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平等社会=上限金利引下げ?

学士会の会報というのは、律儀にNYまで送られてくるんですが、最近来た会報(2006-Ⅳ)を眺めていたら、金融庁の貸金業懇談会の吉野座長の「消費者金融を巡る環境変化と今後のノンバンク」と題する講演録が掲載されていたんですが、その中で上限金利規制について、こういう下りが。

高い金利に苦しむ借手を考えれば、29.2%という高い金利はなかなか返済できません。そこで、私が座長を務めさせていただいている「金融庁の貸金業に関する懇談会」では、29.2%という上限金利を引き下げることが望ましいという中間報告が今年4月にまとまりました。
フランスやイギリスなどでは、消費者金融の金利の上限規制はありません。ヨーロッパでの担当者の説明からは、リスクの高い人の金利が高くなるのは貸倒れリスクが高いためであり、市場で決まる金利で貸し出すべきであるという考え方です。その背景には、移民労働者のようなリスクの高い人には、金利が高くても仕方がないという見方があるように私には映りました。
しかし、日本の場合は平等社会であり、どのような借手でも、同じ上限規制のもとで借入を行えるようにすべきで、借手が返済できる金利の高さでなければならない、という中間報告になりました。

吉野座長はそもそも消費者金融の借手を、大きく分けて①「病気になったとか、急に勤め先が倒産したなどの理由で生活費が足りなくなり、消費者金融から借入、高い金利のために借金が雪だるまになり、返済ができずに多重債務に陥る人」、②「自分の財布の中身以上に浪費したり、ギャンブルなどにお金を注ぎ込んで、生活費に困り消費者金融から借入をする人」、③「例えば脱サラで新たに事業を始めようとしても銀行からは資金が借りられず、ノンバンクから事業資金を借入・・・事業が上手く軌道にのり、高い金利でも返済ができ、よい顧客と認定されると徐々に金利も下がり銀行借入も可能となる借手、短期に必要な資金を銀行から借りいれようとしても、審査などに時間がかかるため、短期の資金をノンバンクから借り入れる利用者」などに分類されるとした上で、①は生活扶助で対処すべき、②はノンバンクを利用していること自体が問題であって「本来、消費者金融に向かうべき人達ではない」という認識をされているようです。

この分類からは、必要なのは「事業者向け」の短期融資、あるいは、スタートアップ資金の融資
であって、そもそも「消費者」金融自体に存在意義はないと考えているようにも見えるところです。

そうした前提だとすると、消費者金融等のは、一種の社会保障の補完であって、上述の「日本の場合は平等社会であり、どのような借手でも、同じ上限規制のもとで借入を行えるようにすべき」というような考え方につながってくるとしても不思議はないのかも知れません・・・が、上限金利規制の引下げに反対する論者との間には、想像以上に深い溝があるということを図らずも感じさせる講演録でした。


Posted by 47th : | 12:34 | Law & Economics

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コメント

こんにちは。金利引き下げについては、比喩的ないし端的ににいって「ゆとり教育」導入前夜と同型の議論がされていますね。何度間違えば気が済むのでしょうね。そして「ゆとり教育」のように導入されて、「ゆとり教育」のように失敗するでしょう。受験競争を緩和し、子供に優しくしたつもりが、学力に、ほとんど回復不能ではないかと思わせる格差を作ったようです。辛い思いをするのはもっぱら、ゆとりを与えられ、その代わりにその大切な時期に与えられるべき知的な体力を与えられなかった、子供です。

繰り返しになりますがやはり競争を悪とかつらいこととだけ認識する、一面的な見方の悪弊だと思います。

彼らは「じゃあ平等はどうでもいいのか、弱者に高金利を払えというのか」という詭弁まみれの恫喝で、きちんともののわかっている方々の丁寧な議論が、「論破」できているものと誤解しているのですね。

政策について議論する方々には「教育」「福祉」「平等」等々について無批判に善と決めつけ、その偏見に乗っかって議論するのはやめていただきたいと常々思っております。規模が小さいので目立ちませんが、地方自治体のすることにそうした間違いをたくさん見かけます。それで頭のいい人達が善人面のお面をかぶりながら税金を間接的に食い物にしている。

