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医療法人の株式会社化雑考 (5・完)

前回は、「株式会社化」ということのうちエクイティ性の資金(株式等)を取り込むことと、「営利性を追及すると公共性が損なわれる」という耳障りのいい主張にはコーポレート・ファイナンス的に関係があり得るというところをほのめかしたわけですが、今回は、その結論部分です。

残余請求権と有限責任

そもそも「エクイティ」というものをどう性格付けるかということについては、色々な考え方があるんですが、一般には、その本質は「残余請求権者」(residual claimant)であることに求められています(※)。
「残余請求権者」というのは、もっと大ざっぱにいえば、次の二つの意味合いを持ちます。

  1. 会社に利益が出ない限りは(※2)、出資は無駄になる。
  2. 会社に利益が出た場合には、利益は全て自分のものになる。

ところで、1.については、少し補足が必要です。
株式会社制度をはじめ、現在のビジネスを営む法人に関しては、いわゆる「有限責任」が認められています(大きな例外は(有限責任組合以外の通常の)組合です)。ですので、多くの場合は、「会社に損失が出ても、エクイティ・ホルダーは出資額以上の負担は強制されない」という性質を持っています。

この残余財産請求権と有限責任の組み合わせの結果、エクイティ・ホルダーは、「成功すればたくさんの利益が出るが、失敗した場合の損失も大きい」ビジネス運営を行う強いインセンティブを持つことになります。
いわゆる「ハイ・リスク・ハイ・リターン」のプロジェクトですが、これは、例えば銀行のように貸付の形で資金を提供している債権者からすると迷惑な話です。

銀行のような貸付債権者(デット・ホルダー)は、事業が成功しても「利子」という一定額しかもらえません。対して、損失が出た場合には、元本すら返ってこないことになるわけで、利子分以上のリターンを稼ぐことには関心がありません。
従って、こうしたデット・ホルダーは「ロー・リスク・ロー・リターン」のプロジェクトを好むわけです。

つまり、プロジェクトの選択に対して、エクイティ・ホルダーとデット・ホルダーの関心は、往々にして対立することがあるわけです。


プロジェクトの選択と利益の移転

というわけで、会社のプロジェクト選択に、それぞれの資金提供者がどの程度のコントロールを持つかということが非常に重要になってくるわけですが、よく知られているように、株式会社のような制度の下では、一般に経営陣の選解任権を通じて、エクイティ・ホルダーがコントロールの決定権を握っています。

では、すぐにハイ・リスク・ハイ・リターンのプロジェクトが選ばれるかというと・・・銀行もそれに指をくわえて見ているほど愚かではありません。
彼らは彼らで、貸付契約の中で、会社の行動をコントロールするための権利を規定して、株主が自分たちに不利益なハイ・リスク・ハイ・リターンなプロジェクトをとることを防止しようとします(※3)。

・・・と、ここまでがコーポレート・ファイナンスの教科書ならどれにでも書いている話で、実際になされている金融実務が念頭にある場合には、 以上のような構造で資金調達市場が競争的であれば、自然とバランスがとれて「めでたしめでたし」ということになるんですが、「法と経済学」では、しばしば、もう一歩進んで銀行(や社債権者)以外の「債権者」との関係を考えます。

不法行為債権者と外部性

とりわけ問題になるのは「不法行為債権者」、つまり工場活動による公害被害者や運送会社のトラックの事故に巻き込まれたような人達です。
こうした「不法行為債権者」は、事前に契約交渉をする機会がないため、銀行のような形でコントロールを及ぼすことはできません。
例えば、トラックの過積載の結果、利益はあがるが事故の確率もあがるいった場合(ハイ・リスク・ハイ・リターン化)、事故の確率増加による不利益は事故の被害者が負担しますが、彼らは事前には運送会社と契約することはできません。
これは、実際にアメリカであった話ですが、昔、NYのタクシー会社の運営者が持株会社形式をとって、タクシー1台ごとに別会社にする形式をとりました。これなら、万が一人身事故が起きても、資産はそのタクシーだけなので、その会社を倒産させてしまえば済むだけです。
やや極端な例ですが、有限責任をこういう風に使えば、事故のコストを被害者に負担させてしまうことが可能になります。こういう形で、コストを第三者に押し付けてしまうことを経済学部では「外部性」と呼んだりしますが、この場合には、何らかの形でコストを「内部化」するような枠組みが必要になります。

例えば、タクシー会社の例をとれば、不法行為債権者に対しては株主に無限責任を負わせる(※4)とか、人身事故があっても被害者が十分に保障されるだけの責任保険への加入をタクシー営業の条件とするというような対応が考えられるわけです。

患者≒不法行為債権者?

