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「法」への幻想 (番外編)

(3/30 追記あり)

巷で話題になっているPSE法のことについては、私には正直よく分からないので、全く触れていませんし、これからも触れるつもりもないのですが、「法」に対する観念や「悪法」に対する対応のあり方として、非常に勉強になったのが名古屋大学の大屋雄裕先生の「おおやにき」ということで、ご紹介いたします。

コメント欄も含めると結構膨大になるのですが、これまでのこのブログでの「法」への幻想シリーズを面白いと思ってい頂いた方は、是非ご一読をお薦めいたします。

大屋先生は、一貫して、(a)「裁判所がどういう解 釈をとるか」ということと、(b)それが「法として望ましいかどうか」を区別した上て、(a)の問題として「中古品の販売」を含まないという解釈を裁判所がとる可能性は低いことと、そして、そうした裁判所の判断に対する客観的な予測を前提として、PSE法に対して、それを「悪法」だと考える人々がどういう形で対応することが(PSE法反対者のみならず社会的なシステムとして)望ましいかを議論されている(ように見える)わけです。
これは、法律家にとっては極めて自然な思考様式なのですが、一般の人々の持つ「法」のあり方(あるいは、あるべき姿)の観念との間には齟齬があり、それがコメント欄のやりとりの中で浮き彫りになっているように思われます。

今回のPSE法においてどのような対応や解決が望ましかったかは、私自身は答えが出ていませんし、(坂本)教授のような声の上げ方もあっていいとは思っているのですが、そうした点を措いて、大屋先生の根気強い丁寧な対応と明晰な分析には本当に感銘を受けました。


(3/30追記) 

元エントリーをたてた後も、おおやにきのコメント欄では論争が繰り広げられていますが、どうも本筋がから離れていってしまっているような気もするんで、確かに、今華やかなりし論争の部分をみると大屋先生のエントリーの本来の趣旨が却って分かりにくくなってしまうようです。

ということで、何だか「コメント欄をおっているうちに何が論点なんだか分からなくなってきた」と感じる方に向けて、紹介した手前、私が独断と偏見(と妄想)に基づいて、勝手に大屋先生の元エントリーの趣旨を要約してみます。

元々、「法」というのは完璧ではないし、世の中には「悪法」はいくらでもある。
立法が完璧で無謬であり得ない以上、市民は「悪法」に対して適切に対処しなくてはいけない。
ただ、そうした対処には当然のことながら、正確な情報収集や分析、対応へのコストが必要になる。
また、「悪法」が発覚した場合の対応としては、本来立法過程への働きかけや裁判所への訴えといった方向であるべきである。
なぜなら、本来、行政庁は、法律そのものに問題がある場合であっても、自らが勝手に「悪法」かどうかを判断して執行に差を設けることは許されていないのであって、その意味で行政庁への圧力の成果は限られているからである(もっとも、PSE法の場合は、行政庁が法律の解釈を勝手に変更するという宣言をしてしまい、ますます混迷の域を深めてしまったわけだが)。
PSE法においては、経産省の対応ばかりが議論されるが、市民側における対応という面からいっても、事前の対応と事後の対応の両面において適切なものであったかは議論がなされる必要がある。
PSE法をはなれて、一般的にこうした問題の再発を避ける視点からみても、行政庁に反省を促すだけでは効果は薄く(特に行政庁が副作用に関して十分に認識をしていなかった場合)、市民レベルでの中間団体の活動やそこへのコストの投入という形で対応することが効果的なはずである。

・・・といったあたりでしょうか。(私が勝手に自分の中でイメージをつくっているだけかも知れませんが^^;)

私自身も、この方向性には親和感を覚えるのですが、他方で、情報収集や中間団体の組織化には、それ自体として集合行為問題やフリー・ライド問題があるので、会社法の世界でおなじみの「合理的な無関心」、つまり、あるアクションを起こすことによって得られる便益がそれを行うことのコストに比べると少ない、あるいは、その便益は他の同じような境遇の人にもいってしまうので、他の誰かが行動を起こすのを待つのが合理的、という事態が生じます。

