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葉玉さんの引退宣言

日経新聞の夕刊でも一緒に紹介された葉玉さんがブログ(会社法であそぼ。)から引退されることを宣言されました(※)。
東京地検特捜部への異動ということで、時期的には某経済事犯巨大公判に備えての戦力強化ではないかという憶測もありそうですが、何れにせよ、私の所属事務所とも懇意にしていただいているようだったので、帰国の暁にはお会いできるんじゃないかと密かに楽しみにしていたのですが、特捜ということだと少し難しくなってしまったかも知れません。残念です。

葉玉さんは、私のブログにもコメントを下さったことがありますし、勿論、私自身「会社法であそぼ。」はBologlinesに登録して拝見させて頂いていました(もっとも、すっかり留学ボケしてしまった頭には会社法ネタよりも、枕詞的な日常ネタの方がすんなりと入ってしまっていましたがw)。
ただ、一応ビジネス法務系のブログにもかかわらず、直接に「会社法であそぼ。」に触れなかったのは、留学中に会社法にすっかり疎くなってしまったから・・・というのもありますが、ブログ上で公表される立法担当者である葉玉さんの見解をどう位置付けていいのか、私自身整理できなかったからです。

この辺りは、日本に戻って、葉玉さんと直接お目にかかったり、会社法移行期の修羅場に携わった同僚の弁護士とも話しながら、自分の頭を整理していこうと思っていたのですが、葉玉さんが異動されてしまったということで、まだ考えがまとまらない段階ながら、今、ぼんやりと思っていることを書いて、(非常に一方的な)葉玉さんへのメッセージに代えてみたいと思います。


今回の会社法というのは、岩原先生をして「会社法規範をなるべく法文にすることを目指し、法文の文言による解釈を重視して、法の趣旨や規定の経緯、法の原理や条理に基づく解釈や、定款による法内容の補完の余地を排除しようとしている」(商事法務1775号11頁)と評価されたりするほどに、ある意味ではガチガチのものだったわけですが、それでも実務で実際に会社法を運用していく段階では、必ずしも条文だけからでは分からない事項が数多く出てきたであろうことは、想像だけでも分かりますし、実際に会社法であそぼ。に対して、日々数多くの実務的な質問が書き込まれていたわけです。

実務における「解釈論」というのは、「裁判にいったらどうなるだろう?」というものもありますが、実務的に深刻なのは、そもそも「登記が受理されるかどうか?」というレベルのものです。
いくら最終的に裁判で勝てると言ってみようが、登記が受理されなければ、そこでアウトというものは、実務上いくらでもあるわけで、そうした領域については、元々、「解釈論」も「理論」も「趣旨」も「学説」もへったくれもなく、ともかく「登記実務」と「法務局・登記所が事前相談で何というか?」が全てだったりします(※2)。

「会社法であそぼ。」は、葉玉さんの個人的なブログと位置づけられていましたが、事実上は、登記事項については法務局の取扱いを示すという意味もあったように見えました。

その意味で、登記の絡む話について、ブログ上で変に絡んで「解釈論」を今更こねくり回してもしょうがない・・・何だか非常に実務家的な身も蓋もない話ですが、むしろ、理屈はどうであれ「登記上はこれなら受け付けますが、これはだめです」という線引きが公表されていること自体が、大規模な法制度移行時においては非常に重要なことで、ブログという双方向メディアの性質を使って葉玉さんがこの数か月やってきたことは、今後の大規模な法制度の移行過程のあり方として、立法当局としてもっとオフィシャルな形で取り込む(※3)ことを検討してもいいんじゃないかと思います。

その意味で、「会社法であそぼ。」での葉玉さんが開いた扉は非常に大きなものだったと思います。

・・・と、ここまでは私の中でも固まっているのですが、この先の登記とは直接関係しない「解釈論」について、葉玉さんがブログで踏み込んだ部分については、それをどう位置づけるべきだったのかということが、私にはまだうまく整理できていません。

