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ブログ論壇考(5)

前回は書き手のコストという面を見ていったわけですが、では、そのコストの逆側にある書き手のベネフィットって何なんでしょう?

内的ベネフィット

まず、純粋に考えを文章化することや、その時の思いつきを書き留めておくことのベネフィットがありそうです。
これは日記の延長のようなもので、想定読者は自分自身ということになり、必ずしも公開する必要はありません。

コミュニケーション・ベネフィット

ただ、多くの場合、ブログは公開されて不特定多数の人の目に触れることが予定されていたり、人のブログにTBをしたりするわけで、必ずしも内的なものに限られません。

こうした多くの人の目に触れることの一つの意味は、その意見に対してコメントやTBなどの反応を得て、さらにそうしたツールを使って議論が成立することによって、自分自身の考えをより深めるというところにあるように思われます。

注目ベネフィット

もっとも、そうしたコミュニケーションを成立させるためには、必ずしも読者数を増やす必要はなく、むしろ、同程度あるいは自分よりも多くの知識や情報を持っている人や、ロジックを踏まえた議論能力を持っている常連の読者を対象にした方が密度の濃いコミュニケーションが成立する可能性があるような気がします(もっとも、最初にそうした読者をどうやって獲得するかというところの苦労はあり得るわけですが)。

ただ、そうでなくても、「多くの人から注目されている」ということ自体がモチベーションになっている面はあります。多分、心理学的にはもっとちゃんと説明がつくんではないかと思うんですが、カウンターを設置したり、そのカウンターのアクセス数が気になったり、あるいは、ブックマークの数が気になったりということは、ごく普通のことだろうと思います。

もっとも、ちょっと気をつけなくてはいけないのは、この「注目」の部分の比重が高まってしまうと、読者受けのいい記事や注目を集めることが目的化したエントリーを書きたくなってしまうこともあるような気がします。

リアルでのベネフィット 

また、こうした注目は、それによる心理的な満足だけに留まらず、更にリアルの世界でのベネフィットにつながることもあり得ます。
例えば、顧客獲得や、人脈の拡大、出版といった部分でしょうか?
もっとも、この部分が強くなってしまうと、自分の考えを伝えるというよりも、読者をどう獲得するかとか、その読者にどういう影響を与えるかという部分に対する考慮が強くなりすぎる可能性もあります。

コストとの兼ね合い 

これは印象論なんですが、政治家やマーケッティングが目的のブログを除けば、最初は誰しも読者が少ない状態から始めるわけですから、コストは、自分自身の考えをまとめたり、発展させたりといった部分のベネフィットで釣り合っているんじゃないかと思います。
それが、段々と読者を獲得してくると、注目やリアルでのベネフィットを重視するようになってくるのかも知れません。
ただ、そうなってくると、いろいろと鼻につくところも出てきてしまうような気がします。
ブログを長続きさせるコツというのは、結局、このベネフィットとコストの釣り合いをうまくとるところにあって、リアルの世界での環境が変わってしまうと、コスト構造が変わってしまうため、今までのベネフィットの範囲では釣り合いがとれなくなったり、注目やリアルでのベネフィットにシフトしてしまう危険があるというところで、ブログの休止ということになるのかも知れません。

競争とベネフィットの逓減

ところで、お察しの通り、注目やリアルでのベネフィットを求める形でブログを続けることについて、私は明らかにネガティブなところがあります。一つは、カウンターにせよブックマークにせよ、注目の指標としては極めて不正確なものという気がしていて、それが目的化してしまうと非常に危険な気がするところですが、その点は、ちょっと時間がないので軽く触れるに留めて、ここでは、一つそうした注目やリアルでのベネフィットは、ブログの書き手間での競争が進めば、自ずから減少してしまうという点を指摘しておきたいと思います。

非常に簡単な話ですが、まだブログの絶対数が少ない時代には、ちょっとコストをかけてエントリーを継続したり、話題のトピックをフォローしていれば、それだけである程度の注目を集めていくことが可能だったような気がします。
ただ、ブログの書き手が増えてくると、段々そういうことも難しくなってきます。
読み手にとっても、ブログを読む、とりわけ、ある程度論理的な構造の文章を把握して読むということには、それなりの時間や前提知識、ロジック分析能力が必要なわけですから、単純に書き手が増えたから読むブログを増やすというわけではありません。
巡回するブログを減らしたり、あるいは、エントリーを読むのに費やす時間を減らしたりと、対応は様々だと思いますが、ブログの書き手が増えれば、それだけ読み手の注目を集めるのは簡単ではなくなります。