上の不法行為債権者のアナロジーを患者に当てはめれば、株式会社化によって病院経営がハイ・リスク・ハイ・リターン化することの「つけ」が患者に行ってしまうという主張も、あながち無理な主張ではないことになります。

例えば、場合によっては、患者数を限定して一人当たりの診療時間を増やして医療過誤のリスクを減少させるよりも、医療過誤のリスクが高まるとしても患者数を増やす選択肢の二つがあった場合、エクイティ・ホルダーの立場からいうと、後者の方が望ましい場合もあり得ます(※5)。

もっとも、この種のジレンマは、何も医療だけに限った話ではなく、およそ顧客に何らかの損害が生じる活動がある場合には、同様に生じます。
しかし、財・サービス市場が十分に競争的であれば、顧客は個別の契約内容を定めることはできなくても、その会社と取引をするかどうかというレベルでの選択の自由を持っており、顧客に対する損失発生の確率が高ければ(例えば、事故率や死亡率の高い自動車を売るような場合)、顧客はそのコストを織り込んだ上で他の会社と取引することを選択するわけです。
この意味で、市場メカニズムは、「外部性」を「内部化」しているわけで、通常は、これが強力な抑止力になっています。

・・・と、ここまで来てようやく、何故「医療市場が機能しているかどうか」という問題にこだわったかがお分かり頂けると思うのですが、仮に医療市場が十分に機能していない場合、顧客である患者に対する外部性が十分に内部化されないおそれがあるからです(※6)。

「外部性」の「内部化」ルート

というわけで、医療法人の株式会社化に際しては、患者に対する外部性を内部化するシステムが十分に備わっているかどうかということと並行して考える必要があるんではないか、というのが、今回の一連のエントリーを通じての私自身の結論になるわけですが、最後に、こうした「内部化」の工夫について考えられる枠組みを思いつくままにあげてみましょう。

  1. 市場の機能化
    当たり前ながら、市場をより機能させるような工夫が何よりも求められるわけですが、これまでにも見てきたように、それほど簡単な道のりではありません。

  2. 医療過誤に対する無限責任化
    医療過誤については、株主も無限責任とすれば、もちろん内部化されるわけですが・・・アメリカでも不法行為債権者に対する無限責任化は真剣に議論はされていますが、閉鎖会社ではともかく、公開会社では実務的にワークするとは思われないので、難しそう。

  3. 人的投資の剥奪を通じた内部化
    というところで、これまで一応ワークしてきて、(もし可能だとして)市場が機能するまでの間は中心的な仕組みとして使われるんじゃないかと思われるのは、病院の経営者の資格や評判を通じた内部化です。
    純粋な出資者は、 いざという時、その出資は無駄になっても、別の投資先を見つければいいだけですが、医者はそういうわけにはいきません。資格が剥奪されれば、これまでの自分に対する投資は無駄になってしまうおそれが高いわけです。
    つまり、医師として病院経営に関与している人というのは、単に金銭だけでなく、自分の人的投資の価値の喪失というリスクを抱えているわけです。この意味で、有限責任という割り切りが通用しない面があり、この恐怖感が、ある意味、コンサバティブな実務につながってきたんではないかという気がします。
    そこで、たとえ資金集めや利益の分配を許すとしても、コントロール権が医師にあるような形にすること(その意味で通常の株式会社のように株主が経営者に優先するのではなく、経営者医師が出資者に優先する)が一つのあり方として考えられるような気がします。
    そういう意味で、アメリカの弁護士事務所が有限責任を認めつつ、経営者(パートナー)は弁護士資格を有している者に限っているような仕組みという辺りが、一つの着地点として考えられるのかなという気がしています。

というわけで、実際の医療の現場での問題を理解しないままにイメージ先行で考えているので、自分でも詰めが甘いところがある感は否めませんが、まあ、一つの考え方ということで、とりあえず今回はこの辺りで区切りをつけておこうと思います。

 