その「合理的な無関心」も一つの市民による選択と突き放す考え方もあるのでしょうが、どうしても会社法的なアナロジーで考えてしまう私からすると、「『合理的な無関心』は、個々の市民にとっては合理的でも、総体として『なされるべき規律付けがなされない』ことによる非効率性が発生するので、少なくとも最適とはいえない」→「従って、『合理的な無関心』問題を緩和するための工夫が必要」という発想にいってしまいます。

そういう文脈でみると、多少脊髄反射的かも知れないし、生産性の高さには疑問の余地は残ったとしても、ネットというコミュニケーションの敷居の低い(≒取引費用が低い)意見集約システムや、あるいは著名人が個人的な関心や利益に基づいてコミットする(ことによってマスコミを意見集約のツールに用いる)ということについては、十分に「あり」なんじゃないかという気がしています。

残る疑問は、ネットを用いてそうして意見が集約された後(あるいは過程において)で、その意見を実現化するために、コストをかけてでも、本来の立法・司法ルートへの働きかけという途に入るべきかどうかというところで・・・PSE法の場合には経産省が法律に忠実な解釈を押し通せば、自ずからそうしたモーメントが働いたのではないかとみるのですが、非常に中途半端な(しかも法律に従った行政という原則からは大いに疑問のある)妥協策が用いられたことで、「悪法」以上の「悪しき先例」を作ってしまったんではないか、というのは、私も思います。

ところで、大屋先生のご意見には「おまけ」として、「そうは言っても、そうした市民側の情報収集活動や立法過程へ働きかけを組織化することが困難だという場合や緊急性を要するという場合には、グレーゾーンで粘る(そうしつつ、いつか誰かの働きによってシロになるのを願う)という選択肢も実際にはある」という部分があって、これが議論を呼んでいるわけですが・・・大屋先生の趣旨は、むしろ「法」に反するかどうかというだけで、よしあしを考える必要はないということではないでしょうか?

大屋先生が指摘されているように、経産省がいかなる解釈をとろうとも「法」の解釈を決めるのは裁判所であって、いくら行政庁がOKといっても、何ら保証にならないわけです。古くは公衆浴場法(だっけ?)において行政庁の指導に従っていたにもかかわらず有罪とされた刑法な有名な裁判例がありますし、最近でもストック・オプション課税において課税庁の(過去の)見解に従ってなされた申告処分が最終的には違法と判断されたりということがあります。
その意味では、客観的な法的解釈として違法の可能性が高い、だけど、経産省は目をつぶるという状態は「グレー」以外の何者でもないわけですが、だからといって、一方で「法改正」を粘りながら、「悪法」に対して抵抗するということは、何ら「悪い」ことではありません。
その意味では、大屋先生の見解は、今後、そうしたグレー・ゾーンで粘りながら、立法ルートでの悪法改正を訴えていかなければならない立場の方々にとっては支えになるものだと思うのですが・・・まあ、「たとえ」が適切だったかどうかは意見が分かれるところですが、何かその「たとえ」の適切さについての議論には、正直魅力を感じないところで・・・一言「たとえが悪かった。感情を害したのであれば申し訳ない」と言えば済みそうなところを、敢えて戦ってしまうところは凄いと思うのですが、そのために、せっかくの本筋の議論のよさが霞んでしまいそうになっているところが何とも惜しまれます。

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Posted by 47th : | 11:43 | Foundations of Law

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前記事とのつながりと言えるかどうか分からないのですが、いくつか連ねてみた違和感の間には微妙な共通点が有るように感じるのです。それはたぶん、『自分達が本当に... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年03月29日 12:14

コメント

こんにちは。

ご紹介に従ってひとしきり拝読しましたが、至極素直で真っ当なことを実にサクサクと書いておられますね。コメント欄も読みましたが、ひとしきり不満げに書かれているコメントについては、なぜ、何に怒っている(らしい)のかが私にはまーったくわかりませんでした(笑)。