特に、丁寧にロジックをおって考えるタイプのエントリーというのは、読者の方でもそのロジックを丁寧におって、最後にそれが自分にとって役に立つかどうかということを判断しなければいけません。そうすると、読んだ結果、常にタメになるものであればいいのですが、そうでない場合には、その時間は無駄になってしまいます。そうすると、同じ時間を使って、3つ4つ他のブログを見て、その中で「当たり」を見つける方がいいという方向に流れるかも知れません。
そうした意味では、こうして競争が激しくなってくると、丁寧に考えたエントリーで注目を集めるというのはそれだけ難しくなります。しかも、往々にして、丁寧に色々考えた先の結論というのは、それほど爽快感のあるものではありません。上限金利規制なんかでも、色々考えた先の結論というのは、少なくとも金利規制で多重債務者が救われると考える根拠は薄弱というところまでで、現にいる多重債務者対策としては、開示の充実や取立規制の厳格化、社会的なセーフティネットの拡充、景気回復とか、それ自体としては地味なものしかないわけで、結論は、"silver bulletはない”という、全く面白くも何ともなく、政治的にみると全くアピーリングではない結論にしかならないわけです(「○○問題の根は深く、これ一つでという解決策は到底ありません」と延々と街頭演説で話す候補者が票を集めるとは思えませんよね・・・)。

しばしばメディアの大衆への迎合姿勢が批判されることがありますが、少し考えてみると、そうした行動様式が日本における読者獲得競争において有利だから採用されているだけかも知れません。
そうだとすると、ブログの世界における読者獲得競争なら違う結果になると言えるんでしょうか?
扇情的な見出しや、ウケはいいが真実とは異なる構図を設定した上での批判、特定の情報源の情報の信憑性をそれが希少だから(多くの人は知らない(と言われている)から)というだけで受け容れてしまう状況・・・多くの読者を集めるというテクニックという観点からみれば、こうした既存のメディアの方法論というのは、ブログの世界でも有効であるような気がします。

こういうことを考えると、自分の考えや、それを他の人と交換して考えを深めていくという以上に、注目やリアルでのベネフィットをブログに求めて、こうした読者獲得競争に参加していくことには、それほど魅力を感じることができないし、むしろ、そうした読者獲得競争に参加することによって、深く考えることよりも、一見の分かりやすさや扇情に走ってしまうこともあり得るとすれば、私の価値観からはマイナスのような気もします。

また、結局、ブログというのは本来的には参入障壁も低いわけで、放っておけば、そういう意味での超過ベネフィットというのはなくなっていきます。
その超過ベネフィットを維持しようとすれば、差別化や、あるいは、新規参入のハードルを実質的に高めてしまうといった、非常に戦略的な行動が求められることになるわけで・・・そうしたところに入り込んでいくと、誰でも参加できて、自分の考えを伝えることができる、という意味での、ブログのよさというのは薄れていくようにも思えます。

というわけで、色々と書きましたが、ブログにかけるコストを、注目やリアル社会でのベネフィットで回収しようというビジネス(?)モデルというのは、何となく持続可能性に乏しいような気もします。

あるいは、読者拡大を目論まない狭いコミュニティ内部での意見交換ツールと、既存メディアのプチ版としてブックマークやアクセス数を競うブログに二極化していくのかも知れません。

そうだとすると、ブログによって、従来ギルドの中に囲われてきた専門的な知識や情報が、より多くの人によってアクセスできるようになるというのは幻想で、結局、リアルの社会でも従来存在していたアカデミックな言論界と大衆メディアの棲み分けが、ネットに移行してくるだけになるのかも知れません。

