興味のある方向けに過去問からピックアップ。(これからダウンロードする人もいるはずなんで、さすがに今回の問題のネタバレはまだやめておきます。)


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Posted by 47th : | 21:36 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

樋口=坂野ペーパーのテクニカル面での?

(追記あり) 

bewaadさんが「グレーゾーン金利に関する見方について・中編:まさくにさんへのリジョインダー」という記事で、早稲田大学消費者金融サービス研究所の樋口大輔=坂野友昭「消費者金融顧客の自己破産ーその特徴と原因ー 」(pdf)について検討されています。

私も、この樋口=坂野ペーパーでやっているロジスティック回帰分析は気になっていて、以下の結論部分については、それなりに説得的だと思っているんですが、細かいところでは気になるところがちょこちょこあります。

本研究では、主要な関心を、①新規時における与信者による無理な貸付け、②貸付実行 後における与信者による追加的貸付け、③貸付実行後におけるライフイベントの発生とい う3 つの観点に据えて自己破産の原因を分析してきた。これまでに展開してきた分析の結 果は、自己破産の発生を説明する要因の中で最も発生原因を説明しうるのは、減収という ライフイベントであるということを示している。債務件数および額の増加という要因は確 かに無関係ではないが、説明力は限定的である。(p.22)

テストが終わってからゆっくりと、とも思っていたんですが、bewaadさんの尻馬にのって、テクニカルなところで気になっているところを少しメモしておきます。


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Posted by 47th : | 01:00 | コメント (19) | トラックバック (1) | 関連エントリー (2) | Law & Economics

次の宿題?・・・規制薬物の合法化

消費者金融の上限規制、臓器売買とやっているうちに、既につれ数(night_in_tunisia)さんとTaejunさんがとりあげられていますが、マンキュー先生のブログで規制薬物の合法化のお話が出ています。

これまた、色々な論点がテンコ盛りな訳ですが、まずは無責任に情報を垂れ流して、問題提起だけ。

DRUG WAR CRIMESの作者J.A. Mironはブログもやっていて、そこにも関連記事が(ちなみに臓器売買とかEasterlyの本関係も発見)

しかし、このMironというのは、凄いリベラリストですね。
The Ten Worst Gorvenment Policyの1位がDrug Prohibitionで、2位がMedicare、3位がAntitrust Policyって・・・いや、ここまで来るとある意味立派かも知れませんが、その意気込みの割りにはAntitrust批判は、何かピントが外れている感じなのがイタイ。更には、外部性に基づく政府介入にも批判的で、要するに彼が望んでいるのは完全なレッセ・フェールということのような気が・・・

まあ、Mironの主張の行きすぎはひとまず措いておくとしても、規制薬物解禁論は経済学的に考えて、消費者金融の上限金利や臓器売買とどこが違うのか考えてみるのは、頭の体操として非常にいいのではないかという気がします。

なお、今のところの私のJUST印象は、マリファナ→△、ヘロイン、コカイン→×です。
この区別がどこから来るかについては、一応経済学的に説明付けられる理由がないわけではありません(そんなに確信があるわけではありませんが)。

上限金利規制と臓器売買で経済学と法規制との関係に興味を持たれた方は、是非、考えてみてください。
とりあえず、私の考えているキーワードは外部性と社会規範です。

では。 


Posted by 47th : | 15:10 | コメント (7) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

Beckerが語る臓器移植論 (3・完)

(1) (2)とBeckerの臓器市場解禁論の根拠を見てきました。

仮に、臓器の「効率的な分配」を目標とするのであれば、臓器市場解禁論は非常に強力なように思えます。

簡単にまとめてみると・・・臓器売買が禁じられている現状においては、まず、(A)需要に対して絶対的な供給が少ないことから、(A1)臓器移植を受ければ助かったにもかかわらず、臓器移植が受けられずに死亡する人々がいる、あるいは、(A2)正規の臓器提供を待てない人々を相手とした闇市場が発展する(需要超過、価格情報がオープンではない等により闇市場の超過利潤は極めて高くなるので、闇市場参入のインセンティブが余計高まっているわけです)。
また、(B)ただでさえ過小供給の臓器について、適切な資源配分メカニズムが存在していないため、貴重な提供臓器の配分が効率的になされていない可能性があります。

これに対して、臓器売買市場が解禁されれば、(A')供給の増加によって、(A'1)臓器移植を受けられずに死亡する人々が減少する、更に、(A2')超過需要が減少するため闇市場への需要が縮小する(経済学的には、この因果関係はかなりrobustだと思うのですが、もし違っていたら教えてください)。
更に、(B')臓器の配分は価格シグナルを通じて行われるため、臓器移植により高い価値を認める人から臓器が提供されていくことが予想されます。(但し、これは初期の財産状態に依存する部分もあり、また、子供や老人よりも期待獲得収入の高い(ある程度の技能や地位を有した)人々に優先的に臓器が配分される結果となるので、素朴な公平感に合致することは保証されません)

以上からすると、臓器移植において生体とのマッチングが重要だとすると、売買される財は均一ではなく、少しずつ差別化されていることになりますので、そうした少しずつ差別化された財に関して効率的な取引を達成するための市場設計を工夫する必要はあるような気はしますが、「臓器の効率的な分配」を考えた場合に、「市場メカニズム」の導入は相当に説得的ではないかというのが私の意見です。

ただし、本当の悩みは「臓器の効率的な分配」を政策目標として据えていいのかという部分です。


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Posted by 47th : | 01:24 | コメント (4) | トラックバック (3) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

Beckerが語る臓器移植論 (2)

前回はBeckerが、移植臓器の需要超過状態に対して市場メカニズムで対処することを提案しつつも、それに対する強い批判を予想しているという話をしました。そこで、予想される批判とそれに対するBeckerの反論を見てみましょう。

臓器に値段をつけることは利他主義に基づく臓器提供者を少なくしてしまい、結果として提供される臓器数は少なくなってしまうのではないか?

→ 潜在的に移植に利用可能な臓器のうち、ほんの僅かしか用いられていないことからすれば、そのようなシナリオの実現可能性は極めて低い。

(That scenario, however, is extremely unlikely since presently only a small fraction of potentially useable organs are available for transplants. Compensating persons either for allowing their organs to be used after their death, or for kidneys and livers to be used while they are alive, would enormously widen the scope of the potential organ market.)

臓器の売り手の中心は貧しい人々であり、結局、貧しい人々から金持ちに対して臓器を売るように仕向けられてしまうのではないか?

→ 貧しい人々が、同意の上で、臓器を売却し、それが遺族に遺産として渡ることに反対する理由はない。生体移植に対しては、より強い批判が考えられるが、それで貧しい人々からその選択の余地を奪ってしまうことが、貧しい人々の状況をよくするわけではない。もし、本人がそう望むのであれば、臓器を売却することで貧困にあえぐ人々の暮らしはよくなるのではないか。
また、中流の人々でも、その対価が自分の家族にわたるのであれば、自らが死亡した後で臓器が売却されることを望む人は出てくるかも知れない。従って、実際に臓器提供者は貧しい人々ばかりになるかはなかなか予測できない。

(It is hard to see any reasons to complain if organs of poor persons were sold with their permission after they died, and the proceeds went as bequests to their parents or children. The complaints would be louder if, for example, mainly poor persons sold one of their kidneys for live kidney transplants, but why would poor donors be better off if this option were taken away from them? If so desired, a quota could be placed on the fraction of organs that could be supplied by persons with incomes below a certain level, but would that improve the welfare of poor persons?
Moreover, it is far from certain that a dominant fraction of the organs would come from the poor in a free market. Many of the organs used for live liver or kidney transplants are still likely to be supplied by relatives. In addition, many middle class persons would be willing to have their organs sold after they died if the proceeds went to children, parents, and other relatives.)


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Posted by 47th : | 22:05 | コメント (2) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

Beckerが語る臓器移植論 (1)

このブログにも時々コメントを下さるさなえさんのところを経由して5号館のつぶやきさんの「移植臓器の売買はどうしていけないのか」と「臓器移植というパンドラの箱」というエントリーを拝見。

この問題は複雑すぎるんで深入りする気は全然なく、数か月前にBeckerとPosnerが、この話題を採りあげたときにも、一瞬紹介しようかと思ってやめておいたんですよね。ただ、最近消費者金融の制限金利問題についてローエコ的な発想をすると、「何寝ぼけたこと言うてんや、おまえは」という反応をされることもあるんですが(洒落ですよしゃれ)、世の中には、私の比なんかではないもっと凄い発想をする人がいるということを示すために、昨日紹介したFreakonomics日本版のついでに、Beckerによる「Should the Purchase and Sale of Organs for Transplant Surgery be Permitted?」(移植用の臓器の売買は解禁されるべきか?)を簡単にご紹介しようかと思います。(それにしても、よく見ると、このエントリーは今年の元旦じゃないですか・・・Beckerの気合いを感じますね)

ちなみに、Beckerって誰?っていう方のために簡単に紹介しますと、シカゴ大学の経済学の教授・・・そういわゆるシカゴ学派の代表的経済学者で、犯罪とか家族関係とか従来市場が成立しないと思われていたところにまで経済学を適用してしまうという恐るべきお方で、その経済学の版図拡大の功績が認められて1992年にはノーベル経済学賞を受賞しています。(もっと詳しいプロフィールはこちら(英語)を)

そんなBeckerのスタート地点が、現実に起きている現象を「需給のアンバランス」という観点から見つめることは、ある意味自然なことです。

There were about 50,000 persons on the waiting list for kidney transplants in the United States in the year 2000, but only about 15,000 kidney transplant operations were performed....In 2000, almost 3000 persons died while waiting for a kidney transplant...
If altruism were sufficiently powerful, the supply of organs would be large enough to satisfy demand, and there would be no need to change the present system. But this is not the case in any country that does a significant number of transplants.

(米国では西暦2000年の時点で腎臓移植のウエイティング・リストに約5万人が登録していた。しかし、わずかに15000件の腎臓移植手術がなされたのみである。・・・2000年には、ほとんど3000人の人々が腎臓移植を待っているうちに亡くなった。
仮に利他主義が十分に力強いものであるならば、臓器の移植は需要を満たすのに十分存在するであろうし、現在のシステムを変える必要もないであろう。しかし、臓器移植を相当な数行っている国の何れにおいても、これは当てはまっていない。)

Beckerは、経済学の観点から、この状況の原因と対策を次のようにまとめています。


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Posted by 47th : | 00:26 | コメント (3) | トラックバック (4) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

Freakonomics = ヤバい経済学

前に原書の方を少し紹介したことのあるFREAKONOMICSが、「ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する」というタイトルで邦訳されたようです。
 

非合理なはずの世の中の、更に非合理なはずの部分が、意外なほどに経済学的な手法や発想で説明されるんだ、へぇという醍醐味を味わえる(はずの)佳作ですので、未見の方はGW中に是非どうぞ^^(・・・ただ、ヤバい経済学とは・・・邦題の評価は分かれそうなところですね。)


FREAKONOMICS.bmp


Posted by 47th : | 11:45 | コメント (4) | トラックバック (3) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

格差社会とベル・カーブ

(4/27 追記あり) 

数日前にThe Becker-Posener BlogBecker(と一応Posner)が、所得格差の拡大は全然悪いことじゃない!・・・と、言い切ったときには、さすが筋金入りのシカゴは違う、と感心、というか受けていたわけです。

Beckerの主張のエッセンスは、要は現在の所得格差の拡大は、学歴による格差、特に大学卒業者とそうでない層との所得格差の拡大にあり、それ自体は教育という人的資源への投資が高いリターンを生み出しているということであり、それによってアメリカ経済は全体として成長しているのだから問題はないんだというものです。

これ自体はデータとその解釈の問題というところもあるので、まあ前提となるデータが正しいのであれば、という留保付で一つの見方だし、いかにもBeckerらしいということでにやにやしていたんですが、最後のまとめ的なところで、何かしっくりこないものを感じていました。

Why have not more high school graduates gone on for college education when the benefits are so apparent? And why did the fraction of American youth who drop out of high school, especially African American and Hispanic males, remain quite constant at about 25 per cent of all high school students?

The answer to both questions lies partly in the breakdown of the American family, and the resulting low skill levels acquired by children in broken families. Cognitive skills tend to get developed at very early ages, while my colleague, James Heckman, has shown that non-cognitive skills, such as study habits, getting to appointments on time, and attitudes toward work, get fixed at later, although still relatively young, ages. High school dropouts certainly appear to be seriously deficient in the non-cognitive skills that would enable them to take advantage of the higher rates of return to greater investments in education and other human capital.

So instead of lamenting the increased earnings gap by education, attention should focus on how to raise the fraction of American youth who complete high school, and then go on for a college education. These pose tough challenges since the solutions are not cheap or easy. But it would be a disaster if the focus were on the earnings inequality itself. For that would lead to attempts to raise taxes and other penalties on higher earnings due to greater skills, which could greatly reduce the productivity of the world's leading economy by discouraging investments in human capital.

要はBeckerは所得の再分配なんて考えるのであれば、大学進学率を上げた方がいいと言っているわけです。
こうなると、開発の場面でもしばしば出てくる、卵が先か鶏が先かみたいな議論で、家庭が貧しいからその過程における教育の優先づけが低くなるー教育を行うことが将来的には有利でも、家庭の予算制約のために子供に高等教育を受けさせることが困難という事態が生じる(ちなみに、これは消費者金融でも問題となった時点選好の制約の問題で、この場合に貸付けを受けられれば、将来のより大きな収益をとることができることになるわけです。余談ですけど)・・・という話になってくるので、前段のBeckerの分析が仮に正しくても、後段の政策的インプリケーションの導出は、ちょっと短絡的と言わざるを得ないように思います。

・・・と、それだけなら、それはそれで、まあいいわけですが、途中のHeckmanの研究やらを引っ張り出して、認知的スキルは小さい頃じゃないとだめだとかいう辺りは、結局何を言いたかったんだろうというのが、もやもやしていたんですが、マンキュー先生のブログの今日の記事(On Just Deserts)で同じ類のもやもやが。

Behavioral geneticists tell us that a large fraction of the variation in life’s outcomes (50 percent or more) can be explained by the genes you have when you are born. Suppose that one day we could identify the high-IQ gene, the attractive symmetrical face gene, the tall gene, and so on. Optimal tax theory says that we should levy special taxes on the lucky people with those genes. After all, you don’t deserve the fruits of those genes.

適正な課税形態の話に絡めた話ですが、ここにある生まれつきのIQが社会における成功を規定するという辺りの発想というのは、意外なほど根強くアメリカのトップエコノミストに受け容れられているんじゃないかという気がしたわけです。(ちなみに、マンキュー先生自身は、その直後で本当にどうかは分からないけどとお茶を濁していますが、積極的に否定しているわけでもありません)

まあ、私も積極的にどうのこうのという程でもないんですが、法律家として、この手の話にはもやもや感が残るということで、とりあえずは、このもやもや感を忘れないようにということで。

(ちなみに、マンキュー先生のブログと言えばMicro versus Macroも面白かったですね。最近すっかりお気に入りです)

(4/27 追記)

今日のマンキュー先生のブログでも、所得の高低は遺伝的要素が大きいという話がされています。

Sacerdote suggests that income is like height. Having a tall father means you are likely to be tall, but it is because he has given you the tall gene, not because he has created an environment that fosters height. The same appears to be true for income. Sacerdote's Table 3 shows that although there is a positive correlation between the incomes of parents and their biological children, the positive correlation disappears when we examine the incomes of parents and their randomly-assigned adopted children.

