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遵法闘争の前に証拠づくりはいかがでしょう

先日「悪法への挑戦と戦略」にコメントを頂いた新小児科医のつぶやきのyosyanさんが、その後、「遵法闘争の方が前向き」、「やっぱり勝算は乏しい」というエントリーを立ち上げておられます。

法的にいえば、今回の件で厚労相の通達を直接に訴訟対象とすることは、行政訴訟における有名なハードルの二つである原告適格と通達の処分性の問題があるために難しいことは確かなののですが(※)、たとえ、実際に訴訟という形で争えなくても、今回捜査された医師の方や、今後、何らかの不利益処分を蒙った方のために、側面支援的に医師の方ができることは色々とある気がします。

もちろん、署名や訴訟費用のための募金といった直接的な支援もあるのでしょうが、弁護士の立場からすると、「証拠づくり」の面でのサポートというのが非常に重要です。

裁判官、検察官、弁護士という実務法曹は、「主張」と「立証」というのを、かなり厳格に分けて考える思考法を持っています。
なので、いくら「言い分」(=主張)が正しくても、それが「証拠」で裏づけられない限りは、その言い分を正しいものとして受け容れません(※2)。
余談になりますが、「裁判所は世の中を理解していない」という批判がなされるときに、時々、この「主張」の問題と「立証」の問題の混乱が原因になっているんじゃないかと思うものも見られます。例えば、「言い分」はもっともかも知れないけど、それを裏づける「証拠」を提出できなかった場合に、裁判所が、その「言い分」自体を理解していないかのように扱われる場合ですが(※3)。


閑話休題。

多くの医療関係者が指摘しているように、確かに裁判官は医療に対して深い知識は持っていません。ただ、医療関係者に「言い分」を無視するのかといえば、そういうことではなく、その「言い分」を裏づける「証拠」があるかどうかが全てです。

一面では、「医療関係者から見ればこんなに明らかなことについて『証拠』『証拠』と形式論を振りかざして、医療の現実を無視するのか」という印象を持つかも知れませんが、逆に、裁判官が「自分は医者の友達も多いし、医療関係の本もたくさん読んでいるし、医療関係の方のブログもたくさん読んでいるから、バイアスのかかった当事者の出してくる『証拠』よりも自分の医療リテラシーを信頼する」と言ったらどうでしょう?
ある特定の裁判官が自分で持っていると信じている「リテラシー」で権利義務関係を決められたら、個々の裁判官の持っているリテラシーで裁判の結果はころころ変わってしまいます。
また、たとえば、医療過誤訴訟で、ある裁判官の医療リテラシーのおかげで医者の方が勝ったとしても、患者の方は納得するでしょうか?
「証拠に基づく裁判」というのは、そうした意味で、裁判の一貫性や客観性、そして、最終的には当事者の納得性を担保するためのセーフティ・ネットとしての役割を担っているわけです。

・・・と、また前置きが長くなってしまったのですが、要は、司法を通じて争うためには「証拠」をどう提出するかということが決定的に重要になるわけですが、「ある通達を遵守すれば医療現場は成り立たない」という主張をするために、どうやって「証拠」を用意するのかということを考えてみましょう。

実際、前のエントリーでも書きましたが、おそらく医療の現場に対して事前知識を持っていない司法関係者が最初に抱く大きな疑問は、①「通達が求めている助産師と看護師の職域の峻別は、合理的な根拠に基づくものなのか? 仮に通達違反の状況が生じた場合には、どのようなリスクが存在するのか?」、②「通達の遵守は大多数の医師にとって非現実的なのか、それとも、遵守すると現状維持が難しいだけであって、制度変更に伴う、各医療関係者の努力で解決が可能なものなのか?」ということ、より具体的には、「実際に通達を遵守して運営している産科があるとすれば、非現実的とは言えないのではないか?」ではないかということではないかと思います。