今でも図書館にいけば、一般人でも各種学界の専門誌は読めるわけですが、実際にはそれを読み解くためには相当の前提が必要になるわけで、物理的なアクセスが容易であるということと、知的なアクセスが実現することには大きな溝があります。
ブログは、その溝を埋めるかも知れないという期待を持っていたのですが、実は、そうでもないのかも知れない・・・

と、ちょっと悲観的なことも思うわけですが、次回は、そうした状況の中で役割が高まることが期待される通訳能力について考えてみたいと思います。


Posted by 47th : | 12:59 | コメント (1) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | ブログ論壇考

ブログ論壇考(4):書き手のコスト~コストの中身(後編)

引越し準備やら何やらで本文の更新が遅くなりましたが、前回の「探す」「調べる」「考える」の他に書き手に必要となるコストの中身について考えてみたいと思います。

「伝える」コスト:デリバリー・コスト 

実際の流れからいうと「書く」作業の方が先なんですが、説明の便宜上、「伝える」コストから考えてみます。

シリーズの最初でも書いたように、元々、ブログが発達する前は、自分の考えを人に伝えるのは決して簡単ではありませんでした。
紙媒体などの既存のチャネルにアクセスする には、それ相応の集客力が求められていましたし、HPなどのネット媒体も開設や運営にはある程度の知識も必要ですし、多くの人に読まれるためには、何だか んだリアルでの集客力が求められる面があったような気がします。

ブログは、そうした意味での「伝える」コストを大幅に下げました。
先行する人気ブログへのTBや、ぶくマの発達、ブログ同士での他のブログ記事の紹介といった相互作用を用いることで、潜在的に多くの読者層にアクセスすることが可能となったわけです。

この面でのコスト削減が、ブログで自分の考えを発信する人が増加した直接的な要因ではないかという気がします。

「書く」コスト:アウトプット・コスト

もっとも、潜在的な受け手の範囲が広がったことと、実際に多くの人に伝わるかは別の問題です。

例えば、私が自分のポイズン・ピル論文の抜粋をそのままブログに載せることは可能ですが、それを読んで理解するためには、ある程度の前提知識が必要で、それがない人にとっては「難しくてよく分からない」で終わってしまうかも知れません。

これに対して、必ずしも前提知識を持っていない人にもメッセージを伝えようと思えば、前提知識の部分から丁寧に解きほぐしたり、図や比喩を使って直観的に理解できるようにしたり、といった工夫が必要になります。

そういう意味では、このブログの初期に多かった、私の企業法務関係のエントリーについては、「考える」ところまでは手持ちの貯金でやっていた部分も多く、コストをかけていたのは、この「書く」部分だったような気がします。
例えば、M&Aとか敵対的買収という話を、余りその分野の知識がない人にも伝えるためにはどうすればいいのか?とか、どこから書き始めればいいのか?、とか、そういう辺りです。

ただ、こういう意味でのコストのかけ方というのは、意外と長続きさせるのが難しい面があるような気がします。
私の場合は、初期に一通り敵対的買収とかM&Aの話を書きましたが、結局、それを続けようとすると、後から後から起きてくるM&A絡みの事件に対して、同じ視点を切り口を代えて語るという「繰り返しモード」というか「マンネリ化」に入っていきかけました。

そこで、ちょっと萎えてしまったというか、モチベーションの低下を感じたときに考えた方向性の一つが、同業者向けにもうちょっとマニアックな議論を誘発する話をすることでした。
これであれば、自分の考えの整理にもなるし、同業界の人たちの考えも聞けるかも知れないわけです・・・ただ、これはこれで、そういう話であれば何もブログでなくても紙媒体でやればいいかなという気がしてくるわけです。

結局、実際に進んだ方向というのは、「マンネリ化」によるモチベーション低下を避けるため、切り口を変えていくことで、具体的には企業法務ネタについてもローエコ的な切り口やファイナンス的な切り口で見てみたり、あるいは、そもそも企業法務ネタを離れて一般的な時事や「開発」ネタに入っていくということでした。

こういうものについては、「書く」ことと「考える」ことが、かなりイコールになってきていたような気がします。
前回の話に戻りますが、こういう自分にとっても新しい切り口のネタというのは、「考える」≒「書く」部分で、それなりにコストがかかるわけで、忙しくなってきたときにそれを上手く確保できるかどうかに不安が出てくるわけです。

