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契約書は増田ジゴロウを救ったか?

実は、一時帰国前後のドタバタで残っていた宿題というのがいくつかあります。
その一つがamuさんからTBを頂いた増田ジゴロウの話です。
残念ながら、私は増田ジゴロウというキャラクターそのものはよく存じ上げませんし、この紛争の歴史的な経緯もリアルで追っているわけではありません。
amuさんの記事を辿っていくつかのブログに行き当たって経緯など多少見ましたが、それらを見る限りは、今回の事件に限って言えば、法的な争点は著作権の譲渡・許諾に関する合意の有無やその内容に関する事実認定に帰着するような気がします。
というわけで、法廷に行っても争われるのは「言った言わない」という藪の中の世界であって、ブログ界で議論されているような内容が法廷に持ち込まれていくという話で、法律家としてのコメントというのは余りありません。
ただ、私の視点から興味深かったのは、神奈川テレビとジゴロウの作者のダイスケさんとの間には一切契約がなかったということです。
この点について、amuさんは次のようにコメントされています。

そもそも神奈川新聞の記事で、「契約書を交わさないのは放送業界ではよくあること。」とtvkが言っていることが問題であると思います。契約書を交わさないで問題が起きたら首を切る。そんな世界なのでしょうか?弱い者に対してはどこまでも力を誇示し、そしてマスコミの力を利用する。

ニッポン放送の問題の時もそうでしたが、マスコミの体質の問題はかなり根が深そうですね。

では、契約書を最初に交わしていたら、どうなっていたんでしょう?・・・というのが、今回の私の興味関心です。


さて、非常に当たり前のことなのですが、私人間で契約とか合意をするときに、その内容は何で定まるかというと・・・決して「正義」とか「公平」という理念ではなく、いわゆる「交渉力」とかバーゲニング・パワーというもので決まってくるわけです。
直感的にみても、超売れっ子のデザイナーにキャラクター・デザインを頼むときと、無名のデザイナーにお願いするときでは、契約の内容は異なることは分かると思いま。
お願いするときのお値段(価格)が違うのは、すぐにイメージできると思いますが、もし契約を締結するとしたら、そのときの条件も相当に違うことになるでしょう。
制作サイドからすると、キャラクター商品の利用や二次的利用を含めて、将来的にそのキャラクターがヒットした場合や、そのキャラクターを用いたコンテンツの利用にはなるべく制約がない方がいいので、当然、制作サイドがより多くの権利を持つような契約を結びたいと考えるはずです。
これに対して、デザイナー・サイドとしては、その逆で、なるべく自分の手許に権利を置いておきたいと考えるはずです。
有名デザイナーの場合には、強硬な契約条件を主張するテレビ局がいた場合には、「別にお宅と契約しなくても、他にも仕事の口はあるので、そんなに強硬な契約条件を主張するなら、断らせて頂きます」と言えるでしょうが、これが無名のデザイナーの場合には、そうした突っぱね方は難しいところです。
制作サイドから言っても、もし無名のデザイナーで強硬な契約条件を主張する相手がいた場合には、「他にもテレビで使うといえば、仕事をしてくれるデザイナーはたくさんいるから」ということになってきます。
実は交渉論とか交渉学とか言われる分野では、この「別にあなたと契約しなくても、他に道はありますから」というのは、BATNAなどと呼ばれて、当事者の交渉力を決める重要な要素と考えられています。
私はダイスケさんというのが、ジゴロウをデザインされた時点で、どのぐらい著名な方だったのかは存じ上げないのですが、一般的にいうと、デザイナーと制作サイドの交渉力の格差ということから考えると、当初のデザインの依頼時点の方が大きかったのではないかという気がします。
その場合、最初の時点で契約があったとしたら、それはかなりテレビ局側に有利な内容で、キャラクター商品化などの権利もテレビ局側にあるような契約になった可能性が高いのではないかという気がします。
・・・というわけで、今回のケースを見てみると、契約が存在しなかったからダイスケさんが不利を被ったというわけではなく、契約がなかったからこそ、ダイスケさんは、ジゴロウが一定の人気を獲得した後でテレビ局側と少なくとも交渉を行うことができたということになるのではないかという気がします。
逆に言えば、テレビ局側としては、こんなことになるのであれば、依頼の時点でぎちぎちとした契約を交わしておけばよかったということで、仮に、今回の件でテレビ局側が「反省」をして、契約時点でデザイナーと契約書を締結することになれば、実は、デザイナーが無名の場合には、契約書がない現状よりも不利な結果になるかも知れません。
・・・で、何が言いたかったかというと、契約書というのは、弱者の権利を保護するための手段ではなく、強者の権利を確保するための手段として用いられることも往々にしてあり、ジゴロウくんのケースの場合には、契約書があったとしてもデザイナーが保護される結果になったとは限らないということです。