それにしても、法律家全員がマザーテレサとか小学校の銅像としての二宮尊徳とか昔の日本船舶振興会のS川みたいになっていないと不満げな輩がいつまでも絶えませんな。なぜかを理解しようとすると毎回理解に苦しみますので理解しようとするのもやめましたが、まあ「貴様それでも○○か」という幼稚な恫喝をしないと自分がひたすら誰からも劣っているような気がして落ち着かない人たちなのでしょう(笑)。知りませんよね。そんなの(笑)。

Posted by bun : 2006年03月26日 23:40

法律家だけでなく病院(医師)や学校(教師)にも、サービス提供者でなく無償・滅私奉公の聖人たれと正義の怒りをたぎらせる方が多いようですね。まことに大変なことです。そして政治家にはそういうのを求める圧力が意外と低いですね(あきらめてる?)。
政治家のあり方というのはキャッシュフローに比較して自分への期待利益率を低く保つ方法として有効なのかも。

Posted by tockri : 2006年03月27日 05:56

世の中ってそういうものなんだと思います。恐らく鉄道会社の社員は「世の中の輩は、電車は遅れずに運転されるのが当たり前と思っていやがる」と愚痴っていることでしょう。

私が思うには、多くの市民が法律家(先生でも医者でも警察官でもいいけど)に聖人君子であることを求めている人が多いというのは現時点での厳然たる現実であって、それを愚痴るというのは生産的とは言えないと思うんですよね。いやまぁ、非生産的だから悪いというつもりもないですけど。(^-^;

ちなみに私も(私は法律家ではないですが)、法律家は、一般の平均よりも高潔さを保ち、(自分やクライアントの利益だけでなく)社会全体がより良くなるよう努力すべきと思っていますよ。

Posted by Apricot : 2006年03月27日 10:35

おすすめに従って一通り読んでみましたが、おおや氏の意地の悪いたとえ話や、読む者に不愉快な感情を与える揶揄のおかげで、望まぬ罵倒コメントを自ら釣っているように思いました。ノイズにまぎれたせいでしょうか、私にとっては、読んだ時間のわりには得る物が少なかったように思います。

本当に大切な何かを広く伝える思いがあるのでしたら、芸風を変更するか、あるいは国語力をとびっきり磨くか、どちらかを選択すれば良いのに、と思いました。

法律家としての思考様式を持たない、一般人からの率直な感想です。

Posted by 昆布 : 2006年03月27日 10:55

>bunさん、tockriさん、Apricotさん
そして高潔を維持するために市井から距離を置くと「法律家は世の中を知らなさすぎる」とか「ダイヤ至上主義で安全が軽視される」・・・と怒られると(^^;
個人的には、日本○○振興会はともかくとして(笑)、職業や立場に応じたnobles oblige「的」な期待はあってもいいと思うのですが、本来あるべきスタンスがある特定の人たちの感情や利益にそぐわないという理由で批判されるのは弱りますね。
法律家の場合のnobles obligeの一つは、刃物を振り回す骨肉の争いの中でも冷静に議論を整理するところにあるはずで、時にはそれがお望み通りにはならないことはあるわけで・・・私も「依頼者の利益を第一に考えるのが弁護士だろう」と声を荒げられたこともありますし・・・(それに対して、「仰るとおりで、客観的なリスク判断を提供するのが依頼者の利益だと考えておりますので」とぬけぬけと応じる辺りが可愛げないと思われる由縁かも知れませんが(笑))

Posted by 47th : 2006年03月27日 11:40

>昆布さん
「芸風」というのは、大きいかも知れませんね。
ただ、大屋先生の場合は実名や立場も晒した上で、あえてあそこまで挑戦的な筆致を使うのは、それ自体凄いエネルギーが必要です。
正直、私なんかは度胸がなくてとてもできず、専門知識や思考様式自体のギャップを解かないといけない部分に入り込みそうになると「そういう考え方もあるんですね」と共感して終わってしまうこともあります。
「お望みの結末?」を読むと、大屋先生は、専門家と一般人との間のディスコミュニケーションの起きやすい領域にあえて踏み込んで、そのディスコミュニケーションの過程や源を考えてみようとされていて、そうした「荒れ方」も含めて興味深かったんですよね。