(※)この分野については、東大法学部の神田教授が(確か竹内古希記念だったと思うのですが)デットとエクイティの差(確か「株式と社債」というタイトルだったと思うのですが・・・)について書かれています。余談になりますが、この論文をはじめ、神田先生の論文は、さりげない一言や行間に詰められた意味が深く、本当の意味で読みこなすためには相当の基礎体力が要求されるわけですが、この論文も読み直す度に新しい発見がある論文で、コーポレート・ファイナンスが法律家にどう役に立つのかイメージが掴めない方は、一度は読んでみることをお薦めいたします。

(※2)厳密には、(ファイナンス的な意味合いでの)「残余財産」に対する請求権者という意味合いで、会社財産から債権者に対する負債を差し引いたものになりますが(また、ファイナンス的な意味合いでの「財産」と「負債」の定義も考える必要があるのですが)、ここではイメージを掴みやすくするために、ある一定の期間に資金調達をして一つのプロジェクトを実施して解散するという非常に単純なモデルを念頭におきつつ、あえて「利益」という言い方をしています。

(※3)「契約」といった場合、典型的には明文で定められたcovenantsなどと呼ばれる条項ですが、それ以外にも、「支払が滞ったら銀行出身の幹部を受け容れる」というような合意が暗黙に形成されている場合もあるでしょう。

(※4)「法人格否認の法理」という法理論は、事案によっては、無限責任とすることでコストを内部化する制度ということができます。

(※5)これは、極めて単純化しているので、常にそうなるという主張ではありません。ただ、医療過誤の発見の難しさや訴訟提起することの負担などから、実際の医療過誤の発生確率よりも訴訟提起の確率の方が低いような場合には、損得だけを考えれば、医療過誤に対する投資水準を低めるインセンティブは存在し得ます。

(※6)という発想は、まあそうオリジナルなアイディアではないようで、前回のエントリーを書く過程で、少し医療法人の株式会社化に関する文献を探していたところ、日銀金融研究所が2003年に公表した「組織形態と法に関する研究会」報告書の119頁に次のような記述がありました。

なお、株式会社の営利性が事業の公共性や適正な運営を確保するうえで障害となり得るか否かは、ある程度、当該事業における競争条件にも依存すると考えられる。すなわち、有効な競争市場が存在しない場合には、株式会社が営利性を追求することにより、公共性が犠牲にされる可能性があるが、競争市場が存在する場合には、株式会社が公共性を犠牲にして営利性を追求すると、顧客を失い、ひいては営利性にも反することから、長期的にみれば、営利性の追求は公共性の確保の障害にはならないといえよう。

Posted by 47th : | 15:00 | Law & Economics

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コメント

こんにちは。医療サービスのリスクとリターンについて議論を先に進めるに足るしっかりとしたデータがほしいところですね。私の第一感からするとここは自衛隊の不発弾処理班の危険手当が確か5000円というのが象徴的に思われるのですが、リスクの高いサービスほど高いリターンを得られるようには敢えてしていないようにしているのではないか、そういう意図の存在をそこかしこに感じます。言い換えると、あるレベル以上のリスクに対する報酬については、線形に外挿した報酬を充てるのではなく、一律平らにぶった切っておいて、あとは社会的な地位・名誉等(叙勲など)で「支払って」きたのではないでしょうか。

しかしそれで浮いた分はどこに行ったんでしょうね(笑)。

Posted by bun : 2006年08月31日 23:28

8月21日のYahoo News - 産経新聞の記事全県立の全病院を民営化へ 福岡、財政悪化が影響自治体病院の移管リストを見ると多くの自治体病院が赤字であり、その解決として民営化や委譲が行われている。

私には、実体を知らない面は多いのですが、根本解決をしない安易な解決と思えてしまうのです。(解決にならないとも思うが)
もし、株式会社が許されているなら、株式会社化に際し黄金株を発行することとし、黄金株と過半数の普通株を自治体が保有する。委員会設置会社とし取締役にはユーザー(患者)代表、市民団体代表、自治体職員等にも就任して貰って経営する。等が考えられると思うのです。
当面は株式会社の医療サービスを提供するに当たり、種々の制限があってよいのだろうと思うのです。投資の営利追求は、EquityのみにあらずDebtも全く同様で、医療法人がDebtやLeaseを利用し、理事に報酬を支払っていることからすると営利法人の側面は持っている。
医療法人であるから、株式会社であるからといった議論になりがちであるが、実は本質は別の所にあるはずと思うのです。そうであれば、その面での規制や管理を本当はすべきであると考えるのです。
全てが株式会社化すべしとか、株式会社の方が優れていると言うつもりはなく、現状がやはり閉鎖的過ぎるだろうと思っている次第です。医療生協という形もあるのですね。医療生協の仕組みの詳細は私も知らないのですが。
(参考: http://www.amagasaki.coop/byouin/

Posted by 売れない経営コンサルタント : 2006年09月01日 02:01

> 人的投資の剥奪を通じた内部化

これなのですが、萎縮が起きるマイナス効果のほうが大きくなったりしないでしょうか?