貧乏お父さんの子供が金持ちお父さんにもらわれていっても、金持ちにはなれないというのは面白い話ですが、私の関心からいうと、金持ちお父さんの子供が貧乏お父さんの養子となった場合にどうなるのか、貧乏に遺伝的な要素はどの程度占めるのかという話の方が興味があります。

また、この研究結果を受け容れた場合の政策的な対応に関するマンキュー先生のお考えもうかがいたいところです。以上、とりあえずメモの延長ということで。


Posted by 47th : | 15:56 | コメント (3) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

開発におけるPrivate Normsの可能性と限界 (3)

前回までのエントリー

製品市場による規律の限界と制度設計へのインプリケーション

とりあえず私が文献を渉猟した範囲なんですが、製品市場による規律メカニズムについては、後述の認証制度における集合行為問題の解消を除いては経済学的なモデルを使って分析したものは見かけませんでした(もしご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけると大変に助かります)。

余りにも自明だからということかも知れませんが、念のために確認しておきましょう。

基本的な発想は、例えば「途上国での生産活動において労働条件に関する一定の規範を守る」ということが、一種のブランドと同じ効果を持っており、「規範を守る」ということによって、より高い価格で製品を販売できるというものです。本格的にモデルをつくろうとすると、元々の製品の市場へのフィードバックも考慮しないといけないのですが、ひとまず、「規範を守る」ということによるメリットは、本体の製品自体の価値に比べれば十分に小さく、短期的には本体製品の競争条件(各生産者による製品自体の生産量)には影響を与えないということにしましょう。更に、単純化のために、「規範を守ること」を本体とは異なる独立した財Xとして扱い、本来の製品の生産者が十分に低い投資で市場に参入退出できる状況を仮定します。

ここで、製品1単位辺りのXの価格(p)は供給量(y)と消費者のXへの選好の強さ(u)に依存するものとします。
Xの生産、つまり規範を遵守することによる限界費用を一定(C)とすると、ある企業が規範を守るかどうかは、pCの大小関係に依存し、p>Cであれば、企業は自発的に規範を遵守することになります。

ある意味当たり前のことですが、①製品市場における規律が有効かどうかは、規律を守ることに対する消費者の評価の高さとそのためのコストの大小によって定まり、②価格は供給量に対する減少関数で与えられるので、多くの企業がこの規範に従うにつれその価値は下がり、一般にはp*=C*となる生産量y*で釣り合うことになります。
(②については解釈が難しく、規範に従うかどうかは、本体の製品自体の競争条件に全く影響を与えないとすれば、全ての製造者が規範に従うとは限らないことを意味します。この場合に、各企業が純粋戦略だけしかとれないとすると、誰も規範に従わないという選択肢が均衡として成立する可能性もあるわけですが・・・実際には、何らかのフィードバックがあると考えられることと、混合戦略的な対応(工場の一部についてのみ規範を遵守するとか?)もあり得ることからすれば、今回はこれ以上詰めて検討するのはやめておきます)

これだけなら何ということのほどもありませんが、少しモデルを拡張して、製品市場が分断されている状況を考えてみます。典型的には、アパレルメーカーが中国の工場で製品したスニーカーが、日本やアメリカなど複数の地域に出荷されている状態です。このとき、コストは出荷先によらず一定(C)ですが、選好の強さが市場によって異なるとすると・・・長期的にみて、本体製品の生産条件にも影響を及ぼすとすれば、(規範に従わない、市場による選好の弱い市場への出荷を増やす)(規範に従う、市場による選好の強い市場への出荷を増やす)という分化が進む可能性があります。この場合、途上国における規範遵守による効果は、選好の弱い市場の存在によって希釈化されることになります。実際には、規範の内容によっては、例えば労働基準の場合、途上国内部での賃金相場の上昇という形で明示に規範を採用しなかった企業に対するスピル・オーバー効果が生じる可能性もあるので、必ずしも希釈化がそのまま起きるわけではありませんが、単独市場による規律付けは必ずしも十分な効果を持ち得ない可能性があるという点は心に留めてもいいように思われます。


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Posted by 47th : | 00:27 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

アイルライドの学生、マンキュー先生にネタを投じるの巻

人のブログ読んでる間があれば勉強しろ、ってな話ですが、マンキュー先生の今日の記事・・・っていうか、アイルランドの学生がマンキュー先生に送ったメールがツボにはまったので、ご紹介。

ツボその1

I put the question 'why is ireland rich and africa poor?' to many of my friends recently, who study law, science and even business (but not economics), and their response was depressing. The main answer was that Africa was 'dominated by western multinational companies', with variations on it being that ireland stole goods from the third world or conducted 'unfair' trading practices, to the alarming 'ireland is rich because it has a minimum wage'
(ぼくは、最近友達で法律とか科学とか、なかにはビジネスとか経済学以外の勉強をしている奴らに「どうしてアイルランドは裕福でアフリカは貧乏なんだと思う?」と聞いてみました。主な答えは、アフリカは「西洋の多国籍企業に支配されていた」からというもので、そのバリエーションとしてはアイルランドは第三世界から財産をかすめ取っているとか、「不公正な」貿易慣行をやっているからとか、なかには「アイルランドが裕福なのは最低賃金制度があるからだ」なんて言うんですよ)

友達の答えもなかなか味があるんですが、この質問で経済リテラシーを試そうとするその度胸に座布団一枚・・・っていうか、これに「正解」を与えることができたら、ノーベル経済学賞か平和賞もんですよ。

ツボその2

Think about it, in the time it has taken to read this email (if you have, of course) you could be writing a popular economics book, each extra minute costs you money. What are you waiting for? You would not only make a lot of money, but you would do the world a favour. The positive externalities resulting from its publication, showing people how the world really works, or, as Harford puts it showing 'why poor countries are poor' would be enormous. Write write write!
(考えてみてくださいよ!このメールを読む時間があったら(もちろんあったらですけど)[訳者注:アイルランド人にも一人つっこみの文化があると思われる]、大衆受けする経済学の本が書けるはずですよ。何を待ってるんです?その間にもお金が無駄になっているんですよ。大金を稼げるだけでなく、世の中にとってもいいことなんですよ、世の中が実際にはどうやって動いているんだとか、Harfordが言ったみたいに「なぜ貧しい国は貧しいのか」を人々に示すことで、ものすごく大きなプラスの外部性が生じるんですから。さあ、書いて、書いて!)

彼は経済学部の学生なんかじゃなくて、プロの編集者に違いありません。おかげで、マンキュー先生のレスポンスは、色々言いながら、Freakonomicsを意識したりと結構色気たっぷりっになってますから、マンキュー先生の本がBarns & Norblesに平積みされる日も近いんじゃないですかね(笑)。

ツボその3

PS If you do write it, try and organise it to be dropped on France, for free, and in large quantities. You would be doing Europe, and in particular my own country (whom France is repeatedly trying to bring into line with the nightmare 'European Social Model' through the EU, regarding us as a neoliberal trojan horse), a favour.

多分、もの凄く笑うべきところなんだと本能が教えているんですが、背景が今ひとつ分からないので、誰か知っている方がいらっしゃったら教えてください。

あと、ネタの部分もあるんですが、まあ、いろんな部分で社会的なリテラシーをどうつくっていくのかというのは、日本でも人ごとではなにんで、それぞれの分野の人間が考えていくべきなんでしょうね。

 


Posted by 47th : | 16:21 | コメント (10) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

開発におけるPrivate Normsの可能性と限界 (2)

そもそもPrivate Normsとは?

まず、Private Normsということを議論する上では、定義と議論の射程を明らかにしておく必要があるでしょう。

消去法的に定義すると、まず、国際慣習法も含めて国家によって制定され履行が確保される「法」は除きます。(もっとも、制定あるいは履行の何れかに関して国家が関与することは考えられます)

次に、ここでいうNorms(規範)は、その規範の名宛人となっているプレイヤーの行動を「規制」する効果を持つものであり、いわゆる"Obligational Norms"を対象にします。また、規範の名宛人としては、途上国に直接投資を行う多国籍企業(Transnational Corporation(TCN))、あるいは、途上国へのファイナンスを行う国際的金融機関(Transnational Financial Institutions(TFI))を念頭に置くこととします。

最後に、この規範が義務的(Obligational)であるメカニズムとして、内部化された義務感(internalized duty)は検討の対象外とします。
このペーパーで分析したいのは、ある一定の政策目的の達成との関係においてPrivate Normsの意義を考えることです。もちろん、「環境に配慮すべき」というスローガンを長期にわたって訴え続けることによって、環境に対する意識が内部化されるといった過程も考えられますが、こうした心理的な義務感の内部化の過程は極めて複雑で予測やコントロールも困難です。
従って、可能性として、民衆レベルでの反対運動やNGO、マスメディアの働きかけが、ある種の義務感を内部化する可能性は否定はしませんが、このペーパーでの分析対象からは意図的に外します。

従って、このペーパーで検討されるPrivate Normsとは、「法」以外のものであって、何らかの外部的なサンクションの畏れによって、TCNあるいはTFIによる途上国への投資活動行動に一定の規律効果を有するものということになります。


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Posted by 47th : | 20:06 | コメント (2) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

上限金利規制に対する議論の中間整理

(4/24 一部修正・リンク先追加) 

別に消費者金融業界にクライアントがいるわけでもなく、利息制限法や貸金業法を専門にして生きているわけでもない私が、何の因果でここまでムキになって上限金利規制に反論せにゃあかんのかという話はあるわけですが、それでも反論したいというのが人間の摩訶不思議で、これを選好の個別性の問題と呼ぶか非合理性と呼ぶかはともかくとして、とりあえず、ここまでのところでの関連エントリーを以下にまとめてみました。

ところで、一つ確認しておきたいんですが、私は、上限金利規制強化が、政策目的として掲げれている多重債務者問題の解決自体に反対しているわけではありません。
多重債務者の債務整理や自己破産申立てにかかわったこともあれば、信販会社の申し立てた財産差押えの執行で執行官について一日に複数の多重債務者のお宅を訪問したこともありますし、その意味では(現にばりばりと債務整理をこなしている方々とは比ぶべくもありませんが)多重債務者の実態についても人よりは見聞きしているものもあります。(ただ、その印象からは、多重債務者が自己抑制の利かない非合理な人々という印象は実は強くありません。多くの場合、自分又は連帯保証の主債務者の倒産・失業という予測の難しいイベントがトリガーとなり、消費者金融からの借入も生活費や住宅ローンの支払原資で、それ故に同情すべき余地の多い事案でした。この辺りの感覚は、下で挙げている「消費者金融顧客の自己破産ーその特徴と原因ー」の実証結果と一致しますが、それについてはまた後日ということで)
私が一連のエントリーで問題としているのは、上限金利規制はまず理論面から考えても多重債務者問題の解決に役立たないという意味で政策として無益であるのみならず、低所得者層によるクレジットへのアクセスを閉ざしライフラインを危殆化させるのみならず、ヤミ金融への依存度を高めてしまうという点で、却って保護の対象であるはずの低所得者層にとって望ましくない結果を惹起するおそれが高いという点です。

人間は世の中を敵と味方の二つで見たがり、敵の味方をするものは敵と考えたがる・・・と、経済学者のDavid Friedmanも最近こぼしていたわけですが、「貸金業者にとって不利な上限金利規制に反対すること→貸金業者の肩を持つこと→多重債務者の敵」という構図で見られている方がいらっしゃったら、少し立ち止まっていただけると幸いです。

また、私が拝見した他のブロガーの方の記事の中で、専ら経済学的な観点から(従って、実務的な観点や純粋に法的な観点からのものは除外しています)上限金利規制を行うことについての意義を考える上で参考になるエントリーを。

次はネットで見つけた有用な論文が掲載されているサイトと参考になると思われる論文です。

消費者金融サービス研究所:早稲田大学プロジェクト研究所ワーキングペーパー

消費者金融サービス懸賞論文サイト

同サイトには学部生の受賞論文も載っていますが、ここに挙げたのは大学院生以上の論文の中でこれに関連すると思われる論文のみです。

というわけで、この問題について引き続きご興味を持たれる方は、こうした論文などもご覧になってみるといいんではないかと・・・で、皆さんが、こうした論文をご覧になっている間に私はゼミのペーパーと試験準備にいそしむということで。

では、皆様ごきげんよう。


Posted by 47th : | 13:25 | コメント (3) | トラックバック (8) | 関連エントリー (4) | Law & Economics

開発におけるPrivate Normsの可能性と限界 (1)

上限金利厳格化問題については、消費者金融において見られるBehavioral Biasとその法的規制へのインプリケーションと、上限金利規制よりも弊害の少ない政策対応手段の可能性についても書きたいんですが、そんなことをやっていると卒業が危うくなるんで、とりあえず学生の本分に戻ってペーパーの執筆とテスト準備に復帰します。

で、ペーパーなんですが、また、こうやってブログに書きながら、構成をまとめてみることにします。

今回ペーパーを書かなくてはいけないのは、Kevin Davis教授のFinancing Developmentというゼミです。発展途上国の開発金融の現状と課題について資料を読み、議論をして、実務家の前でグループ・プレゼンテーションをした上で議論するというゼミでした。教授の問題意識や議論の組み立てにたまに?がつくことがあったりはしましたが、全体的に見れば、今まで知らなかった開発金融について色々と勉強することができたので、非常によかったと思います。

ただ、何せ土地勘のない分野なのでペーパーのアイディアには一苦労。Microfinance関係で何か書こうかなとも思ったんですが、それこそMicrofinanceに上限金利規制は必要かとか回収手法に規制を設けるべきかみたいな議論をしても、途上国におけるライフラインとしてのMicrofinanceの重要性にまで踏み込まないと説得力がないんでボツ。

結局、これまでの知識と連続性を保ちながら扱えるテーマということで着目したのが、Equator Principlesです。

Equator Principlesというのは、途上国へのプロジェクト・ファイナンスによる融資におけるIFC(International Financial Corporation)の定める環境に関するセーフガードの遵守等を国際的な主要金融機関の協調によって達成しようとする枠組みです。

途上国に対する開発国からの投資の場面では環境や労働に関する問題がいろいろとあるわけですが、これを公的な枠組みで規制することについては、そもそも国家的なコンセンサスが難しいことや、たとえ一定の合意ができたとしてもそれをエンフォースすることが難しいことなどから、なかなか進展しません。そこで、最近は民間主体によるイニシアティブが重視されている・・・ゼミで紹介されたときには、こうした説明と共に一つの疑問が提示されました。

それは、こうした民間主体のイニシアティブによる国際的な規範の実効性はどう確保されるのか?という点です。

これが国際的にも有数の主要金融機関同士の合意であることから、このEquator Principleが大規模なプロジェクト・ファイナンスにあたっての取引費用を削減する効果を持っている限りにおいては、参加金融機関は相互に監視のインセンティブを持っており、また、違反した金融機関に対してはその後のシンジケートへの参加を拒否するなどの制裁手段も有していることから、一種のカルテルと同様の実効性を持ち得るのではないか-ゼミの場では、そう思いついて発言をしたのですが、それが結構印象に残っていました。


