門外漢の私でもお名前ぐらいは知っている西尾幹二先生のブログ(これだけの方がブログを書いているところが既に凄い・・・こうしたエネルギーが大切なんですよね。きっと)の共同管理人をされている福井さんからニレコ事件は決着したが・・・にTBを頂きました。
実はTBを頂いた記事についてはLa Quatorze Juilletさんのところで紹介されていたので、既に拝見していました。
いろいろな論点が含まれている記事ですし、福井さんはUCバークレーで経済学のPh.Dをとられた経済学の専門家ということで、せっかくの機会ですので、胸をお借りするつもりで経済学的な論点にも踏み込みながら、少しコメントをしてみようかと思います。
確かに私も憂鬱なんですが・・・ [ June 21, 2005 ]
鹿子木決定の実務的影響は?
ここは微妙なのですが、鹿子木決定に沿ったとしても、株主総会+ニッポン放送高裁四類型の組み合わせなら「通し」ということになりそうです。総会をとらない場合に、どこまでいけるのかというところで不安定性が残ることは否めません。
まあ、その点を除くと、実は鹿子木決定ではニッポン放送高裁決定四類型の防衛に限定されていれば適法みたいな書き方をしています。ニッポン放送高裁決定四類型といえば、前に私がちょっと切れ気味に「合理的なM&Aのほとんどは「会社を食い物にしている」ってことか(-_-)」と書いたりしましたが、実務的にみれば、外資系のフィナンシャル・バイヤーの買収というのは、ほとんどあの四類型の何れかに該当してしまいます。
というわけで、鹿子木決定というのは、買収サイドから見ても「頭の痛い」決定ということができるような気がします。鹿子木決定によれば、平時に新株予約権を買収防衛として割り当てるのはだめだけど、高裁四類型に該当する買収がかけられたら、防衛目的で新株予約権を割り当てていいというのですから・・・無理して、平時に防衛策を入れておく必要すらないっちゅう話じゃないでしょうか?(・・・あ、いかん、また愚痴っぽくなってきた)
その意味ではニッポン放送事件異議審決定もあわせ読むと、鹿子木判事よりも市村判事の方が確信犯的に買収防衛策に対してはネガティブであることが伺えるような気がします。プラグマティックにいうと、鹿子木判事よりも市村判事をどう突破するかというのが・・・あるいは、市村部長が厳格な権限分配秩序説で来ることを想定して高裁で勝つための戦略を見通した防衛策の設計というのが課題になるわけですが・・・何れにせよ厄介といえば厄介ですが、今回の一連の決定はニレコ・ピルという、やや特殊な形態のピルということもありますし、何だかんだと高裁決定は地裁決定を是認するところまではしなかったわけですから(否定したわけではありませんが)、まあ平時導入型の防衛策の途が閉ざされたとまで思う必要はないのかなという気がします。
ところで、裁判官は世の風潮や一部の利益層の声にひきずられるのではなく、淡々と事実を認定し、法を解釈・適用することこそ職責です。その昔、「これに負けると大変な額の還付金が必要になる」というような影響を心配する声の下で法律論とも言えないような判決をくらった身からすると、「買収防衛策を認めてもらわないと困る」という声にひきずられて、理屈もなく防衛策を認めるような裁判官の方が困りものだという気がします。(・・・ただ、それが「独善」の危険と背中合わせなのも、また確かなのですが・・・)
「外資のむしりとり」論について・・・
あと、福井さんはWEDGEの記事をベースに米国の対日投資の収益率が高いことや長銀の例をひいて外資に日本が「むしりとられる」と仰るのですが・・・
前に立花隆氏が同じくWEDGEの記事をひいて同様の議論をされたときに、外資陰謀論の行方というエントリーで素人なりに「その議論はおかしいのでは?」ということを書きました。一応、木村剛氏にも同意して頂いたりしたのですが、せっかくですので経済学の専門家の福井さんの胸を借りるつもりで、再度エッセンスをあげてみます。
- 投資収益率はリスクとの相関関係を見なくてはわからない。(投資収益率の差はリスク選好の差を表しているだけかも知れない)
- たとえ、リスクとの関係でみても高い投資収益率を外資があげているとしても、その原因は、国内の資金供給プロファイルの偏り(国内の資金供給が過度に低リスク資産に偏っており、相対的に高リスク資産への投資が有利になっている可能性がある)
- 投資された資金が国内の事業に投資される限りにおいては、その分、国内経済は潤うのであって、海外投資家が高収益をあげているだけでは「むしりとり」とはいえない
- 「外資むしりとり」論は、ほとんど具体的な政策提言を伴っていない
私にもう少し経済学的な素養があれば、もっと洗練された言葉や数式で語れると思うので、少し歯がゆいところはありますが、外資が日本で高いパフォーマンスをあげているのであれば、日本マネーもそれを真似すればいいし、もし何かの規制のせいで日本マネーにはそれができないというなら、日本マネーの規制を外資並みに緩和するとか、外資の日本での運用を日本マネーと同じルールの下でやってもらうようにすれば足りる話ではないかという気がします。
アメリカと日本は違う・・・それはそうなのですが・・・
最後に、余り書いてしまうと揚げ足とりのようになってしまうのですが、アメリカと日本は違うというのは、別にそのとおりだと思うのですが、具体的に何をお考えなのかがよく分かりません。
たとえば、福井さんは最初に色々なステークスホルダーの利益を勘案することを経営者に認めると、結局、それが論理破綻になって、全ての利益を満たせないことになってしまうといいます・・・まさに、そのとおりだと思うのですが、それゆえに米国では経営陣の行動規律として株主を中心に据える(経営陣の信認義務は株主に対して負っている)という「割り切り」をしています。
福井さんは、ステークスホルダーの利益という言い訳を経営者に与えることの危険性を指摘しながら、他方では資本市場による経営者の規律にも否定的なように見受けられますが、では、経営者の行為規律はどう考えるべきなのでしょう?
