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自己株買付とROEの微妙な関係

GMによるスズキ株式放出に関して、Apricotさんから非常に興味深いコメントを頂きました。

まず、Apricotさんの「スズキは6日はむしろ下がっていて、7日に大幅反発しています」というコメントをきっかけに、確認してみたのですが、日本時間の6日朝の段階ではGMによるスズキ株式放出はアナウンスされておらず、その後、日本の場が閉じたあとで買取方式が自己株式買付であることが発表され、翌朝までにToSTNET2で買付が完了しています。

ということは、7日のスズキの株価の上昇は、GMとの提携解消に反応したというよりは、自己株式取得という手段に反応したと見るのがいいようです。

まず、自己株式取得には一般に株価を押し上げる効果があるという実証研究の結果があるので、その意味では、自己株式取得に反応してスズキの株価が上がることは不思議ではないように思われます。

ただ、この株価上昇の効果は、自己株式取得が、現在の株価が企業の潜在的な収益性に比べて割安な水準にあるという経営者の認識を示すというシグナリング効果で説明されるのが一般です。今回の自己株式取得は、スズキ経営陣のイニシアティブではなく、GM側の意向を反映したものであることは明らかなので、この説明は難しいように思われます。

で、そこでApricotさんのコメントの中に見られる説明が出てくるわけです。

私は、(少なくとも日本の)市場関係者での主流な見方は、ROEの上昇とか、資本コストの低減(株式の益回りより負債の調達金利が安い)といったあたりだと思っていたのですが。

motherskyさんも、同様の趣旨のコメントを下さっていますが、このROEと自己株式買付の関係の話は、平成6年の自己株式買付規制緩和の頃に話題になったんですが、理論的に考えると、ちょっと不思議なところがあるんですよね。
(・・・といっても、私が不思議に思っているだけで、何か勘違いしている場合には、教えて頂けると幸いです)


ROEと株式価値の理論的関係

まずは、コーポレート・ファイナンスの標準的な教科書であるロス他『コーポレートファイナンスの原理[第6版]』から自己株式買付に関する記載を引用してみましょう(740頁)。

1株当たり利益が増えるので買戻し合意は有益であると、ときどき著名な金融新聞で目にするかもしれない。現金配当を買い戻しで置き換えるので・・・1株利益はまさしく上昇する。この結果成り立つのは、買い戻し後の発行済株式数の減少が、EPS比率の分母の減少を意味するからである。

EPSは分母が株式数で、ROEは分母が自己資本簿価なので、この記載のEPSとROEを置き換えると、Apricotさんとmotherskyさんのコメントと同じ趣旨になるわけです。

もう少し見てみると、株式の価値というのは、最も単純な式においては、次のように現されます。

株式価値(P)=EPS*(P/Eレシオ) ・・・(1)

この式からするとEPSが上昇すれば、P/Eレシオが一定であれば、株式価値(P)は比例的に上昇するはずです。これが、実務でEPSが重視される理由です・・・が、ロスの教科書においては、次のように続けられます。

しかしながら、金融新聞は買戻し合意におけるEPSの数値を、過度に重視しているかもしれない。これまで議論した無関係性命題をもとに考えると、EPSの上昇は必ずしも有益ではない。買戻しが余剰現金で賄われた場合、完全な市場においては、株主の総価値は、配当支払の戦略の場合も、買戻し契約の戦略の場合と同じであった。

無関係性定理を一から説明するのは、ちょっと骨ですので、私なりに荒っぽく言い換えてみましょう。

事業自体の収益性の改善ではなく、自己株式買戻しによりEPSが上昇するのは、負債/自己資本比率が上昇する、いわゆるレバレッジ効果によるものです。
レバレッジが大きくなれば、自己資本に対する期待収益は高まりますし、その意味でEPSが上昇するのは自然です。
それなら、できるだけ負債比率を高めた方が、株価は上がるということにもなりそうなのですが、実は、レバレッジによる期待収益率の上昇は、リスク(不確実性)の上昇を伴います。

(1)の式からいえば、EPSが高まると同時に、リスクの高まりを受けてP/Eレシオは下方に修正されなくてはいけないはずです。どの程度の修正が必要かといえば、ロスの教科書に書いているように「完全な市場」においては、丁度EPSの上昇分を打ち消すのと同じ程度に修正され、見かけのEPSの上昇にもかかわらず、株式価値(P)は変わらないということになってしまうはずです。

