「開発」(あるいは「発展」)って何だろう? (1) [ January 28, 2006 ]
Law & Developmentの授業で開発経済学の雄William Easterlyがゲストで来ることになっています。
まだ、始まって3週間なのにElusive Quest for Growthを全て読んだ上で、質問とかを考えておけというのは、結構きついアサインメントですが、開発経済学の分野では非常に高名な人の話を直接聞ける機会もそうはないということで、楽しみにしています。(ちなみにamazon.comで見てみると日本語版も出ているようです)
というわけで、それに備えて、私の理解している範囲でEasterlyの主張の要点と疑問点を書き留めておこうと思います。
ライブドア絡みで伸びているアクセスを一気に冷ましそうなネタですが、海の彼方でいつまでもうじうじ言っていてもしょうがないんで、学生の本業に戻りましょう。
そもそも何故「開発」(Development)なのか?
そもそも、生粋のビジネス・ロイヤーの私が何でまだ「法と開発」なんていう分野を勉強することにしたのか・・・初回の授業に出たときも、一緒の授業の日本人から「何で?」と面と向かってきかれてしまったわけですが、何でなんでしょうね?
まず、単純にいって、今なお約10億人の人々が1日1ドル以下の生活をしているという現実があります。だから、どうしたというところもあるんですが、昨年ペルーを旅したときに、リマの高級レストランにいる人々と、車窓から見えたやせこけた牛の姿とのギャップから受けたショックというか、「もやもや」がどうしても気になっているということだと思います。
次に、日本にとっても、OECDなどの政府ルートや対外直接投資やプロジェクト・ファイナンスによる民間ルートによる発展途上国に対する投資は、ますます重要性を高めていくわけです。おそらく、私がかかわるとすれば、JVや現地企業のM&Aが多いのでしょうが、これまで自分が扱ってきた世界とどう違うのかというのを知っておくのは、今後の仕事の役に立つかも知れません・・・というのは、希望的観測で、そんなペイする仕事につながる見込みは少ないんですけどね^^;
実は、一番の理由は、「開発」に関する理論が、日本における法とか弁護士の役割を教えてくれるんではないかという点だったりします・・・といっても、あんまりピンと来ないかも知れません。
例えば、GDPの成長は、国の発展にとってどういう意味を持つのでしょう?アメリカの一人頭GDPは勿論世界最高水準です。にもかかわらず、アメリカには貧困が決して珍しいことではありません。Katrinaは、そうした貧富の差を残酷な形で浮かび上がらせましたが、世界最高の治療技術を持つ国で基本的な医療の恩恵を受けることすらできない人々が多数存在する・・・ある研究によれば、アメリカの黒人の年齢ごとの生存率はインドの貧困地域よりも低いという調査も出ています(SEN[1999]p.22)。
アメリカの後を追っている日本は、この先どうなるんだろう?アメリカ特有の人種問題に帰することのできる話なのか、それとも経済成長を果たした国がどこかで直面しなければならない共通の問題なんだろうか?
・・・これまた一弁護士ごときが悩むような話ではないのかも知れませんが、それでもやっぱり気になります。
そして、もっと身近な問題としていえば、資本市場の米国化が日本をどう変えていくのか?米国的な資本市場は日本的な価値観を壊すだけであり、本当の意味で日本人を幸せにするものではないのか?
