« SOの費用認識はCBを殺すか? | メイン | 阪急TOB・・・しかし、対決姿勢は変わらず »

上限金利規制の論拠を考える:借り手のバイアス(1)

前回までは、サプライ・サイドの議論として、「消費者金融市場は競争的ではないので、上限金利規制をすべし」という議論に対して、①複数の市場成立の可能性を考えると単一的な上限金利規制にはなじまないこと、と、②仮に大手消費者金融業者で構成される市場に独占的競争状態が存在しているとしても、そこをターゲットに金利規制を導入することは、競争的に機能している可能性のあるそれよりも高金利での貸出を行う中小金融業者によって構成される隣接市場を壊滅させてしまうという点において望ましくないという議論を展開しました。

というわけで、次の根拠としてはデマンド・サイドの議論に着目をしてみたいと思います。
つまり、「デマンド・サイド(消費者側)は、放っておけば「無謀な」借入を行うので、これに歯止めをかけてやる(ある価格以上では買えないようにしてしまう)必要がある」という議論に関するものです。

この議論について、私が用いる枠組みは「行動経済学と法」という分野において論じられているものですが、比較的新しい分野ということもあり、また、個々の論点の位置付けを踏まえないとミスリーディングな記述となってしまう可能性があるので、まず非常に大きな議論の見取り図を用意したいと思います。


ちょっとした「お約束」

まず、最初に敢えて断っておきたいのは、今後のエントリーで触れる消費者の行動原理、特に一般的な経済学の仮定するところの合理的経済人とは異なる「バイアス」や「非合理性」(以下「バイアス」とまとめて呼ぶことにします)の存在を経済学的な政策決定基準として用いるかについては、今なお「神々の争い」がなされているということです。

私自身の立場は、既に「世の中」とローエコというエントリーで、「個々の人間が非合理なのはむしろ当然であって、問題はそうしたバイアスがシステマティックに観察されるのか、あるいは、その集合としての行為にどのような影響を与えるのかという点にある」という点に集約されます。ただ、こうした「バイアス」とか「非合理性」とかいうのは「禁断の木の実」というところがあって、これが徒にふりかざされると、およそ経済学的なベースでの政策議論は不可能になってしまうからです(※)。
そこで、これから行動に関する「バイアス」を扱っていく中で頭に留めておいて欲しい一つの「お約束」があります。

それは、「バイアス」に対する自分の「皮膚感覚」を信じない、というものです。
これから指摘される「バイアス」について、「あ、これは分かる」という「皮膚感覚」から「他の人にも皆当てはまる」と結論づけることそのものが、heuristic biasに囚われている可能性があります。
ややトリッキーですが、「皮膚感覚はあてにならない」というバイアスの指摘について、「そうだそうだ。それは一般的に当てはまる」と「皮膚感覚」で判断することそのものが、「皮膚感覚はあてにならない」というバイアスに囚われてしまっている可能性がある・・・これが人間の認知能力の限界の一つなわけですが、「非合理性」や「バイアス」の存在を認めるからこそ、その「存在」の立証にあたっては、それを判断する者の「非合理性」や「バイアス」をいかに排除するかが重要になるわけです。
今後のエントリーでは、いろいろなタイプの「非合理性」や「バイアス」を指摘する予定ですが、それらは何れも現段階では「可能性」に過ぎません。また、エントリーで述べる政策論も、「可能性」をベースにした議論に過ぎないということをお含み頂ければと思います。

議論の進め方

上の「お約束」を踏まえた上で、次回では、まず「消費者が『過剰な』借入を行うとすれば、そこにはどのような心理的メカニズムが働いている可能性があるのか?」という論点について、主にCass R. Sunstein,Boundedly Rational Borrowing, 73 U. Chi. L. Rev. 249 (2006)(こちらから入手可)に沿って紹介します。

次に、少し視点を代えて、仮に消費者側に一定のバイアスがあるとしても、供給側の市場構造が十分に競争的であれば、こうしたバイアスは解消されていくのではないか?という疑問について考えてみたいと思います。
この部分については、既に前回のエントリーで、大手消費者金融業者による競争が独占的競争だとすれば、宣伝広告による製品差別化を緩和して金利面での競争を促進することが望ましいんじゃないかという「アイディア」 も提示したのに対して、Apricotさんから、「ならば、消費者金融だけでなく、すべての産業において広告による製品差別化を禁ずることによって厚生の向上が図られる・・・のでしょうか?(?_?)」というコメントを頂いたところとも関係する話です。
既にApricotさんへのお返事の中でほのめかしたのですが、ある市場条件の下では、「全ての供給業者が消費者のバイアスを利用する状態が均衡として成立してしまう」、従って、「この均衡状態を解消することが望ましいとすれば、政府による介入の余地があり得る」という点について考えてみようと思っています。

最後に、一つめの「バイアスの可能性」と二つめの「市場自身によるバイアス是正の可能性」の二つの点を考慮した上で、どのような政策パッケージが考えられ、それらはどのような関係に立つのかを議論したいと思います。
結論を先に書けば、洗練された消費者の選択を狭めることなく、バイアスに囚われている消費者の行動を是正するような政策パッケージが望ましいパッケージであって、洗練された消費者の選択までも奪ってしまう「価格規制」は、消費者に生じ得るバイアスを念頭に入れたとしても、政策的選択として望ましくないというのが私のポジションということになります。

・・・と、なかなかに壮大な試みですが、興味のある方は、どうか気長におつきあい下さい。

(※)
そもそも、「社会全体の効率性を政策目標とする」という経済学的な政策論自体、自明のことではなく、一つの政策的価値判断です。例えば、「構成員間の公平感の充足」や「社会的弱者に対する保護」を政策目標とすべきという主張は当然にあり得ます。
しかしながら、社会全体の効率性の向上は、配分の選択肢を広げるという意味において、なお、とりあえずの政策課題とすることには合理性があります。従って、まずは「社会全体の効率性の向上」という政策目標を検討した上で、その政策目標と他の政策目標との間の齟齬を検討するという枠組みには一定の合理性があるというのが、今の時点での私のスタンスです。

Posted by 47th : | 00:52 | Law & Economics

関連エントリー

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://WWW.ny47th.COM/mt/mt-tb.cgi/464

このリストは、次のエントリーを参照しています: 上限金利規制の論拠を考える:借り手のバイアス(1):

» (貸出)上限金利は引き下げない方がいいと思うんだけど from 行列のできない法律相談所?
今までは銀行系消費者金融などが利息制限法(15〜20%)、貸金業者は出資法(29.2%)と分かれていて、クレジットカード会社や貸金業者が貸し出す金利帯を「... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年07月04日 22:38

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
このブログをご覧になる際の注意点や管理人の氏素性についてはAbout This Blogご覧下さい。