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Posted by 47th : | 11:10 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

消費者金融≠企業金融

消費者金融について経済学的な議論をしようとすると、意外なほど基本的なところで、その「経済学的な」意義に対する理解に差があるのを感じるのですが・・・その中の一つが、個人貸付を企業貸付のアナロジーでとらえて、「20%以上の期待利益を持つ投資機会など個人にはほとんどないのだから、それ以上の金利による貸付は合理的な行動の結果ではない」といった議論です。

前段の「投資機会」の存在については全く争いませんが、そこから導かれる後段については経済学的にいえばナンセンスな議論(のはず)です。(もし間違っていたら教えてください)

分かる人には、おそらく、「消費者行動における貸付は異時点間の消費選択の問題であって、その金融仲介サービスにいくらの対価を支払うかは予算制約線の中での通常の効用最大化の問題に過ぎない。従って、時点選択の効用を高く評価する消費者が、それに高い価格を払ってもいいと考えることは合理的な行動である」・・・あるいは、どうしても「投資」のアナロジーでとらえたいのであれば、「消費者貸付に対するリターンの算定には金銭的な効用のみならず非金銭的な効用を加味しなければならない」というような説明で分かっていただけると思うのですが・・・
(なお、個人でも例えば事業資金としての借入はもちろん、学費なども学歴が将来の期待収益を高めるという点では投資の側面があることは否定しません。ただ、こうした「投資」の側面が強い資金需要については、それに応じた審査と返済スケジュールが用いられるので、消費者金融の上限金利のところでの議論とは直接関連しません。また、企業金融でも、投資ではなく流動性制約を回避するための金融、例えばコミットメント・ラインの手数料などは、時間選好の観点から説明されるので、全く企業金融理論と断絶しているわけでもありません。あくまで、典型的な場合ということで)

誰か、これを分かりやすく説明してくれないかなぁ・・・などと天からの助けを期待しつつ、とりあえず、頭の体操として異時点間の消費選択の問題と、それへの対価のあり方は投資における金利の決定とは全く違う原理で行われるということを示す例をあげてみます。同じような事例を思いついたら、コメントに書き込んでみていただけると幸いです。

Aさんは、2000年式のインプレッサに乗っています。さすがスバルで、6年目に入ってもエンジンも足回りも好調で普通に使っている分には全く不便はありません。ただ、最近、気になる新車も出ています。特に、1年半前に発表されたXという車は、かなり気になっています。
今の実勢価格は250万円ですが、1年待てば200万円になります。
単純化のために貯金(あるいは無リスク資産)の金利は0%とします。(また、念のために減耗は考えないものとします)
Aさんは、今新車を買うべきでしょうか、それとも1年待って買うべきでしょうか?

(答えは追記に)


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Posted by 47th : | 12:40 | コメント (7) | トラックバック (2) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

貸金業者が売っているものは何なのか?

neon98さんに反論してみる・・・の巻で直球を投げ込んでみたところ、neon98さんから「市場」が成立することのメリットとデメリットというピッチャー返しを頂きました。

neonさんは「化学反応はたぶん生まれないと思いますが、お許しください」とご謙遜されますが、neonさんの次の文章を読んだときに、私はある意味「なるほどこれかぁ」と思ったわけです。

私が根本的に違うなと感じる、敢えて言うならこの点を無視して議論するのはナンセンスだと思うのは、

「装飾品市場を考えると価格が高いグッチやエルメスはリッチな人が買うが、消費者金融市場を考えると価格が高い高金利商品は貧しい人が買う」

という点です。金銭に個性はありませんから金融商品として設定できる個性は限定されています。無担保かつ審査を厳格にせずに迅速に貸し出しをする市場においては、貸し手の調達金利を無視すれば、ほぼ借り手の信用力によって商品の価格(=金利)が決まります(マクロ的要因はこの議論では無視してよいでしょう。)。つまりはいい商品を高く売るのではなく、同じ商品を貧しい人に高く売るわけです。

neonさんが、消費者金融を、「いい商品を高く売るのではなく、同じ商品を貧しい人に高く売」っていると考えているのであれば、上限金利規制は当然の話になります。しかし、ロジックで考えれば、「同じ商品」を「貧しい人にだけ高く売りつけることができる」状況は、①貧しい人に、より安い価格で売りつけようとする競合する売り手がおらず(あるいは価格協定が成立している)、かつ、②「安い価格」で買うことのできる「金持ち」が貧しい人に利鞘を乗せて売却する裁定取引の機会がないことが最低限必要です。

しかし、高所得者層に売る商品と低所得者層に売る商品が「同じ商品」=「金銭」であれば、誰でも「金銭」を持っている人であれば消費者金融に参入できるはずで、少なくとも①の前提は成り立たないはずです。ここに、経済学からみたときの、neonさんの誤解が潜んでいます。いえ、neonさんに限らず、ファイナンスにも造詣の深いTeajunさんの次の記述ですらneonさんと同じ種類の陥穽にはまってしまっているように思われます。

利子率は要求収益率であって、リスクに見合う分だけとるものだというのは、ファイナンス理論を知っている皆が知る原則だと思います。
どう考えても、僕には、消費者金融が負っているリスク(債務者のデフォルト、訴訟、その他)が、29.2%に見合うとは思えないんですよね。
全然違う投資形態ではありますが、「3件中1件大成功すればよし」とされるPEで30%、「10件中2件成功すればたいしたもの」、とされるベンチャー投資では40%くらいが、平均的な要求収益率です。
さらに社債の格付などでも、29.2%なんてのは、めったにみない数字です。
これらと消費者金融との比較が難しいのは分かりますが、こういった投資を脇で見ながら皮膚感覚的に、やっぱり「29.2%は高い」と感じている僕がいます。

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Posted by 47th : | 02:16 | コメント (8) | トラックバック (5) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

neon98さんに反論してみる・・・の巻

「借り換え」行動の合理性?をアップしてゼミに出かけていたら、入れ違いでneonさんから「上限利息規制は必要?」というTBをいただきました。で、最初は前のエントリーの追記として書き始めたんですが、長くなってきたので、独立したエントリーにしてみました。(・・・っていうか、1日に3つもエントリーをアップしている間にゼミのペーパーを書けという話もある(汗))

本来は貸金業懇談会で、こういう議論がなされて欲しかったという願いも込めて、今回はbewaadさん風にneonさんのエントリーに対して正面から反論を試みてみようと思います。 

年率29.25%は「高い」のか?

まず、neonさんは、次のように述べて既に従来の29.25%の上限でも十分に高かったのではないかという疑問を挺されています。

か つては銀行による個人に対する無担保融資というマーケットが欠如しており、個人に対する無担保融資といえば消費者金融会社からの高利融資だったようです が、現在は銀行系列会社による消費者金融市場への参入もあり、また大手消費者金融会社自身も融資金利を引き下げてきています。例えば銀行系のモビットなどでは実質年利15-18%などのローンがあるようですし、大手消費者金融の武富士でも実質年利27.375%としながらも信用力にあわせて実質年利10%からの融資商品があります。こういう状況の中でまず思うのは、現在の日本の金利水準を考えると年利29.2%って相当高い金利水準だという点です。

まず理屈の問題からいうと、モビットや武富士が10%-20%の領域を主戦場としていることは、その領域の顧客が中心であるという推定が働くものの、そこを 中心とした分散の大きさを見ない限り、29.25%を超える部分の顧客層については何らデータを与えてはくれません。むしろ、磯崎さんが紹介されていた堂下助教授の「上限金利引下げの影響に関する考察」(pdf)では、現在の29.25%の水準の下でもヤミ金融の利用者を80万人、市場規模が1.4兆円と見積もられています。この推定はヤミ金融ということの性質上極めて荒っぽい推定ですが、29.25%を超える金利への需要がそれだけ存在することを示しています。

また、本文で示したように「借り換え」のメカニズムが、情報の非対称性から生じる逆選択の問題を緩和しているとすれば、武富士やモビットが10%台で貸付ができるのは、適切なリスク層へのたターゲッティングができているからという可能性もあります。

何れにせよ金利水準-さらにいえば消費者金融機関の提供するスプレッド(貸出金利と調達金利の差)はそれぞれの市場の需要と供給で決まります。これまた磯崎さんが紹介されていた「上限金利規制が消費者金融市場と日本経済に与える影響」では、金利が25-30%帯において相当の超過需要が生じていることがデータで示されています。

仮に25-30%台の金利帯が「相当高い」金利帯で、貸し手側にとって「おいしい」金利帯であれば、むしろ供給超過が起きるはずです。この点からも、29.25%が「高い金利水準」であるという主張はサポートされないように思われます。

なお、neonさんはアメリカのクレジット・カードの金利と比較されますが、クレジット・カードの利用者はある程度のクレジット・ヒストリーを有する層なので、その意味でアメリカの借り手層の中では必ずしも高リスク層ではありません。(ちなみに日本でも例えばJCBカードのカード・ローンは15-18%ですから、これを比較すればアメリカと比べて高いというほどのものではないように思われます)。むしろ、アメリカでは消費者金融の2層化が進んでおり、借入手数料も考慮に入れるとPayday LoanはAPR470%、還付税金を引き当てにしたRefund Anticipation Loan(RAL)で70-700%になるとされています(Hellwig, 80 Nortredam L.Rev. 1567 参照(なお、この論文自体は、借り換えの問題に着目して、上限金利規制が必要という主張の論文であって、その意味では上限金利規制賛成論ですが、その水準は1か月ものの国債金利+50%です)。

というわけで、29.25%が「相当に高い」という主張はサポートされない・・・むしろ、データ的には「上限としては低すぎる」とすらいえるのではないかと私には思われます。


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Posted by 47th : | 00:24 | コメント (3) | トラックバック (6) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

「借り換え」行動の合理性?

過剰取立のローエコ的アプローチの方も完結していないくせに何ですが、neon98さんのコメントとgo2cさんの「ローエコ、経済物理学とウシジマ君、萬田銀次郎」を拝見していて、ちょっと気になったことがあるんで、忘れないように問題提起だけ。

まず、neon98さんのコメントで触れられている「借り換え」に関するところを。

職業柄多くの債務整理事例にあたってきましたが、取立ての手口というのは概ね借り換えのすすめです(やり方はかなりやばそうなものまで色々ありますが)。

私の乏しい経験の中でも確かにこれは思い当たる節があって、いわゆる「債務整理」という名目で、デフォルト状態に陥っている債務者に対して遅延利息よりは低いが元の貸出金利よりは高い、とか、元の貸出金利よりは高いが返済期間が長期のため月々の支払額そのものは少ない借入に切り替えさせるという手法が現に存在します。

結果として、最初は10%台の金利で借りていたのが、最後は30%弱の金利の借入になっていくという現象が少なからず見られます。

ということで、neon98さんとgo2cさんは、上限金利規制に次のような意味合いを見出されています。

ちなみに私自身は債務者に早くあきらめさせるために一定の上限金利(固定か、どの程度の利率かはともかくとして)を法で強制すること自体は合理的と考えています。(neon98さん)
上限金利の引き下げは、「自転車操業」の債務者の破綻を早めることになるかもしれませんが、それは社会として周りが見えなくなってるであろう債務者に「この金利が返せないとしたらもう無理だよ」と引導を渡すと言う意味で有意義だと思います。(go2cさん)

・・・さて、この「自転車操業モデル」に対する私の最初の疑問は、これでは単なる「リスクの押し付け合い」であり、借り手が近視眼的とかどうとかいう前に、リスクを押し付けられる側の貸金業者の方が先に破綻してしまうんじゃないかということです。

この「リスクの押し付け合い」が意味をなすのは、「前の貸し手」よりも「後の貸し手」の方が、相対的にリスクの評価や負担能力に優れている場合です。ただ、リスクの負担能力というのは、基本的にはポートフォリオによるリスク管理が主流になるのでしょうから、直観的には大手の方が有利にも思えます。とすると、むしろ借り換えの信用を提供する業者は、高リスク債務者のリスク評価能力において大手にはないノウハウを持っているということではないかという推測が成り立ちます。

元々、融資時点では債務者の信用能力に関しては大きな情報の非対称性が生じます。前から不思議だったのは、にもかかわらず、大手の消費者金融の与信審査は極めて簡易という点でした。普通に考えれば、これでは逆選択が生じ、リスクの高い借り手が集まりビジネスモデルが成り立たないはずです。

しかし、「借り換え」というプロセスを通じて、リスクの高い消費者が順次高リスク債務者のリスク評価に優れる中小の貸金業者に流れるとすると、この「逆選択」の問題が一部解消されるんではないでしょうか?

この場合、大手業者が最終的にとらなければならないリスクは、中小業者ですらとれない高リスク債務者か、あるいは、事後的に財務状況が悪化してしまった誠実な不履行者のデフォルトリスクに限られる点で、リスク管理は遙かに容易になりますし、提供する金利水準も押さえることが可能です。

仮に、この「借り換え」が禁じられたとすると・・・大手業者は、本来金利に見合わない高リスクな債務者が申込みをしてくるリスクを引き受けなくてはいけません。これを排除するためには審査をより厳格化せざるを得ませんが、それでも完全にリスクを排除することはできません。これはダイレクトに大手業者のポートフォリオリスクを高めることになるので、それを埋め合わせるためには金利を高く設定せざるを得ません・・・その高い金利でも借りたいと考えるのは、これまた高リスク債務者ですから、ポートフォリオはますます悪化していきます。
さすがに、このプロセスが無限に続くとは思いませんので、どこかで均衡するとは思うのですが、結果としては、例えば、これまで大手から10%で借りることのできた消費者も15%でしか借入ができなくなるといった具合に、リスクの高まりに応じた金利の上昇が生じる可能性があります。

こうした点も考えると、上限金利を設定することによって、この借り換えプロセスを禁ずることは、単に供給サイドの提供できる上限を切るだけでなく、実質的な供給コストの高まりによって供給曲線自体を上方にシフトさせる効果を持ち、ますますアウトプットを減少させてしまう可能性があるように思われます。

もちろん、個々の債務者の非合理性を利用した「借り換え」行為もあり得るとは思いますが、そうしたプロセスがどのようにして生じるのか、そして、それを抑制するのに上限金利規制を利用するのが適切かは、かなりつっこんだ議論が必要なのではないでしょうか?