せめて彼らが失敗する前に、きちんと発言しておきましょう。あとで「あれだけだめだと言ったのに」と言えるように。

>日本の場合は平等社会であり、どのような借手でも、同じ上限規制のもとで借入を行えるようにすべきで

ここまで言うのなら、それほど大切なことなら、いっそ全て国営にしてもれるところなくきちんと上限規制をかけてもらいたい、思うところを徹底的に実現してもらいたいと皮肉で思います。そうすれば間違いと責任の所在がはっきりしますからね。

仮に移民の少ない平等社会であっても、資本主義の論理に逆行してはダメです。いずれ破綻して、結局無駄な出費だったということになるだけだからです。国ですら資本主義の論理には勝てないし、現に負けた国があるのに、この国は何回負ければわかるのでしょうか。ゆとり教育についても、大人になってからの潜在的な競争の相手が海外にいる以上、資本主義の論理・競争の不可避性を無視できません。潜在的な競争相手が海外にいるのであれば、47thさんが前のエントリでご指摘の通りで日本人にだけ特権的な政策を実施したところで、いずれ無意味にされます。

Posted by bun : 2006年08月14日 20:49

ちょうど本日、下記の報道が出ていましたので、お書きします。
(既にご存知かもしれませんが..)

<消費者金融>10社借り手に生命保険 死亡時受け取り人に
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060815k0000m040107000c.html

私は、上記のニュースを読んだ時は、事例の生々しさから
[現状の消費者金融=悪者]なので「とにかく何らかの対策を早急にしないと」
と考えました。(~単純な悪玉成敗論です..)

その後、当エントリーや過去エントリーを拝見して
・「取立規制強化」(過剰取立ての阻止)と「価格規制」は、区別が必要。
・いったん規制になると 今後にわたり広範囲に影響するので、冷静に議論すべき
(極端な例を抑えようとして第三者への副作用が大きくなる規制は、避けるべき)
という事を、改めて思い出しました。

まだ、どこまで冷静に考えられているか自信ありませんが..
やはり、現在は極力早急な対策が必要な状況であるように思えます。

結論を急ぐあまり、拙速な議論・短絡的な結論となるのは確かに避けるべきです。
が、
『「現状の問題点」と「対する手段」を分析し、極力早い措置を講じて欲しい』
(或いは、既に既存対策でカバー出来るものなら、必要な人に届くよう周知して欲しい)
と思う次第です。(具体性のない結論ですみません)

Posted by vabo : 2006年08月15日 01:59

bunさんと全く同じことを書こうと思っていました。

目的を達成しようとしても手段を間違えれば逆の結果が得られることを「ゆとり教育」で学んだはずなのに、人々はいつになったら応用が利くようになるのでしょうか。

Posted by night_in_tunisia : 2006年08月15日 06:19

>bunさん、night in tunisiaさん
私が自分の仕事と直接関係しないし、むしろ金利規制を強く主張している弁護士の先生方には個人的な恩義もあるのに、上限金利問題にこだわらずにいられないのは、ここに日本の政策立案過程が抱えている共通の問題を見ているからなのかも知れません。
願望と現実の混同、手段と目的の混同、客観性・合理性の欠如、結果の評価・フィードバック・責任の欠如・・・
bunさんの仰るとおり、今できるのは、きちんと発言しておくことだけですが、こうした声の積み重ねで少しずつ将来の政策立案過程に変化が生じることを期待したいですね。
>vaboさん
仰るとおり、現状の消費者金融のあり方には色々な問題があると思いますし、特に手段的なところでの問題については民事不介入原則(警察は民事的な事件には関わりたがらないので、取立を巡るトラブルへの関与に消極的)と訴訟のハードルの高さ(アメリカではクラス・アクションという制度や懲罰的損害賠償という制度の下で違法行為を行った業者は民事的に巨額のペナルティを課される可能性があるのですが、日本ではこうした手段が非常に限定されています)があって実態と建前に乖離が生じていたところがあります。
ただ、こうした建前と実態との乖離というのは、法律を厳しくすればいいという話でもなく、法律をどうやって実際に機能させるかという大きな枠組みとも関連するところです。個人的には、そうしたところの理想と現実のギャップに目を向けた解消策を考えていかないと、単に業者を登録制にしたりというだけでは解決にならないのではないかとも思っているところです。
また、何れにせよ「借りるから問題が起きるのであって、借りられないようにすればいい」という発想の下での金利規制を正当化するのは、(これまでこのブログで色々書いてきたように)難しいのではないかと思っているところです。
また関連のエントリーを書くかも知れませんので、是非ご意見をお聞かせ下さい^^