①、②について、既にブログなどで、現場の方の意見というのは見聞きしますし、おそらく、①については通達は合理的ではなく、②について通達通り運用すれば運営はできない、と証言してくれる医師の方を探すことはできると思います。
ただ、個々の医師の方の意見というのは、「そういうケースがある」ということの証拠にはなっても、「大多数の場合にそうである」ということの立証にはなりません。

例えば、yosyanさんのブログで採りあげられていたように、日本産婦人科医会から、分娩第1期と2期とで看護師の関与の可否を区別して、前者については看護師の関与を求めても医学的なリスクは高まらないという公式見解が表明されれば、①の問題について、非常に強力な「証拠」となります。
逆に今回の件が、分娩第2期における看護師の関与を問題としているとすれば、上記見解は検察側にとって非常に強力な「証拠」になってしまい、これを覆すのは容易ではなくなります。「自分は医師会とは違う意見を持っている」という医師と、医師会の公式見解における線引きのどちらを、素人である裁判官が重要な証拠と見るかと言えば、それが後者になってしまうのは避けようがありません。

何を言わんとしているかといえば、「立証」といっても、裁判になって個別の証人や意見書が持つ力は限定されている、裏からいうと、裁判に直接関与することがなくても、こうした「現場」の意見を「代表 する」見解やデータ(例えば、実際の産科医運営の実情について統計処理を施したデータ)は、訴訟や、場合によっては訴追の有無に対しても大きな影響を及ぼすということです。

現在、医師の方がブログで色々な意見を表明されていますが、こうした意見を医療界の総意、あるいは、代表意見として集約することができれば、それは実際の裁判の行方に大きな影響を及ぼすことが可能です。

司法における戦いは、必ずしも法廷の中だけではありません。
原告適格や処分性といったハードルはありますが、そのことは必ずしも戦う手段がなくなったわけではありません。
また、適法闘争については、やり方によっては、一番大事な患者のバックアップを失ってしまうかも知れないことが危惧されます。

以上、あくまで外野の医療訴訟の専門家でもない弁護士の戯れ言ですが、まずは医療界の意見の集約や客観的なデータの収集が大切なんではないかという気がしたので。もし、既にこうした営みは始まっているということであれば、今更のお話になってしまったかも知れません。
 

(※)もっとも行訴理論も、最近めざましい発展も遂げていますし、私も行訴は税務訴訟関係に偏った知識しかないので、行訴の専門家というのは意外と数が少ないこともあるのでネットでの意見だけでなく、実際に弁護士に実際に相談してみる価値はあると思います。どこの世界もそうですが、蛇の道は蛇で、色々な法的ハードルを超えるためのスキルというのは、やはりネットでは書きづらいものがありますし・・・(私自身、仕事として依頼されたとした際に、これらのハードルをクリアするためのいくつかのアイディアの素はありますし、おそらく、それをベースに行政法の学者の方に相談したりして、場合によっては意見書を頂いたりすることになるでしょう)

(※2)では、どちらの「言い分」も十分な証拠による裏付けがない場合はどうするんでしょう?
こういう状態は、ノン・リケットと呼ばれたりしますが、この場合には、予め立証ができなかった場合に、どういう取扱いをするかについてのルールが決められています。
このルールの典型例が、要件事実論という考え方で、その是非や限界はともかくとして、日本の実務法律家教育では、この要件事実論が極めて重視されています。

(※3)似た問題としては、判決文の中で、当事者の主張部分と裁判所の事実認定・判断部分の区別がなされていないまま、判決文に書かれていることは全て裁判所の判断であるかのように言われたりということでしょうか。
まあ、これは判決文の書き方が分かりにくいという批判もあったりして、もう少し物語り形式で書いたりした方がいいんじゃないかという意見もあったりするんですが、逆に、そちらで書かれてしまうと、どこをどういう具合に裁判所が判断したのか専門家からすると分かりにくくなってしまうんで、問題があったりということもあります。

Posted by 47th : | 15:03 | 時事

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