ただ、負債の場合は、支払利子が税務上損金算入され得るので、その分は理論的にも株式価値の向上をもたらします。この限りでは、今後のプロジェクトのファイナンスにおいて内部留保よりも貸付を利用する方が企業価値を向上することが可能ということなります。(もっとも、更に外部債権者と内部者との情報の非対称性を考えると、内部留保を取り崩して外部負債の割合を高めようとすることには、別の形での取引費用や流動性制約の問題が生じてくるので、特に成長機会がある場合には、内部留保の取り崩しは必ずしも望ましい選択ではない場合があるのと、倒産リスクの高まりから外部負債の資金コストも高まるので、一概に有利というわけでもありません。)

現実はどうか?ブートストラップ・ゲームの怪 

ということで、コーポレートファイナンスの理論から考えると、自己株式買付が株価を上げる理由は、①経営者の楽観的見通しを市場に伝達するシグナリング効果か、②フリーキャッシュフローの減少によるエイジェンシーコストの削減を通じた事業自体の収益性の改善の何れかが主要な要因なはずなんだけど、上記のように①の効果は今回は考えにくいので、②の効果が主だろうということで、前の記事の中で次のように言ってみたわけです。

一つ考えられるのは、スズキは20%相当の持分を市場価格で買い取ることができるほどに内部留保が積み上がっていたわけで、それが取り崩され負債比率が高まったことによって、経営陣への規律付けが高まることが期待されたということです

ただ、現実の世界では、レバレッジの高まりによる自己資本コストの上昇が、EPSの上昇と呼応しないことがあることも知られています。俗にいうブートストラップ・ゲームがそれです。

ブートストラップ・ゲームとは、安定した収益を有する企業が高収益高リスクの事業を買収することによって、EPSを高め株価を上昇させることを言いますが、これも本来は、高リスクの事業を買収した場合には、買収企業の割引率も上昇に修正されなければならないはずです。
そのため、理論的には、ブートストラップ・ゲームで高株価を実現することはできないのですが、1960年代のアメリカの合併ブームの主要な要因の一つは、これであったと言われています。1960年代には、市場が、EPSの上昇に反応する速度に比べてP/Eレシオを修正する速度が遅かったと言われています(例えばGaughan, Merger & Acquisition (3rd. ed.) p.540)。

P/Eレシオの修正は、EPSの計算に比べれば遙かに複雑であることを考えれば、今の日本でもEPSの上昇への感応度の方がP/Eレシオの修正よりも高いということは十分に考えられます。

もう一つは、ゼロ金利下の現状においては、負債の資本コストが自己資本に比べて異常に低いため、レバレッジを効かせたとしても自己資本の資本コストの上昇率は低いという可能性です。
もっとも、この仮説についても、ゼロ金利自体が経済全体のゼロ成長率に対応した政策である上に、実質金利ベースで考えれば、むしろデフレ下での金利水準は望ましい金利水準よりも高い可能性があることや、つい先日日銀が量的緩和解除を発表したことなどからすると、理論的にはハードルが多いような気もします。

・・・というわけで、理論的に考えると、自己株式買付に市場が大きく感応するというのは、なかなかミステリアスな部分があるのですが、市場というのは美人コンテストであり、絶対的な真理が成立するものではなく、市場参加者の多くが投票する候補者に投票するものが勝利する世界です。
その意味では、市場に実際に携わる方々の関心は、「現に」自己株式買受によるEPSとROEの上昇に株価が反応するという事実そのものなんで、私のように、「理論では」といっていてもしょうがありません。
実務の方が、「本来修正すべき」P/Eレシオの修正を怠っているのか、それとも、「理論が実務に追いついていない」のかは、どちらとは一概に言えなのも事実です。特に、最近盛んになりつつある行動ファイナンスの研究結果は、従来のコーポレートファイナンスの常識を覆すことも多いので、理論として美しくても「正しい」とは限りません。

まあ、そんなこんなで、ボトム・ラインは、私のように「理論的には・・・」とごちゃごちゃと考えることも、それはそれで価値はあるとは思っているんですが、こういうことを言っていても、美人コンテストの世界である市場では勝てないというところでしょうか。
それが分かっているから、(もちろん、職業柄微妙な立場に入るのがいやということもありますが、)私は株に手を出さないようにしているんですよね(笑)

Posted by 47th : | 00:18 | Corporate Finance

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コメント

>「完全な市場」においては、丁度EPSの上昇分を打ち消すのと同じ程度に修正され、
>見かけのEPSの上昇にもかかわらず、株式価値(P)は変わらないということになってしまうはず

