ものごとを考えるときにはいろいろなアプローチの仕方がありますが、私の場合は、やはりインセンティブとか、人間が直面しているジレンマを分析するところからアプローチすることで、問題が見えてくることが多いような気がしています。
そこで、まずは、ブログを使って自分の考えを発信しようとするときに、人は何を費やしているのか、そのコストを考えてみましょう。
コストというと、すぐに思い浮かぶのは金銭的なものですが、ブログの場合は金銭的なコストはほとんどかかりません。
代わりに、ブログを使って自分の考えを発信しようとするときには、一定の「時間」がかかります。
これも当たり前のようですが、もう少しだけ「時間」がコストということの意味を考えてみましょう。
「時間」でコストを測ろうとすると、つい時間の「長さ」で考えてしまいそうになりますが、同じ「時間の長さ」でも、その人にとっての価値というのは異なります。
例えば、レポート提出を明日に控えた1時間と、夏休みのまっただ中、友達との約束もない中の1時間が違う価値を持つことはすぐに分かるのではないでしょうか?
これは、その1時間の価値が「他の使い道」で測られているからと考えることができます。
「この1時間があれば、レポートが1頁進む」という1時間と、「他にすることもないしなぁ。暇だなぁ」という1時間では、その時間を使ってできることが違っているから、価値も変わってくる・・・こうした考え方に基づいたコストの考え方を経済学では「機会費用」といいます。
忙しくなったから、ブログをやるのが難しくなる・・・これは、ブログを書くのに必要な絶対的な時間の長さは同じであっても、その時間を使って他にやるべきことができたので、「機会費用」という意味でのコストが大きくなった・・・
・・・と、こんな当たり前のことを説明するためだけに、いちいち「コスト」ということを考える必要はありません。
コストという観点から、「時間」を見たときに、もう一つ重要な性質を考えておきましょう。
書き手が使う時間が例えば、友達にコーヒーを買いにいくのを頼まれたとき、ちょうど自分もコーヒーを買いにいきたいと思っていれば、そんなに億劫ではありません。
「どうせやろうと思っていたこと」であれば、それほど負担にはなりません。
つまり、ブログで用いる時間が、「どうせブログを書かなくてもやろうと思っていたこと」に使う時間であれば、忙しくなったからといって、すぐにブログを書くのが負担になるわけではありません。
例えば、「ニュースを聞いてその意味を考える」という作業は、ブログを書くかどうかに直接かかわらず、日常の中でやっていることです。ましてや、そのニュースが仕事に関連するものであれば、仕事の上でも「考える」ことは仕事の一部として必要になります。
他方で、物理的にブログを「書く」という作業は、ブログをやらない限りは仕事上必要にならないので、コストという観点からは「考える」作業よりも追加的なコストが必要になります。
こうしてみると、ブログを書くという作業の中にある異なる要素には、コストという面から見たときに違う意味がありそうです。
というわけで、次回はブログを書くという作業に必要なコストを、もう少し細かくみてみたいと思います。


















