CBは「特異点」?

SOの費用認識はCBを殺すか?」というエントリーで会社法勘のリハビリをかねてつっこんでみたところ、磯崎さんから「会社法下の転換社債と「裸の特異点」」という鋭い切り返しを頂きました。

「誰も入ったことのない洞窟」を一人で探検するのは心細いので、ツッコミ大歓迎であります。

と仰っていただいたので、引き続き、ツッコミをして、「一括法は滅び行くごとが運命付けられているのか?」ということを考えてみる・・・前に、「一括法」は「特異点」という磯崎さんの指摘に対して、ちょっと抵抗(?)しておこうかと思います。

磯崎さんは、会社法下でSOの費用認識が必要になったことをもって、次のように述べられています。

つまり、会社法による大きな転換は「オプションの公正価額は算定できるのが前提」ということであり、今や(この5月以降)、新株予約権の価額を会計上計上しなくていいのは、「転換社債」の要件を満たす場合だけであって、数学っぽく書くと、下図のように、(特に公開企業の場合)この部分だけが唯一の「特異点」になっているように思えます。

この後に続くブラックホールの話には、悲しいことについていけなかったので、ここでは「特異点」というのは、「一人だけ変わった奴」という意味合いぐらいで考えてみますが、「特異点」かどうかというのは、結局、母集団をどう捉えるかという問題によって変わってくるので、母集団と分類軸についてコンセンサスがないと、CBを「特異点」扱いすることはできないはずです・・・で、この母集団と分類軸については、磯崎さんが暗黙に仮定している定義に対して、次の疑問が即座に思い浮かびます。

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「発見的バイアス」(heuristic bias)にご注意を

昨日のエントリーでheuristic bias(「発見的バイアス」という訳になるんですかね?何かしっくりこないものがあるんですが)には注意しないといけないという話をした後で、何か具体例を出して説明した方がいいかなと思っていたんですが、丁度いいものが。(下線は引用者付加)

経財・金融相「デフレ、デフレと大騒ぎする状況でない」(NIKKEI NET)

与謝野馨経済財政・金融担当相は、30日午後の参院財政金融委員会で、景気の現状について、好調な企業業績などに触れ「デフレ、デフレと大騒ぎする状況ではない」との認識を示した。
現状については、「役所の定義ではまだデフレだが、私の生活実感とは違う」とするとともに、生鮮品や原油価格の上昇に触れ、「物価が下落していると感じている生活者はほとんどいない」と述べ、実質的にはデフレを脱しているとの認識をにじませた。

客観的な統計データよりも、「生活実感」が優先されてしまうということのようです・・・が、大臣と同じレベルの生活実感を持てる方は、国民の中でどれぐらいあるのかということが問題なわけです。
こういうときに「生活実感」に関する意見を聞いてみたいのは、タクシーの運転手さんです、が、これは何故かというと、一日中街中を走り回り人の動きに注目して、いろんな属性の乗車客の話を聞いているという意味で「生活実感」とはいっても、元になるデータベースの広さが違うわけです。
それでも、「地域」という限界はあるので、(多分)東京のタクシーの運転手さんに大阪の景気について聞いても信頼できる答えは返ってこないでしょうし、その逆も然りではないか、と。

ところで、物価上昇ということで言っているのが「生鮮食品」と「原油」・・・って、どちらも個別の財において供給が逼迫している財ですよね?
それは、マイカー通勤者にとっては原油価格が短期間で数十%あがったら、「生活実感」としてはインフレ状態ですけど・・・何だかなぁ・・・

阪急TOB・・・しかし、対決姿勢は変わらず

阪神電鉄を巡る攻防については、昨年のニッポン放送とは別の意味で色々と面白い・・・というか、何かよく分からないことが起きますねぇ。

日本では、きっと報道も凄いのでしょうが、とりあえず、私の方では、現状の整理をしておこうかと思います。

阪神・阪急のプレス・リリース

まずスタート・ポイントになるのは、5月29日付の「阪急ホールディングス株式会社と阪神電気鉄道株式会社の株式交換による経営統合ならびに公開買付けの実施に関するお知らせ」(pdf)ということになります。

色々と興味深い点は多いんですが、まず気になったのは「経営統合の目的」の中に入っている次の部分(下線は引用者付加)。

上記に基づき、阪急ホールディングスは、阪神電気鉄道の特定の大株主にご賛同いただき、一定の資本関係 を構築し、阪神電気鉄道との経営統合を円滑に実現するために本公開買付けを行うことを決定するとともに、阪 神電気鉄道との間で、本公開買付けの成立を条件として、両社の定時株主総会において承認が得られた場合に は、平成18 年10 月1日を株式交換の効力発生日として、株式交換の方法により阪神電気鉄道を阪急ホールディングスの株式交換完全子会社とすること等を内容とする契約を締結しました。

これを読むと、「特定の大株主」さん(笑)にもうご賛同頂いたのかと思ったんですが、M&Aコンサルティングが同日付で公表している「阪神電鉄と阪急ホールディングスの統合について」(pdf)を見ると、どうもそうでもなさそうです。

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上限金利規制の論拠を考える:借り手のバイアス(1)

前回までは、サプライ・サイドの議論として、「消費者金融市場は競争的ではないので、上限金利規制をすべし」という議論に対して、①複数の市場成立の可能性を考えると単一的な上限金利規制にはなじまないこと、と、②仮に大手消費者金融業者で構成される市場に独占的競争状態が存在しているとしても、そこをターゲットに金利規制を導入することは、競争的に機能している可能性のあるそれよりも高金利での貸出を行う中小金融業者によって構成される隣接市場を壊滅させてしまうという点において望ましくないという議論を展開しました。

というわけで、次の根拠としてはデマンド・サイドの議論に着目をしてみたいと思います。
つまり、「デマンド・サイド(消費者側)は、放っておけば「無謀な」借入を行うので、これに歯止めをかけてやる(ある価格以上では買えないようにしてしまう)必要がある」という議論に関するものです。

この議論について、私が用いる枠組みは「行動経済学と法」という分野において論じられているものですが、比較的新しい分野ということもあり、また、個々の論点の位置付けを踏まえないとミスリーディングな記述となってしまう可能性があるので、まず非常に大きな議論の見取り図を用意したいと思います。

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SOの費用認識はCBを殺すか?

最近、実質、開発ネタと消費者金融ネタで、アイデンティティの喪失を感じ始めている私ですが、久々に磯崎さんの「会社法下の転換社債(「区分法」と「一括法」)」に対して、ツッコミを。

磯崎さんの問題意識は、いわゆる転換社債型新株予約権付株式については、負債部分とオプション部分を別個に計上する会計処理(区分法)ではなく、一体として負債として計上する処理(一括法)が認められていることに関してなのですが、両者の違いを具体的に指摘された上で次のように締めくくられています。

なぜストックオプションを費用化する会計基準が施行されても、転換社債にだけオプションバリューを認識しない「一括法」が認められる会計基準になっているのか。なぜ、ストックオプション会計基準では、どういう処理にするかのカンカンガクガクの検討の過程が非常に多くのボリュームを割いて説明されているのに、社債の処理では、
(以下引用部分)
金融商品会計意見書の考え方は、以前の転換社債と経済的実質が同一である会社法に基づき発行された転換社債型新株予約権付社債の会計処理にも適用することが可能と考えられるため、発行者側については、以前の転換社債と同様に、一括法と区分法のいずれの方法も認められることとし
(引用終了)
と、数行で片付けてしまっているのか?
これは、「区分法」の強制により、転換社債市場が消滅すること(サードインパクト)を恐れる何者かによるインボー「大人の事情」によるものなんでしょうか?

