JUSTICE Alito 誕生

Alito Is Confirmed for Supreme Court in 58-42 Vote (New York Times)

明日に備えてやらなければならないことが結構あるのでクリップだけですが、 Alito判事が米国の連邦最高裁判所判事(Justice)として承認されました。

まだ55歳の若さですので、先だって主任判事に就任したRobertsと共に、今後20年以上アメリカの司法界をリードしていくことになるのでしょうね・・・今のところは、それ以上の感慨はありませんが、数年後にふと、この時がアメリカの一つのターニング・ポイントだったと思い返す日が来るのかも知れません・・・

ジニ係数から分かることと分からないこと(1)

最近、日本でも所得格差の広がりが問題ということで、ジニ係数がしばしば話題にのぼっているようです。ジニ係数というのは、一般にある社会の不平等さ(inequality)を測定する基準といわれています。

別に私もそんな昔から知っていたわけでもなく、こっちに来てから開発とかに興味を持っている中で知るようになった概念なので大したことが言えるわけ ではありませんが、開発関係の実証研究を見ていく上では無視できない基準ですので、ジニ係数のインプリケーションをちょっと考えてみたいと思います。(なお以下の記述のうちジニ係数に関する一般的な説明については、もっぱらRay, Development Economics (1998)に依拠しています)

ジニ係数はいくつが望ましいのか? 

さて、最近のブログの記事で山口浩さんが世銀の統計を、bewaadさんがOECDの統計をベースに日本社会の位置付けについて考察を加えていらっしゃいます。ソースによって数字が若干違うのですが、そもそもジニ係数というのは、どのぐらいが望ましいのでしょう?

そもそもジニ係数というのは、大ざっぱにいうと全ての国民の所得が平等だとした場合の所得分布と実際の所得分布の状況の差を表す指標です。つまり、ジニ係数0(ゼロ)は完全な結果平等社会を意味します

これは、匿名性の原則(Anonymity principles)といい、誰が所得を生み出したかは問われないという性質のもたらす帰結です。つまり、アリとキリギリスだけの社会において、アリが稼いだ100万円をアリ自身が保持するのも、アリから100万円をとりあげてキリギリスに渡してしまうのも、不平等さという意味では全く同じということです。

別の言い方をするとジニ係数で図られる「不平等さ」(inequality)は、分配の「公正さ」(fairness)とは何ら関係がないということです。一生懸命働いた者も、そうでない者にも、全く同じ所得が分配される社会は「平等」ですが、「公正」とはいえないかもしれません。

この意味で、ジニ係数は、単に社会における所得配分の状態を単一の指標で比較するための基準というだけであって、その数値の高低そのものには、規範的な意味はないということになります。

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エンロンはいつでも起きる (Enron Happens)

・・・という刺激的なタイトルのHENRY T. C. HU(テキサス大学教授(会社法・証券取引法))がNew York Timesに寄稿した論説の紹介。

別にライブドア事件を念頭において書かれたのではなく、こちらではエンロンの元CEOケネス・レイらに対する刑事事件のトライアルが始まったと言うところで、折しもエンロン回顧ムードが高まりつつあります。

そんな中Hu教授は、こんな書き出しで論説を始めます。(以下日本語訳は適当に意訳もあり)

エンロンがまた起きることは「あり得る」か?あり得るだろう。では、それは我々のコーポレート・ガバナンスのシステムが詐欺的な行為を抑止するのに十分でないかだろうか?いや、必ずしもそういうわけではないのだ。
(CAN Enron happen again? Yes. Does this mean our corporate governance system isn't doing enough to deter fraud? Not necessarily. )

そして、次のように述べて一定の詐欺的行為の存在は社会にとって望ましい状態であると述べます。

確かに株主の利益は唯一の指標とはなり得ない。会社による詐欺的行為は株主のみならず、とりわけ市場に対する一般的な信頼を傷つける。サーベンス・オクスレー法や他の手段を通じて政府が株主にとって最適な水準よりも、より厳しい水準の抑止措置を求めることは筋が通っている。
それでも、会社の取締役に必要以上の時間を見回りに費やすようにしむけることには現実的なコストが生じる。詐欺的行為を重視しすぎることは、経営陣の選任・監督、報酬システムをの設計、戦略的なアドバイスの提供といった株主の利益にとって重要な活動に注がれるべき労力を別の方向にそらすことになる。そして、結局のところは、詐欺的行為のコントロールに対する注意を少なくして、より経営陣の監督に意識を向けることが、単に会社の業績を上げるだけでなく、詐欺的行為を減らすこともあり得るのだ。

(Obviously, shareholder welfare cannot be the sole touchstone. Corporate fraud hurts not only the shareholders but also, among other things, general market confidence. Through the Sarbanes-Oxley Act and other means, it makes sense for government to require more in terms of deterring fraud than may necessarily be optimal for shareholders.
Still, there are real costs associated with forcing corporate directors to spend too much time playing sentry. Focusing on fraud diverts directors from activities like choosing and monitoring management, devising compensation systems and offering strategic advice — all things that are important to shareholder welfare. And as it turns out, concentrating less on fraud control and more on overseeing management may not only enhance corporate performance but can sometimes also reduce fraud.)

ここに見られる、「一定の悪はむしろ社会的に望ましい」というドライな発想は、たぶん、アメリカでも一般うけはしない発想だと思うのですが、ドライなだけに真実をついているという面があると個人的には思っています。察しの言い方は既にお気づきのとおり、私は、かなりの部分でこういう基本的な発想をしております。
実は、Becker-Posnerの例の臓器売買の話についても、私はあんまりアレルギーは感じないところで・・・ただ、臓器に関しては、生態適合性みたいに価格シグナルの中に織り込めない情報が資源配分の効率性においてキーとなる(高い価格がつけられても、適合性が不足して臓器が廃棄されれば損失が生じる)というところと、予算制約線による制約が簡単にヒットしそうなので、初期資源の配賦の公正の問題を避けて通ることはできないんじゃないの?(逆にいえば、貧富の差の小さい社会なら別にいいかも・・・)・・・という、極めてドライな理由により、Beckerのポジションに必ずしも賛同していないだけだったりします。まあ、これは蛇足ですが・・・

(本当は全文をご紹介したいんですが、著作権が怖いんで・・・ただ、WSJと違って、NYTは基本的なサブスクリプションは無料なのでご安心下さい(過去記事は有料ですが))

「開発」(あるいは「発展」)って何だろう? (おまけ)

今日の授業のゲスト・スピーカーWilliam Easterly教授の話から興味深かった点をいくつかメモがわりに。

経済成長と分配問題

前に書いたようにEasterlyの基本的な立場は、一人当たりGDP(GNP)の成長であり、余り国内の分配のあり方には立ち入らないというものでしたが、やはり質疑の中でもここに相当焦点が当たりました。

Easterlyによれば、経済成長にかかわらず、国内の所得分配のあり方は長期的に見てもほとんど変化しないので、やはり経済成長が重要とのこと。

ここまでは著作に書いているところからも予想できた答えです。ただ、他方で、Easterlyは経済成長の鍵である技術発展のためには政府の積極的な関与が必要であるということも言っており、さらに経済成長においては歴史的な経緯を無視できないと強調していることから、私の中では、勝手に技術発展を促すという程度においては既存の所得の再分配に肯定的なのではないかと思っていました。

歴史的産物としての不平等と資源再分配

この点について、歴史的な経緯から所有権の配分がいびつになっているような国においては、例えば日本における戦後の農地解放のように国家権力による資源の再分配が必要ではないかという問いがでてきたのに対して、Easterlyは言葉を選びながらも、その点に政府が介入することは人々の予測可能性を奪ったり、再分配の過程そのものにおいて新たな歪みが生じたりといった可能性もあり望ましくないと説きます。

彼は、技術の発展や経済成長自体が自然と社会の資源分配のあり方を是正するといいます。例えば、技術の発展により生産における土地の重要性が低くなれば、歴史的経緯からつくりだされた土地所有権の不公正の問題は長期的にみれば是正されると・・・

民主主義と経済発展

もう一つ意外だったのは、彼の著作を見る限りは、Easterlyはセンとは違って経済発展と政治的なあり方をダイレクトに結びつけないように思ったのですが、今日の話の中では、かなり強い調子で民主主義は経済発展にとって望ましいという見方を展開していました。

ポイントは、民主主義は国民に対するアカウンタビリティを増し、また、極端な政府が誕生するのを防ぐというものです。もっとも、単に民主主義というだけではだめで、彼は少数者の保護がなされているかどうかが必要であって、単なる多数決主義であってはいけないとも言います。
個人的には、単なる多数決主義と少数者保護を有する民主主義というのを、きれいに区別できるか若干疑問もあるところです・・・などと思っていたら、パレスチナのハマス勝利に絡めて例のごとくBeckerとPosnerが極めてプラグマティックな民主主義に対する見方を示しているところが、何かタイミング的にはまっていて一人でうけてました。

アカウンタビリティとモニタリング

最後に(実際の順序としては最初に話していたのですが)、Easterlyの話で最も印象深かったのが、開発分野におけるアカウンタビリティの不足とモニタリングの難しさです。
開発における成果を適切に評価するための物差しがないことと、援助国や援助機関のアカウンタビリティの欠如が、経済成長をもたらさない援助をもたらしている・・・そのために、これまでに3.2兆ドルの援助が費やされながら、未だにたった4ドルの清潔な布団?(自信なし)があれば防げるマラリヤによって死亡する子供が後を絶たないという状況が起きている、と。

著作からは神経質な学者肌の人を想像していたのですが、実際は中学校の国語の先生(分かるかなぁ)という感じの親しみを感じさせる人で、学生の質問にジョークを交えながらも、真摯に応えていたのが印象的でした。

「開発」(あるいは「発展」)って何だろう? (4)

前回はファイナンシング・ギャップ・モデルに対するEasterlyの批判を簡単に紹介しました。
このうち余剰労働力の仮定に関する批判は、実はEasterly独自のものではなく、モデルの開発者であるHarrod自身が既に50年前に認めており、その後もSolowなどの経済学者によって問題点が指摘されてきました。

にもかかわらず、ファイナンシング・ギャップ・モデルが生き残ってきたのは何故でしょう?

ここはちょっと自信がないのですが、仮に労働力余剰が存在しないとすれば、資本的生産要素(設備投資等)の投入量に対して生産量は徐々に少なくなっていかなくてはならないはずです。ということは、経済成長に関していえば、当初は生産量が伸びるものの、ある程度の成長を見せると、それが鈍化するという現象が見られるはずです・・・が、実際の経済発展においては、しばしば、成長は鈍化するのではなく、初期の成長が更なる成長をもたらす現象、つまり、ファイナンシング・ギャップ・モデルと整合的な現象が観察されるというところにあるようです(自分でデータを見たわけではないので自信なし)。
(また、生産量が逓減するとすれば、成長が促進すると投資に対するリターンも少なくなっていくため、投資は自ずから成長段階が低いところに向かうはずです(この現象をConvergenceと呼びます)。しかし、現実には国際間更には一つの国内の地域間でも、このようなConvergenceは容易に起きていないことも、上のような生産量逓減モデルと現実とが対応していないことを示唆しているといわれます。)

この現象を説明するための、一つの理論は「投資」の対象として、物的資本だけでなく人的資本(human capital)の存在を仮定することです。細かいところは勉強中なのですが、物的資本だけなら逓減が見られるとしても、人的資本の開発の余地があれば、合わせてみれば生産量の逓減は見られないということのようです。
もう一つは、技術(technology)の発展を仮定することです。つまり、新しい技術がコンスタントに発明されれば、必ずしも生産量は逓減しません。

厳密にいうとEastelryの立場は、上の2つの何れとも若干異なるようですが、大きな枠組みでいえば、①技術発展が成長の要因であること、②人的資本の蓄積が重要な要因を占めるという点では共通しています。

技術発展と成長

Easterlyは技術発展と成長の関係について、以上のような特徴を指摘します。

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「開発」(あるいは「発展」)って何だろう? (3)

Easterlyの拠って立つところの「開発」=「一人当たりGDP(GNP)の発展」というアイディアを前回紹介しました。
疑問が残らないわけではないのですが、まずはEasterlyの設定した「開発」概念をベースに、その方法論としての彼の立場を考えてきましょう。

ファイナンシング・ギャップ・モデル

Easterlyは、従来の開発援助において用いられてきた基礎的なモデルであるファイナンシング・ギャップ・モデル(あるいは考案者の名をとってHarrod=Domar Modelとも呼ばれる)を批判します。

ファイナンシング・ギャップ・モデルの直観的意味合いは極めてシンプルです。つまり、国民総生産は(a)現在の「消費」と(b)将来の生産能力増加のための「投資」に分けられる(Y=C+I)が、発展途上国では元々の所得水準が低いために所得の多くが現在の消費に用いられてしまい、十分な投資を行うことができない。こうした目標とする経済成長率にとって必要な水準の投資と実際の投資額(但し、モデルにおいては、貯蓄と投資が一致することを前提に貯蓄率が用いられる)とのギャップ(ファイナンシング・ギャップ)を埋めることが、開発援助の意義であるというものです。

例えば、ある国において生産量を1単位増やすのに必要な資本への投資額が3であることが知られているとします(これをcapital-output ratioといいます)。この場合に、目標とするGDP成長率が8%とすれば、必要な対GDP投資率は24%(8%×3)となります。このとき、この国の対GDP貯蓄率が10%だとすれば、対GDP比で14%の投資が不足している(フィナンシング・ギャップがある)ということになります。
そこで、この対GDP14%に相当する額の援助をすれば、目標成長率が達成できる・・・ファイナンシング・ギャップ・モデルのエッセンスは、このような極めてシンプルなものです。

・・・素人からみても、「えっ、そんなにシンプルなんですか?」とクビを傾げたくなるわけですが、Easterlyは、このファイナンシング・ギャップ・モデルに対して、次のような批判を加えます。

資本投資額と経済成長の相関関係?

