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「開発」(あるいは「発展」)って何だろう? (2)

さて、一応、私なりの「開発」理論への興味のバックグランドを話したところで、本題に入っていこうと思います。なお、以下に書いていくことは、あくまで現時点で私が理解している範囲内のことなので、誤りなどあるかも知れないことにご留意下さい。

「開発」の概念

経済理論について考える前に、まず規定しておかなくてはいけないのは、「開発」という概念の枠組みです。
まず、この時点で私がこれまでやってきた世界とは違う世界が広がります。私のなじみの深い世界では、基本的には貨幣価値を基準としたパレート・テスト(各人の満足度(効用)は貨幣的価値ではかれることを前提に他の誰かの満足度を低下させることなく、ある人の満足度を向上させることができるかを考える)という枠組みで考えればよく、貨幣にどうやっても換算できない満足度を考えるのは限界的なケースに限られ(それでも換算する人もいるが(笑))、最終的に実現した分配が「公正かどうか」というところには余り深く踏み込まずにすむわけです。

ただ、Easterlyに関していえば、彼の基本的なスタンスは、比較的私にもなじみ深いものです。

平均としてみれば、全体的な経済発展は富める者と貧しい者のどちらも豊かにする。

この考え方のもとであれば、基本的には「開発」とは一人あたりGNP(GDP)の最大化という目標を達成するための手段ということになります。

「開発」=「経済発展」?

この「開発」=「経済発展」という見方に対して、最も有名で有力な反論はノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センによる「人間的自由」(human freedom)あるいは「ケイパビリティ」(capability)の向上と見る見方でしょう。

センは、その著作"Development As Freedom"の冒頭でこう述べます。

ここで主張しようとすることは、「開発」は、人間が享受できる真実の自由を拡大していくプロセスとして見ることが可能だというものだ。

彼は、GNPの成長や所得の増加は自由の向上に対する一手段に過ぎないとして、「開発」には圧政からの開放や民主主義の定着といった政治的環境の変更や市民的権利の付与も重要だと説きます。

トリックル・ダウン

もう一つのポイントは、たとえ経済的な豊かさのみを考えるとしても、GNP(GDP)の向上が貧困の解決に役立つのかという問題です。開発経済学の世界では「トリックル・ダウン」(trickle down)として知られている問題ですが、Easterlyが基礎としているのは、Dollar and Kraayによる実証研究(Growth is Good for the Poor, 7 J.Econ. Growth 195 (2002))です。恥ずかしながら原文は未見ですが、世銀の行っている生活水準指標調査(LSMS)のデータを用いたクロス・セクション分析の結果、平均所得と貧困層(下位20%)の所得増加はほぼ1対1で対応している、つまり、国家全体の1%の経済成長は貧困層の所得を1%増加するという結果を得たものであり、「トリックル・ダウン」の存在を肯定する研究であるといわれています。

というわけで

こういう状況を踏まえて、Eastelyの用いている「開発」という概念について、現時点での印象をまとめておきます。

 

  • 視点の違い

    まず、「開発」を考える上でセンの問いかけが無視できないことは、確かだと思います。
    ただ、「援助」というフレームワークの中での限られた資源(援助額)の効率的な分配を考える上では、ひとまず経済発展に重点を置くというアプローチも合理性があるような気はします。
    私にとってなじみの深い会社法的な視点から言えば、まずは企業全体としての価値を高めることが、間接的にステークスホルダー間での成果の分配に関する合意の形成を促すという範囲で、企業価値の全体的向上を一義的な目標に据え、そのために効率的な制度設計(例えばresidual claimantである株主にコントロールを与える)を考えるというアプローチに近いというところでしょうか。
    その意味では、「開発」の中でも「開発援助」のあり方を考える上では、Easterlyのように経済発展にフォーカスを与えるアプローチも有用というのが、今の時点での私の印象です。

  • トリックル・ダウンはどこまで信頼できるか?

    むしろ、私にとって気になるのは、こちらの方です。
    トリックル・ダウンを信じれば、分配の公正性の問題には立ち入らずにすむわけですが、今の段階では、私自身は、そこまでトリックル・ダウンを信頼する材料を持っていません。
    まず、センが指摘しているように、貧富格差の問題は経済の成長段階よりも後退段階において、より深刻な形(飢饉等)であらわれる可能性があることを考える必要があります。経済の成長段階において成長の成果が分配されることは、後退段階においてその不利益の分配が比例的であることを直接には保証しないように思われます。この意味では、センのように政治的権利のあり方に踏み込むかどうかはともかくとして、分配のあり方を無視することはできないように思われます。
    もう一つは、アメリカを含めて現に先進国において所得分配の問題が先鋭化しつつある中で、開発段階において、それを度外視することができるのかということに素朴な疑問を覚えるからです。更に素朴なところでいえば、ペルーで見たような国内における所得分配の明らかな差を視界の外におくことに抵抗を覚えます。
    ただ、具体的にどういう具体にこの部分を織り込んでいくのかは、正直、まだ見えていないところです(ジニ係数を指標として用いることについても、まだしっくりこないところがあるんで・・・

Posted by 47th : | 14:23 | Law & Development

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コメント

こんにちわ、初カキコになります。
私は日本の大学で経済学を専攻している大学院生です。といってもマクロ経済の専門家でもないので、どのくらい47thさんの関心に応えられるのかわかりませんが・・・。