そもそも、会社法に限らず、立法担当者がその解説を公表するという慣行は、ずっと以前からあったわけですが、「解釈論」におけるこの「立法担当者解説」の取扱い自体、よく考えてみると曖昧な面を残していたように思います。
これが「立法者意思」と同視できるのであれば、条文の文言からは複数の解釈が成り立つ場合に、どの解釈を選ぶかの選択において裁判所の判断をある程度は拘束してしまうわけです。
しかし、厳密にいえば、「立法者」は「国会」であって、「内閣」(行政府)は法案提出権こそ持ちますが、「国会」が提出者である「内閣」の意図に縛られなければならないという要請は出てきません。「国会」で明確に議論されて、特定の解釈をとることを前提に承認がなされたというような場合は別として(※4)、そうでない限りは「提出者の意図」を「立法者意思」と同視して、裁判所の判断を拘束するものと位置づけるのは難しいような気がします。

実際、これまでに立法担当者が公表してきた解説も、そうした形で裁判所の判断を拘束するようなものとなることを主張していたわけではなかったように思われますし、学界や実務も、立法担当者見解は尊重しつつも、それと反するような「解釈論」は展開されてきたわけです。

その意味では、「会社法であそぼ。」も、そうした立法担当者解説と同様に捉えていくというのが、一つの立場なのかも知れません。

ただ、「解釈論」として議論の対象とする場として、形式的には葉玉さんの個人的見解であるという形をとっていたことと、そもそも質問に対する回答が中心のブログというフォーマットの難しさがあったようには思います。

前者については、ある見解について論評を加えるときに、それは「法務省(民事局)」という肩書きを背負った上でのものなのか、それとも「葉玉氏個人」なのかの取扱いがよく分からないという面はあったように思われます。
どちらにせよ「立法者意思」とは違うとすれば、一見解でしかないのですが、やはり「立法担当者を代表している見解」と「純粋な個人的見解」では、実務での重みが違うのも確かです。
従来も立法担当者が、ある特定のテーマについて立法過程で得た着想を下に「私見」に基づく論文を公表することはあったと思いますが、それは割合容易に判別ができたような気がします(※5)。
「会社法であそぼ。」の中でいえば、時には「参事官室も同意見」ということが明示暗示に示されていて代表見解的なものであることも分かるものもあったのですが、それがよく分からない部分については、どう取り扱っていいのだろうというとまどいが残らざるをえない面が一つの原因だったような気がします。

もう一つは、ブログというフォーマットの限界があったようにも思われます。
論文であれば、ある結論に至るまでのロジックは、丁寧に解説されなければいけませんし、もしそのロジックが途中で欠けていれば、それ自体が論文として破綻していることを意味します。
また、絶対的な要件ではないとしても、先行研究に対する検討と、その中で既出の問題点に対する自説からの回答を用意しておくことが通常で、これによって後に続く議論の焦点を絞ることが可能になります。
もちろん、これを真面目にやると、すぐに1万字オーバーの論文とかになるので、明らかにブログ向きではありません。
また、読者もプロだけでないとすれば、自ずから過度にマニアックなことは避けざるを得ませんし、先行業績への配慮も厚くやるわけにはいきません。

私自身、2年近くブログをやってきて感じているのは、ブログの双方向性というのは、違う分野の人との間での相互理解を深めるツールとしては使いやすい反面、同じ分野の専門家同士が議論を交換する場に仕立てるのは難しいということです(※6)。

・・・では、「会社法であそぼ。」は、(言い方は悪いですが)所詮はブログであって論文と同じ扱いで考える必要はないと割り切ればよかったのかといえば、「立法担当者」であるという立場もさることながら、立法過程での議論に対する情報の多さという点で、葉玉さんの書かれることは、会社法に関わる者として無視するわけにはいかないものがあります。
この立場と情報量の格差は、会社法の条文もろくに読みこなしていないいち弁護士が会社法についてああでもないこうでもないと書くのとは、その実務に対する影響力たるや天と地ほども差があるわけで、その意味では、「会社法であそぼ。」に書かれていることは、商事法務に掲載される高名な学者さんの論文並みの影響力があったとしても不思議がありません。

なので、葉玉さんがブログで、ある「解釈論」を書かれた場合に、その「解釈論」に沿って実務が進んでいくという意味で、登記の絡まない解釈論についても、事実上のデフォルト・ルールの決定権を持っていたという辺りがまた、突出していたところなのだと思います。

