法学の多重人格性 [ February 24, 2006 ]
ある意味、昨日のエントリーの続きですけど、「法学」って、多重人格的なんですよね。
典型的には司法試験に見られる「法学」の一つのあり方は、既存の「法」を所与として、ある事象への適用を論ずるものです。一応、大前提→小前提→結論という論理的な三段論法を踏襲していますし、大前提や小前提の立て方については、議論がなされますが、「大前提」となる「法」そのものは明文法であったり、過去の判例であったり、あくまで所与のものです。
これはこれで、例えば社会における法適用の予測可能性を確保するという意味では非常に大切なわけですし、実務家でこれができないと目も当てられないことになります。
ただ、これは「科学」かっていうと、あんまり「科学」っぽくはないような気がします・・・まあ、「科学」自体、何なの?というところがはっきりしないんで、それに対して「ぽい」とか「ぽくない」と言ってみてもしょうがないんですが、例えば、「賭博はやっちゃいけない」という法律があれば、あとはある事案が「賭博」なのかどうかを一生懸命議論しなくてはいけないわけです。
そもそも世の中のあらゆる事象には不確実性があるわけで、「賭博」と「賭博ではないもの」っていうカテゴリーの分け方は無意味だといって、コペルニクス的な発想の転換を迫っても、「はぁ」ってな感じで終わってしまいます。
私が司法試験をやっていた頃は「司法試験で立法論を書いたら落ちる」と言われて「さもありなん」と思っていたんですが、よーく考えると、この意味での「法学」は「法学」のある特定の一面でしかないわけです。
で、他の面は何かといえば、そもそも「法」はどういう形であるべきか?という議論をする面で、例えば上の人生自体ギャンブルなんだから、ギャンブルが罪なら人間は皆罪になる・・・と言っている人が本当にいるのかどうかは知りませんが、そういった、そもそも「法」とはどうあるべきか、という議論です。
この辺りになってくると、結構「科学」っぽくなってもおかしくないんですが、「法を定める」というのは、色々な利害が絡む極めて生臭い話なので、前回のtaghitさんがコメントして下さったように、生臭いところで結論が先にあって、それを「もっともらしく」見せるために理屈が使われることがあり得るわけです。
しかも、法学の世界では便利なことに(笑)、「正義」とか「公平」とか、その内容や度合いを判定する基準や手法を全く定義・提示することなく拠り所にできる葵の御紋があるので、そこに逃げ込まれると、それ以上は議論をかみ合わすことができなくなってしまうわけです。
実際、「法」というのは、必ずしも一つの目的にのみ資するわけではなく「モラル」と等価値で存在するものでもあるので、例えば「中絶禁止」とか「同性婚禁止」の世界になると、「価値観」とか「信仰」の対立に帰着するわけで、そこから先には進めなくなってしまう場合があるのも「やむなし」というか、「そういうもの」なんだからしょうがないんでしょうね。
ちょっと前にアメリカでインテリジェント・デザインと進化論を巡る論争がありましたが、あれを例にとると、「IDは反証に耐えられないから否定されるべき」と来るのが科学だとすれば、「『生命の神秘』に対する見方の差」で終わってしまうのが「法学」的というところでしょうか?(少し乱暴ですが・・・)
私がローエコ好きなのは、最後に「価値観の違い」で議論がすれ違うのが気持ち悪いからなんですが、とはいっても、「法学」には、そういう側面があることや、もっといえば、そういう側面を重要だと思う法律家が多いということは、分かっているつもりです。
ただ、ことが経済活動を規制するもののように、究極の目的が「効率性向上」や「市場の失敗の是正」であったりとかいうものについては、「価値観」では逃げられないし、逃げてはいけないんじゃないかと・・・というわけで、少なくとも経済関連の法については、「科学」的・・・というか、せめて「経済学」並のアプローチが一般的になってくれるといいのに、と思う、今日この頃だったりします。
Posted by 47th : | 08:11 PM
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» 一神教・科学・裁判 from 明日は明日のホラを吹く-Tomorrow, I'll give you another big talk-
#以下は47thさんのエントリが面白かったので触発されてコメントで書いたことですが、長くなりましたのでエントリで書かせていただきます。自分のbacky... [続きを読む]
トラックバック時刻: February 24, 2006 11:04 PM
大学時代に受講した平井教授(昨日言及されてましたね)の講義で、「法は科学か」という命題を扱っていたことを思い出しました。「科学」を「仮説を実験・観察によって検証する」学問様式と定義づけて、法学が非科学的であるとの反省・劣等意識(川島先生の『科学としての法律学』とか)に触れた上で、「科学」でなくて何が悪い・むしろ「非科学」な法学特有の「法的思考様式」の洗練・熟練を目指すべきだ、とかいうのが大まかな内容だったような(記憶が激しく曖昧ですm(__)m)。