まず、Easterlyは、ファイナンシング・ギャップ・モデルの根本的な前提である資本への投資額と経済成長率が一定比率の正の相関関係を有するという仮定を攻撃します。

ファイナンシング・ギャップ・モデルは、設備投資に対して資本が投入されれば、一定比率で生産量が増えると仮定していますが、通常は、生産設備への投資を増やしていった場合、限界生産量(一単位の生産要素を投入したときに増加する生産量)は当初は増加しますが(規模の経済性)、以降は少しずつ低下していくことが知られています(限界生産量逓減則)。ファイナンシング・ギャップ・モデルでは、その限界を克服するために、発展途上国においては余剰労働力が豊富にあり、企業の生産能力の制約条件は生産設備の不足(資本投資)だけであると仮定します。

しかし、発展途上国においては、余剰労働力が豊富にあると仮定するよりは、その生産要素の初期配分のあり方(労働力と設備の割合)に応じた生産技術が既に用いられていると仮定する方が自然です。そうだとすると、生産性の制約条件が資本的要素だけであって余剰労働力は遍在しているという仮定は現実的ではない・・・これがEasterlyの批判の一つめの理由です。

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「開発」(あるいは「発展」)って何だろう? (2)

さて、一応、私なりの「開発」理論への興味のバックグランドを話したところで、本題に入っていこうと思います。なお、以下に書いていくことは、あくまで現時点で私が理解している範囲内のことなので、誤りなどあるかも知れないことにご留意下さい。

「開発」の概念

経済理論について考える前に、まず規定しておかなくてはいけないのは、「開発」という概念の枠組みです。
まず、この時点で私がこれまでやってきた世界とは違う世界が広がります。私のなじみの深い世界では、基本的には貨幣価値を基準としたパレート・テスト(各人の満足度(効用)は貨幣的価値ではかれることを前提に他の誰かの満足度を低下させることなく、ある人の満足度を向上させることができるかを考える)という枠組みで考えればよく、貨幣にどうやっても換算できない満足度を考えるのは限界的なケースに限られ(それでも換算する人もいるが(笑))、最終的に実現した分配が「公正かどうか」というところには余り深く踏み込まずにすむわけです。

ただ、Easterlyに関していえば、彼の基本的なスタンスは、比較的私にもなじみ深いものです。

平均としてみれば、全体的な経済発展は富める者と貧しい者のどちらも豊かにする。

この考え方のもとであれば、基本的には「開発」とは一人あたりGNP(GDP)の最大化という目標を達成するための手段ということになります。

「開発」=「経済発展」?

この「開発」=「経済発展」という見方に対して、最も有名で有力な反論はノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センによる「人間的自由」(human freedom)あるいは「ケイパビリティ」(capability)の向上と見る見方でしょう。

センは、その著作"Development As Freedom"の冒頭でこう述べます。

ここで主張しようとすることは、「開発」は、人間が享受できる真実の自由を拡大していくプロセスとして見ることが可能だというものだ。

彼は、GNPの成長や所得の増加は自由の向上に対する一手段に過ぎないとして、「開発」には圧政からの開放や民主主義の定着といった政治的環境の変更や市民的権利の付与も重要だと説きます。

トリックル・ダウン

もう一つのポイントは、たとえ経済的な豊かさのみを考えるとしても、GNP(GDP)の向上が貧困の解決に役立つのかという問題です。開発経済学の世界では「トリックル・ダウン」(trickle down)として知られている問題ですが、Easterlyが基礎としているのは、Dollar and Kraayによる実証研究(Growth is Good for the Poor, 7 J.Econ. Growth 195 (2002))です。恥ずかしながら原文は未見ですが、世銀の行っている生活水準指標調査(LSMS)のデータを用いたクロス・セクション分析の結果、平均所得と貧困層(下位20%)の所得増加はほぼ1対1で対応している、つまり、国家全体の1%の経済成長は貧困層の所得を1%増加するという結果を得たものであり、「トリックル・ダウン」の存在を肯定する研究であるといわれています。

というわけで

こういう状況を踏まえて、Eastelyの用いている「開発」という概念について、現時点での印象をまとめておきます。

 

  • 視点の違い

    まず、「開発」を考える上でセンの問いかけが無視できないことは、確かだと思います。
    ただ、「援助」というフレームワークの中での限られた資源(援助額)の効率的な分配を考える上では、ひとまず経済発展に重点を置くというアプローチも合理性があるような気はします。
    私にとってなじみの深い会社法的な視点から言えば、まずは企業全体としての価値を高めることが、間接的にステークスホルダー間での成果の分配に関する合意の形成を促すという範囲で、企業価値の全体的向上を一義的な目標に据え、そのために効率的な制度設計(例えばresidual claimantである株主にコントロールを与える)を考えるというアプローチに近いというところでしょうか。
    その意味では、「開発」の中でも「開発援助」のあり方を考える上では、Easterlyのように経済発展にフォーカスを与えるアプローチも有用というのが、今の時点での私の印象です。

  • トリックル・ダウンはどこまで信頼できるか?

    むしろ、私にとって気になるのは、こちらの方です。
    トリックル・ダウンを信じれば、分配の公正性の問題には立ち入らずにすむわけですが、今の段階では、私自身は、そこまでトリックル・ダウンを信頼する材料を持っていません。
    まず、センが指摘しているように、貧富格差の問題は経済の成長段階よりも後退段階において、より深刻な形(飢饉等)であらわれる可能性があることを考える必要があります。経済の成長段階において成長の成果が分配されることは、後退段階においてその不利益の分配が比例的であることを直接には保証しないように思われます。この意味では、センのように政治的権利のあり方に踏み込むかどうかはともかくとして、分配のあり方を無視することはできないように思われます。
    もう一つは、アメリカを含めて現に先進国において所得分配の問題が先鋭化しつつある中で、開発段階において、それを度外視することができるのかということに素朴な疑問を覚えるからです。更に素朴なところでいえば、ペルーで見たような国内における所得分配の明らかな差を視界の外におくことに抵抗を覚えます。
    ただ、具体的にどういう具体にこの部分を織り込んでいくのかは、正直、まだ見えていないところです(ジニ係数を指標として用いることについても、まだしっくりこないところがあるんで・・・

「開発」(あるいは「発展」)って何だろう? (1)

Law & Developmentの授業で開発経済学の雄William Easterlyがゲストで来ることになっています。
まだ、始まって3週間なのにElusive Quest for Growthを全て読んだ上で、質問とかを考えておけというのは、結構きついアサインメントですが、開発経済学の分野では非常に高名な人の話を直接聞ける機会もそうはないということで、楽しみにしています。(ちなみにamazon.comで見てみると日本語版も出ているようです)

 

というわけで、それに備えて、私の理解している範囲でEasterlyの主張の要点と疑問点を書き留めておこうと思います。
ライブドア絡みで伸びているアクセスを一気に冷ましそうなネタですが、海の彼方でいつまでもうじうじ言っていてもしょうがないんで、学生の本業に戻りましょう。

そもそも何故「開発」(Development)なのか?

そもそも、生粋のビジネス・ロイヤーの私が何でまだ「法と開発」なんていう分野を勉強することにしたのか・・・初回の授業に出たときも、一緒の授業の日本人から「何で?」と面と向かってきかれてしまったわけですが、何でなんでしょうね?

まず、単純にいって、今なお約10億人の人々が1日1ドル以下の生活をしているという現実があります。だから、どうしたというところもあるんですが、昨年ペルーを旅したときに、リマの高級レストランにいる人々と、車窓から見えたやせこけた牛の姿とのギャップから受けたショックというか、「もやもや」がどうしても気になっているということだと思います。

次に、日本にとっても、OECDなどの政府ルートや対外直接投資やプロジェクト・ファイナンスによる民間ルートによる発展途上国に対する投資は、ますます重要性を高めていくわけです。おそらく、私がかかわるとすれば、JVや現地企業のM&Aが多いのでしょうが、これまで自分が扱ってきた世界とどう違うのかというのを知っておくのは、今後の仕事の役に立つかも知れません・・・というのは、希望的観測で、そんなペイする仕事につながる見込みは少ないんですけどね^^;

実は、一番の理由は、「開発」に関する理論が、日本における法とか弁護士の役割を教えてくれるんではないかという点だったりします・・・といっても、あんまりピンと来ないかも知れません。
例えば、GDPの成長は、国の発展にとってどういう意味を持つのでしょう?アメリカの一人頭GDPは勿論世界最高水準です。にもかかわらず、アメリカには貧困が決して珍しいことではありません。Katrinaは、そうした貧富の差を残酷な形で浮かび上がらせましたが、世界最高の治療技術を持つ国で基本的な医療の恩恵を受けることすらできない人々が多数存在する・・・ある研究によれば、アメリカの黒人の年齢ごとの生存率はインドの貧困地域よりも低いという調査も出ています(SEN[1999]p.22)。
アメリカの後を追っている日本は、この先どうなるんだろう?アメリカ特有の人種問題に帰することのできる話なのか、それとも経済成長を果たした国がどこかで直面しなければならない共通の問題なんだろうか?
・・・これまた一弁護士ごときが悩むような話ではないのかも知れませんが、それでもやっぱり気になります。

そして、もっと身近な問題としていえば、資本市場の米国化が日本をどう変えていくのか?米国的な資本市場は日本的な価値観を壊すだけであり、本当の意味で日本人を幸せにするものではないのか?
もちろん、私はよくある外資脅威論は苦手なんですが、でも、アメリカと同じにすれば幸せになれるというほど楽観的でもなく・・・文化や歴史の違う国が起源の違う制度とバランスよく融合していくためには、それなりの知恵が必要なんですが、それが最も端的に表れる場面の一つが開発の場面ではないか、と・・・ひょっとしたら、ずっと悩んでいる会社法における分配の公正の問題について何かヒントが得られるんじゃないか・・・そんなことも期待していたりしないわけでもありません。

まあ、いろいろ理屈はこねましたが、とりあえず、ちょっとかじり始めただけですが、非常に「面白い」話が満載です。今までの世界と勝手が違うんで、とまどうところもあるんですが、それもまた楽しということで^^

さて、というわけで、(いつもどおり)長い前置きが終わったところで、次回から本題です。乞うご期待!(・・・って、ライブドア・ネタやれっていう読者の方が多いんでしょうが。悲しいかな、私は天の邪鬼なんで、マスコミと逆に盛り上がると人の期待を外れることをやりたくなるんですよね・・・)

坊主にくけりゃ袈裟まで・・・

今週前半ブログに力を入れすぎたせいで、つけが回ってきています。
コメントやTBへの対応が、遅れると思いますが、どうかご容赦を。

昨日の記事のVaboさんのコメントを拝見して、ちょっと考えが変わったので、筆が滑らない範囲で、実際に企業法務をやっている弁護士の目からみて、面白い記事をクリップしてみようかな、と。リンク切れがあるかも知れないので、ご賞味はお早めに(また新しい記事があれば追加するかもしれません。あと適宜不適切な表現は手直ししてますんで^^;)

(追記)なお、以下の記事についての論評は、「違法」という文脈や検察の捜査の正当性を支えるものとしては「?」があるという趣旨で書いているものです。その点をおいて、紹介されている取引をみれば「怪しさ満点」の会社であったという雰囲気はよく分かります。ただ、「怪しい」と「違法」は全然別の話ということで・・・

  •  ライブドア子会社、休眠会社買収…株交換受け皿狙う (YOMIURI ONLINE)

    有限会社から株式会社への組織変更は手続的なしばりや増資のためにキャッシュが必要な場合には、手頃な休眠会社が見つかれば、それと合併させてしまう方が楽なんですよね。別にそれ自体は、何ら違法でもないし、とびぬけて変なスキームではありません。

  • ライブドア、アダルト関連会社に休眠会社売る (Yahoo News-読売新聞)