さて、私たちの身近でも、契約書が強者の権利を確保するための手段として用いられることはよくわる話で、消費者と事業者という文脈では、消費者を保護するために、契約自由の原則に修正が加えられています。
あるいは、事業者同士の間でも独占禁止法の枠組みの中で契約自由の原則に対する修正が加えられることがあります。
その意味では、デザイナーと企業の契約について考える上では、単に契約の有無ということよりも、契約自由の原則に対して何らかの修正を加える必要があるかということが一つのポイントになってくるのではないかという気がします。
頭の中にぼんやりと浮かんでいることはあるのですが、今の時点では、私自身の考えもまとまっていないので、今回は問題提起だけということで、何れ、もう少し広い枠組みでクリエイターとメディアとの契約規制のあり方ということについては、また考えてみたいと思います。

Posted by 47th : | 12:11 | Entertaiment Law

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コメント

忙しい中すいませんでした。

今回の件ではデザイナーの立場からすると契約書を交わさないことが良かったのかもしれない、という見解があることに驚きました。読んでみると納得するのですが、契約書は弱者の保護よりも強者の権利の為に存在する事が多い。ドラマなどでも借金取りが契約書を盾によく怒鳴っていることを思い出しました。

今回の件、今後裁判などになるようでしたら、デザイナーが契約書を作らなかったために権利を取れる可能性があるというのを聞き個人的には嬉しかったです。

Posted by amu : 2005年07月20日 23:47

>amuさん
この事件は青色LED事件と似た面があるんですよね。
もしかしたらご覧頂いているかも知れませんが、青色LED事件について書いた過去記事(600億円 vs 1000万円 ~ 発明の対価とは? 「発明」と「経営」の微妙な関係 同 コメント多謝)もよければご覧ください。
ただ、従業員発明の問題と、あくまで外部の請負という立場に留まるクリエイターとは、一緒に考えられない面があるのかなとは漠然と考えています。

Posted by 47th : 2005年07月21日 01:40

横からすみません。契約書作成のプロの方にこんなことを申し上げるのは申し訳ないのですが、零細事業者にとっては、そもそも契約書の作成(および妥当性の評価)自体が大きな負担となるという面もあるんですよね・・・。逆に強者がその立場的な強さに油断して、弱者が後でごねる余地を残してしまうこともよくあることなので、契約書不在の文化は、こういうケースの場合は、確かに弱者にとって有利に働くことが多いように思います。

もっとも、そういうデメリットにもかかわらず強者が契約書を作らないことが普通であった背景には、契約書の文面にしてしまえば到底容認され得ないような無理(夜中に電話かけて緊急対応させるとか、成果物に難癖つけて延々と工期を伸ばすとか)を飲ませることができるから、という面もあると思うので、トータルで考えるとどっちが良いかは難しい話ですよね。

IBMに対したときのビルゲイツのように、弱者にもかかわらず自分の望む契約をはっきりとさせ、それを通す強さがあれば一番良いわけですが・・・。

Posted by Uジロー : 2005年07月21日 02:38

誠におっしゃるとおりかと思います。放送業界で契約書を交わさないことが多いのは一般論ではそのとおりですが、伝統ある地上波局とマイナーなCS局では商慣習が違うところもあり、CS局で外資の比率が高いところは結構契約書を交わします。相手が弱者の場合その内容はすごいものです。著作権は完全譲渡です。局側で改変・二次利用何でもありです。第三者権利侵害の場合はもちろん完全に免責補償です。局のイベントには無償で参加すると明記されています。その他もろもろ詳細精緻な不平等条約です。
今回契約書がなかったから争う余地があったというのはそのとおりだと思います。

Posted by A氏 : 2005年07月21日 04:07

青色LEDの記事読ませて頂きました。

私はもともと理系の人間でしたからどうしても日本の企業は技術者への賃金等を含め待遇が悪いと思っていました。
アメリカでは普通に特許を取得できたりそれによりかなりの利益をあげた場合はそれなりのボーナスがでるものだと思っていました。少なくても1千万円位のボーナスを出すのがアメリカだと思っていました。もしくは利益の数%などの契約があるものだと思っていました。
こういうのは結局アメリカに憧れていた日本人の妄想だったのかもしれませんね。お金儲けをするならそれなりのリスクを取ってからにしないといけないのですね。

Posted by amu : 2005年07月21日 09:25

>Uジローさん、A氏さん
理屈の上では事業者同士でも独占禁止法的な制約で、特に優越的地位の濫用という理論で、かなりカバーされる部分もあるので、現在でも、全く無防備ということではありません。ただ、なかなか、その限界の線引きが難しいところで、一つの方法としてはクリエイターが団結して一種の業界慣行とか最低水準的なものを明確化していく(デファクト・スタンダード)をつくっていくという途があるような気がしています。
>amuさん
企業に勤めている間は、それほど変わらないのだと思うのですが、日本とアメリカが違うのは、企業でノウハウを蓄積した技術者が独立しようとしたときの、そうしたリスク・マネーの供給のスムーズさや、キャリア・アップの多様性や容易さではないかという気もします。そういう意味での閉塞感は、単なる幻想として片付けるわけにはいかず、真剣に取り組まないといけないのですが、それは青色LED事件での中村教授の切り口とは違うのかなと思っています。

Posted by 47th : 2005年07月21日 23:39

 
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