特に外にいる身としては、葉玉さんの見解について、意見が異なるところについては、何か言っておかないと、戻ったときにそれがデフォルト化してしまうのではないかという不安感もありつつ、そもそもどう位置づければいいのかよく分からないので、何だか絡めない・・・この辺りが、おそらく私が「会社法であそぼ。」に惹かれながら、何となく一定の距離を置いてきた(コメントやTBをしなかった)根底にあるような気がします。

そんな気になるけど近づけない高嶺の花?のごとき、葉玉さんが引退宣言をされるのを聞くと、(もちろん「会社法に詳しく,親切だが,スケベなオヤジ」のサミーさんが続けられるのですが)、ブログというメディアを通じて試行錯誤を続けてきた法律家の(僭越かもしれませんが)仲間として、やはり寂しさを感じざるを得ません。

また、こうしてエントリーを書いて整理しながら、「立法者意思」、「登記上の取扱いに関する法務省の立場」、「立法担当者解釈」、「私的見解」というのを区別した上でブログでどこまで絡めるかを試してみてもよかったのかも知れないという気もしました。

今後ともしばらくは会社法に関連する論文執筆などは続けられるということで、そこでご意見を拝見できるのを楽しみにしつつ、また帰国したら何かの機会にお会いできるのを期待しつつ、11か月もの間激務の傍ら内容の濃いブログを続けてこられたことについて、本当におつかれさまと言いたいと思います。
そして、また東京地検特捜部での葉玉さんのご活躍を心からお祈りしたいと思います。

追記
「特捜であそぼ。」なんてブログを始められたら、有料でも読みたいと思っているのは、私だけではないはず。

追記その2

葉玉さんと会社法について意見を交わさせていただいた数少ない機会の過去エントリーをご参考までにあげておきます。


(※)もっとも、後任としてバーチャル人格のサミーさんがブログを続けられるそうで、このバーチャル人格の背後に特捜の激務の合間をぬって書込をしている方がいらっしゃらない保証はないかも知れない(笑)。

(※2)一例をあげれば、会社分割制度導入初期には、みずほをはじめ同日付の複数会社分割・合併というのを幾つもやったんですが、同僚が東京の法務局で実際にやったある会社分割のスキームと同じものを他の法務局で確認したら、それは登記できないと言われたそうです。最初は理屈で説得しようとしたそうですが、それではクビを縦に振らなかったのですが、東京でやった登記済みのスキームを教えて、その謄本を持って行かせたらOKになったというようなこともありました。

(※3)よりはっきりと言えば、葉玉さんが仕事からへとへとに帰ってきた後で、深夜更新をしなければならないというのではなく、勤務時間中に堂々とやれるようにということで(笑)

(※4)そして、こうした意味での「立法者意思」は、附帯決議のような形で明確化されることが通常ではないかという気がしますが、どうなんでしょう?

(※5)こうした論文は一連の「解説」論文とは独立したタイトルを付けられることが普通ですし、文中にも「個人的見解」であることが明確に断られることが通例です。

(※6)mixiのサークルのように、同程度の専門性を持つ者だけでの閉じた意見交換の場をつくることは考えられるかも知れませんが・・・むしろ、専門的な知見の交換は、SSRNのように論文ドラフト公表とそれに対するコメントというフォーマットの方が向いているような気がします。

Posted by 47th : | 18:32 | 雑感

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このリストは、次のエントリーを参照しています: 葉玉さんの引退宣言:

» 【余談】 「会社法であそぼ。」のインパクト from 教えるとは希望を語ること 学ぶとは誠実を胸に刻むこと
先日、葉玉先生が異動に伴って「会社法であそぼ。」から引退される旨をお伝えしましたが、それに関連した記事を幾つかご紹介致します。 ふぉーりん・あとにーの憂鬱... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年10月03日 12:17