    これも休眠会社ネタ。もちろん、休眠会社を売ること自体が犯罪なら、私もお縄(笑)・・・アダルト関連会社に休眠会社を売ることも適法・・・ここには違法の「い」の字もありません。
    ただ、ちょっと気になるのは、報道のとおり、休眠会社に3000-4000万円の値がついたところ。組織再編税制を考えると、繰越欠損を使うのも簡単ではないんで、休眠会社の相場は、まあ上の記事でも出ているぐらいのお値段のあたりで、それからすると随分と奮発しているという感は否めません。
    ネタとしては悪くないと思いますが、つっこむならこの対価の決め方の部分でしょうね。繰り返しになりますが、休眠会社を売ることそのものは違法でもないし、相手がアダルト関連会社でも悪くはないと思います。

  • ライブドア、無価値企業「健全」と仮装 (YOMIURI ONLINE)

    このタイトルの付け方も凄いですね。債務超過会社と株式交換はできないというのは、その通りですが、その場合の対処法として株式交換前に増資をして債務超過を解消しておくというのは、むしろ資産の評価換えや時価評価(のれんを勘案)を使って実質債務超過ではないという形をとるよりも、はるかに「安全」あるいは「保守的」な方法だとされているんですが・・・書き方一つで犯罪みたいに見えるんだから、不思議ですねぇ・・・

    (もちろん、その結果達成された株式交換が偽計取引の一環だということの一つの「事情」として、価値のないものを無理矢理買ったといいたいのかも知れませんが、BSやあるいは清算価値で債務超過かどうかとのれん(営業権)を勘案した企業価値がないことは全く別の話で、買収側が売主に対して交渉上「価値はほとんどないんですが」と言うこともあり得ない話ではないわけです・・・本当に実質的に値段がつかなかったのであれば売主がスキームに協力するはずはないので、交渉の中で言われた「価値はない」という(ブラフかもしれない)言動ではなく、最終的に(実質的に)売主にいくら支払われたのかがポイントのはずですよね)

    ちょっと気になったのは、利益還流の仕組み(01/23)(asahi.net)。同じ取引の図だと思うんですが、ファンドと個人株主の間でLD株式の売買がなされていますが、このタイミングは何か気になるところです。

  • ライブドア粉飾、連結決算外を装う 子会社利益で黒字化 (asahi.net)

    「ライブドアが支配する同組合が全株式を保有するロイヤル社とキューズ社は、子会社化の公表前の時点ですでにライブドアの連結決算対象の子会社になっていた。」・・・これこそが、今回、最も争点となり得るところで、もし、こういう形でファンドの連結を考えなくてはいけないとしたら、実務に大きな影響を及ぼすところなんですが・・・その一番の争点が既に決着がついたことになった上で、「粉飾」だったというのは、ちょっと論理的には説得力がありません。
    この手の論理は結構多く見られるんですが・・・私は検察ですら、現在のファンドの実務を大きく覆すような大胆な論理はとらないんじゃないかと・・・それ故に中心罪状は証取法158条であって、個々の取引は違法であっても「全体として」というロジックをとりたがっているんではないかという、(希望的)観測を持っているところです

  • 投資組合に届け出義務、立ち入りも可能に…金融庁検討 (Yahoo News-読売新聞)

    あと、面白いので、これもついでに。ここに書いていること自体は、別に面白いことが書いているわけではありません。発想法としてもある意味非常に健全です・・・ただ、実際に起きることは何かというと・・・皆カリブに旅立つだけではないかと・・・それとも鎖国?
    (要するに、国内でファンドの規制を厳しくしたとしても、それによる手続コストが増えれば、ケイマンなどのカリブ諸国にファンドやSPCにシフトするだけではないかという意味です。従来、海外にシフトしていたビークルを国内に呼び戻すべくいろいろな法改正や施策がなされてきたのですが、その動きがまた戻るかも知れない、と・・・金融の世界は本当にボーダーレスになりつつあるんで、国内の規制を厳しくするだけでは、自己満足で終わってしまうんですよね・・・ただ、これは別に新聞記事が悪いという話ではなく、金融庁の規制の方向性自体の問題です(最終的に株式分割と同じで市場秩序に委ねるという形になる可能性もあるでしょうし))

  • ライブドア、分割当日に関連会社株売却・約34億円の収入 (NIKKEI NET)- 1/26 18:30追加

    これが本当ならライブドア「くさいぞ」と思って中身を見ると、要は、①子会社株式が株式分割で株価上昇、②子会社株式を一部売却して利益を得た・・・これが、「子会社の業績がよかったので株価が上昇した際に子会社株式の一部を売却して利益をあげた」という話なら、まさか非難されないんでしょうから、結局は、「株式分割で株価があがった」という部分を問題としていることになっちゃいますよね・・・うーん
    ただ、株式分割で株価が上がることそれ自体は、何ら違法じゃないんで、一時的に需給が逼迫する間に、意図的に買い注文を出して株価をつりあげるといった行為(これは明らかな相場操縦ですが)とか子会社にインサイダー情報があって、それを株主としての権利行使に際して知った(か、まあ普通は一次情報受領者でいくんでしょうけど)とかいう事情がない限りは、原因が何であれ、市場で形成された株価で子会社株式を売却して利益を上げることは違法でもなんでもありません・・・この株式分割が違法であるかのような表現もよく見るんですが・・・検察ですら、おそらく問題としているのは、株式分割そのものではなく、一連のスキームのはず(まあ、この辺りはneon98さんのエントリーでも見ていただいた方が宜しいかと)
    それよりも個人的な疑問としては、もし報道されていることが事実だとすれば、売る物をどうやって入手したのか(予め保振に預託していた?)という点と、どうやって市場の需給バランスを崩さずに売り抜けたのかが気になるんですが・・・

    あと、株価つり上げが主眼 近鉄球団・ニッポン放送買収名乗り (asahi.net)もあげておきます。これも、球団やニッポン放送の買収に名乗りをあげたこと自体は違法でも何でもなく、それによってLDの知名度があがって株価があがったのも違法ではありません・・・ここでは「株価『つり上げ』」自体が悪いものであるかのように思われているんですよね・・・少なくとも、捜索差押えや堀江氏の身柄拘束の根拠となったのは、株価を上げる試みそのものではなく、その手段が法的に許されないもの(違法)であったかどうかだということは忘れないようにしたいところです。

  • 高知競馬のホリエモンが出走中止に 堀江氏の逮捕受け (asahi.com)-1/26 19:45追加

    だんだん本来の趣旨から離れている気がしないでもないんですが、将来自分で見直したときに、「ああ、そういうこともあったね」と思い出せるように。
    松木調教師は「馬は健康なので、次走に向けて馬主と相談したい。本当に馬には罪はないのですから」と話している。
    同感です。

とりあえず、今日のところは、こんなところで・・・ふむ。何か、こういう具合にブログのネタを提供してくれていると思うと、そんなにカリカリしなくていいかもという気になってくるのが不思議なところです。

やめとこう

さっき、余りにも新聞記事の内容に呆れてしまったので、脊髄反射でエントリーをしてしまいましたが・・・

これをやりだしたら、本当にきりがなくなるんでやめておきます。そういうことで。

ただ、今回の件に限らないわけですが、流される情報の吟味は大切ということで・・・少なくとも、その情報自体として最低限論理が通っているかどうかが一つのメルクマールになるんではないかと思います・・・といった辺りで筆が滑る前に止めておきます。

クイズ:もしあなたが○○だったら(P大統領編)

さて、ここしばらくの特番モードはひとまず終わりにして、通常営業再開ということで。

春学期にとっているBehavioral Law & Economics(行動経済学を使って法的制度を考察するコース)の内容から、かるーい気持ちで出題したクイズ解説第2弾です。

"24"をもじったシチュエーションで問題をつくったところ、想定外の事態に陥ったのがP大統領編です。

まず、最初に私が期待していた「結果」(ストーリー)をお話しておきましょう。

実はこれがやりたかった

元々、2つの事例でやりたかったのは、フレーミング(framing)の違いによって、同じ内容でも選択が変わってしまうという問題でした。

600人の死亡が予想される伝染病に対する次の2つの対策のセットを見てください。

Positive Form

  • プログラムAが採択されれば200人が助かる。
  • プログラムBが採択されれば、1/3の確率で600人が助かり、2/3の確率で誰も助からない。

Negative Form

  • プログラムAが採択されれば400人が死亡する。
  • プログラムBが採択されれば、2/3の確率で全員が死亡し、1/3の確率で誰も死亡しない。

Positive FormとNegative FormのプログラムA、Bは全く同じことを言っているということを確認してください。
また、プログラムAとBはいずれも「助かる人間」の期待値は200人で、違うのはリスク(プログラムBの方がリスクが高い)という点も確認しておきましょう。(「助かる人間の数」以外を効用の指標に使うアイディアについては後で触れます)

プログラムAとBの何れを選ぶかは、最終的にリスクに対する意思決定者の態度に依存するというのが通常の説明でしょう。つまり、安全志向(リスク回避的)の人はAを選び、ギャンブラー(リスク愛好的)な人はBを選ぶというものです。

ところが、実際に、2つのグループに対して、この選択を実施すると、Positive Formの場合はプログラムAを選ぶ割合が高く、Negative Formの場合はプログラムBを選ぶ割合が高いことが報告されています。(実験手法の詳細は原文が手に入らなかったので分からないのですが、20年以上のpeer reviewにさらされている論文ですから、とりあえず実験手法や統計手法に問題はないと仮定しておきます)

両者の違いは、Positive Formが「助かる数」を問題としているのに対して、Negative Formが「死亡する数」を問題としているということを除けば全く同じです(この問題の立て方を「フレーミング」といいます)。

こうしたフレーミングの違いにより結果が異なるということは、例えば、陪審員に対する諮問の仕方によって、結果が異なる可能性があるということを意味するとされる・・・ということを、やりたかったわけですが、皆さんから頂いた回答を拝見すると、質問1と3における回答の選択は一貫していて、そうした差がうまく出ませんでした。

・・・というわけで、以下、敗軍の将として、その原因を分析してみましょう。

 

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「正義」のコスト:コメント・TBありがとうございました

(末尾に追記あり) 

昨日のエントリーに対して、予想以上に多くの方々からコメントとトラックバックを頂き、本当にありがとうございました。

このまま私自身は何かを付け加えない方が美しいかなとも思いつつ、皆さんからのコメントやエントリーを拝見していて、思い浮かんだことを書きとどめておきたい欲望には逆らえません。蛇足の類になりますが、ご海容を。

なんで今更?

たぶん、昨日書いたことというのは、分かっている人々にとっては、自明のことで「何を今更」というぐらいのことなんでしょうね。でも、私にとっては、漸くそのことが分かったのが昨日だったんですよ。

ちょっと時間を遡ってみると、最初、検察がライブドアに強制捜査に入ったという時点での、私の心持ちは、どちらかといえば検察よりでした。別にライブドアだからだったからということではなく、法律やルールはあっても、実際には執行されることは稀という現状を変えていく・・・それこそ昨年の時間外取引について、早々と違法ではないという立場をとった当局に物足りなさを感じていた身としては、証券市場における法の支配を実現するという「強い意志」は歓迎すべきものでした。

多分、この時点では、私は、くさっても(失礼!)時価総額8000億の企業、検察にやられっぱなしでは終わらないだろう・・・一般的にみれば「屁理屈」と言われるかもしれないけど、何らかの合理的な説明や正当化を持ち出してくるんだろう・・・「最終的に」検察にとりこぼしはないだろうけど、検察の当初の意図したところに持っていけるかは、ライブドアの弁護側の腕次第だろう・・・たぶん、どこか楽観的にそう思っていたってことですね。

ところが、1週間が過ぎる間に、ライブドアの心臓である堀江氏の身柄拘束、そして監理ポスト入り・・・ことここに至って、ようやく、私はこれが「人ごとじゃない」ということに気付き、国家権力の大きさに気づいたんだと思います。

憲法や刑事訴訟法を勉強し、修習で実務に携わっていたときにも、「国家権力の謙抑性」というコンセプトは頭にあったわけですが、おそらく、どこかに「一個人の力は弱いから」という暗黙の前提があって、それはビジネス・ロイヤーである自分とは少し遠い世界・・・むしろ、ビジネス・ロイヤーである自分にしてみれば、企業が問題に直面したときに国家権力との関係をうまく保ちながらソフトランディングさせるのが腕の見せどころ・・・

けれど、そんな「かけひき」とか「腕」が入り込む余地は特捜とライブドアとの関係にあったのか?
ライブドアの弁護士の腕の悪さが、今回のような事態を引き起こしたのか?
・・・自分なら違うと信じたいところですが、できることといえば全面降伏の上でちょっとした温情にすがるぐらいしかないんじゃないかと思ったときに、「自分ごと」として、国家権力の大きさが身に染みたってところです。

というわけで、遅ればせながら、「国家権力は大きい。縄をつけなきゃいかん」というありきたりなことを、大見得切って言ってみたりしたわけです。

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「正義」のコスト

日本では堀江氏とライブドア幹部の逮捕について、どういう受け止められ方をしているのか、今ひとつよく分からないのですが、私個人的には、実に暗澹たる、というか、やりきれない気持ちで今回のニュースを聞いています。

特に暗澹たる気持ちになったのが、このasahi.comの記事です。

東京地検の伊藤鉄男次席検事は、「証券取引の公正を害する重大な法律違反があることが証拠上明らかになった。ライブドアグループの存立の中心のところで違反をしている。全容解明に全力を尽くす」と話している。

