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CBは「特異点」?

SOの費用認識はCBを殺すか?」というエントリーで会社法勘のリハビリをかねてつっこんでみたところ、磯崎さんから「会社法下の転換社債と「裸の特異点」」という鋭い切り返しを頂きました。

「誰も入ったことのない洞窟」を一人で探検するのは心細いので、ツッコミ大歓迎であります。

と仰っていただいたので、引き続き、ツッコミをして、「一括法は滅び行くごとが運命付けられているのか?」ということを考えてみる・・・前に、「一括法」は「特異点」という磯崎さんの指摘に対して、ちょっと抵抗(?)しておこうかと思います。

磯崎さんは、会社法下でSOの費用認識が必要になったことをもって、次のように述べられています。

つまり、会社法による大きな転換は「オプションの公正価額は算定できるのが前提」ということであり、今や(この5月以降)、新株予約権の価額を会計上計上しなくていいのは、「転換社債」の要件を満たす場合だけであって、数学っぽく書くと、下図のように、(特に公開企業の場合)この部分だけが唯一の「特異点」になっているように思えます。

この後に続くブラックホールの話には、悲しいことについていけなかったので、ここでは「特異点」というのは、「一人だけ変わった奴」という意味合いぐらいで考えてみますが、「特異点」かどうかというのは、結局、母集団をどう捉えるかという問題によって変わってくるので、母集団と分類軸についてコンセンサスがないと、CBを「特異点」扱いすることはできないはずです・・・で、この母集団と分類軸については、磯崎さんが暗黙に仮定している定義に対して、次の疑問が即座に思い浮かびます。


「オプション」だけが母集団? 

まず、「オプション」だけでなく、およそ金融商品、もう少し限定して「金融負債」について考えてみると、借入金や社債などの通常の借入、あるいは、エクイティ部分については「公正価額評価」は義務づけられていないんじゃないかという疑問が思い浮かびます。
例えば、典型的な銀行借入をとってみても、時間的価値とリスクを考慮に入れると、金融負債の「額面」と「公正価額」は一致するとは限りません。例えば、額面が1000万円でも適正な金利水準を上回る利回りを約束すれば、負債としての価値は大きくなりますし、その逆もまた然りです。
そもそもCBやそれ以外の新株予約権付社債というのは、こうした負債としての側面とオプションとしての側面が法的に一体とされている金融負債だと考えられます。とすると、オプションだけでなく、こうした通常の社債との比較を考えてもおかしくないはずですし、次回以降考えてみたいと思っているんですが、CBにおける「一括法」と「区分法」の是非を論ずる際には、この負債部分の処理の仕方というのが、いろいろな影響を及ぼす面もありそうです。

転換権付株式は?

もう一つ、新株予約権付社債と同様に、自己株式オプションと現物金融負債を組み合わせているものとしては、転換権付株式があります。
「区分法」的な発想からいえば、例えば、社債型優先株式に転換権がついている場合には、優先株式部分の公正価値と転換権部分の公正価値を分離して考えるという発想もあり得ないわけではありません。
もっとも、転換権付株式の場合には、区分した二つの要素のどちらもエクイティであることに変わりはないので、新株予約権付社債とは、少し状況が違うのは確かです。優先株式部分だけの払込金額を資本・準備金にして、オプション部分は新株予約権と同様の扱いとするとなると、資本増加額に関する会社法の規定との調整が必要になるでしょうし、ひとまず全額を払込金額として取り扱った後で、オプション部分が行使されずに無価値のまま残った場合に取り崩してしまうにも資本・準備金の減少に関する会社法上の問題が出てきます。
その意味で、転換権付株式に「区分法」処理を行うことは、そもそも会社法上難しいわけで、全く一緒に扱うわけにはいきませんが、オプション価値の独立認識が貫かれているかというとそうでもない、ということは言えるんじゃないかと思います。

「右」→「左」へのパラダイム・チェンジ?

次に、磯崎さんはCBを「特異点」として取り扱うに際して、「価値を認識」/「価値を認識しない」という2軸を用いられていますが、「区分法」と「一括法」の比較や、SOとの関係を論じる上では、「価値」を何を基準に評価するのかという「物差し」から見ることも重要なんじゃないかという気がします。

元々、平成14年改正の際にCBに一括法が引き続き適用されることになった理由の一つは、「独立当事者取引価格」があるという点だと思ってたという私の観点からすると、SOの費用計上とCB以外の新株予約権付社債は、発行者自身の評価をとらざるを得ない、という、いわばやむにやまれぬ理由があるという点で、どちらかというと、こちらの方が「特異」なんじゃないかという気もするからです。

もっとも、この点について、磯崎さんは、「会社法下のストックオプション(事例データベース編)」で、次のようなパラダイムチェンジがあるんじゃないかということを仰っています。

会社法においての「ノリ」としては、基本的には、新株予約権のオプションバリュー(貸方[右])というものが確固として実在するものと認められて、それが決まってから、借方(左)の「費用」や「社債発行差金」が決まってくる、というイメージになるんじゃないかと思います。・・・
オプションバリューが「計算の仕方のよくわからない怪しげでフワフワしたもの」という位置づけから「きちっと計算で確定できる確かなもの」という位置づけに変わった、というところが、会社法による大きなパラダイムチェンジじゃないかと考えております。・・・
と考えると、転換社債に「一括法」が容認されているというのは、この例外になるわけですね。 

でも、本当にそうなんでしょうか?