コメント

まったく同感です。
本来、彼のブログに書き込むべきことですが、・・・
ときどき葉玉氏のブログをみるのですが、最初は、そのバイタリティと登記関係の回答に感心するものの、それ以外の解釈論を読むにつけ、だんだん腹が立ってきます。理由は、ふぉーりん・あとにーさんと同じです。明らかに両者には差があります。違法配当有効論もしかり。司法試験受験生なみに、議論が薄っぺらいのです。
人の言葉を借りるのは卑怯かも知れませんが、某大先生曰く、ああいう議論がまかり通るのは、権力を振り回すことに酔っているか、司法試験予備校の弊害が出ている!
私はブログに書かれたことは、無視することにしています。商事法務の論文は機会があれば叩きます。だって、法務省関係者の投稿を却下するはずがありませんからね。

Posted by satirev : 2006年10月02日 10:09

>satirevさん
はじめまして。
どうお答えしていいのか迷いますが、葉玉さんのブログの位置付けを考えてみたときに、自分が日本にいて会社法移行時に立ち会ったときにはどうしただろうということと、会社法であそぼ。がなかったらどうなっていただろうということを考えます。
前者については、多分、登記以外の点についても、伝を辿って参事官室の見解は確かめたでしょうし、理論的に100%納得できるかどうかはともかく、移行時には参事官室と異なる見解に立った実務をとることは避けようとしただろうと思います。
その意味では、たとえ客観的な位置付けは一見解であっても「立法担当者解釈」は実務において無視できないし、後で立法担当者から否定的な評価をされることだけは、依頼者に対する責任として避けたでしょう。
そうだとすれば、「立法担当者」は、望むと望まざるとにかかわらず、これまでにも登記以外の解釈事項についての「解釈」(明確なものでなく、積極的に反対はしないといったレベルのものも含めて)を示すことを求められてきたわけですし、実務の場面を考えれば、それは「解説」や「実務相談」の形で公表されるもの以外にも多数ありました。
その意味で、葉玉さんが実務の要請(コメント欄での質問)に答える形で「解釈論」を公表することそれ自体は、実は、今までの現場での慣行とそれほど離れているものでもなく、また、実務がそれを求めていた・・・いわば需要が先にあってのことだったようにも思います。
そして、この「需要」の存在についていえば、どんなに学問的に難しい問題を含んでいたとしても実務の場面では、限られた時間内に、そこに一つの「答え」を出していかなくてはいけない時があるわけで、そうした「需要」に対してわが国の学界が答えきれなかった分を立法担当者が吸収してきた面もあるように思われます。僭越な言い方かも知れませんが、こうした立法担当者への「需要」の大きさについては、学界の側でのあり方も問われるべきではないかという気がします。

実際、会社法であそぼ。がなかったとしたならば、会社法移行期において、どうしても答えを出さない実務上の問題については、法務省との「伝」を持つ一部の法律事務所に依頼をしないと答えが得られないという状態になってしまったのではないでしょうか?
組織再編関係や委員会等設置会社であれば、先行してそれを採用する企業の数は限られていたので、そこまでのコストをかけるつもりのない企業は先行者の実務が確立するのを待つという選択肢がありましたが、会社法改正に関しては、そうしたwait & see戦略はとれません。
そうした中で、「法務省との伝」という極めて限定的な導管で「立法担当者解釈」が一部のみに流布する・・・そうした状況は、使い勝手のよい会社法に仕立てたという立法担当者の志に沿ったものとは言い難かったのではないかという気もします。
今回の立法担当者中には、そうした情報流通レントとでも呼ぶべきものを享受する大手法律事務所(私もそこの所属なわけですが(笑))から出向していた者も多かったわけですが、そうした係累を持たない検察庁出身の葉玉さんだったからこそ、思い切って、そうした情報が誰にでもアクセスできるようにできたんじゃないか・・・そんなことを勝手に想像するところもあります。

まとめるとすれば、「立法担当者解釈」への需要の高さは今に始まった問題ではなく、会社法であそぼ。は、むしろそうした情報へのアクセスのルートを大幅に拡大しただけで、そのこと自体は、情報伝達レントを失った大手法律事務所等にとっては痛手でも、より一般的には社会的に望ましいとも言い得るのではないかとも思います。