「証券取引の公正を害する重大な法律違反」とは、そして「ライブドアグループの存立の中心のところで(の)違反」とは、結局、何だったのでしょう?
適正手続きを定めた日本国憲法31条の下では、「構成要件は何か?」あるいは「実行行為は何か?」という、犯罪認定でいえば、いろはの「い」にあたる問いすら明らかにならないままに、国家権力が個人の自由を奪うことができるということなのか?・・・そして、その個人の活動の自由を制約のみならず、数十万人の株主のいる会社の経済活動を実質的に麻痺させてしまうことが可能ということなのか?・・・もし、そうだとしたら、我々ビジネスの世界に生きる人間にできることは、ひたすら「検察の目にとまらないよう、お怒りを買わないよう」に、いつもお上の目を気にしながら歩くことぐらいしかできないのではないだろうか?・・・

私は、職業柄、この種の事案では、いつも「もし自分が代理していたら」ということを考えます。

この件でも、任意捜査の段階、強制捜査の段階、それぞれにおいてどういう形で依頼者を守ることができるだろうということを考えながら見ていました。特に、断片的ながら、アメリカで捜査機関からの捜査が入った場合の手続についてもかかわる機会があったので、それとの比較を考えていたのですが、今回のような日本の捜査のやり方の下では、ほとんど「防御」の余地はないことに気付き・・・そして、暗澹たる気持ちになっていきました。

まず、何よりも、「何に対して防御をすべきか?」ということすら分からないのに、どうやって防御をすればいいのでしょう?
証取法158条という罪状こそあれ、具体的に何をどういう形で違法としているのかは分からないまま、毎日のように、新しい「疑惑」が報道されていく・・・いったい、何を調査して、何に対して防御すればいいのか、幹部の身柄拘束に至った今でも、検察が問題としている具体的な構成要件、実行行為の内容は明らかにならない・・・時間がたてば経つほど評判へのダメージは拡大していく・・・けれども、検察が当初ほのめかした内容について見解を発表しても、すぐにうわさや報道は「それだけではない」といい、そのうわさや報道にも対応しなくてはいけない・・・これで効果的な内部調査をしろといわれても・・・

そして、内部で事実関係を確認しようにも、今回のようにいきなり強制捜索がなされ、一切合切の書類が差し押さえられてしまえば、何も対応のしようがありません。アメリカであれば、弁護士の最初の仕事は、こうした書類の提出に関する範囲や手続について捜査機関との合意です。日常業務への影響や被疑者側の防御の権利を図りつつ、捜査の便宜や証拠隠滅を防ぐための手順について、捜査機関と弁護士が合意をし、その合意に従って、捜査機関側への書類の提出手続が内部調査と並行して粛々と進められていきます。

・・・けれども、嵐のように一切合切の書類の原本が持ち去られてしまうとすれば、内部調査はもちろん日常業務すら全うすることはできません。もし押さえられた書類のうち、容疑とは関係ないけど、日常業務には欠かせない文書があったとしたらどうでしょう?・・・それによって生じた機会喪失は「疑われるようなことをしてしまった会社が甘受すべきコスト」なのでしょうか?

そして、おそらく何よりも違うのは、アメリカでは、嫌疑をかけられた側が、「防御」のために弁護士をはじめとした専門家と対策を練ることは「最低限の権利」であり、こうした「防御」活動を妨げてはならないのはむろんのこと、こうした「防御」のためのディスカッションの内容や関連する書面は捜査機関側に提出する必要はありません(秘匿特権"privilege")。もちろん、弁護士と相談したり、関係者間で対策の会議を行うことは、「防御」のための当然の権利です。

・・・もし、こうした対策会議を行うこと自体が「証拠隠滅活動」であるとみなされたり、弁護士との間で相談した文書や内容も捜索差押えの対象となるとしたら、いったい、どうやって嫌疑をかけられた側は「防御」をすればいいのでしょう?
(ただ、内部調査や会社としての防御の責任者は、現経営陣ではなく、少なくとも監査役、更に望ましいのは、外部からの招聘だったとは思いますが・・・)

そもそも、ある会社の中心人物の身柄を押さえるということは、極めて大きなコストを会社にもたらします。もちろん、逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれがあれば、それでも、「やむを得ず」身柄を押さえることは必要になるでしょう?
でも、今回の場合、堀江氏が逃亡を図るというおそれは考えがたいところです。「証拠隠滅」?・・・いったい、あれだけの捜索差押えの後に隠滅すべき証拠とは何で、それにはどんな可能性があるのでしょう?・・・また、どうやって、これを「証明」できるのでしょう?
・・・もちろん、そうした「建前」であっても、実際には、およそ「疑わしければ逮捕が可能」というのが運用です。あって、今回の場合に逮捕について準抗告をしても認められる可能性はほとんどないでしょう。
ただ、これが可能ということは、一度嫌疑がかけられれば、嫌疑に関連のある経営陣を刷新しなければ、会社は日常業務すら安心して営むことはできないということです。もちろん、内部調査の進展によっては、一刻も早く新体制を構築することも必要ですが、いずれにせよ上のような事情で内部調査もままならないまま「1週間」で逮捕がなされるという状況では、会社側で対応できることは、ほとんどありません。

そして、「強制捜査が入ったこと」、そして、「逮捕されたこと」自体が、「悪事の動かぬ証拠」であるとばかりに、マスコミや世論が「検察=正義」という構図を広めてしまい、「防御」は「悪あがき」と同視されれば・・・

以上、簡単にまとめれば、一度嫌疑がかけられれば(しかも、嫌疑の内容が具体的にわからなくても!)、もはや会社としては「防御」の余地はないんじゃないかと。

・・・「ライブドアだから仕方ない?」・・・また、空が落ちてくる類の話かどうかになるかも知れませんが、上場会社の経済活動に携わる方々にとっては、少し想像力を働かして、同じ立場に陥る可能性が全くないと言い切れるかどうか・・・そして、もし、ある取引の一つの断片を「誤解」されて捜査が入ったときに、どうやってその「誤解」を解けばいいかを考えてみてはいかがでしょう?
会計士の方と当初意見が対立していたが、最終的にディスカッションを重ねて合意に達した・・・そうした取引について、当初の会計士の方の印象と同じ印象を検察が持ったらどうか?・・・長年監査を担当している会計士の方とですら、長いディスカッションを経なければ理解してもらえなかったことを、検察が隠密の内偵の中で理解に達してくれる可能性がどのぐらいあるのか?・・・そして、もし当初の「印象」に従って、捜査が入ったら・・・全ての関連資料を押収され、関係者の身柄が押さえられた後で、どうやって捜査機関の「誤解」を解くことができるのか?・・・

私にとっては、ライブドアが「最終的に」どれだけのことをやっていたかではなく、「この1週間の間に」ライブドアに起きたことが、とても恐ろしいことのように思えてなりません。

(最後に、しつこいようですが、私はライブドアがやったことがいいことだったと言うつもりはありません。そもそも、それを判断する材料すら手許にはありません。私が暗澹たる気持ちになるのは、判断する材料すらないままに、国家権力が行使され、一つの会社が死刑宣告を受けたのと同じ状況にあることそのものです。その点ご理解いただければ幸いです)

(あと、普段の私の方針とは異なり言及していないブロガーの方の関連エントリーにもTBを打たせていただいます。文化圏の違い等により、ご迷惑な場合は、ご遠慮なく削除下さい。)

(また、賛同・反対を問わず、ライブドアに対する捜査・報道姿勢に関するコメント・TBをお待ちしております。)

 

関連過去記事一覧

DNA鑑定についてのベイズの定理のインプリケーション

(1/23追記あり) 

ベイズの定理を使うことで、もう一つ興味深い洞察を得ることができるのが、多分、DNA鑑定をはじめとした科学的な証拠の訴訟における意味合いではないかという気がします。

次のような例を考えてみましょう。

ある絶海の孤島で、殺人事件が起きました。
島の人口は1000人。手がかりは、被害者の衣服についていた犯人のものと思われる血痕だけ。
なぜか、その島に滞在していた名探偵の子孫は、大胆な推理で、ある男Xが犯人だと名指ししました。
Xは、必死に否定しますが、名探偵の子孫は、自身満々に、「DNA検査をしてみれば、一致するはずです」と言い放ちました。
そして、DNA鑑定の結果は・・・見事に一致しました。
名探偵の子孫は、自信満々に言い放ちます。
「DNA鑑定の精度は99.9%・・・つまり、1000回に1回しか間違わない。もう、言い逃れはできませんよ」

・・・と、これを先回のベイズの定理を使って検証してみましょう。
まず、真犯人は、1000人の中に一人必ずいるとします。

ということは、Xが真犯人であって、かつ、DNA検査で一致する確率は、0.001×0.999=0.0999(%)です。
次に、Xが真犯人ではないのに、DNA検査が一致してしまう確率は、0.999×0.001=0.0999(%)です。
ということは、DNA検査が一致した場合に、Xが真犯人である確率は・・・計算するまでもありませんね、50%に過ぎません。

これでは、とても刑事事件でいう「合理的な疑いを入れないほどの証明」ということにはならないことは明らかです。
でも、「99.9%の精度のDNA鑑定で鑑定結果が一致した」というと、これはほぼ間違いないだろうというのが普通の感覚ではないでしょうか?これは何故でしょう?

この結果は、「事前確率」において犯人でない確率が極めて高い(99.9%の確率で犯人ではない)ことから生じています。DNA鑑定を有効なものにするためには、この「事前確率」を他の証拠を使って絞り込むことが大切になります。
たとえば、上の例で、村人のうち900人にはアリバイがあったとしましょう。
すると、Xが真犯人である確率は、0.01*0.999/0.01*0.999+0.99*0.001=0.91ということで、確率は一気に90%にあがるわけです。

ところで、上の計算では、真犯人ではないのにDNAが一致する確率を0.1%(100%-99.9%)とおきましたが、実際には、これは必ずしも正しくはありません。例えば、真犯人と一致する確率は99.9%である一方で、関係ない他人と一致する確率は極めて低く、0.01%しかないということも考えられます。
逆に、真犯人に対して99.9%の確率で反応する一方で、真犯人ではない場合にも1%の確率で反応してしまうような場合も、可能性としては考えられます。

私は実際の検査方法について余り知らないので、何ともいえないのですが、直観的には、金属探知機と同じように、確実に真犯人の場合には一致するような検査方法をとろうとすると、感度が敏感になって真犯人でない場合にも反応する確率も高くなるということはありそうです(Type I errorを減らそうとすると、Type II errorがそれだけあがる)・・・つまり、真犯人なら99.9%の確率で反応するが、そうでない場合にも1%の確率で反応してしまうというようなことは、理論的に考えると、十分ありそうな話です。

この場合、ベイズ統計理論による確率は、0.001*0.999/0.001*0.999+0.999*0.01=0.09ということになり、なんと10%にも満たないことになります。このことは、つまり、DNA鑑定の精度を考える上では、単に真犯人の場合に反応が出るという意味での信頼性のデータだけでは不十分であって、真犯人ではない場合にも反応が出る確率がどの程度あるかという意味での信頼性のデータが不可欠ということを意味しています。

私は、DNA鑑定の刑事実務を知らないのですが、この後者の意味での信頼性のデータというのは、どの程度明らかにされているのか、また、前者の意味での信頼性ときちんと区別がなされているのか・・・この辺りはちょっと気になるところです。

(1/23追記)

かつおどりさんのコメントを受けて、一応上の記事の範囲で考えていたことはコメント欄で、もう少し詳しく書いたんですが…確かに、実際のDNA鑑定のプロセスの中で、①被疑者が真犯人で反応が出る確率と②被疑者が真犯人ではないのにもかかわらず反応が出る確率というのは具体的にどうやって導かれるのかということについて、ちょっと気になりだしたので、とりあえず思いついたことを書いてみると…

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クイズ:あなたが○○だったら(陪審員編)

皆様、軽い思いつきのクイズにお付き合い頂き、まずは厚く御礼申し上げます。

解説編といっても、既に皆さんが色々と書いてくださったように、いろいろな考え方があるんで、答えは一様ではないんですが、ここでご紹介するのは、一つの考え方のモデルということでご了承頂ければと思います。

まずは、P大統領編はひとまずおいて、先に陪審員編をやってみましょう。

設例をながながと書きましたがエッセンスは次の4点です。

  1. シェアだけを考えれば、問題のタクシーがイエローである確率は85%、グリーンであることは15%
  2. 証人はタクシーの色は「緑」=グリーンキャブだったと証言
  3. 証人が正しく色を識別できた確率は80%。つまり、実際のタクシーの色を正確に識別する確率は20%
  4. これらを総合して、最終的に50%を超える確率で問題のタクシーが緑だった場合のみ、請求を認める。

さて、この設問のポイントは、黄色いタクシーを間違って「緑」と言ってしまう確率がどのぐらいあるかというところです。
直観的・・・というか、ナチュラルな感覚としては、黄色の車だったのに緑と言ってしまう確率は20%しかないのだから、50%基準なら無視できる・・・ということになりそうなのですが、実は、そこには、「そこを通った車が黄色か緑かは二者択一であって、同じ確率」という考え方が滑り込んでいるんですよね。
昔、じゃんけんの期待値について考えたときにもあったのですが、選択肢の数と出現頻度というのは、一致するとは限りません。つまり、じゃんけんでとり得る値がグー:チョキ:パーの3種類だとしても、その出現頻度は、個人の性向によって違うかも知れないということです。

今回の話でも、タクシーの色は黄色か緑かは2者択一ですが、その現場における出現頻度は85:15になっています。
ということは、次の図のような関係が成りたっているということですね。(以下の図はBehavioral Economics の授業で用いられたスライドから転用したものです)

Taxi_Chart.jpg

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徒然なるままに、ライブドア事件

今朝のNYは明るい陽射しの中、何だか既に春が来てしまったかのような錯覚も覚えるような穏やかさですが、日本はいかがでしょう?