看護師が内診・・・の例でも、刑事罰は罰金50万円と、まあ実質はたいして痛くない程度の罰則であったのに対し、行政罰は「医業停止3ヶ月」と、こちらはかなり痛い罰則であるように感じます。
これをさらに厳罰化するというのは、萎縮効果によるマイナス面が大きいのではないかという気がします。

医療過誤の賠償責任の件も、現実には、「無過失保障制度」のような、外部化をさらに促進するような施策が検討されているのが現状と思います。

思考実験としては、外部性の内部化というのは面白いと思いますが、実際にワークするかは、かなり厳しいのではないかというのが私の感想です。

もっと単純に、患者(or保険)と医師の間の契約関係(診療報酬体系)を直接変えていく(例:出来高払い→定額制とか)ほうがストレートで、良くワークするように思います。

勉強させてもらいながら、批判的ですみません。(^_^;

Posted by Apricot : 2006年09月01日 06:56

>bunさん
医療なんかは、それこそ難度と報酬基準が一致しているかを見るだけでも興味深い結果が出そうですね。
とりあえず、診療報酬基準から何とかしろよ>厚労省という話になるのかも知れませんし。
ただ、全体として見たときに「浮いて」いるんですかね?
レントはあるけど、組織の中での分配問題に帰着してしまうような気も・・・

>秋月さん
民営化すれば、話が解決するというのは、大いなる幻想だというのは同意します。
さりとて、複雑なガバナンスの仕組みをとれば問題が解決するとも思えません。
株式会社のガバナンスは、株主利益を最大化するという目標がしっかりしていれば上手くワークしますが、その部分がぶれてしまうと、却って経営者の私的利益追求の裁量を増やしてしまうだけで終わってしまいます。
「公共性」を会社経営に入れるのであれば、相当、明確な形でそれを定義し、通常の資金提供者の利益との順序づけもはっきりさせなければワークさせるのは難しいと思いますし。
個人的には、医療の問題は、サービス市場サイドの問題から派生している部分が多いような印象を受けていますが、本格的に論じるには、私自身データが不足してしまっています。

>Apricotさん
全くの思いつきですので、ご批判やご意見は参考になります。
実際、仰るように過度に保守的になる可能性もあると思います。ただ、これは株式会社化して緩和されるというよりは、医師個人に対するサンクションの強度の問題ではないかと・・・そこを解決しないと、逆に、医師個人が経営者からのプレッシャーと万が一の個人責任のプレッシャーの板挟みになるだけではないかと思いますし、少なくとも経営者が医師でリスクに対する選好が一致していれば、その板挟みは軽減されるという気がします。
あと、無過失保険は(保険料負担という形による)内部化ルートの一つです。実際、本文であげたタクシー会社の話では、被害者救済は保険によってカバーされるべき問題であるというのが理由の一つとなって裁判所は無限責任を否定しています。
ただ、この種の保険は今度はモラル・ハザードの問題をもたらしますので、そこのコントロールが今度は課題になるんでしょうね。
最後の報酬契約ですが、もちろん、報酬契約がある程度きちんと結べるのであれば外部性は内部化されます(というよりも、まさに有効な契約ができるかどうかが「外部性」のメルクマールですので)。ただ、本文では顧客と医師との間の情報の非対称性が高く、それを緩和するメカニズムが不十分じゃないかということを前提に考えてみました。
個人的には、医療契約を適正に結ぶ(そして、それをモニターし、エンフォースするのは)、難しいんではないかと思っているところです。