つまり、私の場合、手持ちネタに勝負するものについては、それをかみ砕くことだけコストを注ぎ続けられる自信がない(というよりも、過去に既に暇な中でもモチベーションが低下しているので、況やをや、と)。
新ネタについては、仕事と直接関係ないところで「考える」≒「書く」コストにどのぐらい時間を割けるかよく分からない、という部分がありそうです。

もっとも、「考える」≒「書く」だとしても、もうちょっと「書く」部分の労力をセーブして、余り口説くかかずに、基本的には自分向けに書いて、あとは分かる人には分かってもらうという道もありそうです。
ただ、そこで問題になってくるのが、一応「実名」とリンクできる形でやっているところで生じる「副作用」の部分のような気がします。

「副作用」コスト

ブログで自分の考えを外に発信することには、非常にポジティブな要素もありますが、やはり一定の副作用はあります。

誰にでも共通するのは、「自分の考えを否定されることの痛み」です。
自分の考えをブログに書いたところ、それに否定的なコメントやTBがつけられてしまうと萎えてしまうというのは、何となく分かりやすい経験ではないでしょうか?
私の場合は、職業柄、時にはお互いに相手の書いてきた書面や理屈を徹底的にたたき合うことも求められるんで、蛙の面に水みたいなところはあるんですが、それでも「どう返事したらいいのか分からない、でも敵意はメチャクチャ感じる」というコメントやTBがガンガンついたら、「そこまでしてブログやるつもりもないよね」と思ってしまう可能性はあります。

もっとも、リアルの存在とのリンクが切れていれば、その痛みは純粋に内的なものですが、リアルの存在とのリンクがあると、そこへの副作用も出てきます。

私の場合は、弁護士という職業柄、守秘義務や利益相反関係、同僚との人間関係といった辺りが、すぐに出てきますが、会社勤めの人なら会社や上司に知られてしまうリスクというのも考えなくてはいけないはずです。

このブログについていえば、企業法務ネタについても扱ってこれたのは、留学中ということで、リアル存在への副作用のリスクが比較的小さかったという点はあげられるだろうと思います。
ただ、日本で実際に仕事に復帰すると、企業法務関係については、いつどんな形で当事者になるかも分からないので、やはり色々な面から書くのは難しくなります。

あるいは、そこまで直接的にリアルに影響がなくても、やはりリアルの部分に敵意を持たれてしまうと、どこで刺されるか分からない怖さはあります。あるいは、敵意までいかなくても、評判の低下というのもあり得ます。
例えば、少し前のコメント欄で、昔の司法試験合格直後のインタビュー記事が教員・学生間で失笑を買っていたというご指摘もあったんですが、司法試験受験界関係者しか読まないであろう予備校誌に1回だけ載ったインタビューでそれなのですから、平均すると毎日1000人以上の人に2年間にわたって曝しているブログでは、「失笑の輪」が広がっている可能性も相当にあるわけです。

そういうことからすると、リアルの存在とのリンクがあると、いくら思いつきで書いたこととはいっても、余計な誤解は避けたいという気持ちは働くんで、そうすると、なるべく丁寧に誤解されないようにということで、文章は長くなり、「書く」コストは高まっていきます。

そう言う意味で「匿名」に戻るというのは魅力なんですが、やはりこれだけ続けていると、文章とか考え方のクセというのは、読者の人にも知られてしまっていると思うんで、余程意識的にテーマ選びも変えて、文体も変えないと、やはりばれる危険があります。
そういうところに気をつかってまでブログをやるのも疲れそうですし、変なところで変な憶測を呼んでもいけないんで、「匿名」でのブログ復帰はまずないと思っていただいて結構かと思います。

・・・と、何だかまとまりがなくなってきていますが、少なくとも私に関していえば、ブログを続けるために、やはりそれなりにコストをかけてきていた気がします。

仕事に復帰していくことによって、「機会費用」としてのコストが更に高まることが予想される中で、今の形で続けていくことは難しい・・・まあ、これがやはりブログ中断の理由になるわけですが、でも、たとえコストが高まったとしても、それによって得られる利益(ベネフィット)が大きければ、いいはずです。