労務や無形のサービスを対価とするSOの場合については、借方(左)の測定自体が定型的なものではなく困難なので、貸方(右)からアプローチしなくてはいけないかも知れませんが、「左」が現金のように評価がかちっとしたものであれば、オプションの世界でも、そちらを優先するんではないでしょうか?
(実際にはほとんど用いられませんが)現金を対価として発行されるファイナンス目的の新株予約権が発行された場合にまで、現実の発行対価ではなく、発行者自身が行ったオプション価値評価を使うということは、ちょっと考えがたいような気がします。
例えば、発行会社自身の評価によれば10億円の価値があるという新株予約権を、①運良く12億円で発行することができたから、2億円を益として計上する、あるいは、②運悪く8億円でしか発行できなかったので、2億円を損として計上するという取扱いは、普通は会計士の先生はいやがるんではないでしょうか?

磯崎さんは、

「特異点」を「事象の地平線」に取り囲まれた外からは見えないものとして取り扱うのか、注記で開示して「裸の特異点」として扱うのか、そもそも他の新株予約権の取扱いと同じにして「特異点」で無くすべきなのか。

と仰るのですが、「他の新株予約権」についても、もし取引価格があるのであれば、そちらを用いるのが原則なんじゃないでしょうか?・・・むしろ、そういうことからすると、取引価格がある場合にまで、会社自身の評価を採用するという取扱いの方が「特異点」的とも言えるような・・・

というわけで、試しに、「金融負債」という括りの中で、それぞれ何を計上基準にしているのか、私の理解に従って、ちょっとまとめてみると、こんな感じに。(ちなみにCBについては、一括法では社債部分だけ計上すればいいということになっているので「額面」に分類しましたが、実際には、ノンクーポンで額面かそれに近い価格での発行が多いんだとすれば、実体的には「取引対価」としての性質を持っているとも言えるのかも知れません)

こうして見ると、オレンジのポイントで表したCBの会計処理はそんなに「特異点」というわけでもないような気もするんですが・・・
少なくとも、「区分法」的な発想が周りを覆い尽くしているとは言えずに、「金融負債」の会計は三国鼎立状態というところじゃないでしょうか?

報酬規制としてのSOの費用計上 

もう一つ、前のエントリーでは「理屈」からアプローチしてみましたが、会社法的な経緯からみると、SOの費用計上は、専らアメリカにおける経営陣に対する過大な報酬の歯止めをどうするかという関心から始まったという面があります。
オプション算定の理論が発展し、測定の信用性・信頼性が高まったという面はありますが、どちらかというと、「目に見える形での認識の必要性」が先にありきということであって、オプション全般に関する「左」→「右」のパラダイム・チェンジを意識した改正というわけではないような気がします。

この辺りは、磯崎さんも「法的に厳密な議論かどうかはさておき、「ノリ」としてそんなところではないかと」仰っていますし、SOの費用計上によってオプションの会計的価値評価に対する需要が高まることで、会計的手法の信用性・信頼性が高まっていき、法改正の際にそういう意図があったかどうかとは別に、将来的に振り返ってみれば、「SOの費用計上がターニング・ポイントだったよね」ということも十分にあり得ると思いますが・・・逆に「報酬規制の必要性」という流れの中で「歯止め」として期待されたSOの費用計上が、報酬「枠」規制の内枠に取り込まれることと相俟って、「過大な報酬を抑制するために、合理的な評価の範囲内で上限(最大値)を用いるべき」とか、「総会による授権「枠」の中に収めるために、合理的な評価の範囲内で下限(最小値)を用いるべき」といった形で、「合理的な最大値」あるいは「合理的な最小値」を画定するという独自の発展を遂げる可能性もあるような気がします。(※)
そんなわけで、現時点では、SOの費用計上が金融負債の測定にどのような影響を与えるかは何とも言えないんじゃないかと思うわけです。

「原則」「例外」フレーミングの怖さ

まあ、いろいろと言いましたが、結局、「特異点」かどうかは、(i)母集団をどう確定するかということと、(ii)その分類軸をどうするかという二つの前提に決定的に依存するわけですから、前2者について、そのとっている前提が正しいことを論証しない限りは、CBの「特異点」性を述べたことにはならない・・・これが、とりあえずこのエントリーで言っておきたかったことです。