Posted by 47th : 2006年03月27日 11:55

面白いですねえ。なんでまた鉄道会社のたとえなんでしょうか。

まだまだ書き足らないというかご不満の向きがおられましたら、こちらはヨソ様のサイトですから、是非私のサイトに来て続きをお願いしますね。できれば私がこう、なんていうんでしょうか、読みながら悔し涙流すようなのお願いします。マジでマジで。自分が思ってるほど効いてないよ。ホント。

>「仰るとおりで、客観的なリスク判断を提供するのが依頼者の利益だと考えておりますので」とぬけぬけと応じる辺り

まあ、なんてかわいい(笑)。私ならいとおしくてハグしちゃいます。ご注意のほど(笑)。

Posted by bun : 2006年03月27日 21:42

bunさんは私に言っているのかな?別に悔しがらせようとして書いたわけではないのですけど。
さて、私は、noblesse oblige は、あるべきもの(あったほうが社会全体がよりよくなるもの)だと思っています。
市井の方々が、法律家がみんな聖人君子であるべきだと思っていると、まぁ確かに法律家の方にとってはちょっと息苦しいかもしれませんが、だからこそ弁護士に会社や個人のprivateを安心してさらけ出して相談できる面もあるわけで、そのメリットのほうが社会全体では大きいと思っています。
そーゆー意味で、私は、「あえて」書いている点を差し引いても大屋先生の「園児」発言には賛成できかねます。職業上法律制度の改善に大きくコミットできる人がそれなりの貢献をするのは当然で、一般市民はそれにある程度freerideしてても、責められるべきとまでは思いません。もちろん率先して行動する坂本教授のような方はすばらしいと思いますが。
(え、あっちで書けって?ごもっともです。)

Posted by Apricot : 2006年03月28日 06:07

>bunさん
ハグですか^^;・・・注意します(笑)
>Apricotさん
確かに、職業にまつわる信頼というのは大事ですよね。それがなくて、アメリカみたいに、「最悪の隣人」か、よくて「金の亡者」扱いも何ですからねぇ(涙)
ただ、芸風というのは、好き嫌いはあれど、ある程度幅があってもいいんじゃないかという気もします。
大屋先生の場合は、確かにスタイルは挑発的かも知れませんが、そのスタイルの中で本質的な議論もやっているんで・・・まあ、これはよしあしというよりも好き嫌いの話なんでしょうし、そこで書き手自身が損をする部分と得をする部分はあるんでしょうね。

Posted by 47th : 2006年03月28日 17:23

芸風については当然好き嫌いもあるでしょうが、47thさんがおっしゃったように、挑発的な芸風でやっていくには、多大なエネルギーが必要なんですよね。

私の好きなblogのひとつに、aistの高木さんの「高木浩光@自宅の日記」というのがあって、これもまた挑戦的な筆致でぶった切っていく系なんですが、きちんとマネージできているんですね。まともな相手との議論の時は相手をきちんと尊重しているのもいいです。

大屋先生の場合、残念ながら、芸風を支えてマネージしていくのに必要なエネルギーが少し不足していたのではないかな、と思います。むしろ私は、高橋健太郎さんの根気強い丁寧な対応と明晰な分析に感銘を受けました。

Posted by Apricot : 2006年03月29日 11:07

>Apricotさん

>むしろ私は、高橋健太郎さんの根気強い丁寧な
>対応と明晰な分析に感銘を受けました。

うーん、そこは少し見解の相違がありそうですね。正直、高橋さん(BBさん)の話に入ってからのやりとりは、何というか、お互いの議論の揚げ足とりになっていて、何を目指しているのかよく分からなかったんですよね。
私からみると、大屋先生の立場は(驚くほど)クリアーで(ご自身がマッチョと仰るほどに)、それに対して賛成するのか反対するのかというのはありますが(私も大屋先生の立場は理解できますが賛否は決めかねていますし)、「言い回し」の問題、しかも学術論文でもないものについて、こねくり回されても、というところが・・・まあ、大屋先生も相当に負けず嫌いな方だというのは分かりましたが、私だったら、さっさと白旗あげて関わらないようにしてしまうかも知れません。