コストの裏には、常にベネフィットが何かを見ることが必要になるわけで、今度は書き手にとってのベネフィットについて、少し見ていきたいと思います。


Posted by 47th : | 12:05 | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | ブログ論壇考

ブログ論壇考(3):書き手のコスト~コストの中身(前編)

ブログを書く際の「コスト」の中心が「時間」であり、そのコストは「機会費用」(その時間を使ったら他に何ができるか?)の大きさに左右されるという観点からみたとき、ブログを書くという一連の作業の中にある過程の意味は異なっているようにも見えます。

自分の経験を下にブログを書くという作業のコスト構造をみると、次のような感じで分類できるような気がしています。

「探す」コスト:ファインディング・コスト

端的にいえば、「ネタ探し」の時間です。
新聞(全国紙)のHPやポータル・サイトのヘッドラインをチェックするだけであれば、そんなに時間はかかりませんし、そもそも世の中から取り残されないためには、何れにせよ必要になるコストですから、それ自体は「どうせやらなきゃいけないこと」です。
これに、他の人のブログが入ってくると、少し大変になってきます。もっとも、これも「どうせ必要な情報収集という側面もありますし、RSSリーダーやぶくまを使えば、大部効率的になります。

「調べる」コスト:リサーチ・コスト

次に、書きたいなと思うネタが見つかったときに、前提となる知識や関連する情報を調べるための時間が必要になってきます。
私の場合、このリサーチ・コストは、記事によって大部変わってきます。
中には手持ちの知識だけで何とかなるものもありますし、中には自分が感じたもやもやをもう少し形にするために、文献や教科書に当たらないといけないものもあります。
あるいは、その論点について他の人がブログで何か考えを発信していないかを参考にするために、普段の巡回先に入っていないブログに行ってみたりということもあります。
もっとも、リサーチの部分に力を入れる時というのは、結局、紙媒体の出版物につなげる予定があったり、ロースクールの授業の理解とつなげていたり、あるいは、何れきちんと調べておこうと思っていたことであったり、ということも多いので、イメージほどには追加的なコストがかかるわけではありません。
そもそも、ブログのよさの一つは、このリサーチ・コストを節約して「思いつき」や「印象」レベルでも書けるというところにあるので、リサーチ・コストは、それほど大きな負担ではありません。
私のように一応紙媒体へのアクセスがある場合はなおさらそうですが、そうでない人にとっても、専門論文に必要なレベルの前提知識の習得は不要という点で、リサーチ・コストの負担がネックでブログが書けなくなるというのは、それほど多くはないような気がします。
この「リサーチ・コストの負担が少ない」というのは、ブログのメリットの一つですが、ブログでの意見交換の今後を考えたときには、逆にボトルネックの一つともなり得る気がしますが、それは、また後にして、先に進みましょう。

「考える」コスト:シンキング・コスト

リサーチが終わった後で、そのリサーチ内容をブログにそのまま書く場合は別として、いろいろと調べて知識や情報を得た後で「考えをまとめる」という作業が必要になることがあります。
この内容も二つのパターンがあって、一つはリサーチ・コストと重なる部分もありますが、膨大な情報を自分の中で理解して整理するために必要なコストで、専 門的な論文だと、この部分の労力というのが、かなりの割合を占めることがありますし、ブログでも一つのテーマについていろいろな意見が示されているときに は、それを整理するためのコストというのは、それなりに必要になってきます。
もう一つは、もっと純粋に自分で「考える」時間です。
これは分かりやすいといえば分かりやすいのですが、人間は「自分で考えている」ようにみえて、単にどこかで見た人の考えをそのまま繰り返しているだけと か、水伝絡みでちょっと考察してみたように、「考えている」ように見えて、実は単に自分にとって「都合のいい」あるいは「耳障りのいい」結論に理由をこじ つけているだけということもあります。
そうしたものを排除して、純粋に自分の「考え」をまとめていくことというのは、本当はそれなりに時間がかかるものです。
私の場合、企業法務ネタなんかは仕事や原稿書きの中で一回このプロセスを経ていることが多いので、そういうものは苦労しないのですが、そうしたプロセスを 経ていないものの場合は、道を歩いているときとか、食事をしているときとか使って、そういう頭の中に浮かんだことを自分なりに
整理する時間というのが必要になってきます。