・・・と、とりあえず思いつきだけ残しておきます。何せ思いつきですので、忌憚のないご意見・ご批判を歓迎いたします。


Posted by 47th : | 15:56 | トラックバック (0) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

なぜ過剰取立は起きるのか?(1)

さて、なぜ過剰取立は起きるのか?(イントロ)に対しては、非常に素晴らしいコメントを頂きありがとうございました。

実際、いつものごとく私が考えていたネタのほとんどは言い当てられてしまったわけですが、私が当初考えていたのは、次の4つのシナリオでした。

  1. 対Strategic Defult(又は情報の非対称性)
  2. 集合行為問題(又は囚人のジレンマ)
  3. シグナリング
  4. Behavioral Bias(Fairness)

というわけで、それぞれのシナリオについて順々に紹介してみます。


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Posted by 47th : | 11:18 | トラックバック (0) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

「世の中」とローエコ

(4/19 かっちさんのコメントをうけて全面的に加筆修正)

昨日の「なぜ過剰取立は起きるのか?(イントロ)」に対しては、期待どおり、素晴らしいコメントを頂いていますので、もうしばらくオープンにしておいて、磯崎さんからTBしていただいた「なぜ過剰取立は起きるのか?(47thさんの記事より)」について、いい機会なので、「世の中」(現実世界)とローエコ的思考法との隙間について普段から思っていることに少し触れてみます。

(「ウシジマくん」に出てくるような)そうした、「説明義務だモニタリングだと工夫したところで、とてもマトモな挙動をしてくれなさそうな人たち」を、法がどこまでどのように規制したり保護し たりしなきゃいけないのか、というのが、「経済学」的な考察から導かれるものなのかどうか、(上限金利の引き下げで合法的には成り立たない顧客層への貸付 が闇金業者に流れたり、そういった闇業者と同じ土俵で回収しなければならない「一部上場企業」がどういう状況に陥っているか、返済困難に陥ってる人とか多 重債務者が、実際にどんな人たちなのかを見ることもなしに語れるのかどうか)、このマンガを読んで悩んでしまった次第です。

私も学部生時代にナニワ金融道で手形法を勉強したクチですが、「ウシジマくん」というのは存じ上げず、磯崎さんが「お付き合いのある「人間」からはほど遠い方々」というのが、どのぐらいのものなのか・・・想像ばかりがふくらんでしまいます。

確かに、「世の中」には、ちょっと普通の感覚からは外れた行動原理や様式をとる人々というのが少なからず存在します。また、そもそも世の中の大多数の「普通の人」自体が、経済学的な考察が前提とする「合理的な人間像」からは大きく外れています。

こうした現実の「世の中」に対して、「合理的な人間」を仮定した経済学的なアプローチはどれだけ有効なのか?
そもそも、周りを見回しても厳密な意味で「合理的な人間」は一人もいないんであって、経済学は現実に基づかないモデルに立脚した虚構ではないのか?

こうした疑問はローエコ・・・というよりも、そもそも経済学には宿命のようについて回るものです。
本来は経済学の徒ではない者が、これについて語るのが適切なのかは分かりませんし、思い違いもありますが、しばしばローエコ的なアプローチをとる法律家として、私は次のように答えることにしています。


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Posted by 47th : | 16:37 | コメント (3) | トラックバック (3) | 関連エントリー (3) | Law & Economics

なぜ過剰取立は起きるのか?(イントロ)

テストも目前に迫って忙しいときに限って、余計な思いつきは生まれるので困ったものなのですが(苦笑)、貸金業制度等に関する懇談会では、上限金利規制と並んで取立規制の強化についても触れられています。

確かにアイフルの件などでも、過剰な取立方法の問題というのは出ていますし、私自身、修習生時代には指導担当の先生と一緒に債務整理などにも関わったので、苛酷な取立手法は必ずしも例外的な事例ではないし、問題だとは思います。

ただ、「問題だから規制を強化すればいい」というのは、余りに短絡的に過ぎる上に、往々にして期待したような効果は得られないものです。病気にたとえてみれば、本当の原因を理解せずに単にその症状を抑えるための薬を与えていても、根本的な問題が解決しなければ、何れはまた症状が現れ、それを押さえるために、より強い薬を使わなければならなくなり・・・そして、薬が強くなればなるほど副作用も大きくなるからです。

・・・と、前置きが長くなりましたが、そもそも何で消費者金融業者は苛酷な取立を行うんでしょう?

「よりたくさん回収したいからに決まっているだろう」

と言われそうですが、ちょっと立ち止まって考えてみると、ことはそれほど単純ではないんじゃないでしょうか?

というのも、消費者金融というのは通常は無担保あるいは担保が限定された貸付で、返済原資の中心をなすのは、債務者個人が将来にわたって稼ぎ出すキャッシュフローだからです。
その意味では、これは企業に対する無担保貸付にもよく似ています。そのアナロジーで考えてみると、すぐに分かるのですが、取立を厳しくすることは、色々な形で債務者の稼ぎ出す将来のキャッシュフローに悪影響を与えます。

典型的なのは、職場に対する取立電話や、朝駆け夜討ちの電話・訪問ですが、こうしたプレッシャーによって債務者がナーバスになって仕事に集中できなければ生産性は落ち、それが稼ぎ出すキャッシュフロー(給与)に悪影響を与えたり、もし勤め先を失うことになれば、キャッシュフローはとまってしまいます。

非常に単純化されたモデルで、債権者が一人で、債務者の稼ぎ出したキャッシュフローの一定割合が確実に債権者への返済に回されるのであれば、過剰な取立てで債務者の生産性を削ぐのではなく、むしろ債務者には仕事に専念してもらうようにすることが望ましいはずです。

・・・にもかかわらず、実際には過剰取立が後を絶たないのは、その単純なモデルの前提が現実において当てはまらない場合があるからだと考えられます。ということで、この前提が当てはまらないことによる過剰取立の原因を考えて、それに対応するための制度的枠組みを少し思いつくままに書いてみようかななどと思います。

ローエコ的な発想を養う、一種の頭の体操ということで宜しければお付き合いください。


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利息制限法と借り手保護の微妙な関係(3)

(4/19 追記あり)

アイフルに対する業務停止命令は、それ自体興味深いニュースでしたが、今日開催された金融庁の貸金業制度等に関する懇談会で、上限金利20%以下への引下げの方向性が固まったと報道されています。以下はNIKKEI NETの記事からの抜粋です。

金融庁の貸金業に関する懇談会は18日、消費者金融など貸金業者による貸し出しの上限金利を現行の年29.2%から年20%以下に引き下げることでおおむ ね一致した。ただ、貸金業者や一部委員からは「消費者側の意見を一方的に取り入れている」との異論もある。懇談会は21日に中間整理をまとめる予定で、上 限金利の水準などを巡る攻防が大詰めを迎えている。

まだ最終決定ではないようですが、成立すれば消費者金融のビジネスモデルや高リスク資金ニーズへの供給ルートが根本的な変革を迫られることになります。

既に1月の最高裁決定以降、アイフルをはじめとした消費者金融各社の価値は相当なペースで失われています。


 少なくとも株式市場は消費者金融が数千億規模の価値を生み出してきたと評価していることになります。
この価値が単に高金利により借り手から消費者金融への「富の移転」であれば、社会全体としての損失は限定的であり、この株価の下落は「高い上限金利の下で暴利を貪ってきた消費者金融への鉄槌」ということでいいのかも知れません。

しかし、競争的な市場では、消費者から事業者への富の移転には限度があることも知られています。

もし現実に存在している消費者金融市場が、ある程度競争的な市場だとすれば、消費者金融業者の時価総額の下落の一部(それがどの程度のボリュームになるのかは、それ自体定量的な測定が必要ですが)は、社会的な損失となり、bewaadさんNight in Tunisiaさんのとりあげられているようなルートを通って、資金需要があるけれどリスクが高いところには資金が行き渡らないことや、場合によっては、非合法な金融手段(ヤミ金)に頼らざるを得ないという事態も起こり得ます。


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Posted by 47th : | 10:32 | コメント (7) | トラックバック (4) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

「自主規制」強化と競争法 (1)

昨日に引き続いて業界団体(事業者団体)の活動と競争法の関係するお話です。

上場企業監査、登録制に 会計士協会が自主規制強化 (asahi.com)

日本公認会計士協会(藤沼亜起会長)は6日、上場企業を監査する監査法人や公認会計士の個人事務所に、07年度から登録制を導入すると発表した。一 定の水準に満たない事務所は登録リストから除名し、上場企業の監査を続けることが事実上難しくなる。・・・
 ・・・監査法人の評価などを担当する同協会の品質管理委員会に新組織を設け、上場企業の監査を手がける全事務所に登録を求める。登録事務所には、品質管理体制について文書で提出させ、要求水準に達しているかをチェックする。
 申告した水準の業務を実行できなかった事務所には協会が改善を勧告するが、不十分な場合は除名を含めた処分を出す。
 監査法人や会計士は法律上、上場企業の監査を手がけることに特別な制限はない。しかし、協会の登録から除名されると評価が低下し、投資家の信頼を重視する上場企業の監査からは、事実上排除されるとみられる。

さて、「上場企業の監査水準の向上」は、少なくともそれ自体は社会的にも望ましくみえる目的ですし、現に与謝野金融相も「自分たちの力と判断で運営し、不祥事を少なくしていこうという努力は高く評価したい」「(登録制の)運営を暖かく見守っていかなければならない」と評価しているようです(NIKKEI NETの記事より)

こういう善意に満ちた創意工夫をしようとしているときに水を差すようなことを言うので弁護士は嫌われるんですが、動機としての善意は結果としての善を何ら保証するものではありませんし、ある行動の持つ負の側面を見つめることが社会的にみてより望ましい結果をもたらし得ると信じて、この取組において生じ得る競争法上の問題に触れてみたいと思います。


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Posted by 47th : | 11:23 | コメント (3) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

「違法」駐車のコストとベネフィット

(追記あり)

駐禁、車離れたら即摘発 6月から民間委託 (asahi.com)

道路を「仕事場」とする業界の悩みは深い。
 ヤマト運輸は、車を使わない集配システムに切り替え始めている。首都圏を中心に「サテライトセンター」を設け、半径400メートル圏内を台車やリヤカー付き自転車で配達する。
 コストと排ガスを抑えるための試みが違法駐車対策にもなりそうだ。
 違反すれば、反則金の支払いに加え、手続きに時間をとられて配送計画が崩れる。違反を重ねれば、今後は車両の使用制限を受ける恐れもある。
 同社は昨年までに、24時間営業のコイン駐車場と法人契約を結んだ。
 「高層マンションでエレベーターを待ってるだけでも、5分を超えたりしますから」
 その場合、取り締まられる可能性が高い。同社は今後、取り扱い契約を結んでいるコンビニや酒屋などに駐車場の利用を依頼するという。

・・・ということで、何だかエイプリル・フールのネタかと思ってしまう話です。

そもそも、駐車禁止も含めて道路に関するさまざまな法規制は、「道路」という資源を最適に利用するためのツールのはずです。そして、「道路」の有効利用の仕方にはいろいろなやり方が考えられますが、家庭レベルでの物流、つまり宅配便や郵便をスムーズにするということも一つの目的のはずです。

駐車禁止の取り締まりを厳格化・厳罰化すれば、確かに駐車違反はなくなり、「道路の外観」はよくなるかも知れません。

でも、駐車禁止の目的は、「道路の外観」をよくすることではなく、「道路の有効利用」です。

渋滞など考えられないような平日の昼間の住宅地に、宅配の車一台も駐車できないというのは、有り体に言って資源の無駄遣いでしかありません。
もっといえば、そのためにコイン駐車場を利用しなければならないとすれば、それは運送業者に対して実質的に課税するのと同じことです。運送業者に課された税金のために生じるサービス価格の上昇とアウトプットの減少は、利用者の便益を損なうと共に、その課税はどこに行くかといえば、国庫に入るのではなく住宅地のコイン駐車場にいく・・・

という感じで、盲目的に駐車禁止の摘発を厳格化・厳罰化することは深刻な社会的な損失を生む可能性があります。政策立案者に本来求められるのは、そうした社会的な損失と得られる便益(この場合は駐車禁止の厳格化がどれだけ渋滞の解消や事故の減少に資するのか)を十分に比較すると共に、損失を最小化するための補完的な政策を立案することのはずです。

この新聞記事だけで断定的な判断を下すことはできませんが、こうした政策立案における基本的なコスト・ベネフィット判断や、コストを最小化するための検討がきちんとなされたのかは少し疑わしいところ。


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Posted by 47th : | 00:14 | コメント (13) | トラックバック (5) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

再生プレミアム分配の難しさ (2)

前回は債権者間の利益移転問題について説明しました。

これを解消するために、例えば債権放棄や金利減免のようなリストラクチャリングが実施されるわけですが、問題は債権だけではなく、エクイティ・ホルダーとの間でも生じ得ます。

例えば、先ほどの会社Aの例に戻ってみましょう。

今、会社Aは既存債権者に対して現状に見合った状況になるために500億円の債権放棄を依頼したとしましょう。こうすれば、新債権者は安心して入ってくることができます。
しかし、既存債権者はこれでは面白くありません。なぜなら、自分たちが500億円放棄したことによって、余剰キャッシュフローが20億円(270-150-100)発生するわけですが、これは株主のものになってしまうからです。


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Posted by 47th : | 18:18 | コメント (6) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

再生プレミアム分配の難しさ (1)

まず、最初に誤解のないように書いておきますと、個別の事案において、ある処理が妥当かどうかということを判断するような情報は私は持っていませんし、それについて再生の文脈だから何でもありと形式的に割り切るつもりはありません。

また、今回の某再生中の会社でのスクゥイーズ・アウトにおいて一般株主に提示された価格が適正なものであるかどうかについては、何ら判断する材料も持っていません。さらにいうと、最近のエントリーで繰り返す書いているように、たとえ法的に違法ではないとしても、そのことが当然に法律以外の公平さに対する観念やモラル、倫理に照らして許されることになるとは思っていません。
むしろ私自身がこれまでの経験の中で感じていることは、法律の技術論以上に、利害関係者の(必ずしを賛同ではないとしても)「納得」を得るための努力の積み重ねが重要だというもので、その意味では件のスクゥイーズ・アウトに多くの一般株主の方が納得できないと考えているとすれば、そうした過程に問題がなかったかは批判的に検討されるべきであり、再生に携わる者としては他山の石としなければならないと思います。

ここまで予防線を張ってまで、敢えてセンシティブな問題に立ち入るべきでないという気もしたのですが、toshiさんのブログを拝見していて、余り文献などでは触れられない(ように見える)けど、再生案件における一般株主の利益に関する問題を考える上では、通常のMBOにおける支配権プレミアム(一般株主から支配株主への利益移転)ではなく、再生プレミアム(債権者・スポンサーから一般株主への利益移転)の分配のあり方が実質的な面で大きな問題となり得るということについて視点を提供することは有用ではないかと考えエントリーを立ててみることにしました。

(ちなみに今回の記事と合わせて、(長いんですが)以前に書いたシリーズ「ダイエー支援決定を読む」もご覧頂けると、再生の場面における債権者と一般株主との利益配分の難しさについて、感覚を掴んでいただけるかも知れません)


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Posted by 47th : | 18:16 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

自賠責の支払基準否定の経済学的インプリケーション

自賠責、支払い基準超える賠償命令可能・最高裁 (NIKKEI NET)

死亡自動車事故の損害賠償を巡り、裁判所が自賠責保険の支払い基準を上回る賠償を判決で命じられるかどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)は30日、「基準にかかわらず賠償を命じることができる」との初判断を示した。・・・
判決理由で同小法廷は「国が定めた自賠責保険の基準額は、訴訟外で保険金を公平、迅速に支払うための基準にすぎない」と指摘。「訴訟では個別事案の結果が尊重されるべきで、基準と違いがあっても不合理でない」と述べた。

判決文の一部を引用します(それにしても最高裁のHPの新しいデザインは分かりにくいですね。いとう先生のブログの記事がなければ、探すのを断念するところでした)。


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Posted by 47th : | 19:45 | コメント (8) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

ラジオ・チャートと株式市場

純粋にへぇと思ったのと、色々と含蓄が深かったので。

Spitzer Sues Radio Chain as Part of Music Inquiry (New York Times)

The New York attorney general, Eliot Spitzer, accused the radio giant Entercom Communications
In papers filed at the New York Supreme Court in Manhattan, Mr. Spitzer's office said Entercom also created programs to sell advertising time to record companies in a scheme that was used to inflate the performance of songs on charts monitored by other programmers...
Since the early days of rock 'n' roll, it has been against the law for broadcasters to accept cash or anything of value in exchange for playing a song unless the transaction is disclosed to listeners. But for years, music executives have sidestepped the law by currying favor from programmers in less direct ways...