Posted by 47th : 2006年09月02日 19:47

なるほど。どちらの結論になるにせよ、

>全体として見たときに「浮いて」

いるか否かというのは、調べてみたいと思わせてくれるテーマですねぇ。ただサービス業はどこから先が「浮き」か決めるのが大変ですね。日本人がほしがるサービスで他国人には全く不要に思えるサービスというのがたくさんありそうですし。デパートの案内嬢とか工事現場の誘導係なんか「なんであんな無駄な人おくんだ?」っていつも笑われてますし。君たちより日本人の命の値段の方が高いからだよ、と答えてますけど(笑)。

とある理容店売上日本一の理容チェーンの料金が安いというので同僚が行ってみたところ、客が番号で呼ばれ、毛狩られる羊のように扱われていたと聞いたことがあります。ところどころむかついたけど、いちいち最低限に絞られたサービスが提供されていたことはいたのでうーんまあいいか、と(笑)。中高年のみなさんは医療業界の人の扱いに実に厳しいのであの理容店のようなやり方はとれないでしょうね。

ただ、尋常でなく難易度の高い治療の上の部分をぶった切る方法でもっていっているということが確かならば「浮いて」いようがいまいが(「浮き」が確定するのは計算の最後ですから)、先順位者としてとりっぱぐれなくもっていってるということになりますよね。同じ額をもっていくにしてももっていく場所としてはどうなんだろ、と。ほとんど税金じゃん、と。

ちなみに私の意見にスポンサーは付いておりませんので忌憚のない反論をお願いいたします(笑)。

Posted by bun : 2006年09月02日 20:45

青臭いことを言うようで恐縮ですが、今回のシリーズは経済学的な思考を勉強する意味では大変興味深かったのですが、医療にはそれを度外視するものがあるという思いからしっくりこない物が残りました。かつて、中坊さんは「坊さん、医者、弁護士――、この三者はどれも人の不幸が職業の元になってるわけです。人が死んだり、病気になったり、争ったりしたときに出番が来る。人のトラブルが職業の種になっているからこそ、ビジネスオンリーの考え方で仕事をしてはいけない、人の不幸を金に換えてはいけないというのが僕の解釈なんです。」と言ってました。私としてはそういう意見にすぐ感動してしまうのですよね。47th先生のブログの性質上そういう意見をみることはできませんが本音としていかがお考えなのでしょうか。

Posted by fuji : 2006年09月02日 22:30

>bunさん
反論というよりも、今回自分でも下記ながら、医療界の「問題」の正体が本当は何なのか、よく分からなくなっているというところです。
話が拡散するので(あと知識不足もあり)、健康保険制度や診療報酬や薬価基準には立ち入らなかったのですが、現状の医療界の構造を本格的に考えるのであれば、更なるツッコミが必要なところですよね。
ただ、本当のところ医療界が「問題」としているのは、どこなのか?
もちろん、色々な側面があるのだと思うのですが、病院経営の危機は個々の病院の経営の問題なのか、それとも、より大きな制度的な問題なのか、また、医療の供給サイドの問題というのは、単なる絶対数の問題なのか、提供するサービスの品質の低下・偏りなのか・・・
はたまた、実は現在の医療システムを、真に分析的に見てみると、戦後機能してきたシステムの機能性は基本的には維持されていて、根本的な部分での制度疲労は起こしておらず、その中でのパイの分け方に不満が生まれていたり、あるいは、普遍的に(そして不可避に)存在する側面が、メディアの発達によって外から見えやすくなっただけなのか・・・
一つ感じるのは、こうした問題の整理において、理論面・実証面の両方で、経済学やファイナンス理論の蓄積は重要な役割を果たし得るのに、余り活用されていないんじゃないかなという辺りです。
と、fujiさんのコメントで私も怒られていますが、医者と工事現場の誘導員や床屋を比較するbunさんも、怒られちゃうかも知れませんよ(笑)
・・・私は全く違和感を感じないんですが^^;

Posted by 47th : 2006年09月02日 23:39

↑怒ってないですよ(汗)。引続き勉強させてくださいませm(_ _)m

Posted by fuji : 2006年09月03日 02:23

>fujiさん
いや、むしろ誰か怒ってくれる人がいないと、思いつきを延々と続けてしまいそうなので、怒ってください(笑)

一つ前のコメントについては、ビジネス・オンリーであれば、こんなブログを書いている暇に、もっとビジネスになることをやっているんで、私としては、ビジネス・オンリーではないつもりなんですよ。
いや、本当に。