この「考える」時間の確保というのは、結構重要な気がします。
日本で仕事をしているときは、経済学や開発といったことについて考えたいと思っても、なかなか考える時間すらとれないというのが実際でした。食事をしたり 風呂に入っているときでも、今とりかかっている案件の方が大きい比重を占めていることの方が多いわけで、ブログのための「考える」時間のコストというのは 忙しくなると、かなり大きくなります。

かといって「考える」時間を使わないエントリーを書くことが、読者や、何より私自身にとってどれだけの意味があるのか、というと・・・この辺りは、 また改めて検討するつもりですが、何だかんだこのブログを続けられたのは、この「考える」という点(と、次の「書く」という点)にある程度のコストを割い てきたからじゃないかなと思うので、ここにエネルギーを注がない(注げない)「ふぉりあと」の存在意義には?がついてしまいます。

というわけで、ちょっと長くなってきたので、今日はこんなところで。
次回は「書く」コスト、「伝える」コスト、「副作用」コストについて考えたいと思います。

(続く)


Posted by 47th : | 12:04 | コメント (4) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | ブログ論壇考

ブログ論壇考(2):書き手のコスト~「時間」

ものごとを考えるときにはいろいろなアプローチの仕方がありますが、私の場合は、やはりインセンティブとか、人間が直面しているジレンマを分析するところからアプローチすることで、問題が見えてくることが多いような気がしています。

そこで、まずは、ブログを使って自分の考えを発信しようとするときに、人は何を費やしているのか、そのコストを考えてみましょう。

コストというと、すぐに思い浮かぶのは金銭的なものですが、ブログの場合は金銭的なコストはほとんどかかりません。
代わりに、ブログを使って自分の考えを発信しようとするときには、一定の「時間」がかかります。
これも当たり前のようですが、もう少しだけ「時間」がコストということの意味を考えてみましょう。

「時間」でコストを測ろうとすると、つい時間の「長さ」で考えてしまいそうになりますが、同じ「時間の長さ」でも、その人にとっての価値というのは異なります。

例えば、レポート提出を明日に控えた1時間と、夏休みのまっただ中、友達との約束もない中の1時間が違う価値を持つことはすぐに分かるのではないでしょうか?
これは、その1時間の価値が「他の使い道」で測られているからと考えることができます。
「この1時間があれば、レポートが1頁進む」という1時間と、「他にすることもないしなぁ。暇だなぁ」という1時間では、その時間を使ってできることが違っているから、価値も変わってくる・・・こうした考え方に基づいたコストの考え方を経済学では「機会費用」といいます。

忙しくなったから、ブログをやるのが難しくなる・・・これは、ブログを書くのに必要な絶対的な時間の長さは同じであっても、その時間を使って他にやるべきことができたので、「機会費用」という意味でのコストが大きくなった・・・

・・・と、こんな当たり前のことを説明するためだけに、いちいち「コスト」ということを考える必要はありません。

コストという観点から、「時間」を見たときに、もう一つ重要な性質を考えておきましょう。

書き手が使う時間が例えば、友達にコーヒーを買いにいくのを頼まれたとき、ちょうど自分もコーヒーを買いにいきたいと思っていれば、そんなに億劫ではありません。
「どうせやろうと思っていたこと」であれば、それほど負担にはなりません。

つまり、ブログで用いる時間が、「どうせブログを書かなくてもやろうと思っていたこと」に使う時間であれば、忙しくなったからといって、すぐにブログを書くのが負担になるわけではありません。

例えば、「ニュースを聞いてその意味を考える」という作業は、ブログを書くかどうかに直接かかわらず、日常の中でやっていることです。ましてや、そのニュースが仕事に関連するものであれば、仕事の上でも「考える」ことは仕事の一部として必要になります。

他方で、物理的にブログを「書く」という作業は、ブログをやらない限りは仕事上必要にならないので、コストという観点からは「考える」作業よりも追加的なコストが必要になります。