もっとも、議論の本質は「特異点かどうか」ということではなく、その後で磯崎さんが具体的に一括法のデメリットとして述べている点に対する評価にあるわけです。なのに、何故、一つエントリーを立ててまで「特異点」という言い方にこだわったのか説明しておかないと、何だか本質でないところで重箱の隅をつついて喜んでいるだけのストーカーみたいになってしまいそうです。

磯崎さんが意図的にやられているのかどうかは分かりませんが、「特異点」という言い方に内在されている「原則」「例外」というフレームワークは、その後の読み手の判断に強力な影響を与える可能性があります。

「会社法においては区分法が原則で、CBにおける一括法処理は特異点」と言われてしまうと、読み手の中では、その後、「一括法の合理性が十分に立証しない限りは「原則」である区分法に従うべきじゃないか」という意識をもって議論を眺めてしまう可能性があります。
そうすると、いくら私が「一括法は完璧ではないけれど、「区分法」と同じ程度には合理的だし、CBの性質からいえば決して不合理ではないと思いますよ」と言ってみても、「「区分法」と同じ程度なら、「原則」である「区分法」の方がいいじゃん」となってしまうわけです。

これは、いわゆる「フレーミング」と呼ばれている人間の認知パターンに関する問題で(参考エントリーとしてこちらなどをどうぞ)、アメリカなんかでは最近法廷戦術としてもその重要性が認識され始めているようです。

いわば「フレーミングを制するものは議論を制する」というぐらいの影響力があるわけで、私としては、磯崎さんに対して、実質的なところについてツッコミを入れる前に、まずは議論の土俵として「原則」と「例外」という刷り込みを排除しておきたかったわけです。
・・・まあ、別にブログでの議論で、フレーミングまで意識してツッコミをしなくてもというのもあるんですが、一応ツッコミをやる以上は「全然だめじゃん」という印象を持たれたくはないもので(笑)

・・・というわけで、前置きが長くなりましたが、次回からは「一括法」と「(現行の)区分法」の比較という実質面に(ようやく)入っていきたいと思います。

 

(※)もう少し補足しますと、(私の理解が間違っていたらあれなんですが、)いくらオプション評価技術が発達したといっても、前提条件の置き方の妥当性という問題があるので、ピンポイントでの評価というのは難しいはずで、フィナンシャル・アドバイザーの方にオプションの評価を依頼しても、ある程度の「幅」でしか評価というのは出ないんじゃないでしょうか?
金融取引では、相対で決まった価格が、この「幅」の中にあるかどうかが問題となるわけですが、会社評価で計上を行うSOの場合には、その「幅」の中でどこをとるかという判断を強いられるわけです。
そうすると、SOの費用計上の実務上の論点というのは、オプション評価技術そのものというよりも、それによって得られた「幅」の中の「どこをとるべきか」というところに向けられていく可能性もあります。
もし、そうした方向にいった場合には、SOの費用計上の実務がファイナンス取引に与える影響というのは限定的になるんじゃないかと・・・まあ、これも現時点では、確度をもって予想することは難しいのですが。

Posted by 47th : | 00:12 | Corporate Finance

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コメント

本文に関しては読んでいる能力も余裕もないのですが、事象の地平線の先の「特異点」と言ってしまうと無限に離れた'有限の点'にはどうやっても到達できない(トンデモな言いかたですが)が裸の特異点のような'無限の点'ならば観測可能だ。と言うことになると思うので、磯崎さんの図に書かれているような明後日の方向に近付いているから到達できない「不連続な点」とは違うのではないかと思います。
言い替えると CB を SO と同様なアプローチで原理的には到達可能とみなした上で越えられない壁を設定しているのか(「特異点」)、CB と SO は違うのだから到達可能なわけがないとの前提で話を進めているのか(「不連続な点」) をはっきりさせないとわけわからなくなるような気がしなくもないです。

Posted by 小僧 : 2006年05月31日 11:58

>小僧さん
小僧さんの意図を正解しているかどうかは全く自信がないのですが、到達できるのかできないのかというところが、人によって考え方が違うのかも知れません。
例えば、デットとエクイティを同じグループにまとめて考えるというのはファイナンス的に考えると自然なんですが、伝統的な商法とかの考え方だと、デットとエクイティは永遠に到達できないことが前提に議論がなされることもあったりなので・・・
本文にも書きましたが、私自身は「特異点」をきちんと理解するだけの数学的な素養がなかったので、せいぜい「外れ値」ぐらいの意味合いで使ってしまってるんですが、逆に数学的素養のある方には混乱を招いてしまったかも知れませんね。申し訳ありません。

Posted by 47th : 2006年06月01日 09:36

 
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