何か「大人の事情」の香りもしないわけではありませんが、そういう怖い世界には立ち入らずに私の方はあくまで理屈の世界として考えてみることにします。
というわけで、理屈の上で考えてみると、ストック・オプション(以下「SO」と略します)のオプション部分のバリューを適切に評価して認識する趣旨というのは、必ずしもCBを含むファイナンス目的のオプションの取扱いと結びつくものでもないんじゃないかという気もするところです。

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上限金利規制の論拠を考える:市場支配力(2)

消費者金融業界において業者側が市場支配力を有しているという場合に、まず最初の問題は、そもそも「市場」をどう画定するかという点です。

消費者金融市場のモザイク性

「市場」の切り分けの基準をどうするかは、それ自体深遠な問題ですので深入りは避けますが、大ざっぱにいえば、需要者(消費者)にとって合理的に切換が可能な範囲をまず見ることになります。
消費者金融の文脈でいえば、例えば、消費者金融会社が金利を上昇させた時に、消費者が銀行系無担保ローンに特段の支障なく切り替えられるのであれば、両者は同一の市場ということになりますし、そうではなく、消費者金融から借りている層は簡単には銀行系無担保ローンに乗り換えることができないということであれば、両者は異なる市場ということになります。

上の問い一つとっても、「イメージ」だけでは容易に答えの出ない問題であって、実際の消費者の行動や金利水準の変更に対する感応度を見ないと意味のある政策立案や司法判断は難しいということは分かるかと思いますが、思いつくだけでも、市場を決定する要素として、①顧客層のリスク関連属性、②人的・物的担保の有無、③融資目的制限の有無、④返済期間、⑤借入額といったものが思いつきます。
これに加えて、地理的な要素も無視できません。たとえ東京の貸金業者の金利が安いとしても、地方の消費者が東京の貸金業者にアクセスすることは、そもそも地方の消費者は東京の貸金業者の存在を知り得ないかも知れませんし、たとえ申込みができたとしても貸金業者の与信管理には地域的なノウハウがあるために借入を断ったり、金利に上乗せをするかも知れません。
他方で、全国展開している大手消費者金融については余り地域的な差はないかも知れません。

また、供給側の市場構造を眺めてみると、やはり一定の市場の分断が存在する可能性が示唆されます。

少なくとも、これまでのところは、①全国的に展開する大手消費者金融業者を中心としつつも、②大手消費者金融業者からの借入が不可能であったり、それでは不十分な層に対するクレジットを提供する地方を基盤とした多数の中小金融業者が存在し、③銀行と一定の取引を有する層に対しては都銀・地銀が無担保ローンを提供するという構造にあったように思われます。

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金利上限議論への若干の補足:馬車馬さんへのお返事

金利上限規制論について、馬車馬さんから「利息制限法を巡るあれこれ」というTBを頂き、内容が興味深かったので、私もちょっとコメントして議論させて頂きました。

で、最後に馬車馬さんが議論を次のように総括されているのですが、若干、私の感じていることとは違うところもあります。(以下、このエントリーで私がコメントしておきたい関心とは直接に関連しない部分は省略していますし、これまでの流れがあるので、そちらも是非ご覧頂きたいのですが、とりあえずこのブログだけご覧になっている方の便宜のためということで)

47thさんやnight in tunisiaさんが依拠しておられるモデルの(私にとっての)最大の問題点は、モデルに取立行動のメカニズムが全く存在していない点にあるように思います。そもそも、今回の議論の根幹には(私の勘違いでなければ)貸金業者による過剰な取立の問題があり、それに対して47thさんは金利規制より取立規制(事後規制・手段規制)で対処すべき、と主張されています。
であるなら、「そもそもなぜ(過剰な)取立が発生し、それがどのように経済に(welfareに)影響を及ぼしているか」がモデルの中に組み込まれていないのは問題ではないでしょうか。最初の方で頂いたコメントで「取立規制は厚生損失を伴わないので望ましい」とおっしゃられましたが、モデルに取立が含まれていないのですからそうなるのは当然です(逆に、取立が更に苛烈になったところで一切厚生損失はないわけです)。つまり、「厚生損失を伴わない」というのはモデルから得られる結論ではなく、単にあらかじめそう仮定しました、と宣言しているに過ぎないのです。
ちなみに、私のモデル(というほど大層なものでは有りませんが)にも問題があります。・・・つまり、私のモデルでは「なぜ簀巻きで東京湾がいけないか」は説明できません。とにかくそれはまずいよね、という価値観さえ共有できていれば、私のモデルは機能します。一方で、取立がそもそも存在しないモデルでは、「取立はただの借り手いじめであり、そうすべき理由もなければ、それによる貸し手借り手の行動に対する影響も無視できるほど小さい」という理解を共有せねばなりません。

まず、最初に細かいところで恐縮なんですが、本人的には「取立規制は厚生損失を伴わないので望ましい」と言ったつもりはなく、次のように申し上げただけです。

一律事前規制は返済可能な人に対するクレジット・アクセスも閉ざしてしまうい不可避的に厚生損失を伴う点で、事後規制や手段規制に劣るというところにあります。

(タイポ発見(汗)・・・まあ、それはともかく)紛らわしい書き方かも知れませんが、このコメントは、論理的には一律事後規制以外の規制が厚生損失を伴うかどうかは何も言っていないわけで・・・私のインプリケーションは「少なくとも一律事後規制よりは手段規制の方が厚生損失発生の可能性と規模は(遙かに)少ない」という程度で、流石の私でも「取立規制は厚生損失は生じない」なんて大胆な主張はいたしません。はい。

まあ、言葉のあやといえば言葉のあやなんですが、やっぱり全く非現実的な仮定を置いて議論しているかのように言われてしまうの気になるので、一応・・・ただ、私が、厚生損失という点において、取立規制の方が価格規制よりも望ましいと考えていることは全く否定するつもりはありません。

その上で、馬車馬さんは、「簀巻きで東京湾はまずいよね」という価値観さえ共有できれば、ご自身のモデルは機能すると仰いますが、その価値観が共有されても、なぜ「取立規制」よりも「価格規制」が望ましいということは導かれないんじゃないでしょうか?
「簀巻きで東京湾はまずいから取立規制を強化しよう」という議論も、同じ程度には成り立ちますよね。

むしろ、馬車馬さんとの立ち位置の違いは、やっぱり、規制手法として「取立規制」と「価格規制」のどちらが望ましいと考えるのか、というところに集約されてしまうんではないでしょうか。

馬車馬さんは、「取立規制強化」と「価格規制」は同視できると仰るのですが、やはり私なんかにとっては、この政策選択の問題こそが本質的なところがあって、今回の流れが「価格規制」でなければ、それほど強く反対する理由はなかったように思います。 

