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11月ということで

といっても、もう11月に入って1週間が経つわけですが、丁度ハロウィーンの日から留学中最後の国内旅行に行ってました。

思っていたよりもネット環境が悪く、メールすら読めない状況が続いたのでコメントへの対応もできず申し訳ありませんでした。

とりあえず、NYでは昨日の中間選挙での民主党が圧勝(上院が微妙ですが、まあ増減を考えればこう言っていいんでしょう)が当然のごとく話題になっています。
これで民主党政権への道筋ができたかといえば、民主党の大統領候補の筆頭がヒラリーというところに不安材料があったり、逆に多数派を占めてしまったことでブッシュ政権の政策を追認せざるを得ない立場に追い込まれる可能性もありそうですから、大統領選までの政局は見物です。

思えば、NYに来た直後にブッシュ再選を目の当たりにしたわけで、そこから丸々2年が経ったということなんですね・・・そのNYともいよいよあと1か月というのは、何とも寂しいものです。

いつものごとく、旅行中に見ることのできなかった人様のブログもちょこちょことフォローしているのですが、興味深い・・・というか、経済学というのは、何故かくも誤解を受ける、というよりは、目の敵にされてしまうんだろうと、またしても思ったのは経済成長に関する件の議論です。

とりあえず経済学とは何ぞや?ということをある程度突っ込んで考えたことのある人にとっての見方というのは、山形先生のエントリー(「経済成長の意味」、「成長をなでる「盲」ってだぁれ?」)に尽くされているとは思います。
ただ、ここに現れているすれ違いの源というのは、「経済学をもっと真面目に勉強したら」という話だけではないような気もするところで・・・経済成長の価値、とりわけ今後もそれが必要であるという意識は、実際に経済成長にあえぐ国々に対する視点や、それが先進国と言われる国々にもたらす影響への関心の強弱にもつながっているような気がします。

うまく考えがまとまっていませんが、経済成長を否定したい心情の根っ子のところには、ナショナリズムの昂揚や保護主義、外資排斥、格差問題の強調といったものと非常に似通ったものが通じている・・・そんな感じを受けました。

そういえば、世界史未履修問題はどうなったんでしょう?
何だか「救済」がなされるとか、教員の方の自殺だとかいう話もあるようですが・・・「責任」という名の下に弱い者へ弱い者へと負担が押し付けられていくことのないように祈るばかりです。
法律家の目から見ると「責任」という概念は非常に重い概念であり、「責任」を誰にどういう形で問い得るのかということに関しては常に慎重にならざるを得ないのですが・・・どうも「責任」という言葉が振りかざされすぎのようなきらいもします。
「責任」という言葉の濫用は、「無責任」と同じか、あるいは、それが一方的に弱者に負担を押し付ける際のマジック・ワードとして用いられる場合にはより悪質なものとなってしまう虞があると思うんですが・・・

最後に、池田先生がプリンタ業界のビジネス・モデルを「悪魔的」と断じていらっしゃるようです。
そもそも「悪魔的」とか「略奪的」という既にその用語の中に価値判断を忍び込ませている用語を使うことは、訴訟で弁護士が相手方を非難するときに使うテクニックとしては重要であっても(笑)、学問的には百害あって一利無しだと思うのですが、その点を措いたとしても、前に以下のエントリーで書いたようにアフターマーケットの独占の競争法的意味は必ずしも自明ではありません。

その後、Behavioral Law & Economicsの授業でも、この辺りのことを検討したことがあるのですが、少なくとも競争的な市場においてMyopiaの存在が厚生損失をもたらすかは微妙なところがあります。
これまでの私の検討の範囲では、Myopiaの存在だけでは競争当局の介入は妥当ではなく、(カートリッジ市場ではなく)プリンタ市場での暗黙の協調を促進していたり、参入障壁として機能しているというような、別の事情と組み合わせて考えないといけないと思っているのですが、この辺りはペーパーを書くときに結構気合いを入れて調べたところでもあるので、機会があれば、別途ブログか論文かなんか書いてみるかも知れません。
とりあえず、限界価格プラインシングではないから「悪魔的」と決めつける必要はないんではないかということで(あと、携帯のプライシングについても触れられていますが、カートリッジ以上に価格差別という側面が強くなるので、そのプライシングの仕方の功罪を検討するには、より慎重でなくてはいけないんではないかと)

・・・と、雑多な印象ですが、11月最初のエントリーはこんなところで。

 


Posted by 47th : | 12:57 | 雑感

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» コトバ使い:『責任』はあいまい from コンサルタントのネタモト帳+(プラス)
go2cさんの一寸の虫に五寸釘にて大変興味深いエントリが掲載されていました。いじめ問題や未履修の問題に絡めて校長の自殺が相次いでいる記事を受けて、「責任」... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年11月17日 11:24

コメント

はじめてコメントさせていただきます。もと11組の者です。
いつも興味深く読み、勉強させてもらっていましす。
今日は特に一言、お礼をと。
「山形先生」とあり、もしやと思ったら「山形浩生」さんのブログではないですか。ホームページはいつもチェックしていたのですが、「経済のトリセツ」というブログがあったのは全く知りませんでした。
山形浩生ファンでありながらうかつでした。
ブログの存在を知れた、しかもふぉーりんあとーにーさんがチェックしていたとは。
ということで、ありがとうございますのコメントを。
いろいろと制約あるかとは思いますが、日本に戻ってからもブログがんばってください。こっそり楽しみにしますので。

Posted by まつい : 2006年11月09日 01:02

いつも拝見させていただいております。
今回の『用語の中に価値判断を忍び込ませている用語を使うこと』について、大変共感いたしました。僭越ながら私のエントリの中でもご紹介させていただきました。(TBさせていただいたのですが、弾かれてしまったようです・・・。)

特に最近の日本の「報道」のでは、こうした「価値判断を含むコトバ」を多用している気がしてならないのですが、アメリカの報道事情はどのようなのでしょうか?生の印象をお聞かせ頂ければ幸いです。

これからも勉強させていただきたいと存じます。

Posted by Swind@立石智工 : 2006年11月09日 09:12

>まついさん
ご無沙汰しています。
山形先生のブログは、私も今回知ったのですが^^;、お役に立てたようであれば幸いです。
帰国したら11組飲み会にも顔を出しますので、また宜しくお願いいたします。

>Swind@立石さん
TB調子悪いみたいですね。磯崎さんのところに対処法がのっていたので、今度試してみます。
報道における言葉の使い方は、アメリカでも似たようなところはあると思いますが、アメリカでは、殆どの場合ある意見があれば、それに反対する意見も出てくるので、日本のように一方向だけに偏るという感じにはならないような気がしています。

Posted by 47th : 2006年11月09日 11:16

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
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