Posted by 47th : 2006年08月15日 10:36

>日本の政策立案過程が抱えている共通の問題

はい。なぜそのような問題が生じるかというとひとことでいうと「議論して決める」のでなく「決めてしまってから、形式的な議論を足して公論に決した形にしてはいるが、実は結論はほとんど議論する前に決められたもののまま動かさない」というやり方をしているからですね。しかも最初に政策を決めてしまう人達が間違えないならいいのですが、このエントリでみなさんが仰るような、同じ間違いを繰り返しているのですね。いつも、政策を議論しているのか、不満分子を洗っているのか、よくわからない「議論」だといつも思っております。なぜ有力な反論が出ているというのにあれほどとりこまれないのかがわかりません。もったいないことこの上ない。私はあの「最初に政策が決まるところ」にいつメスが入るのかと思っていますが、何があってもここだけは動かないんですよ。

Posted by bun : 2006年08月15日 17:40

本筋から外れますが、サラ金の生命保険の話は全然悪い話ではないと思うんですよね。
葬式に取立が来るとか、3ヶ月と1日目に取立が来るとかの批判を反省して、サラ金がやったことなのに。サラ金が殺したのならいざしらず、自己破産などの道もあったのに、自殺して、それを保険のせいにするのはどうかと思う。
サラ金の生命保険で恩恵を被っている人も多いのに、今後はなくなるのでしょうか。
団体A契約(会社が従業員にかける生命保険)もマスコミから叩かれましたね。
保険については筋違いな話が多いように思います。

Posted by オオタ : 2006年08月16日 00:12

>bunさん

そうですね。昔、予め事務局で定めた線に結論を落とすために審議会の人選やスケジュール、議論のアジェンダをまとめあげる調整能力が能力だと仰っている官僚の方がいらっしゃいました。
これが全ての官僚の方にあてはまるとは思いませんが、日本のように誰も意思決定の責任をとりたがらない社会では、そういう能力が求められる場面があることも確かなのでしょうが、それをやってはいけない領域もたくさんあるはずなんですよね。

>オオタさん

生保の問題も、純粋な経済的な発想に基づくリスク分担のところと、かかっているステークが生命であるというところでの難しさが錯綜する領域ですよね。

Posted by 47th : 2006年08月16日 09:56

bunさんがゆとり教育の例を出しておられますが、卓見であると思います。
ただ、敢えて間違っているという見方もできるかもしれません。
その先にあるのは形式的な平等と、実は実質的な平等という名の階層化なのかもしれないと最近思うようになりつつあります。
保険の件は、ガンにかかったら住宅ローンは払う必要はありませんという銀行の住宅ローンとの差がどの程度あり、どの程度社会的に認めがたいのかという議論をしてみる方はあまりいないようですね、最近(^^;)。
そろそろちゃんとエントリーの形で書かないといけないなあと思いつつ・・・遅いコメントごめんなさい。

Posted by ろじゃあ : 2006年08月21日 09:43

>ろじゃあさん
敢えて間違っている方々というのが、その先に何を持ってこようとしているのかですよね。多分。
一方では格差社会化を懸念しながら、自己責任を強調し、福祉問題を忌避しているわけで、私には、この動きはコインの両面のような気もしています。
ろじゃあさんの切り込みも楽しみにしています^^

Posted by 47th : 2006年08月21日 13:11

 
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