Posted by 47th : 2006年03月30日 15:19

簡潔に整理されていて良いですね。

実は、PSE法反対運動に関連しての、法解釈に対する客観的な見方とか、JSPAの運動方針への評価であるとか、においては、彼と私の間には大きな隔たりがない(むしろ共通する点が多い)わけで、私のそもそもの発言は、今、この状況下でそういうたとえを出されるのはむかつくよ、程度のことです。
でも、それに対して、1ページ、私を批判するエントリーを上げられたので、現在のような流れに。

このサイトのように整理された形で読めば、挑発表現を別にすれば、彼の主張はグレーゾーンで粘って闘う人々にも有益でありうる、というのは分かります。というか、元のテキストを読むよりも、説得力があるかも。

Posted by BB : 2006年03月30日 22:36

私はAplicotさんとは全く意見が違いますが、「生産的」「社会全体がよりよくなる」など、つっこみどころ満点の言葉を平気で並べておられてこれを不問にしてしまう方とは議論をする気になりません。いやー負け負け(笑)。妙なこと書いたおっちゃんが悪かった(笑)。

お察しの通り私は法律家にnoblesse obligeなど期待しておりませんで、普通には、あるなしの議論などしなくても仕事するだけで生じてしまうものでしょう。その自然に生じる分以上のものはいらないと思います。逆にことさら一般大衆に対するnoblesse obligeなんてことを意識して仕事をしている法律家に関わりたくありませんな。なぜかというとそういう人は往々にしてclientに対する倫理を安易に犠牲にするからです。平気で突飛な引用されるのでこちらも真似すると、「白い巨塔」の財前的と言ってもいいかもしれない。優先順位のおかしい人である、そういう証拠に思える。それに仮にあるとして、本当の意味で法律家のnoblesse obligeを評価できるのは同業の被評価者よりも意識(経験値?)の高い人に限られるでしょう。小説家による小説家の批評が批評家のそれよりもしばしばはるかに的確であるように。

また、そもそも単語というのは文脈なしに意味を決めることはできないので、どの単語を使ったからといってただちに許せる許せないの話には全くできませんね。そんなの現代の常識でしょう。それに笑ってしまうのですが、許されないとどんなおしおきがあるんでしょうかね(笑)。

・・・というわけで逃げるわけじゃありませんが、きりがないからレスつけない下さいね。おしまいおしまい(笑)。

Posted by bun : 2006年03月31日 09:59

>BBさん
私のは大屋先生のを(勝手に)要約しただけで、いわばプログレの名曲のおいしいところを集めてポップスにしてしまったようなもので、オリジナルのような深みがないのが難点ですが、それでもプログレマニア以外の方への翻訳としてお褒めいただけると書いた甲斐があります^^
>bunさん
いやぁ、大屋先生ばりの挑発的な芸風(笑)

>・・・というわけで逃げるわけじゃありませんが、
>きりがないからレスつけない下さいね。
>おしまいおしまい(笑)。

ということですが、ちょっと興味深いので、管理人権限で、もしApricotさんが宜しければ、Apricotさんの次の反論でおしまい、おしまいということで。
あっ、bunさん、HN一字違いで別人として再反論とかはなしですよ(笑)

Posted by 47th : 2006年03月31日 10:19

管理人の許可が出ましたのと、自分のターンが最後であればアグレッシブになるのがゲーム理論的にも最適戦略と思われるので(笑)、徹底的に反論させていただきます。

まず、「社会全体がよりよくなる」が突っ込みどころ満載と指摘されますが、ここは 47th さんのブログのコメント欄です。社会全体の利益のための制度設計といったテーマのエントリも多く、同じ文脈で意見を言って何が悪いのでしょう? もちろん私は素人で、難しい理論も数式も知りませんし理論の詰めも甘いでしょうが、この分野では「素人の肌感覚」というのも、まぁ他山の石にはなるんじゃないかなと思っております。