ただ、そうした志から生まれたブログの予期せぬ副作用もあったと思います。
それは、従来の「立法担当者解釈」は、なお密室で口頭ベースで確認されるという意味で、その影響力は限定的であったのが、ブログという形で多くの人に認知され、かつ、書き物として残ってしまうことによって、本文でも書いたように、条文解釈について実務におけるデフォルト・ルールの地位を固めてしまうという効果で、私がとまどい、そして、おそらくsatirevさんがとまどっているのも、この今までなかった、そして、本来の葉玉さんの主眼とは異なっているかもしれない、影響力の大きさなのではないでしょうか。

私が、直接お会いして確認してみたかったのも、おそらくは(前はそれほど明確に意識していたわけではありませんが)、その志の部分と、副作用的に生じている影響力の部分のバランスについてどう考えているのかというところだったような気がします。

立法担当者解釈に対する需要の高さという現状、そのアクセス・ルート、アクセス・ルートごとのメリット・デメリット・・・「会社法であそぼ。」で葉玉さんが試みたことを評価するためには、こうした点を総合的に考える必要があるような気がします。

「会社法であそぼ。」が提起したものは、今後も続いていく経済関係立法を考えれば、無視や敵視で済ますには、余りにも勿体ないものがある気がしています。

私自身、これまで自分自身の考えがまとまらなかったために遠巻きにしてみてきた面があるのですが、葉玉さんが引退宣言されるに当たって、積極面、消極面何れの面にせよ、葉玉さんが試みられたことに対する何らかの考えを述べさせてもらうことで、少なくとも、その問題提起を私なりには受けとめたことを示したいと思ったのが、今回のエントリーを書いたきっかけです。

未だに、考えがまとまっているとは思いませんが、こうした形でコメントを頂くことで自分の思っていることが見えてくるところもありますし、(satirevさんに限らず、)色々なご意見をうかがえると幸いです。

Posted by 47th : 2006年10月02日 12:05

記事の趣旨を曲解して「同感」と言ってしまった面があったようで、ごめんなさい。47thさんがブログの限界と指摘されていたことを、私は常々、立法担当者の限界と感じていたものですから。

私は研究者の端くれですが、葉玉氏のブログにおける論拠の大半は、条文相互間の整合性と、ある限定された場面における利益衡量です。そりゃ作った側ですから、最も整合的に解釈できるでしょう。私が薄っぺらだといったのは、それらを含めてのものです。しかし、それでもおかしいと思うから、学説が唱えられるのであり、彼のブログで司法試験受験生が自分で考えることをやめてしまうことを危惧しています。

もう一つ、肩書きについていうと、法務省の肩書きを背負っていることは否定しがたいですね。受験生は内容よりもそこを信頼する危険性があります。商事法務の論文も、最近のものは未だ見ていませんが、かつては、個人的見解といいつつ、「新会社法の特別解説」と銘打っていた点に欺瞞性を感じていました。

またまた、方向のずれた議論をしてしまいました。

Posted by satirev : 2006年10月02日 12:55

>>satirevさん

とりあえず最初の投稿の最後4行はとても研究者とは思えない書きぶりですね。
無視するならこんなところでこのように書くべきではなく、無視しないなら堂々とあちらのブログに書くべきでしょう。
「いずれ叩く」などと言わず、然るべき論を立てた後に議論として書かれることを望みます。

「腹が立つ」では有益な議論足りえないと思います。

駄文失礼。

Posted by rainyday : 2006年10月03日 07:25

rainydayさん

誤解は解けないと思うものの、1回だけ言い訳をさせてください(47thさん、場所を借りてごめんなさい)。

私が無視するといったのは、自分が論文を書くときにブログは引用しないという意味です。叩くといったのは、関連するテーマで論文を書くときに、商事法務の論文に反論するという意味です。しかし、私は法務省ではないので、体系書が間違っているからといって、商事法務でそれを糺そうとは思いません(法務省は商事法務の監督官庁です)。少なくとも私は、他人の説を攻撃するためだけに論文を書くことはありません。

これまであちらのブログに書かなかったのは、彼の功績も認めているので、それによって彼がブログをやめてしまうと、受験生が可哀想だったからです。ブログをやめられたので、その危惧はなくなったのですが、やめる段になって文句をいうのも大人気ないので黙っていました。文句をいうといっても、47th氏が指摘しているように、コメントではきちんと説明できません。論文はそのためにあるのです。