つまり、ラジオでのオンエア回数を多くするため(あるいは多く見せかけるため)にレコード会社がラジオ局に裏リベートを払っていたのを、NYの名物Attorney General、Eliot Spitzerが訴えたという話のようです。


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Posted by 47th : | 19:59 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

"Shleifer Affair"

ついこの前Harvard EconのShleiferのことを紹介したばかりですが、今日のLaw & Developmentの授業でShleiferのロシアの市場化に関連して米国司法省に訴えられて和解したという話をきいたので、早速ぐぐってみると、こんな記事が。

Russia Case (and Dust) Settle (Harvard Magazine)

USAID originally awarded a $40-million grant for the Russia project. The project, run by the now-defunct Harvard Institute for International Development (HIID), aimed to advise the Russian government on making the transition from a socialist to a capitalist economy. The court found that, while being paid by USAID, Shleifer and Hay engaged in prohibited investments and businesses in Russia. These actions (which are disputed by the defendants) included: Shleifer and Zimmerman’s investment of $200,000 through Renova-Invest, a U.S./Russian investment entity, in various Russian companies and Russian government debt; Shleifer, Zimmerman, and Hay’s purchase of several hundred thousand dollars worth of shares in Rus-sian oil companies (ownership of the shares was placed in the name of Shleifer’s father-in-law); and Hay and Shleifer’s help in launching and/or financing Russia’s first licensed mutual fund, started by Elizabeth Hebert, Hay’s then-girlfriend and current wife. They did the same for Russia’s first mutual-fund depository, started by Hebert’s business partner.

ということで、ShleiferとSachsが中心となっていたHIIDが司法省からロシアの市場化に関するコンサルタント業務を請け負っていた時に、Shleiferとproject directorであったHayがロシアに対する個人的な投資を行っていて、それがUSAIDとHIIDとの間での利益相反取引を禁じた契約条項に反しているという主張のようです。

実は、この事件については既にSummary Judgmentが出されていて、その中では故意は否定されたものの、契約違反に関してはHIIDとShleiferの責任が認められていたようです(オピニオンまでは読んでいないので、記事からの伝聞ですが)。もっとも、Shleiferが実際にプロジェクトに携わっていたかどうかは微妙という判断・・・まあ、でもチャイニーズ・ウォールをきちんとひいていたのであればともかく、直接携わっていないからいいでしょう、というのは、ビジネス業界でのconflict ruleからいうと、少しアレな言い訳ですが。

この結果、Harvardは26.5M、Shleiferは2Mを支払うことに合意したようです。但し、司法省の主張を認めたわけではなく、あくまで訴訟費用等を勘案してという和解の際の常套的な決着になっています。

ところで、この話は、これだけでは終わらず、つい先日のHarvard学長のSummersの退任劇とも密接に関連しているようです。

Lawrence Summers Quits as Harvard President in Advance of New No-Confidence Vote; Derek Bok to Step In

Chief among them was to be a motion to censure Mr. Summers for his role in what has become known as the "Shleifer affair," the professor said. Andrei Shleifer, a prominent Harvard economist and personal friend of Mr. Summers, was a defendant in a lawsuit alleging that he and a former staff member had defrauded the U.S. government through a program intended to help Russia make the transition to a market economy.

Harvard defended Mr. Shleifer throughout the litigation and last August agreed to settle the case by paying a $26.5-million penalty. Mr. Shleifer has never been disciplined by Harvard, and in fact was awarded a new chair during the litigation, said the professor who spoke to The Chronicle. As a result, Mr. Shleifer's relationship with Mr. Summers has drawn increasing criticism. The professor said the combination of the penalty and legal fees had cost Harvard $44-million.

最初の記事にも書かれていますが、SummersはShleiferの恩師的な関係にあって、Shleiferをバックアップした結果、44Mの損失をもたらしたという辺りが退任・・・というか放逐劇の重要なポイントになったようです。

まあ、だから何だというわけではありませんが、思いつくままにコメントを。

  • 政府が一大学にロシアの市場化プロジェクトを依託するというところに、まずびっくり。Harvardをはじめとした一部の大学だけだとは思いますが、現実の国家的プロジェクトを運営するだけの組織力とか運営力が教育・研究機関にあるというのは、さすがアメリカというところでしょうか。
  • 更に、司法省がその大学を訴えるのがびっくり。
  • 経済学者が、実際に自分の専門分野で身銭をきって投資をしているというのがびっくり。LTCMもそうですが、そりゃぁ、自分の財布がかかっていれば、いやでも真剣になりますよね。経済学が発展する理由も何か分かるような気がします。
  • でも、それを自分の所属する研究機関が請け負っているプロジェクトに関連してやる辺りがびっくり。ただ、裁判所の認定は「意図的」なものではなかったということで、直接にプロジェクトの情報を利用したと主張されているわけでもないんで、おそらくは、コンフリクトに関する感覚の問題なんだろうという気もします。
    まあ、この辺りは研究機関らしい脇の甘さ、というか、ウォール街的なチャイニーズ・ウォールをひいていれば、また結論は変わったような印象です。
  • 個人で和解で2M+訴訟費用を払える財力・・・アメリカの学者は、やっぱ儲かるんですね・・・
  • そもそも、司法省に訴訟を提起された時点で、日本だったらShleiferの「社会的地位」はどうにかなりそうなものですが、いくらSummersのバックアップがあったとはいえ、こういう機会でもなければ気づかないぐらいに元気に活動しているという辺りが、リベラルというか、アメリカだなぁ、と。

何かしょうもないコメントになってしまいましたが、個人的には結構面白い話でした。


Posted by 47th : | 11:25 | コメント (2) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

利息制限法と借り手保護の微妙な関係(2)

問題提起から大分間が空いていますが、別に忘れているわけではなく、ちょうど今やっているMicrofinance関係の問題意識と重なるところがあるので、それが終わってからぼちぼちやろうと思っているんですが、早くも影響が現実かしているようなので、メモ代わりに。

過払い返還5百億円、灰色金利制限で増 消費者金融4社 (asahi.com)

貸金業者に対し、利息制限法の上限を超える「グレーゾーン金利」分の返還請求が相次ぐ中で、武富士やアイフルなど消費者金融大手4社が返還に応じた額が、 昨年4~12月で358億円に達したことがわかった。最高裁判決などで借りた側に有利な司法判断が定着して返還額は急増。05年度は500億円近くに達する見込みだ。業者側は過払い金の総額を公表していないが、会計上返還すべき債務への計上を求める動きもあり、影響はさらに拡大するとみられる。
(中 略)
消費者金融大手4社でみると、05年4~12月の返還額は、武富士128億円、アコム87億円、プロミス75億円、アイフル68億円。武富士では前 年同期より6割増で、同期間の当期利益(369億円)が25%減った一因になった。アイフルもすでに05年3月期実績の倍近いという。前期の実績を明かさないアコムとプロミスも、返還額の急増は認めている。
(中 略)
借り手を支援する法律家グループは、業者側が返還すべき過払い金の総額を明確にし、契約者への債務として会計処理するよう要求。今月初め、日本公認会計士協会などに指導を申し入れた。仮に一括して会計処理する場合、多額の引当金の積み増しが必要で、業績にさらに大きな影響が出ることが予 想される。

ということで、やはり財務的にも相当のインパクトがあるようです。
少しマニアックな意味で注目なのは、消費者サイドの弁護士から引当金の積み増しのプレッシャーをかけているところでしょうか?
うがった見方をすると、「引当金を積む」=「返還すべきと企業も認識している」ということで訴訟や和解を有利に進めるという意図があるのかも知れませんが、余りにも鞭打つと逆に貸し渋りとかも出てくるかも知れません。この辺りのところは、消費者サイドの弁護士の方々はどう考えているのか、少し興味があるところです。
高金利でずるずると貸付を行ってしまうことによって多重債務者問題が深刻化しているという見方に立てば、この場合の貸し渋りは望ましいという判断があるのかも知れませんが・・・企業金融とのアナロジーでいうと、現在の貸金業者の与信管理が合理的になされていて貸出市場がある程度効率的に機能しているのであれば、高金利ローンへの借り換えによるデッド・オーバーハングの解消の可能性が絶たれてしまうことは、一概に借り手保護に資するとは言い難いはずです。
企業のデッド・オーバーハングと、個人のそれは必ずしも性質が同じではないかも知れませんが、やはり、この辺りの理論的な関係を整理しておかないと、本当の意味での消費者保護にはならないような気もします。

ところで、今回の判決が株価にどういうインパクトを与えているかということで、武富士とアイフルのチャートを。

 

 ちょっと面白いのは、1/13の第2小法廷判決のあと、1/19に第1小法廷が、1/24には第3小法廷が相次いで同旨の判断を示したんですが、後の2つはほとんど株価に影響を与えていないところ。
前回のドンキと比べると、この株価の動きはかなり効率市場仮説に近い動きに見えます。

なお、1/13の時価総額へのインパクトは武富士で400円×1億5000万株=600億、アイフルで1000円×1億5000万株=1000億ということで、市場は単純な当期利益へのインパクト以上のインパクトがあると見ているとも考えられます。
ちなみに、1/27にも両者の株価は大きく下落しているんですが(特にアイフル)、これは金融庁による貸金業融資ルール変更の動きに反応したもののようです。
これもある意味、同じ類のインパクトですので、これを入れるとマーケットへのインパクトは約倍・・・司法判断はこれだけのインパクトを持っているということですね。


Posted by 47th : | 01:30 | コメント (1) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

コモン・ロー万歳!

っていうか、余りにも法律家から見ると、荒唐無稽でしかない主張なので笑っていたんですが、私がStern(NYUのビジネス・スクール)でとっているM&Aの教授のAmihudも授業で肯定的に紹介し、NY Lawyerさんの受けている授業でのYermackもかなり肯定的に紹介したということで、Harverd経済学部教授のShlieferが中心となっているコモン・ロー賛美シリーズをとりあえずクリッピング(何れもHarvardのfuculty 紹介からのリンク)・・・っていうか、多い。

実は、「開発」の文脈でも、これが引用されて強力な法システムがないと経済発展はないという主張を支えているんで、そっちの関係でも何れは真面目に検討しないといけない話なんですよね。(というわけで、下記リンクには資本市場絡みではない開発絡みの論文も混入しているのでご注意を) 


Posted by 47th : | 20:26 | コメント (7) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

花粉対策と株価対策の類似点

思うことはいろいろとあるんですが、とりあえず目を通さなきゃいけないものに追われていたり、エントリーを書き始めても、うまくまとまらず更新が滞りがちになっています。
まあ、こうやってぐつぐつと煮込む時間があって、考えというのはまとまるはずですし、何か締切が切られているわけでもないので、そっちの重い話はのんびりと取り組むことにして、とりあえず脊髄反射的なエントリーを。

林野庁、花粉症対策の効果を粉飾 「処分は考えてない」(asahi.com)

林野庁が02年度から始めたスギ花粉症対策事業で、花粉をつくる雄花を減少させられない事例があったのに、減少させた事例だけを抜き出して公表していたこ とがわかった。同庁の辻健治次長は21日に記者会見し、事業の有用性を強調するためだったとの見方を示し、「正確さを欠く公表の仕方で誤解を招いた点は、 まずかった。遺憾に思う」と述べ、不適切だったことを認めた。
(中略)
効果の測定調査は各都府県が行った。その結果、02、03年度に20~30%の比率で間伐した77カ所のうち、少なくとも23カ所では雄花が50% 以上減少したが、31カ所では効果が確かめられなかった。このうち25カ所は、雄花の減少率が20~30%を下回り、残る6カ所では逆に雄花の量が増えて いた。
ところが、林野庁は少数派にあたる効果が確かめられた方だけを取り上げ、05年1月に同庁のホームページで「20~30%の伐採率で雄花が50%程度減少した」と公表した。
辻次長は記者会見で「測定結果の一部であるという前提条件をつけて公表するべきだった。(担当の職員は)花粉症対策上、事業が有効であることを示したかったのではないか」と説明した・・・謝罪のことばは最後まで聞かれず、責任者の処分についても「いまは考えていない」と明言した。

この次長のコメントを見ていると、「花粉症対策上、事業が有効であることを示したかったのではないか」ということが一種の言い訳(excuse)になると考えているようにも思うのですが、これは普通に考えて悪性の加重事由にこそなれ、減軽事由にはならないんじゃないでしょうか?