この辺りについては、おそらく、bewaadさんの次回のリジョインダーで語られると思いますので、ここでは深入りを避けますが、私自身も、今同時並行でやっているデマンド・サイドの議論の中でも価格規制のようなStrong Paternalismを忌避するのには十分な理由があることは触れる予定です。

最後に、過剰取立の要因については、若干中途半端に終わっているのですが、私自身も既に考えたことがありますので、ご参照いただければ幸いです。

ただ、これらは「何らかの規制が必要か?」という問いにはつながりますが、政策選択として価格規制が望ましいということをサポートするものではないというのが私の考えです。

最後に、色々と申し上げましたが、馬車馬さんには、私の長いコメントにもいやな素振りも見せずに丁寧な返事を頂き、おかげで私自身の考えや立ち位置を確認する上でも非常に役立ちました。上限金利関係は、(何故か)このブログのメイン・トピックの一つになりつつあるので、これに懲りずに今後ともたまにおつきあい頂ければ幸いです。

メモ:投資ファンドによる買収と労使関係

こちらははぐれバンカーさん経由の情報です。

厚生労働省は投資ファンドに対し、買収した企業の労働条件にも一定の責任を持つよう、新しいルールを設ける方針だ。投資ファンドが買収企業の人員削減や賃 下げを求めた場合、従業員側が投資ファンドと直接、交渉できる仕組みなどを整える。投資ファンドによる企業買収が相次ぐなか、被買収企業の労働条件が著し く悪化しないようにする仕組みが必要だと判断した。(NIKKEI NET 5/22/06)

3月末には報告書のたたき台が公表されているのですが、このたたき台の範囲では「仕組みを整える」というニュアンスとは若干異なる印象を受けます。

要は団体交渉当事者としての「使用者性」が投資ファンドに認められるかということであり、「基本的な労働条件等について、雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実的かつ具体的に支配、決定することができる地位」にあるかどうかをケース・バイ・ケースで見るという以上のことは言っていないように見えるのですが、最終報告書はここから更に踏み出すということなんでしょうか。

何れにせよ注目ですが、実際のM&Aの契約では、支配権移転後の雇用確保などについても規定されることが多いのですが、こうした実際のM&A で用いられている規律について労働法上どのように取り扱われるかはよく分かりません。

今回の研究会の委員は、学者の方たちだけで、実際にM&Aに携わっている法律家やファンド、あるいは、組合代表者は委員に入っていません。もちろん、ヒアリングはなされていますし、委員の方々は実務にも通じていると思われるのですが、ヒアリングの焦点や問題関心の設定自体に実務家の視点が入りにくいという構造には若干気になる部分が残るのは偽らざるところです。

まあ、とりあえず、最終報告書に注目しましょう。

メモ:METI「競争政策研究会報告書」公表

ろじゃあさんのところ経由で知った話ですが、経済産業省から「競争政策研究会報告書」というものが公表されています。

とりあえず備忘までなんですが、概要をみる限りは、非常に荒っぽく言ってしまうと「(日本国内ではなく)海外における日本企業のシェアを確保するために、独禁法の企業結合審査基準を緩和せよ」という主張のようです。

何となく在りし日の産業政策論のリバイバルのような香りがしないわけではないのですが、これだけ見ると「日本国内の競争確保と消費者保護」を主目的とする独禁法のあり方とは、根本的な発想において相当の差があるわけで公正取引委員会がどう反応するのか非常に興味深いところです。

上限金利規制の論拠を考える:市場支配力(1)

さて、テスト期間中放置していた上限金利規制絡みのお話ですが、ぼちぼちと再開してみましょう。

まず最初にボトム・ラインの確認ですが、「上限金利規制に反対する」ということは、「消費者金融業者の活動を放任する」ということとは全く異なります。例えば、過剰取立規制を強めることや、事前説明・書面交付を義務づけること、あるいは、広告宣伝活動の規制については、(多分)後で述べるような理由に基づいて十分な合理性があると思っています。

こうした手段規制については経済学的な発想をする人の中でも意見は十分に分かれ得ると思いますが、「金利規制」という「価格規制」になると、経済学的な発想をする人のほとんどは反対するのではないかと思います。

「価格規制」がそんなに悪いのかという点について疑問を持たれる方は、まずはつれ数さんのこのエントリーを読んで復習をしておきましょう。その上で、消費者金融業者の提供する金利には、①調達金利部分、②(真の)貸出リスク・プレミアム、③金融仲介サービス部分の3つの構成要素があり、企業金融と違って、消費者金融においては、情報の非対称性、貸出ロットの少なさ、貸出期間の短さから③の部分が重要になっているという点については、「貸金業者が売っているものは何なのか?」辺りをご覧頂きましょう。

こうした辺りを一応理解した上で、なお取立規制や貸出手段規制ではなく上限金利規制を支持するとすれば、その主張は次の二つに集約されるのではないかという気がしています。

  • サプライ・サイド(消費者金融各社)は「暴利」を貪っているので、上限金利(価格)規制が必要である。
  • デマンド・サイド(消費者側)は、放っておけば「無謀な」借入を行うので、これに歯止めをかけてやる(ある価格以上では買えないようにしてしまう)必要がある。

あくまで経済学の基本的なロジックを押さえた上で、それに適切な批判がなされるのであれば、こうした議論は有益なものとなり得るわけです。
そもそも、私が一連のエントリーを立てた趣旨は、ア・プリ・オリに消費者金融の「現状」を擁護するためではありません。
これらのエントリーは、一つの頭の体操として、「望ましい法政策パッケージに至るために考えなくてはいけない要素とは何か?」ということを考えるためのものですので、教科書的な市場規律が働いているのかどうか?、働いていないとすれば、どのような法政策が用いられるべきか?という疑問は当然にわき出てくるものです。

・・・というわけで、まず、サプライ・サイドの問題から検討を始めてみましょう。

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SEC不要論

薬物規制撤廃を訴えるLibertarian EconomistのJefferey Mironが、今度はSEC(証券取引委員会)不要論を訴えています。

A better approach to reducing corporate malfeasance is a combination of two policy changes: repealing the corporate income tax and eliminating the Securities and Exchange Commission.

Repealing the corporate income tax would make corporate accounting far more transparent since most complications arise from (legal) tax avoidance behavior.

Eliminating the SEC would make investors bear full responsibility for monitoring corporate behavior. This occurs to a substantial degree already, since the SEC cannot effectively monitor all the firms subjects to its regulations. But eliminating the SEC would spur additional private monitoring and strenghten investor incentives to engage in due diligence.