もちろん、私はよくある外資脅威論は苦手なんですが、でも、アメリカと同じにすれば幸せになれるというほど楽観的でもなく・・・文化や歴史の違う国が起源の違う制度とバランスよく融合していくためには、それなりの知恵が必要なんですが、それが最も端的に表れる場面の一つが開発の場面ではないか、と・・・ひょっとしたら、ずっと悩んでいる会社法における分配の公正の問題について何かヒントが得られるんじゃないか・・・そんなことも期待していたりしないわけでもありません。
まあ、いろいろ理屈はこねましたが、とりあえず、ちょっとかじり始めただけですが、非常に「面白い」話が満載です。今までの世界と勝手が違うんで、とまどうところもあるんですが、それもまた楽しということで^^
さて、というわけで、(いつもどおり)長い前置きが終わったところで、次回から本題です。乞うご期待!(・・・って、ライブドア・ネタやれっていう読者の方が多いんでしょうが。悲しいかな、私は天の邪鬼なんで、マスコミと逆に盛り上がると人の期待を外れることをやりたくなるんですよね・・・)
Posted by 47th : | 12:06 AM
このエントリーのトラックバックURL:
http://WWW.ny47th.COM/mt/mt-tb.cgi/247
ダグラス・ラミス「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」(平凡社 2000.9.25)という本に、「発展イデオロギー」の生まれたのは1949.1.20のトルーマンの大統領就任演説であると書かれています。トルーマンはこの演説で"underdeveloped countries"という言葉をはじめて使い、「アメリカの新しい政策は未開発の国々に対して技術的・経済的援助を行い、投資をして発展させることだ」と宣言したそうです。ラミスによれば、この政策は第二次大戦で終結を迎えざるをえなかった「帝国主義」「植民地支配」の形を変えたものだということです。
以下、その本から。「二十世紀の後半になって、この経済発展イデオロギーが主流になると、それはかなり成功したと思う。イデオロギーとして搾取される側にも定着した。・・・これを発展(development)と呼べば、それはまるであたかも、それぞれの文化、文明、社会のなかに隠されていた可能性が解放されるかのようなイメージになる。・・・それにたくさんの人が説得されたわけです。実際にやっていることは、植民地時代とそれほど変わらないにもかかわらず、外から資本が入って、自然を壊し、伝統的な文化を破壊し、搾取する。それを発展(development)と呼べば、それはその社会の、自然で当たり前な、決定された過程であるというように思えてくる。
わたしはかなりこの考え方は妥当なものだと思っています。少し論理が飛躍するかもしれませんが、最近出た、三國陽夫の「黒字亡国」に述べられたカネの還流とセットで考えると「アメリカ」という国の作った仕掛けのうまさは相当のものだなぁと思ったりします。
Posted by 滴水 : January 28, 2006 04:03 AM
こんにちは。
低開発経済各国が全て米国を目指すわけにはいかないとすれば、それぞれの国に見合った、不当に閉鎖的でないが、かつ、米国流のグローバリズムで破壊されない力強さを併せ持った、各国の国民経済を運営するための行動原理が必要になるものと思われますが、バングラデシュにおけるグラミン銀行など数少ない例をのぞけば、そして私の不勉強をさておけば、確かに現状ではグローバリズム対ローカリズムという荒っぽい2項対立の構図で捕らえられる議論ばかりが目に付きますね。
Posted by bun : January 28, 2006 04:06 AM
こんばんわ。なかなか難しいテーマですね。
ベトナムなどはドイモイ政策で市場主義を取り入れてますが基本的に社会主義ですからbunさんのおっしゃる米国流グローバリズムではなかなか破壊されにくいかな?とおもわれます。
実際に行ってみるとわかるのですが、社会主義であるということをほとんど感じさせない国です。唯一それを思い起こさせたのが、向こうの大学生と話しているときに彼が自分の専攻をマルクス経済だと言ったときだけでした(まぁ我国もつい先ごろまでその逆バージョンで、資本主義をうたいながら社会主義っぽい感じでしたが)。ただ、やはりそうなると今度は貧富の差が生じてきてそれが様々な歪みを生じてきているということもまた事実です。なんかベトナム論になってしまってテーマからずれちゃいましたねw ベトナム好きなんで許してくださいw
Posted by 匿名法務部員 : January 28, 2006 09:27 AM
初カキコします(分かりにくいHNですみません)。
>一緒の授業の日本人から「何で?」と面と向かってきかれてしまった
あっ、いえ、そんなつもりではぁ、決して訝しく思ったわけではないのでスミマセンm(__)m
何となくグローバリズムの文脈が経済分野のみならず「法」の変容をもたらすのではないかなぁというモヤモヤを持っていたのですが、もしかしたら同じような予感を共有できているのかもしれません。シリーズ楽しみにしています。
Posted by そらまめRRZ : January 28, 2006 09:59 AM
はじめまして。
ROMばっかりしててすみません_(o)_
今日のエントリーすごく興味深い&面白いです。
面白がらせるために書いてるわけじゃない、とお思いになるかもしれませんが、読者の中にはこんな奴もいると考えてくだされば幸いです。
今後の展開を期待しています。
すいません、全然前向きなコメントじゃなくて...