呑気に”24" Season5のことを書いて惰眠をむさぼっている間に、ライブドア強制捜査、株価は下落、東証はシステム・キャパで取引制限、関係者から亡くなった方も出て、当のライブドアは開示注意銘柄へ・・・

私も、授業の予習そっちのけで脊髄反射的なエントリーを連発したわけですが、まあ、こういう記事は、だいたい、①書いている時はアドレナリンが出ているので、うわぁっと書けてしまう、ところが②時間をおくと「書きすぎたなぁ」と悔悟の念がじわじわとおそってくる、でも、③新しい情報や見方に触れると、また何か言いたくなって①に戻る・・・と、学習能力に欠けた行動パターンを繰り返すんですよね。
そういえば、1年前のまさにニッポン放送とライブドアの時もそうだったようなぁ、と、思って、あのとき書いたことを見直したりすると、そのぐらいの時間をおいてブログを見ると、何だか他人が書いたような錯覚を覚えてきて、人ごとのように「へぇ、そんなこと考えてたんだ。ふぅーん」と思ったり・・・気分的には小学校や中学校の時に自分の作文とかを読むようなもんで、これはこれで個人的には面白いものです。

そういう意味で、やはり恥ずかしい内容でも、とりあえずそのときの印象を書いておくというのは、いいのかなという気がします・・・と、前置きが長くなってしまいましたが、とりあえず今の時点で心に浮かんでいることを、簡単に。

証取法158条と捜査手続

依然として情報量は十分ではないんですが、とりあえず今の時点で受けている印象からいうと、検察は、個々の情報開示や怪しげな決算手法の違法性ではなく、それら全体としてファンダメンタルズから乖離した相場を作出した行為を問題視しているような気もし始めてきました。

158条(風説の流布・偽計取引)は、「別件」じゃないのということを一瞬考えたのですが、どうも最近はそうでないような気がしています。にもかかわらず、手続的な点でひっかかるのは、実は別件捜索・差押えの問題ではなく、158条が対象とする犯罪事実の特定性の問題なのかも知れません。

例えば、粉飾も情報開示の問題も、158条の下での「偽計取引」の一内容だという立場をとれば、①捜索・差押えの対象を極めて広範に設定できる、②控訴段階で罪状を個別の法定開示書類の不実記載(粉飾)に切り替えても、別件捜索・差押えということにはならない(はず・・・すっかり忘れたんですけど、基本は公訴事実の同一性の問題ですよね?)という意味では、非常に検察側にとっては使いやすい罪状ということになります。よく考えてみれば、「偽計」をおよそファンダメンタルズから離れた相場を意図的に作り出そうとする一切の試みととらえれば、刑法でいえば「手段はどうであれ、他人の意思に反して財産を移転する罪」というような条文があるようなもので、窃盗・強盗・詐欺・恐喝・横領・背任・・・要するに財産犯全体をカバーする罪状があるようなもんで、一度、そうした解釈が裁判所に受け入れてもらえれば、捜査段階での実行行為の特定の重要性は非常に低くなってしまいます。

その辺りから考えると、やはり今回の令状請求にあたっての捜査機関の法律構成が手続的なところでの肝ではないかという気がしているところです。
 

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サーベラスによるForum Shopping

米投資ファンド、「名誉棄損」と毎日新聞を提訴・メディア報道 (NIKKEI NET)

ロイター通信など欧米メディアは19日、米投資ファンドのサーベラス・キャピタル・マネジメントが、傘下企業による東京都内での土地取引に暴力団関係者が 関与したとの疑惑報道により名誉を棄損されたとして、毎日新聞社に1億ドル(約115億円)の損害賠償を求めてニューヨーク連邦地裁に提訴した、と報じ た。
毎日新聞は今月12日付朝刊の1面トップ記事で、東京・南青山の土地取引に絡み、サーベラスの子会社が暴力団と親しい関係者に仲介手数料を支払ったとの 疑惑を報道。ロイター通信が入手した訴状によると、サーベラス側はこれについて「悪意に満ちた中傷記事」で、企業評価を引き下げたなどと主張している。

これだけだと分かりにくかったので、少し見てみるとBloombergにもう少し書いています。まあ、とりたてて目新しい話があるわけではありませんが、「地揚げ」って"land-Sharking"っていうんだ、へぇ、とか思います。

この話には、いろいろなインプリケーションがあるんですが、とりあえず、まずは、かなりあからさまなForum Shoppingが目につきます。"Forum Shopping"というのは「法廷地漁り」と品のない言い方をすることもありますが、要するに自分の有利なところで訴訟を起こすというお話です。

余談ですが、これと似て非なるものが「準拠法選択」の話です。英文契約書とかだと、ニューヨーク州法準拠みたいなものが結構あるんですが、準拠法と法定地は必ずしも一致しません。変な話と思うかも知れませんが、日本の裁判所なのに準拠法はニューヨーク州法とか、その逆とかもあったりします。

どこで訴訟を起こすかが、最終的な準拠法にも影響を及ぼすことはあるのですが、アメリカ企業が日本企業を訴える場合にアメリカの裁判所を使うのは、むしろ原告にとっての手続的なメリットが大きいことがあります。「手続的なメリット」というのは、まず、英語が標準語であるというのが一つ。
実務的には、これは馬鹿になりません。例えば、ある申立が出てきて、10日以内に反論しろと言われても、間に翻訳という作業が入ってきたりすると、内部でのミスコミュニケーション発生の確率は格段に高くなります。

まあ、これは逆もまた然りで、日本で訴訟をやるとなると、間に全て翻訳を介在させないといけないので、今度は原告側が大変になります。ちょとドライに見れば、基準となる言語が違う当事者の間で訴訟が起きる場合には言語の違いによる取引費用の増加は不可避的に起きるので、要はどちらがそのコストを負担するかという、押し付け合いの話で、全体の効率性とは関係ないといえそうです・・・まあ、当事者にとっては死活問題ですけど・・・

もっと深刻なのは、アメリカの裁判所で認められているディスカバリー(証拠開示)という手続です。 

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クイズ:もしあなたが○○だったら

何か最近重い記事が多かったので、ここらで息抜きを。

今学期受けている授業で実際にやったことをアレンジした、ちょっとしたクイズです。

P大統領とJ君の会話

さて、あなたは、とある国の大統領です。
先ほど、あなたは、C○Uの有能すぎるぐらい有能だけど、上司の指示は全くきかず、大統領のいうことしかきかない困ったちゃんなエージェントJ君から、テロリストがとあるビルで細菌をばらまいたという報告を受けました。

J君「大統領。我々は、このビルの封じ込めには成功しました。このビル以上に細菌が広がるおそれはありません。」
P大統領「そうか。ありがとうJ君」
J君「ええ。でも、今このビルには10000人の人間がいます。彼らはもう全員細菌に感染してしまっています。Damn It !」
P大統領「まあ、落ち着きたまえ。何か手はないのか?」
J君「もちろん、あります。これまでのところ、有効と思われるワクチンが2つあることがわかっています」
P大統領「おお、そうか」
J君「しかし、問題は、Aワクチンの方は効果は人によって違うのですが、細菌のタイプは選びません。こちらなら、2000人は確実に助かります。」
P大統領「そうか。もう一つの方は?」
J君「Bワクチンの方は、強力なワクチンですが、タイプが合致していないと効果はありません。これまでのところで、細菌のタイプは5種類までは特定できたのですが、そのどれにあたるかわかりません。ワクチンがそのタイプに該当すれば、確率は1/5ですが、全員助かります・・・ただ、当てはまらなかった場合は、誰も助かりません。」
P大統領「全員確実に助かる手段はないわけだな?」
J君「ええ。そうです。大統領、あなたの決断が必要です。AワクチンとBワクチンどちらを使いましょう」

・・・さて、あなたはどちらを選びます? 迷っている暇はありません、5つ数える間に答えてください。

黄色いタクシーと緑のタクシー

とある雨の激しい真夜中、家路についたAさんの運転する車が四つ角の信号のある交差点にさしかかりました。
信号待ちをして、信号が青になったことを確認してAさんは交差点に入ったところ、直行する道路から凄い勢いで車が飛び込んできました。
慌ててAさんがハンドルを切ったところ、衝突は免れましたが、車は交差点の信号機につっこんで車は大破しました。
Aさんは、雨の夜で、真横から車が飛び込んできたために、車の特徴などはとても分かりませんでしたが、たまたま近くのコンビニの店員のBさんがスキール音と何かがぶつかる物音をきいて外に飛び出したところ、走り去る車をみかけました。
Bさんの証言によると、ナンバーは確認できなかったものの、車の屋根にタクシーであることを示すランプがついていたので、タクシーであることは間違いなく、色は緑だったということです。
幸か不幸か、Aさんに怪我はなく物損だけだったので、警察も捜査には余り乗り気ではなく、Bさんの証言の他には何も証拠となるものはありません。
その町では2台のタクシー会社、イエローキャブとグリーンキャブがあり、それぞれ黄色いタクシーと緑のタクシーを使っています。使っている車は全く同じで、違うのは色だけ。ただ、運行しているシェアでみると、イエローキャブが85%なのに対してグリーンキャブは15%に過ぎません。
腹の虫が治まらないAさんは、Bさんの証言を頼りにグリーンキャブに損害賠償を請求しました。
なぜか、その町では民事事件でも陪審制度がとられていて、あなたはこの事件の陪審に選ばれました。
訴訟でも、Bさんの証言以外の証拠はありません。グリーンキャブは、雨の夜の中、街頭を頼りに色をどれだけ判別できるものか実験すればBさんの証言の信用力を薄めることができると考えて、裁判所に鑑定を申請しました。
その結果は、グリーンキャブの期待とは裏腹に、雨の夜でも80%の確率で緑か黄色かを確実に識別できることが分かりました。ただ、20%の確率で、緑と黄色を間違えることもあるということです。
さて、今、裁判官は、あなたに対して、
「本件では、唯一の争点は、走り去った車が緑か黄色かだっただけです。もし、あなたが50%以上の確からしさで、事故を起こしたタクシーが緑だと考えるのであれば、Aさんの請求を認容、そうでなければAさんの請求を棄却してください」
という指示をだしました。
さて、あなたはどう判断するでしょう?こちらはごゆっくり。

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株価をつり上げて売り抜けるのはインサイダー取引か?

さっきの会計的話のエントリーに比べると、こちらは我々(法律家)にとっては結構整理しやすい話の割りに、ひょっとしたら一般の方には分かりにくいのかもと思ったのがインサイダー取引の話です。

rasさんのコメントを引用させていただきますと

本件の本質的なまずさは、投資組合を介したインサイダーに当たる点ではないのでしょうか?
売却後に収益をどれほどあげたとしても、買収を発表し株価を吊り上げて売り抜ける方法それ自体に問題があるような気がします。

株式分割のような①重要事実が、②未公表の段階で、③会社関係者が、④株式を売買等をするとインサイダー取引にあたるわけですが、今回の場合は、株式の入手方法は「株式交換」であって「売買等」に該当しないので、LD株の入手段階をインサイダーに問うのは難しいところです。(これは、「原始取得」は「売買等」に該当しないという立法担当者による解説が一般に実務で受け入れられているからで、立法論的には議論の余地はあり得ます)

次に、株式分割が公表されて株価があがった後で売却した点については、株式分割という重要事実は既に公表されていますので、「未公表の重要事実」を用いたということにはなりません。なので、こっちの方は、インサイダーで引っかけるのは難しいところです。かなりひねるとすれば、今回のスキームの裏側自体が「重要事実」(公表されれば株価は下がるor上がらなかったはずということで)として、これを「未公表の重要事実」と捉えて、株式の売却をインサイダーとして捉えるというところでしょうか?