要するにSECをなくすことによって、投資家はよりリスクに対して敏感になって、もっとちゃんと監視やデュー・ディリジェンスをやるので、問題はなくなると。

これには後日談があって、マンキュー先生が、「まあ、それを言ったら警察も要らなくなるやね」とちくりとやったら、かなり大まじめに、「いや、普通の犯罪と違って、証券犯罪の場合、投資家は自ら契約関係に入っているという点で決定的に違う」と言い返していたりします。

本気で賛成するかどうかはともかくとして思考実験としては、こういう議論は面白いところです。

Mironの主張は、単に刑事訴追を不要と言っているのか、それとも開示の程度・内容も投資家と会社の私的自治に委ねる(=法定開示制度を撤廃する)というところまで主張するのか、今ひとつ分からないところがあるんですが、Mironの元記事はSOX404自体が過剰規制じゃないかという主張から始まっているので、単に非犯罪化(decriminarization)というに留まらず、そもそもSECが規則を制定する必要はない、つまり法定開示制度は不必要という方向まで行き着くんでしょうね。

そうすると普通の犯罪とのアナロジーでいけば、何を犯罪とするかについても、私人間の契約で定めるのが望ましいということになるわけですが・・・皆さんは、どう思います?

大野健一「市場移行戦略」

今回の旅行中に読んだもう1冊は、大野健一「市場移行戦略―新経済体制の創造と日本の知的支援」(1996)です。

これは、以前梶ピエール先生に教えて頂いた本で、「開発援助の社会学」と並んで試験が終わったら真っ先に読もうと思っていた本の一つで、これまた大当たりでした。

L&Dの授業でDevelopmental Stateについて学んだときには、日本をはじめとした東アジア政府の能力を賛美する一方で、「こうした優れた政府は他の地域には存在しないので、東アジアのモデルを一般的に適用することはできない」と結論において切り捨てる議論に、何だかしっくりこないものを感じていました。

大野先生のこの本では、市場を持たない途上国が市場化経済に移行するにあたっては、東アジア諸国の政府が試みたような市場経済の「育成」が必要という基本認識の下に、日本モデルの利点と並んで、その限界と将来的な適用にあたっての前提条件、派生的な示唆が書かれます。

「日本モデル」の移植は決して簡単な話ではありませんが、さりとて、簡単に切り捨てられるべき性質のものでもないわけで、西欧のエコノミストによる「褒め殺し」ではなく、こうした地に足の着いた分析こそもっと求められるべき性質のものですし、こうした分析は今後の日本の経済が向かっていく方向を考えていく上でも非常に示唆に富むものです。

勿論、読んだ後で、いくつか疑問も湧き上がってくるわけです。例えば、日本モデルの中心として採りあげられているのは、やはり戦後の驚異的な復興ですが、個人的には、明治維新後太平洋戦争前の政府による経済政策や財閥のような強力な民間プレイヤーの形成こそが、日本の「市場化」の大きな原動力であった可能性があり、その時期の日本モデルの方が今の途上国が抱えている問題と親和性があるように思われます。更にいえば、明治維新以前から、日本では士農工商の身分制の上では最下位に措かれながらも民間プレイヤーはかなり大きなプレゼンスを持っていたわけで、その辺りの社会構造と市場化との親和性も存在していたのではないかという印象を持っています。そうした戦前における政府や、あるいは民間プレイヤーの側の前提条件について、もう少し掘り下げて欲しかったような気がする・・・と、思っていたら、大野先生は近著で「途上国ニッポンの歩み―江戸から平成までの経済発展」という本を書かれているようです。

まあ、私程度が思いつくことは、既に専門家は考えておられるということで、今度はこちらを読んでみたいと思います。

もう一つは、日本の政府は、どのような面で「賢く」、そして何故に賢かったのかという点にもやもやが残るという点です。
「結果」としてみれば、日本の政府は「うまく」立ち回ったことは事実としても、それは朝鮮戦争特需や東西対立構造といった外生的な追い風に乗ったというだけなのか、それとも、それ以上に特殊なノウハウを持っていたのか、もしそうしたノウハウがあったとすれば、それはどのようなものなのだったのかという辺りです。

これは、もう少し個別の産業政策のあり方に関わってくるのかも知れませんが、具体的に日本モデルを途上国の発展に適用していこうとする段階ではやはりもう少しつめて考えないといけない問題ではないかという気がします。
もっとも、これは民間プレイヤー側のガバナンスのあり方や競争法政策とも密接に関連してくるところでしょうから、人任せというのではなく、自分でも勉強すべきところなんでしょうが。

何れにせよ、西欧中心の開発の流れの中で日本人だからこそ見えることがあるという自信を持たせてくれる一冊です。

佐藤寛「開発援助の社会学」

今回の旅行では、日程がハードすぎて結局行き帰りの飛行機の中でしか本を読む時間がなく、2冊しか本を読めなかったんですが、そのうち1冊が佐藤寛「開発援助の社会学」です。

まず、一言でいうと、非常に素晴らしい教科書でした。

何が素晴らしいかというと・・・

まず、概念と基本的な枠組みを丁寧に辿りながら、開発の過程で生じる問題の位置付けを明らかにしながら分析を行っている点です。
余りにも思い入れが強かったり、知識量があったりすると、自分の関心のあるところにエネルギーを注ぎたいがために、前提となる知識や枠組みについて読者は知っているものと仮定して話を進めてしまいがちなのですが、この本では、社会学素人がすんなりと読めるように非常に丁寧かつ簡潔に概念の整理とフレームワークが提示されています。

そして、そうして提起された問題について、理論面と実際のプロジェクトでの経験の両面から分析検証を行っているところです。
これが社会学の王道なのかはよく分からないのですが、理論面では、援助側・被援助側双方のインセンティブに注目をしている辺りは、(ミクロ)経済学的なアプローチからも親近感を覚えるところです。更に、それに対する著者自身の豊富なフィールドワークに裏づけられた洞察は、理論と現実の架橋という観点からも非常に興味深いものでした。

一例をあげれば、森林資源の保護には単にドナーが資金を供与するだけではなく、地元の人間にいかに適切なインセンティブを付与するかが重要であるという話の後に、日本が援助したフィリピンにおける国有地の植林プロジェクトの具体例をあげます。このプロジェクトでは、植林事業に近隣の村の男たちを雇用することで、森林資源回復に対するインセンティブを与えることを企図していました。ところが、当初は極めて順調にいっていたプロジェクトが終盤に近づくと山火事が頻発し始めます。何故かといえば、プロジェクト終了によって職を失うことを畏れた地元住民たちが放火したのではないかというわけです。この話の他にもいくつかの具体例をあげながら、「適切なインセンティブ」を与えることが決して簡単な話ではないことを論じるわけです。

そして、何よりも私が好感を持ったのは、著者の学問的な誠実さです。現状のプロジェクトの問題点を単にあげつらうわけでもなく、かといって現状を正当化するわけでもなく、理論と実践から明らかになった問題点に誠実に向き合い、検討すべき課題を提示する・・・そして、Silver Bulletなど存在しないという当たり前ながら直視したくない現実に目を開かせてくれる・・・「教科書」とは本来こういうものであるべきなんでしょうね。

・・・というわけで、私は非常に興味深く読むことができましたし、この分野に興味のある方で未読の方には是非お薦めいたします

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帰ってきました。

6泊7日、総走行距離約1600kmの旅より、先ほど帰ってきました。

1日目は昼頃SFに到着して、アルカトラズ島を巡ったり、Golden Gate Bridgeを観光。

2日目はBerkleyで、ブログを通じて知遇を得たいとうY先生とお会いして、「紅茶」に絶対的なこだわりを持つロシア人の経営する素敵なカフェに案内してもらい、何故か「コーヒー」をすすりつつ(でも、これもうまかった)、色々とお話をお伺いしました。
東西の学問的な雰囲気の違いの話なども非常に興味深く、あっという間に時間が過ぎてしまい・・・Berkleyを出発したのは3時半頃。
それから、ひたすら車を南に走らせ、Sequoia & Kings Canyon National Parksの南側ゲートの近く、Three Riversのモーテルに到着したのは9時半。

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旅に出ています。


というわけで、ネット接続環境が不確実なので、頂いたコメントへの対応が遅れるかも知れませんが、何卒ご了承のほどを。

ところで、ここはどこでしょう?
(答えは追記へ)

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中央青山への処分の「重さ」の?