すみません。不勉強で「無関係性定理」というものを全然知らないのですが、なんとなく違和感を感じます。

これって、「資本構成が既に適正化されている」のが前提となっていないでしょうか?ごく単純に考えて、同業種で、自己資本比率80%(過大資本)の企業と、同5%(過小資本)の企業では、自社株買いによるリスクの上昇(=PERの上昇)は異なってしかるべきと思います。

私は、スズキ(だけじゃなく今の日本の上場企業の多く)は、過去の過大なエクイティファイナンス、もしくは過小な株主還元によって、最適状態より自己資本比率が多い状態だと認識しているので(ついでに、それが市場参加者のコンセンサスだと信じているので)、資本構成の適正化につながる自社株買い(もしくは増配)は株価上昇につながると思っています。

で、資本構成が適正化されてこなかった(過大なエクイティファイナンス、もしくは過小な株主還元)原因は、エージェンシーコスト(株主利益より会社の安定)にあったと私は思っています。

要は「エージェンシーコストがゼロと仮定した場合に、資本構成は常に適正化され、自社株買いによるROE(EPS)上昇は株価に中立であるので、(今回のスズキの)株価上昇はエージェンシーコストの低下によるものである」という自己矛盾を含んだ結論にならないかなーということを思うのですが、いかがでしょう?

Posted by Apricot : 2006年03月13日 06:53

>Apricotさん
無関係性定理はノーベル経済学賞の対象となったコーポレートファイナンスの基礎原理であるモジリアーニ=ミラーの定理の応用なのですが、一言でいえば、「資金調達手法の如何は企業価値に影響を与えない」といわれるものです。よくパイの分け方を変えるだけでは、パイの大きさ自体は変わらないなどとも言われます。
また、ロスの教科書の一節をひきますが「この考え方は、発表当初の1950年代後半には革命的であるとみなされたが、以後MMモデルと裁定証明は広く受け入れられている。負債が株式よりも割安なようにみえたとしても、企業の全体的な資本コストは、株式のかわりに負債を用いて減らすことはできないとMMは主張する。その理由は、会社が負債を増やすと、残った株主資本はよりリスクを負うことになる・・・実際、MMはこの二つの効果が互いにちょうど打ち消しあい、そのため会社の価値と会社の全体的資本的コストの双方が、レバレッジと無関係であることを証明している」(586頁)。
つまり、無関係性定理が言っているのは、資本構成が最適化されているという前提ではなく、資本構成は株主価値に影響を与えないということであり、まさに、そのこと故に、コーポレートファイナンスにおいて、最も重要な定理となったわけです。
もっとも、MMの定理を現実に適用するには、一定の限界があることが知られています。その一つが、金融構造そのものが、エイジェンシーコストに関連するというもので、ある金融構造よりも別の金融構造の方がエイジェンシーコストを減少させることにより企業価値を高める可能性があるというものです。その典型がレバレッジを高めた場合の負債の規律効果で、LBOの理論的基礎になっているわけです。
というところで、MMの定理とエイジェンシーコストというコーポレートファイナンスの二大エッセンスを、このコメント欄だけで説明するのは、どだい無理があるのですが、ご興味があれば、コーポレートファイナンスの教科書には必ず書かれていますので、ご覧になられると、実務でやられている方にとっても、目から鱗のお話があるかも知れません。
もっとも、この世界は余り頭でっかちになってしまうと、いけないのかも知れませんが^^;

Posted by 47th : 2006年03月13日 08:59

いつも勉強させていただいております。
見当違いだったら無視してください。
スズキの時価総額(金庫株を除いたベース)は、あまり変わっていないのでは?
発行済株式数(金庫株を除いたベース)が2割近く減少して、株価が2割近く上昇したのであれば、時価総額のベースでは「行って来い」だと思われます。
MMは企業価値を論じていますが、1株当たりの株価については、議論の前提が異なるのではないでしょうか。

