既存の金融債権者との関係でのSOの価値開示の意味
まず、オプションに限らず、およそあらゆる金融取引は、その対価が適正価額よりも低ければ、株主をはじめとした会社に対する既存の金融債権者(ここでは法律的な観点よりもファイナンス的な観点から株主も含めて「金融債権者」という用語を用いることにします)の利益は害されます。
逆にいえば、対価が適正である限りは、こうした形で既存の金融債権者の利益が害されることはありません。
SOの場合の対価は、会社に対して提供される労務や無形の貢献(過去と将来部分を含む)であって、これらについては会社法上資産として認識することに一定の制約があるため、SOは法的には「無償」として扱われていますが、経済実態的には対価取引に他なりません。
「対価の適正性」については、法的には有利発行規制という歯止めが一つあるわけですが、より実態的なレベルの話としては価格決定のプロセス、特に「独立当事者取引」(arm's length transaction)であったかどうかが重視されます。
こうした「プロセス」が重視されるのは、実際に行われた取引条件について後知恵的に有利不利を認定することは難しいと考えられているからですが、この「プロセス」の適正さに頼ることができない場合には「内容」の適正さに踏み込んでいかざるを得ません。
SOの場合(特に経営陣に対するSOの場合)には、利益相反(自己取引)の要素が否定できません。いわゆる「お手盛り」と言われる話ですが、法的には、その歯止めとして「内容」について株主による承認が求められているわけですが、これにはいくつかの限界があります。
中でも大きな問題の一つとして、株式の分散所有構造から生じる「集合行為問題」あるいは「合理的な無関心」と言われる問題があります。個々の株主にとっては、例えば総会に付議されたSOの発行条件を検討して、それが適切かどうかを判断するための情報収集・分析のコストを費やすことは必ずしも合理的ではありません。
オプションの評価は、現金報酬の額とは違って、評価モデルの確定やボラティリティなどの追加情報の入手が必要となり、余計に情報収集・分析のコストは大きくなります。
厳密に考えると、SOの会計的なコスト認識は株主の承認の後にはなりますが、会社が過去に付与したSOについて一定の合理的なオプション評価モデルを利用した評価を示すことによって、株主の情報収集・分析コストを現金報酬と同様のレベルに近づける効果は得られるでしょう。
この意味において、SOの費用認識は、経営陣への報酬の「歯止め」を実効的にすることに役立つことになると思われるのですが、CBをはじめとした第三者との交渉の末に発行条件が決定されるファイナンス目的のオプションの場合には、この趣旨は必ずしも当てはまるものではありません。
こうした点からすると、既存の金融債権者との関係でSOの費用認識の議論がCBなどに及ばなかったとしても、必ずしも不思議ではありません。
新規金融債権者との関係でのSOの価値開示の意味
以上は既存の金融債権者の利益との関係ですが、新規の金融債権者に関してはどうでしょう?
会社が負っている金融債権に関する情報が適切に開示されていない場合には、新規金融債権者は「不測の損害」を受けることがありますが、逆に言えば、適切な開示がなされていればこうした「不測の損害」を受けることはありません。
SOの場合も、実際に付与されるオプションの内容は開示されているわけですから、その意味ではSOの価値の開示如何にかかわらず「不測の損害」を与える可能性は低いわけです。
もっとも、そうは言っても、単に「オプションの価値を開示しておいて、後は自分で評価しろ」というよりは、その付与時点における評価を開示することは「親切」な側面はあります。(※)
ただ、SOについては、そもそも対価が金銭的なものではないので、一定の「評価」をかませた数字を会計的に計上するということが「必須」ですが、CBのようなファイナンス目的のオプションについては、発行時点で対価としてのキャッシュが流入していますので、特に会社側で「評価」というプロセスをかませなくても、これまでのどれだけの額のファイナンスがなされたのか新規金融債権者は知り得ます。
この意味で、 ファイナンス目的のオプションの発行については、既に投資家にとって目安となる数字が会計上認識されているわけです。その意味で、こうした目安となる数字が何らないSOとは状況が異なっているように思えます。
従って、仮にSOにとっては「評価」に基づく数字を提示することが必要だとしても(※)、そのことから直接にファイナンス目的のオプションの発行について、対価として流入した額以外に、あるいは、それよりも、会社による「評価」の入った数字を計上することが望ましいということにはならないのではないでしょうか?
更に進んで~「一括法」は生き残れるのか?
・・・というわけで、「大人の事情」に深入りしなくても、SOの議論がCBに波及しない理由は説明できるような気もするんですが、より根本的なところとしては、磯崎さんが指摘されているように、既に「区分法」への流れというのが厳然としてあるわけです。
この流れの中でCBにおける「一括法」は生き残ることができるのか?という、こちらの方が本質的な問題なわけです。
この点について、磯崎さんは、「会社法下の転換社債(転換社債の新株予約権部分には価値は無いのか?)」というエントリーにおいて「一括法」は投資家(株主)に不利益をもたらす芽を内包していると仰っています。
というわけで、次のエントリーでは「一括法」は投資家に不利益を与えるのか?ということを考えてみたいと思っているのですが・・・ただ、上限金利の方もあるんで、どっちを先に書くかは気の向くままということで。
(※)ただ、この「親切」が実際に投資家にとって利益となるかどうかは、市場の効率性や、開示された数値により一般投資家に生じるアンカリング効果の影響なども考える必要があるように思われます。一次情報ですら、それを開示することが常に投資家保護に資するとは限らないことについては、「裏側」情報の開示は投資家を救うか?というエントリーで触れたことがあるのですが、ましてや「評価」というプロセスが入った加工情報の開示については、将来情報と同様に投資家をミスリードしてしまう可能性もあります。とまれ、このエントリでは、そもそもSOの費用計上の流れに疑問を投げかけるのが本来の目的ではないので、一応、SOの費用計上は投資家への情報開示として望ましいという前提をとった上で、CBとの違いに注目しています。