ようやく試験も終わり、そのまま試験の結果も出ていないのに見込み卒業式まで終わってしまっているんですが、何か緊張の糸がゆるんで、すっかりだらけてしまっています。

というわけで、中央青山の業務停止命令については、噂段階でちらっと触れて以後、きちんとフォローしていなかったんですが、その後以下のように金融庁の処分が下っています。

 平成18年5月10日金融庁「監査法人及び公認会計士の懲戒処分について

で、これについて印象を・・・とも思ったんですが、実は正直いって、次の処分の「重さ」をどう考えていいのかがよく分からないところがあります。

(2)処分内容

業務の一部停止2ヶ月(平成18年7月1日から平成18年8月31日まで)
[停止する業務] 証券取引法監査及び会社法(商法特例法)監査(法令に基づき、会社法(商法特例法)に準じて実施される監査を含む。)。ただし、一定の監査業務を除外するものとする(詳細は別紙1)。

これについては、新聞報道などでは契約企業との契約をいったん解除しないといけないとか、この期間は法定監査対象企業に対するサービス提供は一切禁じられるいう感じのトーンも見られます。もしそうだとすると、実質的には、この処分の影響は2か月という短期の問題ではなく、一旦清算しろと言っているのと同じような意味合いになるんでしょうが・・・

ただ、金融庁処分の文言と別紙1の書きぶりを見ていると、ここで停止されているのは法令に直接基づいた行為、つまり「監査証明」に限られているような印象もあります。
特に、業務停止の例外として「6月決算会社」については「8月」だけが除外されていますが、私の理解しているところでは、監査実務の実際としては、決算期直後から現場レベルでは監査法人と会社の密接な連携というのはあるはずですし、それがないと3か月以内に計算書類をファイナライズするというのは難しいはずです。
とすると、6月決算会社について7月は業務停止の対象となっているというのは、こういう実務レベルでの活動まで禁じるという趣旨ではなく、「法律に基づいた監査証明を行うことができない」という意味合いになっているような気がします。この辺りは11月決算の半期報告書についても8月だけが処分の例外とされているのと同じところ・・・というわけで、もし仮に監査証明だけを意識しているのであれば、一見の厳しさとは裏腹に別紙1と合わせて考えると、実質的なダメージはほとんどないということになってしまいます。

もしそうだとすると、この「一見厳しいが、実務的には影響は限定的な処分」を、企業が監査法人の乗り換えをしようと思えばできる時期にやるというのは、絶妙のタイミングを狙った一手ということになります。

レピュテーションを意識し、かつ、監査法人変更を行うだけの余裕やシステム的なバックグラウンドのある企業は契約を解除するでしょうが、大部分の企業は中央青山がこの処分の意味合いと改善策をきちんと説明すれば残ってくれるだろうということであれば、バランス的には悪くない落としどころという気はします。

何れにせよ、その意味で金融庁による短い処分文言をどう解釈するかによって、この処分の「重さ」は全く変わってくるような気がするんですが、何せ情報が不足しているんで・・・この辺り、どなたかご存じの方がいらっしゃれば教えて頂けると幸いです。

何れにせよ、今回の処分は、今後の監査法人への行政・刑事的処分設計を考える上で試金石となるケースのはずですので、処分側が事前にどの程度の「重さ」を想定していたのか、実際の影響との間に大きなズレは生じなかったか、生じたとすればその要因は何だったのかといった辺りの政策評価の視点からのフォローアップがきちんとなされるとよいのですが・・・諸外国との比較も含めて、この辺りを実証的に分析するのは、大学院レベルでのいいペーパーのネタにもなりそうなところですよね(・・・と、誰かがやってくれないかと期待してみたりする)

へとへと・・・だけど、50万アクセス御礼

とりあえず、昨日で試験期間は終わったんですが、ゼミのペーパーがまだ終わらずに苦しんでいます。
こんなことなら、いっそDrop(登録取消)しておけばよかったと思っても、あとの祭り・・・今朝はワシントン・スクエアでNYU全学の卒業式が行われたようですが・・・私はといえば、うちにこもって、ひたすらペーパー執筆。

それも、何とか一段落ついて、あとはもう一度集めた文献を見直して、本文の記述修正をすれば、何とか明日までには出せそうです。

というわけで、私にしては珍しくブログを書いている余裕もなかったんですが、その間に何と50万アクセスを記録したようです。

ロースクール卒業とほぼ同時に50万アクセスというのも、何だか感慨深いものがあるところです。

・・・ということは、私の気軽なNY暮らしも先は長くないということでもあり、このブログをどうするかというのも、それはそれでぼちぼちと考えていかないといけないんですよね。

何れにせよ、一つだけ確実なのは、帰国して仕事に戻った場合、ブログを続けるとしても、仕事に関連する(しそうな)テーマは扱わないということです。
いや、だって、何が風説の流布になるか分からないご時世ですから、本人は全くそんな気がないのに、現役の弁護士がこんなところで思わせぶりなことを書いていたとかいわれてしまっても困るんで(笑)

このブログでいうと、M&AとかCorporate Governanceとか、況やTakeover Defenseなんて話題はもってのほかで、残るのはLaw & DevelopmentやらLaw & Economicsという、何かあんまり実用には役立たない辺りなんですかね。

まあ、最近、そういう話題の方がうけがいいようなんで、問題ないのかも知れませんけど^^

何れにせよ、今後とも皆様ご愛顧のほど、宜しくお願いいたします<(_ _)>

金融庁と中央青山の危機管理

風邪と花粉症のダブルパンチで頭痛がひどくて、明後日の締切までにエッセイとペーパーを書き終わるなんて、本当にできるのか、かなり不安です。
まあ、こういう気分は日本にいるときは珍しくなかったんですが、すっかり感が鈍っているんで不安です。

というわけで、ブログを書いている暇もあらばこそなんですが、やはり、相当話題になっているニュースについては、少しインプレッションを、というわけで、とりあえずNIKKEIの記事を。

金融庁は8日、中央青山監査法人に対し、カネボウの粉飾決算などで所属会計士の不正を未然に防ぐ内部管理体制に重大な不備があったとして、週内にも監査業務の一部停止命令を出す方針を固めた。期間は1―2カ月となる見込みで、すでに監査を担当している一部企業への監査業務も停止の対象となる。・・・
中央青山への処分は公認会計士の監査を公的な立場から審査する公認会計士・監査審査会に諮ったうえで正式決定する。同審査会は9日に開かれる予定。

