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スキルとセオリー:Tirole"The Theory of Corporate Finance"

そろそろ8月も終わってしまうわけですが、この夏何をしているかといえば・・・基本的にはだらだらして、ブログを書いているだけなんですが・・・orz・・・ほかには、気の向くままに、腰を落ち着けて読みたかったけど読めなかった本などを眺めています。

どういう本が多いかといえば、圧倒的に経済学とかコーポレート・ファイナンス系で、少なくとも純粋な法学ものの本を手にとる確率は非常に低かったりします。

その中でもお気に入りは、Jean TiroleのThe Theory of Corporate Financeです。
著者は、産業組織論で定評ある教科書を執筆しているフランス人の経済学者ですが、この本は今年出版されたばかりの比較的新しい本です。

コーポレート・ファイナンスの教科書というと、Ross et al(邦訳)やBrealy=Myers(=Allen)(邦訳上 同下)が有名で(※)、特段数学や経済学の造詣がなくてもファイナンス理論のエッセンスを掴めるという意味で非常に優れた教科書であることには疑いはないのですが、個人的には、何か物足りないものを感じていました。

Tiroleの上掲書は、そんな私の心の隙間(?)をぴったりと埋めてくれる本でした。
時間やリスクによる割引やポートフォリオ理論、場合によっては基本的なミクロ経済学の知識は当然の前提とされていて、(シンプルなものであっても)数式を使ったモデリングも前提の明確化を含めて厳格にやっているという意味では、Ross et alやBrealy=Myersと同様の意味での「入門書」ではあり得ないのですが、それでもコーポレート・ファイナンスを理解したいと考えている法律家に薦めるとすれば、Tiroleの方かなという気がします。


何故、標準的なコーポレート・ファイナンスの教科書ではなく、やや異端なTiroleなのかというと、おそらく法律家にとってコーポレート・ファイナンスを学ぶ目的と標準的な教科書の意図がマッチしていないからじゃないかという気がします。

去年受講したロースクールでのCorporate Financeの授業について「このCorporate Financeを、如何せん」というエントリーで不満を書いたんですが、その時感じた違和感の源泉というのも、やはり法律家としてCorporate Financeを学ぶことの目的と授業の意図の間にズレがあったことが理由なのかも知れません。

そもそもビジネス・スクールなどでCorporate Financeを学ぶ人の究極の目的は何かと言えば、実際の企業の価値や複雑な金融商品の評価・設計をしたり、あるいは、投資で人よりも高いリターンを得る(※2)というところにあるわけで、その意味でRoss et alなどに書いてあることや、そこでの一種の「計算テクニック」というのは、より精緻・高度な金融技術をマスターする上では不可欠なんでしょう。

・・・しかし、法律家は(少なくとも私にとっては)、複雑な金融商品のバリュエーションを直接やったり、企業価値評価を直接やったりということは興味の中心ではありません。
なぜなら、そんなことは他に数多のプロフェッショナルがいるからです。証券会社が「独自に開発したモデルでモンテカルロ・シュミレーションを用いて算定しました」といって出してきた評価書のモデルの妥当性を法律家が独自にチェックするのはほとんど不可能ですし、たとえ可能であっても(法律家の)実務的にはそんな作業に意味はありません(※3)。

他方で、資金調達にせよ、M&Aにせよ、あるいは敵対的買収防衛にせよ、終局的な経営判断をするにあたって考慮に入れるべき要素は何か?、とか、相手方の真のポジションはどこにあるのか、とか、更には契約のドラフトを行うにあたって、問題となっているリスクを特定し、そのリスク分配のメカニズムを契約に導入するにあたって・・・非常に多くの場面で企業法務に携わる法律家はコーポレート・ファイナンス(や経済学)と密接な関連を持っています(※4)。

こうした文脈で法律家に求められるコーポレート・ファイナンス(や経済学)に対するリテラシーというのは、モデルを構築したり、実際に一定の数字を算定できる「スキル」ではなく、より大枠のところでの「セオリー」なのではないか・・・と、そんなことを冒頭で紹介したTiroleの本を読みながら思ったわけです。