ただ、更に投資組合の意思決定者(業務執行組合員)がインサイダーであるか、一次情報受領者であることを別に立証しなければいけません。

・・・というあたりで、何か株価が上がったところで売り抜けてというところを見るとインサイダーっぽいのですが、必ずしもストレートにインサイダーにあたるわけではないのが今回の事案で、どちらかというと相場操縦的な方向性が本質ではないかと思われます。そういう意味でも、「よくできている」スキームで、結構この辺りの規制構造に詳しい人もいたんでしょうが・・・

ただ、言うまでもありませんが、株式分割をやることを聞いた第三者が予め市場で株を買ったような場合には、こっちは(一次情報受領者である限り)インサイダー取引にひっかりますね。

・・・と、ごく簡単ですが、こんなところで。 

会計ルールに「穴」はないのか?

磯崎さんの「営業投資有価証券」の怪というエントリーに、次のようなコメントをしました。

次の問題は、これは「違法」なのか「ルールの穴をうまくついた取引」だったのかというところですね。こちらは、相当難問な気がします。

そのコメントについて、磯崎さんから会計ルールの「穴」というエントリーで、次のようなご指摘を受けました。

私は、非常にシンプルに考えてまして、(もし報道されているような取引を意図的に行ってたのだとしたら)明確に「アウト」だと考えてます。
誤解を恐れずに大胆なことを言えば、「会計に『ルールの穴』なんか無い」、と言えるかと思います。
(中略)
で、「公正なる会計慣行」とはいったい何かというと、「企業会計原則」をはじめとする会計の諸規定などとされており、それでも全部の事象がルール化できる わけがないですから、ある処理や表示が「公正なる会計慣行」に準拠しているかどうかというのは、まさに監査法人や公認会計士という訓練を受けた「人間」が 判断をすることになるわけです。
(中略)
会計原則でいう「真実」とは、「絶対的な真実」とは違って、業種・業態や人間の判断によって若干ゆらぐ性質の「相対的真実」である、てなことが言わ れ、「罪刑法定主義」とか「租税法律主義」というのとは違って、(明文の)ルールに沿っているかどうかが問われるのではなく、会計の目的(大原則)にそっ ているかどうかが問われると考えます。もちろん、「相対的真実」なので、人によって若干考え方が違う面はありますが、「企業の財政状態や利益を適正に表示 すること」は大原則中の大原則。にもかかわらず資本取引と損益取引を混同して利益を大きく表示しようというのは、会計で最も避けなければならないことなわ けです。つまり、財務諸表論の1時間目で習うようなお話。
いくら明文のルールに書いてなくても、会計士100人に聞いて100人ともが「なんじゃそりゃ?」と言う会計処理や表示は、「公正なる会計慣行」とはいわないと思います。
(中略)
しかも、検察が入って処理に粉飾の容疑がかかっている状況で、「あれは正しい処理だった」と主張する会計士は確実にゼロだと思われますので(笑)、 よって、その処理は「公正なる会計慣行を斟酌したもの」ではありえないですし、ということはすなわち、いくら明文の規定のどこに書いて無いにしても、その 処理や表示は確実に「法律違反」かと思います。

たぶん、多くの人は磯崎さんの仰ることに賛成されるんじゃないかと思いますし、会計士というプロフェッショナルの職業倫理の世界において、今回のような取引にOKを出すべきかといえば、それは違うというのも同意します。

ただ、それでも、ひとたび「責任」や「刑罰・行政罰」の世界の話として、それが「違法」かと言われれば、それは別の話ではないかという疑問が残ります。例えば、法律の世界でも、「明文では明らかではないけど、趣旨から考えると違法とされる可能性のある取引」というのは、いくらでもあり、まさに、その典型の一つがライブドアがニッポン放送株式買収の際に用いた「ToSTNET-1を用いた時間外取引」だったわけです(この辺りの詳細は過去記事(これとかこれとかこれとか)をご参照下さい)。

過去記事の中でも書きましたが、件の事件以前の段階で、こういう取引についての多くのビジネス・ロイヤーの立場は「OKを出すべきではない」ということだったと思います。ただ、他方で、実際にそれが起きたときに、それが「100%違法になる」というものでもありません。
その意味では、あれは我々からみれば「制度の穴」だったわけで、それを「利用すべきでない」とは言えても、実際に利用した人間を必ず「法律違反」に問えるかというと、そういうわけでもないと考えていたわけです。(最終的には、なぜか金融庁長官の解釈でお墨付きが出てしまったような形になってしまった後で法律改正がなされたわけですが・・・)

で、私には会計にもこの種の「ルールの穴」というのは、やっぱりあるんじゃないか、という気がしています。別に今回の取引が妥当だとは誰も思っていませんが、「資本取引と損益取引を混同して利益を大きく表示しようというのは、会計で最も避けなけれけばならない」という「財務諸表論の1時間目で習うようなお話」というのは、「穴」を許さないようなものなのか?というところを、ちょっと素人なりに考えてみようと思います。

なお、私の目的はライブドアの擁護ではありません。ただ、法律家というのは、司法試験受験の過程で憲法の考え方を相当にたたき込まれるせいか、本能的に国家権力がフリーハンドを持つことに強い警戒感を持っているので、「粉飾」という概念が事実上捜査機関に大きな裁量を与えてしまうんじゃないかということもまた非常に気になるわけです。これは、「何で弁護士は大量殺人犯を弁護するのか?」というのと少し似ているのかも知れません・・・(まあ、ライブドアは大量殺人犯ではないわけですが・・・)

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なるほど・・・これが「粉飾」ということですか

とりあえず、今から授業なんで、詳しいことは後にしますが、こちらのNIKKEI NETの記事で、(早合点かもしれませんが)ようやく今回問題とされているカラクリが見えてきたような気がします。

ライブドアグループの証券取引法違反事件で、ライブドア本体が実行したとされる粉飾決算の手口が18日、明らかになった。企業買収の際、株式交換名目で新規発行した自社株の売却収入を還流させ、ライブドアの利益に計上するのが主な方法。自社株の処分は本来は資本取引なので利益に計上しない。経常利益を実際よりかさ上げして好業績を装い、株価を引き上げるなどの目的だったとみられる。

・・・というわけで、続きはまた後ほどということで

(追記)

KOHさんの記事によると、昨日の日経夕刊の段階ではちょっと意味の分かりにくい記事だったようですが、上の記事の表現なら分かるかなと・・・

早合点かも知れませんが、会計的に間違っているかもしれないところは、誰か指摘していただけるのを期待しながら、多分、こういうことなんだろうという話を。(追記の追記:「粉飾」とかぎかっこつきで書いているのは、報道でいわれていた「粉飾」というものという意味で、私自身は、今回の会計処理が本当に「粉飾」(会計ルールに反したもの)に該当するものなのか、それとも「会計ルールの盲点をついたもの」なのかという部分については、まだ判断がつきかねています。繰り返しになりますが、「妥当かどうか」と「違法かどうか」は、別の話なので、後者の問題については会計の専門家の方の議論なんかも聞いた上で、改めて考えてみる予定です。)
 

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ライブドア本体(単体)粉飾疑惑の気になるところ

・・・というわけで、今ひとつわけのわからないマネー社買収絡みは「別件」で「本件」はこっちということなんでしょうか?

最初に、念のために申し上げておきますと、私はライブドアのファンではありませんし、個人的には、適法かどうかは別として同社の戦略が妥当かといわれれば首を傾げる方です。
結局のところ、ライブドアの手法を賞賛し、資金を投入してきたのは「市場」で、やり方はどうであれ、「持っていれば損はさせない」という意味で人気を集めてきたわけです。ある種の「人気商売」にとっては、スキャンダルは致命的になるわけで、そもそも強制捜査のきっかけを与えてしまったことそのものが、最終的な結末はどうであれ、「人気商売」としてのビジネス・モデルにおいては失敗だったんではないかという気がします。
ライブドアを祀り上げたのも「市場」なら、見放すのもまた「市場」であって、今回の件をきっかけに、ある意味でヒステリックな市場反応が生まれていることについては、自然の流れということじゃないかと・・・そういう意味においては、私は結構冷めてます。

・・・とはいえ、そのことと法律の解釈とか手続的適正というのは別の話です。社会的に石を投げられることと、それが法によって裁かれることは違います。
「社会が石を投げるから、罰(刑罰・行政罰)を与えていい」のなら、法律とかはいらないわけで、もっといえば、「社会が石を投げるかどうか」が基準に裁かれるところには法的安定性とか予測可能性といった経済的活動の基本は確保されません。というわけで、いろいろと今回の捜査機関の立場について疑問を提示してみようというのが、私の立ち位置というところです。

・・・と前置きが長くなりましたが、報道による、今回のライブドア本体の「粉飾決算」についても、いろいろとよく分からないところがあるんで、つらつらと思ったことなどを。会計にわたる部分は、ひょっとしたら何か勘違いがあるかも知れませんので、もしお気づきのことがあれば教えて頂けると幸いです。

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ライブドア事件にみる経済事犯リテラシー

一夜経って、また、いろいろと情報が増えてきています。私のアクセスできる情報というのは、基本的に新聞のネット記事なんですが、マスコミの情報も錯綜しているようです。

そんな中、個人的に興味をひいたのは、asahi.comの宮内取締役のインタビュー記事です。

「買収を発表する前にすでに対象の出版社を買収していたといわれるが、先に株式を取得していたのは投資事業組合で、(ライブドアの金融子会社である)ライブドアファイナンスが9割以上を出資する企業再生ファンド。ファンドの最終決定者も当社ではない」
「その後、バリュー社がこの出版社を欲しがったので売却した。一方、バリュー社の株式分割は当時の株価をかんがみて実施したもので、すべて別々の取引。一連の取引に見えるとすれば私の落ち度だ」

昨日の記事で書いたように、ファンドの仕組的にみれば、ファンドの資金提供者と意思決定者は別になっていて、ファンドを通じて取得した企業と資金提供者の間の支配関係は切断されているというのは普通の話で、上のインタビュー記事からすると、今回のファンドもそういう類の話だったということを示唆しているようです。

で、こうした場合に、ファンドの運営している企業が軌道にのったところで、資金提供者自体が連結に組み込むために株式を直接保有したり、グループ会社とくっつけたりする・・・というのは、「よくある」とは言いませんが、珍しいという話でもないような気が知るんですが、どうなんでしょうね?

とすると、今回の場合の問題は(粉飾云々はおいておいて)、①株式交換という手法を使ったこと、②ファンドの資金提供者に関する情報を開示しなかったこと、③ファンドによる取得から株式交換までが6か月程度(短い?)ということ、④株式交換から実行までの間に株式分割をしたこと・・・といったところに特殊性があるんでしょうか?

ただ、もし、風説の流布にせよ偽計にせよ、実行行為(犯罪の行為)が、株式交換のアナウンス自体にあるという立場をとるなら、④の問題は実行行為後の話であって、直接には関係ないような気もするところです。(あえて言うとすれば、株式交換によって取得した株式を売却するというところで「有価証券の取引のため」という目的要件につなげることかも知れませんが・・・ただ、株価の上昇の大きな要因は株式分割であって、それ自体は違法な行為ではないとすれば、これも主張としては弱いような気がしますが・・・でも、このasahi.comの記事を見ていると、株式分割による株価上昇が悪いとみているような・・・このロジックは何なんでしょう???・・・わからん・・・)

というわけで、やっぱり何が嫌疑なのか私には分かりません、そんな私向けなのか毎日新聞に「ライブドア:強制捜査のポイント、株式交換・分割のQ&A」という記事が。

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なんで「風説の流布」なんだろう?

今日はアメリカはMartin Luther King Dayということで学校も休みだったんで、New Jerseyの日本食スーパーに買い物がてら、そこで出店している山頭火でラーメンなんかをすすってたんですが、つらつら考えてみるに、今回の容疑が「風説の流布」というところが、純粋に法的な意味で興味深いですね。

報道の内容を聞いている限りは、今回の件というのは、どこまでいっても、要はライブドアが自分のコントロール下にある企業の情報について開示の内容やタイミングを操作したという話ですよね?