この処分が、どの程度の影響を持つのかという話も興味深いといえば、興味深いんですが、こればっかりは処分の具体的内容を見ないと分かりませんし、日本の場合は、(良くも悪くも)個人の会計士の先生への信頼が大きい部分もあるので、ネットの影響というのはそれほど大きくならないかも知れないという気もしています。

むしろ、この記事を見たときの私の野次馬的関心は、「(9日の)公認会計士・監査審査会に諮ったうえで正式決定する」という部分。

neon98さんの記事を拝見すると、一時期は「全面業務停止」という報道もなされたようですし、審査会に諮る前に結論が決まっているような書きぶりになっているところからしても、金融庁としては意図しないリークだったという気がするんですが・・・これを見て思ったのは、当の中央青山は、事前にこの処分についてどの程度相談されていたのか、ということと、金融庁と(もし事前に知らされていたとすれば)中央青山は、今回のような情報のリークがあった場合の対処について、どういう具合に考えていたんだろうということです。

とりあえず、今金融庁と中央青山のHPを見たところでは、どちらもこの話題は触れていません・・・が、潜在的な影響の大きさを考えると、それなりの情報管理と危機管理は当然やっていなければならないはずです。
まあ、監査法人は上場していないので、個別に依頼者と連絡をとって理解を求めればいいのかも知れませんが、これが上場金融機関や顧客が一般人の場合には、かなりの混乱が起きそうな話です。

そういう意味では、こういう処分に際しては処分自体の内容もさることながら、余計な混乱を避けるためのソフト・ランディングのための手順というのは、やはり重要ですね・・・と、思ってアイフルの時はどうだったんだろうと振り返ってみると、4月10日の値の下がり方が若干気になるものの、11,12,13については滲み出しの徴候は(ぱっと見)見られないので、一般的には(当然ですが)相当に気を遣っているということではないかと。
ただ、情報というのはかなり意識的に管理していても、漏れるときは漏れますし、その漏れ方のせいでまとまるはずのディールが壊れることもあるんで、M&Aなんかでも終わりが近づくにつれ、こういうリスク・シナリオというのは重要になります。
今回の場合の、金融庁と中央青山の対応はネットからだけでは何とも分かりにくいんですが、個人的には、その辺りにも興味が湧きます。

最後に、また正式発表があってから考えたいとは思いますが、組織ぐるみの意図的な行為ではなかった場合に、内部統制体制の不備という理由で厳しい処分を下すべきかどうかについては、いろいろと考えるべきポイントがあるような気がします。特に、この場合の「あるべき監査水準」を余りに高く設定してしまうと、実質的に結果責任を負わせてしまうことになり、過度に監査法人が保守的になったりといったことも生じてしまいます。
世の中では、監査法人の責任を強めれば企業不祥事は解決するという見方もあるようですが、前例の乏しい金融取引や企業再編について「前例がないから」とか「会計基準にあてはまらないから」という理由だけでストップがかけられてしまうと、経済活動のダイナミズムは大きく損なわれます。
会社の場合は、それでもうまくいった場合の利益が大きければ「リスクをとっていきましょう」という話もありますが、監査法人にとっては、もらえる報酬は限度があるのに、万が一後で違法と言われた場合のリスクは「廃業」・・・という話になりますから、必要以上にコンサバになる理由はいくらでもあります。

アメリカやヨーロッパでも、第三者専門家をゲートキーパーとして使うことによって、過度の萎縮効果があることは十分に意識された上で、制度設計について議論がなされているわけですが・・・さて、日本の場合はどうなのか、今回の件は一つの試金石になるのかも知れませんね。

 

BLE:試験中

今日の昼ぐらいから24時間リミットのBehavioral Law & EconomicsのTake Home Exam(持ち帰り試験)をやってます。しかし、何か体調が悪くて、最初は今日も花粉症がひどいと思っていたんですが、どうも微熱もあって風邪のよう・・・せっかく、この冬は一度もダウンせずに乗り切ったのに、こんなところで出るとは、と、日頃の行いの悪さを痛感しつつ、アメリカの強力な市販薬で何とか抑えながら問題と格闘中。

全部で9問のところ、回答の骨子は作成終了。具体的なドラフトに落とすところまで、今晩中に済ませて、明日の午前中、見直しという段取りの予定ですが、ご興味のある方向けに過去問からピックアップ。(これからダウンロードする人もいるはずなんで、さすがに今回の問題のネタバレはまだやめておきます。)

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EU会社法・証券取引法の試験問題

昨日受けたHopt教授のEU Corporate Law & Securities Regulationは、2時間の制限時間で概ね次のような内容の問題でした。(括弧内は配点)

 

I.1. EU委員会が現時点でCorporate Law Action Planを見直すに当たって、あなたがそのカウンセルだとしたら(40%)

(a) 課題事項から落とすべきと思うものはどれか?

(b) 逆に、より力を注ぐべきと思うことはどれか?

I.2.、以下の問に簡潔に答えよ。(10%)

(a)ヨーロッパ会社(European Companu)は有用か?

(b)One-tier BoardとTwo-tier Boardのどちらが望ましいか?

 

II.1 以下の事例についてヨーロッパ法の観点から答えよ。(40%)

ヨーロッパの上場企業のCEOとCFOは米国上場企業に対する友好的公開買付けの交渉のために米国にわたっていたが、基本合意締結にこぎつけた。しかし、会社としての正式な承認のためには取締役会での承認を得なくてはならないため、その承認を得るために彼らは帰国の途についた。その途上で、彼らは自社の法務部門と大株主であるインベストメント・バンクのトップに電話をかけ、基本合意について合意が成立したことを伝えた。

(a) 彼らの行為は適法か?会社はどの時点で開示義務を負うか?噂が流れた場合はどうか?

(b) 電話会社の職員Aは、その電話の内容をたまたま聞くことができたため、当該会社の株式を即座に購入した。また、インベストメント・バンクは、当初、当該会社の株式を売却する予定であったが、その情報を聞いて売却をとりやめると共に、自社の顧客である機関投資家に対して当該会社の株式の購入を推奨した。彼らの行為はヨーロッパ法に違反するものか?

II.2 以下の問に簡潔に答えよ。(10%)

(a) 企業買収指令12条について、国際的企業買収に関して問題となる点は何か?

(b) ヨーロッパSECは設立されるべきか?