Posted by e- : January 28, 2006 10:52 AM
今回は、非常に見事な「サイドチェンジ」と、お見受けしました。
(本業が多忙と書かれていたのに丁寧にコメントされていて、どう収拾するのか気になってましたので...)
サッカーでいう「逆サイドへ展開」どころか、「サッカー場から野球スタジアム」くらいの大きさですね^^)
こちらのエントリーの続きを楽しみにしつつ、自分はまたROMに戻ります。(昨日自分が書いたコメント見返してみたら、ムリに背伸びしてるみたいで恥ずかしいです..)
今はまだ、「開発」が文脈上どんな意味を表しているかもあまりわかってないので、今後のを拝見して学んでいきたいと思います。
昨日は、お忙しい中丁寧なコメント、どうもありがとうございました。
Posted by vabo : January 28, 2006 12:25 PM
コメントありがとうございました。
とりあえずのお返事書きました。
近々可能な範囲で持っている情報を整理した
エントリを組みたいと思います。
今回のエントリ、JBICの友人にも紹介しておきました。
次回も期待しています。
Posted by taka : January 28, 2006 12:33 PM
>滴水さん
大変参考になる意見の紹介ありがとうございます。
更に遡ると、「開発」「発展」は19世紀のアジアにとっては、西欧列強による進出への一種の対抗手段であって、決して自発的なものではなかったことなども指摘されているようです。
戦後の「開発」は、冷戦構造を背景にした対共産圏対策だったわけですが、その背後には当時はソ連の計画経済が極めて経済成長において有利という一般的な認識もあったようです。
まだ、勉強の入り口段階での印象に過ぎないのですが、そうした政治的な文脈から独立した形で開発が論じられるようになったのは、意外と最近のような印象です(今でも相当に政治的な要素は強いわけですが)。
そして、皮肉なのは、経済成長と配分の平等、あるいは、健康や安全などの最低限の人間的生活の確保との両立が、今やアメリカ自身の問題となっているところのような気がします。
Posted by 47th : January 28, 2006 02:38 PM
>bunさん、匿名法務部員さん
何故「法と開発」なのかというところで、「法」というのは明文で書かれたものだけではなく、その社会に元から存在している規範や当事者のインセンティブ構造もまた「法」として機能しているはずであって、究極的には、そうしたものを総合した各社会固有の「法体系」とグローバル化する経済活動をバランスよく接合させていくための枠組みを探していきたいと考えてみます。そして、もうお察しかと思いますが、これは何も発展途上国だけの問題ではなく、今まさに日本が直面している課題でもあると思っているわけです。
また、色々とご意見をお聞かせ下さい。
Posted by 47th : January 28, 2006 02:46 PM
本文の中に「1日1ドル以下」という表現があるので、
おそらくMDGsのことは念頭に置かれていると思います。
シリーズの中で(あるいは講義が進む中で)、開発援助
における最近(でもないが)の議論―たとえばガバナンス
評価、結果重視アプローチの問題、モニタリング手法―
等について、47thさんのご意見が伺えれば幸いです。
以下はご参考として。
(既にご存知のものもあると思いますが)
(1)MDGSについて~UNDPのページ
http://www.undp.or.jp/mdg/
(2)開発援助に関するリンクとして~DAKISのページ
http://dakis.fasid.or.jp/
(3)やや古いですが、結果重視アプローチに対する「本音」
が覗けます~ワシントンDC開発フォーラム評価ネットワーク
のページ
http://www.developmentforum.org/evaluation/
こっちは上記の元ですが、内容はやや散漫です。