少なくとも証券取引法上は、流通市場において開示すべき内容というのは、有価証券報告書と臨時報告書の提出義務の中にとりこまれていて、これに関する不実記載やmaterial omission(重要事項の不記載)を罰するというのが本来のルートです。

これらの法定開示書類の対象とならないけど市場に影響を及ぼすかも知れない情報については、従来は、取引所規則での適時開示義務と、インサイダー規制で間接的に開示が促されるという状況にあったんじゃないかと思います。

もちろん、文言的には、157条から159条も適用は可能なわけですが、どちらかというと、これらは発行会社以外の第三者による相場操縦を念頭に置いてきたんじゃないかと・・・(あ、でも発行・売出しの時には安定操作が絡むか・・・)

今回、風説の流布を使ったというのは、その意味で興味深いんですよね。もしかしたら、風説の流布が日本版10b-5的な規定として使われていくのかも知れないなという予感もあります・・・ただ、その場合、日本では刑事罰一本槍なんで、立証のレベルが高いとか、罪刑法定主義とのバランスといったあたりが問題となりそうな・・・

まあ、これは、目先の事件が云々というよりも、かなり傍観者的な観点なんですけど、今後、日本における証券取引法の執行が盛んになっていくとすれば、解釈論上の結構大きなターニング・ポイントになるのかもしれません(まだ、起訴すらされていないわけですが・・・)

ライブドア強制捜査-「風説の流布」の法的論点

昨日見た24のシーズンVが余程強烈だったのか、逆境サスペンス系の夢を見て夜中目を覚ましたりしている間に、日本ではもっと大変なことが起きていたみたいですね。ろじゃあさんからのコメントを見て、日本のニュースを見てびっくり。

東京地検、証取法違反容疑でライブドア本社など家宅捜索 (NIKKEI NET)

ライブドアの関連会社が2004年に企業買収した際、買収方法について虚偽情報を開示し、虚偽の決算を公表していた疑いが強まり、東京地検特捜部は 16日、証券取引法違反(風説の流布など)の疑いで、六本木ヒルズ(東京・港)内のライブドア本社や堀江貴文社長の自宅など関係先を家宅捜索した。今後、堀江社長ら幹部の事情聴取と押収資料の分析を進める。  
(中略)
調べによると、東証マザーズ上場の関連会社、ライブドアマーケティング(当時バリュークリックジャパン)は04年10月、出版業のマネーライフ社を株式交換で買収すると公表。しかし、実際には公表前に買収先企業の株主に現金を渡して事実上、傘下に収めており、開示した内容が虚偽だった疑いが持たれている。

ここであげられている「風説の流布」というのは証券取引法158条において、次のように規定されています。

何人も、有価証券の募集、売出し若しくは売買その他の取引若しくは有価証券指数等先物取引等、有価証券オプション取引等、外国市場証券先物取引等若しくは 有価証券店頭デリバティブ取引等のため、又は有価証券等の相場の変動を図る目的をもつて、風説を流布し、偽計を用い、又は暴行若しくは脅迫をしてはならな い。

相変わらず読みにくい条文ですが、まず、客観的には、「風説の流布」(虚偽あるいは根拠のないことを広めること)という行為が必要になります。ただし、これだけでは十分ではなく、これはいわゆる「目的犯」ですので、(a)「取引のため」 OR (b)「相場の変動を図る目的」のどちらかを満たさなければいけません(あと「故意」も必要ですが、「目的」が認定されれば「故意」がないというのは、余り考えられないところです)。

とりあえずNIKKEIの報道によると、バリュークリックジャパンによるマネーライフ社の株式交換に関する発表が問題ということのようですが・・・ちょっと、これだと分かりにくいですね。asahi.comの記事の方が、もう少し詳しいようです。

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はじまりました

始まりました。

何がって、24 season 5です。

今日はSeason Premierということで、2時間。で、明日も2時間分やります。

日本では、まだ、もう少し先になると思うので、ネタバレはいけないと思うんですが・・・いや、24をこれまで見てきた人間としては、いきなりショックな展開です。

でも、24が日本人に受けるのは、何というか、この「逆境」ぶりなのかも知れませんね。
今回も、思いっきり逆境ナイン級の逆境です。

頑張れジャック。仇をとるのは君しかいない(誰の仇かは、いえないけど)。

・・・しかし、まだ2時間・・・この調子でどこまで行き着くんでしょうね・・・

磯崎さん、大変ですよ。今回は(今回も?)

 

コメントをしたのに表示されないという方へ

昨年の秋ぐらいからオンライン・カジノやらのコメント・スパムが異様に多くなったため、現在MTのスパム判定設定をあげているため、コメントしたのに、表示されないという場合があり得ます。

なるべく迷惑コメントとして仕分けられているものも事後的にチェックしているのですが、ちょっと見ないと迷惑コメントが数百件という状態になってしまうので、チェックもれが出ています。

もし、コメントしたのに表示されないという方がいらっしゃった場合には、ny47th2004@yahoo.co.jp宛てに「ブログのコメントの件」という題名でメールを送っていただけると助かります。ご不便をおかけしますが、ご協力いただければ幸いです。

SOX404制定過程での内部統制論の整理

neon98さんが内部統制懐疑論(1) (2) で、非常に興味深いエントリーを書かれています。非常に興味深く、また、考え方の方向性については、私も同感ですので、是非興味のある方はご覧になっていただきたいんですが、私自身の整理と、より深くnenon98さんのエントリーを味わうための調味料として、Sarbences-Oxley Act of 2002(SOX)の404条に関するSECルール制定の際の内部統制論の整理を簡単に紹介しようかと思います(ちなみに、元ネタはRule制定の際のSECのリリースで、とりあえず以下の記述は、それに全面的に依拠したものであることにご注意を)。

まず、そもそもInternal Control(内部統制)という概念は会計から発達したもので、1977年には、Foreing Corrupt Practices Act(FCPA)において、"internal accounting controls"という用語の下に、以下の点を確保するためのシステム統制を公開会社に要求しています。

  • 取引が経営陣の一般的あるいは個別の授権に従ってなされること
  • 取引がGAAP等に従った財務書類の作成及び資産のaccountability(会計帳簿への適切な計上ぐらいの意味?)の維持に必要な形で記録されること
  • 資産へのアクセスが経営陣の一般的あるいは個別の授権に従ってのみなされること
  • 資産の記録されたaccountabilityが合理的な周期で現存する資産と比較され、いかなる差異に関する適切な対応がとられること

その後、1980年代から1990年代にかけて、内部統制という概念は、より広範な企業活動に適用されるべきと言う主張が高まり、有名なCOSOのFrameworkにつながります。

COSOのFrameworkでは、内部統制は以下の3つの領域について、「取締役会、経営陣及び他の従業員によって実施され、目的の達成について合理的な保証を付与するようにデザインされたプロセス」を指すものとして定義されています。

  • 業務の有効性及び効率性(effectiveness and efficiency of operations)
  • 財務報告の信頼性(reliability)
  • 適用ある法及び規則のコンプライアンス

更にCOSO Frameworkでは内部統制は、以下の要素からなるものとされています。

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利息制限法と借り手保護の微妙な関係(1)

利息制限法の超過金利、支払いは原則無効・最高裁が初判断 (NIKKEI NET)

 

利息制限法の上限金利を超える高金利で自営業者に融資したアイフル子会社の商工ローン、シティズ(京都市)が、返済期日を過ぎた場合に残額の一括返済を求められる特約に基づき自営業者と連帯保証人に返済を求めた訴訟の上告審判決が13日、最高裁第2小法廷(中川了滋裁判長)であった。同小法廷は「上限を超える金利について、事実上強制されて支払った場合、特段の事情がない限り、無効」とする初判断を示した。

 

既にろじゃあさんが紹介されていますが、実務に与えるインパクトは非常に大きい気がします。この判決では、期限の利益の喪失による実質的な利率の上昇による返済の動機付けを「事実上の強制」として捉えています。期限の利益の喪失は、スケジュール通りの弁済の動機付けとして最も有効な手段であって、およそあらゆる契約ではこの方式が用いられていることからすれば、最高裁は現在の実務についてデフォルト・ルール(原則論)として利息制限法違反であると宣告したことになります。

元々、利息制限法というのは、一定以上の利率を超える部分については「無効」といいつつも、弁済が「任意」になされた場合には取り返せないという意味で、「無効」というよりは「履行について法の援助を受けることができない」という構造になっています。ただ、裏を返すと、裁判所に履行を求めることはできないとしても、任意の返済を動機付けることは、それが脅迫とか詐欺のようなものでなければいいということにもなります。
(1/13 追記:さらに貸金業者については、貸金業法43条で一定の要件を満たす「任意の支払い」については「返還を請求できない」というだけではなく「有効」とされます。厳密にいうと、両者は法的効果が違う(利息制限法の下では自然債務としては残る)わけですが、「任意の支払いである限りは無効とされない」という点で余り区別して扱っていませんので、その点ご注意下さい。)

実際には、こうしたインセンティブ付けには色々なやり方があり得ます。例えば、最初に高い利率を設定しておいて、約定通りに返済された場合には減免をする、約定通り元利金まで完済されたら一部を返還する、一定期間約定通りの利率を支払ったら残りの期間の利率を減免する、約定通りの返済を行ったら与信枠を拡大する、etc...、期限の利益喪失による実質的な利率上昇は、そうしたテクニックの一つに過ぎないとも言えるわけですが、今回、この形でのインセンティブ付けは「事実上強制されて支払った」という法的評価が下されたことになります。

・・・さて、こうなると気になるのは、上にあげたような他のタイプのインセンティブ付けはどうなのか、というところです。およそ、インセンティブ付けを一切禁止してしまうのか、それとも、どこかで線を引くのか・・・線を引くとすれば、どこで線をひくのか・・・

法的なレトリックで言えば、この線引きは「特段の事情」というところでなされるのでしょうが、この「特段の事情」には何が入ってくるのかは最高裁判決からは明かではないような気もします。そもそも、インセンティブ付けそのものを問題視するのか、それとも、インセンティブのつけかた(反した場合のサンクションの過酷さ)を問題とするのか、それとも、個別の債務者の属性(例えば、利息制限法の存在について熟知していたとか?)をみるのか・・・そもそも、最高裁が、どのようなロジックで「事実上の強制」と「任意」を区別するのかが明らかでないために、この辺りもよく分からないところです。

判決理由の短さが問題となっていますが、この最高裁判決も、その意味では短すぎる・・・というか、この「結果」が経済にもたらすインパクトの大きさから考えて、その後の予測可能性を保証するという意味では明らかに不十分ではないかという気がします。今後、この判決の背後にある理論、特に私からみると、「事実上の強制」という概念の分析と、金融において用いられる返済インセンティブ創出との関係が議論によって明らかにされることが期待されるところです。

・・・というのが、「ちょこっとローエコ」的な本判決に対する私の見方ですが、もうちょっと、大きな枠組みでみて、そもそも国家が一定の利息上限を設けることの意義というのも考えてみるに値するような気がします。10日で1%とか、年率が100%とか、200%というのは、いかがなものか(暴利じゃないの)というのは何となく分かるのですが、年率15%を超えると無効というのは、果たして制度として望ましい制度なんでしょうか?

と、この辺りのことを、また、ちょこちょこっと考えていきたいと思います。 

ちなみに、私的には、この判決のロジックには疑問があるものの、結論については、今のところ是非どちらもありません。

個別の事案において中小企業金融において過酷な取立がなされていることや、よりマクロな視点でみても破産制度に対する社会的なスティグマが依然として大きく経済的再出発に対するハードルが大きいという社会背景と合わせて考えたとき、借手保護的な政策への傾斜は分からないわけでもありません。
他方で、これから考えていくように、一律の利息制限が却って真に資金を必要としている借り手への資金供給を阻害してしまう可能性も無視できないところです。

結局、最後は、市場メカニズムに対する修正がどの程度必要で、そのために望ましいメカニズムは何かということになってくるわけで、更にいえば15%前後という水準が適切かどうかというのは、本来はより実証的なデータに裏づけられるべきなんだろうな、というのが、直観的な結論です。

・・・ところで、上告代理人の方って、もしかして・・・ 

Second Thought about Spring 2006 Classes

一応、興味のある授業はひととおり聞き終わったところで、今学期の受講科目について、ちょっと変更しました。

前回は、KahanのCorporate Lawのゼミをとると書いたのですが、やっぱり落とすことにしました。まあ、個人的な都合もあるんですが、何で気乗りしないんだろうということをつらつらと考えてみると・・・

まず、講師側の「やる気」が一番大きいような気がします。前回の時点で6頁の裁判所の判決だけが配布されているだけという話をしましたが、結局、ゼミ当日までSyallabusはアップされませんでした。
そのSyllabusは、こちらなのですが・・・まずは、この最初の2回と最後の3回は、ほとんど何も決まっていないも同然です。
やはり最初の数回、というか、特に初回は、ゼミの「顔」というか、そのコースで講師側が何を伝えたいと思っているのかというメッセージを伝える場であるべきなんじゃないかと思います。これからまるまる4か月付き合うわけですから、コースの意図するところや、メソッドについての相互理解を形成することが必要なのに、これだけで何か拍子抜けがします。

それでもSyllabusのトピックや論文の選び方が興味をそそるものであれば・・・うーん、State Law Competitionを3回も使ってやるのかぁ・・・Takeover関係は2回で、それぞれ2論文ずつだけを厳選すべきところで・・・StoutとBebchuk・・・悪くはないけど、2つだけ選べと言われたとき、これを選ぶかぁ、まあ、悪くないけど、微妙・・・ガバナンスの話はInstitutional Investorだけかぁ・・・Securities Fraudと言いつつ、要するに原告株主問題かぁ・・・etc...