ある問題のある会計処理を行った理由について、「株価対策上、M&Aが有効であることを示したかったのではないか」という話であれば、あらゆる方面から石が投げつけられるわけですが、政策というのも、納税者から集めた資金を社会的に望ましいプロジェクトに投資するという意味では基本は同じなわけです。

そのときに、そのプロジェクトが効果的だったのか、それとも効果がなかったのかが、正確に開示されなければ、そのような資源配分が継続されるべきかどうかの判断もできないし、あるいは、より効果的なプロジェクトの立案にもつながりません。
その意味で、あるプロジェクトに関する正確なフィードバックとその分析は、あらゆる政策立案の基礎であって、これを恣意的にごまかすことは、決して悪性の軽い話ではないように思われます。

・・・まあ、なんて目くじらを立てても、これは所詮氷山の一角であって、客観的なデータに基づく政策評価という発想が薄いのは今に始まったことではないんでしょうが、こういう話が出てくると、改めてそうした部分での鈍感さにため息が出るわけです。

一つ、救いにもならない言い訳をするとすれば、客観的なデータによって、ある政策が失敗ないし効果がないということが明らかになるのを避けるために、そもそもデータによるフィードバックを避けるとか、データを加工・隠蔽するとか、データを強引に解釈するとかいったことは、国際的機関を含めて、およそあらゆる組織一般に潜む病理であって、別に日本だけではないんでしょうけど・・・


Posted by 47th : | 13:22 | コメント (7) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

極私的メイン・バンク論リステイトメント (2)

前回は幻想ともいわれるメイン・バンクによるガバナンスについて、事後的ガバナンス、あるいは、状態依存的ガバナンスという観点からみれば、有効な規律付けを与えていたのではないかということを書いてみました。

では、事前ガバナンスはどうか、という話に入る前に、いとう先生から頂いたコメントについて、ちょっと考えてみたいと思います。

三輪=ラムザイヤーからは「意味不明」呼ばわりされている負債の規律効果ですが、47thさんの記事を読んでも、私には腑に落ちないところがやはりありま す。47thさんのおっしゃるメインバンクによる状況依存型事後的モニタリングですが、この「モニタリング」の(銀行にとっての)目的は、「企業がデフォ ルトに陥らないようにすること」に尽きてしまうのではないでしょうか。そうだとすれば、そのような、「企業が経営危機に陥らなければよい」というだけの 「モニタリング」にどれだけ意味があるのかが、私には分からないのですが…

負債の規律効果・りだっくす

まず、私のテーゼは、日本における負債の規律効果はアメリカにおける敵対的買収の脅威と同程度というだけであって、アメリカの企業よりも、日本企業の方がよりよいガバナンスであったと主張するものではありません。

ただ、いとう先生が仰っているのは、おそらく、典型的な負債の規律効果は「債権者の(固定的な)取り分の維持」であって、残余権利者(residual claimant)である株主の価値最大化、ひいては企業価値トータルの最大化とは一致しない・・・したがって、株主価値を含めた自己資本部分の範囲内では経営者の私的利益の追求や非効率な経営の発生を防止できない点で、敵対的買収の脅威よりもガバナンスの程度は低いという趣旨ではないかと推測します(違っていたら申し訳ありません)。

実は、この点については、私なりにいくつかの考えがあります。ただ、あんまり直接にそういう観点から整理した文献とか議論が見あたらなかったので、前回はちょっとぼかしてしまったんですが、やはりつっこまれた以上は正直に私論を開陳して、ご批判をあおぐことにしたいと思います。

まず、単純な理屈の方からいうと、絶対的な負債比率が米国よりも日本の方が高いので、負債の規律効果もそれだけ高いのではないかという点です。
バッファとなる自己資本が十分にある場合には、デフォルトの防止だけでは経営者の規律付けは必ずしも十分ではないわけですが、負債比率が高ければそれだけ規律効果は強くなります。まずは、このシンプルな理屈というのはあるんじゃないかという気がします。


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Posted by 47th : | 23:11 | コメント (10) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

極私的メイン・バンク論リステイトメント (1)

neon98さんがシリーズ日本のコーポレート・ガバナンスを考える メイン・バンク論(上) (中) (下)で、Miwa=Ramseyer, The Myth of the Main Bnak:Japan and Comparative Corporate Governance に絡めてメイン・バンク論について検討を加えられています。

三輪=ラムザイヤーといえば、一連の日本型経済システム批判(日本経済論の誤解(2001) 産業政策論の誤解(2002))が有名で、メインバンク論批判も前者に詳しく書かれています。残念ながら、どちらも留学の際に段ボールに詰めて文字通りお蔵入りしてしまったので、手許にないのですが、個別のデータの収集・呈示の仕方には唸るものを感じる一方で、そこから日本型経済システムを全否定しようとする過程には、やや強引さを感じた記憶があります。

ただ、一方でメイン・バンク論というのが、分かったようで分かりにくいのも確かなところです。

特に、メイン・バンク論は日本型経済システム論は、アメリカを完全にoverperformしていた時期に盛んだった議論で、「アメリカと同等のガバナンスが効いている」というのでは足りず、「アメリカよりも優れているのは何故か」という課題をつきつけられていたために、オリジナルのモデルはかなり気負った部分があったような気がします。

最近もメイン・バンク論を取り扱った論文はそれなりにあるわけですが、ほとんどはメイン・バンク論の基本的なインプリケーションが有効であることを前提として、その限界や構造的なバイアスをあぶり出すという方向性が多く、三輪=ラムザイヤーのように「メイン・バンク論は幻想だ」という全否定する論者はきわめて少数です。

私は経済学者でも何でもありませんが、理論的な枠組みと実務における経験の両面から、やはり「メイン・バンク論は幻想だ」というのは、言い過ぎ何ではないかと思っています。

けれども、メイン・バンク万能論に与するものでもありません。

・・・というわけで、私は、メイン・バンクによるガバナンスというのは存在していて、それは、少なくとも80年代までは、経営者の私的利益の追求の防止という意味では米国における敵対的買収による規律と同程度には効果的なものであった・・・と考えているんですが、その辺りの理論的枠組みと根拠について、ちょっとまとめてみようかな、と。

なお、相変わらず記憶と思いつきに頼っているんで、細かいところを意図的かどうかはともかくはしょったり、理論的にあらっぽいところもあったりしますが、ご海容のほどを。

なお、標準的なメイン・バンク論についての説明については興味のある方は、青木=奥野『経済システムの比較制度分析』をお薦めいたします。特に、比較経済制度分析の視点を考えることで、メイン・バンク論や系列による株式持合、終身雇用制度を個別に採りだして批判を加えるという方法論には限界がある(その意味で三輪=ラムゼイヤーの批判のやり方は、青木=奥野の問題意識とすれちがっているようにもみえる)ことも分かるのではないかと思います。

・・・と前置きはこんなところにして。 

負債の規律効果

メイン・バンク論のもたらすガバナンス効果には、大きく分けて事前モニタリング、中間的モニタリング、事後的モニタリングの三段階に分かれるのですが、このうち事前モニタリングの有効性については、後で述べるように大きく議論があるところです。

ただ、実は事前モニタリングが存在しないとしても、事後的モニタリングが適切に機能していれば、少なくとも敵対的買収と同程度には経営陣の規律付けは可能です。

これは、一般的に言われる負債の規律効果の賜であって、それ自体は何ら日本固有の要素を含みません。つまり、企業経営が悪化してデフォルトに陥ってしまうと倒産手続に入り経営陣はコントロールを剥奪される・・・それ故に経営陣はデフォルトに陥らない限度で企業経営を効率的に行う規律付けを与えられ、エイジェンシー問題(経営者が自分の利益のために会社を非効率に経営する問題)が緩和されるというのが基本的なモデルです。

このように事後的な状態に応じて経営者からコントロールを剥奪するということによるガバナンスは、状態依存型ガバナンスとも呼ばれますが、本質的には、資本市場における敵対的買収の脅威による規律付けと同じメカニズムです。非効率な経営者が敵対的買収によって地位を追われるのと同様に、非効率な経営者は債権者によって地位を追われるわけです。

ここで一つ重要な含意は、このような形での規律付けにおいては、何も貸し手が年がら年中借り手を「監視」する必要はないということです。

この場合に大事なのは、①経営の全体的な効率性に対する事後的なモニターを行う意欲、②経営状況が一定の水準以下に達した場合にはコントロール権が現経営陣から奪われるという制度的な担保、③経営状況が一定水準以下に達した場合に貸し手が現経営陣からコントロール権を奪うということへのインセンティブ、であって、例えば、当該会社の事業に関する経営ノウハウや個別プロジェクトの(事前)評価能力などは必須条件ではありません。

・・・というわけで、メイン・バンク論に対する批判として、「銀行が多様な業種について、当該企業以上の評価能力を有することはできないし、実際にも、銀行員がそうしたプロジェクトの評価能力を持っていたという証拠はない」ということが言われますが、これは必ずしもメイン・バンク論の中核である状態依存型ガバナンスを否定する論拠にはなっていないように思われます。
 


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Posted by 47th : | 20:52 | コメント (7) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

何故、人は過大なる罰を欲するのか?

・・・と、偉そうなタイトルを書きましたが、別にそんな大層な話ではなく、Behavioral Law & Economicsの授業でならった「懲罰的損害賠償」に関する話です。

懲罰的損害賠償というのは、その名の通り「懲罰」的な損害賠償です。以上。

・・・だと刺されそうなんで、Wikipediaによりますと、「損害賠償請求訴訟において加害者の不法行為が強い非難に値すると認められる場合に、裁判所の裁量により、制裁を加えて将来の同様の行為を抑止する目的で、実際の損害の補填としての賠償に加えて上乗せして支払うことを命じられる賠償のことをいう」とあります。
例えば、自動車の欠陥で怪我をした人に対して、その人自身の治療費や慰謝料相当分に加えて、自動車会社が将来的に同種のことを繰り返さないように(抑止効果)とか、会社に反省を促すため(懲罰効果)に、賠償額を上乗せしましょう、というのがこの制度です。

なぜ、英米法に特徴的かというのも考えると面白いんですが、今回問題になったのは、陪審員による懲罰的損害賠償が凄まじく高額になるという点について。

たとえば、 マクドナルドのコーヒーで火傷をおった女性に2700万ドル(約3億円)(実損16万ドル)とか、クライスラーのミニバンの転倒で子供が死亡した事件の親に2億5000万ドル(約280億円)(実損1250万ドル)とかいう、凄まじい金額が懲罰的損害賠償として認められています。この懲罰的損害賠償の金額がどう決まっているのかというところが問題なのですが、実は、規則性というのを見出すのが非常に難しく、そこでBehavioral Law & Economicsの格好の研究対象となってくるわけです。

いろいろな実験をしてみると、陪審員は、いくら裁判官からの説示で、賠償金額を決めるにあたって、同種の事案への抑止効果をコスト=ベネフィット計算の上で考えるようにと明確に指示されていても、ほとんどそうした分析を無視して、「被告企業を罰したい」という感情に動かされるということが分かったわけですが、問題は、「何故、そこまでして被告企業を罰したい」と思うのかというところです。

そこについて、いくつかの仮説が提唱されていて、いろいろと含蓄の深いところがあるので、ちょっとご紹介です。

 


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Posted by 47th : | 23:06 | コメント (13) | トラックバック (2) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

クイズ:もしあなたが○○だったら(P大統領編)

さて、ここしばらくの特番モードはひとまず終わりにして、通常営業再開ということで。

春学期にとっているBehavioral Law & Economics(行動経済学を使って法的制度を考察するコース)の内容から、かるーい気持ちで出題したクイズ解説第2弾です。

"24"をもじったシチュエーションで問題をつくったところ、想定外の事態に陥ったのがP大統領編です。

まず、最初に私が期待していた「結果」(ストーリー)をお話しておきましょう。

実はこれがやりたかった

元々、2つの事例でやりたかったのは、フレーミング(framing)の違いによって、同じ内容でも選択が変わってしまうという問題でした。

600人の死亡が予想される伝染病に対する次の2つの対策のセットを見てください。

Positive Form

  • プログラムAが採択されれば200人が助かる。
  • プログラムBが採択されれば、1/3の確率で600人が助かり、2/3の確率で誰も助からない。

Negative Form

  • プログラムAが採択されれば400人が死亡する。
  • プログラムBが採択されれば、2/3の確率で全員が死亡し、1/3の確率で誰も死亡しない。

Positive FormとNegative FormのプログラムA、Bは全く同じことを言っているということを確認してください。
また、プログラムAとBはいずれも「助かる人間」の期待値は200人で、違うのはリスク(プログラムBの方がリスクが高い)という点も確認しておきましょう。(「助かる人間の数」以外を効用の指標に使うアイディアについては後で触れます)

プログラムAとBの何れを選ぶかは、最終的にリスクに対する意思決定者の態度に依存するというのが通常の説明でしょう。つまり、安全志向(リスク回避的)の人はAを選び、ギャンブラー(リスク愛好的)な人はBを選ぶというものです。

ところが、実際に、2つのグループに対して、この選択を実施すると、Positive Formの場合はプログラムAを選ぶ割合が高く、Negative Formの場合はプログラムBを選ぶ割合が高いことが報告されています。(実験手法の詳細は原文が手に入らなかったので分からないのですが、20年以上のpeer reviewにさらされている論文ですから、とりあえず実験手法や統計手法に問題はないと仮定しておきます)

両者の違いは、Positive Formが「助かる数」を問題としているのに対して、Negative Formが「死亡する数」を問題としているということを除けば全く同じです(この問題の立て方を「フレーミング」といいます)。

こうしたフレーミングの違いにより結果が異なるということは、例えば、陪審員に対する諮問の仕方によって、結果が異なる可能性があるということを意味するとされる・・・ということを、やりたかったわけですが、皆さんから頂いた回答を拝見すると、質問1と3における回答の選択は一貫していて、そうした差がうまく出ませんでした。

・・・というわけで、以下、敗軍の将として、その原因を分析してみましょう。

 


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Posted by 47th : | 00:23 | コメント (9) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

DNA鑑定についてのベイズの定理のインプリケーション

(1/23追記あり) 

ベイズの定理を使うことで、もう一つ興味深い洞察を得ることができるのが、多分、DNA鑑定をはじめとした科学的な証拠の訴訟における意味合いではないかという気がします。

次のような例を考えてみましょう。

ある絶海の孤島で、殺人事件が起きました。
島の人口は1000人。手がかりは、被害者の衣服についていた犯人のものと思われる血痕だけ。
なぜか、その島に滞在していた名探偵の子孫は、大胆な推理で、ある男Xが犯人だと名指ししました。
Xは、必死に否定しますが、名探偵の子孫は、自身満々に、「DNA検査をしてみれば、一致するはずです」と言い放ちました。
そして、DNA鑑定の結果は・・・見事に一致しました。
名探偵の子孫は、自信満々に言い放ちます。
「DNA鑑定の精度は99.9%・・・つまり、1000回に1回しか間違わない。もう、言い逃れはできませんよ」

・・・と、これを先回のベイズの定理を使って検証してみましょう。
まず、真犯人は、1000人の中に一人必ずいるとします。

ということは、Xが真犯人であって、かつ、DNA検査で一致する確率は、0.001×0.999=0.0999(%)です。
次に、Xが真犯人ではないのに、DNA検査が一致してしまう確率は、0.999×0.001=0.0999(%)です。
ということは、DNA検査が一致した場合に、Xが真犯人である確率は・・・計算するまでもありませんね、50%に過ぎません。

これでは、とても刑事事件でいう「合理的な疑いを入れないほどの証明」ということにはならないことは明らかです。
でも、「99.9%の精度のDNA鑑定で鑑定結果が一致した」というと、これはほぼ間違いないだろうというのが普通の感覚ではないでしょうか?これは何故でしょう?