Posted by satirev : 2006年10月03日 08:14

>satirevさん(最初のコメント部分)
解釈論そのものについての議論は、まさに学界の方が担われる部分だと思いますし、葉玉さんに限らず、紙ベースの立法担当者解説に対しても今後議論は深まっていくと思います(現に前にブログで議論した定款規定の限界については、私法学会シンポジウムの報告論文でも議論されていますし)。
ちょっとシニカルかも知れませんが、受験生については、それほど心配しなくてもいいのではないかという気もします。昔の経験になりますが、司法試験の答案は限られたスペースと時間で、論理破綻のないように、かつ、事案に即した問題を処理できればいいわけです。昔から受験生が学説を「選ぶ」際には、答案の書きやすさというのは一つのパラメータという位置付けでしたから、誰の考え方であっても、その中で問題意識がコンパクトに示されているのであればいいですし、逆に学界で「通説」と呼ばれている見解をとったとしても、その問題意識を把握しないままにフレーズを丸呑みにするのであれば、意味はありません。
むしろ、とっつきにくい会社法の先端的な問題について、軽妙な語り口で問題の所在を整理して、一応の結論への筋道を示しているという点では、司法試験受験生にとっては、よかったのではないかという気がします。

もちろん、繰り返しになりますが、受験生にとってためになるということと、学説として学界の検証に耐え得るかは別の問題ですし、それは今後の課題ということだろうと思います。

Posted by 47th : 2006年10月03日 11:05

>satirevさん(後のコメントについて)

まず、「法務省は商事法務の監督官庁」という認識については、私からは強く異を唱えさせていただきます。
私自身、商事法務本体でも論文を数本書かせていただいていますし、本も出させていただいていますが、その中で立法担当者見解に沿った形で書くことを要請されたことは一度もありません。それどころか、内容面について一定の学説や方向性に配慮するよう求められることもありませんし、テーマの選択(掲載に相応しいテーマかどうか)で編集部に打診はすることはあっても、テーマとして採りあげていただくことが決まれば、表現面を超えて、見解や内容そのものについて検閲がされることはありませんでした。
その意味で、私の知っている事実の範囲では、商事法務の編集方針が法務省の意向に沿っているということはありません。
これは、私の運営しているブログですし、根拠なく特定の個人や団体の評価を貶めるような表現はコメント欄としても放置するわけにはいかないことはご了解下さい。

ここまでは単なる前置きですが、「無視」ということについての考え方についても、大変僭越な言い方になりますが、同意しかねるものがあります。
もちろん、特定の相手への個人的感情で反論論文を書くことは余り意味のあることではないと思います。ただ、思いつく範囲ですが、みなし配当に関する金子=竹内論争、会社法の適用関係に関する石黒先生による原田見解批判、オプション理論の理解についての藤田先生の厳しい批判など、特定の見解に対して正面から議論を挑むことにより議論が発展してきた例は多いと思います。
むしろ、それが自分の立場と異なるとはいえ、自説の組み立てにおいて、そうした他説に対する意識があるのであれば、それを明らかにするのも学問的な誠実さであるような気がします。
もちろん、ブログというフォーマットで公表された見解を、どう論文の中で取り扱うのか、実際的な問題を考えると、戸惑うところが出てくるのは致し方ないと思いますが、論文を書く際に念頭にありながら、意図的に「無視」されるとすることには抵抗を覚えます。そもそも、そうした見解を最初から念頭にすら置かないということであれば別なのですが、他方では「叩く」と仰っているのであれば、それは、そうした先行見解にネガティブなものであれ触発されたということのようにも思われます。

研究者としての途を脱落した者が申し上げるのは、大変僭越かも知れませんが、議論そのものに「叩く」だけの価値のあるのに、立法担当者だから(執筆者の属性)、あるいは、ブログだから(媒体の属性)ということだけで、それを「無視」してしまうべきではないと思います。

あと、蛇足ですが、葉玉さんは(というよりも実務家というのは)、結構打たれ強いものですので、あちらのブログに書かれても大丈夫だったと思いますよ。

ちょっと批判的なことも申し上げましたが、satirevさんのコメントのおかげで、私自身の考え方も、かなり整理することができ、大変感謝しています。今後とも宜しければ遊びに来ていただければ幸いです。