もちろん、原書で600頁超、具体的な数値例を用いた説明ではなく、数式を使ったモデルによる説明が続く書物は、法律家にとっては敷居が高いことは確かですが、モデルの部分を斜め読みしながらでも、問題意識のあり方と、それに対する現在の理論的到達点の感覚を掴むだけでも、実際に携わる企業法務に対する視点が変わってくるはずです。

そういう意味では、この本のエッセンスを法律家向け(※5)に平易に書き下ろした本があると非常にいいんではないかという気もしますが・・・最近は、日本語でも独自のコーポレート・ファイナンスの本がたくさん出ているので、もしかしたらもう出ているんでしょうか?

 

(※)邦訳は、(仕方がないのですが)原著よりも版が古い点にはご注意下さい。おそらく好みの問題になりますが、個人的には、Ross et alの方が分かりやすい気がします。

(※2)コーポレート・ファイナンスの「理論」は、市場を出し抜くことはできないという冷徹な実証結果を教えているわけですが、その一方で、市場を出し抜く(ことができると期待できる)手法を研究し続けるというところが面白いところですが。

(※3)「実務的」という意味は、たとえば、私が金融工学マニアで、主観的にはより精緻だと信じているモデルを持っていたとしても、「一弁護士が主観的により精緻だと信じているモデル」よりも「証券会社が実際に多数の顧客に対して同様の手法で評価を行っているモデル」に依拠する方が、経営判断の妥当性が訴訟で争われた場合に保護を受ける可能性が高いというようなことを考えるとという意味です。要するに、法律実務の世界では、「天才的なアマチュア」に依拠するよりも「平凡なプロフェッショナル」に依拠する方が価値が高いわけです(もっとも、より実務的にいえば、市場での競争においては、時に「天才的なアマチュア」の発想がイノベーションを生むわけですから、法的安定性だけを追及するわけにはいかないという場面も出てくるわけですが・・・)

(※4)もっとも、企業法務を巡る紛争が相対的に少なかったり、複雑な契約が忌避される傾向のあった時代には、ファイナンスに関する理解の深さは、それほど大きな差を生み出さない(あるいは、その差が検証できない)わけで、その意味で「ファイナンス理論なんか勉強しても弁護士の実務には役に立たない」と仰る方がいても不思議はありません。また、そうした分野が今後も一定割合残ることも確かでしょう。
ただ、買収防衛策の設計や運用、交渉段階で利害対立が先鋭化し時には訴訟になるようなM&A、国や地方自治体の経済的政策(例えば目的税の賦課)の適法性を争う訴訟などでは、ファイナンスや経済学に対するリテラシーが試されるようになっているんではないか・・・というのは、半分願望を込めた個人的な観測です。

(※5)ひょっとしたら、経済学を専門にする人にとっても、コーポレート・ファイナンスのスキルよりもセオリーが知りたいという需要はあるのかも知れませんね。もっとも、経済学の人は、素直にこのTiroleを読めば済むんでしょうが^^;

Posted by 47th : | 13:27 | Book Review

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コメント

ご無沙汰です。Tiroleはまだ読んでいないので、今度tryしてみます。

>邦訳は、(仕方がないのですが)原著よりも版が古い点にはご注意下さい。

Ross et alの最新第7版の翻訳は現在鋭意校正作業中ですので、しばらくお待ちを。年内になんとか出版・・・とは思っていますが、なかなか捗らず・・・。あ、私のせいじゃないですよ。

Posted by はぐれバンカー : 2006年08月29日 09:28

>はぐれバンカーさん

翻訳作業お疲れ様です。
私を含めて、たくさんの読者が待っていると思いますので、どうかお仕事に差し障りのない範囲でASAP(最後のPはpracticalということで)を期待しています^^

Posted by 47th : 2006年08月29日 12:32

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
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