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結局、レジ袋有料化ですか?

中環審、レジ袋有料化で合意・容リ法見直し最終報告へ審議 (NIKKEI NET)

中央環境審議会(環境相の諮問機関)は28日、ペットボトルなど容器包装ごみの再利用を促す容器包装リサイクル法の見直しについてまとめた最終報告書案を審議し、レジ袋の有料化は「法的措置も含めて検討」することで合意した。

このレジ袋有料化については、前に「レジ袋「禁止」案の「?」」と「「規制」を待ち望む人々」で扱ったのですが、結局、有料化の方向で進むようです。
審議過程を見ていませんが、こうした規制のもたらす副作用については十分に検討されたのか・・・何だか憂鬱です。
関係あるような関係ないような話として、最近アメリカでは、子供の肥満の原因をアニメキャラクターを使ったファストフードやスナックの広告手法にあるとして、この広告を規制しようという動きがあります。
これについて、ちょっと前にThe Becker=Posner Blogでこてんぱんに叩かれていました。アメリカでは、ある政策が公表されると、データをふまえた評価がタイムリーになされるところで、何か違いを感じてしまうわけです。


Posted by 47th : | 10:59 | Law & Economics

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コメント

こんにちは。

いろいろ考えてはみましたが、どーかんがえてもやっぱりレジ袋有料化、くだらないです。ハイ。世に袋はいろいろあるになぜにレジ袋だけで個々の商品の包装は不問なんでありましょうか。私はスーパーの未包装の秋刀魚を好んで買い、自分で袋に入れてレジにいきますが、これすらロクにできない主婦も多いんであります。触るのが嫌とかいって。それで包装してあるが新鮮でなく高いものを買う。それに0円も値段と考えればサービスにかかわる提供品の値付けをなんで中央環境審議会がやるんでありましょうか。わかりません。

相変わらず私がここで敢えて書かなくても皆様全てわかっておられることばかりのコメントで恐縮ですが、くだらないことは何回やってもくだらないのに、これまたしつこく何度ももちあがるもんですねえ。

公的に日本でデータとしてあがってくるのは基本的にひとつだけで、しかもほとんど大なり小なりやら○なんですよね。いろいろな含みのあるデータが複数あがってこなければおかしいのに。別に結論付けたいことと矛盾するデータがいくつかあったって構わないのに。あまりに明快な結論がつけられる、問答無用のデータが挙げられていて「こんなに明確だからやるべきことに疑いはありません」などと主張されると、翻って意地悪く、「そんなに明確にやるべきだったことに今まで気づかずやらなかった罪」の方を問いたくなってしまいます(笑)。そんなにわかりやすかったらそれだけでしばしば嘘なのに、この種の嘘臭さには実に無頓着ですよね。

データの収集自体は結論付けとは別次元(完全にとはいいませんが)のもののはずなんですが、日本のは結論付けが終わってからデータが提供されるんですよね。アメリカだと上がってくるデータの独立性とか調査の正当性についてはかなり信用できるし、本気で検討するに値するし、その後の議論も上手なんですが、日本で挙げられるデータはその辺がめろめろですね。議論がはじまるとめちゃくちゃになるのがおちなので、議論そのものを封止するデータが用意される、と。

Posted by bun : 2005年12月30日 00:57

>bunさん

仰るとおりで、前にも書きましたが包装段階で持ち手がついてたりとか、秋刀魚と大根のセット品とかがすぐに並び出すような気がします。

日本人が数値データの取扱いを下手なのは、データを絶対的なものと考えるコンプレックスの裏返しなのかも知れませんね。アメリカの実証研究の紹介がされるときでも、その実証研究の手法や得られた結果の信頼性の検証とかは余りなされないままに、「実証研究の結果、○○である」とか書かれますからねぇ・・・これは自戒も込めているんですが・・・

Posted by 47th : 2005年12月30日 11:46

>データを絶対的なものと考えるコンプレックスの裏返しなのかも知れませんね

全く仰る通りで、ひとことでいうと、「標本」と「母」の区別ができていないのですね。たとえ「実際」に「現実」に実現した値であっても、いくつかあり得たうちの1つの現実(にすぎない)のですが、統計学的な思考をもたない人は「標本」を「母」として扱ってしまうんです。それでノンフィクションを重く見すぎてしまう。

結果、サイコロ振って6回連続で1が出たという現実ひとつにしがみついて、「このサイコロはすべての目が1である」と主張してしまうがごとき愚が蔓延するんであります。そんな愚を蔓延させるくらいなら、とりあえず結論を保留してもうすこしサイコロを振ってデータを増やしてみるみるべきなんですが。
少ない標本で勝負に挑む美学のようなものからは自由でいたいものであります。

Posted by bun : 2005年12月30日 21:21

 
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