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Beckerが語る臓器移植論 (3・完)

(1) (2)とBeckerの臓器市場解禁論の根拠を見てきました。

仮に、臓器の「効率的な分配」を目標とするのであれば、臓器市場解禁論は非常に強力なように思えます。

簡単にまとめてみると・・・臓器売買が禁じられている現状においては、まず、(A)需要に対して絶対的な供給が少ないことから、(A1)臓器移植を受ければ助かったにもかかわらず、臓器移植が受けられずに死亡する人々がいる、あるいは、(A2)正規の臓器提供を待てない人々を相手とした闇市場が発展する(需要超過、価格情報がオープンではない等により闇市場の超過利潤は極めて高くなるので、闇市場参入のインセンティブが余計高まっているわけです)。
また、(B)ただでさえ過小供給の臓器について、適切な資源配分メカニズムが存在していないため、貴重な提供臓器の配分が効率的になされていない可能性があります。

これに対して、臓器売買市場が解禁されれば、(A')供給の増加によって、(A'1)臓器移植を受けられずに死亡する人々が減少する、更に、(A2')超過需要が減少するため闇市場への需要が縮小する(経済学的には、この因果関係はかなりrobustだと思うのですが、もし違っていたら教えてください)。
更に、(B')臓器の配分は価格シグナルを通じて行われるため、臓器移植により高い価値を認める人から臓器が提供されていくことが予想されます。(但し、これは初期の財産状態に依存する部分もあり、また、子供や老人よりも期待獲得収入の高い(ある程度の技能や地位を有した)人々に優先的に臓器が配分される結果となるので、素朴な公平感に合致することは保証されません)

以上からすると、臓器移植において生体とのマッチングが重要だとすると、売買される財は均一ではなく、少しずつ差別化されていることになりますので、そうした少しずつ差別化された財に関して効率的な取引を達成するための市場設計を工夫する必要はあるような気はしますが、「臓器の効率的な分配」を考えた場合に、「市場メカニズム」の導入は相当に説得的ではないかというのが私の意見です。

ただし、本当の悩みは「臓器の効率的な分配」を政策目標として据えていいのかという部分です。


ここで、少しBeckerの言葉に戻ってみましょう。

I have been at several international conferences of transplant surgeons, and have argued there for markets in organs. While I believe most but far from all of these surgeons oppose such a change, they all recognize the very serious problems with the present system. Surgeons and hospitals fight sometimes over who has access to available organs, they see many patients die because they cannot get organs, and they often must perform a transplant surgery at a time that is not optimal for a person receiving the transplant because a matching organ becomes available at a particular moment.

So I believe much more of the concern expressed in some comments should relate to persons in need of transplants who either die because they cannot get them, or wait for years in ill-health before they receive suitable organs.

これはBeckerが、オリジナルの記事によせられたコメントに対するレスポンスにおいて最後に述べた部分ですが、この中には「現に臓器移植を必要としている人々を助ける手段があるのに、それが十分に機能していない」という関心が透けて見えるように思えます。

ただ、おそらくこれに反対する人々は、「そもそも臓器移植が生命維持において『選択肢』として許されるべきではない」、あるいは、「極めて例外的なものに留めておくべきだ」と考えているのではないかと思います。
つまり、そもそも「臓器の移転がスムーズになされること」自体が望ましくない-臓器に関しては効率的な資源配分は政策目標とすべきではない、と考えているのではないでしょうか。

これは、決して珍しい話ではありません。
例えば、賭博や売(買)春を禁圧すべきか・・・経済学的にみれば、多分どちらも禁じる理由はないことになるはずです。だからといって、賭博はともかくとして、売(買)春を合法化すべきかどうかについて意見は相当に分かれると思います。

この点において、Beckerのような経済学的発想に限界があることは否めないように思えます。

しかし、なお、経済学的には、ある選択肢を制限してしまうことの目に見えないコストが明らかになっていくというメリットがあります。
「倫理観」の下に臓器売買を禁ずることは一つの見識ですが、そこには臓器売買がなされれば得られたであろう利益を失うというコストの側面があります。

