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サックスとアンジェリーナ・ジョリーの重荷 (3・完)

講演の後は、質疑応答の時間がとられました。

正直、余り真面目に聞いていなかったので手控えもとっていなかたのですが、一つ興味深かった質問がありました。

歪んだ”FIA"

Easterlyは、Plannnerには"FIA"-Feedback, Incentive, Accountabilityがないと嘆いたわけですが、質問者は、問題はFIAの欠如ではなく、むしろ援助国と被援助国の意思決定者、つまり政府には歪んだFIAがあるからではないかと指摘します(以下はメモに基づくものではなく、記憶に基づくもので適宜私の解釈で補足しているものである点でご注意下さい)。

-例えばアメリカにとって資金援助は被援助国の貧困のためになされているのではなく、アメリカ自身の、あるいはアメリカ国民にとっての利益を達成するための手段として用いられている・・・例えば、1980年代までは対共産圏対策として反共政策をとる政府を支えるために援助がなされていたし、その後も資源国における米国企業の利権確保のための補助金として用いられたり、米国からの輸入物品購入と紐付きで援助がなされたりもした。
これはアメリカ政府は、被援助国の国民に対してではなく、アメリカ国民に対して責任を負っているからであって、その責任を果たすために途上国の発展を犠牲にしてもアメリカ企業の輸出拡大や利権へのアクセスを拡大する方策がとられることになる。
その意味では資金援助は被援助国の経済発展には役立っていないが、アメリカ企業、あるいはアメリカ国民の利益としては還元されているのではないか?
また、こうした援助国側の事情に鑑みれば、被援助国の支配者は、援助額の一部をスイス銀行の隠し口座に預け、あとはアメリカ企業の利益のために用いることが適切な戦略となる。アメリカにとってみても、自らの意向に従う限りは、完全な民主的政権よりも、こうした独裁的政権の方が望ましいことになる。
援助国も、ひいては被援助国も、援助資金の使途についてフィードバックを得て、それが「適切に」用いられることを監視する強いインセンティブを持っているし、「適切に」用いられなかった場合にはその責任をとらなくてはいけない。その意味で、そこには”FIA”は存在している。ただ、問題は、その”FIA"は途上国の発展という目的に向けられたものではなく、アメリカ-援助国の有権者に向けられている点が問題なのではないか?-


Easterlyは、この質問に対して、「全くもって正しい」(Abusolutely right)と認めました。

その上で、こう言います。

援助国の政府の歪んだインセンティブと被援助国の側の歪んだインセンティブの悪の連鎖(web of evil)が大きな問題であることは、明らかにそのとおりだ。
ただ、この問題は、長らく指摘されてきた問題でありながら、未だに解決の方向性すら見出せない、極めて厄介な問題であって、これを何とかしないといけないということになれば、なかなか前に進むことはできない。
しかし、私は、今ある膨大な援助資金の全てがそうした悪の連鎖に絡めとられてしまっているものだとも思っていない。
そうした資金があることも確かだが、一方で、純粋な他己主義に動機付けられた善良な資金もたくさん存在する。ただ、今まではそうした資金すらもが浪費されてきてしまった。
私が主張したいのは、今ある援助資金の全てでなくても、そうした善良な資金が無責任な政府に対してではなく、本当に貧困を何とかしようというインセンティブを有するSerachersに対して新しい資金のチャネルをつくることができれば、ゆっくりとだが、確実に世界は変わっていくということだ。

「夢」の功罪

最後に私自身の印象を簡単にメモしておきましょう。

まず、Angelina JolieであれSachsであれBonoであれ、あるいは、John Lennonであれ、世界の理想とか「夢」がなければ世界は変わりません。おそらくEasterly自身も、世界から貧困は撲滅でき、失われなくてもいい命が救われるという「夢」があるからこそ生涯を開発にかけることができるのでしょう。