次に、noblesse oblige と、cliant に対する倫理の比較ですが、私は、両立するものと思っています。まず、cliantのために仕事をしている最中には、cliantの利益を100%考えるべきというのは私も同意です。それがプロフェッショナリズムだと思います(※1)。次に、
(また突拍子もない喩えと言われるかもしれませんが、私の言語力では比喩の力を借りずにはいられないので)
コンピュータ・ソフトウェアの発展を例に出しますと、「フリーソフト」「オープンソース(※2)」というものが、現在の社会で大きな役割を果たしていると思います。こうやってウェブを見たりブログを見たりコメントを書いたりできるのも、Linux, Apache, PostgreSQL, MySQL, Eclipse, PHP などを代表とするプロダクトが支えている部分が極めて大きいと思います。私はこれも立派な公的貢献と評価していますが、じゃあ、誰がそれに寄与したのかというと、個々のソフトウェア技術者であり、彼らは(当然霞を食っては生きていけないので)cliant/会社の仕事をしつつ、(業務外の時間で)こういった貢献をしてきたのでしょう。彼らが「優先順位のおかしい人」とは、私は思いません。

次に、noblesse oblige の評価という点ですが、これは私の説明が不足していたのですが、私は、前述のとおり「社会全体の利益・そのための仕組設計」を念頭においていたので、法律家「全体」、言い換えると法律家クラス(※3)を指していたつもりです。
またオープンソースの例を出しますが、個々の技術者の貢献の評価は確かに私にはできませんが、全体として、現在の情報化社会・ネットワーク社会においてオープンソースが直接・間接に果たしている役割の大きさについては、評価できると思っています。

最後に「単語というのは文脈なしに・・・」の点は、私が大屋先生の『「園児」発言には賛成できかねます』に対する指摘と思いますが、私が前段落でnoblesse oblegeがあったほうが社会全体が良くなる、という主張をした後に「そーゆー意味で、」と繋げていることから推察していただけるかと思ったのですが、「園児」という単語にただ反応しただけではなく、「法律家も砂場をきれいにする義務があるんじゃね?」という意味で、大屋先生の当該段落中の後続の記述も含めて賛成できかねる、という意味です。(私のコメントの)後続の記述からもそう読み取っていただけると思っていたのですが、私の言語力不足ですかね。
あと、私は賛成・反対を述べているだけで、許されないとは言っていませんし、ましてや「おしおき」する意図も権限もありません(※4)。


※1.それ自体が立派な社会貢献だ、という主張には、半分賛同します。「舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、治生産業もとより布施に非ざること無し」ですね。ただそれは「必要」ですが、現代においてそれだけで「十分」なのかというと、十分でないと私は思っています。

※2.ここで例に挙げているオープンソース観は、IBM や BEA といったビッグプレイヤーがオープンソースに参入する以前の「古き時代」を意図しています。現在はもうちょっと事情が複雑になってますね。

※3.クラスアクションの「クラス」とか、オブジェクト指向論における「クラス」と同じ言葉の用法を意図しています。

※4.制度設計として「おしおき」があったほうが社会全体の利益(or業界全体の利益)になるかどうか、という話はまた別です。(例.プロボノ活動が不足している弁護士に対する弁護士会の罰則規定)

Posted by Apricot : 2006年04月01日 08:39

では、意見も出そろったようですので、最後に管理人権限として述べさせていただくと・・・
nobles obligeがあるかどうかという点については、Apricotさんと同じくあるんだと思っています。というのも、そういうブランドがあることにより、法曹業界全体として利している面はあるからです。
他方で、その内容を考えてみると、依頼者に対する(迎合しないことを含めて)誠実さが中核であって、あとは、法律知識であることや弁護士という立場を「悪用しない」という消極的なものに留まるべきだと思っている点ではbunさん、あるいはおおやにきでのコメント欄での大屋先生のお立場に近いような気がしています。
とまれ、考えるといろいろとあるところですね。

Posted by 47th : 2006年04月01日 10:59

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
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