>rainydayさん

「言い方」の問題はあるかと思いますが、satirevさんは葉玉さんのブログに対してどう考えるかについて、自分のお立場を示して下さっています。
rainydayさんのお考えも示していただければ、「言い方」の部分以外のどういった点に考え方(受け止め方)の違いが出てくるのかが見えてきたかも知れないと思いました。

Posted by 47th : 2006年10月03日 11:43

47th先生。
うまく、トラックバックできないのですが、拙稿で先生の記事を参考にさせて頂いております。

取り急ぎ、ご連絡までに。

それでは、失礼致します。

Posted by shoya : 2006年10月03日 12:13

47thさん(後のコメントについて)

47thさんに誤解があれば解きたいですが、誤解でないかも知れません。商事法務の編集方針が法務省の意向に沿っているとは思いません。法務省が商事法務の監督官庁であることは事実であり、商事法務を貶める意図はありません。私も商事法務にはお世話になっています。ただ、法務省関係者の投稿を商事法務は拒否できないのではないかといっただけです。これも、間違っているかも知れません。しかし、こういったことについて、私は47thさんよりは情報を持っていると思いますよ。

学者には、人が間違ったことをいったら攻撃するタイプと、人の言わないこと、気づかないことを発表するタイプとがあります。私は後者のタイプだから、わざわざ反論しないということを申し上げたのです。47thさんに同意していただかなくても結構ですが、多様な意見があっていいわけですし、論理的に誤った学説は攻撃しなくても自然淘汰されると私は思っています。

「無視」は少し強い語調だったかも知れませんが、ブログでの主張は学説の体をなしていないので「いちいち挨拶しない」という意味です。「叩く」も強すぎましたが、「よく吟味して反論する」という意味です。ブログでやりあったとしても(ちょっとやりあったこともあるのですが)、結局、議論が成立しないんですね。そのとき無駄だと知りました。

Posted by satirev : 2006年10月03日 12:41

>shoyaさん
どうもお手数をおかけして申し訳ありません。
MTの仕様なのか(最近3.3にアップデートしたんですが・・・)、サーバー側の問題なのか分からないのですが、最近TBがうまく打てないことがあるようです。
これに懲りずに、今後とも宜しくお願いします。

>satirevさん
こちらこそ、誤解があったようです。申し訳ありません。
前のコメントでも書きましたが、法務省担当者の解説・投稿には、実務からの強い需要があることも確かですので、何れにせよ担当者から寄稿の申し出があれば出版側としては断る理由がないということは言えるのではないかという気がします。

後段についても、私の方で語感を強くとりすぎてしまったようです。

(葉玉さんのということではなく、私自身のものも含めてより一般的に)ブログという媒体の特性上、そこで示されたものの中に議論の体をなしていないものもあるというのはその通りだと思いますし、ブログ上では専門的な議論が成立しないというのも、その通りだと思います。
結局、議論の場(議論のアジェンダ、スタイル、ボリューム、タイミングの選択)をブログの管理者が一方的に設定できてしまうということと、基本的な情報・理解レベルの統一が難しい(そのため、専門家から見たときの議論の勝ち負け(これも変な言い方ですが)と、平均的なブログの読者層が見たときの勝ち負けが一致しないことがある)という問題があるのかなぁということを感じています。

蛇足になりますが、このブログはレンタル・サーバー+MTという組み合わせで運用しているので、コメント欄に字数制限を全く置かないことでアジェンダとボリュームの選択については、コメントしてくださる方にも、ある程度のイニシアティブはあると思うのですが、それでも、そおらく専門家同士でガチンコの法解釈論を戦わせる場には使えないだろうという気がしています。

最後の部分は、Webやブログについて語られるバラ色の可能性について私自身が感じている漠然とした限界の話で完全な蛇足でした。

解釈論展開の場としては限界がありますが、今回のような方法論的な問題や学際的な問題については、こうしたフランクな形で「発想」を交換する場としての意味もあるんではないかと思っていますので、この話題に限らず、今後とも宜しければご意見をお聞かせ下さい。

Posted by 47th : 2006年10月03日 13:11

 
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