Posted by 47th : 2006年09月03日 11:42

こんばんは。

私も中坊さんの話は本人が言っているところを見たことがありますが、あれは「弁護士本人が自発的に言っている」というのが感動のタネだし、ほとんど引退間際になって仕事の特徴を総括的に述べたことなので、他の現職で頑張っておられる弁護士さんたちに「中坊氏の発言をいかがお考え」などと詰め寄って、どうさせたいんでありましょうか。お前も俺を感動させろということでしょうか。賛成でも反対でもいいですが、だからどうなんでしょうか。理解に苦しみます。そもそも、ああいうセリフは本質的に最初に言った一人でおしまいそういう性質のセリフであります。あれを聞いて感動して弟子入りしたり弁護士になったりした人がいたら、なんて自分の言葉のない人だろう、と、私なぞどちらかというと軽蔑するだろうと思いますので、同じことを47thさんが言い出したらいったいこの人はどうしてしまったんだろうと思うことでしょう。それにあんなにすぐ情にほだされて泣く人、幾分芝居であるにせよここで検討しているようなビジネスにはむきまへんな。現に最後にそこつかれましたがな。

#もっとも、これはかなわぬ望みでしょうが、47thさんが「そんなセリフ知るかよ。引退間際と留学中じゃ台詞も変わるわいボケ」(笑)と、とりつくしまのない返事をするところも一度見てみたかったりして。私なら書きますが(笑)。ああ。そんなの見たらきっとモニタの前で号泣しながらスタンディングオベーションするかもしれません。最近レスがつくまでの間の47thさんを想像して胸が痛むこともしばしばですから(笑)。

さて、題材を広くとったことについていえば、私は医療サービスといえど、日本の医療の需要の中心は、細かくみればほとんど医療そのものとは無関係な(患者の言う)こころのふれあいとかそういうもんだと思ったからであります。実際に医者が手を下す治療とか診断そのものは、そんなに長くやってませんよね。外来にしても診察にしても病院の敷地に入ってから出るまでの時間のうちに治療や診察を受けている時間がしめる割合を考えていただきたい。要は方向性は治療で与えられるにせよ、治癒のほとんどは自分の体が自分で自然に治してるんであります。我々の医療はまだ細胞ひとつ、作れるに至っていないんであります。だからその大きな部分を占める、実は医療そのものとは無関係な、人的サービスに関するお話として引かせていただいた次第なんであります(ご理解いただいているのにくどくて申し訳ありません)。現に今、事務ではとくに、医師でも看護婦でもない派遣労働者が広く活躍しておりますので、そのあたりは一般的な人事・労務管理で語れますし。人の命は別だ、医療は別だと強調されるのであれば、別にしなかった場合の弊害を論じていただきたいし、説得力のあるものであればすぐにでも別にするのですが・・・

まあ、使った話のうち、工事現場の誘導員は失礼しましたが(これ、不可欠な人的サービスの基準の違いとして、日米で一番違いが出ているサービスのひとつだと思っています)、理髪店の方は元は外科医の仕事でして、あの理髪店のサインポールももとは白(包帯)・赤(動脈)・青(静脈)の意味、ということですので、あながち無関係でもないということでご容赦いただけないでしょうか(笑)。

>経済学やファイナンス理論の蓄積は重要な役割を果たし得るのに、余り活用されていないんじゃないかなという

おっしゃる通りで理系のお医者さんを動かすわけですから、孫子とか戦国大名の残した人生訓とかよりは(笑)、数理的な説明の方が支持されやすいだろうと私も思います。ただ、現代的なコストという概念が医療の現場で言われだしたのもつい最近だと聞きますし、コスト意識の向上がリスク軽視には必ずしもならないということが理解されたのはさらに最近だと聞きますので(私はもっと積極的に、コスト意識があった方がリスク管理にも役立つと思いますが)、そうした現場の人々が生む、ファイナンスの理論で切れる管理会計のデータが出てくるのは、まだまだこれからじゃないでしょうか。

Posted by bun : 2006年09月03日 11:46

bun様は手厳しいなあ・・・(^^!。そんな言い方しなくても、中坊さんを持ち出したのはマズかったなあって反省してますよ。ただ、医者にはプロフェッションとしての使命感のようなものがあって、そのためバイアスが生じて非効率の一因になってるんじゃないか、とは思うのです。その意味では、医療問題に対して「人的投資の剥奪を通じた内部化」より解決を容易ならざるものにしてるではないかと。47th先生も敗訴を恐れて保守的になることより、弁護士としての使命感のようなもののため時として無謀な弁護を引き受けることもあるんじゃないかと。それは非効率かもしれなが感動的とは思いませんか。たまにはそんな話も聞きたくなったのです。