少なくとも、この「倫理のコスト」・・・この場合は、臓器市場が成立すれば救われたであろう命については正面から受け止めるべきだろうと思います。

私自身は、未だ確固たる見解を持っているわけではありません(若干解禁論よりにふれていますが)し、何かを語るだけの情報や経験もありませんが、それでもBeckerの議論を紹介する価値があると考えたのは、この「倫理のコスト」の認識がこの問題に真剣に取り込む方々の何か役に立つんではないかと思ったからです。

他人のふんどしを使ったまとまりのない議論に長々とお付き合い頂きありがとうございました<(_ _)>

Posted by 47th : | 01:24 | Law & Economics

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コメント

全臓器移植提供意志表示者として、このお話について思うのは主に2つのことでして、

1.「治療」と「不老不死」の違いなどを思い切って捨象してしまうと、「寿命」と「進化」は理論的にトレードオフである。ヒトはすでに大昔に、選択肢の片方であったところの、「寿命あり進化(有性生殖)あり」のオプション選択をし終えていて、だからこそ言葉を使った議論ができるくらいに進化したんでありまして、進化し終わって(?)いまからは不老不死!というのは、会議法でたとえれば、一時不再議の原則に反する(笑)。費用を全く考慮に入れない儲け話くらい非現実的な話になってしまいますね。他方では大腸菌のように「寿命なし進化(有性生殖)なし」でやっておられる生物もちゃんとあります。単細胞生物でなくかつ「不老不死」というのは、生物版の永久機関を作る試みに等しい。ぶっちゃけた話、生物学的な見方に絞れば、生殖年齢を過ぎた個体には用はないんです(笑)。

#私個人の選好についていえば有性生殖によって得られる効用が極めて高い個体ですので現状に不満はございません(笑)。

ということと、

2.日本には移植の需要が確実にあるのに、国内ではその需要を処理しきれておらず(語弊ご容赦)、諸外国、特にアメリカに、「一方的にお世話になって」いて、正直、私はこれを恥ずかしいことだと思っている、こういう現実に目をつぶって偽善を繰り返すくらいなら、氏の解禁論の方がよほどいいと思います。とまれ自分もいつ関わるやもしれないという想像力を欠いた議論はいけませんね。

ということです。

##実は全臓器O.K.といいつつアレだけは記念ないし証拠隠滅のためにあの世にもっていきたいとのですが運転免許に貼る提供意思表示シールにそんなアホなこと書いていいのかと躊躇しています。

Posted by bun : 2006年05月01日 02:30

つくづく罪深いですねぇ
・・・いや、bunさんじゃなくて、人間がですよ^^
でも、考えてみれば医療という行為そのものが、そういう矛盾をはらんでいるんでしょうし、亡き手塚治虫先生のブラック・ジャックが何度読んでも飽きないのもそういうところにあるのかも知れませんね。

Posted by 47th : 2006年05月01日 10:30

お手数をおかけしました。

そういうトレードオフを悲しみだすと、キリがありませんね。我々のような若者にはまだ必要のないことでしょう(笑)。

医者とか教師とかは、クライアントにとって自分がいらなくなるように仕事するという、トレードオフをかかえていますね。治しちゃうと仕事がなくなるし、わかられちゃっても仕事がなくなる。弁護士さんももそうですよね。自分の仕事のない世の中を目指している、というトレードオフ。私がそうした職業の方々についてとりわけ人間的だなあと思うのは、上のコメントで触れたような人間の抱えるのトレードオフの隠喩ともいうべきトレードオフの中で生きておられる点にであります。そうした方々にとっては自ら仕事を作りにいくことが、そのまま罪になる。

Posted by bun : 2006年05月01日 18:38

そうなんですよ。弁護士業界は壮大なるマッチポンプの実験場ですから(笑)
そのマッチポンプの歯車の一人として思うのは、だからこそ、法律家は何故「法」という権威が存在するのか、という問いを自分に投げかける必要があると思うんですよね。
私が、法律家のくせに「正義」とか「公平」という言葉を用いたがらないのは、そこに罪の意識を感じてしまうからなんでしょうね。
なので、専門でない経済学の世界に出張ってみるんですが、専門家にはとてもなれないというところで、コウモリの気分を味わっているわけです。

Posted by 47th : 2006年05月02日 13:19

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
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