 

・・・というような内容で日本語なら2時間で何てことはないんですが、時間のプレッシャーがある中で英語で書こうとすると結構ぎりぎりで・・・書きやすいII.の方から始めたら最後の方はもうきつきつでした。

ちなみに、ドイツ人の悩みに共感を示さない私は、I.(a)の筆頭にEuropean Private Companyと並んで、最低資本金制度なんて、オフショア設立が認められるのであれば議論しても無駄で、もっと総合的に債権者保護を考えるべき、と、あっさり言ってしまいました。まあ、Hopt教授は、ドイツ人にしてはかなりリベラルで、ご本人が授業中に最低資本金制度について数年かけてStudyをやれと言われても、何やっていいかわからないと仰っていたのでOKだと信じているんですが。

阪神・村上氏の交渉と情報規制

ようやく一つインクラスのテストが終わって反動が来ていますが、明日ももう一つインクラスがあるんで気は抜けません。

テストの愚痴をぶちまけたいという欲望もあるんですが、ちょっと気になる記事が・・・

阪神・阪急経営統合案、村上氏側が提案…ファンド発表 (Yomiuri Online)

阪神電気鉄道の筆頭株主で、村上世彰氏が率いる投資ファンド(村上ファンド)は3日、インターネットのホームページを通じてコメントを発表し、「阪神と阪急ホールディングスとの統合案は今年2月以前に私どもから阪神に提案し、その際、阪神は拒絶した」と、折衝の内幕の一部を暴露した。
阪神は「4月まで、ある企業との経営統合を、盛んに当方に提案していた」ことも明らかにした。

そもそも、今回の件は大量保有報告書における目的の記載のあり方(どこまでなら「純投資」と言えるのか)とか、それへのサンクションという現行証券取引法における問題点を浮き彫りにしている点でも興味深いと思って見ていました。
つまり、最初は「純投資」ですよ、といって株を買いだしておきながら、やっぱり「経営支配だ」と居直られてしまうことを、どうやって防ぐのかというお話です。
まあ今回の場合は、そもそも45%もとった時点で、誰も本気でそう信じていないかも知れませんが、例えば、5%程度を取得した段階で、この買収者がどの程度まで株を買いますのか、とか、経営関与をしていくのか、という情報は、一般投資家にとっては投資判断において重要な情報ですよね。
大量保有報告書におけるミスリーディングな記載に対するサンクションについては、前から気になっているので、帰国前にはどこかで調べておきたいと思ってはいるんですが・・・おそらくアメリカでは大量保有報告書(Schedule 13(d))の不実記載も投資家による証券訴訟(10b-5)の対象となるリスクがあるので、買収者側も買収計画とか経営関与の意図についての開示を慎重にやっているということだと思うんですが、この辺りは何れどっかできちんとやるとして、今回のポイントは最後の「4月まで、ある企業との経営統合を、盛んに当方に提案していた」という辺りです。

M&Aコンサルティングからの5/3付けプレス・リリースを拝見すると、次のように書かれています。

そもそも、阪急との統合案は、本年2月以前から私どもから阪神電鉄に提案し、その際は阪神側 はこの提案を拒絶したものであります。そして、4月までは、ある企業との経営統合について盛んに 当方に対し提案していました。

日本の証券取引法上よく分からない、というか、余り想定されてこなかったのは、こうした買収者と対象企業との交渉における情報のやりとりや提案に関するインサイダー規制における取扱いです。

買収者と対象企業とが一定の合意に達するためには、ある程度交渉の機密性は求められます。
他方で、買収者と対象企業の交渉の行方は株価に大きな影響を与えますから、投資家としては、その情報を一刻も早く知りたいでしょう。また、もし、秘密にされている情報を何らかのルートで手に入れれば、その情報を使って株式市場で利益を得ることもできるでしょう。
更に、交渉の過程で対象企業が買収者に対して非公開の重要な経営情報を開示したり、あるいは、買収者がデュー・デリジェンスを行って非公開情報にアクセスすることができた場合に、もし買収者が依然として市場で自由に株式を売買できるとすれば、どうでしょう?

何も、この問題は買収者にだけかかってくるわけではありません。例えば、対象会社がホワイト・ナイトに対して非公開情報を開示して、それを下にホワイト・ナイトが市場で買い増しを進めたり、買収者からの株式の譲受を求めたとしたら・・・

買収に絡むこうした情報のやりとりと買収者・ホワイトナイトによる株の買い増し・売却には、本来、常にインサイダー規制との関係が問題になります。

この辺りは、インサイダー規制の原則論だけを振り回しても、妥当な結論が得られるわけではなく、また、平時における情報開示の程度とも関連して、非常にテクニカルな部分に踏み込んだ議論が必要になるのですが、これまで日本では買収が比較的少なかったこともあって、余り議論されてこなかった部分です。

買収防衛策の設計やTOBルールばかりに注目が集まっていますが、買収に絡む制度設計は、買収を取り巻く情報規制(買収者側及び対象会社の情報開示義務の内容、インサイダー規制、相場操縦規制)の設計と不可分一体のはずです。

この「2月以前から・・・提案し、その際阪神側は・・・拒絶した・・・そして、4月まで・・・当方に対して提案」という時期の書き方も味があるんですが、これまで日本の買収関連制度に問題を投げかけてきた村上氏が投じた大きな一石となるような予感もするところです。

樋口=坂野ペーパーの意味合いについて

いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」のまさくにさんが権威主義?それとも・・・というエントリーで、次のように指摘をされています。

金利上限引下げ問題の記事を書いていて、不思議に思うことがある。それは、「早稲田大学消費者金融サービス研究所」の出してるペーパーをある種の「証拠」として提示している人たちが、なぜその内容に何らの疑問を感じないのか、ということだ。・・・
・・・「金利上限引下げ論者は(提示されたようなペーパーに対して)論理的に有効な反論をしてから、引下げ論を言うべき」と批判している以上、彼らが論拠となし た「ペーパー」に関しては、十分信頼できると判断した理由というのが必ず存在するはずで、ペーパーへの反論に対しては論理的説明ができるはずだと思う。も しも、信頼できないということならば、当然そのペーパーの意見を自分の意見の論拠として採用しないからだ。
・・・なぜ「早稲田大学消費者金融サービス研究所」のペーパーを鵜呑みにするのか、ということです。鵜呑みという言い方は不適切かもしれませんが、彼らの論の展 開としては、土台の部分では件のペーパーがあってのものだからです。十分信頼できると考えるから採用する訳ですよね?その評価の源は何によるのか、という ことが謎なのです。単に権威主義的に「早稲田大学だから」というようなことで信頼するということでもないですよね?ならば、読み手の評価が必ず存在し、そ の時の評価とは「彼らが知っている経済学的理論」に十分適合したものであるはずなのです(それ故採用したわけで)。彼らは政策についても、「経済学的理論で評価するべき」と求める訳ですし。その「読み手の評価」というのがあるのであれば、素人に湧いてくるような程度のごく普通の疑問は、きっと説明可能なものであると思います。

まず、最初におことわりしておきますと、私自身を含めて金利上限引下げ反対について経済学的議論をしている人が「論拠」としているのは、早稲田ペーパーそのものではなく、経済学のごく基本的なロジックです。それは、磯崎さんのブログで早稲田ペーパーが紹介される以前から、私を含めて金利上限引下げ反対論者が主張していたことからも明らかだろうと思います。

・・・と、予防線を張っておくのは、どだい、どんなに慎重に設計され、注意深くなされた実証研究であっても、およそ現実の社会を相手にする経済学における計量分析については、けちをつけようと思えば、いくらでもけちをつける余地があるからです。

なので、「早稲田ペーパーに問題があるから、上限金利規制引下げ反対論の論拠は崩れた」という論法は不毛だからです。上限金利引下げ反対のロジックと非整合的な実証研究があれば、ロジックとの乖離を考えることに意味はありますが、たとえ、まさくにさんの議論が全て正しかったとしても、根本的な経済学のロジックにおいて金利引下げ規制が望ましくないという論拠が示されたことにはならないというところは、最初に確認させていただきたいと思います。

それでも、早稲田ペーパーは、現在入手可能なデータの範囲で最も包括的な分析を行っているものですので、その結果が、経済学のロジックと整合的であるということは、「経済学のロジック通りに世の中が動くとは限らない」と主張する方々に対しての一つの反証にはなるとは思っています。

その意味で、樋口=坂野ペーパーは、昨日のエントリーでも書いたように、個々の係数の解釈については異論を差し挟む余地もありますが、結論に関してはロジックの援用に使えると判断しているわけです・・・と、ようやく本題ですが、まさくにさんが「貸金業の上限金利問題~その9」で仰っていることについて、現在進行形で統計的分析をかじっている身として、少しフォローしてみたいと思います。

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樋口=坂野ペーパーのテクニカル面での?