http://www.developmentforum.org/
Posted by Y.T. : January 28, 2006 02:50 PM
>そらまめRRZさん
いえいえ、こちらこそウケを狙ってネタにさせていただいて申し訳ないです
私は明らかにこの分野の素人なので、是非いろいろ教えてください。
>e-さん
ありがとうございます。そういって頂けると書く方も励みになります^^
>vaboさん
あっちの事件については、とりあえず書きたいことは書きましたし(言い足りないことがないとはいいませんが^^;)、新聞報道なんかも少しずつ落ち着きを取り戻しているような気もしますんで、私なりの問題提起の種を蒔いてヨシということにしようかなと思っています。
「開発」とは何か?・・・まさに、その点について、2回目で少し書いていますので、どうかそちらもご覧下さい。
>takaさん
拝見しました^^
何だか全然違う分野に進んだはずなのに、ちょっとコラボできると、何か嬉しいですね^^
Posted by 47th : January 28, 2006 02:53 PM
fujiです。
本題に入られてからのコメントで失礼します。
またまた興味深い話題を提供されて非常に楽しみです。
ところで「エコロジストのための経済学」小島寛之 著(東洋経済新報社)が刊行されて早速読んでいます。テーマは「開発」よりミクロな話題ですが環境問題です。先生の感想がきけたらなあと思っているのですが・・・。
Posted by fuji : January 28, 2006 06:55 PM
>Y.T.さん
もちろん、MDGそのものの存在は知っていますが、まだ、その内容を評価するだけの知識はありません^^;
いずれとりあげるかも知れませんが、とりあえずはEasterlyの考え方を評価していきたいと思っていますので、これからも色々教えてください。
>fujiさん
NYにいるので、なかなか本も手に入りませんが、開発の枠組みの中でも環境との調和や外部性の問題は考えていくことがあるかも知れませんので、そのときはまた意見を聞かせてください。
Posted by 47th : January 28, 2006 10:15 PM
>>takaさん
>拝見しました^^
>何だか全然違う分野に進んだはずなのに、
>ちょっとコラボできると、何か嬉しいですね^^
全く同感です。経済や政策の視点で医療を
考える訓練はある程度受けてきましたが、法やビジネス
の視点からは不足していたことを実感しています。
こちらで勉強させてもらい始めて、大学の教養時代に
少年法の講義をとったときのことを思い出しました。
「法も医療と同様、この人間・人間社会という
不完全で生身のものをよりよく扱い、問題に対処する
ための人類の叡智なのだなあ」と
実感した記憶があります。
今後ともよろしゅうお願いします・・・
Posted by taka : January 29, 2006 12:43 AM
いつも興味深く拝読させていただいております。
かつて米国に駐在していた頃、米国人の上司と中南米諸国をまわったことがあります。空港ロビーからタクシーに乗り込む間、何人かの少年や少女が駆け寄ってきて、我々のスーツケースを持たせてくれとせがんできました。
私は、もちろんそれを断り、自分で運びましたが、私よりはるかに大男で力持ちの米人上司は、小さな男の子にスーツケースを任せ、迎えの車まで運ばせました。
「あこぎな事をするやっちゃな」と思い、車中で、「いつもそうするのかい?」と尋ねると、彼は言いました。「勿論だ。あの子達に、熱心に仕事をすればお金を稼げるんだ、ということを学んで欲しいからさ」
そういえば、荷物を受け取った後、彼はその子に1ドル紙幣を渡していました。その子が満面の笑みを浮かべて、元気に空港ロビーに駆け戻って行った姿が改めて思い出されました。
Posted by やぶ猫 : January 29, 2006 07:12 PM
コメントしてください