まず自分の専門に近いところから多少コメントしますと、不平等度の基準にジニ係数を使うのが余りしっくりこないとのことですが、私もその意見に賛成です。ジニ係数はあくまでひとつの指標に過ぎなく、それだけで「分配の不平等」という余りに大きな概念を捉えることは不可能です。ほかの指標や、分布曲線そのものの理解などを追加しなければなりません。しかしクロスカントリーの比較ですと、どうしても何十カ国といった数の国の比較になり、それらについていちいち精査している余裕は実証家にはないので、一番ポピュラーなジニ係数をみんな使う、という事情があります。だからジニ係数が上がったから不平等が拡大した、とはそう簡単には言えません。あくまで、便利な指標のひとつ、というくらいの認識でいいと思います。

ちょっと長くなってしまいました・・・、スイマセン。とりあえず細かい所ですがコメントしてみました。

Posted by rs250y : 2006年01月28日 20:45

>rs250yさん
専門の方がご覧になっているところで恥ずかしい限りです。誤解していることがあればまたご指摘下さい。
ジニ係数についてのコメントありがとうございます。また、ジニ係数については、ちょっと気になっていることを書くかも知れませんので、そのときはまたご意見をお聞かせ下さい^^

Posted by 47th : 2006年01月28日 22:22

47th様
さっそく「開発」の概念のご説明を頂き、かなりすっきりいたしました。
(私は本業がSEなもので、つい「開発→(コンピュータ)システム」を連想してました..)

今回の「トリックル・ダウン」という概念は、なんか昔聞いた覚えのある
『グラスをピラミッドにして、上から水を注げば、最後には最下層まで行き渡る』
という絵が浮かんで来たので、検索してみたところ、やはりその理論の正式名称だったのですね。
”開発行政概論”(中に滴下理論:Trickle-down Theory説明あり)(日本福祉大学 生江助教授HPより)

この「グラスのピラミッド」のイメージで想像(妄想?)して見たら
> まず、センが指摘しているように、貧富格差の問題は経済の成長段階よりも後退段階において、
> より深刻な形(飢饉等)であらわれる可能性があることを考える必要があります。
も、なんか腑に落ちるような気がしてしまったので、また性懲りなく 思いついた事を書いてみます。

1.成長局面(流れくる水量が豊富なとき)
  ⇒下まで滴って行き渡る(けど、まず最初に満タンになるのは、Topからですね)
2.後退局面(流れくる水量が少ないとき)
  ⇒上層部で止まってしまい、底辺の方は断水状態
3.恐慌局面(流れくる水量が全く途絶えた時)
  ⇒この場合はTopも底辺も同じく「断水状態」ですが、
    なんか直感的に、痛みは違ってくるような気が...

3.の違和感を考えてみた所、
「上と下では、容量(貯水量or貯蓄量)が違う」せいかな、と。
・上層=それまでの貯水量(貯蓄?)が大きい⇒蓄えを使えてなんとかしのぎ易い
・下層=それまでの貯水量(貯蓄?)が乏しい⇒断水の時の痛みは大きい

もしこうならば、モデル図は
[一律シャンパングラス]のピラミッド、じゃなくて
[上はポリバケツ、下はペットボトルのフタ]くらいのピラミッドの方が、実情を表わしている気がします。
ビルゲイツさんの場合になると、「東京ドーム」でしょうか..

(すみません、全て単に今日思い付いただけの見方ですので、あしからず..^^;)

いずれも、「水量」のみが判断の尺度ですので、
セン教授の「開発指標の定義」を採用すると、おおもとからひっくり返りそうですね・・
セン教授はお名前しか知らなかったので、この機会に著書を読んでみたいと思います。

Posted by vabo : 2006年01月29日 06:15

>Vaboさん
コメントありがとうございます。
グラスのピラミッドのイメージは確かにぴったりかも知れませんね^^
その喩えを使うと、センの指摘は、民主主義の場合は、下の者の痛みを放置して上の者が前と同じ水準の水を保持し続けることができないため、最低限の水は下にも回ってくるが、非民主主義ではそれが確保されないということになるんでしょうね。
この主張は、直観的には正しいような気もしつつ、経済的な成果の分配を政治的な権利の分配に直結しているところについては、100%納得しているわけではない自分がいます。

Posted by 47th : 2006年01月29日 13:39

47th様   コメント有難うございます。

センさんの著書を読んでいないため、そちらの是非はまだ全くわかりません..すみません
(かなり読みたくなりましたが、今週は締め切りが..)

少なくとも「滴下理論」モデルには、経済分配面で
・満ちるまでのタイムラグ(上から満ち下から干上がる⇒短期では行き渡らない)
・容量の違い(一般に、上層ほど容量&事前の貯蓄も多い)
という視点は考慮して無さそうかな、と。

↑は、単に「ピラミッドの絵」からのみの考察ですので
実際には学会で、既にこうした検証もあるものと思いますが(本当に独論です..)
私は、今も、どこか理論として根本の前提が欠けているのでは(しかも大きめ?)、の気がしてなりません。

(水の枯渇を「改革の痛み」と置き換えると、某国の近況に近いような気も...
  ~~やはり変に政治的要素が入ってるなという所で、自分も本業を始めようと思います)

Posted by vabo : 2006年01月29日 19:10

こんにちは。随分遅れたコメントで申し訳ありませんが、明治以降の日米の所得格差に関する大変興味深い研究が発表されましたので、ご紹介させていただきたくコメントさせていただきます。

http://elsa.berkeley.edu/~saez/moriguchi-saez05japan.pdf

私は阪大の大竹先生のブログ

http://ohtake.cocolog-nifty.com/ohtake/

でこの研究を知りました。既にご存知でしたら失礼のほどご容赦ください。

Posted by bun : 2006年05月07日 12:10

>bunさん
貴重な資料をありがとうございます^^
大竹先生のブログも初めて知りました。こちらもありがとうございます。
落ち着いたら拝見させて頂きます。

Posted by 47th : 2006年05月07日 16:02

 
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