この結果は、「事前確率」において犯人でない確率が極めて高い(99.9%の確率で犯人ではない)ことから生じています。DNA鑑定を有効なものにするためには、この「事前確率」を他の証拠を使って絞り込むことが大切になります。
たとえば、上の例で、村人のうち900人にはアリバイがあったとしましょう。
すると、Xが真犯人である確率は、0.01*0.999/0.01*0.999+0.99*0.001=0.91ということで、確率は一気に90%にあがるわけです。

ところで、上の計算では、真犯人ではないのにDNAが一致する確率を0.1%(100%-99.9%)とおきましたが、実際には、これは必ずしも正しくはありません。例えば、真犯人と一致する確率は99.9%である一方で、関係ない他人と一致する確率は極めて低く、0.01%しかないということも考えられます。
逆に、真犯人に対して99.9%の確率で反応する一方で、真犯人ではない場合にも1%の確率で反応してしまうような場合も、可能性としては考えられます。

私は実際の検査方法について余り知らないので、何ともいえないのですが、直観的には、金属探知機と同じように、確実に真犯人の場合には一致するような検査方法をとろうとすると、感度が敏感になって真犯人でない場合にも反応する確率も高くなるということはありそうです(Type I errorを減らそうとすると、Type II errorがそれだけあがる)・・・つまり、真犯人なら99.9%の確率で反応するが、そうでない場合にも1%の確率で反応してしまうというようなことは、理論的に考えると、十分ありそうな話です。

この場合、ベイズ統計理論による確率は、0.001*0.999/0.001*0.999+0.999*0.01=0.09ということになり、なんと10%にも満たないことになります。このことは、つまり、DNA鑑定の精度を考える上では、単に真犯人の場合に反応が出るという意味での信頼性のデータだけでは不十分であって、真犯人ではない場合にも反応が出る確率がどの程度あるかという意味での信頼性のデータが不可欠ということを意味しています。

私は、DNA鑑定の刑事実務を知らないのですが、この後者の意味での信頼性のデータというのは、どの程度明らかにされているのか、また、前者の意味での信頼性ときちんと区別がなされているのか・・・この辺りはちょっと気になるところです。

(1/23追記)

かつおどりさんのコメントを受けて、一応上の記事の範囲で考えていたことはコメント欄で、もう少し詳しく書いたんですが…確かに、実際のDNA鑑定のプロセスの中で、①被疑者が真犯人で反応が出る確率と②被疑者が真犯人ではないのにもかかわらず反応が出る確率というのは具体的にどうやって導かれるのかということについて、ちょっと気になりだしたので、とりあえず思いついたことを書いてみると…


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Posted by 47th : | 17:13 | コメント (4) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

クイズ:あなたが○○だったら(陪審員編)

皆様、軽い思いつきのクイズにお付き合い頂き、まずは厚く御礼申し上げます。

解説編といっても、既に皆さんが色々と書いてくださったように、いろいろな考え方があるんで、答えは一様ではないんですが、ここでご紹介するのは、一つの考え方のモデルということでご了承頂ければと思います。

まずは、P大統領編はひとまずおいて、先に陪審員編をやってみましょう。

設例をながながと書きましたがエッセンスは次の4点です。

  1. シェアだけを考えれば、問題のタクシーがイエローである確率は85%、グリーンであることは15%
  2. 証人はタクシーの色は「緑」=グリーンキャブだったと証言
  3. 証人が正しく色を識別できた確率は80%。つまり、実際のタクシーの色を正確に識別する確率は20%
  4. これらを総合して、最終的に50%を超える確率で問題のタクシーが緑だった場合のみ、請求を認める。

さて、この設問のポイントは、黄色いタクシーを間違って「緑」と言ってしまう確率がどのぐらいあるかというところです。
直観的・・・というか、ナチュラルな感覚としては、黄色の車だったのに緑と言ってしまう確率は20%しかないのだから、50%基準なら無視できる・・・ということになりそうなのですが、実は、そこには、「そこを通った車が黄色か緑かは二者択一であって、同じ確率」という考え方が滑り込んでいるんですよね。
昔、じゃんけんの期待値について考えたときにもあったのですが、選択肢の数と出現頻度というのは、一致するとは限りません。つまり、じゃんけんでとり得る値がグー:チョキ:パーの3種類だとしても、その出現頻度は、個人の性向によって違うかも知れないということです。

今回の話でも、タクシーの色は黄色か緑かは2者択一ですが、その現場における出現頻度は85:15になっています。
ということは、次の図のような関係が成りたっているということですね。(以下の図はBehavioral Economics の授業で用いられたスライドから転用したものです)

Taxi_Chart.jpg


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Posted by 47th : | 10:48 | コメント (4) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

クイズ:もしあなたが○○だったら

何か最近重い記事が多かったので、ここらで息抜きを。

今学期受けている授業で実際にやったことをアレンジした、ちょっとしたクイズです。

P大統領とJ君の会話

さて、あなたは、とある国の大統領です。
先ほど、あなたは、C○Uの有能すぎるぐらい有能だけど、上司の指示は全くきかず、大統領のいうことしかきかない困ったちゃんなエージェントJ君から、テロリストがとあるビルで細菌をばらまいたという報告を受けました。

J君「大統領。我々は、このビルの封じ込めには成功しました。このビル以上に細菌が広がるおそれはありません。」
P大統領「そうか。ありがとうJ君」
J君「ええ。でも、今このビルには10000人の人間がいます。彼らはもう全員細菌に感染してしまっています。Damn It !」
P大統領「まあ、落ち着きたまえ。何か手はないのか?」
J君「もちろん、あります。これまでのところ、有効と思われるワクチンが2つあることがわかっています」
P大統領「おお、そうか」
J君「しかし、問題は、Aワクチンの方は効果は人によって違うのですが、細菌のタイプは選びません。こちらなら、2000人は確実に助かります。」
P大統領「そうか。もう一つの方は?」
J君「Bワクチンの方は、強力なワクチンですが、タイプが合致していないと効果はありません。これまでのところで、細菌のタイプは5種類までは特定できたのですが、そのどれにあたるかわかりません。ワクチンがそのタイプに該当すれば、確率は1/5ですが、全員助かります・・・ただ、当てはまらなかった場合は、誰も助かりません。」
P大統領「全員確実に助かる手段はないわけだな?」
J君「ええ。そうです。大統領、あなたの決断が必要です。AワクチンとBワクチンどちらを使いましょう」

・・・さて、あなたはどちらを選びます? 迷っている暇はありません、5つ数える間に答えてください。

黄色いタクシーと緑のタクシー

とある雨の激しい真夜中、家路についたAさんの運転する車が四つ角の信号のある交差点にさしかかりました。
信号待ちをして、信号が青になったことを確認してAさんは交差点に入ったところ、直行する道路から凄い勢いで車が飛び込んできました。
慌ててAさんがハンドルを切ったところ、衝突は免れましたが、車は交差点の信号機につっこんで車は大破しました。
Aさんは、雨の夜で、真横から車が飛び込んできたために、車の特徴などはとても分かりませんでしたが、たまたま近くのコンビニの店員のBさんがスキール音と何かがぶつかる物音をきいて外に飛び出したところ、走り去る車をみかけました。
Bさんの証言によると、ナンバーは確認できなかったものの、車の屋根にタクシーであることを示すランプがついていたので、タクシーであることは間違いなく、色は緑だったということです。
幸か不幸か、Aさんに怪我はなく物損だけだったので、警察も捜査には余り乗り気ではなく、Bさんの証言の他には何も証拠となるものはありません。
その町では2台のタクシー会社、イエローキャブとグリーンキャブがあり、それぞれ黄色いタクシーと緑のタクシーを使っています。使っている車は全く同じで、違うのは色だけ。ただ、運行しているシェアでみると、イエローキャブが85%なのに対してグリーンキャブは15%に過ぎません。
腹の虫が治まらないAさんは、Bさんの証言を頼りにグリーンキャブに損害賠償を請求しました。
なぜか、その町では民事事件でも陪審制度がとられていて、あなたはこの事件の陪審に選ばれました。
訴訟でも、Bさんの証言以外の証拠はありません。グリーンキャブは、雨の夜の中、街頭を頼りに色をどれだけ判別できるものか実験すればBさんの証言の信用力を薄めることができると考えて、裁判所に鑑定を申請しました。
その結果は、グリーンキャブの期待とは裏腹に、雨の夜でも80%の確率で緑か黄色かを確実に識別できることが分かりました。ただ、20%の確率で、緑と黄色を間違えることもあるということです。
さて、今、裁判官は、あなたに対して、
「本件では、唯一の争点は、走り去った車が緑か黄色かだっただけです。もし、あなたが50%以上の確からしさで、事故を起こしたタクシーが緑だと考えるのであれば、Aさんの請求を認容、そうでなければAさんの請求を棄却してください」
という指示をだしました。
さて、あなたはどう判断するでしょう?こちらはごゆっくり。


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Posted by 47th : | 00:53 | コメント (7) | トラックバック (4) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

利息制限法と借り手保護の微妙な関係(1)

利息制限法の超過金利、支払いは原則無効・最高裁が初判断 (NIKKEI NET)

 

利息制限法の上限金利を超える高金利で自営業者に融資したアイフル子会社の商工ローン、シティズ(京都市)が、返済期日を過ぎた場合に残額の一括返済を求められる特約に基づき自営業者と連帯保証人に返済を求めた訴訟の上告審判決が13日、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)であった。同小法廷は「上限を超える金利について、事実上強制されて支払った場合、特段の事情がない限り、無効」とする初判断を示した。

 

既にろじゃあさんが紹介されていますが、実務に与えるインパクトは非常に大きい気がします。この判決では、期限の利益の喪失による実質的な利率の上昇による返済の動機付けを「事実上の強制」として捉えています。期限の利益の喪失は、スケジュール通りの弁済の動機付けとして最も有効な手段であって、およそあらゆる契約ではこの方式が用いられていることからすれば、最高裁は現在の実務についてデフォルト・ルール(原則論)として利息制限法違反であると宣告したことになります。

元々、利息制限法というのは、一定以上の利率を超える部分については「無効」といいつつも、弁済が「任意」になされた場合には取り返せないという意味で、「無効」というよりは「履行について法の援助を受けることができない」という構造になっています。ただ、裏を返すと、裁判所に履行を求めることはできないとしても、任意の返済を動機付けることは、それが脅迫とか詐欺のようなものでなければいいということにもなります。
(1/13 追記:さらに貸金業者については、貸金業法43条で一定の要件を満たす「任意の支払い」については「返還を請求できない」というだけではなく「有効」とされます。厳密にいうと、両者は法的効果が違う(利息制限法の下では自然債務としては残る)わけですが、「任意の支払いである限りは無効とされない」という点で余り区別して扱っていませんので、その点ご注意下さい。)

実際には、こうしたインセンティブ付けには色々なやり方があり得ます。例えば、最初に高い利率を設定しておいて、約定通りに返済された場合には減免をする、約定通り元利金まで完済されたら一部を返還する、一定期間約定通りの利率を支払ったら残りの期間の利率を減免する、約定通りの返済を行ったら与信枠を拡大する、etc...、期限の利益喪失による実質的な利率上昇は、そうしたテクニックの一つに過ぎないとも言えるわけですが、今回、この形でのインセンティブ付けは「事実上強制されて支払った」という法的評価が下されたことになります。

・・・さて、こうなると気になるのは、上にあげたような他のタイプのインセンティブ付けはどうなのか、というところです。およそ、インセンティブ付けを一切禁止してしまうのか、それとも、どこかで線を引くのか・・・線を引くとすれば、どこで線をひくのか・・・

法的なレトリックで言えば、この線引きは「特段の事情」というところでなされるのでしょうが、この「特段の事情」には何が入ってくるのかは最高裁判決からは明かではないような気もします。そもそも、インセンティブ付けそのものを問題視するのか、それとも、インセンティブのつけかた(反した場合のサンクションの過酷さ)を問題とするのか、それとも、個別の債務者の属性(例えば、利息制限法の存在について熟知していたとか?)をみるのか・・・そもそも、最高裁が、どのようなロジックで「事実上の強制」と「任意」を区別するのかが明らかでないために、この辺りもよく分からないところです。

判決理由の短さが問題となっていますが、この最高裁判決も、その意味では短すぎる・・・というか、この「結果」が経済にもたらすインパクトの大きさから考えて、その後の予測可能性を保証するという意味では明らかに不十分ではないかという気がします。今後、この判決の背後にある理論、特に私からみると、「事実上の強制」という概念の分析と、金融において用いられる返済インセンティブ創出との関係が議論によって明らかにされることが期待されるところです。

・・・というのが、「ちょこっとローエコ」的な本判決に対する私の見方ですが、もうちょっと、大きな枠組みでみて、そもそも国家が一定の利息上限を設けることの意義というのも考えてみるに値するような気がします。10日で1%とか、年率が100%とか、200%というのは、いかがなものか(暴利じゃないの)というのは何となく分かるのですが、年率15%を超えると無効というのは、果たして制度として望ましい制度なんでしょうか?

と、この辺りのことを、また、ちょこちょこっと考えていきたいと思います。 

ちなみに、私的には、この判決のロジックには疑問があるものの、結論については、今のところ是非どちらもありません。

個別の事案において中小企業金融において過酷な取立がなされていることや、よりマクロな視点でみても破産制度に対する社会的なスティグマが依然として大きく経済的再出発に対するハードルが大きいという社会背景と合わせて考えたとき、借手保護的な政策への傾斜は分からないわけでもありません。
他方で、これから考えていくように、一律の利息制限が却って真に資金を必要としている借り手への資金供給を阻害してしまう可能性も無視できないところです。

結局、最後は、市場メカニズムに対する修正がどの程度必要で、そのために望ましいメカニズムは何かということになってくるわけで、更にいえば15%前後という水準が適切かどうかというのは、本来はより実証的なデータに裏づけられるべきなんだろうな、というのが、直観的な結論です。

・・・ところで、上告代理人の方って、もしかして・・・ 


Posted by 47th : | 15:54 | コメント (1) | トラックバック (7) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

交渉と弁護士と囚人のジレンマ

ゼミの関係で読んでいるRonald J. Gilson, Value Creation by Business Lawyers: Legal Skills and Asset Pricing, 94 Yale L.J. 239 (1984)は、ビジネス・ロイヤーの存在意義について考察を加える非常に興味深い論文です。
その中に、大要、こんな感じの記述がありました。(あくまで要約です。原文では244-246頁をご参照下さい)

 

すぐれた弁護士は、交渉において依頼者の取り分を増加するという形で貢献するということが言われる。
事後的にみれば、一方が優れた弁護士を雇い、他方が能力の劣る弁護士を雇っている場合には、優れた弁護士を雇っている側が、交渉においてより大きな取り分を手に入れることができることが事実であろう。
しかし、事前の観点からみれば、弁護士を雇うことが依頼者にとって合理的とは限らない。
なぜなら、両方が弁護士を雇えば、弁護士費用などのコストの分、トータルの利益が減少してしまうから、両者にとっては弁護士を雇わない方が合理的だからである。
自分が雇う弁護士の方が優秀で、両者の弁護士費用を上回る追加の利益を得られると信じる場合にのみ、依頼者は弁護士を雇うはずであるが、そのような場面は限られている。
したがって、交渉において弁護士が雇われる理由としては、弁護士が雇われることによってトータルの利益が増加するということがあるはずである

 

 確かに、交渉力がある、あるいは、相手を出し抜くことができるというだけでは、弁護士の存在意義というのは限られますし、そもそも弁護士にとって主要な素養は交渉力だという結論にもなりかねません。
そうではなく、取引全体のパイを大きくすることがビジネス・ロイヤーの意義である「べき」ということについては、全くもってその通りだと思います。

・・・が、もしGilsonが、引用部分のロジックを、現実の弁護士が雇われている行動を説明するために(記述的に)用いているのであれば、このロジックはちょっとおかしいと思いませんか?


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Posted by 47th : | 08:53 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

結局、レジ袋有料化ですか?