(追記あり) 

bewaadさんが「グレーゾーン金利に関する見方について・中編:まさくにさんへのリジョインダー」という記事で、早稲田大学消費者金融サービス研究所の樋口大輔=坂野友昭「消費者金融顧客の自己破産ーその特徴と原因ー 」(pdf)について検討されています。

私も、この樋口=坂野ペーパーでやっているロジスティック回帰分析は気になっていて、以下の結論部分については、それなりに説得的だと思っているんですが、細かいところでは気になるところがちょこちょこあります。

本研究では、主要な関心を、①新規時における与信者による無理な貸付け、②貸付実行 後における与信者による追加的貸付け、③貸付実行後におけるライフイベントの発生とい う3 つの観点に据えて自己破産の原因を分析してきた。これまでに展開してきた分析の結 果は、自己破産の発生を説明する要因の中で最も発生原因を説明しうるのは、減収という ライフイベントであるということを示している。債務件数および額の増加という要因は確 かに無関係ではないが、説明力は限定的である。(p.22)

テストが終わってからゆっくりと、とも思っていたんですが、bewaadさんの尻馬にのって、テクニカルなところで気になっているところを少しメモしておきます。

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トリビア:Logistic RegressionのGoFはソフトによって違う

多分、統計学をやっている人には常識なんだろうと思うんですが、個人的には「へぇ」と思う話とちょっとした裏話があったのでメモしておきます。

Law Schoolの授業は既に終了し、試験期間にどっぷりと入っているのですが、Stern(ビジネス・スクール)は、まだ授業があり、聴講でとっているRegression and Multivariate Data Analysisは、来週まで授業があります。

この授業のおかげで、大分Minitabの使い方も覚えてきたんですが、昨日の授業でLogistic RegressionにおけるGoodnes-of-Fitの判定の際のアルゴリズムが統計パッケージによって違っていて、同じデータでもソフトによって全く違う値が出るという話がありました。

詳しくは、J.S.Simonoff, Logistic Regression, Categorical Predictors, and Goodness-of-Fit: It Depends on Who You Ask, 52 American Statistician 10 (1998)を見ていただきたいのですが、例えば、スペースシャトルのブースターをつなぐゴム製のリングの破損確率と打上日の気温との関係について次のようなデータセットがあったとしましょう。

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次の宿題?・・・規制薬物の合法化

消費者金融の上限規制、臓器売買とやっているうちに、既につれ数(night_in_tunisia)さんとTaejunさんがとりあげられていますが、マンキュー先生のブログで規制薬物の合法化のお話が出ています。

これまた、色々な論点がテンコ盛りな訳ですが、まずは無責任に情報を垂れ流して、問題提起だけ。

DRUG WAR CRIMESの作者J.A. Mironはブログもやっていて、そこにも関連記事が(ちなみに臓器売買とかEasterlyの本関係も発見)

しかし、このMironというのは、凄いリベラリストですね。
The Ten Worst Gorvenment Policyの1位がDrug Prohibitionで、2位がMedicare、3位がAntitrust Policyって・・・いや、ここまで来るとある意味立派かも知れませんが、その意気込みの割りにはAntitrust批判は、何かピントが外れている感じなのがイタイ。更には、外部性に基づく政府介入にも批判的で、要するに彼が望んでいるのは完全なレッセ・フェールということのような気が・・・

まあ、Mironの主張の行きすぎはひとまず措いておくとしても、規制薬物解禁論は経済学的に考えて、消費者金融の上限金利や臓器売買とどこが違うのか考えてみるのは、頭の体操として非常にいいのではないかという気がします。

なお、今のところの私のJUST印象は、マリファナ→△、ヘロイン、コカイン→×です。
この区別がどこから来るかについては、一応経済学的に説明付けられる理由がないわけではありません(そんなに確信があるわけではありませんが)。

上限金利規制と臓器売買で経済学と法規制との関係に興味を持たれた方は、是非、考えてみてください。
とりあえず、私の考えているキーワードは外部性と社会規範です。

では。 

Beckerが語る臓器移植論 (3・完)

(1) (2)とBeckerの臓器市場解禁論の根拠を見てきました。

仮に、臓器の「効率的な分配」を目標とするのであれば、臓器市場解禁論は非常に強力なように思えます。

簡単にまとめてみると・・・臓器売買が禁じられている現状においては、まず、(A)需要に対して絶対的な供給が少ないことから、(A1)臓器移植を受ければ助かったにもかかわらず、臓器移植が受けられずに死亡する人々がいる、あるいは、(A2)正規の臓器提供を待てない人々を相手とした闇市場が発展する(需要超過、価格情報がオープンではない等により闇市場の超過利潤は極めて高くなるので、闇市場参入のインセンティブが余計高まっているわけです)。
また、(B)ただでさえ過小供給の臓器について、適切な資源配分メカニズムが存在していないため、貴重な提供臓器の配分が効率的になされていない可能性があります。

これに対して、臓器売買市場が解禁されれば、(A')供給の増加によって、(A'1)臓器移植を受けられずに死亡する人々が減少する、更に、(A2')超過需要が減少するため闇市場への需要が縮小する(経済学的には、この因果関係はかなりrobustだと思うのですが、もし違っていたら教えてください)。
更に、(B')臓器の配分は価格シグナルを通じて行われるため、臓器移植により高い価値を認める人から臓器が提供されていくことが予想されます。(但し、これは初期の財産状態に依存する部分もあり、また、子供や老人よりも期待獲得収入の高い(ある程度の技能や地位を有した)人々に優先的に臓器が配分される結果となるので、素朴な公平感に合致することは保証されません)

以上からすると、臓器移植において生体とのマッチングが重要だとすると、売買される財は均一ではなく、少しずつ差別化されていることになりますので、そうした少しずつ差別化された財に関して効率的な取引を達成するための市場設計を工夫する必要はあるような気はしますが、「臓器の効率的な分配」を考えた場合に、「市場メカニズム」の導入は相当に説得的ではないかというのが私の意見です。

ただし、本当の悩みは「臓器の効率的な分配」を政策目標として据えていいのかという部分です。

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