まあ、何か深い考えがあってのことだと思うんですが、何だか波長が合わない・・・というか、多分、私がPolicy Analysisということで、このゼミに期待していることと微妙にずれている感覚があるんですよね。(ところで、もし自分が会社法のこういうゼミをやるとしたら・・・考えてみると面白そうですね)

ただ、これは結局、講師との波長が合わなかったということの後付の理屈かも知れません。なにせ、結局、1回目の授業はDisneyのオピニオンをベースに、だらだらと事案の分析をしていくだけで、Policy Analysisではなく、単にCase Discussionの域を出ない上に、学生からの全く事案から外れた上に現実的でない問題設定に引っ張られて、議論の収拾がつかない状態になっていったりと、何だかよく分からないまま終わってしまいました。

他にも、4,5回(これもはっきりしないし、テーマを自由に選べるのかも有耶無耶)はコメント・ペーパーを提出する必要があり、どうもこれとプレゼンテーションでグレードが決まるというのもネックでした。
コメント・ペーパーはディスカッションの下地をつくるという点では有用なのは分かるんですが、性質的に関連文献や議論に当たりたくなるところがあるので、これをコメント・ペーパーでやっていたら他のことができなくなってしまいそうです(しかも、英語で書かないといけないというもネック。
というわけで、最後にある程度分量のあるターム・ペーパーを提出する方が性に合うというところもありました。

以上、様々な理由によりKahanのCoporate Law: Policy Analysisは落とすことにして、代わりにAntitrust Issues in the Distribution of Goods and Services (Scher)をとることにしました。

教授は実務家・・・というか、去年研修していた事務所のパートナーで顔は知っていたのですが、向こうはこっちを覚えていないだろうと高をくくって、単なるCourse Shoppingのつもりで行ったら、顔見知りのAssociateも来ていて、ばっちり顔を覚えられたこともあり、あと、内容的にも秋学期に手薄だったVertical Restraintで、Robionson-Patmanもやるということなので、こちらをとることにしました。

まあ、せっかく秋学期Antitrustに5単位をつぎ込んだので、この際、更にAntitrustに傾斜するのも悪くないかなというところで^^

・・・というわけですので、以上で春学期の受講科目になりそうなので、ブログをお読みの方で、一緒の授業をとられる方がもしいらっしゃったら、どうか宜しくお願いいたします^^ 

交渉と弁護士と囚人のジレンマ

ゼミの関係で読んでいるRonald J. Gilson, Value Creation by Business Lawyers: Legal Skills and Asset Pricing, 94 Yale L.J. 239 (1984)は、ビジネス・ロイヤーの存在意義について考察を加える非常に興味深い論文です。
その中に、大要、こんな感じの記述がありました。(あくまで要約です。原文では244-246頁をご参照下さい)

 

すぐれた弁護士は、交渉において依頼者の取り分を増加するという形で貢献するということが言われる。
事後的にみれば、一方が優れた弁護士を雇い、他方が能力の劣る弁護士を雇っている場合には、優れた弁護士を雇っている側が、交渉においてより大きな取り分を手に入れることができることが事実であろう。
しかし、事前の観点からみれば、弁護士を雇うことが依頼者にとって合理的とは限らない。
なぜなら、両方が弁護士を雇えば、弁護士費用などのコストの分、トータルの利益が減少してしまうから、両者にとっては弁護士を雇わない方が合理的だからである。
自分が雇う弁護士の方が優秀で、両者の弁護士費用を上回る追加の利益を得られると信じる場合にのみ、依頼者は弁護士を雇うはずであるが、そのような場面は限られている。
したがって、交渉において弁護士が雇われる理由としては、弁護士が雇われることによってトータルの利益が増加するということがあるはずである

 

 確かに、交渉力がある、あるいは、相手を出し抜くことができるというだけでは、弁護士の存在意義というのは限られますし、そもそも弁護士にとって主要な素養は交渉力だという結論にもなりかねません。
そうではなく、取引全体のパイを大きくすることがビジネス・ロイヤーの意義である「べき」ということについては、全くもってその通りだと思います。

・・・が、もしGilsonが、引用部分のロジックを、現実の弁護士が雇われている行動を説明するために(記述的に)用いているのであれば、このロジックはちょっとおかしいと思いませんか?

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Classes of Spring 2006

昨日から授業が始まっていますが、とりあえず今学期のラインアップはこんなところで考えています。

Law & Development (F. Upham)

昨日第1回の授業だったのですが、やりたかったことにかなりマッチしている感じです。
開発の問題は発展途上国だけの問題ではなく、アメリカをはじめとした先進国の今後を考える上でも示唆に富むという漠然とした予感はあったのですが、とりあえず明日の授業のために読んだ Joseph Stiglitz, The Ethical Economist, FOREIGN AFFAIRS, November/December, 2005 で、その直感は外れていなかったようだと判明。

Financing Development (K. Davis)

こちらは特に発展途上国へのファイナンス手法に焦点をしぼったゼミです。
とりあえずAssignmentは結構あるようですが、頑張ります^^;

Corporate Law: Policy Analysis (Allen=Kahan)

これは(多分)オーソドックスな会社法ゼミだと予想しています。
新しい話がどれだけあるのかは分かりませんが、せっかくアメリカにいて会社法を勉強できる機会ですし受講を決定。
とりあえず第1回目のアサインは6頁のケースだけ・・・しかも秋学期のCorporationで読んだことのある判例・・・どれだけやる気があるのか、若干の不安が・・・

Merger & Acquisition (Amihud)

こちらはStern(ビジネススクール)の授業です。
元々、Wachtel LiptonのパートナーであるKatzの教えるLaw Schoolの方の講義を申し込んでいたのですが、時間が別のとりたい授業(Multiregressionのやつ)と重なっていることと、授業評価を見ているとCorporationやSecurities Regulationと内容が重なるところが多いという話もあったのでドロップ。
ただ、全く何もとらないのもなぁ、と、思っていたところに、この1.5単位という半端な単位数の授業を発見。
講義内容も、どちらかというとファイナンス理論的な側面から分析を加えたりということで、好みにあいそうなので、こちらにしました。
こちらはSternの講義なのと1.5単位だけなので1/24-3/9までの1月半のみ。

European Corporate Law & Securities Regulation (Hopt)

こちらは、上のM&Aの授業が終わった後に始まるスケジュールの授業。
Anatomy of Corporate Lawなんかの執筆者でもあるHoptの授業ということと、これを機会に苦手なEU会社法関係の概観を勉強するのもいいだろうということで選択。
ただ、スケジュール的にきつくなってきたらドロップするかも・・・

Behavioral Law & Economics (Bar-gill)

先生はなんと30歳のイスラエル人・・・うーん、こういうのがあると自分が歳をとったという気が・・・
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、最初はこっちを聴講にしてMultiregressionの方を正式登録しようかなとも思ったのですが、いろいろと単位のこととかを考えて、こっちを正式登録することにしました。
本当は普通のLaw & Economicsもとろうかと思っていたのですが、M&Aと時間がかち合うし、教科書を見たら、すごい初歩的なところで終わってしまう危険も感じたので、こっちにしておきました。

Regression & Multivariate Data Analysis (Simonoff)

これもSternの授業で、教授にメールをしたところ、席に余裕がある限り聴講は全然OKということだったので、これをとることに。
シラバスを見ると、Assumptionのチェックに時間を割いているし、一応、logistic regressionもやるようです・・・ただ、このシラバスがふるっていて、かなり脅しが入っています。
こちらも授業は2月スタートなんですが、それまでに宿題をやらないといけなさそう・・・
ちなみにソフトはMinitabを標準で使うということのようです。

・・・あと、Sternの1.5単位のVenture Capital Financingも登録はしているんですが、ちょっとワークロード的にきつそうなので落とす予定です。
それでも、正式登録13.5単位で、聴講を入れると16.5・・・うち、ゼミ2つというのは秋学期以上に追い込まれそうな予感も・・・どうなることやら、乞うご期待^^;

 

新年いろいろと・・・今後の予告など

とりあえず、先ほど無事フロリダから帰ってきました。

久々に車を乗り回し、充実した休暇を送ったのはいいのですが、来週から始まる授業のアサインや仕上げなければいけない原稿に、ちょっと眩暈が・・・

というわけで、落ち着くまでの間、ひょっとしたらブログの更新ペースが落ちるかも知れません。ただ、書こうと思っているネタはいくつかあって忘れるといけないので、備忘録代わりに残しておきます。

 

債権法改正

会社法現代化に続いて、大きな改正になりそうな債権法改正ですが、その意味合いについてはちょっと予測しがたいものがあります。とりあえず気になっているのは、①公序に基づく契約自由の制限の扱い(典型は損害賠償額の予定ですが、本来はそれだけに終わらないインパクトがあるのと、消費者保護法との棲み分けが気になるところ)、②組合契約の取扱い(権利関係とか権能なき社団の取り込み)、③委任・代理契約の取扱い、④雇用契約の取扱い(③との関係もあるし、そもそも労働法制との棲み分けをどう考えるのか)、⑤典型契約の焼き直しと商行為法との調整・・・あたりです。

それぞれについての細かいことは何れ別にエントリーを立てる・・・かも知れません。

サウンド・ロゴ問題

ろじゃあさんのところで知ったんですが、サウンドロゴのリバイバル利用に関して作曲家の方が訴訟を提起されたようです。

個別の件についてというよりも、そもそも知的財産権の経済的価値の分配の制度設計はどうあるべきかという観点から興味があるところです。

著作権とか特許というのは特定の個人の非常にクリエイティブな才能によるところがあることは確かですが、経済的な価値の獲得の過程においては、作品が生まれた後でなされるその作品への投資(プロモーションや応用技術の開発)も非常に重要なところ・・・どんなにいい音楽をつくっても売れないアーティストはいるし、音楽的に見るべきもののないものでも巨額のプロモーションがなされればある程度は売れるわけで・・・この辺りをどういう形で設計するのが望ましいのか、とか、どういうルート(契約か法律か、裁判か)というところも考えてみると面白い話です。

Law & Development

とりあえず春学期は、Law & Development(経済発展と法の関わりを考える分野)関係の講義とゼミを一つずつとる予定です。

何でLaw & Developmentなのかという辺りについても機会をみて書いてみようかなと思っています。

仕事に結びつくかどうかはよく分からないんですが、ビジネス・ロイヤーという職業にあることと自分の価値観の調和という観点からすると、実はそんなに突拍子のない話でもないと思ってるんですよね。

West Virginiaでの炭鉱事故について

アメリカの新年一発目の大事件は、West VirginiaのSagoで起きた炭鉱事故です。

12人の方が亡くなったという非常に痛ましい事故なんですが、これに関連してひっかかっていることが2つあります。

一つは、CNNでやっていたのですが、アメリカでは炭坑以上に労災死亡率の高い職業が他にもあり、例えば林業や清掃業、漁業などは10000人のうち50-100人ぐらいの方が労災で死亡しているというようです。

統計のとり方もあると思うので、これだけでは一概に言えないのですが、直観的には決して低い数値ではないように思われます。こうした職業は、低所得者層に固まっていたり、地域的に他の職業の選択肢がないという場合もあるようで、従業員の安全確保への資源投下は十分になされているのか、とか、アメリカの所得分配の麻痺があるんじゃないかという気がむくむくと起きてくるところです。この辺りは、Law & Developmentに興味を持っている理由の一つなので、いつかそれに絡めてまた書いてみようかなと思います。

二つめは、マスコミの報道が、「当初13人中12人が生きているという情報が会社側から流されたのに、それが数時間後にミスコミュニケーションであって、実際に生きていたのは13人中1人であって、このために遺族は天国から地獄に突き落とされた」というところにフォーカスがあてられているような印象が強いことです。

確かに、こうした情報伝達のミスは褒められたことではありませんが、事故処理の初期で情報が錯綜することはあり得ない話ではありませんし、情報が確実でないという理由で被災者の家族に対する情報提供を押さえることにも、それなりの問題があり得るように思われます・・・というわけで、問題とするのは構いませんが、私からみると枝葉にしか思えません。

むしろ、本当に問題なのは炭坑のそもそもの安全体制や事故処理体制、事故後の補償体制、さらにはアメリカ社会の抱える構造的な地域格差といった部分じゃないかと思うんですが・・・何となく、そうした深い問題に立ち入ることを避けているような印象すら受けてしまいました。

もちろん、これはフロリダで時間のあるときにつけたニュース番組をちらっと見ただけの印象ですので、正しくないのかも知れません。ただ、アメリカのマス・メディアの見識というのも眉につばをつけた方がいいような気もしました(・・・そういえば、Katrinaの時にあれだけ話題になった所得格差の問題も何だか尻すぼみで終わったような感じですし)。

・・・他にも、誤発注問題についての続きとかも書きたいことはあるんですが、まあ、ぼちぼちやっていこうかと思います。

というわけで、今年も宜しければ私の「思いつき」にお付き合いいただければ幸いです。

 

フロリダからこんにちは

実は新年早々5泊6日でフロリダに来ております。
空路マイアミに入り、Everglades National Parkを巡って、アメリカ本土最南端Key Westまで下り、昨日、マイアミ近郊のゴルフ場併設のホテルに戻ってきました。
というわけで、エントリーの更新とその間に頂いたコメントへのお返事が遅れておりますが、ご容赦下さい。<(_ _)>
一応NY戻りは6日を予定していますが、春学期開始前にあげてしまいたい原稿が2本ほどありますので、本格的な更新は春学期開始後になるかも知れません(・・・とかいって、原稿書きに詰まってブログ書いているかも知れませんが^^;)

 
法律・経済・時事ネタに関する「思いつき」を書き留めたものです。
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