中環審、レジ袋有料化で合意・容リ法見直し最終報告へ審議 (NIKKEI NET)

中央環境審議会(環境相の諮問機関)は28日、ペットボトルなど容器包装ごみの再利用を促す容器包装リサイクル法の見直しについてまとめた最終報告書案を審議し、レジ袋の有料化は「法的措置も含めて検討」することで合意した。

このレジ袋有料化については、前に「レジ袋「禁止」案の「?」」と「「規制」を待ち望む人々」で扱ったのですが、結局、有料化の方向で進むようです。
審議過程を見ていませんが、こうした規制のもたらす副作用については十分に検討されたのか・・・何だか憂鬱です。
関係あるような関係ないような話として、最近アメリカでは、子供の肥満の原因をアニメキャラクターを使ったファストフードやスナックの広告手法にあるとして、この広告を規制しようという動きがあります。
これについて、ちょっと前にThe Becker=Posner Blogでこてんぱんに叩かれていました。アメリカでは、ある政策が公表されると、データをふまえた評価がタイムリーになされるところで、何か違いを感じてしまうわけです。


Posted by 47th : | 10:59 | コメント (3) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

Moral Hazard Everywhere

(追記あり)
この話題はもうやめておこうと思ったんですが、bewaadさんから「みずほ証券誤発注に伴う利益についての考え方」というTBを頂いたので、ちょこっとだけ、ミクロの世界・・・というか、ローエコの世界の住人として、今回のみずほ証券の救済がモラル・ハザードを招くという議論について、ちょっとだけ。
おそらく、bewaadさんが引用されている本石町日記さんのエントリー部分が、今回の件に関する「モラル・ハザード」の問題を端的に指摘されているように見受けられるので、そちらを引用してみます。(なお、本石町日記さんは、利益の返還先がみずほ以外になる可能性があるということで、モラル・ハザードの問題については割愛して下さいという追記をされているのですが、bewaadさんの方で引用されているので、敢えて引用させていただきます。また、私の以下の見解は、返還先の如何にはかかわらず、たとえ返還先がみずほ証券であったとしても同じです)

さらに気になるのは、モラルハザードの懸念だ。今回のミスはオペレーショナルリスクが極大に顕現化した典型例と受け止められ、多くの金融機関が教訓にすべき事例。ところが、相当額が救済されるなら、リスク管理を真剣にやるインセンティブは薄れる。金融庁・日銀はそれでもきちっとやれと言うのだろうが、少なくともマーケット取引に関しては大失敗ほど救済される悪しき事例が残る。取引ミスは日常茶飯事であろう。個人が取引ミスで破たんした場合、普通は誰も救わない。銀行が困るぐらい金を借りた企業が救済(債権放棄)され、小額借りた零細・個人が追い込まれた不良債権処理と同じ構図が透ける。

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Posted by 47th : | 20:40 | トラックバック (3) | 関連エントリー (1) | Law & Economics

Affirmative Actionの功罪をめぐるSander-Ho論争

明日のQuantitative Methodの課題は、ロースクールの入学における黒人へのAffirmative Actionの功罪ということで、Richard H. Sander, A Systematic Analysis of Affirmative Action in American Law Schools, 57 Stanford Law School 367 (2004)をきっかけとした、以下の論争。

まず、アメリカだなぁ、と思うのは、二人のバックグラウンド。
SanderはUCLAの教授で、NorthwesternでJDとEconomicsのPh.D.をとっている。
一方のHoは、YaleのJD・・・って、まだ学生じゃんと思ったら、HavardのGovernmentで、こちらもPh.Dをとっていて、既にpaperをいくつか発表しているなかなか強者。
で、中身の方はといえば・・・


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Posted by 47th : | 23:55 | コメント (4) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

Behavioral Economics の悩ましさ

ふと思いついて書いたペッキング・オーダーのもやもやについて、思いがけず色々なコメントを頂き、ありがとうございました。特に獏さんともりたさんのコメントのやりとりを見ていて、改めてBehaivoal Economics って悩ましい世界だなと痛感。
(一応、念のために書いておくと、Behaivoal Economicsというのは「行動経済学」とか訳されたりして、ファイナンスの分野に適用されると「行動ファイナンス」(behavioral finance)といって、日本でも紹介が始まっていますが、認知心理学的な知見を応用して、従来の経済学が前提としてきた「合理的」な主体ではないということを明らかにして・・・そこからは?・・・従来の経済モデルの批判的検討を目指すのか、それともモデルの再構築を目指すのか?・・・うーん、説明しようとして、やっぱり分かっていないことが判明(涙))
この前の論点そのものについてのコメントは、少なくともオリジナルを読んでからじゃないと、余りにも空中戦になっちゃいそうなんで避けますが、ふと思ったことを書き留めておくと・・・
大体、すべからく人間は非合理なものなので、身の回りを探せば、「うっかり」とか「ど忘れ」なんかも含めて非合理な行動は山のように転がっているわけですが、多分、多くの非合理性は個人的なテイストの違いみたいなものと同様に、ある程度のボリュームをとれば、経済行動に対する影響は残差として処理できてしまうので、問題は残差として処理ができないようなシスティマティックなバイアスの有無ということになりそうです。
例えば、タクシーの運転手の中には、月曜日は「休みぼけ」で働く気がしない人もいるかも知れませんが、逆に月曜日はリフレッシュしてノリノリな人もいてサンプルが多くなると中和されるのであれば、この「休みぼけ」という現象を分析に取り入れる必要はないわけです。
ところが、有名な例のように、雨の日などタクシーの稼働率が高く、単位時間当たりの収入が多い日の方が、逆に労働時間が短くなるとういことが、サンプルを多くしても傾向的に見られれば、これをモデルに採り入れる必要が出てきます。
かくもBehavioral Economicsでは、実証的なアプローチが重要だということを、遅まきながら実感・・・しかも、Behavioral Economicsの悩ましいのは、実証的というのが、心理学的な知見に基づいた個人レベルでの行動パターンに関するものと、ある特定の経済活動単位で見た場合のパターンの2段階で必要になってきそなところ・・・
その上、個人のレベルで見られる行動パターンと経済的活動を結びつける際のモデル造りにも、色々と問題がありそうなところです。とりあえず、一つ思いつくのは、多くの経済活動は、純粋な個人ではなく、組織単位で意思決定がなされるところ。
例えば、一人でやれば、お馬鹿さんなことをやるとしても、3人寄れば文殊の知恵で、お互いの行動を客観的にチェックすることで、個人レベルで見られた非合理性が解消される可能性もありそうです・・・そういえば、Behavioral Economicsでよく扱われている事例は、「個人」投資家とか、「個人」タクシーとか、何れも「個人」レベルの話で、会社とか機関投資家レベルでの話は余りないような気もします。
この辺りが、Behavioral Approachを知識として持っていても、何かモデルに組み入れづらいと感じる原因かも知れません。
何れにせよ、こういう意味でのBehavioral Economicsのアプローチの有用性と限界については、もう少し勉強しないといけないんでしょうね・・・というわけで、春学期はBehaviral Law & Economicsの授業をとることに決定。
facultyは、イスラエル出身の若手で、某教授によるとNYUの次代のスター候補の一人とのこと。
Course Descriptionは以下の通り。

The law aims to control, guide, or facilitate many aspects of human behavior. To achieve these goals legal policymakers should benefit from an accurate account of how people make decisions. Research in psychology and behavioral economics has demonstrated that in many circumstances the standard rational choice model of neoclassical economics, which has also dominated the economic analysis of law, fails to provide a satisfactory account of human decision-making. As a result, a new model is emerging—a model informed by a more nuanced understanding of the interrelations between the law, economics and psychology of decision-making. This course will explore the implications of this new model for legal policy. Topics will include law enforcement, decision-making by judges and juries, pre-trial settlement negotiations, contract law and contracting, market manipulation and securities regulation, tort law and products liability, and antidiscrimination and affirmative action.

Posted by 47th : | 10:26 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

風営法中間試験回答

ご存じの方も多いかと思いますが、neon 98さんが、日本のラブホテルとその規制に関してアメリカのロー・スクールの教授が書いた論文を詳細に紹介されています((1) (2) (3))。
で、neon98さんが、最後に出題を。

1. 今までの論述を参考に既存の風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律の枠組みでラブホテルを規制するとした場合に、どのように定義規定を設けるべきか。理由を含めて簡潔に記述せよ。

2. 他に異なる規制アプローチが考えられるか。長所・短所を比較検討のうえ、もっとも望ましいアプローチを簡潔に記述せよ。

〔制限時間24時間以内。いかなる文献の参照も可能とする(但し、引用すること)がコピー&ペーストは不可とする。回答はトラックバックによること。以上。検討を祈る。〕

ちょっとCorporationで疲れた頭をほぐすために、挑戦してみます。


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Posted by 47th : | 00:45 | コメント (2) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

預保の方針転換は何をもたらす?

預保機構、公的資金返済で新ルール・自主判断で売却も (NIKKEI NET)

預金保険機構は28日、大手銀行などに注入した公的資金の返済に関する新ルールを発表した。機構が保有する銀行の優先株について、銀行から申請がなくても自主的な判断で普通株に転換、売却できるようにする。株価上昇で保有株の時価総額が注入額を大幅に上回っているうちに株を売却して公的資金を着実に回収し、国民負担を抑えるのが狙いだ。
(中 略)
新ルールは株価上昇などで優先株の処分が「極めて有利な状況にある」場合、機構が自主判断で処分できるとした。

金融庁のプレス・リリースと預金保険機構の発表した考え方を見てみると、「極めて有利な状況」の判断状況は次のようなもののようです。

優先株式等の商品性や株価の状況等から見て、適正な価格による処分により確実に利益が見込まれ、かつ、その時点で処分を行うことが極めて有利な状況にあること
(注)優先株式については、普通株式の株価が転換価格の150%程度以上で概ね30連続取引日推移していれば、処分により確実に利益が見込まれる状況にあると判断することとする。

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Posted by 47th : | 18:36 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

「経済物理学(エコノフィジックス)の発見」を読んで

昨日、日本から本や雑誌をまとめて送ってもらったのが届きました。3か月分ぐらいの商事法務もまとめて届いたのですが・・・何か余り興味は惹かれず、真っ先に手にとって、早速読み終わってしまったのが高安秀樹『経済物理学の発見』(光文社 2004年)です。

Econophysics_image.jpg

アマゾンの評価なんかも高かったので楽しみにしていたのですが、個人的には2つの点がもの凄くツボでした。


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Posted by 47th : | 17:17 | コメント (5) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

「優しい経済学」で頭の体操

ゴーログの「優しい経済学」は本当に優しいのか?というエントリーに書かれていた話について、ちょっと思うところがあったのでコメントを。経済学に興味のない人にはつまんないかも知れませんが・・・
元ネタは喜八ログさんの記事なのですが、高橋伸彰氏の「優しい経済学」という本にあった市場原理に関するコップの水に関する次のような話です。

のどが渇いて死にそうだけれどコップ一杯の水に対しては一〇円しか払えないという貧しい人よりも、二日酔いで頭が痛いので一〇〇〇円払ってもよいという金持ちのほうが市場では優先されるのです。こうした市場の原理を公共サービスの分野にまで可能なかぎり拡大しようとしているのが、「構造改革」の名の下で進められている民営化にほかなりません。

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Posted by 47th : | 12:04 | コメント (8) | トラックバック (2) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

松下電器、年金減額訴訟

松下電器の年金減額訴訟、原告の請求を棄却・大阪地裁

松下電器産業が退職社員向けに支給する企業年金をめぐり、同社やグループ企業のOBが「いったん決めた給付利率を一方的に引き下げたのは違法」と同社に差額分計約4000万円の支払いを求めた訴訟の判決が26日、大阪地裁であり、佐賀義史裁判長は「引き下げには強い必要性があった」として請求を棄却した。

退職年金減額訴訟については、以前から個人的に関心があって、旧ドリコム時代に法と経済学的な観点から、ちょっと考えてみたことがあります( 退職年金の「事後的」変更の法と経済学(1) (2) (3) (4))。というわけで、詳しい理由を知りたかったのですが、今のところ大阪地裁のHPにはポストされていません。
また、ポストされたら、とりあげるかも知れませんが、復習がてらにTBSの年金訴訟を題材にした過去記事の抜粋を紹介してみましょう。(4回分の記事をまとめているので若干長くなりますが)


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Posted by 47th : | 09:33 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

ゲーム理論と衆院解散

さて、私は政治の世界にはトンと疎いのですが、こちらで得られる断片的な情報から見ながら、今回の小泉さんと造反議員の方々の行動について、ゲーム理論的に見てみると面白い状況だなと思ったことがあったので、思いつき程度に。
さて、まずは小泉さんが、参院での決議に対して衆院解散をちらつかせるのが「筋」としていいかとか、「フェア」かと言われれば、全然そんなことはないと思いますが、郵政民営化法案通過ということを目的としてみれば、戦略としては極めて有効だったわけです。
ゲーム理論的にみれば、小泉さんが「参院否決の場合は衆院解散+造反議員は非公認」という「脅し」をかけたことによって、造反衆院議員にしてみれば、「参院否決」「参院ぎりぎり可決」「参院余裕可決」という3つの状況のペイオフの中で「参院ぎりぎり可決」辺りが造反議員のメンツを保持しつつ、党内混乱に対する執行部の責任追及の口実を与えるというところで、当面の落ち着きがいい状況というのが生まれていたように思うのですが・・・
どうも造反議員の方々は、小泉さんの用いた「脅し」に対して、「参院否決という逆風の中で党内の反発を更に買うような解散まではしないだろう」と高をくくってしまったんじゃないかというようにも見えます。というのも、何だか衆院解散が決まってから「新党結成か、いやそうじゃない」とか慌てている様を見ていると「参院否決の場合は衆院解散+造反議員は非公認」というシナリオをメイン・シナリオとして備えていなかったような感じを受けるからです。
でも、これまたゲーム理論的にみると、小泉さんの政治手法の中心というのは、「抵抗勢力」に対する「脅し」による目的の達成なわけですから、「脅しの信憑性」を失うことは自らの政治力の喪失を意味することと同義なんじゃないかという気がするわけで・・・そうすると、「脅しを実現しない場合」には「自らの政治力の喪失」という結果がほぼ確実に生じる一方で、「脅しを実現する場合」、つまり衆院を解散すれば、選挙の結果次第では自らの政治力を高めるという結果もあり得るわけですから、そうしたギャンブルにうって出る方が小泉さんにとって「期待値の高い選択肢」ということになりそうです。
・・・なので、ゲーム理論的に考えると、今回の小泉さんの決断というのは極めて合理的なわけで、更にいうと、こういう具合に「脅しを実現することが合理的な行動」となっている場合には、その脅しには信憑性があることになるので、造反組の議員の方々がゲーム理論的な意味で合理的であれば、ちょっと違う結果になったのかも、などということを思ったりしたわけです。

ところで、背水の陣の戦というのは、一面で見ると非常に戦いやすいわけで、今のところは、小泉さんの思い切りのよさに対して、造反組も民主党も後手後手に回ってしまっているような印象があります。
不謹慎かも知れませんが、いろいろと深い考えがあったとしても、一度けんかになった以上は、まずは「勝つ」ためになりふりを構っててはいけないわけで、造反組の方々も昔の新自由クラブの時のように思いっきりでかい旗を振って新党を結成したりとか、民主党も「郵政民営化選挙」上等で、正面から受けて立つとか、造反自民党議員を取り込むぐらいの気迫が欲しい気がします。
政権交代というのは、そのぐらいエネルギーの必要なことだと思うんですが・・・まあ、在外投票登録をしてこなかった私に、そんな偉そうなことを言う資格もないんですけどね。


Posted by 47th : | 11:35 | コメント (10) | トラックバック (1) | 関連エントリー (0) | Law & Economics

 
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