Posted by Tom : 2006年03月13日 09:29

>TOMさん
問題は、何故株価が上昇するかですよね?
こう考えてもいいかと思います。
今、スズキの時価総額が1兆円で、発行済株式総数が100億株だとしましょう(つまり1株100円ですね)。
ここでスズキが2000億円の大幅配当を行うと、時価総額はどうなるでしょう?普通に考えると、会社から財産がなくなるわけですから、時価総額は8000億円、1株当たり価値は80円に落ちそうですよね?
その後、株式併合で1株を0.8株に併合すると、株式総数は20%減って80億株になります。単に投資単位の偏向ですから時価総額は8000億円のままで株式数は80億株に減るので、株価は下の水準である100円になります。
では、配当のかわりに20億株を2000億円で自社株買いしたらどうなるでしょう?
会社から2000億円の現金が出ていって、株式数は80億株ですから、上の配当+株式併合と同じ状況ですよね?
さて、なのに何故株価が100円から120円にあがるという状況が起こるのでしょう?・・・というのが、問題意識の所在です。MMの定理は、「従って資本構成を変えるだけでは株主価値を上げることはできない。株主価値をあげる唯一の手法は企業価値の向上である」ということになるのに、一体何が起きているのかというのが、理論的な関心のポイントになってるんですよね。

Posted by 47th : 2006年03月13日 09:50

いえいえ。ご親切にありがとうございます。
「MM定理の下では、資金調達手法の如何は企業価値に影響を与えない」というだけで、目から鱗ものです。
ぜひ一度コーポレートファイナンスのお勉強もしてみたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。

Posted by Apricot : 2006年03月14日 06:44

実際の株価は、PER(将来の利益予想)で決まる要素が強く、資産価値が減っても株価に大きく影響しない面があるのではないでしょうか?
逆に言えば、資産を溜め込んでいる会社は、実際よりも割安になっていることが多いのではないでしょうか?(わたしの勤務する事業会社もよく言われます)
スズキの場合、溜め込んでいた資産を放出したことにより、割安状態が是正されたのではないでしょうか?

Posted by TOM : 2006年03月15日 04:19

はじめまして。最近ここを知り、楽しく読ませてもらっています。

ちょっと乱暴にいえば、

株価が100円で、一株あたり利益が10円なら、PERは10倍。

一株あたり20円が余剰なら、

20円の配当を行うと、株価は80円になって、一株あたり利益は10円、PERは8倍。
同額の自社株買いを行うと、株価は100円のままで、一株あたり利益は12.5円、PERは8倍。

一株あたり20円が余剰でないなら、

20円の配当を行うと、株価は80円になって、一株あたり利益は8円、PERは10倍。
同額の自社株買いを行うと、株価は100円のままで、一株あたり利益は10円、PERは10倍。

になりますね。

効率的に使われない余剰部分を切り落とすことは、好感される場合もありそうです。資金効率は上がって、投じている金額に期待されるリターンは増えますから(ご指摘のとおりリスクもですが)。これをPERの変化で説明する立場もあるでしょう。

実はおそらく、「はじめまして」ではないと思っているのですが、よろしかったらメールをいただけますか。
アドレスがわからなかったものですから。

Posted by oxistudio : 2006年03月15日 08:48

>TOMさん、oxistudioさん
現象として、今回のスズキのような状態が生じることは十分にあり得るわけですが、私が、このエントリーで問題としたのは、「何故EPSの修正にもかかわらず、PERは修正されない(あるいは高まる)のか?」という部分なんですよね。
資産が現金など流動性の高い物であれば、本来、それは株式の価値の一部をなしていないければいけないわけですが、何故、会社が現金を持っていることと株主が現金を持つこと(株主への実際の分配がなされること)が異なる経済的意味を持つのか、ということが、「理屈の上では」パラドックスに見えるわけです。
このパラドックスを解く一つの説明が、エイジェンシーコストであり、つまり、株主は現金を経営陣に持たせていても無駄遣いをする(マイナスのNPVのプロジェクトに投資する)と評価していたのではないかというのが、私の推測です。
Apricotさんへの返信でも書きましたが、このエントリーの根底にはコーポレートファイナンスの中心原理であるMMの定理があります。もし、ご興味があれば、コーポレートファイナンスの標準的な教科書には必ず書いてありますので、ご覧になるのも宜しいかも知れません。
ただ、こうした「理屈」の類は、後付けで株式市場に起きたことを説明するのには役立ちますが、実際の投資にどれだけ役立つかは微妙なところもあり(極論すれば、理屈の上では、誰も市場を上回る投資成績を上げることはできないことになりますし(笑))、そういう意味では手放しにお薦めしてしまうと、よくないのかも知れませんが・・・
>oxistudioさん
ブログのスキンを変更した際に、メールアドレスを落としてしまっていたようです。
ny47th2004@yahoo.co.jp を半角に直して送っていただければ、幸いです。

Posted by 47th : 2006年03月19日 15:34

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
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