« 花粉対策と株価対策の類似点 | メイン | 法学の多重人格性 »

「科学」の敷居

(2/24 追記あり) 

何か、M&Aのケース・スタディの宿題で5時間ぶっ続けでミーティングをしたり、また日曜日にミーティングをしなきゃいけないわ、ゼミのグループ発表も準備しなくちゃいけないのに、何か今ひとつしっくりこないやら、ブログは何か書いても途中で筆がとまってしまうやら・・・と、何かちぐはぐな日々が続いています。

そんな中、面白かったのがbewaadさんの中村正三郎さんの経済学観についてというエントリーです。

いつもながらの理路整然としたbewaadさんの切り込みが純粋に気持ちいいところです。

個人的な感想を言わせていただくと、スティグリッツの「入門経済学」の「日本版」の「訳者追記箇所」における数式の変数定義における「率」と「絶対値」の誤り(誤植にせよ筆者の勘違いにせよ)が放置されていたことで経済学のレベルが分かると言われても・・・論文とか大学院レベルの教科書で言われるんなら、まだしもというところでしょうか。経済学にある程度通じた人が入門経済学の和訳本の追加部分を真面目に読む確率がどのぐらいあるのかとか、変数定義を斜め読みする確率がどのぐらいあるのかとか考えると・・・これで経済学におけるpeer reviewの程度を図られても困るだろうなという気がします。
(2/24追記:しかも、そもそも「誤植」ですらなかったようです。もっとも、それならそれで、ひょっとしたら「率」という用語をパーセンテージと同じ意味で使わないと「科学としてなっていない」といわれるのかも知れませんが(笑))

ただ、自然科学の人から見ると、経済学を含めた社会科学の分野を「トンデモ」と思う気持ちは分からなくもないなぁ、と言う気になったのが、今学期受けているData Analysisの授業で教授が言っていた話です。

統計学的な手法で法則性を検証する回帰分析(regression analysis)のあてはまりのよさをあらわす指標でR-squareというのがあるんですが、自然科学の世界では99%で当たり前だけど、社会科学では40%程度でも十分な場合もあると・・・これだけでも、えっ!という感じかも知れませんが、実は経済学における実証研究といえば、R-squareが10%台でt値の絶対値が2を切る(統計的に有意とはいえない)係数もモデルの解釈において考慮に入れるなんていうのが、ごろごろしているわけで・・・自然科学の世界の人からすれば、「トンデモ」じゃん、と思っても不思議はないかも知れません(笑)

ただ、「科学」かどうかは、必ずしも「結果」として何が得られたかによって判断されるものではなく、そのアプローチによって判断されるべきものかも知れません・・・っていうか、これこそ有名な(といっても原著を読んだわけではないんですが^^;)カール・ポパーの話で、「反証可能性」(falsifiability)があるかどうかという観点から見ることになるわけですが・・・これこそ言うまでもなく経済学というのは、(上記のように実証のデータがそれほど強固ではないため、実証とそれに対する反証が難しいという面がある点はともかくとして、)反証可能性を持っている学問ですし、実際にそうした反証によって過去の理論が覆されたり精緻化されているわけです。

そういう意味では経済学は十分に「科学」なわけですが、さて、私の本来のフィールドである「法学」はどうなんでしょう?

むかーし、平井教授の「法律学基礎論覚書」も読んだんですが、正直、内容ははっきりとは思い出せません。ただ、経済学で叩かれるぐらいなら、法学なんて、もっと怒られそうな気がします。もっとも、そこまでしゃかりきになって「科学」の仲間入りをしなくてはならないのかは・・・よく分からないですね。

何か、まとまりがありませんが、とりあえず感想まで。


Posted by 47th : | 23:02 | Foundations of Law

関連エントリー

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://WWW.ny47th.COM/mt/mt-tb.cgi/279

コメント

あ,R^2は,別に10%でもいいんですよ。見てみたいcoefficientとerror termの間にcorrelationがなければ,biasありませんし,経済学は,partial derivativeの世界だから。モデル全体のフィットを考える場合(structuralで行くときとか)は,また話が別ですが。

Posted by もりた : 2006年02月24日 09:24

>もりたさん
経済学とかファイナンスのテーブルだと、R^2で0.1とかはよく見掛けるんで、そんなもんかと思っていたら、自然科学は0.95でも意味がない場合があるとか言われたんで、「へぇ」と・・・
まあ、自然科学の場合、treatment groupをきちんと作れる場合が多いからなんでしょうけど、そういう世界の人々から見ると、どう映るんだろう、と勝手に想像してみたりした次第です。
話は別になりますが、最近授業でMinitabの使い方を覚えて、いろいろと遊んだりしています^^
(本当は将来のアップグレードや自分の使用頻度を考えるとRの方がいいんでしょうけど・・・つい、怠惰に流れてしまって・・・)