こうしてみると、ブログを書くという作業の中にある異なる要素には、コストという面から見たときに違う意味がありそうです。

というわけで、次回はブログを書くという作業に必要なコストを、もう少し細かくみてみたいと思います。


Posted by 47th : | 00:07 | コメント (2) | トラックバック (0) | 関連エントリー (0) | ブログ論壇考

ブログ論壇考(1):ブログの力

ブログ論壇考とぶちあげてみたものの、いざ書き始めようと思うと、どこから手をつけていいか迷うんですが、まずは最近のエントリーにfujiさんからもらったコメントを引用してみましょう。

まさにその後者のパターンそれ自体に注目してほしいのです。全世界の人が瞬時に作り上げるその行為自体を。47thさんのブログで私が質問すれば瞬時に答 えが返ってくること。47thさんが問題提起されたことに各方面から瞬時にいろんな意見がコメントされること。リアルな世界なら、まず、47thさんにア ポをいれ何日もまって運よく面談できて相談料を払ったり又は47thさん執筆の本を本屋さんに出かけて購入したりして47thさんのお考えなりがようやく 理解できるかもしれない。それがブログではトラックバックやコメントで47thさんだけじゃなくもっと多くの方のご意見を拝見できる。それもたった1日程 度で。私の様な素人はそれは革命的なことの様に思う・・・

私に会うのに数日前からアポや運が必要という点は否定しておきますが(笑)、fujiさんが仰っているように、面識のない人とコミュニケーションをとったり、ましてや、単なる言葉の交換を超えて、お互いの「考え」や「意見」を交換するというのは、現実社会では容易ではありません。

もう少し巻き戻して考えてみると、このブログを始める前に「私」という人間のことを知ってくれいている人というのは、どれほどいたんでしょう?
あるいは、名前や存在は知っていたとしても、「私」がどんなことを考える人間かを知ってくれている人はどれだけいたんでしょう?
知り合い同士でも、相手が何を考えているかを知ったり、あるテーマについて真剣に意見を交換し合うのは、日本人の気質もあるのでしょうが、実はそれほど容易ではありません。

口説くなりますが、もう一つだけ具体例で考えてみましょう。
fujiさんがコメントの中で触れられているように、個人の存在と考えを多くの人に伝える媒体としては、従来から出版物やメディアというのもありました。
私も留学前にいくつか紙媒体の原稿を書いていましたし、それなりに業界の人には目を通してもらっていました。
ただ、業界以外の人の目に触れる機会がどれほどあったのかは微妙です。
目に触れたとしても、立ち読みや借り読みは別として、それには一定の代金を支払う必要があります。
そうやって「お代」を頂戴しなければいけないわけですから、書き手の側も何を書いてもいいというわけではありません。当然、代金に見合うだけの知識や情報が期待されていますし、その期待に応えるためには、書き手の側でも、下調べに始まってそれに見合う労力を投じなければいけません。
何よりも、書き手がお金をとる形で書けるテーマには自ずから外枠があります。
そして、幸いにも、こうしたいくつものハードルを超えて出版ができたとしても、読み手は、基本的には、それを読むことしかできません。
何か、もやもやしたものや、触発されたことがあっても、そのフィードバックの手段は限られています。
読者カードに感想を書いて送り返すことはできるかも知れません。でも、そのフィードバックが本当に届いたかが確認できたり、ましてや、そのフィードバックに対する書き手からの反応を得ることは稀です。

ブログは、こうした従来あった数々の枷を外し、より多くの人に自分の考えを伝える手段を提供してくれました。
この恩恵を受けているのは、何も自分でブログを開いている人には留まりません。
fujiさんのように、私のブログにコメントを残してくれる人も、そうした足跡の積み重ねの中で、「fujiさん」がどんな考えを持っている人なのか、読者は知るようになりますし、時には、ブログのエントリーを書いた私にではなく、fujiさんに向けて別の人がコメントをし、そこで考えのやりとりが行われることもあります。

ちゃんとした統計をとったわけではないんですが、多分、このブログで瞬間風速的に最も多くの人に読まれたエントリーといえば、堀江氏の逮捕報道の直後に書いた「正義のコスト」だと思うのですが、これには54件のコメントと69件のトラックバックをもらいました。
もちろん、世の中には、こんなものの比ではないぐらい多くのコメント・トラックバックを集めるブログもあるわけですが、炎上の気配も希薄でトラフィック集めのトラックバックもほとんどない形でこれだけの人と考えを交換できたというのは、私自身にも大きな驚きでした。