また、国には金融力がなければいけないとすれば、途としてはわが国自身が金融力をつけるか、金融力のある国からの資本参加を否定するかのいずれの途しかありません・・・というのは、実は詭弁で、今更金融的に鎖国するわけにはいかないのですから、実際には福井さんの理論の組み立てからすれば、日本が米国に対抗できるだけの金融力を身につけないということになるのではないかという気がします。
・・・アメリカと日本は違う、それは確かなのですが、30年前のアメリカと今のアメリカも違います。私は企業買収防衛の問題については、アメリカと日本の抱えている問題の本質はそれほど変わらないというよりも、30年前のアメリカが抱えていた問題と、かなり等質性があるような気もしています。
経済活動に関しては、アメリカ人だから、日本人だから、という民族的前提を置かなくても経済合理性と限定合理性という道具立てで説明できる部分が相当にあります。まずは、共通する道具立てで説明をして、それでも最後残る部分に初めて文化とか民族の問題があらわれることになり、更に、その文化とか民族の問題を摩擦のタネとするのではなく、逆に、そうした摩擦が緩和されるように知恵を絞ることが必要なのではないでしょうか?・・・それとも、こういう考え方は無国籍主義ということになっちゃうのでしょうか?
文化とか民族に限らず、個人的レベルでも十人十色なわけですが、「お前はおれと違うから近寄るな」とか「話を聞かない」じゃなくて、違うからこそ「言語」という共通の道具立てでお互いが理解できる限界をさぐっていって、それでも残る「違い」を尊重しながら、それを壁にするんじゃなくて、その「違い」でお互いを補完することが大切なんじゃないでしょうか・・・
何か話が拡散して人類補完計画っぽくなってしまいましたが、何か最近つらつらとそんなことを思っていたりするわけです。はい。
Posted by 47th : | 08:28 PM
http://WWW.ny47th.COM/mt/mt-tb.cgi/79
このリストは、次のエントリーを参照しています: 確かに私も憂鬱なんですが・・・:
» 「外資」という言葉の形容矛盾について from 明日は明日のホラを吹く-Tomorrow, I'll give you another big talk-
柄谷行人・岩井克人・浅田彰氏らが繰り返し指摘している通り、資本とは差違を利潤として回収する、本質的にグローバルで世界的な運動体である。「民族」や「国籍」の差... [続きを読む]
トラックバック時刻: June 22, 2005 10:20 PM
» 鹿子木裁判長が与えた憂鬱 from 西尾幹二のインターネット日録
・否定された企業防衛策 我が国初の平時導入型敵対的買収予防策が司法により否定さ... [続きを読む]
トラックバック時刻: June 23, 2005 02:57 PM
» 言い訳 from プチ欝な診断士
某会社の診断があった。今の仕事になってから何人かの経営者に会う機会があるが、感じたことがある。業績の悪い会社の経営者は、たいがい「言い訳」が好きだ。経営者はサラ... [続きを読む]
トラックバック時刻: July 6, 2005 09:38 PM
コメント
商事法務にLeveraged ESOPの日本版をSMBCさんが提唱されていますね。地味で手堅いという印象を受けますが、どうご覧になりますか?
Posted by 200 Park Ave. : June 21, 2005 11:27 PM
47thさんへ
短期間でまあ、よくこれだけの「直球」を(^^;)。
いつもながら敬服した次第であります。
キーワードは「矜持」ですよ、やっぱり。
Posted by ろじゃあ : June 21, 2005 11:47 PM
>200 Park Ave.さん
その記事はまだ拝見していませんが、買収防衛策としてESOPを使うというアイディアの延長なんでしょうか?入手できたら見てみます。
>ろじゃあさん
昨日は野茂の登板日だったので、つい直球勝負に^^;(今は、変化球主体で、昨日は5回2アウトで降板でしたが・・・)
私も「矜持」賛成です^^
Posted by 47th : June 22, 2005 10:36 AM
こんばんは。いつもながらずれてたらごめんなさい。私は海外の映画やドラマに見られる日本の映画やドラマの影響についてよく考えるのですが、今世紀はじめの「ラストサムライ」あたりから、海外の作品に日本の物語(ストーリーテリング)の影響が大変目立つようになったと思います。たとえば揺れる善玉・悪玉観です。日本の物語からは格好良すぎる善玉や悪すぎる悪玉は排除されていますが海外の物語にもそうしたものとして善玉や悪玉を描こうとしていることがよくわかります。そうしたものから総じて近年とても日本を好意的に理解してくれようとしている海外からの視線を感じております。しかし日本は外にそのような視線を向けているでしょうか失礼なくらい無関心なんでないかと心配です。どうあがいてもわからないなんてことはあり得ないと思います。
Posted by bun : June 22, 2005 12:25 PM
こんばんは
>福井さんは、ステークスホルダーの利益という言い訳を経営者に与えることの危険性を指摘しながら、他方では資本市場による経営者の規律にも否定的なように見受けられますが、では、経営者の行為規律はどう考えるべきなのでしょう?
元々、あのレトリックは鹿子木批判として書いたものなのですが・・・とは言え、その結果があまりに短期に過ぎる市場重視とは考えません。
あちらのエントリでは書きにくいので、後日こちらにコメントさせていただきます。
現在、バカンス前の追い込みに入っていますので、日を改めて。リスクの面で言うと皆さんがビックリなさるような投資案件でフィデュサーとやりあっています。
Posted by 福井 : June 23, 2005 03:23 PM