彼の『法政策学』が評価基準として効率性だとか正義性だとかを延々議論していますが、「価値観の違い」で終わらせないように(広義の)法学を洗練させようとする一つの試みだったように思います。
Posted by そらまめRRZ : February 24, 2006 09:23 PM
こんにちは。
大変興味深く拝読しました。経済学なら経済学で、「物理学くらいに・・・」と思うんですが(笑)、確かに法学の畑の議論を見ていると経済学の議論では見られないようなのびのびした意見(笑)も散見される気がしております。ともあれ、実力者ならではの不満であることは間違いありませんで、晴れがましいことこの上なしであります。
その他、最初はコメント欄で書かせていただいておりましたが、長くなりましたので、エントリ+トラックバックさせていただきました。いつもながら定性的な印象論でのお邪魔ばかりでございます。恐縮。
Posted by bun : February 24, 2006 11:09 PM
科学としての法学の問題というのは戦後ずいぶん論争されたというか・・・戦後すぐの枠組みの見直しの時には「社会科学性」、「科学性」というのが全面に押し出された議論というのが行われた・・・といっても当然ろじゃあなんか生まれてない頃のお話ですが。
一応、法学は「社会科学」に入ってる訳ですが、方法論的なお話になるといろんな立場が実際にはありますよねえ。
社会科学の立場で書かれている論文なのかどうかわからないって場合はもしかしたら・・・(以下自己規制)。
Posted by ろじゃあ : February 24, 2006 11:48 PM
>そらまめさん
結局、科学のとらえ方なんでしょうねぇ・・・実験・観察による検証は科学の絶対要件ではないんでしょうが、平井先生も反証可能性的なもの(反論可能性)は必要ということで、星野先生と議論されていましたし、平井先生は法学界の中でも特にその辺り自覚的だったような気がします。
>bunさん
本当に法学はのびのびしてますよぉ(笑)
TBいただいた記事も拝見しました。大変示唆に富む内容で、またそちらの方にもコメントさせていただきます^^
>ろじゃあさん
要は算盤と数学みたいなもんかも知れないですねぇ。
数学が分からなくても、算盤で答えをはじく技術は磨けるわけで・・・ただ、算盤をはじき続けても、数学にはならないというところが・・・(以下自主規制)
Posted by 47th : February 25, 2006 12:04 AM
fujiです。
私も学生時代にサヴィニーの独書講読で、「法律家の仕事は、法と法の関連性を見つけることで、逆に見せかけの関連性を打ち砕くことにある」というのを読んで、なるほどなあと思ったものです。いずれにせよ体系的に理解していくことに喜びというか楽しみというか、を感じます。
Posted by fuji : February 25, 2006 09:37 PM
興味深いエントリが続きますね。
ID論争の例を借りれば、ああいう一筋縄でいかない
論争が現に起こるからこそ(日本人はちょっとびっくり
するわけですが)、科学的な立場からの
問題の切り分け方と、法学的な立場からの切り分け方
(と、当事者にとっては宗教的な切り分け方)が
それぞれあって良いのかなと思います。
そういう意味ではそらまめRRZさんが紹介されている
平井先生のお言葉は腑に落ちる感があります。
科学は「比較的ましな」方法論、という道具に
過ぎないし、科学で切り分けられた結果を素人である
一般市民(IDなら教育を受ける側)が納得するかどうか
はまた別の話だし。でも現実には法で切り分けてもらわ
ないと混乱と闘争に発展してしまうわけですよね。
人間が人間である以上、両方(かさらに別のもの)が
必要で、それをなんとか使って切り分けて現実に
生活していけるようにする道具として科学や法や経済
やいろんな専門知識が発展し今に至っているのかな
と思う今日この頃です。
Posted by taka : February 26, 2006 09:06 AM
>fujiさん
「体系」というのは予測可能性を確保のためにも重要ですし、それを見出すのも法学の一つの側面ですよね。
私も、法律や判例に隠された体系というかメッセージを見出すのは、何かダ・ヴィンチ・コード的な面白さはあって、それはそれで大好きです^^
>takaさん
「科学は「比較的ましな」方法論」というフレーズはいいですね^^
一番、大事なのは、何というか、そうした「ちょっと離れて見ることのできる距離感」じゃないかなぁという気がします。
Posted by 47th : February 28, 2006 07:59 PM
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