ただ、一方で「夢」はお手軽な自己満足につながることも確かです。「夢に向かって努力していることそのもの」あるいは「夢を追いかけている自分が好き」・・・でも、本当は、その努力は「夢」の実現とは何の関係もなかったとしたらどうでしょう?
何をしていいのか分からない。でも、何かはしなくてはいけない。
その居心地の悪さにたえられないときに語られる「夢」は、危険な麻薬です。

Easterlyが、SachsやAngelina Jolieと違うのは、この道標のない「居心地の悪さ」を我々につきつけることです。
そして、そのことが、少なくとも私がEasterlyの語っている事実認識に対して高い信用を置く理由です。
おそらく、Easterlyがいうように、今のままの金をつぎ込むだけの援助は、さらに50年を要してもたった10セントの薬を届けることはできないのだと思います。

ただ、Easterlyの提供する代替策は、それはそれで余りにも楽観的です。
Searchersは極めてミクロレベルでは成功するかも知れませんが、それがマクロレベルでの発展につながるかは、これもまた自明とは言えません。

Easterly自身も、その限界は理解しているような気がします。それでも、なお、彼は何もしないよりは、「何かできること」を探しているのでしょう・・・その意味では、彼もまた、やはり「我々にできることはあるはず」というWhite Man's Burdenに囚われているように思われます。

でも、私自身が、こうして開発に興味を持ち勉強しているのも、また、自分にも何かできることがあるかも知れない・・・あるいは、しなければならないという呪縛に囚われているということなのかも知れません。

でも、そうした呪縛がなければ、何もできなくなるわけで・・・と、ぐるぐる回ってきましたが、少なくとも、それが呪縛であることを心にとめ、麻薬に頼ることなく、現実の居心地の悪さと、自らの無力さを見つめながら、それでも少しでも前に向かっていこう・・・

そんなメッセージを感じた1時間半でした・・・といったら、ちょっと気張りすぎかも知れませんが(笑)

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Posted by 47th : | 16:39 | Law & Development

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 水曜日に経済学部主催のセミナーでウィリアム・イースタリーの講演会があったので参加してきた。イースタリーの基本的な主張はすでに47thさんが手際のよ... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年04月07日 02:50

コメント

 この本、少しづつ読んでいっていますが、予想以上に大野健一や原洋之介といった日本の開発経済学者に近いことを言っているという印象です。また、中国の漸進主義的改革も称揚しており、そういう意味では僕などにも議論がわかりやすい反面、はっきり言って「そんなことを今更すごい発見のように言われても・・・」と思えるような箇所もあります。
 日本の開発援助も中国の経済発展ももちろんうまく行っている面もありますが問題点もあり、そこではむしろPlannnerの不足が言われたりするわけですが、その辺に関する著者の知識は総じて弱く、その分ツッコミが甘くなっている気がします。
  というわけで、逆説的にですが、日本の中で議論されていることがいかにアメリカの学術会に届いていないか、ということを痛感しながら読み進めているところです。

Posted by 梶ピエール : 2006年03月26日 03:44

>梶ピエール先生

>逆説的にですが、日本の中で議論されていることが
>いかにアメリカの学術会に届いていないか、
>ということを痛感しながら読み進めているところです。

確かに、こちらの授業で読む文献をみていても、アメリカ人のものか、途上国の出身者が書いたものの何れかで、アメリカ以外の先進国の研究者の研究はほとんど参照されていない感じがします。
そもそもDevelopmental Stateの議論などでも、肝心の日本人経済学者による分析が埒外に置かれて議論が進められている印象を受けたりしたのですが、こうしたところも含めて、「白人中心主義」・・・というか「援助してあげる側=アメリカ」と「援助される側」の対立構造が無意識のうちに出ているのかも知れませんね。
先日の大野先生と合わせてご紹介頂いた両先生の本は、是非拝見させていただきます。

Posted by 47th : 2006年03月26日 10:20

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
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