―ブログは多くの可能性を秘めている―

fujiさんと同じようにそう確信する自分がいる傍で、天の邪鬼な私が冷ややかな視線を投げかけています。

―じゃあ、そんな素晴らしいブログを、帰国するというだけで、何でやめるの?
暇だからやるけど、忙しくなったらやめる。しょせん、そのぐらいのものなんじゃないの?―

いや、守秘義務の問題や営業政策の問題もあるし、そう簡単にも割り切れるもんでもないんだよ―もちろん、それに対する反論はあるのですが、それでも、自分がやめる理由、あるいは、素晴らしい考えを発信しながら様々な理由でブログをやめていった人たちがいる理由にもう少し踏み込んでおかないと、自分がいつかブログを再開するのか、再開するとして、どういう形で何をやりたいのかは見出せない気がします。

というわけで、ある意味語り尽くされている感もあるバラ色のブログの未来については、これだけにして、次回からはその裏側に隠れている衰退への種子を考えてみたいと思います。

(続く)


Posted by 47th : | 12:59 | コメント (8) | トラックバック (3) | 関連エントリー (0) | ブログ論壇考

お別れ&ブログ論壇考連載開始予告

前からちらりちらりとほのめかしてきたとおり、私のお気楽な留学生活も残すところあと2週間ほどとなってしまいました。

「ふぉーりん・あとにー」の「ふぉーりん」は、"foreign"じゃなくて、"falling"だから、帰国しても堕落は続くから「ふぉーりん・あとにー」でいいのだ(バカボンパパ風)、という考え方もあるんですが(※)、まあ、仕事に復帰するのに堕落し続けていることを余りにもおおっぴらに言うのも何なんで、やはり、帰国を機に「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」は区切りをつけようかと思います。

最後のお別れはまた直前にいたしますが、しばらくは帰国関係のドタバタでネット環境が悪くなりますし、コメント・TBをもらっても対応できなかったり、スパムの対処もできないので、最後のお別れ後はコメント・TBを受け付けない設定にする予定です。
余りいないと思いますが、過去記事へのコメント、TB等をお考えの方もいるかも知れないので、一応、コメント・TBはお早めに、ということで注意喚起もかねて予告させていただきます。

で、もう一つは、せっかく2年にわたってブログを続けてきたんで、自分なりにブログをやってきて感じたことなどをまとめてみようかなというお話です。

 「ブログ考」ということかも知れないんですが、日記代わりに書くブログとかそういうものよりは、時事問題なんかについてブログを通じて議論をしたことについて感じたことをメインにしようかと思うので、「ブログ論壇考」ということにしようかと思います。

といっても、私は未だにWeb進化論もWorld is Flatも読んでいない怠け者なんで、ここで書くことなんかは、そうした先行業績で言い尽くされてしまっているおそれも大なんですが、まあ、逆にそういう先入観なしで自分の経験だけを頼りのインプレッションも珍獣的価値はあるかも知れないということでお許し下さい。

ぼんやりしたアイディアは頭にあるんですが、いつもの通り、うまくまとまるかは不明ですので、帰国までに終わるかどうか分かりませんが(笑)、宜しくお願いします。

 

 

あと、蛇足ですが、ネットでの個別情報開示が間違ってました、ということがない限りは、どうやら5月から7月の地獄の3か月間の苦労は繰り返さずに済みそうです^^

最近、妙に武闘派モードだったのも、これが気になっていたからかも知れません。
これで、落ち着いて引越準備ができそうです。

というわけで、帰国前に飲みに誘おうと考えている方は、どうぞ遠慮なく?誘ってください。

では。

 

(※)そもそも、1年目の米国事務所研修が終わった段階で、Foreign Attorneyという肩書きはなくなっているんで、"foreign"の意味なら、とっくに終わっていなきゃいけないわけですし。


Posted by 47th : | 09:13 | コメント (36) | トラックバック (4) | 関連エントリー (0) | ブログ論壇考

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
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