Posted by fuji : 2006年09月04日 06:32

>そんな言い方しなくても

言い方が不快でしたらその点はお詫びしたいのですが、考えはままですし、内容との二元論になると収まりませんから。中坊さんの仕事は、豊田商事は違いますけど豊島・森永で典型的にうかがわれる通り、簡潔に言うと「企業や官僚が無視ないし抑圧したコストを徹底的に内部化させる」仕事をされてこられましたので、内部化に絡めてということでしたらFuji様が言及されたこと自体は的外れではないと思います。でも私にはブログを運営しておられるというだけで当初から既に中坊氏に負けないくらい感動的であります。

今後とも(私の方は言い方は問いません)厳しい論難をお待ちしております。

Posted by bun : 2006年09月04日 11:31

本筋とはずれてしまうのですが、管理人さんが仰った医療危機の原因は医者でも簡単には説明できないのです。私も医者として散々考察を重ねましたが、内部から見ても問題は重層的であり複層的であり、追及すればするほど錯綜してしまいます。

わかっている事は、ほんの数年と言う単位で医者の士気が見る見る低下しています。それもドンドン加速しながらです。おそらく医者を取り巻く状況がある一線を越えた事だけは分かります。ただしその一線を越えた原因は単独ではなく、団体さんであるようなのは確かです。

団体さんが発生した原因を分析すれば原因を特定できるはずなのですが、これが非常に手強い。そのため医者と言えども危機に対する対策は対症療法しか出せず、原因を見据えての根本療法を提案できる者はいないかと考えています。

ここでは医療者の視線ではなく一歩引いた観点から医療の事を論じられ、ひょっとすると内部からは見えないものが出てくるかと期待しています。それぐらい医者は真剣に危機を感じていると御理解頂ければ幸いです。

ちなみに拙ブログではこの問題を散々こね回した挙句、今後の医療危機の進行は、

 医療危機→医師逃散→医療崩壊→焼野原

この過程は止めようもなく進み、医療が一度灰燼となってから再生しないと、どうしようもないと結論しています。焼野原になって再生するかどうかはわかりませんが、事態の進行は既に確実に歯車が回り、誰にもどうしようもないと言う考えです。

極論とお思いになるかもしれませんが、この意見に対し、悲しいかな賛意と同意しか医師からは寄せられません。内部にいる人間の感覚はそんなものだとお知り頂ければ、少しはご参考になるかと思いコメントさせて頂きました。

Posted by Yosyan : 2006年09月05日 07:02

>bunさん、fujiさん
中坊さんは素晴らしい先輩だと思いますし、個人的には、あの方は一見『情』が全てのように見せつつ、きちんと『理(利)』を見ることができる方だったところに凄みを感じています。
まあ、でも、bunさんの仰るとおり、人間、60過ぎになったら、ナンボでもいいこと言えますんで、逆に30そこらで、「おれの人生に感動しろ」と言っていたら、「そういうのは中田や野茂ぐらいのことをしてからにしてくれ」と言いたくなりませんか・・・って、私だけですかね?(というか、中田でも、全てを額面通りには受け容れられない自分がいるぐらいですが(笑))
この前も、指摘されて思ったんですが、私は、どうも、かなりシニカルなところがあるんで、そのぐらいのもんだと思って読んで頂ければいいかな、と。
何かまとまりがありませんけど(笑)

Posted by 47th : 2006年09月05日 16:20

>yosyanさん
bunさんが寄せてくれたコメントにもありますが、「医は仁術」というように、医師の方には、単に病気を治すというだけでない色々なものが期待されてきたし、これからも、その役割は変化しながらもやはり多くの部分を医師の方に担われていくのだと思います。
それだけに現場にいる医師の方が直面している重大な喪失感は、医師だけでなく、一般国民にとっても真剣に考えなくてはいけない話だということを、ブログを拝見したり、色々なコメントを頂いて、改めて強く印象づけられました。
医療については全くの門外漢ですが、ブログでも色々と勉強させて頂いて、また外の人間なりに考えてみるかも知れません。その節は、どうか宜しくお願いいたします。

Posted by 47th : 2006年09月05日 16:28

 
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