今日のニューヨークはじとじとした雨ということで、一日家にこもって宿題?をこつこつと片付けています。
専門的な論点を扱う論文というのは事前準備は大変ですが、ある程度資料が集まって方向性が決まれば議論のフォーマットはパターンがあるので、骨組みはそんなに悩まずに書いていけるのですが、逆に今書いているようなファイナンス理論が会社法実務とどう関連してくるかの「さわり」を紹介するようなタイプの原稿というのは、パターンが無数に考えられるので、その選択が結構疲れたりするわけです。
まして、思いついたことを口語体でどんどん書いて、必要があればリンク先参照、読者に分かりにくいところがあればコメントでやりとりという技が使えるブログに慣れてしまうと、何だか普段はエレベーターで上っているところを、えっちらおっちら階段で上がっているような気分になってきたりもします。
そんな愚痴を言っていてもしょうがないんで、引越の荷出しが終わる前に溜まっている原稿を片付けている最中なんですが、鹿児島時代からの友人のtakaさんが、気になるシリーズを連載しています。
- 【私見その1】良い医者が探せるようになったら・・・
- 【私見その2】良い医者が探せるようになったら・・・
- 【私見その3】良い医者が探せるようになったら・・・
- 【私見その4】良い医者が探せるようになったら・・・
- 【私見その5】良い医者が探せるようになったら・・・
- 【私見その6】「良い医者探し」論 番外編
元々「良い医者探し」論ということで始まったのですが、ご友人のK医師が提起された、そもそも「いい医者」とは何か?とか、患者との関係のつくりかたといったことは弁護士の世界にも思い当たる節がたくさんあります。
専門分野に関する法律知識の豊富さは、「いい弁護士」の必要条件ですが十分条件ではない・・・これは実務に入って以来常々私自身感じてきたところで、本当に重要なスキルは「依頼者が何を求めているのか?」あるいは「依頼者にとって最善の利益(best interest)とは何か?」ということを見つけ出すところにあるような気がしています。
重要なのは依頼者自身が自分が何を求めているのか明確に意識していないことは往々にしてあり得るということです。
「合併をしたいので、合併契約書をドラフトして下さい」-こんな単純で一見明白な依頼ですら、依頼者が達成したいのは何で、どういうリスクを懸念しているのか、当事者の置かれている状況の特殊性はどんなものか・・・そうしたことを探っていくと、本当に必要なのは合併の前段階でのリスク遮断のアレンジであったり、そもそもスキームの変更であったりすることもあり得ます。
ただ、こうした形で弁護士がスキルを発揮する上では、依頼者との信頼関係の構築も重要です。
例えば、取引の最終段階になって相談に来られても、その段階で前提となっているスキームよりも目的に適ったスキームがあったとしても、最早そちらに変えることは事実上手遅れという場合もあり得ます。
また、依頼者との間に信頼関係がなければ、言われたことを端的にやらずに、あれやこれやと関係あるんだかないんだか分からないことまで口を挟んでくる弁護士は「五月蠅い」だけで終わってしまうかも知れません。
こういう部分は、単に真面目に勉強すれば身に付くものでもないだけに厄介なところがありますが、実務家としてやっていくためには避けて通ることのできないところです。
takaさんの記事を読んで、そういうことを改めて思い出すと共に、この2年ですっかりその辺りの勘が鈍ってしまっているのではないかと、またも浦島太郎の恐怖に襲われたりもする今日この頃です。


