Posted by 47th : 2006年02月24日 15:54

はじめまして。
いつも興味深く読ませて頂いています。
それぞれの法領域によって温度差はあると思いますが、法が、ある集団の文化(共通了解事項)と密接に関わる以上、法学は無理して「科学」を名乗る必要はないのではないかと、私も思います(別に科学的であろうという努力を否定するつもりはありません)。自然科学における自然や経済学における市場のような客観的なものが、絶対的かつ普遍的に存在していないような気がしますので、意固地になって「科学」にこだわる必要まではないような気がします。
また、社会規範の段階がいろいろあり、個人によって、どのレベルの規範に焦点を合わせるかによって、行動基準が異なるようにも思います。例えば、私は企業で法務に従事しておりますが、法律レベルでは違法でないことでも、業界の暗黙の了解事項や、一部上場企業としての社会的な信用等の法律以外のルールを考慮して、契約やプロジェクトを断念することもあります。断念したのは、其の時の状況から判断したからであって、時代背景、社会情勢、地理的環境等が異なれば、結果は変わっていたような気がします。
現に、判例等を見ていると、分野によっては、2つの間を行ったり来たりしているように見える時もありますし、ご政策的に(意図的に)、判例をある方向に偏らせている時もあります。
一方で、国境を越えた経済活動が活発になるにつれ、何らかの普遍的な原則が、特に会社法、商法及び経済法等の諸々の分野で必要とされているも事実です。
そのあたりを、どのように折り合いをつけなければならないのか、難しい問題だと思います。
話が抽象的で、まとまっておらず、申し訳ありません。

Posted by taghit : 2006年02月24日 17:54

科学的であらんとすることは法学においても経済に
おいても必要なことなのではないかと素人感覚では
思います。ただ、科学で解決できない部分の大きさや
処理はそれぞれの分野での慣習や適した処し方が
あるのかな、と。
医学・看護は科学とart双方のバランスが必要な
ジャンルですが、それはどの業界も一緒かもしれませんね。
結局「人相手の商売」という部分がどれだけ効いて
くるか、ということになるのかもしれないし。

医学統計の大家が、工学系は既に厳密にコントロール
出来てしまってるから面白くない(challengingでない)
から医学領域に来た、と言っていたのを思い出します。

業界の在り様(現状)とそこで働く人のモチベーション
は、これまた興味深いことに一致しないのかも
しれません。上記考え方は人間っぽい気がします。

こちらのエントリに関しても宿題気分。
別件で科学コミュニケーション関連の書籍を溜め込んで
いるのですが、本業が忙しくて読めず・・・
夏に読破予定なので、その後また考えたい宿題です。

Posted by taka : 2006年02月26日 08:56

はじめまして。興味深く読ませて戴きました。

エントリとここまでのコメントを読ませて戴いた上で、全体的に話がかみ合っていない気がしますが、それは「科学」という言葉の定義がかみ合っていないからではないかと考えます。

「科学」という言葉を使う際に、自分は二つの意味を考えます。
一つは、狭義の科学=自然科学。この意味では経済学も方角も科学ではありません。
もう一つは広義の科学で、この中には自然科学・社会科学・人文科学を含みます。この定義は、「論理に裏打ちされるもの」だと考えています。ポパーの言う反証可能性があるもの、と言い換えてもいい。
この意味では法学は完全に科学と言えます。争いに対してどちらの論理が妥当か、というのが法学だと思いますので。

このように定義すればtaghitさんの論理もtakaさんの論理も矛盾せずに説明できます。
taghitさんの
>法学は無理して「科学」を名乗る必要はないのではないかと、私も思います
というのは、狭義の科学を指していると解釈できますし、
takaさんの指す「科学」が広義の科学だとすれば
>科学的であらんとすることは法学においても経済に
おいても必要なことなのではないかと素人感覚では
思います。
というのも当たり前に思えます。論理に裏打ちされないものは学問として成立しえないでしょう。それでは信仰になってしまいます。
(これは芸術に関しては当てはまらないかもしれません。審美というのは論理ではない部分を含むでしょうから。)

個人的には(自分は自然科学の人間なので)もりたさんのコメントを読むと、「経済学はそれでいいのか?」と思いますが(はっきり言えば、それで(広義の)科学か?と。)、経済学の世界においては、その結果が理論に信仰と区別しうる論理を与えうるのであれば、それは科学たり得るでしょうね。

長文失礼しました。

Posted by hiko : 2006年02月28日 10:51

>takaさん
是非reunionをやりましょう^^
また、科学コミュニケーションの本を読み終わったらブログで教えてください。
>hikoさん
多分、taghitさん(あるいは平井教授)も、「科学」=「自然科学」という定義はとっていないと思います(それでは単なる用語の定義の問題になってしまいますよね)。
その上で、「法学」の中には、必ずしも「真理の追究」とは別の非常に実学的な側面があるということではないかと。「悪法もまた法なり」という言葉があるのですが、「悪法」と分かっていても、その「悪法」の適用を考えなくてはいけない部分や結論は決まっている中で「悪法であっても納得させるための論法」(おそらくそれ故に「詭弁」と呼ばれることもあるんだという気もしますが)技法が「法学」の中にはあり、「真理の追究」とか「論理の絶対性(普遍性)の追究」は必ずしも至高の価値基準ではないという辺りがあるんですよね。
あと、もりたさんは統計学を用いた実証研究における手法に触れていらっしゃるのですが、「完璧な実証」ができない領域は自然科学にもたくさんあるんじゃないかと思います。データから得られた結果の限界がきちんと意識され、その上でデータを解釈することは、むしろ「広義の科学」でもあることの証拠にもなるんじゃないかとも考えられるんじゃないでしょうか^^

Posted by 47th : 2006年02月28日 20:15

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
このブログをご覧になる際の注意点や管理人の氏素性についてはAbout This Blogご覧下さい。